2012年12月21日金曜日

メリークリスマス

 おはようございます。
昨日のブログで、イエスキリストの誕生のとき、東方から三博士が拝みにきたと書きましたが、東方とはどこですかとのご質問がありました。聖書から特定することはできませんが、ペルシャ(イラン)かインドだと言われています。

天体や星の動きなど見る人たちという事になると、インドが最も進んでいたかも知れません。昨日書きましたが、今日でもチベットでは、イエスキリストと同様の方法で大僧侶の後継者を選ぶことができますから、当時もそうだったのでしょう。イエスへのお誕生の贈り物の中身が、黄金・乳香・没薬(もつやく)と聖書に書いていますので、インドの線が強いですね。(昔はパキスタンもインドでした。)

紀元前3世紀頃には、アレキサンダー大王の遠征や、アショーカ王の仏教の西方への伝道などシルクロードを通って、交流が盛んであったことなど考えますと、インドの僧侶だと思います。ドイツの宗教学者のホルガー・ケルステン氏「イエス復活と東方への旅」に詳しく書いています。この本は37ヵ国語で400万部出ているそうです。

聖書には、13歳のイエスが登場してくるだけで、14歳くらいから30歳までのイエスの行く末は全く書いていません。ホルガー氏などの研究によれば、インドのカシミールにて修行していたとのことで、仏陀の教えや、ヨガや座禅を身につけ、熟知していたようです。ですからキリストの言ったこととブッタの言ったことには、多くの類似性がみられるわけです。

わたしは、2000年に渡って、またこれからも多くの人に影響を与えるイエスキリストの誕生を祝うことは、間違ったことではないと思いますが、日本の留学生がアメリカでクリスマスの意味を聞かれたら、サンタクロースの日でしょと答えたという話もありますので、グローバルな時代ですから宗教教育もしていかないと日本人は笑われます。

それでは、イエスはなぜ生れてきたのでしょうか。それは人間が神に背き、間違った生き方をしていたので、神の化身として、人々の生き方をただし、その魂をいやし、救うために生まれてきたのです。仏陀は、人間には仏性が備わっていると言い、キリストは霊性があると言いました。そして聖霊が働くとき、霊性(仏性)が目覚め、高めれて、正しい生き方ができるのです。そしてキリストは昇天するときに聖霊を私の代わりに使わすと、人類の救いの方法を言ったのです。仏教でいう観音菩薩に近いかもしれません。

キリストの生まれ変わりとか、仏陀の生れ変わりだという新興宗教の教祖がいますが、すべてうそ、でたらめで、そのような邪宗に惑わされないようにするには、本物のキリストや仏陀の名をあげて、祈ることです。そうするとそれが邪宗であると心の奥深くから答えがかえってきます。今は聖霊の時代ですので、キリストや仏陀は、聖霊や菩薩としてともにいますので、生まれ変わる必要がないのです。

この世は、すきあれば悪魔が巧妙に誘い、悪へと導きます。アメリカの小学校で26名の子供たちが、銃弾の犠牲になりました。(亡くなった子供たちのご冥福をこころよりお祈りします。)単なる精神異常者では片づけられない問題あるのです。また、銃規制をすると同時に、宗教教育をし、家庭の中で祈りのある生活をすすめることが特に先進国では求めれていると思います。どんなに物質的に豊かになっても、精神は病んでいるのです。うつ病患者はちまたにあふれ、自殺者が10数年、3万人以上いる国は異常です。


クリスマスおめでとうございます

処女が身ごもって、そして男の子を産む、その名は、インマヌエルと呼ばれる。
(訳すと神は私たちとおられるという意味である)聖書より
いと高い方に栄光あれ、尊厳なる方に誉れあれ。


「絶望は私を鍛え 希望は私を動かす」 パククネ(韓国初女性大統領)

キリストや仏陀は、あなたの中にいるのです。さあ新しい年に向けて準備しましょう。私もクリスマスとお正月休暇をいただいて、瞑想と祈りの日々を過ごしますので、ブログは3日までお休みします。皆様、おひとりおひとり、良いお年をお迎えください。


2012年12月20日木曜日

女性大統領ーそれぞれの使命ー

 おはようございます。
韓国の大統領選も予想どおりでした。初めての女性大統領が誕生しましたが、なぜ予想通りかというと、世界の人達は、いわゆる安定成長を求めているからです。確実に手堅く、みんなが幸福になってほしいと念願しているのです。政治はそのための手立てを行うべきだし、国民はそのような人を選びます。顔相に、温和で温厚な人柄や誠実さが出てない人は、リーダーになれないですね。顔で選ぶのかという方がいますが、人間の内側はすべて外側に出てきます。大統領に立候補する人たちはみなさん顔相がいいですね(敗れた方も)。その人の顔立ちや、所作振る舞いを見ていればどれほどの人か自ずと見えてくるのです。もしあなたが見えて来ないとしたら、あなたの感性が鈍いのです。(但し、韓国では美容整形が流行っているのでご注意。)

韓国初の女性大統領の名前は、パククネさんですね。お母さんが暴漢の銃撃で倒れ、お父さんも重用していた部下に暗殺されます。そしてパククネさん自身が、暴漢に頬を切られます。このような境遇にあった人は、普通、政治や社会から身をひそめますが、彼女はPTSDを克服し、こころざしを持って、政界に復帰したのです。このこと自体がすでに人々に勇気と自信を与えていますね。政治についていえば東アジアの平和と安定のためには、日本とアメリカと韓国がしっかりと手を取り合うことです。新時代へと、多大な困難を共に乗り越える安倍さんとオバマさんとパクさんの顔がそろいましたね。応援しましょう。

すべての人が、使命を持ってこの世にいのちをいただいて生れてきたのです。誰一人無駄に生まれてきた人はひとりもいません。皆さんは、人は潮が満ちるときに生まれ、潮が引くときに死ぬという事を聞いたことがあると思います。この宇宙の法則の中で、人は生まれるのです。

世界のリーダーは、ただなりたくてなっているのではなく、あるいは努力したからなっているのではなく、そうなるように生まれてきているし、世界の一人一人もその人に託された使命を持って生まれてきているのです。あなたも使命を持っているのです。

もうすぐクリスマスですが、イエスキリストのお誕生会ですね。イエスキリストが生れたとき、東方の三博士が天体をみていて、エルサレムに救い主があらわれると知り、星がエルサレレムの馬小屋の上に止まるのです。そこでイエスキリストは生まれたのです。皆さんは信じますか。現在のダライラマ14世は、13世の子供ではありません。チベットでは僧侶は妻帯(結婚)しません。天体の動きを見て、どこに生れるかを察知し、調査し、高度な試験を受け、ダライラマ14世として認定されたのです。転生輪廻と言いますが、信じますか。

空海さんと最澄さんは、仏教を学びに唐(中国)に行くときに、宇佐神宮にお参りして、渡航の安全を祈願して、大きなこころざしを持って、4艘の船で出発し、大嵐にあい、中国にやっとたどり着いたのは、最澄さんの船と空海さんの船の二艘だけでした。不思議ですよね。この二人が日本仏教をつくるのです。それが比叡山の天台宗と高野山の真言宗で、このあとに親鸞さんや道元さん、日蓮さんがここから出てくるのです。

言いたいのは、世界の誰一人として無駄な人はいません。大統領になる使命を持って生まれてきた人もいるでしょう。商売をして人々に喜ばれる商人なるために生まれてきた人もいるでしょう。あるいは、掃除夫として、人々に気持ちのよい環境を与えてくれる仕事をする人もいるでしょう。それぞれが人間として、使命を持って生まれて来ているのです。

そのことを自覚して生きていくなら、まさしく世界は、変化し、成長し、進歩するのです。これが宇宙の法則です。ところで来年の目標が見えてきましたか。わくわくしてきましたか。次に、三年後の目標を描きましょう。まずは桃栗三年で、目標設定しましょう。桃栗三年とは、モモやクリは植えてから三年たってから実がなるのです。

2012年12月19日水曜日

新世代の政治家ー修証義Ⅵ-

 おはようございます。
今回の衆議院選挙で、多数の新人議員が当選しましたが、当選者が前回と違うなという印象を受けました。前回は、タレントや言われたからでた人が多かったようですが、今回の当選者を見ると、自民党せよ、日本維新にせよ、みんなの党にせよ、こころざしを持っている人が多いのであります。

九州でも、福岡、大分、佐賀など優秀な新人が当選しました。そのなかでも、神奈川11区から2期目の当選をした小泉進次郎氏に注目しています。彼は青年局長として全国を飛び回り、彼が応援演説をした56選挙区で54人の方が当選しました。もうひとりは、大分1区から当選した穴見陽一氏です。

新世代の政治家が登場してきたなと予感させられます。まず、政治家にせよ、経営者にせよ、こころざしを持っているかが最も重要なのです。次にそのこころざしを実現するために、どのように勉強し、努力しているかという事です。

世襲議員の批判がありますが、たとえば親が経営者で急に亡くなった時、その息子が会社を継がなくてはいけません。しかし、会社を継ぐことを考えて、大学で経営学を専攻し、学んだ人と、なにも考えずに突如、経営を継ぐ人とでは雲泥の差があるのです。経営を継ぐ人は経営学を学んでいなければ間にあいません。世襲議員であろうが、こころざしを持っているかどうかです。政治や行政の勉強をしていない人が立候補するべきではないのです。東京都知事になった猪瀬氏は、作家時代から大変勉強しているし、政治についてノンフィクションで書いています。

管理職にも言えることで、たとえば部長になりたいという目標をもっている人は、日頃から部長の勉強をしておくべきで、辞令が降りてからでは間に合わないのです。これからは中小企業でも、年齢に関係なく、常に勉強し努力している人、その責務を全うできる人を抜擢すべきです。

私が注視しているのは、国のリーダーになる人は、高校や大学でそのための教育を受け、準備していないとなれないという事です。小泉進次郎氏に期待しているのは、彼がコロンビア大学で政治学を勉強しているからです。同時に、リーダーとしての資質を持っているという事です。

そしてリーダーたるものは、道元さんの「修証義」の第三章受戒入位に書いてあります三聚十戒を受けいれ守ることです。現代風に訳してみたいと思います。

第一は、人の道、ほとけの道を守ることを喜び慎め
第二は、善きことを喜び慎め
第三は、人の喜びを己の喜びとし慎め
 
                         
 
1、いのちあるものを殺してならない    国民の命を守ることを第一義としているか
2、他人の物を盗んでならない       国民の財産を盗んでいませんか。
3、みだらなおこないをしてはならない   スキャンダラスなことをしていませんか
4、嘘をいうな                 嘘のマニュフエストをつくるな。
5、酒におぼれるな              アル中で亡くなった国会議員もいる気をつけろ
6、他人のあやまちを責めるな       無益な他党批判をするな
7、自分をほこり、他人を傷つけるな   驕り高ぶるな、自分だけ助かって秘書を見殺しにするな
8、人のために施すことを惜しむな    国民のために尽力せよ
9、怒りに燃えて、自分をみ失うな  自分をコントロールできない人は人の上に立つな  
10、三宝(仏・法・僧)をそしり、不信の念を起こすな  世界には不信仰なリーダーはいない

新人議員の皆さんはこのことを守っていかないと、明日は、わが身になりますよ。政治家は少しくらいダーティでなければ政治はできないという人がいますが、そのような政治家で国が持ったためしはありません。政治家も経営者も精錬潔白でなければ人はついて来ないし、国民はよく見ています。また現職議員で上記のことをできない人は国会議員を辞めてもらいたいと思います。























2012年12月18日火曜日

危機突破内閣ー修証義についてⅤ-

 おはようございます。
自民党の安倍総理は、危機突破内閣と名づけました。しかし、投票率を見ると国民の何割かの人たちは、危機感を持っているのだろうかと疑わしくなります。なぜなら、投票する権利と義務をおこなわないことは、政治の不毛だとか、政治への失望感とか、メディアで評論家諸氏が言いますが、果たしてそうでしょうか。

私達の国の行く末、あるいは具体的な政策(景気回復、東日本の復興、エネルギー政策、福祉など)を決めるのは、国民であることを自覚すべきだと思います。投票率を見ていると、国民は危機感を持っているのだろうかと疑問に思います。今日的病状は、政治への失望ではなく、危機感の喪失ではないでしょうか。

当然、投票率を上げる施策として、インターネットを活用できないかとか、税負担と一緒で、義務の遂行がなければ、罰則を設けるとか、意見を出して改善していかなければなりません。民主主義は、間接民主主義から、直接民主主義的手法である国民投票などの必要性が問われている今日のです。

この危機感の無い、あるいは投げやりな行為をする人達を衆愚と言います。選挙管理委員会は、行かなかった人の理由を調査してはどうでしょうか。たとえば、生活保護手当を受けてる人や、子供手当をもらっている家庭のご夫婦などが、もし投票に行ってないとしたら、由々しき問題ではないでしょうか。

日本の歴史をみると危機的状況は、平安時代から鎌倉時代ではないでしょうか。平清盛から源頼朝の時代、武士の台頭と同時に、いくさや天変地異(地震や津波)そして不作による飢餓で多くの民が死に、今の京都市の河原町あたりには、腐乱した死体が山積みされていたそうです。芥川龍之介の「羅生門」など読むと光景が浮かぶかと思います。元寇が押し寄せて来るのもこの時代です。現代とよく似ていると思いませんか。

似ていないのは、日本は豊かになりすぎて、食べるものはあるし、原子力発電は止めても、電力の供給は行われていますので、何の困っていないのです。危機感とは、あたりまえに給料やボーナスをもらい、遊び呆けている国民には出てこないのです。しかし日本は危機的状況にあるのです。

末法と言われた鎌倉時代、仏教は本当に民を救えるのかと苦しみながらも、その答えをだした人たちが多数出てきます。法然、親鸞、一遍、栄西、道元、日蓮などです。日本仏教の基礎は、危機的状況の中から生まれてきたのです。

今の寺院の僧侶に、10年以上も自殺者が3万人以上を超える日本の民衆を救うことができるのでしょうか。葬式仏教と揶揄され、戒名料などに寺の経済的基盤を依存して、なにも改革をしない僧侶に民衆を救うことはできません。金儲けにうつつを抜かしている宗教家諸氏も危機感が欠如していませんか。

危機感の欠如は、直観力の鈍化なのです。WWFという地球上の動物たちの保護活動の支援をしていますが、動物は本能的に常に、危機感を持ち、それを察知する能力は、人間の何倍も優れています。自然界では、もともと人間にもあったものです。

10年ほど前でしたか、韓国が通貨危機になり、国そのものが立ち行かなくなり、IMFの支援を受けるとともに、国民が一斉にキリスト教徒も仏教とも祈りを捧げ、すべての国民が尽力をつくし、国難を乗り越えたのです。その結果が、サムソンやヒュンダイに代表されるような世界的企業の成長や経済成長にあるし、世界に輸出できるKポップなどの文化も登場してきたのです。

韓国の人たちの祈り方は、今の日本人が見習わなければならないほど、真剣に祈ります。3日や1週間以上の断食祈祷をするのです。道元さんの修証義に、悔い改めて祈るなら仏が現成し、その功徳があり、慈悲に包まれると言っているのです。

NHK大河ドラマ「平清盛」に出ています後白河法皇が、民衆の歌を編纂したのが「梁塵秘抄」ですが、あのドラマの冒頭の

「遊びをせんとや生まれけむ   戯れせんとや生まれけん 
  遊ぶ子供の声聞けば   我が身さえこそゆるがるれ」

も「梁塵秘抄」からです。純真になりますよね。子供を虐待したり、殺したりする時代は、まさに危機なのです。

中野東禅先生が修証義講義の中で教えてくれた歌をご紹介しましょう。

「仏は常にいませども   うつつならぬぞあわれなる
 人の音せぬあかつきに   ほのかに夢に見えたもう」

神仏は、危機感を持ち、真剣に祈り、仕事に生活に頑張っている人々を見捨てることはありません。経営者も従業員もかくあるべきですし、そのような会社は世のため、人のためになるから伸びるのです。我が国の政治家諸氏も愚にもつかない他党批判をやめて、国民とともに一致協力して、この国難を乗り切らなければなりません。国民は見ていますよ。












2012年12月17日月曜日

結果責任ー修証義・懺悔滅罪ー

 おはようございます。
今回の衆議院選挙の結果は、当研究所の予測通りの結果となりました。政治であろうが、商売(経営)であろうが、国民(生活者)が求めていくいるものを提供できなければ、成り立たないということです。国民の半数以上が、景気対策、雇用対策を第一に求めていました。それに答えたのが自民党であったという事です。ですので公約を読み取ると、国民のニーズをとらえている政党が躍進するのが当たり前のことです。

日本人の生活の知恵は、反省し、次にすべき事をやることです。自民党の安倍総裁は、5年前、健康上の理由とはいえ、内閣総理大臣を任期途中で辞めたことを真摯に国民にわびました。民主党の野田さんからは、政権担当者としての反省の弁はほとんどありませんでした。日本人は、反省しない人を許さないのです。これは、日本未来も小沢さんがいなければもっとのばせたかもしれませんね。

反省するときに自己評価を適正に行える能力が必要です。自己評価の対極に他者評価がありますが、ほとんどの人が自己評価の方が甘いのです。だからこそ、厳しく言ってくれる友人(上司や部下)が必要ですし、座禅をして自己を見つめることが必要なのです。静寂のなかに身をひたすとき、内側から真実の声が聞こえてきます。このようにして自己評価、あるいは業績評価をしないと独善的になるのです。

NHKの大河ドラマの「平清盛」を、政治家の皆さんは見ているのでしょうか。「驕る平家 久しからずや」と言って、権力をもった清盛の傲慢さが、平家打倒ののろしを呼び起こし、平家が滅亡していくのです。中小企業の経営者とよくお話しますが、企業経営においても同様で、業績のいいときこそ、おごらずに、社内体制の構築をすべきで、業績が落ちているときこそ、創業の原点にかえり、攻めの経営をすべきだと申し上げているのです。

「平清盛」を見ていると、清盛の家臣(息子を含めて)は、企業でいえば幹部社員が、いつの間にか、酒宴や歌舞にうつつの抜かして、戦(いくさ)も、まつりごともできないほど堕落しているわけです。それに比べ、伊豆に流された源頼朝は、まさにどん底からの出発で挙兵するのです。歴史を見ても、わかるとおり、徳川政権も、政権をとったら、国内の安定のための手をうったからこそ、戦のない時代をつくったのです。

企業経営になぞれば、業績がよくなったら、企業の安定策を打っていくこと、社内体制の構築や社員教育をせずして、その会社が焦って、多角化や多店舗化に踏み出すとしっぺ返しがきます。業績が良きにせよ、悪しきにせよ、一旦立ち止まって、検証(反省)することがもっとも重要なことです。

道元さんは「修証義」の第二章、第七節で、懺悔滅罪を言っています。現代訳は、「悪しき心と行為の結果は、自分の責任だからごまかしようがない。しかし、ほとけに照らして懺悔して謙虚になるとき、身軽になり、罪のこころと愚かさは無我の智慧に包まれて清らかになる」ですが、仏教でもキリスト教でも、悔い改めることを最初に言っています。なにもかも自分の力や智恵でできると思ったら大間違いなのです。

すべては結果は、あなたの現在までのあなたの考え方と行為によってもたらされているわけですから、その責任はあなたが負わなければなりません。結果責任とはそういうことです。政治の話に戻ると、今回、公明党が躍進していますが、母体は創価学会です。創価学会の教えは、法華経から来ていますが、世界的に大変信者数が増えています。とくに注目するのは、アフリカに進出したことです。これは仏教が初めてアフリカに広まったことを意味します。

わたしは、今、東京国際仏教塾で仏教を学んでいますが、キリスト教でも、仏教でも一番大事なことは、自分の力に過信することなく、謙虚になって、生かされている事に感謝し、神仏に祈ることではないでしょうか。わたしはいつも次のように祈っています。

「宇宙をつかさどる大いなる方よ、阪神淡路大震災、東日本大震災、北部九州大水害で、私たちの代わりに亡くなった方を供養してください。また私たち一人一人に、生きていく力をお与えて下さい。そして、ほかの人にために役立つ仕事や行いができるようにお導き下さい。大いなる方に感謝し、祈りを捧げます。」

「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」とは、世の中は常に変化し、とどまっているものはありません。あなたの生活も仕事も経営も、世の中に変化に合わせることが必要なのです。

2012年12月14日金曜日

新世代の経営者ー修証義についてⅢ-

 おはようございます。
昨日のカンブリア宮殿に、リブセンスを創業した26歳の村上太一社長が出ていましたが、かってのバブル時代のホリエモンをはじめとする、あの当時のベンチャービネスを提唱して出てきたギラギラした経営者とは全く違うタイプの人が出てきたなと感じました。あえていうなら世代は違うが、スティーブジョブスのタイプかもしれませんね。

彼は、中小零細企業が直面している人材の確保を、ユーザーの視点から解決してくれているなと思いました。リブセンスの経営理念は、「生きる意味」=「幸せになること」から「幸せから生まれる幸せ」だそうです。経営資源あるいは外的な、弱みを強みにする。常識的な強み、弱みからのとらわれ、思考を解きはなし、人のためになる経営をやっていくという発想ができるという点でジョブスに似ているなと思いました。ネットで会社HPを見て下さい。

9日の中野東禅先生の修証義講義の続きをお話しましょう。仏教は、非常に論理的な宗教で、あいまいなところがありません。それは今の現実の私たちの姿は、過去の原因によってつくらているからです。それを、因、縁、果で説明してくれるのが仏教です。因果を知らない、ご縁を否定することを「邪見」といいますが、邪見な人が多い世の中です。

修証義第四節で、心と行いのご縁を説き、第五節で、自己に責任を持つことを説いています。原文を書いてもわかりづらいでしょうから、現代訳文から抽出しますと、

「過去の縁を背負い未来に種蒔く現在の重い意味を覚らず、清らかさと汚れとを見分ける心の力を持たない間違った考え方の人々と仲間になってはいけません。根本的に言って、心と行為の理はハッキリとしていてごまかしようがないのです。」

「私自身の善や悪の行いとその影響力は、三つの時間差があります。一番は今の行為にすぐ反応が表れ、二番には行いの影響はしばらくして、あるいは次の時代に表れ、三番にははるか後に、忘れた頃表れます。これを行為の影響の三つの時間差というのです。」

だからこそ、第六節で、かけがいのない人生を選ぶことを説いているのです。

「それゆえに知るべきです。この人生の自分の命はたった一つで、かけがいがないのです。むやみに因果を否定する間違った教えに陥って、虚しく悪しき行為の影響に染まるべきではありません。惜しむべきです。過ちを作りながら、過ちでないと思い上り、汚れた行為の影響力を否定して、よこしまな考え方にこだわり、その間違った行為の影響力にそまるべきではありません。」
初めての「修証義」(四季社)より

わたし達の現実の生活、仕事など照らし合わせながら読むと、其の通りだと思いませんか。このことを知って仕事をする人は、良い結果も悪い結果も起きる前に対処できるのです。謙虚さを失った人たち、反省しない人たち、人のせいにする人たちがなんと多い世の中であろうか。しかし、村上太一社長のような若くして、真理を知って経営する人が出てきたことは、稲盛和夫氏などが仏教思想を根本に教授してきた盛和塾の影響もあるのかもしれません。稲盛和夫氏の活動に感謝を申しあげます。

2012年12月13日木曜日

修証義についてⅡ

 おはようございます。
先日、上野公園に行ったお話をしましたが、昨日のBS日テレで、「日本100巡礼」という番組があっていますが、不忍池や寛永寺、そして上野の山にある清水観音堂が紹介されていました。この清水観音堂でお祈りしたことを申し上げるのを忘れていました。また不忍池の蓮の花は、まさに泥中に咲く花で、私たちも汚れきった俗世で、清らかな花を咲かせたいものです。

東京国際仏教塾の曹洞宗コースでは、中野東禅先生の修証義講義が、8日に引き続きありましたが、朝一で、わざわざ、「禅者山頭火」(四季社)という本を持ってきてくださり、感謝なことでした。以前より種田山頭火の本を読んでみたいとは思っていました。山頭火は放浪の自由詩人で、日田市にも訪れ、豆田町の旅館に泊まったことを書いていますが、彼の心の葛藤を理解するには、私の人生観を合わないし、難しいなと感じていましたので、実はさけていました。

山頭火の詩句の中の、

「分け入っても分け入っても青い山」

を読むと、人生の機微、自己修行は、終わりがないとも読み取れます。

さて修証の意味を、先生は「あなたの仏心が証明されている。日常の行動に本心が証明されている。」と説明してくれました。つまりお釈迦様の八正道の日々の実践(正しく思い、正しく行動する)であると感じた次第です。

また一休さんが骸骨を見て、骸骨は必ず二人でいるそうで、読んだ句が

「けんかしないで くらそうじゃないか 末は互いにこの姿」

で、ご紹介してくれました。修証義の第二節ではかけがえのないいのちとご縁について述べているのです。

「人身得ること難し、仏法値うこと希れなり、今我等宿善を助くるに依りて、己に受け難き人身を受けたるのみに非ず、遭い難き仏法に値い奉れり、生死の中に善生、最勝の生なるべし、勝の善身を徒らにして露命を無常の風に任すること勿れ。」

ほとけの教えの会うことは、不思議であり、またこの世にいのちをいただいているのもまれなことであり、ましてやよき伴侶に恵まれるご縁もなかなかないものであるといえます。一休さんの骸骨の句の意味がわかりますね。結婚しても、相性が合わないの、夫が妻のせいにし、妻が夫のせいにして、辛抱がなくすぐ別れるのは、畜生より劣ることかもしれませんね。人生を無常の風にゆだねて生きてはいけませんと言っているわけです。

そして第三節で、いのちのはかなさを伝えています。私たちのいのちは露のごときもの、いつ道草におちるかもしれず、自分の思い通りにはなりません。過ぎ去った時間は戻らないし、若き日のみずみずしい肌も戻らないのです。はかなさはあっという間にやってきて、政治家も、上司も部下も、妻子も、蓄えた財産もだれも何も助けてくれないのです。そしてあの世についていくのは、心でなした善と悪の行為と習慣だけであると道元さんは言っているのです。いつ死が訪れても、善きことをしたと思って死ねばその人は必ず天国に行くと思うし、こころにわだかまりを持って死ねば地獄に行くのです。そうおもいませんか。



















2012年12月12日水曜日

修証義について

 おはようございます。
東京国際仏教塾での学びは、曹洞宗コースが9日と10日にありましたので、その一端をお話して、入塾して学びをされる方を増やしたいと思っています。今までに約1500名の卒業生が出ていますが、残念ながら大分県は私が最初なのです。交通費がかかることはゆがめませんが、沖縄県から36歳の青年が、働きながらきていますので、決意の問題かもしれません。

講義に入る前に、中野東禅先生より「プチ出家入門」「仏さま白書」の書籍の紹介がありました。在家であろうと、出家であろうと、仏道に入ることの決意は大事なことです。あえて仏道と言ったのは、まさに人生は修行であり、仏の道を歩んでいると思うからです。そう思って人生を全うする人を仏道に入ると解釈しています。

「仏さま白書」はお釈迦様から七福神までわかりやすく書いています。よくキリスト教は、一神教で仏教は、多神教と言われるのをきたことがあると思いますが、一神教はユダヤ教とイスラム教だけです。その図式は下記のとおりです。

      体・悟りの本体     相・姿の仏     用(はたらき)・出会いの働きの仏  衆生

仏教     毘盧遮那仏     お釈迦様      観音様など          人間

キリスト教  ゴット(神)     イエスキリスト    聖霊・天使          人間

このように見ると、仏教とキリスト教は類似しています。私はイエスは、仏教を学んだと思っています。ですから明らかに、旧約聖書と新約聖書の神の異質性を感じるわけです。

いよいよ「修証義」の講義が始まりましたが、これは道元さんの「正法眼蔵」のエキスをまとめたものです。まず第一章の総序で、仏教の基本的立場を書いているのです。第一節に、仏教のねらいを書いています。この文章が最高ですね。


「生を明らめ 死を明らめるは 仏家一大事の因縁なり、 生死の中に仏あれば生死なし、

 
但生死即ち 涅槃と心得て 生死として厭うべきもなく、 涅槃として ねごうべきもなし、

是時  初めて生死を離るる分あり、 唯一大事因縁と究尽すべし。」


私訳すると、「なぜ生きているのか、いのちや死とは何かを学び悟ることに、縁を持ったのはもっとも大事なことである、生き死になかに真理があり、その生き死にをえり好みすることはできない。生き死のなかに、静寂な悟りの場があり、生き死にから逃げ出していけない。かといって人生そのものが悟りではない。生き死にへのこだわりを離れると、善き人生となる。かけがえのないご縁こそもっとも大事ことであり、腹を据えていきたいものである。」ということだと思います。

金儲けの人生、快楽を求める人生、ただただあくせく働く人生、いつも人と比較する人生、妬み羨む人生などなど、さまざまだが、人生も「無常」であることを知らねばならない。人生そのもののなかに真理があるのではなく、真理が先にあって人生を歩むと、自ずとその人生は豊かでいきがいのあるものと変わるのです。だから真理を知って歩む人生が最上の人生であり、人生は悟りへの修行の場であると思うのです。仏道を歩むとはそのようなことではないでしょうか。島倉千代子さんの「人生いろいろ 男もいろいろ」という歌がありましたが、人生は人さまざまです。しかし死は平等にやってきます。死ぬときに自分なりによい生き方をしたと思って静かに死にたいと思ませんか。





















  

2012年12月11日火曜日

般若心経についてⅢ

 おはようございます。
8日の日、ホテルに入ると、地震がきたので、びっくりしました。9日より東京国際仏教塾での曹洞宗コースの第二回の修行が始まりました。中野東禅先生より、お釈迦様が35歳の12月8日に明けの明星を見たときに、悟りを完成されたことをお聞きし、昨日の地震と、私が千葉にいたことは、ひとつの警鐘かなと思いました。自然界の現象も、何らかの因、縁、果、で起きていると思うからです。地球が生きていることは事実だし、地球に仏性があるかと問われれば、私はあると答えます。

9日の修行は、読経に始まり、11月の「般若心経」講義の続きがありました。真理と悟りと迷いについて先生が説明してくれましたので、書きますと、

 真理        悟り       迷い

縁起       気づき、智    妄縁起
無常       無常をさとる   常
無我       無我になる    我
無為       無為になる    有為(煩悩)
空         空になる     有

という事です。私達は、生きていくうえで、こころにひっかかりがあったり、恐怖や不安におののきます。しかし、釈尊は観世音菩薩を通して、空をさとれば、静かな悟りを完成していると言っているのです。現実生活における迷いから解き離れるには、座禅をし、寂静の世界に身をおかなければ、正しい生き方もできないと思います。

ゼンオブスティーブジョブス(集英社)の本を東禅先生がご紹介してくれましたが、世界にアップル社を知らしめた、ジョブスが禅道場に通っていたことを知りました。只今、選挙中ですが、自民党の安倍さんや石破さんも、中曽根元首相より紹介されて禅道場に毎月一回は行っているそうです。一般の方のみならず、多忙な経営者や政治家こそ、禅道場で、「般若心経のこころ」をつかむべきでと思います。

般若心経の最終節は、「呪」の言葉ですが、「呪」とは祈りなのです。般若波羅蜜多は、とらわれないき智慧であり、偉大な神通力を持った祈りの言葉なのです。毎朝、般若心経を声を出して読むことは、祈りを宇宙の根源に捧げているのです。生かされていることに感謝し、人々のために祈るのです。

ですので、一宗一派にとらわれることなく、般若心経の祈りをささげることが大事だと思います。迷っている、悩んでいる方は、 小生が、「よろず相談室」を開室していますので、遠慮なくお問い合わせ下さい。

     

2012年12月10日月曜日

東京国立博物館

 おはようございます。
選挙のために、お世話になった人に会えず、急遽、上野公園・東京国立博物館に行ってきました。人手が多くさすが東京ですよね。上野公園に来たら、西郷どんに逢わねければ思い、銅像を探しましたが、JRの上野駅側からは結構な距離があり、少し疲労気味でしたが、西郷どんの銅像を見たら、元気がでてきました。

西郷隆盛像

以前ブログで書きましたが、西郷隆盛どんの「敬天愛人」の思想の基が、日田市の漢学者広瀬淡窓さんから、平野五岳さんへ伝わり、西郷隆盛どんへと感応道交し、京セラ名誉会長の稲盛和夫氏が引き継ぎ、盛和塾塾生に教えられているのは、まさに「縁起」ですね。

東京国立博物館で見たかったのは、世界最古の「般若心経」の梵語(サンスクリット語)で、貝葉に書かれたものが法隆寺から博物館に所蔵されているのであるが、公開されていなかったので残念でした。法隆寺の仏像(観世音菩薩など聖堂約30㎝大)など多数みれて感謝でした。仏像をこの大きさにしたのは持ち運べるようにしたのでしょう。(館内の写真撮影ができませんでした。)

東京国立博物館本館と法隆寺宝物館

 
 

 
 
 
上野公園や博物館を散策すると、樹木が多いので、それぞれの季節を楽しめるなと思いました。それでは銀杏が印象的でしたので、ご覧になってください。
 
東京国立博物館の庭の銀杏
 

 

2012年12月6日木曜日

成功哲学ーブッダの教えⅨー

 
 おはようございます。
師走のなると、気持ちが引き締まると思いませんか。今年のやり残した仕事をしておきたい。来年の目標がちらついてくる。そういう意味でも一年ごとに節目があるのは、いいですね。日田市三隈公園も秋から冬へと様相が変わりつつあります。

三隈公園にて


さて、本日でわらしべ長者の息子、シンガーラへの教えは、最終回です。

青年 「昨日は帰り、妻に、先生の教えを話しました。夫婦、力を合わせ、家族を守っていきたいと思います。」

釈尊 「シンガーラよ、お前が守るべきものは、家族だけではないぞ。お前の会社の従業員を大切にし守っていかなければならない。それが下方を拝むことじゃ。」

青年 「従業員にどのように接するればよいのでしょうか。」

釈尊 「まずは従業員の力量に応じて、仕事を与えることじゃ。そして、それに応じて給料と食事を与えること、次に病気の時は見舞いに行きなさい。あなたが旅行に行ったら土産を買ってきてあげない。最後に休みもきちんと与えることじゃ。」

青年 「従業員への接し方を改めます。」

釈尊 「そうすると従業員は、おまえや上司に、尊敬の念を持って、仕えてくれる。従業員の心構えは、朝早く起きることじゃ、夜は遅くまで遊んだりしないで、早く寝ることじゃ。自分の給料で生計をたてるように賢くなることじゃ、そして良い仕事ができるように励み、経営者や上司の良いところを人に言う社員になることじゃ。」

青年 「たいへん、ありがとうございます。従業員をそのように教育し、導いていきます。先生、上方を拝むとはどのような意味でしょうか。」

釈尊 「上方とは、宗教者(菩薩)や神仏のことであるが、まずは宗教者には、親切に接し、丁寧な言葉遣いをし、親切なこころで、家に来たら喜んで迎えいれなさい、そしてコーヒーなど出して差し上げるのじゃ。そのように接すれば、菩薩は、悪の心を気づかせ、善き生き方を気づかせ、大きなこころで包み込んでくれる。そして生き方と心のあり方について、真実(真理)を教えてくれるし、さらに理解を深めさせてくれ、おまえがあの世に行くときは、安らかにいけるように導いてくれる。このように人々から奉仕され、人々のために尽くす宗教者が真の菩薩であり、慈しみの心で人々を包み込み、上方は守れるのじゃ。」

青年 「先生、ほんとうにほうとうにありがとうございます。父が釈尊先生に会えるようにしてくれたのでしょう。毎日、六方を礼拝し、商売繁盛、家内安全に努めていき、世の中のためになるように精進していきます。」

中野東禅先生の「ブッダの肉声に生き方を問う」(小学館新書)より、超口語訳しましたが、おわかりいただけたでしょうか。明日から東京国際仏教塾に行って、中野東禅先生からご教授をいただいてきます。上記の本は、書店で好評発売中ですので、お買い求め下さい。わずか720円ですよ。

ところで、「温禅先生のよろず相談室」がたいへん好評です。お悩みの方、迷っている方は遠慮なくご連絡下さい。携帯は、090-9493-7088(10時~18時)、メールは、beppu1717@mint.ocn.ne.jp(24時間)です。ご連絡後、相談日時を決めます。





















2012年12月5日水曜日

成功哲学ーブッダの教えⅧ-

 おはようございます。
好評のわらしべ長者の息子シンガーラへのブッダのお話の続きを早速しましょう。

青年 「先生、昨日はありがとうございました。先生からお聞きしたことはすべて紙に書いて、何度も読み返しています。」

釈尊 「シンガーラよ、よい心がけじゃ。昨日の続きを話そう。」

青年 「先生、お願いします。」

釈尊 「そうじゃな。西方を拝むとは、夫と妻とが感謝し合い、助け合うことじゃ。夫は次の五つの仕方で妻を大切にするのじゃ。まず、妻をこころから愛し、敬うことじゃ。次に妻を軽んじてはならぬ。そして妻を裏切るような浮気などはせぬことじゃ。四つ目は、妻に家計を任せることじゃ。五つ目は、妻の誕生日などに記念のものを買ってあげることじゃ。」

青年 「わかりました。そのようにします。妻は夫にどうするのでしょうか。」

釈尊 「妻は、夫のために食事を作ってあげ、家族を支えるのじゃ。次に隣保班など上手にお付き合いをすることじゃ。三つ目は、決して不倫などの過ちを犯さないこと。そして、財産をしっかり守っていくことじゃ。最後に、自分のなすべき役割を理解し、夫を支えてあげなさい。このように、夫と妻が感謝しあい、助け合うなら、家庭は守られ、家族はとわに栄えるであろう。」

青年 「帰って、妻に話し、悔い改めて妻を大事にし、家族の守っていきます。」

釈尊 「シンガーラよ。今日は、北方を拝む意味も話しておこう。」

釈尊 「北方を拝むのは、友人を大切にし、お互いに支え合うことじゃ。次の五つの仕方で交友するにじゃ。①布施、②愛語、③利行、④同事、⑤嘘をつかない、ことでじゃ。

親友が、苦境に陥っているときは守ってあげなさい。次に友達の財産を守ってあげなさい。三つ目は、おまえが頼りがいのある人になることじゃ。四つ目は、友達が災難にあったら、見捨てず真っ先に手を差し伸べてあげることじゃ。最後に友達の子供さんやお孫さんもお前の家族にするように可愛がってあげることじゃ。そうすれば、お互いに支え合い、北方は守られる。」

「シンガーラよ、親友と言ったが、友人には二通りの者がいる。偽物と本物じゃ。
偽物の友達とは、まず、もってゆくばかり者である。はじめは少しだが、たくさん借りるようになる。損得で交際する奴じゃ。次に口ばっかりで、助けあうことはない。三つ目は、面前では言葉をあわせ、裏では友達をけなし、愚にもつかない奴じゃ。そして、夜遅くまで、スナックやキャバクラに出入り、いつまでも酒を飲み、浮気をし、賭け事に夢中になり、そのような仲間と付き合っている奴じゃ。
そのようなものは、友人ではない。お前も巻き込まれるな。」

青年 「昔は、そのような付き合いをしましたが、今は遊んでいません。」

釈尊 「シンガーラよ、よく聞きなさい。お前に、本当に必要な友達とは、次のような人を言うのじゃ。おまえのことをいつも心配し、守ってくれる友達を親友というのじゃ。つぎに、苦楽を共にできる者じゃ、大事な相談ができ、そのことを人に言わないし、お前が災難にあえば、手助けしてくれ、友のために自己犠牲もいとわぬものじゃ。

三つ目は、いつもためになるとを話してくれる人じゃ。悪いことは悪いと言い、善い方へ導き、本当のことを言ってくれ、そして、安らかなる精神世界を語りあえる人が、本当の親友じゃ。

四つめは、慈しみの心をもった者じゃ。友を気づかい、友がいることをいつも喜び、友が人を批判するときはやめさせ、友が人をほめるときは、よろこんでくれる人じゃ。

シンガーラよ。お前が真の友を得ることは、おまえにとっても友人にとっても最高の財産であり、お互いに成功者となるであろう。今日はここまでじゃ。」

青年 「先生、ほんとうに、ほんとうに、ありがとうございます。目が覚めました。私自身が真の友になるように精進します。」

中野東禅先生の「ブッタの肉声に生き方を問う」(小学館新書)から勝手に引用に、口語訳させていただきました。中野東禅先生に感謝を申し上げます。





























2012年12月4日火曜日

成功哲学ーブッダの教えⅦ-

 おはようございます。
今年も残すところ、一ヶ月を切りましたね。今年立てた目標の検証をしてみましょう。そうすると来年の目標が見えてきますよ。

わらしべ長者の話を知っていますか。一本のわらから人のためにすることで運が開けていく昔話です。わらしべ長者が、商売で成功し、息子に家督を譲ったと勝手に話を進めると、わらしべ長者の息子が、シンガーラ青年として、昨日の話の続きをしましょう。

釈尊 「シンガーラ青年よ、東・南・西・北・下・上の六方向を守り、六方向から守られるとはどういうことかわかるかな。東の方を礼拝するとは、両親、父母に対してするのじゃ。」

青年 「小さいころから父母を尊敬しています。」

釈尊 「東方を拝むとは、親を敬い、子を愛することでじゃ。それには五っつの仕方で親を敬いなさい。一つは産み育ててもらったのだから父母の老後を見守ってあげなさい。二つ目は、必要に応じて子のなすべきことを親にしてあげなさい。三つ目は、家庭を守りなさい。四つめは、父母からの財産と家訓を正しく相続しなさい。五つ目は、お父さんお母さんが亡くなったら、貧しい人たちに施しをし、其の徳を故人への手向けとしなさい。そしてあの世を飾ってあげるのじゃ。」

青年 「先生、よくわかりました。子供に対してはどのうようにすればよいのでしょうか。」

釈尊 「親は、五つの仕方で、子供を愛しなさい。一つ目は子供が悪へ向かうのを止めなさい。二つ目は、善を教え、導きなさい。三つ目は、学問の機会を与え、知識や教養を身につけさせなさい。四つ目は、いい時期に結婚させなさい。そして五つ目は、ちょうど良い時期に子供に家督を譲り、相続させることじゃ。お前がわらしべ長者からしてもらったように子供に任せるのじゃ。」

釈尊 「このように親と子が敬愛しあう家族は、孫子の代、いや、とわに家は栄えることができるのじゃ。わかったかな。」

中野東禅先生の「ブッダの肉声に生き方を問う」(小学館新書)から引用し、口語訳しました。
まず、すべての中心は、親子関係ではないでしょうか。子供を育てて行くときに、親のあるべき姿をみせ、行動し、子供に親を敬うことを教え、子供を愛情を持って接し、育てればかならず、立派な大人になり、世の中のために尽くす人となることができるでしょう。

人間界のみならず、自然界のおける動物たちもそのようにしているのです。日田市には九州最大の河川である筑後川上流の三隈川があります。冬が近づくと、何百羽もの鴨たちがおとづれています。ここで子供を産み、その子供たちが、父母の愛で育ち、また来年の冬も訪れるのです。

三隈川の鴨の風景



それでは、話を続きをしましょう。

青年 「南の方を拝むのはどの様な意味でしょうか。」

釈尊 「それは、先生を尊敬し、生徒を尊重することじゃ。」

釈尊 「生徒は、五ッつの仕方で先生に接するのじゃ。先生が来たら立ってお迎えしなさい。次に、先生と食事をするときは、生徒がお給仕をするのじゃ。三つ目は、先生を尊敬し、信頼して従いなさい。四つ目は、必要に応じて先生のお世話をしなさい。最後に謹んで学びなさい。」

青年 「よくわかりました。もし私が先生になったらどう生徒に接するべきでしょうか。」

釈尊 「先生は、次の五つの仕方で生徒に教えるのじゃ。まずは、人間としての教養を教えなさい。次に、自分が学んだことをきちんと教えなさい。三つ目は、生徒から質問されたら、わかるまで正しく教えなさい。四つ目は、よい先生を紹介してあげなさい。最後に、勉強のみならず、生活面に至るまで、生徒を指導し、保護してあげなさい。シンガーラよ、続きは明日、話してあげよう。」

青年 「先生、ありがとうございます。」

釈尊は、親子の関係、先生と生徒の関係を二千五百年前に解き明かしていたのです。この意味を理解して、親や先生が、東を礼拝し、南を礼拝するようになったら、いじめなどおきないし、すぐに解決されるのではないでしょうか。現代社会はこのような考え方や行為が欠落しているところに悲劇が生まれているのです。まずは、あなたから始めてください。

「温禅先生のよろず相談室」を開設していますので、メール(24時間)か携帯(10時から18時まで対応)に問い合わせてください。
Email:beppu1717@mint.ocn.ne.jp
携 帯:090-9493-7088





















2012年12月3日月曜日

成功哲学ーブッダの教えⅥー

 おはようございます。
さあ、新しい1週間が始まりました。怒らず、怖れず、悲しまず、元気はつらつ、素晴らしい1週間にしましょう。今日から、仏陀が青年商人に語った「シンガーラへの教え」をご紹介していきます。今でいえば、商工会議所青年部や青年会議所に入っている2代目、3代目の青年実業家であるシンダーラに、財産を失わない生き方を語ったもので、それは財産を増やすことも意味しているわけです。漢訳では「六方礼教」と言いますが、いよいよ仏陀が具体的に成功哲学と方法を語っています。

中村 元先生の仏典を読む2「真理のことば」(岩波書店)と中野東禅先生の「ブッタの肉声に生き方を問う」(小学館新書)に書かれていますが、これを、超口語訳にしてお伝えします。

ブッダが托鉢をしていましたら、いつも沐浴をし、身を清め、東・南・西・北・下・上の六方向に礼拝するシンガーラ青年がいました。ブッダである釈尊が、

釈尊 「なぜ、そのような礼拝をしているのじゃ」

青年 「親父の遺言で、六方向に礼拝すれば商売繁盛するので、お前も続けるように言われたからです。」

釈尊 「なぜ六方向に礼拝するのかわかっているのかな」

青年 「意味はわかりません。親父から言われたとおりにしているだけです。」

釈尊 「意味がわからずに礼拝しても、ご利益は得られませんよ。意味を知って礼拝すべきでしょう。私が教えてしんぜよう。」

青年 「ぜひ、教えてください」

釈尊 「清廉潔白であることが大事じゃ、しかし人は汚れているのじゃ。自分のエゴのために人を殺したり、人のものを盗んだり、女をみればすぐ手をだし、みだらな関係をもつ、嘘をいうなどかぞえあげればきりがないくらい人の心は汚れているじゃ。」

釈尊 「しかし、欲望による行動をしないこと、怒りによる行動をしないこと、愚かさによる行動をしないこと、恐怖による行動をしないように、おのがこころを見守ることじゃ。」

釈尊 「お前が悪から離れ、六方向を守り、まもらているなら、お前は、過去・現在・未来にわたって勝利者となり、成功者になる。この世でもあの世でもじゃ。」

青年 「先生、わかりました。それでは六つの方向はどのような意味なのでしょうか。

釈尊 「東は、お前の両親である。南は、人生の師匠じゃ。そして西は、お前の奥さんじゃ。北は大事な友人じゃ。下は、会社で働く従業員じゃ。上は、神仏や菩薩じゃ。六つの方向に礼拝すれば、お前は商売繁盛し、家は栄え、お前は立派なあるじになることができるのじゃ。」

青年 「そのような意味があるとは知りませんでした。先生、もっと教えて下さい。」

釈尊 「お前は今のままでは財産を失くす。それは財産を失くす六つの蛇口を知らないからじゃ。逆にいえば、財産を増やす方法でもある。聞きたいか。」

青年 「ぜひ、聞かせてください。」

釈尊 「本当に聞きたいのじゃな・・・・・。まず第一の蛇口じゃ、お前が酒におぼれれば、財産はなくなる。酒を飲んで、喧嘩をし、ものや人を傷つけ、弁償せねばならぬ。飲みすぎれば、肝炎などの病気になる。そして世間でお前のことが噂になる。お前は恥知らずで、智恵の力を弱めて、キャバクラの女に手をだし、みつぐくんになってしまう。

第二の蛇口は、お前が夜中に、町をうろつくようになると財産を失うのじゃ。自分も守れず、妻子も守れず、事件に巻き込まれたり、じきに昼間と夜が逆転して、仕事に集中できず、心配性となり、お前の心は苦しみに陥るのじゃ。

第三の蛇口は、おまえはカラオケやダンスにのぼせたり、遊興に夢中になると財産は減っていくのじゃ。どこで踊ろうか、歌おうか、またコンサートにのぼせ、恰好ばかり気にし、ファッションにのぼせ、金を使う。仕事はおろそかになり、種をまく時期を逃してしまって商売は不人気になるのじゃ。

第四の蛇口は、賭け事じゃ。賭け事にのぼせるものは、婚期を逃し、また結婚していても、妻子を養うなうことはできない。そのうち、サラ金に手をだし、自己破産したり、犯罪に手を染めてたりする。

第五の蛇口は、悪友と交わることじゃ。ばくち打ち、浮気者、酒飲み、うそつき、欺瞞者や残忍者じゃ。お前もその仲間になる。

第六の蛇口は、怠けものじゃ。 冬が来ると寒いと言って営業に出ない。おそいと言って夜の営業にいかない。早いといってこれまた行かない。昼飯をくえば、昼寝している。言い訳ばかりじゃ。そう言って仕事をしない者は、繁盛しないし、お客さんからあきれられ、富を得られず、どんどん財産は減っていく。ということじゃ。おわかりかな。今日はこのくらいにしておこう。続きは明日じゃ。」

青年 「先生、たいへんよくわかりました。ありがとうございます。」

訳書にそって、皆さんにわかりやすく、現代風に書いてみました。どうですか当てはまることがあるなら、是正しましょう。六つの財産を失う蛇口の習慣で悩んでいる人は、「温禅先生のよろず相談室」を開設しているので、メール(24時間)か携帯(10時から18時まで対応)に問い合わせてください。
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2012年11月30日金曜日

成功哲学ーブッダの教えⅤ

 おはようございます。
日田市天ヶ瀬町には、慈恩の滝観音の滝という仏教に由来した名前がついた滝があります。高塚愛宕地蔵尊、藪不動尊、顕徳坊尊など日田市の方がいかに信仰が深いのかが感じられます。「観音経を語る」(大法輪閣出版)で観音信仰を説いたのが、大阪万博の「太陽の塔」を制作した岡本太郎さんのお母さんである岡本かの子さんです。観音経については、後日書きますが、先生の短歌をご紹介します。

「としどしに
わが悲しみは
深くして
いよいよ華やぐ
いのちなりけり」ー岡本かな子ー

日田市天ヶ瀬町合田にある観音の滝(国道210号線沿い)


中村 元訳「仏陀のことば」ースッタニパーター岩波文庫より

「聖者は誠実であれ。傲慢ではなく、いつわりなく、悪口を言わず、怒ることなく、よこしまな貪(むさぼ)りとものおしみとを超えよ。

安らぎを心がける人は、眠りとものぐさとふさぎこむ心とにうち勝て。怠惰を宿らせてはならぬ。高慢な態度をとるな。

うそをつくようにひきこまれるな。美しい姿に愛着を起こすな。また慢心を知りつくしてなくすようにせよ。粗暴になることなく、ふるまえ。

古いものを喜んでならない。また新しいものに魅惑されてはならない。滅びゆくものを悲しんではならない。牽引(けんいん)する者(妄執)にとらわれてはならない。

わたしは、(牽引する者のことを)貪欲、ものすごい激流と呼び、吸い込む欲求と呼び、はからい、捕捉と呼び、越えがたい汚泥であるという。

バラモンである聖者は、真実から離れることなく、陸地を(安らぎ)に)立っている。かれは一切を捨て去って、「安らかになったひと」と呼ばれる。」  スッタニパータ941~946


聖者という言葉をリーダーあるいは事業家、政治家に置き換えると、その人の人格が自然に見えてくるものがあります。傲慢で欲望にみちた顔をしている人に気をつけなければならない。また美しい姿をしている人に、魂を奪われるなと申し上げたい。政治家や事業家は、自分の欲望のために仕事をしてはいけない。世のため、人のために、どうすればよいかを具体的に提起し、実行していくのが仕事なのです。国民の公僕であることを忘れてはならない。

2012年11月29日木曜日

成功哲学ーブッダの教えⅣ-

 おはようございます。
昨日、日田市天瀬町の顕徳坊尊に参ってきました。江戸時代後期に出羽の国米沢領沢村(現在の山形県米沢市)の顕徳坊というお坊さんがこの地にたどりつき、湯山村に永眠したのであるが、信仰と修行に生きた無冠の僧です。180年前より、村民たちが日々の苦しみ、悲しみなどの諸々の願望をお願いし、ご加護ご利益をいただく霊験あらたなるところとなったのです。すぐ近くに、高塚愛宕地蔵尊があります。

天瀬町湯山長美野にある顕徳坊尊、日田市市内一望できます。
 
 
それでは、スッタニパータより
ブッダに「多くの神々と人間とは、幸福を望み、幸せを思っています。最上の幸福を説いてください。」とたずねると、

「諸々の愚者に親しまないで、諸々の賢者に親しみ、尊敬すべき人々を尊敬すること、-これがこよなき幸せである。

適当な場所に住み、あらかじめ功徳を積んでいて、みずからは正しい誓願をおこしていること、-これがこよなき幸せである。

深い学識あり、技術を身につけ、身をつつしむことをよく学び、ことばがみごとであること、-これがこよなき幸せである。

父母につかえること、妻子を愛し護ること、仕事に秩序あり混乱せぬこと、-これがこよなき幸せである。

施与と、理法にかなった行いと、親族を愛し護ることと、非難を受けない行為、-これがこよなき幸せである。

悪をやめ、悪を離れ、飲酒をつつしみ、徳行をゆるがせにしないこと、-これがこよなき幸せである。

尊敬と謙遜と満足と感謝と適当な時に教えを聞くこと、-これがこよなき幸せである。

耐え忍ぶこと、ことばのやさしいこと、諸々の〈道の人〉に会うこと、適当な時に理法についての教えを聞くこと、-これがこよなき幸せである。

修養と、清らかな行いと、聖なる真理を見ること、安らぎを体得すること、-これがこよなき幸せである。

世俗のことがらに触れても、その人の心が動揺せず、憂いなく、汚れを離れ、安穏であること、-これがこよなき幸せである。

これらのことを行うならば、いかなることに関しても敗れることがない。あらゆることについて幸福に達する。ーこれがこよなき幸せである。」

「スッタニパ-タ」258~269 中村 元訳「ブッタのことば」岩波文庫

ブッタは人生において幸福になるためにどうあればよいかをすべて答えています。このなかに安らぎを体得することと述べていますが、安らぎとは、ニルバーナ(静寂)を言います。静寂をえるためには、座禅をすることが最も良い方法です。顕徳坊尊の帰りに、天ケ瀬温泉の天龍荘にお寄りしましたが、ここの湯は、日本百名湯に選ばれています。大庭社長さんに、温泉禅を教授しました。温泉につかり、座禅をするのです。5分前後で充分です。これを繰り返しますと、体の血行はよくなり、こころがゆったり落ち着いてきます。最高の寂静の世界を味わえます。ぜひお試ししてみてください。

2012年11月28日水曜日

成功哲学ーブッダの教えⅢ-

 おはようございます。
「成功」という言葉を言うと、最近の傾向として身を引く人がいますが、成功とは、「ここざしを成し遂げること」と定義すれば、成功という言葉を自分のものにすべきだと思います。そうしないと自虐的な自閉症に陥ってしまうからです。まずは言葉から逃げないことです。そして宇宙・自然界の法則は、成功したいと思う人に成功が訪れます。

成功するには、三つのことが必要です。まず自分自身が努力することです。努力に勝る天才はいません。努力することに喜びを感じることです。次にほかの人の力を素直に借りることです。そしていつも感謝することです。そして宇宙の神仏に祈りを捧げることです。天はそのような人をほっておくことはありません。

パラリンオリンピックの水泳100m背泳ぎで、優勝しゴールドメダリストになった秋山里奈さんは、絶望のどん底から立ち上がり、三度目の挑戦で、栄冠を勝ち取りました。まさに勝利者であり、成功者であるのですが、オリンピックでの優勝が目標だったので引退し、社会人として働くことを目標として次のチャレンジの表明をしていました。彼女が水泳で頑張ったことで、どれだけ多くの方が勇気づけられたことでしょう。このような行為こそ、自利利他行だと思います。

人生の成功とは、まさに階段を上るがごとく一段一段踏みしめて、自分の目標あるいはこころざしに向かって努力し、進むことではないでしょうか。日田市の慈眼山永興寺(国指定重要文化財の十一面観音立像などが安置されています。)と大原八幡宮の階段をご紹介します。

慈眼山永興寺の階段

大原八幡宮の階段(初詣に大勢の市民が訪れます。)


中村 元先生訳の「ブッダのことば」(岩波文庫)より

「あらゆるものにうち勝ち、あらゆるものを知り、いとも聡明で、あらゆる事物に汚されることなく、あらゆるものを捨て、妄執が滅びて解脱した人、ー諸々の賢者は、彼を(聖者)であると知る。

智慧の力あり、戒めと誓いをよく守り、心がよく統一し、瞑想(禅定)を楽しみ、落ち着いて気をつけていて、執着から脱して、荒れたところがなく、煩悩の汚れがない人、-諸々の賢者は、かれを(聖者)であると知る。

独り歩み、怠ることのない聖者、非難と賞賛とに心を動かさず、音声に驚かない獅子のように、網にとらえられない風のように、水に汚されない蓮のように、他人に導かれることなく、他人を導く人、-諸々の賢者は、かれを(聖者)であると知る。

他人がことばを極めてほめたりそしったりしても、水浴場における柱のように泰然としてそびえ立ち、欲情を離れ、諸々の感官をよく静めている人、-諸々の賢者は、かれを(聖者)であると知る。」         
                                           スッタニパータ211~214

じっくり読むと、ブッダの姿が見えてきます。成功者は、聖者を目指しているし、人生の究極の目標は仏陀(悟った人)ではないでしょうか。階段を一段一段上るがごとく、一歩一歩菩薩道を踏みしめていくことではないでしょうか。人生や経営で迷っている人はHPよりお問い合わせできます。


















2012年11月27日火曜日

成功哲学ーブッダの教えⅡ-

 おはようございます。
先日、日田市北友田にある岳林寺の紅葉を見にいきましたが、境内にパワーを感じませんでした。岳林寺は、後醍醐天皇が1342年に九州で唯一の勅願寺として建立したもので、山門の屋根瓦に菊の紋章(天皇家)が入っています。寺もお店も人が来ないとさびれる。例えば、座禅会をし、みんなで作務(庭掃除など)をすれば、すぐに活力が生れると思うのですが。

岳林寺山門と境内


それでは、昨日の引き続き、ブッタの教えを、もっとも古い経典を言われるスッタニパータから見ていきましょう。

「究極の理想に通じた人が、この平安の境地に達してなすべきことは、次のとおりである。能力あり、直く、正しく、ことばやさしく、柔和で、思い上ることのない者であらねばならぬ。

足ることをしり、わずかの食物で暮し、雑務少く、生活もまた簡素であり、諸々の感官が静まり、聡明で、高ぶることなく、諸々のひとの家で貪ることがない。

何びとも他人を欺いてはならない。たといどこにあっても他人を軽んじてはならない。悩まそうとして怒りの想いを抱いて互いに他人に苦痛を与えることを望んではならない。

あたかも、母が己が独り子を命を賭けても護るように、そのように一切の生きとし生けるものどもに対しても、無量の慈しみの意(こころ)を起こすべし。

また全世界に対して無量の慈しみの意(こころ)を起こすべし・・・」

               「ブッタのことば」岩波文庫 -スタニパータ143~150ー

成功者とは、当然知識やスキルの能力があり、素直で、正しいことを考え、実行し、いつも言葉遣いがやさしく、柔和であり、成功しても思い上ることはありませんね。そして贅沢をしない、遊興にのぼせない。生活は質素で、聡明で、高ぶらないのです。そして他人を欺いたり、軽んじたり、悩ましたりしませんし、そのように努力しています。

数人の倒産した中小企業の経営者を見てきましたが、共通しているのは、女をつくる、飲みに行く、いわゆる「飲む、打つ、買う」の三拍子がそろっている方が多い。飲むとは、スナックやクラブに入り浸る、打つとは博打に手を出す、取り立て屋から腕の骨を折られた人もいた。そして買うとは、女に手を出す、のぼせているので女からむしりとられていることに気づかない。

中村 元先生の調査によりますと2500年前のインドでも、このようなことがあったらしく、人間はある意味進歩していない。しかし仏陀のいうように自戒し、無量の慈しみのこころを持って生活すれば、失敗することなく、幸福な人生を送れると思います。

2012年11月26日月曜日

成功哲学ーブッダの教えⅠー

 おはようございます。
20代後半よりアメリカの実用主義哲学であるナポレオンヒルマーフィの書物を読んできましたが、その根源は聖典にあると思っています。いわゆる「成功哲学」と言われるものですが、成功とは一体何なのでしょうか。経済的にも精神的にも豊かで、健康で、家庭は幸福に満ち溢れ、何不自由なことがない状態とも言えますし、自分の目標やこころざしを成し遂げることとも言えます。

誰しもが失敗することではなく、成功することを願っていますし、なんどもなんども失敗しても、最後は成功することもあります。敗北者ではなく、勝利者になりたいとみんなが思っています。競争社会のなかでの相対的勝利者ではなく、真の勝利者であり、成功者である「哲学」ブッタは語っていることを皆さんにご紹介したいと思います。

仏陀である釈迦牟尼の言葉を編纂したのは、東京大学教授の中村 元先生です。先生のご尽力がなければ、世界は仏陀の言葉を読むことは難しかったと思います。中村先生に感謝しながら、先生がNHKラジオの「こころをよむ仏典」でお話されたものが、CD(NHKサービスセンター)と書籍(岩波書店)になっています。初心者に読みやすいのは、東京国際仏教塾の講師でもあります中野東禅先生「『仏陀の肉声』に生き方を問う」(小学館新書)が今年の十月に出版されていますのでお薦めします。それではブッタの声に耳を傾けて下さい。声を出して読んでください。

仏典をよむ1仏陀の生涯(岩波書店)・ブッタのことば(岩波文庫)より

「わたしはあなたに聖者の境地を教えてあげよう。これは行い難く、成就し難いものである。さあ、それをあなたに説いてあげよう。しっかりとして、堅固であれ。

村にあっては、罵られても、敬礼されても、平然とした態度で臨め。罵られても、こころに怒らないように注意し、敬礼されても冷静に、高ぶらずにふるまえ。

たとい園林のうちにあっても、火炎の燃え立つように種々のものが現れ出てくる。婦女は聖者を誘惑する。婦女をして彼を誘惑させるな。

淫欲のことがらを離れ、さまざまの愛欲をすてて、弱いものでも、強いものでも、もろもろの生きものに対して、敵対することもなく、愛着することもない。

『かれらとわたしと同様であり、わたしもかれらと同様である』と思って、わが身と引きくらべて、生きものを殺してはならぬ。他人をして殺させてならぬ。

凡夫は欲望と貪(むさぼ)りとに執着しているが、眼(まなこ)ある人はそれを捨てて道を歩め。この世の地獄を超えよ。

腹を減らして、食物を節し、少欲であって、貪ることなかれ。かれは貪り食う欲望に厭きて、無欲であり、安らぎに帰している。」ースッタニパータ701~707ー

解説は控えさせてもらいます。なぜなら二千五百年前に語ったブッタの言葉が身に染みてくるまでじっくり読んでほしいからです。

このブッタの教えを経営理念として取り入れ、成功しているのが稲盛和夫氏が創業した京セラグループです。経営や実業の世界で成功するには、稲盛和夫氏が語っている成功哲学を身につけて、同時に実業家は勘定ができることです。このことは、ブッタは「シンガーラ(青年商人)への教え」で語っています。どんな倫理道徳の研究会で学ぼうが、宗教団体に入ろうが、真の哲学と勘定を身につけなければ、業績は伸びないことをことをお伝えするともに、勘定ができても哲学(理念)なき個人も会社も滅んでいくのが世の常です。

昨日は、「日田掃除に学ぶ会」で、小野公民館のトイレ掃除に参加しました。下記の写真のようにへりくだって、掃除をする習慣を身に着ければ必ず人間として成功します。

日田市小野公民館での掃除に学ぶ会の活動


参加された皆さんと共に、掃除ができる場所と機会を提供された方に感謝を申しあげます。

2012年11月22日木曜日

般若心経についてⅡ

 おはようございます。
昨日は、西日本新聞に、日田市夜明関町の行徳家住宅の紅葉の記事が載っていたので、久しぶり行ってきました。行徳家は代々、医業を家業としていました。1842年に立てられた住宅が国指定重要文化財に指定され、保存されているのであります。室内に、長三州の書と言われる、経世堂と書いた掛け軸がありますが、これが医院名だったそうです。写真で紅葉を楽しんでください。

行徳家住宅の前景

行徳家住宅庭園


さて、昨日に引き続き、11月18日の中野東禅先生の般若心経講義を思い出しながら、書き綴りたいと思います。この世の目に見えるすべてのもの(この行徳家の紅葉)や私たちの考えている事もすべて「空」だという事です。つまり現象はすべて変わりゆくものでありますので、こだわらないことであります。

生きているという事は、一人一人、さまざまな苦労を味わいます。その苦しみを救ってくれるお経が「般若心経」です。生老病死という四苦という苦しみがあります。きていくこと自体に苦しみがあり、しわができ、加齢臭が匂ってくるようにいてきますし、病院には気の年寄ばかりで、やがて誰もがさけられないが訪れます。

さらに愛別離苦怨憎会苦求不得苦五蘊盛苦とう苦しみ(合わせて四苦八苦と言います)があります。愛する人と別れないといけないことがありますし、会社では嫌な人と一緒に仕事をしなければならないし、欲しいものは手に入らない、思うようにならいし、最後の五蘊は、先生がしっかり教えてくれましたが、人間は、という肉体や物質を見て、という能力で感じます。そしてで記憶し、記憶されたものと照合します。次にで判断し、で、自分の意見や行動を意識します。人間の脳はこれをたった2,3秒で行うそうです。

逆に意識がいつも、たとえば女性のこと、男性のことを意識していると、五蘊から逆回りで、色は、いつも女性や男性を見ているのです。色ごとにのぼせるとはこのことかもしれません。だから悪いことを考えている人はいつも悪いものばかり見て、良いことを思っている人はいつも良いものを見ますね。

現実世界も意識も変化して行くものということがわかったなら、私たちの自我や、物事にこだわる必要はないのです。こだわらないでいられる智慧が「空の智恵」なのです。つまり四苦八苦という苦しみは過ぎ去るものだからこだわらないとらわれないという事ではないでしょうか。

「般若心経」を読誦したり、写経したりするのは、このお経のなかに力があり、災難や煩悩・恐怖という悪魔に立ち向かうとき、「空の智慧」があるのです。あの夏目雅子さんが演じた玄奘三蔵(三蔵法師)は17年間もインドをまわるとき、いつも般若心経をくちづさみ、いかなる災難からも守られていたのです。あなたも毎日、般若心経を読誦してみませんか。人生や経営で難題を抱えている方は、私のホームページにアクセスしてお問い合わせよりメールして下さい。


 
























2012年11月21日水曜日

般若心経についてⅠ

 おはようございます。
中野東禅先生の講義のテキストは、四季社の「仏典スクール1の初めての『般若心経』」でした。このテキストの参考資料1の般若心経と玄奘三蔵のなかに、わかりやすく書いていますので、抜粋したいと思います。

「お釈迦様の教えの根幹は「縁起」という真理なのです。

あらゆるものは条件の調和によって有るということです。宇宙も、太陽系も、地球も、人間の命も、心の動きも、人間関係も、何もかも「縁起」です。

条件の調和である以上は条件は変わります。それを「無常」といいます。同じ状態でありえないという事です。さらに「無我」といいます。条件の調和であり、変化する物である以上は、変わらない実態的な「自我」があるわけではないということです。

それをお釈迦様は「空」といいました。有るようでないもの、無いようであるもの、とらえ所のないもの、とらわれ様のないものという意味です。したがって現象している今・ここ・私をより良く生き、そこで心の開放を修行しつづける事が最も真実な生き方ということになるわけです。」

お釈迦様の膨大なお説教のなかから「空」の教えを再編集したのが「般若経典群」で、「大般若経」に包括されていますが、もっとも基本をなすお釈迦様の直説部分が「般若心経」なのです。

ですので「縁起」がわかり、「空」がわかると怖いものは何もありません。「死」も受容できると言えましょう。

講義中の東禅先生



摩訶 般若 波羅蜜多 心経

大いなる 叡智によって 安らぎの岸にいたる修行の 心要の 仏のおしえ

「心経 しんぎょう」の発声を先生に指導を受けましたが、節があると、厳かな気持ちになりいいですね。

観自在菩薩とはじまるのですが、あらゆる方向に顔を向けた神だそうです。菩薩は仏の一歩手前の悟りであり、青年釈迦であり、前世(ジャータカ)の釈迦であり、あなた自身であり、仏舎利国の菩薩であり、修生(人間)であるとの説明がありましたが、観音菩薩や地蔵菩薩をよく見ますが、人間は菩薩道を励まなければ、巷を見渡せばわかるとおり、餓鬼畜生になりさがる動物だと思います。

この日はここまでの講義で、座禅にはいりました。まず左右にゆっくり、大きく体を動かして(伸ばす)、中心の位置を決め、息を下腹に大きく吸い込むため、背筋が伸びて、凛とした座禅ができるとご指導をいただきました。終了後、後片付けの作務をし、先生がタクシーを呼んでいるので稲毛駅まで送ってくれるということで、同乗させていただき、お話していましたら、むかしラジオのこども相談室をしていた無着成恭さんが曹洞宗の僧であり、今は大分県に赴任しているお聞きし、びっくりしました。国東町におられるようですので、行ってみたいと思います。

中野東禅先生のお話はわかりやすく、おもしろく、人間味があふれ、まさに仏縁をいただいたことに感謝していたします。














2012年11月20日火曜日

仏教塾曹洞宗コースの修行と講義

 おはようございます。
いよいよ17日から東京国際仏教塾の専門課程曹洞宗コースが始まりました。講師は、中野東禅先生(曹洞宗総合研究センター教科研修部門講師)です。たくさんの著書がありますが、仏教や座禅への入門書として、初心者には「心が大きくなる座禅のすすめ」「人生の問題がすっと解決する名僧の一言」を読むことをお薦めします。

17日は午前中に曹洞宗コースの説明があり、朝課・読経の指導から始まりました。専門課程の論文は、宗義と宗史が課題ですが、卒業時に、「般若心経」の読経試験があります。朝課では、「曹洞宗日課勤行聖典」を使いますが、お坊さんたちが使っているもので重たいです。持ち方もありますのでまずは作法を学ぶことが大事だなと思いました。

千葉県稲毛の光明寺内での講義風景



午後から「般若心経」の講義が2回ありました。「般若心経」がお釈迦様が説いた永遠の過去から永遠の未来の真理である縁起と空を凝縮したお経ですので、インド仏教史から日本仏教史の講義が初めにありました。

人類の歴史が始まり、インダス文明のなかで、お釈迦様が紀元前500年前に生まれ、宇宙の真理を説き証し、人々に生きる道を教えたのです。紀元前300年のアレキサンダー大王のインドへの進出がありましたから当時のインドは、すでにギリシャ文化との交流があり、相互に影響していたようです。

先生の仏教史の講義を聴いていて、キリスト教は、イエス様が3年余りの布教でしたので新約聖書に収まりますが、お釈迦様は45年余りも説教してきましたから、膨大な経典になるとのことが納得できました。戦後アジャンタなどの仏教の石窟寺院が発見され、またイスラエルでもクムラン洞窟でキリスト教の死海文書が発見されたことは驚異です。2000年の歴史が過ぎてもこのような発見がまだまだ出てきそうで、真実がますます明らかになるのと思うと、ワクワクしてきます。

鳩摩羅什や玄奘がいのちがけで、お釈迦様の涅槃後、インドで編纂された仏典を、天山山脈を越えて持ち帰り、漢訳し、日本にもたらしたからこそ今日の日本仏教があることを思うと、この壮大なアジアと歴史が頭の中をかけめぐってきます。玄奘こそ三蔵法師、「般若心経」をいつも口ずさみながら、旅をつづけ、それで災難から守られたいたようですが、先生も話していましたが、「西遊記」のドラマの中の、三蔵法師役の夏目雅子さんを思い出します。

日本に仏教が伝来して、奈良仏教といわれるのですが、心の縁起をといた唯識思想が入ってきていたのです、実はこれがユングが説いた潜在意識を言っているのですが、当のユングも東洋では紀元前後にすでに心を論理的に説いていたことにびっくりしたそうです。そして東大寺に見られる宇宙の縁起である華厳経があり、また平安時代にはいり、共に唐に渡り、学び、比叡山に天台宗を開いた最澄さんと高野山に真言宗を開いた空海さんの二大巨頭へと続くのです。

それから、鎌倉時代に、現代に続く、法然さんの浄土教、親鸞さんの浄土真宗、日蓮さんの日蓮宗、そして栄西さんの臨済宗と道元さんの曹洞宗がを確立するのです。先生から現在の新宗教のお話がありましたが、多額の献金を要求したり、洗脳するカルト的な集団もあるので、気をつけるようにとのことでした。お悩みの方は、お近くの寺院か、私が主宰している別府総合研究所へお尋ね下さい。明日は、「般若心経」の講義について書きます。




2012年11月19日月曜日

東京国際仏教塾について

 おはようございます。
16日より、東京国際仏教塾の修行のため、東京・千葉に行ってきました。この仏教塾についてご説明しておきたいと思いますが、私たちはちょうど25期生です。25年前に浄土真宗光明寺の大洞龍明先生が60歳得度運動を提唱し、創設したものであります。すでに全国から1500余名の人が集い、学び、卒業しています。60歳という人生の節目を機にして、仏教に基づいた心豊かな人生を歩んでいく機縁を持っていくことを勧める運動です。塾生は団塊の世代が多いのですが、30代~50代の方もいます。

開講式にて大熊学監


4年ほど前、日田市淡窓図書館にて、大洞先生の「生と死を超える道」という本を読んで、賛同し、還暦が来たら、ぜひ入塾したいと思い、今年の4月に入塾ができました。東京大学仏教青年会館にての開講式で駒沢大学名誉教授の奈良康明先生の記念講演を聞き、仏教を学ぶ決意を新たにしました。

まず6月に仏教入門課程のスクーリングがあり、仏教概論を立正大学教授の高橋堯英先生、特別講義が中野東禅先生、日本仏教史を東京大学大学院教授の箕輪顕量先生、大乗仏教論を渡辺章悟先生、宗教概論を立正大学名誉教授の藤井正雄先生、そして特別講義は大洞龍明塾長がされました。これだけの先生方の講義を聴くことは仏教系の大学でもできないと思いました。

それから7月から9月まで、日蓮宗妙厳寺にて法華経を学ぶ修行、鹿野山禅青少年研修所にて、臨済宗による禅をまなび、千葉県東福寺での天台宗一泊結集にて修行し、光明寺にて浄土念仏修行に参加しました。このようにまずは、仏教各派の基本的な教えや修行を総合的に学ぶことができるところは東京国際仏教塾しかないようです。興味のある方は、東京国際仏教塾のHPを見てください。

浄土念仏修行の光明寺稲毛御廟


入門課程に修行と、課題論文提出で、単位をとり、各宗の宗旨専門課程に進むことができるのですが、塾生は、宗旨を選ばなければなりません。それぞれの人生経験や考え方で宗旨を選びますが、私は、真言宗の空海さん、曹洞宗の道元さん、浄土真宗の親鸞さんなどの本を読んでいましたが、仏教の基本は、お釈迦様の悟りの原点である座禅であり、中野東禅先生に学ぶたいと思い曹洞宗コースを選んだ次第です。

その曹洞宗の本山が、福井県にある永平寺と横浜にある総持寺ですので、この機会にと思い、東京の塾生と総持寺にお参りに行きました。明治40年に横浜市鶴見に移転したのですが、曹洞宗は1万2千寺あり、各宗のなかでもっとも寺院数が多いと聞き、びっくりしました。なぜなら九州では浄土真宗のお寺が多いし、曹洞宗の寺はあまり見かけないからです。武家に重用されたようですから、関東・東海などは多いようです。

横浜市鶴見にある総持寺


明日は、曹洞宗コースの修行と講義について書きます。こうご期待。


2012年11月15日木曜日

耶馬渓

 おはようございます。
天気が晴れたり曇ったり、小雨が降ったりするなか、耶馬渓の紅葉を見に行きました。この日、由布岳、九重山では初雪、鶴見岳も霧氷が見られる寒い日でした。
日田から山国町に入り、柿坂により左に入ると、渓石園があります。耶馬渓ダムの下の美しい公園です。

渓石園

さらに3キロほど上ると、山国川支流の山移川沿いの景勝地である深耶馬渓に着きます。今年は、少し早めに、紅葉になっているようでした。一目八景と言われる八つの奇岩が一望できます。

深耶馬渓・一目八景
 
 ここから5キロほど下って本耶馬溪に向かいます。
菊池寛の「恩讐の彼方に」のモデルになった禅海和尚が30年かけて競秀峰をのみと槌だけで掘った隧道である青の洞門に着きます。人々がこの峰の通っていくときに、落ちて命を失う人が後をたたず、生涯をかけて青の洞門と言われる隧道を掘るのです。まさに利他行の極みだと思いました。
 
本耶馬溪・青の洞門

 
そして2キロほど上っていくと、羅漢寺があります。645年にインドの僧である法道仙人が、この地で修行したところで、全国羅漢寺の総本山になっています。現在は曹洞宗のお寺で、禅海和尚の遺品を展示した禅海堂があります。
 
今年最後の耶馬渓の紅葉を楽しみ、昔の人はすごいなとあらためて感じる1日でした。私たちは、それぞれの利他行をつむために生かされていることに感謝しなければなりません。明日からの3日間は、横浜の総持寺にお参りに行き、千葉で、東京国際仏教塾の曹洞宗(中野東禅先生のご指導)の修行をしてきます。山国町のユーモラスな「かかしワールド」の風景を添付します。
 
かかしワールド



 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 


2012年11月14日水曜日

青年会議所の若き息吹と活力

 おはようございます。
昨日は、日田JC(青年会議所)シニアクラブの秋季例会に出席しました。末武理事長より本年度の日田青年会議所の活動報告がありましたが、7月に2度にわたる大水害で当初計画していた事業は中止あるいは延期し、被災地域へのボランティア活動に尽力した様子がよくわかりました。被災者のひとりとして、このような青年の活動に勇気づけられたなと思った一年でした。

日田青年会議所は、昭和28年の筑後川流域の大水害で被災した日田市に対して、北九州JCがスポンサーになり設立されたものです。来年、日田JCが60周年をむかえるのですが、同じように今年、大水害にあったのは因縁かもしれません。つまりJC活動の原点にかえれ!ということかもしれません。

青年会議所は年齢制限があり、入会が40歳までですので、卒業して、シニアクラブの例会にて、若い現役会員と交流できるのは、彼らの若き息吹と活力を感じることができる唯一の時でもあるのです。同時に、石原慎太郎氏が80歳になって再度国政に復帰し、太陽の党をつくり第三極を結集する意欲に見習って、若きJCメンバーと共に、地域づくりをしていかねればと思いました。

青年会議所の綱領が基本理念ですが、JC宣言文が時代をあらわしているのでご紹介します。私が現役の時のJC宣言文は、

『変革の能動者たらんとする青年として、
個人の、真に豊かな生活の実現を通して、
自立した、快適な活力ある地域を創造し、
自由と公正を保障する国家を基盤として、
世界の平和と繁栄に貢献し、
地球上のすべての人と、共に生きることを誓う。』

この変革の能動者たらんとする青年という出だしの文がいいですね。いつの時代でも青年は変革の能動者でなければならないし、それは年齢いかんに問わず、いくつになっても、青年のような変革の能動者の思想をもつべきだと思います。

ちなみに、現在のJC宣言文は

『日本の青年会議所は
混沌という未知の可能性を切り開き
個人の自立性と社会の公共性が
生き生きと協和する確かな時代を築くために
率先して行動することを宣言する。』

となっています。まさに混沌という言葉で表現される時代ですね。しかしそれは切り開くことができるのです。ひとりひとりの人生や生活そして仕事においても同様であり、地域も国も若き青年の息吹と活力で変革することができるのです。


2012年11月13日火曜日

廣瀬淡窓Ⅱー敬天の思想ー

 おはようございます。
淡窓先生は、門下生一人ひとりの意思や個性を尊重する教育理念のもとに、中国の古典である「詩経」「書経」「易経」「礼教」「春秋」「楽経」などや漢詩を教授して、情操教育もして行ったのです。そして、遠思楼にて自らの思索と瞑想をしたと伝えられています。

咸宜園内「遠思楼」

 それでは淡窓先生の思想とはなんだったのでしょうか。儒学、老荘思想に通じ、中道であり、「敬天の思想」を持っていたのです。この敬天思想は、明の時代の袁了凡が「陰隲録」で書きあらわしたものです。この「陰隲録」を読み自らの敬天思想を確立していったのです。実は、淡窓先生の敬天思想が、西郷隆盛の「敬天愛人」につながり、京セラ名誉会長の稲盛和夫氏の哲学に脈々とつながっているのです。

淡窓先生の門下生に、三絶僧(詩・書・画に秀でている)といわれた平野五岳がおり、西郷隆盛と交流があり、西郷の肖像画も描いているのです。そして稲盛和夫氏は西郷の「敬天愛人」を京セラの企業理念に取り入れているのです。

この流れの根幹になる袁了凡の「陰隲録」について、稲盛和夫氏は自らの著書である「稲盛和夫の哲学」のなかで以下のように書いていますのでご紹介します。

「袁了凡はもともとは名前を袁学海といい、代々医術を家業とする家に生まれました。父を早く亡くしたため、母の手で育てられ、彼の母は息子に医者を継がせようと医学を学ばせていたところ、ある日頬髭の立派な老人が訪ねてきて、こう言いました。

『私は雲南で理法(易)をきわめた者です。袁学海という少年に理法を教えるようにという天命が下ったのでやってきました。お母さんはこの子を医者にしようとお考えかもしれませんが、彼は科挙の試験に通り、立派な役人になります。県で受ける一次試験には何番で通ります。二次試験、三次試験にも何番で受かります。そして科挙の本試験に臨む前に役人になり、若くして地方長官に任じられます。結婚はしますが、子供さんはできません。そして五十三歳で亡くなる運命です』

学海少年は実際に医者の学問をやめ、役人の道へ進みます。すると、恐ろしいぐらいに老人がいったとおりになっていく。何番で試験に受かるというのもそのとおりなら、地方長官になるのもそのとおりでした。すべてが老人が予言したとおりでした。その後南京の国立大学に進学することになった袁了凡は、雲谷禅師という素晴らしい老師がいる禅寺を訪ね、相対して三日間、座禅を組みました。

『お若いのに一点の曇りも邪念もない素晴らしい座禅を組まれる。これほど素晴らしい座禅を組む若い人をみたこともない。一体どこで修行をなされたのかな』

雲谷禅師が感心して言いました。これに対して、袁了凡は子供のころに出会った老人のことを話しました。

『私の今日までの人生はその老人の言葉と一分の狂いもありませんでした。すべて老人がいったとおりです。子供もできませんし、おそらく五十三歳で死ぬでしょう。だから思い悩むことは何もないのです』

その話を聞いた雲谷禅師は一喝しました。『悟りを開いた素晴らしい男かと思ったら、そんな大馬鹿者だったとは』そして、老人があなたの運命をいったというが、運命は変えられないものではないと言って、善きことをすればよい結果が生まれ、悪いことをすればわるい結果が生まれるという『因果応報の法則』を説きました。

そういわれた袁了凡は、『自分は間違っていた。老師にいわれたように、今後は善きことをしていこう』と誓い、善きことすればプラス一点、悪いことをすればマイナス一点というように、点数をつけ、日々善きことを重ねるよう努めました。その後子供も生まれ、七十三歳まで生きながらえました。」

実は、廣瀬淡窓先生は、体が虚弱で、そう長生きしないのでは思われましたが、この袁了凡の「陰隲録」を読んで、「万善簿」をつけ、天を敬い、天地自然の法則である因果応報の法則のとおり、日々反省し、私欲を克服し、善行を積み重ね、一万善を十二年七か月で達成し、七十五歳まで長生きし、活躍したのです。まさに「敬天の道」を歩む求道者であったのです。

この敬天の思想が、敬天愛人として、稲盛和夫氏によって現代に蘇り、企業経営に活かされていることを感謝するばかりです。咸宜園及び淡窓先生については、友人の深町浩一郎氏が西日本新聞社より西日本人物誌「広瀬淡窓」を出しているので読んでいただきたく思います。
















 

2012年11月12日月曜日

広瀬淡窓Ⅰ

 おはようございます。
天領まつりで、豆田町を中心に散策しました。久ぶりに咸宜園によりました。環境整備が進んでいましたが、天領まつりとのコラボをすれば、もっと観光客が見学にくるのでは思いました。

この咸宜園を開塾した広瀬淡窓の漢詩のなかに、「休道の詩」がありますが、石碑を見るとなつかしく高校・大学時代の想い出がよみがえってきます。

石碑と咸宜園教育研究センター
 


休道他郷多苦辛   道(い)うことを休(や)めよ 他郷(たきょう)苦辛(くしん)多しと
同袍有友自相親   同袍(どうほう)友有り 自ら相親しむ
柴扉暁出霜如雪   柴扉(さいひ)暁に出づれば 霜(しも)雪の如し
君汲川流我拾薪   君は川流(せんりゅう)を汲(く)め 我は薪(たきぎ)を拾わん

学生時代で、私訳しますと、「それぞれの大学に行ったのですが、故郷から離れたところでは、学園紛争などいろいろ苦労することがあった。しかし田舎に帰ってくると、高校時代の友人たちと再開し、それぞれの思いを語ったものです。朝方まで話をし、日の出を見に出ると、玄関の庭には霜がふり、まるで雪がふったようでした。友達に、朝食の支度をたのみ、私は布団をあげ掃除をした。」と解釈したのですが、青春時代、友達との再会は、唯一の楽しみであり、励みになったものです。

学び舎の秋風庵


広瀬淡窓の教育方針のなかに、「三奪法」がありますが、江戸時代、士農工商の身分制度の厳しい時代に、学歴、年齢、身分を問わず、武士、町民、僧侶、農民など門をたたく者は門下生としたのです。また「月旦表」という成績表で、19級までわかれていて、努力すれ昇級できる仕組みを作ったのです。いまでいえば学年にとらわれす、勉強できる公文式や学研式のようなものです。


千年あかり くんちょう酒造横




2012年11月9日金曜日

千年あかり

 おはようございます。
楽しみに待っていた千年あかり(9日~11日)が今日から始まります。日田天領まつり(10・11日)の一環で、国指定伝統的重要建築物保存地区の豆田町と花月川を中心に、3万本の竹灯篭にあかりが灯されます。日田天領まつりは、豆田地区の人たちが33年前に、町おこしから始まったものです。

現在の大分県日田市は江戸時代幕府直轄の天領地であり、日田金と言い、両替・掛屋が九州の大名の財政を支援していたところでもあります。また稀代の教育者広瀬淡窓さんが咸宜園をつくり、遠くは陸奥(宮城県)からなど延べ3000余人の塾生が学び舎に集ったのです。

千年あかりは豆田町の広い範囲で開催されていますので、散歩がてら、見て回るとそれぞれに工夫された灯篭を見ることができます。もともと里山の保全と町おこしの目的で開催されていますが、特に今年は7月の花月川が2度にわたり氾濫し、大水害を蒙りましたので、被災地支援の意味合いも強いかと思います。

あかりは、古代より人を癒す力があり、世界中で、灯されます。また亡くなった方を供養する意味もありますので東大寺の万灯会など有名です。大分県では、竹田市の竹楽臼杵市のうすき竹宵などの竹灯篭のイベントがあります。

この機会に千年あかりに行って、手を合わせ、東日本大震災、北部九州大水害で亡くなられた方のご冥福をお祈りしましょう。また被災された方が、元気を取り戻し、復興されますようにお祈りします。

2012年11月8日木曜日

気風

 おはようございます。
アメリカでは、昨日オバマ大統領が再選し、FOWARD(前進)を国民に約束しました。どこかの国の首相と違って、演説も格好いいですね。敗れたロムニー氏の敗戦の弁も爽やかでよかったですね。あんなに中傷合戦したのに、結果がでれば、ご和算にする姿勢がどうもアメリカの方が日本の政治家より大人だなと思います。国内では大臣が自分勝手な不認可発言をし、世間を騒がせ、一転し認可したようですが、やはりこの国の気風は地に落ちているように感じるのは私だけでしょうか。

それは、精神教育と言いますか、宗教教育と言いますか、こころの教育が欠落しているからではないでしょうか。日本の商社マンがアメリカに行くと、日曜日にゴルフバックを持って、アメリカ人が日曜礼拝に行っているのを横目にみて通り過ぎていくそうです。アメリカ人は日本人はさっぱりわからない人間と思っているそうです。

今、海外留学がさかんになり、アメリカ、ヨーロッパ、東南アジアにいくと、あなたの宗教は何ですかと質問されるそうです。日本の学生はただにっこり笑っているだけで、答えないそうです。(答えられない)小学校では倫理教育をし、中学高校で仏教やキリスト教やイスラム教など世界の宗教を教えてはどうでしょうか。世界の学校はしているのです。これを言うと文科省の官僚は宗教教育は家庭でするものと責任放棄するが、言いたいの宗教の基礎教育の必要性です。

たとえば現在自分たちが享受している資本主義経済がどのようにして発展してきたかもわからず、欲しいものを買い、食べたいものを食べて肥満になっているのは畜生とかわらないのではないでしょうか。日本の大学でも経済学部系に入るとマックスウェーバーの「プロテスタントティズムと資本主義」という本が課題になります。現在の資本主義が、キリスト教のプロテスタントの倫理感から発達したからです。マルクスが出て、唯物史観に基づいた「資本論」が世界を席巻するなか、マックスウェーバーは、精神からでる気風が、経済を発達させ、原動力なると歴史的検証をしたのです。いまならノーベル賞をもらっていると思います。

日本の資本主義の萌芽は、江戸時代になって、三河出身の旗本であった鈴木正三という人が、出家し曹洞宗の僧侶になり、「萬民徳用」という本を書きあらわし、働くことが修行であり、南無阿弥陀仏ととなえ働くことで救われることを説いたことです。日本における資本主義の倫理観つまり気風をあらわしたものです。ですから名古屋県の人たちはよく働く人が多いとおもいませか。トヨタも名古屋です。経済の発展や労働観には宗教が大きく寄与しているのです。そのような精神を日本の経営者で持っているのが、稲盛和夫氏や孫正義(ソフトバンク)、柳井 正(ユニクロ)ではないでしょうか。

ところが、戦後、戦前の教育の反動で、倫理教育もしない、宗教は個人のものだと言って何も教えないのでオーム真理教などわけのわからない邪教に一流大学の学生が、その魂を奪われて、あげくのはて殺人事件を起こす。国民は宗教嫌いが加速し、精神の崩壊がすすんでいるのではないでしょうか。

アメリカが抱えている問題、日本が抱えている問題、中国が抱えている問題は実は一つで、それぞれの国が国民を豊かにし、幸せにできるかということなのです。世界の課題は、ひとつなのです。しかし国家利害が先行し、他国の犠牲の上に、豊かさがあるならまさに悲劇だと思います。また豊かさや幸せとはどういうものか一人一人が考えるときにきていると思います。

大分県のエコキャンペーンで、4人家族で月に2千円以内しか電気を使わないご家庭が優勝していましたが、いつまでも電気も使い放題、水も使い放題、飯は食べ放題の生活から、そのようなものが幸福であるという価値観から脱却しない大変なことになります。

21世紀は、食糧難の時代になります。よその国からカネをだせば買えると思っていたら、ひもじい思いをします。(いつまでもあると思うな親とカネ)自分たちの食べるものは自分たちで作る国や地域にしないと明日はないのです。今の日本の政治家に任せていたら、食べ物もない国になります。そうおもいませんか。

私たち一人一人が、生活を変える、地域を変える、国を変える気風を持とうではありませんか。




2012年11月7日水曜日

冬が来る前に

おはようございます。
昨日、藤本義一さんのことを書いたが、私も3年前に、66歳の兄を亡くし、57歳の大切な友人を亡くした。私が60歳を過ぎたら、これからが本当の人生だから待っていてよと、山や川に遊びに行こう、もっと語り合おうよと約束してしていたが、先に逝ってしまった。

お別れのときに、耳に蘇り、聞こえてきた(幻覚)のが、35年前に聞いた紙ふうせんの「冬が来る前に」だ。

「冬が来る前に」 作詞 後藤悦治郎            大分県玖珠町岳切渓谷

坂の細い道を 夏の雨にうたれ        
言葉さがし続けて 別れた二人
小麦色に焼けた 肌も色もあせて
黄昏わたし一人 海をみるの
冬が来る前に もう一度あの人と
めぐり逢いたい

秋の風が吹いて 街はコスモス色
あなたからの便り 風に聞くの
落葉つもる道は 夏の想い出道
今日もわたし一人 バスを待つの

この歌詞は、別れた人とまためぐり逢いたいという失恋歌だと思いますが、紙ふうせんのボーカルの平山泰代さんのすきとおった、哀愁のこもった歌声を聴いていると、どうも冬が死を意味しているように思えてならないのです。

人は死を通してからしかをかんがみることはないと思う。父や母の死、兄弟の死、親しい友人の死、可愛がっていた犬の死、など思い出がよみがえり、ソファにもたれかけて涙に明け暮れる日々を過ごしたことがない人はいないと思う。

死は、必ず誰しもやってくるのです。だからこそ現実の人生は一度限りであり、その人生に精一杯自分を表現するべきだと思う。与えられたいのちを大切に生き切ってこそ、静寂をあじあうことができるのだと思います。

そして、死をみつめていると自分の周りの人たちがいかにたいせつな人たちであるかがわかって、その大切なひたのためにも、生きなければならないのです。静かに座り、大自然に耳を傾けよう、そして魂の奥深く(宇宙)から聞こえてくる声を聴こう。
「生れ生れ生れ生れて生の始めに暗く、死に死に死に死んで死の終わりに冥し」ー空海ー









2012年11月6日火曜日

藤本義一さん

おはようございます。
11PMでの藤本義一さんの軽妙な辛口の話し方に魅了された人は多いと思います。特に団塊世代は、高校や大学時代ですので、深夜、両親が寝静まって、テレビをつけ、こっそり見ていた方が多いかと思います。その当時はまだテレビは一家に一台の時代でしたから。

藤本義一さんは、11PMの司会者のときに、原発の危険性を取り上げ、テレビ局の反対を押し切って放映したくらい、反骨精神と反中央集権の作家であり、戦時中そして戦後の焼け野原のなかでひもじい思いをして生き延びてきたのに、テレビでは微塵だにださない方だったという印象が深いのです。私たちは、戦後を知っている直木賞作家である藤本義一さんや五木寛之さん瀬戸内寂聴さんなどの本を読んで、彼らが肌で感じ、訴えていることに耳をかさなければ日本の将来は危ういのではないでしょうか。

藤本さんの著作で4年前に出された「歎異抄に学ぶ人生の智慧」(PHP)があります。藤本さんはマルチタレントのようなところがあるので、えまさか、親鸞の歎異抄についてかくのかと少しびっくりしました。しかし、藤本さんは60歳を過ぎてから、「方丈記」「徒然草」そして「歎異抄」を3年間に一冊づつ繰り返し読んでいったそうです。「三年読めば、古典が自然に現代に融合してきて、自分の中で浸み込んで来る気配がある」と書いています。

誰もが人生のどこかで名著に巡り合い、まさに座右の書にするのですが、特に古典は、風雪に耐えて多くの方に読まれ続けているもので、まさに生と死が書かれています。私が必ず、自分のそばに置き、いつも読んでいるものは、「聖書」と「仏教聖典」ですが、それは宗教書のみならず、文学的にも最高峰のものだからです。聖書の詩篇などは、どれだけで癒されることでしょう。

藤本さんは、この「歎異抄に学ぶ人生の智慧」のなかで、お父さんやお母さんの生き方そして死を通して、歎異抄をわかりやすく語っています。皆さん一人一人が、藤本さんの遺言と思って読んでみませんか。そんな折、伊集院静氏が作詞した前川清さんの最新の歌を耳にしたのでご紹介します。

「哀しみの終わりに」 作詞 伊集院静 

今年また夏が来て あなたみたいに光る
大好きな紫陽花(あじさい)が あなたの窓叩く
いなくなってしまうと わかっていたなら
ドアは開けなかった
二度と帰らないのが わかっていたのなら
離しはしなかったのに
本当ですか 哀しみにもやがて終わりがくるって
本当ですか 哀しみが終わって いつか笑える日が来る

空に星たちが来て あの夏の日が揺れる
あなたに似ているアネモエが微笑みかけてくる
いなくなってしまうと わかっていたなら
駅へ行かせなかった
二度と逢えないことが わかっていたなら
抱きしめ続けていたのに

という歌詞ですが、前川さんの歌をすぐ聞いてみてください。この歌詞が心にしみてきますよ。伊集院さんも夏目雅子さんを亡くしました。そして桑名正博さんや藤本義一さんなど今多くの方がこの世を去っていますが、藤本さんたちと東日本大震災や北部九州大水害で亡くなられた方たちのご冥福をこころよりお祈りします。




2012年11月5日月曜日

素朴な祈り

 おはようございます。
昨日は、高塚愛宕地蔵尊(大分県日田市天瀬町)にお参りに行きました。11月4日日曜日ということもあり、10時頃でしたが、上の駐車場はほぼ満杯で、参拝客が多く、さすが年間約150万人来ていると言われているなと思いました。

今から約1200年前に、あの東大寺の大仏を立てたと言われる行基が、ここにきて祈ったら、銀杏の木に神霊が宿り、地蔵菩薩をほり、祀ったものだそうです。行基がこの地にきていることが驚かされます。

そして年間約150人の人たちが高塚地蔵尊をお参りに来るのはなぜでしょうか。ご利益があるからでしょうが、私も定年まで仕事に明け暮れていましたので、信仰心は持っていましたが昨年来何十年ぶりかに数回きています。

お地蔵様と呼ばれ、日本国中、どこでも目にすることができます。先日、テレビ番組で、石巻の村にある6体の地蔵様が、栄村の方に90度動いたそうです。栄村の人達が無事であるようにお地蔵様が祈ってくれているそうです。信じますか。

お地蔵様は、大地の蔵と言い、私たちの苦しみを、自分が身代わりになって引き受けてくれているのです。右手に錫杖、左手に宝珠を持っています。右手の錫杖で、私たちの煩悩の夢を覚まさせてくれます。左手の宝珠で、あらゆる人の願い事を叶えてくれます。

参拝する人の中には、病気で悩んでいる人、家族が難病にかかっている人、あるいは借金を抱え生活できない人、事業が不振に陥っている人、今の平穏無事な生活に感謝している人などさまざまは人がおられましょう。

人々が感謝の気持ちを持って、この高塚地蔵尊に訪れ、理屈抜きで、素朴なお祈りができることは素晴らしいことではないでしょうか。(高塚愛宕地蔵尊はHPで見れます。)

2012年11月2日金曜日

稲盛哲学とアメーバ経営Ⅳ

 おはようございます。
稲盛和夫氏の哲学・思想から具対的な京セラフィロソフィが作らているのですが、氏の著作の「こころを高める、経営を伸ばす」と「成功への情熱」(PHP)を熟読して下さい。文庫本もでていますので、ビジネスマンならいつも手元において、読むのです。必要な項目からも読むこともできます。稲盛氏の言葉を自分のものにするのです。そうすれば自ずと行動に出てきます。これを同化と言います。おなじ考え方を持つのです。誰でもこころざしを持って、学べば稲盛氏のようになれるのです。

4輪駆動車の前輪である稲盛哲学についてお話してきましたが、後輪のアメーバ経営も、フィロソフィが含まれています。つまり連動しているわけです。これは稲盛氏の「実学」と「アメーバ経営」(日本経済新聞社)が出ていますので、総務部や経理部の人は、必読書です。また京セラの関連会社のKCCSでは、アメーバ経営ゼミナールなどのセミナーが開催されていますし、コンサルティングもしていますので、会社の未来投資として受けることもおすすめします。個人もこのような学びの自己投資を惜しまないひとはグングン成長しているし、アメーバ経営に取り組み、KCCS指導を受けている会社は伸びています。なぜなら従来の手法と違うからです。

「アメーバ経営」より、稲盛氏は、三つの目的があると書いています。
第一の目的 市場に直結した部門別採算制度の確立
第二の目的 経営者意識を持つ人材の育成
第三の目的 全員参加経営の実現

第一の目的は、常に現在の数字で計ることですが、中小零細企業でも部門別とは少なくても総務などの間接部門と、直接部門を分けて時間当たりの採算を出すことです。部門は最少単位までできます。部門長ができるような損益計算書を作ります。間接部門は本部費を徴収して同様に運営していきます。

アメーバ単位の責任者が、そのアメーバ(部門など)の社長です。ですから第二の目的の経営者意識をもった人材ができてくるのです。売り上げのことしかわからない部門長では、会社内の役割を果たせず、収益を出すことはできないのです。最小単位のアメーバが確実に収益を上げていくシステムですから、総体はどうなるかはっきりしています。その責任者はモティベーションが最も高まるのです。

そして第三の目的である、一つ一つのアメーバが経営に関与しているわけですから、全員が経営に参加できるし、その実感をあじあい、ひとりひとりが、備品などの使い方なども工夫して経費を削減していくのです。

経営とは「売り上げを最大限に、経費を最小限にしていく」努力や工夫を日々、経営者が先頭に立って、全社員で取り組むことなのです。経営者および幹部は、会社全体の損益計算書、貸借対照表、キャッシュフロー表を毎月、見て問題点がないが検証することが大事です。これらのものは委託している会計事務所で自動的にできます。とくにキャッシュフロー表を見ていないと、勘定あって銭足らずになって、倒産の憂き目の会うことがあります。

何のために働くのか、何のために経営するのか、あなたが答えをだして、心を高めて、経営をのばそうではありせんか。「こころざし」こそすべてです。


2012年11月1日木曜日

稲盛哲学とアメーバ経営Ⅲ

 おはようございます。
昨日の因果応報について、数名の方より質問がありました。「東日本大震災などで罪のない方が亡くなっているのはどのような因果関係でしょうか」というものでした。

まず、因果応報とは人間界の真理を言ったものですが、宇宙において地球は生きている存在だということだと思います。地球は、地球として人間と同じように正常に保つために、背筋を伸ばすことをしていると思います。その背筋を伸ばす時におきるのが地震だと思います。

私も今年7月の北部九州大水害で被災し、みるみるうちに1メートル近くに達し、床上浸水となり、救助隊に92歳のお袋を救助してもらいました。どうしてこのような目に合うのかと考えても、何も悪いことをしていないのにと想います。このような天災は、いつでもどこでも起き、大自然に対して人間の力など及ばないとことを警告していると思います。それは個別の問題ではなく、宇宙や自然界と人類との因果応報かもしれません。

このことについて、稲盛和夫氏と瀬戸内寂聴さんとの対談集「利他」人は人のために生きる(小学館)にて書かれていますので、ご一読ください。人間界でも、あんないい人が癌で亡くなったが、世間で悪いことをしている人が長生きしているとか耳にしますが、そのことにも触れています。

人間界においての因果応報は仏教では、三時業という言葉で表現されていますが、たとえば一所懸命働いて、すぐその成果が出る場合がありますが、10年20年いや30年経ってやっと芽がでて、おおきな成果がおさめることがあります。また親父さんが社長のときには、業績が伸びなかったが、息子さんの代で大きく飛躍したという例もあります。結果には時間というものがあるのです。よきも悪しきも、同様のことがそれぞれの人生に起きるのです。だからというのです。善因善果、悪因悪果は、よきも悪しきも孫子の代まで影響を及ぼすことは、現実が物語っています。

しかし、稲盛和夫氏は、個人も会社もそのような過去業から脱却し、人生を、会社を、豊かな成長とするために到達した哲学を「稲盛和夫の哲学」で述べているのです。その哲学・思想は、お釈迦様が説いた六波羅蜜です。このことを一貫して述べています。六波羅蜜の思想が、京セラフィロソフィに反映され、具体的な仕事の仕方にまで、言及しているのです。

六波羅蜜とは、「布施」「持戒」「忍辱」「精進」「禅定」「智恵」の六つの行を言います。これが企業経営と何の関係があるのかいう人がいますが、少なくともこのことを知らずして人の上に立つべきでないと思います。稲盛氏が多くの書籍の中で、わかりやすく書いていますのでぜひ読んで下さい。

「布施」ということばは聞いたことがあると思います。お坊さんに法事の時などにおつつみすることのみが布施でありません。無財の七施と言って、身施(自分の体で人のために汗を流す)、心施(他人に対する思いやりをもって接する)、眼施(なごやかになるようなやさしいまなざしを捧げる)、和顔施(微笑みのある柔和な笑顔で接する)、言施(温かい言葉をかける)、牀座施(席を喜んで譲る)、房舎施(困っている人に一夜の宿を提供する)があるのですが、このような行為が会社の中でみんなが心がけるなら素晴らしい社内環境だと思いませんか。京セラという会社ができているかどうかを疑う前に、稲盛和夫氏が日本航空を再建するとき、無報酬の会長として尽力されたことは、メディアでも報道された周知の事実です。

「持戒」とは、人間は欲望のおもむくままに行動する傾向がありますので、悪に陥らないように、自由気ままな心をおさえることを言います。社会には法律があり、会社にも就業規則があります。人間社会がうまくいくように法律やルールをつくっているのです。上場会社も含めて、コンプライアンス(法令遵法)に欠けたために多くの会社が倒産を余儀なくされました。

「忍辱」とは、この世は生生流転、諸行無常です。時代は変化し、艱難辛苦がふりかかってきます。どんな時でも、じっと耐え忍んで次のチャンスの準備をする心構えが必要です。

「精進」とは、生きとし生けるものすべて精一杯生きているのです。怠けているのものはありせん。稲盛氏は、一所懸命働くこと、一生懸命働くことが精進すると言っています。社長が社員が一所懸命仕事に努力し工夫している会社のみが、市場や消費者つまり顧客から支持され、繁栄するのです。

「禅定」とは、座禅し、こころを静め、宇宙と一体になることです。経営者やリーダーの意思決定次第で会社の業績に反映します。ビジネスマンに必要な判断力や決断力を正常に養うために座禅・瞑想を朝晩お勧めします。

そして「智慧」です。先人に学び、宇宙の真理、人生の悟りの境地に至るのです。この智慧に到達した経営者こそ稲盛和夫氏であり、また多くの方がおられます。六波羅蜜という仏教の奥義を書きましたがキリスト教でも同様のことを言っているのです。運命は変えられるのです。もし今、逆境に立たされていたら、六波羅蜜を実践してみませんか。まずは生きているうちに智慧にいたる「行」をしようではありませんか。このことは仕事でも家庭でも活かされる考え方なのです。そして来世にいくときに、やり遂げたと思いながら行きたいし、神や仏にお会いしたときに善きことをしてきましたねと褒めてもらいたいと思いませんか。

財団法人仏教伝道協会より、わかりやすい「仏教聖典」がわずか500円にて、でていますので個人でも会社でもご購入して毎日読んで下さい。











2012年10月31日水曜日

稲盛哲学とアメーバ経営Ⅱ

 おはようございます。
日本の産業を支えてきた中小企業の皆さんこそ、この変化の著しい時代を生き抜いて、国に活力を与えてほしいと節に思っています。まずは基本的に農業のみならず、地産地消であるべきだと思います。決して安易ではないと思いますが、容易に海外進出を考えるのはいかがなものかなと思ています。日本国内・地域の供給と需要をしっかりと安定させ、国際的な都市間競争力をつけるためにも道州制を導入し、地方分権し、活性化することと思います。

石原都知事が、第三極を作るにあたって、増税や原子力の問題という政策は、些細のことと言ったのは、政策は時代の変化に応じて、協議し決めていかなければならないが、国家といういうものは、国の大要があり、理念があり、それは思想によって裏打ちされてなければいくら政策が一致しても、国家は成り立たない。たとえば今の中国は、毛沢東の共産主義思想によって国家をなしています。いくら資本主義的政策を取り入れようが、国家理念は共産主義であることを進出した企業経営者は痛切にしらなければなりません。

国と同様に、企業はいわゆる経営戦略・戦術のまえに、どのような経営理念の旗を掲げているのかが重要なのです。経営理念こそ、国の憲法であるのです。この経営理念は、経営者の考え方、哲学、思想から明文化しているのです。

ですので、稲盛和夫氏の哲学を学ばなければ、次世代の会社作りはできないと思っています。なぜなら稲盛氏は充分すぎるほど実績を作ってきているからです。学ぶにあたって、皆さん一人ひとりが「稲盛和夫の哲学」(PHP)を読んで、熟考していただきたく思っています。

この本のまえがきで、「人生に対する考え方により、人生の結果が大きく変わることを私たちは理解しなくてはなりません。苦労を厭い、人生をおもしろおかしく過ごそうとした人や、世をすね、不平不満をもち、一生を過ごした人と、高い目標をもち、それに向かって明るく前向きに一生懸命努力を重ねてきた人の人生のあいだには、大きな差が生じてしまうのです。どのような考え方をもって人生を歩もうと自由なのですが、その考え方によって人生の様相がまったく異なったものになってしまう。つまり「素晴らしい人生を送る」にはそれにふさわしい考え方があり、それはどのような
ものかということを、私たちは知る必要があると思うのです。」と述べています。

人生を会社に置き換えると会社もそのようになっています。稲盛氏は一貫して善きことを思えば、善きことが起こり、悪しきことをおもえば悪しきことが起こると言っています。これは、誰しも知っているお釈迦様の教えであり、いわゆる因果応報、原因と結果の法則です。考え方という原因が間違っていると、結果は失敗という文字になってしまいます。成功する考え方のみが成功という果実を実らせるのです。これが宇宙の法則であり、お釈迦様やイエス様はこの宇宙の法則を悟った人なのです。

稲盛氏の積極的な考え方の根底には、宇宙は積極的な意思で持って作られ、理路整然と動いているし、この世の森羅万象はあるべくして作られているというお釈迦様やイエス様の智慧から来ていると思います。ですから万物の霊長と言われる人間は、宇宙の進化・発展に寄与するように生命をいただいているのです。ひとりひとりも、父と母を通して尊い「いのち」を授かり、その一生を宇宙と地球のために捧げる生き方と思います。

我という個人は、おおやけのものであり、人間は一人では決して生きられません。ひとりから夫婦となり子供ができ、家庭という最小単位の組織が出来上がります。ここで親としての考え方が正しく、積極的でないと子供に教育などできるはずがありません。

そして地域社会があり、そこで生産や商行為をして生計をたてるための会社ができてくるのです。稲盛氏が企業経営の前提で、「動機善なりや私心なかりしか」と厳しく言っているのは、動機が善なものでなければ成功しない宇宙の法則を知っているからこそ、次世代の経営者に、私心という欲望からでたものは失敗するよと言っているのです。すべては世のため、人のためになるという利他行でなければ結局は成功しないのです。金儲けから出たものは金儲けで終わる。

私は「動機善なりや私心なかりしか」に「志(こころざし)ありや」を付け加えています。









2012年10月30日火曜日

稲盛哲学とアメーバ経営Ⅰ

 おはようございます。
巷では、石原慎太郎さんが東京都知事を辞任し、国政での第3極を作り、国家運営の弊害になっている中央集権的官僚支配を打破するという話が飛び交っています。行く末はともかくとして、時代はいつでも諸行無常で、変化こそが進歩への助走であることは周知のとおりです。

今石原慎太郎さんたちが言われていることを、20年前から言っていた経営者がいました。その方は、京セラの創業者であり、全国の経営者5000人余の塾生を擁している盛和塾塾長の稲盛和夫氏です。ニュースを見ていて、14年前に読んだ稲盛和夫氏の「日本への直言」(PHP)を思い出し、今こそ、第2電電の設立や日本航空の再建を成し遂げた稲盛氏について、その哲学と経営のあり方について一人でも多くの方に語らなければならないと思いました。

経営者あるいはビジネスマンの全員が業績を上げ、社会に貢献したいと思っているからこそ、稲盛氏の考え方、生き方そして経営(仕事)や働き方を吸収して、会社を盛り上げたいと日夜頑張っている方が数千万いると思われます。それに引き換え、この国の役人や電力会社に代表される独占企業の経営者は、国民の苦しみの上にあぐらをかいているとしか思えない現状です。

稲盛氏が京セラの創業して、世界的企業にしていくいきさつについては、「ガキの自叙伝」や「敬天愛人」などを読んでいただきたいと思います。また哲学や経営についての書物も多数出版されていますので、経営に携わる方はほとんどを読むべきだと思います。

稲盛氏は、臨済宗妙心寺派という禅宗のお寺で得度されています。得度というのは、仏教の始祖であるお釈迦様の教えを受け入れ、その教えを守り生きることです。並大抵の決意ではできないと思います。しかし稲盛氏は、京セラを創業した20代後半の頃から、宗教書や哲学書を枕元において、読みながら寝込んだそうです。読まなければ生きていけないくらい、人生とは経営とは、そして従業員のことを真剣に考えていたからです。

稲盛哲学の根幹となるものは、仏教ですが、稲盛氏は、キリスト教やジェームズアレンそして中国の儒学などにも精通して、その哲学・思想は世界を救う、地球市民としての考え方を持っているのです。この哲学を経営の原点12ヶ条や京セラフィロソフィに具体的に提示しているのですが、経営手法はアメーバ経営という最少単位でのバランスシートに基づいた生産性をあげていく方法なのです。

つまり経営は、四輪駆動の自動車のように、経営理念(哲学・思想)という前輪と、経営手法であるアメーバ経営という後輪が同時に動かなければ成功しません。経営学者がどんなことを言おうと実践し、成果を出さない限り、絵に描いた餅であり、経営に失敗すると何百、何千、何万人という人達を不幸にするのです。

石原慎太郎さんが今の政府には、バランスシートがないと言われ、東京都では就任当時からバランスシートを取り入れて、東京都の財政の改善に努めたそうです。家庭も会社も国も同じで、バランスシートのないものは滅亡します。日本株式会社が稲盛哲学とアメーバ経営を取り入れる時が来ています。(東大出の官僚のみなさん、ぜひ稲盛氏の書籍を読んで下さいね。)下記の写真は今年、東京国際仏教塾に行ったときに、東大の赤門前で撮った小生の写真です。


次回は、稲盛哲学の神髄について迫りたいと思います。



2012年10月29日月曜日

礼儀作法の基本である挨拶


 おはようございます。10月もあと3日で、11月になりますね。九州も朝晩がすっかり寒くなってきました。今朝は霧が深く、いよいよ晩秋を迎え、日田市では天領まつり・千年あかりが開催されます。また菊池寛氏の「恩讐の彼方に」のモデルになった耶馬渓が紅葉のピークとなります。特に深耶馬渓をおすすめします。日田市や耶馬渓では7月の北部九州災害で甚大な被害を蒙り、復興へ向けて住民の皆さんも頑張っていますので、大自然や祭りが癒してくださることは感謝なことです。

ところで、昨日、天皇皇后両陛下をお迎えしての、第146回天皇賞レースがありました。近代競馬150周年事業の一環であり、東日本大震災の被災地復興を願って東日本伝統馬事芸能として福島県の「相馬野馬追」が披露されました。

優勝したのは、エインシンフラッシュで、騎手はイタリア人のデムーロさんです。彼はレース直後、馬をおり、膝まづいて、両陛下に深々とお辞儀をしたのです。皆さんも見たでしょう。このような紳士的行為は日ごろから身についていないとなかなかできません。今の日本人が失くしている礼儀作法だと感心しました。

禅道場へ行きますと、堂内での歩き方から座り方、食事の作り方、食事のとり方など厳しく教授を受けます、道元さんは、典座教訓赴粥飯法で禅における礼儀作法をことこまかに書き表しています。それは日常の行為そのものが禅の修行であるからです。この禅から、茶道、華道、剣道といわれる「道」が確立したのです。

戦後65年以上経ち、日本人いや人間がもたなければいけない礼儀作法が失われ、いじめなどに現れているように人の痛みを感じないほど、子供たちのこころも疲弊しています。こころを育てるのも、しっかりと朝から家庭のなかで「おはようございます」とあいさつすることではないでしょうか。

欧米や中近東そして東南アジアでもキリスト教やイスラム教そして仏教への信仰がありますので、決まった日時に教会や寺院に集まり、神仏に礼拝し、お祈りを捧げるのです。このような国や地域社会ではあいさつなどが身についています。

日本人こそもっとも礼儀や作法を重んじる国民ですから、まずは家庭や会社の中から、「おはようございます」「ただいま」「おやすみなさい」などとあいさつをする習慣を呼び戻さなければ、人間が疎外されたヒトになってしまいます。仕事柄、いろんな会社にお伺いしますが、社員のみなさん、「いらっしゃいませ」「ありがとうございました」などと挨拶をし一礼ができている会社は、業績が伸びているし、景気に左右されていません。

お近くの神社仏閣へ、子供さんやお孫さんと一緒に行って、神仏に向かって手を合わせお辞儀をし拝むことを自らがすることが大事です。一年に一回、正月元旦のみ、わずかなお賽銭をあげて自分の願いごとをするのではなく、少なくとも月に一回ぐらいはお墓参りなど行ってはどうでしょうか。
伸びている会社の社長さんたちは毎日お仏壇や神棚に手を合わせ拝んでいる方が多いのです。宗教心や信仰心とは素朴なものなのです。理屈ではありません。

まずは「あいさつ」を、ご自分から、そしてご家族から始めようではありませんか。

2012年10月26日金曜日

主の教え


 午後3時ごろ、秋空を見上げると、大きな鳥が、羽いっぱいに広げ、旋回していました。トンビかと思いましたが、広げた羽は1m以上ありそうで、鷹か鷲だと思われました。どんどん大きく自由に旋回し、上昇していきました。そして西の太陽に向かって真っすぐに進んでいったのです。

よく世間では、UFOを見たとか、わけのわからないことをいう人たちがいますが、それが事実なら、世界の天文台はとっくの昔に、なんども発見しているはずです。そんな戯言より、この地球上で、大空を自由に羽ばたくことができる鳥という生き物がいることに感動しなければ真理を覚ることはできないでしょう。森羅万象がすべて真理の姿なのです。

この大空を飛ぶ鷲のように、わたしたちも人生を楽しく、のびのびと生きていけるのです。松原泰道老師が、「きょうの杖言葉」(海竜社)のなかに、聖書マタイ伝13・12のイエスキリストがおおぜいの群衆に語った言葉について書いていました。

イエスが群衆にたとえで話すので、弟子が聞くと、「あなたがたは、天の奥義を知ることを許されているが、彼らには許されていません。というのは、持っている者はさらに与えられて豊かになり、持たないものは持っているものまで取り上げられてしまうからです。」

松原泰道老師は、「徳ある者には徳が加わり、信仰あるものには信仰が加わる。しかしそれらをもたぬものは自分から失くしてゆく真実を示唆するのです。」と書いています。現代はすべての人に天の奥義を知ることは許されていますが、このマタイ伝の前後の箇所で、現代の私たちに、種まきの喩をキリストは語っているのです。

持っている者はさらに豊かになるとは、「よい地に蒔かれるとは、みことばを聞いてそれを悟る人のことで、その人はほんとうに実を結び、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結びます。」ということです。

神学者も仏教者も、この箇所を宗教的な、精神的な説明をされる方が多いのですが、現実の世界のことであり、生活の領域にわたって、このことが真実として存在しているのです。持たない国民は持っているものまで取り上げられる税金(増税と使い道を監視しなければならない)や高い金利。

今の日本人は本当に贅沢な暮らしをし、お金がなければお金をローンで借りる。身分不相応なブランド品を高い金利のローンで買う。美食と言って食い漁る。そのローンの支払いのために働くが、エアコンをつけっぱなし、電気は使い放題で、多額な電気料金を支払う。家計はますます苦しくなる。挙句の果てに犯罪に手を染めるものもいる。目を覚ませ。

日頃から聖書や仏典を読んで、主の教えを悟る人は、決して身分不相応な生活はしません。食事は簡素です。禅道場で精進料理を食べましたが、毎日このような食事をすれば健康で長生きできます。着るものも質素で、身の回りに、無駄なものは持ちません。いつも努力し、寸暇をおしんで勉強している。(そのような人こそ、たまにはご褒美で豪華な食事をすればよい。)

大空を自由に飛ぶことは、つまらぬ見栄や執着をなくすことです。持たないものは、我慢し辛抱しなければなりませんが、同時に一生懸命働いて、少しづつ貯金すると持てるものになることができるのです。本多静六老師は、貧乏のどん底から、四分の一貯金を25歳から実践し、億万長者になったのです。

仏陀やキリストの教えは、生ける私たちに、現実的にも真の豊かさへと導いてくれるのです。

















2012年10月25日木曜日

湯布院にて


昨日は、大分県日田市を出発し、九重町の九酔渓を回り、夢大橋で一息ついて、飯田高原のタデ原湿原にはいり、九重連山の紅葉のパノラマをみました。(この辺りは、阿蘇くじゅう国立公園です。)絶景!絶景!絶景!まさに無限なる大自然の産物です。


長者原にて食事をし、湯布院に向かった。山荘無量塔の藤林さんのご家族に久しぶりに会いに行きました。以前、山荘無量塔のラウンジで、コーヒーを飲みながら、本多静六氏の本で読んでいたら、マスターの藤林晃司氏が、「別府さん、なんで本多先生を知っているの」と聞くので、「あんたこそなんで知っているの」と聞き返すと、湯布院の若手の経営者で、本多静六氏の勉強会をしているとのことでした。

本多静六氏は、日本で初めて林業学を確立し、明治神宮の庭園修復事業や全国の森林殖産事業に尽力した人であります。湯布院も町おこしの第一歩を先生から指導をうけ、森との共生の町づくりが出発したのであります。本多先生は、偉大な学者でありながら、巨億の富を築いた哲人であります。著書に「私の生活流儀」などの3部作が実業之日本社から出版されているので、ぜひ読んでいただきたいと思います。(生涯で370冊余りの著作をのこしました。)

湯布院でのことを思い出しながら、もし本多静六先生と実際お会いたらこう質問してみたいと思い、夢をみました。

静六老師、人生成功の鍵は何でしょうか(先生の風貌は、本に写真が載っていますが、まさに老師なのです。)

「それはの~、わしがドイツに留学していたときに、聖書を読んだんじゃ」

「その聖書の詩篇の最初に次のように書いていた。

幸いなことよ。
悪者のはかりごとに歩まず、
罪人の道に立たず、
あざける者の座につかなかった、その人。
まことに、その人は主のおしえを喜びとし、
昼も夜もそのおしえを口ずさむ。
その人は、
水路のそばに植わった木のようだ。
時が来ると実がなり、その葉は枯れない。
その人は、何をしても栄える。

とな~。」

老師、主のおしえとは、何でしょうか

「主のおしえとは、古代からのキリストや仏陀のおしえじゃ」

静六老師が、まるで仏陀の生まれかわりように見えてきた。

そして夢は覚めましたが、この話はわたしには現実なのであります。  別府武志



2012年10月24日水曜日

座禅・瞑想について



おはようございます。
昨日ご紹介した「丸の内はんにゃ会」は、全員女性(たぶんOLのみなさん)ですよ。毎週座禅会があっているようです。九州の知人より座禅・瞑想をどうすればいいのですかとの質問がありましたので、わかりやすい本として中野東禅先生の「心が大きくなる座禅のすすめ」(三笠書房・知的生き方文庫)を皆様にもおすすめします。

各地の禅宗系のお寺にて、日曜座禅会などが開催されていますので、ぜひご参加してみてください。座禅会で座禅の仕方(上記の本を読めばできます。)を学んだなら、毎朝、顔を洗うがごとく、歯を磨くがごとく、わずかな時間でも、習い性にしてほしいと思います。

私は、朝5時半からと夜寝る前に、20~30分ほど座禅します。まずお香(普通のお線香でも充分。毎日香などハーフサイズがあります。)を焚きます。お香は部屋の空気を清浄にしてくれます。おりんを右前におきます。おりんは意識を集中するために使います。自分を意識するために数息観をします。(「ひと~つ、ふた~つ、・・・とう」までを息を吐き出しながら、三回します。)まずはこころを静めるのです。

目をつぶると眠るので、半眼といって、半分開けた状態で、一点に集中します。ときどきキャンドルを使いますが、穴井 優さんとキムさんが作ったSCANDLEです。九州の八女茶を使ったもので、アロマになっています。(HPwww.we-candle.com) 目を集中する、耳を集中するのは、一念一想になることで、湧き上がる雑念、妄念を消すためです。

ヒトは、呼吸をし、水を飲み、食事をし、排泄し、生きているようですが、それは動物が自然にしていることで、人間には座禅し瞑想するように作られているのです。そのことを覚ったのが仏陀であり、キリストなのです。欧米では、クリスチャンの方の数百万人が座禅を取り入れています。そうすることで仏性・霊性を高めていくのです。

中村天風氏は、座禅をして、地の声(鳥の鳴き声、風の通る音など大自然の音)をまず聴きなさい、そして天の声を聴きなさいと言っています。天風先生から学んだ稲盛和夫氏などの多くの経営者やビジネスマンが毎日しているのです。天の声は、あなたの潜在意識の奥深くから聴くことができるようになります。これこそが正常な判断力を養ってくれるのです。

最後に、座禅・瞑想のあとで、お祈りを捧げます。それぞれの宗派の要領でされればよいと思います。ご自分のためだけでなく、他人のためにとりなしの祈りを捧げることが大切です。

東京国際仏教塾 塾生別府武志より







2012年10月23日火曜日

ビジネスマンに求めれている能力について



これまで「こころ」について語ってきましたが、今日は、ビジネスマンに求められる「能力」について書いてみました。
団塊の世代のみならず世代を超えて知られている歌がありますが、そのなかで岩崎宏美さんのヒット曲「聖母(マドンナ)たちのララバイ」の歌詞をなぜか思い出しました。

「さあ眠りなさい 疲れ切った体を投げ出して
青いそのまぶたを 唇でそっとふさぎましょう

さあできるのなら 生まれ変わり
あなたの母になって、私のいのちさえ
差し出して あなたを守りたいのです。

この都会(まち)は戦場だから
男はみんな 傷(きず)を負った戦士

どうぞ 心の痛みをぬぐって
小さな子供の昔に帰って 熱い胸に甘えて」 山川啓介作詞

現代社会は、傷を負った戦士は男性のみならず、女性も多いのかもしれません。「丸の内はんにゃ会」(会員数約600名、般若心経の写経や座禅などをしている。)というのがあって、今、仏教女子がブームだそうです。曹洞宗の若手の僧侶達が中心になって、朝活禅などがホテルなどで早朝から行われ、ビジネスマンが多数参加しているとのことです。

傷を負った戦士が、心身をリフレッシュできる場がここにあるのかもしれません。ビジネスは、ヒト、モノ、カネ、情報を駆使し、社会の発展と繁栄のための商行為ですが、その行為をやり続けるヒトであるビジネスマン・ウーマンにとっての必要な能力について、

童門冬二氏が「将の器 参謀の器」(青春文庫)で、時代が問うているのは「トップリーダー(将)とブレーン(参謀)の能力だ。二つの時代(戦国時代と幕末時代)が複合するいま、だれもがもつべき要件は、・先見力 ・情報力 ・判断力 ・決断力 ・行動力 ・体力の六つだ。そしてこの六要素をムダなく発揮するには、・グローバルなもののみかた ・ローカルに生きる というグローカリゼイションが必要だ。」と書いています。

これほど、情報を容易に手にできる時代は、かってありません。新聞やテレビなどのマスメディアのみならずインターネットなど駆使すれば世界中から、どの地方のあらゆる情報を詳細につかむことができる情報力を持っています。必要とする情報を探し、よく聴き、よく見て、人々は何を求め、時代はどのような方向に向かっているかを見る先見力こそがビジネスチャンスにつながるのです。

自分の目標や解決のためにその情報や知識が本当に必要なものかを的確に判断する能力、そしてその情報を選択し、取り入れ、活用しようと、強い意思で決定する決断力は成果を大きく左右します。そして目標達成のために果敢に実行する行動力。その行動を支えているのが、何があっても動じない安定したこころとエネルギッシュな強靭な体力であります。

あなたが、どこに住もうと、無限のビジネスチャンスがあり、あなたのビジネスがあなたと地域社会そして国と世界に大きな豊かさをもたらしてくれるのです。皆さんのご活躍を祈りつつ。           別府武志より

 


2012年10月22日月曜日

地球といういのちについて

週末を利用して、熊本の友人と会うために、大分県九重の飯田高原長者原に行った。登山口から見る三俣山の紅葉は、山の木々がつくりだしたこの世界のすべての色がちりばめられ、絶妙のコントラストとバランスで、世界のどの名画もかなうものではないと、時間を忘れ、呆然とたちすくみ、眺めることができました。

この日、私が通っている東京国際仏教塾の同期の塾生である熊本の山口氏とお会いし、キャンピングカーの中で、「仏教とは、信仰とは」と語りあいました。夜中に外に出て、空を見上げると、満天の星空で、天空にすきまもなく星たちがちりばめられていて、まさに地球上の私が、宇宙と一体となった瞬間でした。

九重の長者原にて、昼間は山々の紅葉の息吹を感じ、夜は静寂の中で、天空の星空を見ると、宇宙は生きていて、地球は生きている実感をあじあうことができました。仏教の中に、ご浄土(極楽あるいは天国)という見たこともない世界に行けることを語られていますが、実はこの世、今生きている地球上にこそ、ご浄土があり、天国があると言えます。地獄もまたこの世にあるのです。私たち地球上の生物すべてが、この現実のなかに、天国も地獄もあることを気づかずに生きているのです。

今朝、YOUTUBEで、NASAが地球が奏でる音を発表していましたので、聴きましたが、まさに生きている地球の声であり、おはようと言っているようにもあり、もの悲しくもあり、透き通って、宇宙に静かに響きわたるいのちの声でした。私たちは地球という生きてものに上に住まわせていただいていることを忘れてはなりません。地球は人間の所有物ではないのです

5時半に起床し、座禅をすると内なる私は静寂に浸り、いのちに感謝するのです。少しづつ自然の音が聴こえてき、周りがだんだん明らむ頃、人々の歩く音、飯ごうを準備する音が聞こえてきます。
そして、三俣山の山頂にのぼった太陽は、まさに神々しく、見ることができないほど眩しく燦然とした輝きを放ってきました。まさにいのちの放射です。太陽の光りと熱こそが、地球と私たち生物にいのちを与えてくれるのです。宇宙と地球上のいのちへの感謝こそ、信仰ではないでしょうか。生きとし生けるものすべてに感謝を捧げます。   別府武志より