2013年7月31日水曜日

「空海の風景」を読むⅡ

 おはようございます。
司馬遼太郎さんの作品の魅力は、その場面の光景や人物像を読んでいて、読者が想像できるところではないでしょうか。空海の生れた讃岐の地をどのように表現しているのでしょうか。

「 空海がいまれたのは、善通寺からはずっと海岸のほうの、いま海岸寺といわれる寺の所在地がそうだともいわれているが、出産のとき海浜に産屋でも設けられたのがそういう伝承になったのかもしれない。
 空海の誕生の地は、いまの善通寺の境内である。
善通寺には五岳山という山号がある。そのまわりに五つの山が茸のようにそれぞれ峰をつき立ててちょうど屏風をたてめぐらしたような景状をなしているためにその名がある。いまの地理的に風景ではうそのようだが、空海のころは海がいまの善通寺のあたりまできており、その五つの山のじかに入り江にのぞんでいた。そのかたちをとって、このあたりは屏風ヶ浦とよばれたらしい。空海はその屏風ヶ浦でうまれた。瀬戸内海をゆく白帆も、館の前の砂浜からみた。
 摂津の難波ノ津を発した丹塗りの遣唐使船が内海を西へ奔走してゆく姿も、おおぜいの里人とともに浜に立って見たであろう。しかも重大なことに、空海の幼少期に一度この華やかな船団が屏風ヶ浦の沖を通りすぎているのである。かれが数えて四歳のときで、・・・・・。」ー「空海の風景(上)」よりー

風景が浮かんできますよね。父佐伯善道、母玉依姫の三男として774年6月15日に生を受けたのです。(密教八祖の一人である不空の入滅日にあたる。)玉依姫の愛を一身に受け、温暖な、海と山に囲まれた風光明媚なところで、のびのび育てられたと思います。しかし、兄二人は幼くしてなくしているので、その場にいたのか、母から聞いたかは定かでありませんが、生命のはかなさも感じたことでしょう。名を真魚と名付けれて、すくすく育ち、読み書きののみ込みが早く、利発であったため、両親から「貴物」と呼ばれ、慈愛の限りを尽くされ、大切に育てられたのです。

讃岐の地にもこのような山河があったのでしょう。  
 
数々の伝説がありますが、司馬遼太郎さんは「空海の風景」のなかでは書いていないので、意味があるのでしょう。15歳までこの讃岐の地でのびのび、学び、遊び、過ごしてきたのですが、ただ、いわゆる信仰心は幼少のころからあったそうです。私は、母である玉依姫が教えたと思います。母は空海が高野山に金剛峰寺を開創したおり、出家を願うのですが、女人禁制の地であるため、空海は母のために麓に庵をつくり、母に会いに行ったそうです。母と子の愛は今も昔も変わりませんね。

15歳になると、都にでて、母方の叔父にあたる阿刀大足(伊予親王の侍講、当代きっての学者)のもとで、論語などの儒教の手ほどきをうけ、18歳で当時ひとつしかない大学の明経科に入学するのであります。明経科は、今でいう法学部ですね。

どれくらい勉強したのでしょうか。空海の24歳の著作「三教指帰」に、「雪の明かりや蛍の光で書物読んだ古人の努力を思い、まだ怠っている自分を鞭打ち」学問に励んだと書いています。ところが、将来を約束されている身でありながら、退学するのである。

空海は悩んだと思う、今の人でいえば高校生から大学生の多感な時期であり、今の学生みたいに遊びほうけているものではないからです。かれは儒学を学べば、学ぶほどそれが人を救うことができるのかと悩んだであろうし、当時の都には、仏教や道教など唐から最先端の哲学や思想が入ってはいたのです。たぶんいろんな人にもであったのでしょう。愛する両親の期待を裏切ってまで、大学をやめるべきか悩み、迷ったと思います。
東京大学の赤門
 
ところで東大がすばらしいとは全然おもいませんが、東大にはいる人のIQはどのくらいと思いますか。ただ普通のIQではとても通らないのです。普通の人が問題を解くのに1時間かかるとすると10分くらいで解いていくのです。おそらく空海は、高いIQと人一番努力する青年だったと思います。

「空海の風景」には、司馬さん流に少年時代を描いていますのでぜひ読んでください。さて明日のブログは大学を中退した真魚が空海になっていく青年時代に何をしたのかを書きたいと思います。

参考図書
「空海の風景」 司馬遼太郎著 中公文庫
「空海入門」 加藤精一著 角川文庫
「図解雑学 空海」 頼富本宏監修 ナツメ社
「空海の本」 「真言密教の本」 学研



2013年7月30日火曜日

「空海の風景」を読むⅠ

 おはようございます。
ビジネスマン時代、現在、盛和塾を主宰している稲盛和夫塾長の書籍を読むにつれ、仏教哲学を知らなければ経営はできないな(経営者になれないな)と思いつつ、稲盛和夫氏の本をほとんど読み漁り、次に松原泰道先生の「般若心教入門」を読みました。そして五木寛之氏の「他力」に始まり、津本陽氏の「無量の光」、野間宏氏の「親鸞」を読み、立松和平氏の「道元禅師」そして司馬遼太郎氏の「空海の風景」を読んだのが5年ほど前のころです。

日本作家とほとんどが、死ぬまでには、この仏教という門をくぐらなければならない宿命を負っているし、日本人のほとんどが、神仏習合であるが、仏教をこころの拠り所にしているので、自分の信仰を確かめなければなりません。

定年退職をし、高野山大学大学院か、東京国際仏教塾か、どちらに行くか迷いましたが、真言宗のまえに総合的に仏教を学ぶべきだと思い、東京国際仏教塾を選びました。仏教塾も基本コースが終わると、専修コースになり、宗派を選ばなければならないのですが、なぜか真言宗でなく、曹洞宗を選んだのです。

候補に上ったのが、親鸞さんの浄土真宗、空海さんの真言宗、道元さんの曹洞宗でしたが、曹洞宗を選らんのは、仏教の基本は、釈尊であり、座禅にあると思ったからと、教授が中野東禅先生でしたので、曹洞宗コースを選びました。そのときに必要な師を神仏は与えてくれるものだと思います。
四国88ヶ所巡りお遍路さん、空海さんと同行二人

日本仏教には、聖徳太子に始まり、多くの名僧が輩出していますが、どうしても頭から離れられない人物が空海さんであり、親鸞さんであり、道元さんですね。先日、書店で「もうひとつの空海の風景」(篠原令著)に出会い、以前読んだ司馬遼太郎さんの「空海の風景」を読み返しながら、空海さんと真言密教を考えてみたいなと思い、時間のかけながら、『「空海の風景」を読む』を書いてみようと思った次第です。

また、合理主義者と自称した司馬遼太郎さんがなぜ、その対極にある密教、空海さんに迫ろうとしたのか、書いたのか、これが面白いと思ったわけです。それは、頭のよい人ほど、宗教を科学的でないと否定するが、その心の奥底では魂は飢え渇いているのです。

司馬遼太郎さんにとって、「空海」がそこにいたのです。さて今日は序文として「空海の風景」を読みながら自分の空海さんにたどりつきたいものです。皆さんも「空海の風景」(中公文庫)を読んでみてください。ある意味で、司馬さんの風景の描写は素晴らしいですよね。

例えば、人間は努力すれば何々になると言いますが、いわゆる職業や俗世における成功者になっても、努力したから、キリストや釈尊、そして空海や親鸞や道元にはならないのです。それは生を受ける前から使命をおびて生れてきていると思うからです。明日は空海さんはどのようにして生れてきたのかを書きます。乞うご期待。



2013年7月29日月曜日

黒田如水「水五則」にまなぶⅥ-いままでに経験したことのない大雨ー

 おはようございます。
一昨日来、山口県、島根県など中国・山陰地方を襲った豪雨は、特別警報がだされ、「いままでに経験したことのないような大雨」と表現された。私がWWF(世界約100ヶ国で活動している環境保全団体)に入会する頃、10年前から世界は地球温暖化に伴う異常気象により、世界各地に大洪水や干ばつが起きることを警告してきました。

昨日のTVニュースの山口・島根県の被災地をみていると、昨年日田市を襲った北部九州大水害を思い出されたと思います。能天気なTVキャスターが千年に一度の豪雨とか言っていますが、まったく認識していないと思います。千年に一度ではなく、もう毎年起きるのです。

もう日本国中、いつでも、どこでも一時間に100ミリ以上の雨がふる気象になっていることを、もっと周知徹底し、緊急避難や災害対策そして世界的な温暖化対策を講じて行かないと、犠牲者がでたり、多額な復旧・復興費用が生じ、国民に重くのしかかってくるのです。


黒田如水「水五則」の第五則は、「洋々として大海をみたし、発しては霧となり、雨雪と変じ、霰と化す。凍っては、玲瓏たる鏡となり、しかも、その性を失わざるは、水なり。」です。

山々の谷川は湧水から清らかな水が流れ、いのちを育くんでくれます。あるときは霧となり、あるときは雪をなり、私たちに自然界の神秘を伝えてくれます。詩人は詩を書き、歌人は歌を詠みました。その美しさのみならず、ときには、私たちのいのちも、持てるものすべてを押し流してしまうのです。

人生訓としてみるならば、時代の変化とともに、水の如く変幻自在に対応できる柔軟性を持たねばならないし、水のように本質は決して変わらないものを持っているということでしょうか。この世は諸行無常であるが、悉有仏性であると釈尊は説き、黒田如水も決して変わらないものを信じ、持っていたのです。戦国の世に対応したのです。

地球の生命は、すべて水によってはぐくまれています。山や森を育み、鳥や動物、魚そして私たち人間、さらに川から海へと水は循環し、いのちを育てているのです。この機会に、戦国時代の武将黒田官兵衛=孝高=如水が、自然界の水から学び、時代を生き抜いたことにスポットを当てながら、その人生訓「水五則」を活かし、現代の困難な問題に立ち向かわなければなりません。


25日、26日大分県日田市で、第三回九州県際サミットinひた・第七回地域間交流懇談会in大分が開催されました。林芳正農林水産大臣のこれからの林業の在り方の講演や、宮崎県の吉田産業(資)の吉田利夫社長や大分市の池見林産工業㈱の久津輪光一社長の製品づくりを聴き、さらに㈱西粟倉・森の学校の牧大介社長のお話を聴いて、林業の六次化も可能だし、この豊かな林業資源をいのちを守るために活かしていければとつくづく思いました。牧大介氏の関係する㈱アミタ(京都府)という会社の事業活動はまさに利他行を実践している会社で参考になりました。

「まだ立たぬ 波の音をばたたえたる 水にあるよと 心にて聞け」-沢庵禅師ー
「衆生本来仏なり 水と氷の如くにて 水を離れて氷なく 衆生の外に仏なし」-白隠禅師ー

参考図書:「人徳の研究ー「水五則」に学ぶ人間の在り方ー」著松原泰道(祥伝社)


2013年7月26日金曜日

黒田如水「水五則」にまなぶⅤー器量ー

 おはようごいます。
昨日は、大分県日田市で第三回九州県際サミットinひたがあり、林芳正農林水産大臣の基調講演「明日の九州を林業から考える」とパネルディスカッションが二部ありましたが、林大臣がPPTにまとめてわかりやすく講演したので、彼の誠実さがでていました。上に立つ者も、このような謙虚さが必要です。パネラーが17名出席したのですが、企業のトップと、各市長さん達が11名いましたが、それぞぞれに個性がありました。


林業も六次産業にどのように育てて行くか、観光は言葉には出なかったが、まさにロングトレイルで、滞在型でその地域の自然と歴史文化を提案できるものが、県境を越えてそれぞれが連携していく必要性を話していました。私が提言してきたことが間違いないことを確信しました。

さて、黒田如水の「水五訓」の第四則は、「みずから潔うして他の汚濁を洗い、清濁あわせいるる量は、水なり。」です。

人間は、だれしも良いところとわるいところや、プラス面とマイナス面、長所や欠点、強い点と弱点などと表現されますが、清濁をあわせもっているわけですが、清流に行くと水は澄みきっています。長い年月をかけて湧水が出てくるように、身を潔めなければなりません。それが修行です。


でも上司は部下が清濁をもっていても、それを受けいれて、使いこなしていく器量をもてと言っているのです。人それぞれいろんな性格の人がいますが、これを木に例えてお話された法隆寺再建の棟梁であった西岡常一さんの口伝をご紹介します。

「塔組みは、木組み
木組みは、木のくせ組み
木のくせ組は、人組み
人組みは、人の心組み
人の心組みは、棟梁の工人への思いやり
工人の非を責めず 己の不徳を思え」 
                        (西岡常一・小原二郎「法隆寺を支えた木」NHKブックス)

上に立つもの、リーダーと言われる人たち、指導者などすべて西岡さんの言葉を噛みしめれば自ずと何をすべきかが見えてきます。結局、器量が大きくないと人はよって来ないし、ついていかない、器量を大きくするには、自ら修行し、努力するべきだと思いますが皆さんはどうですか。

黒田如水「水五則」第四則「みずから潔うして他の汚濁を洗い、清濁あわせいるる量は、水なり。」です。じっくりあじあってください。よい週末をお過ごしください。来週またお会いしましょう。








2013年7月25日木曜日

黒田如水「水五則」にまなぶⅣ-逆境ー

 おはようございます。
「水五則」の第三則は、「障害にあっても、激しくその勢力を百倍にし得るは、水なり。」です。この言葉を聞くと、昨年の北部九州大水害を思い出し、トラウマになっているかなと思っています。大分県日田市では夜半から降り出した雨が、滝のように長時間降り続き、朝方花月川が堤防を越え、私も母と姉を実家に残していますので向いましたが、茶色に濁った激流を見ると恐ろしくなりました。

2年前に、近畿地方を襲った洪水が、日本国中どこでも起きるよと友人に話したばかりでしたので、いざ自分がその局面にたたされ、被災者になると恐怖と不安におののくのです。洪水の発生は、前々から、温暖化による異常気象がもたらしているものなのです。


一昨日、東京都内でも一時間100ミリの豪雨となりましたが、地下などへの安全対策を早く講じていないと、都民の生命にかかわることだと思います。TVを見ていて思うのですが、人のいい顔をした天気予報士のおじさんたちが、ニコニコ笑いながら予報していますが、本当にこの人達は恐ろしさをわかっているのかな、この人達を信用していのちを守れるかなと思うのは私だけでしょうか。

東日本大震災と大津波、福島原発事故、北部九州大水害、今も各地につづく自然災害を見るにつけ、大自然に畏敬の念を送ると同時に、私は、神仏に毎日、亡くなった方のご冥福と災難を取り去ってくださいと祈っています。結局、その場にいない人は何もわからないのです。

さて、話を「水五則」に戻すと、水はその勢力を百倍にして、根こそぎ障害物を打ちこわし、流し去っていくのです。私たちの人生には、困難がいつもあります。ましてや目標を設定して計画を実行していくとき、大きな障害が立ちはだかるのです。

この第三則は、その障害が現れたとき、100倍、1,000倍の努力して、その障害を乗り越える努力をしなければならいと言っているのです。アスリートたちをみよ!1日も欠かすことなく練習しています。

成功している会社を見よ!経営者を筆頭にして、全社員が製品づくりに、サービスに邁進しているのです。注目されている自治体を見よ!公務員根性をかなぐりすてて、日々行政に勤めているのです。

人生には、その人が乗り越えられる逆境が与えられていると思えば、どんな逆境にも耐え、努力することができるのです。

松原泰道先生は「人徳の研究ー「水五則」に学ぶ人間の在り方ー」祥伝社のなかで、
「鎌倉時代に浄土真宗を開いた親鸞は、「氷多きに水多し、障り多きに徳多し」と和讃に唱えています。「水」も「障り」も、ともに仏教徒にとって障害となる「煩悩」を指しています。氷は個体ですが、溶けると液体の水になります。したがって氷の量が多ければ多いほど、正比例して氷の溶けた水の量も多くなる道理です。・・・親鸞が煩悩と仏との徳を水になぞらえて、氷と水を例として和讃に読んでいるのも興味深いものです。」

人生は煩悩が逆境を生み出しますが、それを乗り越えるとき、人徳は身についてくるのです。だから体験しなければわからないし、絵空事では成長しないのです。

「何という  足れるすがたぞ 山も湖も はた生(お)ふる木も おのずからゆえ」 九条武子

「古人曰く、 径寸十枚、是れ国の宝に非ず。一隅を照らす、此れ則ち国の宝なり」 最澄

この歌をかみしめながら、いま与えられて困難、障害に立ち向かっていきたいと思います。明日またお会いしましょう。乞うご期待。


2013年7月24日水曜日

黒田如水「水五則」にまなぶⅢ-向上心ー

 おはようございます。
昨日、2013参議院当選者121人を見ていまして、自民党は当選者65人中7人が30代、特に佐賀県選出の山下雄平さん(33歳)で、唐津JC会員で活躍を期待したい。自民党は人材が豊富ですよね。公明党は11人中4人が30代、人を育てていますね。みんなの党は、8人中3人、共産党は8人中2人、維新は8人中1人、民主党17人中1人が30代でした。これを見ても党勢がわかります。

特に民主党は、鳩山元首相と管元首相が駄目にしてしまったかんがあります。私は政治家という激務?は、65歳までで、民間と同じように国会議員も65歳定年制にしてはどうかと思っています。いつまでも年寄りが既得権益にしがみついて、余計なことを言って、若者のやる気をそいでしまうのはいかがなものでしょうか。

週刊誌に乗っていた「老人党」など持ってのほかで、昔から年をとったら「ご隠居」と言って、わかいもんをサポートする役目だったのです。全柔連など、公的な団体においても何十年も同じ人がトップを務めていると自ずと組織は形骸化し、停滞するのです。いいかげん男らしく出処進退を明らかにするべきです。水も流れずに、止まっていると腐ってきてボーフラが湧いてくるのです。


さて、今日は黒田如水「水五則」にまなぶは、第二則の「常におのれの進路を求めてやまざるは、水なり。」です。

松原泰道先生は、「人徳の研究ー「水五則」に学ぶ人間の在り方ー」のなかで、
「江戸中期の臨済禅の白隠は、若いときから修行に励んだ高僧です。白隠は23歳の頃、修行の旅に出て、一夜播州兵庫県のある山寺に泊めてもらいます。寺の傍らを谷川が流れています。白隠は自分の修行の完成の願いをこめて、

山下に流水あり
滾々(こんこん)として止む時なし
禅心もしかくの如くんば
見性(けんしょう)あにそれ遅からんや

と詠んで、かつ誓うのです。「禅心」とはこの場合は、禅に励む心で、「見性」は心のめざめ・悟りの意味です。「この谷川が流れ続けてやむときがないように、自分も向上を願って修行に励むなら、必ずや速やかに悟りを得ることができようー」と、果たして、白隠は若くしてさとりを得るのです。」


先日、TVニュースに技能五輪国際大会で自動車部門で一位になった山田泰雄さん(トヨタ)が出ていました。最高の知識の習得と技術を磨いたものだけで勝利する素晴らしい大会でした。優勝したときの彼の涙にもらい泣きしました。技術立国日本にはこのような若者がたくさんいるのです。

40代、50代になると、マンネリが生じ、業績が悪いと景気が悪いからだといい、景気がよくなっても地方はまだ来てないとか、アベノミクスの影響はないとか、社会のせいにし、なんら新しい知識、情報をえようとしない、改善する努力も格好だけ、パラサイト(寄生虫)のように会社にしがみついている。これでは業績が伸びるはずはない。

しかし、世の中には、自然界の森羅万象から学び、自分のやるべきことや進路をしっかりと決め、誰よりも、右に出る者がいないくらい、自分の仕事の商品知識を勉強している人がいます。そして製品づくりやサービスのために、血のにじむような努力をする人達がいます。このような人が会社を、社会を、国をおおきく成長させているのです。たゆまざる向上心こそ、道を拓くことができるのです


盛和塾の稲盛和夫氏は、経営の原点12ヶ条で「誰にもまけない努力をする」と言われていますが、他人との競争ではなく、自分自身にいつも誰にも負けない努力をしてるかを問いかけて仕事をしているかどうかと言うことです。

松原泰道先生の「人徳の研究」から二句、ご紹介しましょう。じっくりこころにしみいるように読んでくさい。

「さくら花 いのち一杯さくからに いのちをかけて わが眺めたり」 岡本かな子(岡本太郎の母)

「峰の色渓(いろたに)のひびきも皆ながら わが釈迦牟尼仏の声とすがたと」 道元禅師

明日は第三則を書きますので乞うご期待。





2013年7月23日火曜日

黒田如水「水五則」にまなぶⅡ-率先垂範ー

 おはようございます。
参議院選挙の結果をみると、時代に反映しているのですが、時代に対応できる人材を各政党が育てているかという問題に帰結するかもしれません。特に共産党は、東京の新人吉良佳子(30歳)さん、大阪の新人辰巳孝太郎(36歳)さん。公明党は、かわの義博(35歳)さんなど若手の伸長が目立ちます。自民党も若手が出てきていますね。

特に、共産党の吉良さんと辰巳さんのTVニュースを見ていて、今までの党員とは違うなと言う印象を受けました。共産党は不破さんの演説と志位さんの演説のイントネーションが一緒でしたが、今の人は違う、自分の言葉でしゃべっている。では、民主党はどうでしょうか。

政党も企業も、時代を担う人材を育てているかということではないでしょうか。「水五則」の第一則は「みずから活動して、他を動かしむるは、水なり。」です。一言でいえば率先垂範なのですが、自らが人の上に立つ人格を備えてものでなければなりません。


黒田如水は、黒田官兵衛と言われ、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康に匹敵する武将と評価されています。本名は黒田孝高ですが、自ら仏教にて出家して、「水の如し」の如水と名乗るわけです。しかも、彼はキリスト教も受洗してシメオンというクリスチャンネームをつけています。私は黒田孝高は精神的にも、常に学び、修錬して、人格を形成していった人物だと思うのです。

高い所から低いところへと流れる水の如く、みずから活動するには、自分が知識、技量を備えておかなければなりません。政党でも企業でも、うえに立つ者、リーダーと言われる人は、秀でていなければ指導できません。無能な上司からは優秀な人材は育たないのです。

同時に、いわゆる知識、技量のみならず、人格ができていなければ人はついて来ないのです。今の安部首相の人徳、志位党首の人心掌握、山口党首の精錬潔白な姿勢をみれば、これらの政党が伸びるし、時代を担う人材を輩出してくると思うのは、私だけでしょうか。


産業界、経済界では、稲盛和夫氏ではないでしょうか。稲盛氏は若いときから会社経営に苦しみながら、独学し、企業理念である京セラフィロソフィを打ち立て、アメーバ経営で経営者と同様の人財を育てあげ、現在、全国の経営者の育成のため、「盛和塾」を創設し、尽力しています。現代の黒田如水の精神は、稲盛和夫氏の中にも活きていると思います。

山本五十六元帥が「やってみせ、言って聞かせて、させてみて、ほめてやらねば、ひとは動かじ」と言いましたが、うえに立つもの自分がやってみせること、よく話して理解させ、やらせて、ほめて指導するのです。そのようにすると人は育ち、人のために動くようになるのです。ガミガミと怒るばかりでは、人は育たず、去ってゆくばかりです。

さて皆さん、「水五則」の第一則「みずから活動して、他を動かしむるは、水なり。」を理解しましたか。松原泰道先生は、もっと深く、人徳について書いていますので、「人徳の研究ー「水五則」に学ぶ人間の在り方ー」をぜひ読んでください。



2013年7月22日月曜日

黒田如水「水五則」にまなぶⅠ-時代を読むー

 おはようございます。
第23回参議院選挙は、当研究所の予想通り、自民党の圧勝と公明党と共産党の躍進でした。なぜなら政治は時代の反映なのです。ほとんどの日本人は、安定的な成長を求めているからです。自民党は、誠意を以て国民の期待に応えてほしいと思います。また公明党は与党内でのブレーキ役を果たして欲しいし、共産党は批判政党としてその役割を全うしてもらいたいと思います。

また、国民の期待に応えきれない民主、生活、社民、みどりは、何を言っているのかがわからない党首が多いと思いませんか。早く辞めてほしいと思うのは私だけでしょうか。それは、4年前に101歳で生涯を閉じた尊敬してやまない松原泰道先生(臨済宗妙心寺派)が21年ほどまえに書いた「仁徳の研究ー「水五則」に学ぶ人間のあり方ー」(祥伝社文庫)という本にすべて書いてあるからです。リーダーのあるべき姿とは何かです。


この本は、黒田如水が人生訓とした「水五則」を、松原先生がリーダーとは指導者とは、あるいは現代社会の中で管理職者とは、人間とはと問いかけた書物です。来年の大河ドラマで、「軍師黒田官兵衛」が取り上げれるようですのでちょうど良い機会です。皆さんもこの本を読んでみてください。

ところで、NHKの大河ドラマ「八重の桜」を毎週欠かさず観ていますが、いつも涙が出ますね。戦の不条理、生と死、日本人の誇りとは何かが随所に表れている素晴らしいドラマです。このようなドラマを特に小、中、高生は観て、自分で感じてほしいと思います。親がみなければ子はみない。

選挙の投票率が悪いのは、このようなドラマを見ない人たちが増えているからではないですが、安きに、軽きに流れる、今がよければいい、悪いのは、社会や他人のせいにする愚民が増え、人の痛みはわからず16歳で友人をリンチし、殺害するけものたちが増えている現実を我々は直視しなければ、社会はよくならないと思います。

ウキペディアを見てみると黒田如水について以下のように書いています。

「黒田 孝高(くろだ よしたか)は、戦国時代から江戸時代前期にかけての武将大名。孝高はで、一般には通称をとった黒田 官兵衛(くろだ かんべえ)、あるいは出家後の号をとった黒田 如水(くろだ じょすい)として広く知られる。
豊臣秀吉側近として仕え、調略や他大名との交渉などに活躍した。竹中重治(半兵衛)と双璧をなす秀吉の参謀であり、後世「両兵衛」「二兵衛」と並び称された。キリシタン大名でもあった。子に黒田長政がいる。」ー詳細はウキペデイアを読んでくださいね。

この黒田如水が書いたといわれる?、自らの人生訓とした「水五則」について考察してみたいと思います。

「水五則」
一、みずから活動して、他を動かしむるは、水なり。
二、常におのれの進路を求めてやまざるは、水なり。
三、障害にあって、激しくその勢力を百倍し得るは、水なり。
四、みずから潔きようして他の汚濁(おだく)を洗い、清濁あわせいるる量あるは、水なり。
五、洋々として大海をみたし、発して霧となり、雨雪と変じ霰(あられ)と化す。
  凍っては玲瓏()たる鏡となり、しかも、その性を失わざるは、水なり。

松原先生の「人徳の研究ー「水五則」に学ぶ人間の在り方ー」を手掛かりに、明日は第一則について書きますので、乞うご期待ください。





2013年7月19日金曜日

健康哲学ー「養生訓」を読んでⅣ-氣について

 おはようございます。
昨日、性についてかきましたが、性にも関係しているのが「氣」です。気という字を使いますが、「気がいった」「いく、いく」とか言いますが、まさに性において、気を使っているわけです。貝原益軒さんは、「人の身は、気を以て生の源、命の主とす」と言っています。

それほど大事な「氣」とは何なのでしょうか。北里大学名誉教授の立川昭二先生の「養生訓に学ぶ」(PHP新書)を参考にしながら、気について貝原益軒はなんと言っているのかを学んでいきましょう。

『身とおなじように、「気」のついた日本語も無数にある。身近なものから言うと、「空気、天気、大気、気象、電気」、そして「気持ち、気分、病気、元気、気力、陽気、活気、気心、気質、気風、勇気、気品、人気、色気、気配、気配、やる気、気晴らし、気さく・・・・。」日常的によく使われる言い方では「気をつけて、気づく、気がする、気がある、気が合う、気にしない、気が多い、気が短い、気が重い、気に入る、気を落とす、気が強い、気が散る、気がきく、気が変わる」などなど、それこそ「気が遠くなる」ほどたくさんある。このように気の入った熟語や慣用語がたくさんあると言ううことは、日本人のメンタリティに気という考え方が今も深く生きていることを物語る』と立川さんが書いていますが、考えてみると気を使った言葉は、たくさんありますよね。

貝原益軒さんは、「養生の術はまず心気を養うべし、心をやわらかにし、気をたいらにし、いかりと慾とをおさえ、うれひ、思ひ、をすくなくし、こころをくるしめず、気をそこなはず。これ心気を養う要道なり。」と言っています。

そのためには、座禅をすることです。座禅をすれば、静寂なこころへといざなうことができます。そして、体内の邪気をはき出し、自然の大気を、深く、静かに、吸い込むのです。日常生活の中で呼吸を意識せずにしていますが、それは息をしているだけです。

半跏趺座でチンムドラの手印を組んでいます。
 
一日に一回以上は、呼吸を意識してしてみませんか。私は胸式(肺)呼吸と、腹式呼吸をしますが、口でする呼吸が胸式です。鼻でする呼吸が腹式です。座禅では丹田に気を集中し、腹式呼吸をしますが、毎朝、両手をあげ、大きく胸式呼吸もします。

貝原益軒さんは、「養生訓」で導引や湯治についてもくわしく書いています。私が提唱している温泉禅は導引、呼吸、湯治をすべて含んでいます、まず体を湯のなかで、さすって、ほぐしていきます。温泉禅は、長湯はしません。お湯のなかで、胡坐に足を組み、手は安定させるために、両手を膝の上に置き、チンムドラの手印をし、温泉の気をゆっくりと吸い込みます。意識は丹田に集中するのです。一回5分程度で、3回繰り返します。

日田市天ヶ瀬町旅館天龍荘まえの共同露天風呂「益次郎の湯」です。大村益次郎さんが愛した湯です。手前にあるのが「わんこの湯」です。
氣とは宇宙のエネルギーで、自然界に遍満してものなのです。この氣を意識して取り込まないと、くたびれて、病にかかったり、終いには死に至るのです。ですから「いきをひきとる」を言うのです。ビジネスマンの諸君も、常日頃から呼吸法を取り入れ、氣を吸収する術を心得ていれば、商談で落ち着いて、自分のペースで仕事を進めることができます。あなたが気が弱いのは、相手に気を取られているからです。

中村天風先生の「天風会の修錬会」や、合氣道の藤平光一先生の「心身統一合氣道会」に参加するのもよし。それができない人は、中野東禅先生の「心が大きくなる座禅のすすめ」(知的生き方文庫)を読んで実践すれば、健康な生活を送ることができます。

2013年7月18日木曜日

健康哲学ー「養生訓」を読んでⅢ-色欲について

 おはようございます。
人間の大欲には、食欲と性欲であります。貝原益軒さんは、食欲は腹八分にすべしと言っています。性欲についてどう言っているのでしょうか。最近、週刊誌が60歳以上の方の性を取り上げていますが、売り上げを伸ばそうとする意図に騙されて、洗脳されないようにしないと、「いのち」を縮めることになりかねないと思います。

仏教では、五戒律のなかに「不邪淫」ということばがありますが、読んで字のごとく、淫らな行いをするなと言う意味ですが、それは倫理・道徳的な意味だけではなく、「いのち」にいたることですよと意味も含まれているのではないかと思っています。


それでは貝原益軒さんは、「養生訓」のなかでどのように言っているのでしょうか。

「又、わかき時より色欲を慎み、精気を惜しむべし。精気を多くついやせば、下部の気よはくなり、元気の根本たへて必ず命短し。」

「年若き時より、男女の欲ふかくして、精気を多くへらしたる人は、生れ付きさかんなれ共、下部の元気すくなくなり、五臓の根本よはくして、必ず短命なり。つつしむべし。飲食男女は人の大欲なり。」

自由訳・養生訓(洋泉社)には、「接して漏らさずというは技が、閨房における一番賢いやり方だということだと言うことを覚えておいてください。古来より言われていることですが、「房中補益」(閨房でやくだつこと)という説があります。それは、年齢が増すと血気が衰えるので、精気を無駄に発射しないで交接(セックス)をする技術を磨けということです。」と訳者の工藤美代子さんは訳しています。

できちゃった婚の悲劇(非常に離婚率が高い)は男が我慢性がなく、簡単に膣内射精をするからです。むかしは、女性のことを心配して、決してそのようなことはせず、婚姻してから、妊娠し子供を産んでいたのですが、今の男は責任感が全くない。

精気を漏らさないようにしないと、いのちを縮めていくのです。「性欲を慎まなかった結果、腎が弱って、薬や食で補っても効果がありません。50歳を過ぎたら、とりわけ精気を保存して減らさぬよう心がけたいものです。栄養剤のような薬では手遅れなのです。」

その通りだと思いませんか。そして、セックスの回数について、「20歳の人は、4日にひとたび漏らす。30歳の人は8日にひとたび漏らす。40歳の人は16日にひとたび漏らす。50歳の人は20日にひとたび漏らす。60歳の人は交接をやめて漏らさず。ただし体力があって盛んな人は一ヶ月にひとたび漏らしてもよい。・・・あとは欲を抑えれば、きっと長生きできるでしょう。」と書いています。


貝原益軒さんは自らの経験に基づいて、話をしているわけですが、貝原益軒さんは、若いときは色町で遊び、38歳の時に16歳のお嫁さんをもらい、85歳まで長生きしています。今でいえば100歳くらいかな。

長生きして、人生を謳歌したいなら、やはり食欲や性欲を抑える術を知っていないと、現代社会は、商業主義で、どんな薬でも売ろうとします。男性にとっての性について、書いていますが、自然界をみても、カマキリは受精したらそのオスを食べてしまうし、人間界でも明らかに女性の方が長命です。

貝原益軒さんの「養生訓」をまさに座右の書にして、無駄に精を漏らさないようにして、元気で長生きして、年をとっても夫婦仲良くできる関係こそ、人間の道理ではないでしょうか。「自由訳・養生訓」(洋泉社新書・工藤美代子訳)は読みやすいのぜひ購入して読んで見てください。くだらぬ週刊誌を読むより、古典を読むべし。

もうひとこと、つけくわえておきますと、毎晩、ステーキを食べて元気がいいなどとTVで取り上げていいますが、それならアメリカ人は長生きしているでしょうが、日本人より短命で、すこし長生きしているのは富裕層のベジタリアンなのです。私は肉食をすべて否定しませんが、「過ぎたるは及ばざるが如し」です。

肉を食べればその時は、元気がでますが、それは野獣になっているからで、今怖いのは肉食女子かもしれませんね。怖い、怖い。皆さん、「食」と「性」についてもっと勉強しようではありませんか。





2013年7月17日水曜日

健康哲学ー「養生訓」を読んでⅡ-

 おはようございます。
暑い夏ですね。日本国内で40℃が当たり前になる時代が来ると思いませんか。それはわれわれが温室効果ガスで作った地球温暖化が一因なのです。そして多くの人々が熱中症にかかり、いのちを奪われる人もいます。

貝原益軒さんはこのようになるとは予想していたでしょうか。かれは内欲と外邪を分析し、内欲を抑え、外邪を防ぐことが養生につながると言っているのです。熱中症は外邪からくるものです。「養生訓」という書物を書いた貝原益軒とはどのような人物か、ウキペディアを見てみると、

「貝原 益軒(かいばら えきけん、1630年12月17日寛永7年11月14日) - 1714年10月5日正徳4年8月27日))は、江戸時代本草学者、儒学者。明治時代に西洋の生物学農学の分野がもたらされるまでは、日本史上最高の生物学者であり農学者である。

養生訓』(ようじょうくん)は、江戸時代に福岡在住の儒学者貝原益軒によって書かれた健康な生活の暮し方についての解説で、彼の著作の中でも最もよく読まれたものである。
益軒83歳の正徳2年(1712年)、実体験に基づいて書かれた書物である。長寿を全うするための身体の養生だけでなく、こころの養生も説いているところに特徴がある。
孟子』の君子の三楽にちなみ、養生の視点からの「三楽」として次のものが挙げられている。
  1. 道を行い、善を積むことを楽しむ
  2. 病にかかることの無い健康な生活を快く楽しむ
  3. 長寿を楽しむ。
また、その長寿を全うするための条件として、自分の内外の条件が指摘されている。まず自らの内にある四つの欲を抑えるため、次のものを我慢する。
  1. あれこれ食べてみたいという食欲
  2. 色欲
  3. むやみに眠りたがる欲
  4. 徒らに喋りたがる欲
さらに季節ごとの気温や湿度などの変化に合わせた体調の管理をすることにより、初めて健康な身体での長寿が得られるものとする。これらすべてが彼の実体験で、彼の妻もそのままに実践し、晩年も夫婦で福岡から京都など物見遊山の旅に出かけるなど、仲睦まじく長生きしたという。 こうした益軒の説くことは、今日の一次予防に繋がるものである。」

詳細は、ネットでウキペディアを見ていただきたいと思いますが、貝原益軒さんと養生訓に少し興味が出てきましたか。

「人間の体を損なう物には内部から発生する内欲と、外部からくる外邪の二種類があります。内欲といううのは、飲食欲、好色欲、睡眠欲、喋り欲が主で、このほかに喜、怒、憂、思、悲、驚などの七情に合わせていいます。外邪というのは、風、寒、暑、湿などの自然の四気を指します。内欲をなるべく抑え、外邪を防ぐことができれば、健康を保持する基本姿勢が整ったといえます。」(「自由訳・養生訓」洋泉社新書)

つまり、食べすぎ、のみすぎ、セックスのしすぎ、眠りすぎ、おしゃべりは健康に良くなくて、何事も腹八分目でないといけないと言っているのです。「過ぎたるは及ばざるがごとし」のことわざを肝に銘じておかばければなりません。

外邪に対する食養生を説いた人が、石塚左玄(明治時代の軍医・薬剤監)というひとです。石塚左玄さんの食養生については、後日取り上げますが、自然界の産物は、暑いときは体を冷やすキューリやなすび、とまと、スイカなど与えてくれているのです。昨日は焼なすびを食べました。

日本は、四季折々の穀物やお野菜ができます。四季折々、あなたの住んでいるところのものを食べるのが自然の道理なのです。そのような食をせずに、ハンバーガーやスナック菓子を食べ、エアコンで無理やり体を冷やし、生活している人間が病気にならない方が不思議だとおもいませんか。

内欲と外邪をうまくコントロールする術を日本人は持っていたのです。明治時代からの西洋かぶれや戦後のアメリカ追随によって、壊れた日本の農業・水産業と食を取り戻さなければなりません。




2013年7月16日火曜日

健康哲学ー「養生訓」を読んでⅠ

 おはようございます。
誰しも健康でありたいと思っています。しかし若くて健康な時に、美食や美酒にいそしみ、気づいたときには、生活習慣病という名前をつけられ、具体的には高血圧、高脂血症、糖尿病と言われた人は、日本国内だけでも数千万いるでしょう。

そういう私も高血圧、高脂血症で薬を10年ほど前から服用しています。どうしてこのようになったのかと振り返ると、仕事優先で、早飯、大食い、深夜まで飲む、タバコは吸い、スナック菓子を食べるなどの食生活をしてきたわけです。

気づいたら、50代の健康診断で、生活習慣病ですよと言われ、食生活を是正するが時遅しと言うのが、普通だと思うのですが、若いときから養生つまり健康に留意していれば、こんなことにはならないと反省しています。それで若い人に早く気づいて欲しいし、団塊世代もまだ間に合うと思います。

50代から仏教を学ぶにつれ、健康を害しているのは、煩悩=欲望にあるなとつくづく思いました。お釈迦様は、煩悩の根源は、「貧、愼、痴」の三毒にあると言われました。つまり「貪りの心」「怒(愼)りの心」「愚痴の心」の三つを人間をいちばん苦しめる毒薬という意味で「三毒」と言うそうです。
                  

只々、むさぼり食う。満腹になるまで食べる。最近は食べてダイエットなどという本まで出ている。 そしてキレると言って、人や社会のせいにして怒る。すぐ暴力をふるう。耐え忍ぶ術を知らない。さらに、愚かである。思い通りになるとおもっているし、我がままなのであります。そして愚痴ばかり言う。そういう人は、癌という字にあるように、口が山ほどあると書いてあるとおり癌になる。だから病気の原因は「貧、愼、痴」の三毒によるのです。

健康哲学ー養生の第一番目は、三毒をなくす努力をしなけらばならないと思います。今から、300年ほど前の儒学者であった貝原益軒さんとう人が「養生訓」という本を書き、世に出したのです。彼は当時の寿命では長い85歳でその生涯を閉じるのですが、私たち現代人に今もなお、警鐘を鳴らし続けている一人だと思います。

貝原益軒さんが何を言ったのか、江戸時代のベストセラー「養生訓」にスポットを当てながら、皆さんと健康とは何かを健康哲学シリーズで考えてみたいと思います。

「人の身は父母を本とし、天地を初めとす。天地父母のめぐみをうけて生れ、又養われたるわが身なれば、わが私の物にあらず。天地のみたまもの、父母の残せる身なれば、つつしんでよく養ひて、そこなひやぶらず、天年を長くたもつべし。」

人のいのちは授かりもので、天地創造以来、多くの祖先を通して、いのちがあることを言っています。漢学者であった廣瀬淡窓先生も同様のことを言っています。聖書では肉体は神の器であって、人間のものではないとも言っています。

自分の身体を大事にできない人が、どうして人のいのちやこころに思いやることとができましょうか。そして自分の身体も自分だけのものではないことを現代人は知るべきではないでしょうか。美魔女とか言って、宣伝に踊らされ健康食品や化粧品を買う前に、古典に触れ、考え方を変えるべきではないでしょうか。ーつづくー

参考図書 「養生訓に学ぶ」立川昭二著(PHP新書)、「自由訳・養生訓」工藤美代子訳(洋泉社新書)



2013年7月15日月曜日

天ヶ瀬ロングトレイルーおもてなしー

 おはようございます。
ロングトレイルのことを書きながら、最後に「おもてなし」について書きておきたいのは、その地域の方が、トレイラーは勝手に歩いている人と解釈したら、どんなに自然に恵まれていようが、どんなにすばらしい歴史や文化あろうが、あるいは素晴らしい宿泊できる施設や温泉、そしてご当地グルメがおいしかろうが、それはむなしいものでしょう。

ロングトレイルは、「踏み跡」という意味で、人が歩いた道です。ですから、歩きながら、その地域の自然や風土や文化に触れ、楽しむことです。またこのことを韓国語でオルレといい、「家に帰る細い道」という意味です。ロングトレイルよりショートかも知れませんが、目的は一緒です。

ですから、天ヶ瀬ロングトレイルあるいは天ヶ瀬オルレと名のったら、受けいれる側の天ヶ瀬の人たちの心構えも必要ですし、旅館の方や、振興局、観光協会などの受け入れ態勢が当然しっかりしていないとご迷惑をかけることになるのです。


湯布院山荘無量塔の藤林晃司さんや天ケ瀬温泉旅館天龍荘の大庭龍一さんたちから、「おもてなし」について聞いたことを思い出しながら、「おもてなし」について皆さんに考えてもらい、ぜひ実践してほしいと思っています。

私たちは、コンビニやファーストフード店に行って、「おもてなし」を受けていると思う人は一人のいないと思います。それは素晴らしい接客でしかないのです。それはマニュアル化されています。ですから「おもてなし」は、接客ではなく接待かもしれませんね。

おもてなしは、無償の行為であり、お客様への感謝の究極のこころ尽くしなのではないでしょうか。昨日、TVで船越さんの「ソロモン流」があっていまして、東京湯島にある黒木純さんの日本料理「くろぎ」を特集していました。

半年先まで予約でうまっているお店で、99%がリピート客です。黒木さんは、いつもお客様にどうすれば喜んでもらえるか、満足してもらえるかを、料理を通して、体現しているし、それは一人ひとりのお客様との会話にも、こころ尽くしを感じました。食材の選び方も常にお客様を第一に考えているし、お客様が今一番たべたいものを出してあげていました。まさに「おもてなし」が体現されていました。そして将来はもっと小さいお店をつくりたいとお話していましたが、それは自分の目が行き届くからだとのことでした。ぜひ「くろぎ」のHPをご覧いただければ幸いです。

「おもてなし」のできる人は、いわゆる利他のこころを持っているし、誠意があるし、純真であります。損得で考えては「おもてなし」はできないと思います。日本人が長い歴史の中で培ってきた風土であり文化ではないでしょうか。それは「美」にまで昇華できるこころとおこないなのです。

その地域の方の日頃の人情が、接待という形で出てくるし、究極は、へりくだった心と、してあげるのではなく、させてもらっているという自然な行為ではないでしょうか。もっといえば生かされているからこそ、すべてを生かしたいと思っているのです。

豊かな自然も、風土も歴史や文化も、心身を癒す温泉も、地元の産物で料理された食も、すべて「おもてなしのこころ」がいきわたっているらこそ、旅人は「おもてなし」に感動し、満足し、また訪れるのです。

さあ、天ヶ瀬の皆さん、のみならず全国のみなさん、日本国中にロングトレイルやオルレをつくりませんか。手作りでいいのです。

2013年7月12日金曜日

天ヶ瀬ロングトレイルー食と養生ー

 おはようございます。
天ヶ瀬ロングトレイルを書きましたら、昨日は過去最高のアクセスがありました。ありがとうございます。このシリーズへのアクセスが大変多いので、少しびっくりしています。読者の皆さんにお願いしたいのは、私は物書きとして書いていますので、地元の振興局や観光協会の皆さんが感心をよせ、受けいれ体制を準備していますが、まだ整っていません。この地区での夏場のトレイル、トレッキングは熱中症などの問題がありますのでさけたほうがよいと思います。ただ、史跡めぐりは車でも回れます。

今日は、天ヶ瀬のみならず、ロングトレイルやトレッキング、ウォーキングは何のためにするのかを書いてみました。それは充実感であり、健康のためであり、自分探しかもしれませんね。ですから世界最大のロングトレイルは、四国88ヶ所巡りであり、お遍路さんではないでしょうか。わたしは結局、養生ではないかと思っています。みんさん、元気で健康な人生をおくることです。

天ヶ瀬温泉旅館街

歴史を振り返ると、平安時代の西行さんであり、江戸時代の松尾芭蕉さんであり、貝原益軒(「養生訓」の作者)さんではないかと思っています。そして、明治時代に石塚左玄さんが「食物養生法」という食べ物による健康法の本を書き、それが正食を提唱した桜沢如一さんのマクロビオティックにつながっていると思います。

ロングトレイルとそのことがどう関係があるのかと思われると思いますが、食養生は、日頃からしなくては健康ではありませんが、天ヶ瀬ロングトレイルでは、一般的な旅館の食事ではなく、ロングトレイルを機会に食養生を提案してほしいと地元の方に熱望しています。

この天ヶ瀬や大山地区は、山々に囲まれ、大自然の土壌によって成り立っています。その1500m級の山々からミネラル豊富な清水が湧き出て、田畑に利用されているのです。この地区では無農薬有機農法を心がけ、生産者の顔がみえる農産物を販売しています。わさびやゆずもそうです。

ロングトレイルのお客様には、地元の無農薬有機農法で作った農産物で、料理したものをだすことですが、それができているのは、隣町の大山町です(天ヶ瀬と大山は一体と考えています)。大山町の此の花ガルデンの農家おもてなし料理はオーガニック料理としてファンが遠方からわざわざ来られます。

此花ガルデンの咲耶木花館

私は料理人でないので、具体的なレシピはいえませんが、そのようなものを提供してほしいと旅館のオーナーにお話ししております。またお野菜だけでなく、農家で育ってている豊後地鶏(シャモ)や自然にいる雉そして、清流がはぐくんだヤマメや鮎などを料理して出していただきたいと思っています。それが食養生になるからです。

天ヶ瀬町、日田市は山紫水明で水郷ひたと言われ、水がおいしいのです。その水で作ったお酒が地元の醸造会社のクンチョウ、角の井、老松などがあり、大手のいいちこの、坂本冬美さんの「君に恋している」をCMに使った焼酎「日田全麹」もうまいし、サッポロビールの九州工場もあり、出来立ての生ビールも飲めるすべてそろっているところです。女性にやさしい地元の梅でつくったリキュールもありますよ。酒も焼酎もビールもうまい。

ロングトレイルの4番目は、「食」であり、それはこだわりのものを提供すべきでしょう。究極は八ヶ岳にある「仙人小屋」の料理かな。まあそこまでいかなくても無農薬有機農法野菜にはこだわりたいですね。これを読んだ全国の料理人、食養生を提案してください。

2013年7月11日木曜日

天ヶ瀬ロングトレイルー温泉三昧ー

 おはようございます。
昨日、天ヶ瀬ロングトレイルの「お地蔵様コースと三瀑滝巡りコース」をご紹介しましたが、実はロングトレイルの目玉が「温泉」なのです。山歩きをするだけならトレッキングですが、ロングトレイルは宿泊型で、自然を満喫し、歴史・文化を探索し、温泉で心身共にリフレッシュし、おいしい地元産品の食を楽しみ、人情あふれるおもてなしの5拍子揃ってなければならないのです。

そのすべてで合格点が天ケ瀬であり、特に天ケ瀬温泉にあるのです。天ケ瀬旅館街の散策しながら、手湯・足湯巡り(7ヶ所)をして、それぞれの温泉の違いを肌で感じるのもここだけです。なぜなら温泉源が違うからです。
天龍荘前足湯

「温泉教授・松田忠徳の日本百名湯」(日本経済新聞社)を読みますと、別府、湯布院とならぶ豊後三大温泉のひとつで、その歴史は、1300年前にさかのぼるのですが、松田先生がなぜ日本百名湯に選んだか、理由が温泉にはいるとよくわかると思います。

私の推察ですが、あの修験道の役の小角さんも東大寺の大仏をつくった行基さんも近くに立ち寄った足跡がありますので川原の露天風呂に入ったのでは思っております。

川原の露天風呂は、地元の方も観光客も100円で入れるのですが、当然混浴です。風情がありますよ。上流から「鶴舞の湯」ですが、旅館丸山荘の下にあり、単純硫黄泉で源泉温度は83℃あり、熱くて気持ちのいい湯です。効能は切り傷、リウマチ、婦人病に良いそうです。

つぎに「神田(じんでん)湯」にはいります。ここは、まさに川の中にある露天風呂です。丸見えですが、そこがまたいいですね。旅館日田屋のしたにありますが、含重曹弱食塩水泉で、67℃あり、効能は火傷、創傷、慢性関節リウマチ、婦人科疾患に良いとのことです。松田教授はこの湯が一番気に入ったとのことです。

次に「薬師湯」にはいります。昭和の宿旅館湯の香荘のしたにあり、単純硫黄泉で、75℃、効能は神経痛、リウマチ、アトピー、性皮膚炎、痛風、婦人科疾患に良いそうです。この湯は柔らかく、僕は好きですね。ちょうど旅館街のまんなかくらいで玖珠川をながめながら、いい気分になります。


そして、橋をわたり、旅館天龍荘まえの、幕末の頃、天龍荘に滞在した大村益次郎がはいった「益次郎温泉」につかります。お湯が透き通っていて、激動の時代、こころも体もいやしたのでしょう。単純硫黄泉で、74℃筋肉痛、関節痛、火傷、切り傷、便秘に効くそうです。


露天風呂はちょっとという人は20軒ほどの各旅館の温泉を楽しめます。
旅館天龍荘の湯

もっとも下流にあるのが、「駅前温泉」です。お宿おおぜきのしたにあり、単純温泉で、80℃、効能は神経痛、関節痛、皮膚病、糖尿病、慢性婦人病によいそうです。ここが地元の方が一番多いので、いろいろ話が聞けます。

天ヶ瀬ロングトレイルで、5っつの露天風呂巡りをしても、わずか500円で楽しめ、最高ですね。まさに温泉三昧です。私は長い湯はすすめません。5分ぐらいで回数、湯につかった方が氣が抜けずにいいからです。

天ヶ瀬ロングトレイルに来てみたくなったでしょう。歩くのはしんどいと言う人は車で回れますので、観光協会の方にお聞きになってください。近県の方は日帰りもできますが、宿泊をお薦めしますね。

ところで私は、これらの共同露天風呂には毎週一回は行って、温泉禅を楽しんでいます。温泉から上がり、桜滝でマイナスイオンを浴びて、駅前の「あまがえる」で、おいしいコーヒーを飲む、この世の極楽かもしれませんね。



2013年7月10日水曜日

天ヶ瀬ロングトレイルを歩く

 おはようございます。
昨日、地元の市会議員の日隈知重さん、日田市天ヶ瀬振興局の小関憲治さんと天ヶ瀬ロングトレイルコースの名づけて「お地蔵様コース」を早朝の6時より歩きました。天ヶ瀬駅前の市営駐車場に集合し、公民館の横のお地蔵さんに無事をお祈りし、いざ出発です。

天ヶ瀬振興局の前をとおり、一旦国道210号線に出て、天ヶ瀬橋を渡り、すぐに左折し、山道を登って行きます。地元の小関さんの推薦で、コースに組み込んだのですが、朝はすがすがしく、小鳥の鳴き声が聞こえ、3キロほど歩くと、鎮守の森の「西山神社」があります。ここの階段が風情があります。


九州池田墓地公園へと向かいますが、途中で雉が歓迎してくれました。九州池田墓地公園は、毎週火曜日はお休みで、今回は見れませんでしたが、ちょっと寄ってみるのもいいと思います。

金ヶ塔六地蔵塔をお参りします。神仏習合の名残があり、地元の人々の信仰を感じるところです。


里山風景を楽しみながら、大分県の有形文化財にしてされている草三郎大神宮(五輪塔婆)で拝み、飯田惣次郎誕生の碑がありますので、一礼し、穴井六郎衛門とともに、年貢の減免の直訴を江戸幕府に申し立てし、打ち首の刑に処せらた義民と言われた先祖を偲びます。山の奥に隠れ田があると小関さんが言っていました。これからは高尾川沿いを下り、藪不動尊へと向かいます。


神妙なる霊性を感じる藪不動尊です。地元みなさんたちが朝夕お掃除をしていますので、清浄です。

次に山道を登って行くと神社がありました。名前がわかりませんでしたの、調べておきます。高塚地蔵尊につきます。

そして、1キロほど下って、代太郎地蔵尊があります。以前私がニホンギツネと出くわしたところです。みなさんも会えるかもしれませんね。

一旦下って、北平の里山から、草三郎にもどり、九州池田記念墓地公園の横を通って、顕徳坊尊尊にお参りし、展望台に登り、360度のパノラマをみます。東は九重の山々、西には日田市内と三隈川がはっきり見え、筑後平野も見渡せます。素晴らし眺めで、昼間よし、夕方は絶景の夕日が見えるのです。最高に満足しました。これから天ヶ瀬温泉にくだって行きますが、約6時間かかります。高塚地蔵尊で40分ほどお休みをとりますので、疲れないコース設定をします。


ロングトレイルには5っつの要素が必要です。まずは、「自然」が豊かであること、二番目にその地域の「歴史と文化」があること、三番目に、こころと体をいやせる「温泉」があること、四番目に地元産品でつくったお料理、「食」を楽しめる事、そしてその地域の人たちの人情である「おもてなし」です。天ヶ瀬はその5っつの要素が揃っているまれにみるところです。

現在進んでいる計画では、今回、救護班で協力していただいた日田観光協会天ヶ瀬支部長の大庭龍一社長の天龍荘などのお宿をご紹介してくれます。お宿についたら、日本100名湯(豊後三大名湯)に選ばれた天ヶ瀬温泉にゆったりとつかってください。

そして夕食です。地元の豊後牛や豊後地鶏、天然の雉や鮎、有機農法のお野菜などの季節のお料理で「食」を楽しんでいただけます。夏場は川原で鮎の塩焼きなどのバーベキュー料理の企画したいとのことでした。

夜はゆかたを着て日田下駄をはいて、駅前の手湯から7つの足湯巡りでそぞろ歩きをしたり、川沿いの5っつの共同露天風呂巡りのできます。玖珠川のせせらぎを聞きながら、夜の天ケ瀬温泉のひとときをお過ごしください。

翌日は2時間半ほどの三瀑の滝巡りコースです。9時からお宿をでて、山伏の滝を見て、山道を通って、観音の滝を拝みに、戻ってきて、九州のパワースポット桜滝で、滝しぶきをあび、マイナスイオンを吸収します。大自然の豊かさを満悦してください。

山伏の滝


観音の滝


桜滝


そのごJR天ヶ瀬駅前の「あまがえる」でおいしいコーヒーを飲んで、湯布院の森号で帰りの途に着けます。また車でのお越しの方は駅近くの市営駐車場に無料でおいておけます。こらから秋までにあと2コース、シイタケ刈りと古園コースと、五馬・本城・出口コースもでき次第お知らせしますが、秋のシーズンから天瀬ロングトレイルを楽しんでいただけるように、地図の作成などするそうです。お楽しみ。

2013年7月8日月曜日

座禅のススメⅢ-自然禅と温泉禅ーかんぽの宿日田

 おはようございます。
日曜日は、参議院選挙中で、TVでは党首討論花盛りでした。政権というものは安定していないと政策の実施ができないのは当たり前ですから、国民は政治・政策の実行を求めるわけです。しかし権力を持つと、横暴になり、国民不在の政治になりかねないので、批判政党が必要なのです。その資格すらないような政党もあるように覚えてなりません。私たちの一票の積み重ねで決めさせてもらいましょう。

さて、昨日知人がいのちを絶ったとの連絡がありました。詳細な理由はわかりませんが、私は「好き(欲望)で滅びる」という言葉が思い浮かびました。お金の好きな人は株などの投機に失敗し、女好きの人はセックスと情念のために、仕事好きな人は過労死で、事業欲の強い人は事業の失敗で、酒やたばこ好きの人は、病気になり、死に至らしめるのです。

もっと、悠々自適に生きて、どうせ死ぬのですが、大往生したいと思いませんか。それにはお釈迦様が言われたように、煩悩(欲望)を鎮め、心豊かに、静かに生きる事ではないでしょうか。若い人も、がむしゃらに働く時代は過ぎたと思います。自分を大切にする、家族を大切にする、時間を大切にしてほしいと思います。

還暦を過ぎても、65歳定年制になりましたから、仕事をリタイアできないのですが、仕事の仕方も変えなければ心も体もついていきません。どちらにしても65歳からはのんびり過ごしてはどうですか。あるいは地域社会に役にたつボランティアをした方がおもしろいですよ。欲望を追いかけるのはもういい加減やめてもいいのではないでしょうか。

しかし欲望は生きている限り、湧いてきます。それを鎮め、コントロールするのが座禅だと思います。いつでもどこでもできますので、食べて、寝る、あるいは歯を磨くごとく習慣化することです。そして都会の人も、月に何回かは、山の中で、森の中で座禅してみませんか。それを自然禅と名づけました。自然と一体になれるのす。

軽ワゴン車に半畳のたたみをおいて、森や河畔に行き、静かに座るのです。


今日の温泉禅は大分県日田市にあるかんぽの宿日田をご紹介します。温泉禅の仕方は前回説明しましたので、前回分を読んでください。なぜここの温泉をあげたかと言うと、100%かけ流しの露天風呂があるからです。温度は65℃ですが、これを竹枝でさまします。ナトリウム炭酸水素塩の塩化物泉なので、肌によく、腰痛、ひざ関節、こわばり、肩こり、背筋のこり、神経痛、痔、冷え症、疲労回復、健康増進によいとのことです。

かんぼの宿日田の露天風呂
 
温泉禅で、皮膚と呼吸から、温泉のミネラルをいただき、心を静かに調えるなら、間違いなく健康であり続けることができます。ぜひお近くの温泉場に行って、ゆっくりしてください。これだけ豊かな自然と温泉がある国は世界には日本だけです。ほんとうに感謝します。明日は天ヶ瀬ロングトレイルのコース選定のため、早朝6時よりトレッキングしますので、ブログはお休みしますが、明後日みなさんにご紹介します。(夏場の温泉は短時間の方が氣が抜けずにいいとおもいます。)



2013年7月5日金曜日

わたしたちの望むものは

 おはようございます。
団塊世代のほとんどの人が岡林信康さんを知っていると思います。あの「山谷ブルース」や「友よ」、そして「がいこつの唄」などのヒット曲を出したフォークシンガーです。じつは昨日、寝る前に私たちの望むものは」がふと浮かんできたのです。

「わたしたちの望むものは」 岡林信康作詞作曲

1、
私たちの望むものは
生きる苦しみではなく
私たちの望むものは
生きる喜びなのだ

私たちの望むものは
社会のための私ではなく
私たちの望むものは
私たちのための社会なのだ

私たちの望むものは
与えられることではなく
私たちの望むものは
奪いとることなのだ

私たちの望むものは
あなたを殺すことではなく
私たちの望むものは
あなたと生きることなのだ

今ある不幸せにとどまってはならない
まだ見ぬ幸せに今跳び立つのだ!


1968年の全共闘運動そして70年安保と、政治が激動するなかで、岡林さん自身が傷つき、歌った詩ではないでしょうか。あれから45年が経て、時代の様相は変わっても、国民の漠したような不安な感情は変わっていないような気がします。

エジプトでは軍が大統領を解任するという前代未聞の出来事が起きていますが、大統領派も、反体制派もそれぞれの私利私欲が底辺にあるように思えてなりません。私たちは、ひとりひとりの政治家の言動をよくみておかねばならないし、原発は本当に続けてよいのですか。どのように廃炉していきますか。代替エネルギーをどのように確保しますか。

戦後の既得権益者(電力会社)や官僚に牛耳られているように思えてなりませんが、みなさんはどう思いますか。よく聴いて、よく考えて、21日投票に行きましょう。それがまず一歩です。職場でも地域でも投票に行くことを呼びかけましょう。ところで岡林さんの詩は、まだ続くそうでいままで知りませんでした。彼もこころに葛藤を抱えていたのでしょう。

2、
私たちの望むものは
くりかえすことではなく
私たちの望むものは
たえず変ってゆくことなのだ

私たちの望むものは
決して私たちではなく
私たちの望むものは
私でありつづけることなのだ

今ある不幸せにとどまってはならない
まだ見ぬ幸せに今跳び立つのだ!


3、
私たちの望むものは
生きる喜びではなく
私たちの望むものは
生きる苦しみなのだ

私たちの望むものは
あなたと生きることではなく
私たちの望むものは
あなたを殺すことなのだ

今ある不幸せにとどまってはならない
まだ見ぬ幸せに今跳び立つのだ!

わたしたちの望むものは・・・
わたしたちの望むものは・・・
わたしたちの望むものは・・・」


よく聴くと、この45年間を予言してうたっていると思いませんか。2番目の歌詞は個人主義になり、3番目の歌詞で、とうとう利己主義に陥り、そのようなことでは幸せにならないことを予言した詩ではないかと、改めて感じました。なぜ私の魂は、この詩を呼び起こさせたのでしょうか。

それは、3番目の歌詞は、今の状況だが、もういちど1番目の歌詞に戻ると、私たちの望むものは、生きる喜びであり、私たちのための社会であり、あなたと生きることであり、幸せに向かって一歩進むのだという思いにかられるのはわたしだけでしょうか。皆さんもユーチューブで久ぶりに聴いて見ませんか。いいですよ。



2013年7月4日木曜日

あなたたちは地方の活性化策を語れるか

 おはようございます。
いよいよ参議院選挙が始まりましたが、公約あるいはマニフェストから、それぞれに大きな国の政策は打ち出しているようですが、どうも地方の、地域の活性化策はなんら語られないのが不思議でなりません。

国民の一番の課題は、生活ではないでしょうか。いわゆる経済の再建、特に地方経済をどう立て直していくのか、せめて各県の候補者は具体的な案を提起してほしいと思うのは私だけでしょうか。あるいは地方のことは県知事や市長に任せておけばよいというスタンスなのでしょうか。

日本全国の村や町では限界集落が増え、その地域を支える若者はいない。小中学校は廃校になり、空き家が増え、外来種動物が跋扈している。細々と農業をしているが、その被害対策もできない老人ばかりになりつつある。



農業だけではなく、観光業においても、地域間競争格差によって、旅館の宿泊料が一泊二日二食付で5800円の価格で出している。ましてや、国より耐震診断を2年以内にするように言われ、その後の耐震対策費用どころか診断費用もままならいないところが多いのではないでしょうか。旅館経営者はやっていけないと悲鳴をあげている。

現実を知らない官僚はぶくぶくと太りあがり、原発被災者を冒涜する発言をネットでする現実を見るとこの国の官僚政治にはあきれてものも言えなくなくなる。それでも福島のために頑張っている国会議員の先生もいるのが、せめてもの救いなのであります。

地域の皆さんにお会いして、アイデアをお聞きしたり、お話しするなかで、地域を活性化するのは、人が来てくれる町にすることではないでしょうか。人は、何を求めてくるのでしょうか。一つに自然、風土、そして歴史・史跡や文化、地元産品で作った地元料理、ゆっくり楽しめるそこならでの温泉、そして地元の人の温かいおもてなしではないでしょうか。(ロングトレイルやオルレを提案しています。)

観光業こそデフレから脱却して、採算にあう価格提示をしていくべきだし、そうしないとサービスの質が低下するのです。どうもマスコミや旅行雑誌に煽られて、価格競争をしているように見えてなりません。

大分県日田市の場合、咸宜園の世界教育遺産登録活動をしていますが、やはりせめて大学や研究施設の誘致をすることで、歴史の継承と若者の流入をはかることができるのではないでしょうか。また東南アジアの方に来てもらうために、日本語学校をつくることも提案しています。留学生は、昼間は農業研修をしながら、夜は学校に通えるように支援していくのです。

これから、地域を支えていく人たちは、定年退職した60歳以上の団塊世代ではないでしょうか。各地でご活躍の読者のみなさんと、今住んでいる町を活性化させるために尽力することが国の発展につながると信じています。

2013年7月3日水曜日

東山魁夷の「緑の詩」を鑑賞して

 おはようございます。
日田市所蔵美術品公開展・行徳家寄贈作品展が、昨日からパトリアで始まったので行って来ました。(7月2日~6日)行徳家とは、日田市夜明関町にある江戸時代から続く医者の家であります。昨秋撮った写真ですが、国の重要文化財に指定されています。


この行徳家が私財を日田市に寄贈したのですが、その美術展があっているのです。坂本繁二郎の「阿蘇五景」、藤田嗣治の「三美神」、与謝野晶子の書や廣瀬淡窓先生の掛け軸など38点が展示されています。めったに見れないと思います。

その中でも、東山魁夷の「緑の詩」に見入りました。残念ながら写真撮影ができませんので、案内の写真を添付します。


この緑の濃淡、何とも言えないですね。そして湖面にうつる森とのコントラスト、一頭の白馬。富士五湖のひとつかなと思いました。

もうひとつの作品が、「三嶺湧雲」で、山々と谷から湧き出てくる雲との玄妙なる静寂な深い世界を感じました。

ウキペディアの東山魁夷氏の紹介のなかで
「1970年代には約10年の歳月をかけて制作した奈良唐招提寺御影堂障壁画「黄山暁雲」は畢生の大作となった。千変万化する山の姿を墨の濃淡を使い分け、鮮やかに描き出した。東山は黄山を「充実した無の世界」と表現した。混沌とした自然の移ろいにあらゆるものを生み出すエネルギーを感じ取った。この計画を手がけたことにより国内での知名度と人気はさらに高まり、国民的日本画家とも呼ばれるようになった。」

このころの作品ではないでしょうか。ところで富士山が世界文化遺産に認定され、登山客増えているとのニュースが毎日あっていますが、富士山は登るところではなく、信仰の対象ではないのでしょうか。

神聖なる富士に足を踏み入れる都会人の無節操は、東京スカイツリーに行く感覚とさしてかわらないのでと思い、なぜ外国人が三保の松原を含めて、世界文化遺産にしたのか、とうの日本人が理解していないように思いましたが、皆さんはどう思いますか。