2014年2月28日金曜日

夢は実現する、しかし

 おはようございます。
「心に描いた夢は必ず実現する」とSMI創立者のポールJマイヤーさんは、テキサス州ウェイコのコンベンションに参加したとき、語っていました。何とここちよいことばでしょう。私たちはそれぞれの夢を抱き、その言葉によってモチベートされます。

スポーツ選手はオリンピックに出場し、メダルを目指します。音楽家やバレリーナは国際大会で優勝を目指します。事業家は、新規事業を立ち上げ、その成功を夢見ます。我々凡人もそれぞれにささやかな夢をもち、夢がかなえられることを願うのです。

しかし、そのあとに言葉が続くのです。夢の大きい、小さいにかかわらず、その夢の実現のためには、あなたは時間、お金、労力を惜しまず使わなければなりません。つまり代償を払わないといけないのです。あなたは、夢の実現のために代償を払う覚悟をしていますか。

事業家に例えてみましょう。事業を起こすには、経営の要素である、人、もの、金、情報の4要素を駆使します。事業家は新規事業を起こすとき、それがどれだけの投資費用がかかり、収益を生み出すかをシュミレーションします。

同時に、あらゆる情報を得て、その新規事業が消費者に受け入れられるかというマーケットリサーチをします。出店するものであるなら、商圏、立地条件など調査します。また同業他社の動向と、市場規模を推察します。

ここまででも、膨大な時間と、お金と労力を費やす必要があるのですが、失敗する方のほとんどが、この部分がおろそかにしています。事業家であれ、凡人であれ、ただあれがしたい、これが欲しいだけでは、手に入れたが、莫大な?借金を負わざるを得なかったということになるのです。

次に、会社であれば、誰を起用するのかが重要なカギになります。どんなに人が良くても能力のない人間に任せては、成功しません。ましてや零細企業の方が、まったくの異業種に手を出すのは、二足のわらじをはき、力が分散するのです。事業とは堅実なもので、多角化するときは、関連業種を積み上げていくのです。

今から、二十五年前、中小企業家同友会の九州大会が大分県であったとき、多くの企業家が参加していましたが、いまや食品通販大手の「やずや」の社長さんと、ドラックストア―のコスモスの幹部の方も来ておられましたが、その当時はまさに零細というか小企業でしかなかったのですが、大きな夢を抱き、事業を努力されました。彼らは自分が経験してないことに手を出しませんでした。創業者の故矢頭社長さんからいろんなお話を聞かせていただいたことを思い出します。

夢を実現するには、死にものぐるいで努力すること、工夫すること、そのために時間を費やすこと、遊びたいとか、甘いものを食べたいとか思わないこと、欲しいものを我慢して、夢の実現のためにお金を使うことです。代償を支払うことなく夢が実現する(成功する)ことはないのです。そして、そのような行為が代償というストイックなものでなく、楽しくなったとき、本物になるのではないでしょうか。

苦しみの向こうに、ほんものの楽しみが待っているのです。あなたは夢を持っていますか、夢の実現のために、代償をしはらいますか。その覚悟が必要なのです。明日から春三月が始まります。よき週末をお迎えください。皆様のご健康を祈念しつつ、南~無 合掌 徳温禅月。







2014年2月27日木曜日

今こそ、上杉鷹山に学べ!

 おはようございます。
今、藤沢周平さんの「漆の実のみのる国」(文春文庫)を読んでいます。内村鑑三先生の「代表的日本人」(岩波文庫)を読んで、童門冬二さんの「上杉鷹山の経営学」を読むにつれ、ジョンFケネディ大統領をして、「もっとも尊敬する日本人」(PHP文庫)と言わしめた上杉治憲・鷹山とはどんな人か興味深まったからであります。ましてや、藤沢周平さんは、病床のなか、最期の力を振り絞って書いた遺作でもあるのです。


上記の本は、ぜひとも読んでいただきたいのですが、本を読むにつれ、士農工商の意識とシステムは、江戸時代と変わってないところに日本の悲劇(喜劇)があるのでは思うようになりました。士という武士のかわりに、国家公務員や地方公務員が変わっただけではないでしょうか。

国会議員をはじめとする為政者は、権力を握ると、態度を豹変させてくる。政治や行政に携わる人たちが忘れてならない言葉が、以下の上杉鷹山の伝国の辞です。

ウィキペディアより
伝国の辞(でんこくのじ)とは、鷹山が次期藩主・治広に家督を譲る際に申し渡した3条からなる藩主としての心得である。
内容は, 引用して次に示す(ただし,縦書きを横書きに変換してある)。
一、国家は先祖より子孫へ伝え候国家にして我私すべき物にはこれ無く候
一、人民は国家に属したる人民にして我私すべき物にはこれ無く候
一、国家人民の為に立たる君にて君の為に立たる国家人民にはこれ無く候
右三条御遺念有間敷候事
天明五巳年二月七日  治憲 花押
治広殿  机前
伝国の辞は、上杉家の明治の版籍奉還に至るまで、代々の家督相続時に相続者に家訓として伝承された。」
その意味を米沢市観光物産協会が意訳していますが、
「一、国家は先祖から子孫に伝えるところの国家であって、自分で身勝手にしてはならないものです。

一、人民は国家に属している人民であって、自分で勝手にしてはならないものです。

一、国家と人民のために立てられている君主であって、君主のために立てられている国家や人民ではありません。」
ケネディ大統領は就任演説で同様の事を言ったのです。政治家や公務員の皆さんはこのような心構えをもっているでしょうか。国家および地方自治体の財政の立て直しは、まさに上杉鷹山の藩政改革に学ぶべきではないでしょうか。
 
内村鑑三先生の「代表的日本人」岩波文庫のなかの上杉鷹山の章で、鷹山が一生の守護神である春日明神に送って捧げたものが、
「一、文武の修練は定めにしたがい怠りなく励むこと
二、民の父母なるを第一のつとめとすること
三、次の言葉を日夜忘れぬこと
   贅沢なければ危険なし
   施して浪費するなかれ
四、言行の不一致、賞罰の不正、不実と無礼、を犯さぬようにつとめること
これを今後堅くまもることを約束する。もし怠るときには、ただちに神罰を下し、家運を永代にわたり消失されんことを。以上
上杉弾正大弼 藤原治憲  明和四(1767)年八月一日」
 
これらの本と、「里山資本主義」を読んでいますが、地域活性化の原点は、上杉鷹山の「漆の実のみのる国」にあると思えてなりません。金融資本主義のグローバル経済の波に乗ることが、大多数の日本国民にとって幸福なのか、いままさに問われていると思います。身についたバブリーな贅沢からなかなか抜け出さないのも人間であるが、果たしてそれでいいのか。

それでは読者の皆様のご健康を祈りつつ。南~無 合掌 徳温禅月。





2014年2月26日水曜日

天領日田「おひなまつり」~豆田町界隈散策③

 おはようございます。
豆田町の岩尾薬舗日本丸館をでて、左手に長福寺にて合掌し、右手に伯亭若の屋があります。イケメンの若主人をいますので、ざひ歴女の方々は立ち寄られるといいと思います。少し歩くと右に、旭饅頭があり、ここの栗そば饅頭がうまいですよ。

長福寺本堂(九州最古の真宗寺院本堂)HPより

その斜め前に薫長酒造資料館があります。花月川の川向こうからの全景です。
旭饅頭側です。

薫長酒造資料館の入り口ですが、この建物は、五木寛之さんの小説を映画化した「戒厳令の夜」に使ったものです。江間隆之(伊藤孝雄)と秋沢冴子(樋口可南子)の濡れ場がこの酒蔵であるんですが・・・。
 

お雛様を飾っています。

富安家に伝わるものも展示しています。女優の真屋順子さんは日田市の出身です。

薫長酒造内を歩いてみましょう。


蔵の中には、酒造に使われた道具が展示しています。

酒蔵を探検したり、中庭に出ると、ほっとするのものがあります。


天領日田の豆田町を散策すると意外なものが見えてきておもいしろいですよ。「おひなまつり」は3月2日に流し雛や野点・琴演奏などのイベントがあっています。3月31日まで開催中です。





2014年2月24日月曜日

四国巡礼~十三仏御本尊Ⅸ~勢至菩薩

 おはようございます。
BS-TBSの「徳さんのお遍路」はいよいよ、84番札所「屋島寺」に来ました。近くに栗林公園があり、風光明媚なところですね。源平合戦のあったところで、那須の与一など有名です。屋島寺の中井龍照ご住職が「動中静」というお言葉をお話していましたが、どんな忙しいときでも、ひとときの休みを取って、心身ともに静かに過ごすことが大切だということですね。



四国88ヶ所巡りをするときに、必ず、十三仏御本尊のご真言を唱え、参るのですが、9番目のお方が勢至菩薩様です。阿弥陀様の脇たちですが、その名が示す通り、大きな勢いで、私たちの心を明るい方向へと導いてくださいます。一周忌の御本尊です。

ウィキペディアより

「観音様は長男の慈悲を持って、勢至様は次男の知恵を持って、いつも阿弥陀様のお旁に控えておられるのです。」(「開運十三仏」大栗道栄著)

智慧を頂いて、勢いが増すように、勢至菩薩様のご真言「おん さんざんざく そわか」と唱えます。皆様のお仕事の知恵、生活の知恵が与えられますようにお祈りします。「おん さんざんざく そわか、 おん さんざく そわか、 おん さんざくそわか」南~無 合掌 徳温禅月。







2014年2月21日金曜日

天領日田「おひなまつり」~豆田町界隈散策②

 おはようございます。
昨日に引き続き、大分県日田市の豆田町を散策しましょう。観光協会などがいいパンフレットを作っていて、この「ひなの国九州」などもわかりやすくていいですね。九州の11ヶ所がご紹介されています。


さて、廣瀬淡窓先生の本宅から、秋子想の方へ向かうと、大正時代の3階建ての洋館が見えてきます。


それから歩いていくと、市山亭懐古館が見えてきますが、この建物もいいですね。


豆田の町は、いわゆる碁盤目のようになっているので、小路を右に、左に歩いていくのもいろんな発見があるのです。歴史の町マップができているので、観光協会や薫長さんでもらってから散策するとよきガイドになります。


それから、また左に小路に入って、風早の前を通って、長福寺と岩尾薬舗日本丸館がありますが、これは、安政2年開業で明治後期に改築されていますが、国登録有形文化財です。


その前のお店に飾ってある可愛いお雛様をご紹介します。ぜひ探してください。


ふくよかで、いいでしょう。昔から日田美人と言われて有名です。全国の歴史子女の皆さん、小京都ひたに遊びに来てください。それでは今日はここまで、明日も乞うご期待。皆様のご健康を祈りつつ、南~無 合掌 徳温禅月。





2014年2月20日木曜日

天領日田「おひなまつり」~豆田町界隈散策①

 おはようございます。
2月15日より天領日田「おひなまつり」が開催されています。日田インターもしくはJR久大線日田駅より豆田町にはいると、すぐ目につくのが、この草野本家ですね。新聞やTVによく出ている風景です。天領地になって、精蝋業で財をなした商家が建ちならんでいます。ということは漆の木の栽培が盛んだったとも言えます。




草野本家でお雛飾りを観て、外に出ると、下駄屋さんや漆工芸のお店が立ち並んでいます。



左に天領資料館があり、「おきあげ雛」の展示会が開催されています。久留米藩から伝わったみたいですが、武士のお内儀が内職で作ったようです。



この骨董屋さんの角を曲がると、広瀬淡窓先生の生家があります。


外に出るとこんな光景も観れます。お着物の貸し出しもあります。


廣瀬淡窓さんの旧宅です。


散策しているといろんなものが見えてきます。べっぴん姫に出会いましたのでご紹介しておきます。


天領時代の面影をしのびつつ、豆田のまちを散策してみませんか。全国の歴女(歴史子女)の皆さん、天領日田「おひなまつり」を観に来ませんか。3月2日に、「流しびな」があり、着物姿で闊歩するそうです。では続きは明後日、乞うご期待。皆様のご健康をお祈りしつつ。南~無 合掌 徳温禅月。






2014年2月17日月曜日

四国巡礼~十三仏御本尊Ⅷ~観音菩薩

 おはようございます。十三仏御本尊の八番目に位置するのは、観音様ですが、観世音菩薩や観自在菩薩とも言います。聖観音菩薩、千手千眼観世音菩薩、十一面観世音菩薩、馬頭観音、准てい観音、如意輪観音などたくさんの観音様がおられます。

西国、坂東、秩父の三十三ヶ所観音霊場は、観音菩薩様が三十三のお姿に変わり、説法し、民をお救いになったことから、三十三になっているのです。観音様は、どんな苦しい時も、悲しい時も、見ていてくださり、私たちも思いを聴き、助けてくれるのです。ですから、観音像は、たくさんの顔と手をお持ちになっているのです。

昨日のBS-TBSの「徳さんのお遍路」は八十三番札所の一宮寺でしたが、この寺の御本尊は聖観世音菩薩様でした。加藤弘淳ご住職が「虚しく往きて実ちて帰える」とお話していましたが、観音様に出会ったら、元気になるのです。


私は、毎朝のお勤めで、妙法蓮華経観世音菩薩普門品偈をお供えしますが、毎日守られている気がしますね。般若心経も「観自在菩薩・・・・」で始まります。平安時代の人々も、「梁塵秘抄」で「万の仏の願いよりも、千手の誓いぞたのもしき」と歌っているように、やはり具体的な現世利益を望んでいたのです。

大分県日田市天瀬町の観音の滝。観音様に見えるでしょ。

観音菩薩様のご真言は「おん あろりきゃ そわか」です。それでは、皆様の身の上のどんな悩みも苦しみも取り去ってくださるように、「おん あろりきゃ そわか」「おん あろりきゃ そわか」「おん あろりきゃ そわか」 南~無 合掌 徳温禅月。






2014年2月14日金曜日

四国巡礼~十三仏御本尊Ⅶ~薬師如来

 おはようございます。十三仏御本尊の7番目はいわゆるお薬師さんです。薬師如来様ですが、観音菩薩様、地蔵菩薩様にならぶ人気ベスト3の仏様ですね。四国八十八ヶ所札所には、多くのお寺さんが薬師如来を御本尊としています。

17番札所の井戸寺には、七仏薬師如来が御本尊です。七体の薬師如来です。


昔から人々がいかに病気に苦しんでいたかがわかります。弘法大師さんは、野草から薬を作り、民を癒していたそうですが、なんぼ神癒があるからと言って、現代においては病院にいかないというのは、おかしいのです。

だからと言って、現代医学あるいは病院に依存するのも、病気の治癒にはつながらないと思います。キリストは、「汝の信仰が汝を癒したり」と言ったように、信仰があれば、同じ薬を飲んでいても病気の治り方は違うのです。

ウキペディアより薬師如来「図像抄」


薬師如来は別名「瑠璃光如来」とも「大医王如来」とも呼ばれ、七宝から成る浄瑠璃浄土に住む仏である。(「仏像が見方がわかる小辞典」より)それで、井戸寺のお薬師さんは7体並んでいるんですね。

「東方瑠璃光世界」においでになり、朝の曙や朝焼けの色は、命が輝きだす、いやしと希望の色です。そこから病む人のところにきてくれるというのです。(「仏さま白書」中野東禅著より)病気だけではなく、横死(不慮の事故死)も防いで守ってくれます。

御真言は、「おん ころころ せんだり まとうぎ そわか」です。それでは皆様のご健康とご安全を祈念しまして、「おん ころころ せんだり まとうぎ そわか」 南~無 合掌 徳温禅月。





2014年2月13日木曜日

四国巡礼~十三仏御本尊Ⅵ~弥勒菩薩

 おはようございます。
弥勒菩薩と言うと、京都太秦の広隆寺の弥勒菩薩半跏思惟像を観にいきましたが、しばらく佇んで見惚れてしまいました。四国八十八ヶ所では、14番札所常楽寺のみが弥勒菩薩が御本尊です。この寺の境内の流水岩の庭園はすごいです。


ここで、うら若きお遍路さんにお会いしましたのでお声をかけたら、東京から来た20代のOLさんでした。有給休暇を取って、すこしづつお遍路しているとのことでした。お若いのにえらいですね~。感心しました。四国遍路には若者たちもたくさん来られています。

ところで、弥勒菩薩様は、どんなお方かと言いますと、お釈迦様が亡くなれて五十六億7千万後、お釈迦様のかわりに、あらわれて、私たちを救ってくださるそうです。なぜ私たち?五十六億年後まで生きているはずがないでしょうと言われるのはもっともです。

しかし、人間界の尺度と、神仏の尺度は違うとおもいませんか。ましてや空の世界ならなおさらです。つまり、私たちが未来に不安を感じても、弥勒菩薩を信じて祈るなら、弥勒菩薩がこころのなかに現れて、将来のあなたの不安や悩みは消し去ってくださるのです。

ウキペディアより

つまり、そう祈る時、あなたのこころのなかに、弥勒菩薩がおられるのです。広隆寺の弥勒菩薩半跏思惟像の慈悲に満ちたお姿と微笑みに安らぎを感じます。それでは、弥勒菩薩様のご真言は「おん まい たれいや そわか」です。

皆さんの未来が輝かしいものでありますようにお祈りします。 「おん まい たれいや そわか」 南~無 合掌 徳温禅月。





2014年2月12日水曜日

四国巡礼~十三仏御本尊~地蔵菩薩

 おはようございます。
四国八十八ヶ所の五番札所に地蔵寺というお寺があります。まさに御本尊が勝軍地蔵菩薩様なのですが、ここは弘法大師様が掘った約5センチの勝軍地蔵菩薩像が延命地蔵尊の胎内におさめれているそうです。


四国八十八ヶ所霊場会より地蔵寺

お地蔵様は、私たちの人生のどんな苦しみからも救ってくださいます。大分県日田市に、年間150万人の方々が参拝に来られる高塚愛宕地蔵尊があります。初詣はもっとも多くの参拝者があります。今年の初詣風景です。


高塚の町角のお地蔵様


高塚の聞く蔵、言う蔵、見る蔵の三地蔵尊です。


むかしから、お地蔵様は庶民的で、私たちのそばにいつも居てくれますね。昨年亡くなられた島倉千代子さんが、お子さんのご供養のため、ちいさいお地蔵様を作っていつも持っていたそうです。彼女の苦しみを癒してくれたのでしょう。人間として素晴らしい最期を遂げました。最期の曲になった「からたちの小径」にもお地蔵さんが居そうですね。

お地蔵様の御真言は「おん かかかび さんまえい そわか」です。いつもくちずさむと気持ちが晴れてきますよ。それでは皆様のご健康を祈りつつ、「おん かかかび さんまえい そわか」 南~無 合掌 徳温禅月。





2014年2月10日月曜日

四国巡礼~十三仏御本尊~普賢菩薩

 おはようございます。
昨日の「徳さんのお遍路」は82番札所の根香寺でしたが、青峰良頴ご住職さんが、ご自身も喉頭がんを患い、声帯を切除しているため、かぶそい声でお話していました。しかし慈愛に満ちたお顔をされて「人は病気では死なず、寿命で死ぬ」と笑顔でお話していました。


そうかもしれませんね。ご住職の人生を達観した姿には、みずからが病を背負った気負いがないなと思いながら、番組を見ていました。ご住職の今日の一言は「照千一隅」という最澄さんのお言葉ですが、「一隅を守るは千里を照らす」という意味ですが、小さいことでも大事にして生きて行く心構えではないでしょうか。

十三仏御本尊の4番目に登場してくる普賢菩薩様にも共通しているな思ったのです。釈迦三尊像の釈迦如来の右に文殊菩薩、左に普賢菩薩が座しているのです。写真は大分県日田市にある岳林寺さんの釈迦三尊像です。


六本の牙を持つ、白い象に乗っています。六本の牙は、人間の心のなかの、地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天人、という六道に迷う心を突き破ってくださいます。たくさんの功徳を備えていて、私たち大衆の煩悩を打ち砕き、悟りの世界に導いてくださいます。

そのために、私たちは、布施、持戒、忍辱、精進、禅定、智慧という六つの行いをしていくのです。長者の子である善財童子が、道を求めて最後にたどり着いたところが、普賢菩薩様です。人生の最高の師と言われています。

人生で思い悩んだとき、普賢菩薩様のご真言「おん さんまや さとばん」と、三回、七回、二十一回と唱えれば、どんな危機でも乗り越える智慧が与えられます。

普賢菩薩様は、諸仏を敬い、如来を礼賛し、すべてを供養し、間違いを懺悔し、仏と人の功徳を喜び、場を設け仏の教えを聴き、仏陀にとどまってもらい、常に向上心を持って学び、恒に人々と祈りを共にし、あまねくすべてをお救いくださるように誓願してくださっているのです。

それでは皆様のご健勝をお祈りしながら、「おん さんまや さとばん」 南~無 合掌 徳温禅月。

参考図書
「仏さま白書」 中野東禅著 四季社
「開運十三仏」 大栗道栄著 日本文芸社
「仏像の見方がわかる小事典」 松澤弘道著 PHP新書



2014年2月7日金曜日

吹上神社・吹上観音堂~仏あり地まさに霊しところ~

 おはようございます。
大分県日田市に吹上台地があります。平成7年に発掘されたときに、沖縄以南でとれるゴホウラ製貝輪やガラス製管玉・硬玉製勾玉・鉄剣など多数の副葬品が出土しました(大分県内ではほかに例がないほどの弥生時代の副葬品)。この台地から日田盆地が眺望できるのです。古代は豊の葦原と言われるほどの湿地帯だったと思われます。

日田市内が一望できます。

吹上遺跡の現地です。


吹上遺跡の真下に吹上神社、吹上観音堂があります。


広瀬淡窓先生をして、「弧高峰頂の亭 人なく山更にうつくし 仏あり 地まさに霊(たっと)し」と言わしめた吹上神社・吹上観音とは、いにしえの時に、いったい誰が居たのでしょうか。

日田インターを降りて、右にまがり、二つ目の信号を右に曲がると小迫トンネルがあります。トンネルの入り口の左に駐車場があります。まず見えてくるのがお不動様とお地蔵様を祀っているお社があります。

お不動様とお薬師様です。


お隣にお地蔵様が祀られています。


88mの地下から霊水がでています。地元の方が飲料水にしていると取水していました。今度来た時に頂いてコーヒーを作って飲んでみます。


お不動様、お薬師様、お地蔵様に合掌し、坂道を上ると、左手に釈迦如来?の種子(梵字)が掘られた庚申塔があります。


合掌礼拝し、苔むす小径を登って行きます。


この風情、たまらないですね~。約80mほど登ると、吹上神社にたどり着きます。


まずはお大師様に合掌しお祈りします。


横に、昭和28年の大水害で、この地も山崩れがあり、お稲荷さんの社が流されたのですが、つい最近、復元したとのことでした。広瀬淡窓先生が塾生と共に登って漢詩を詠んで碑が建立されています。



吹上神社と吹上観音堂です。



吹上神社には、天照大御神と菅原道真の天神様が祀らています。


吹上観音堂には、聖観音様と四天王像、三十三体の小観音像が併置されていますが、御開帳は三十三年ごとで、今から十五年後だということで、それまでは生きてないと見れませんね。裏手のガラス越しより、小観音様を撮りました。荘厳ですよ。



観音様に「おん あろきや そわか」」とご真言を唱え、合掌 礼拝。さて、今から1700年前、この台地に居を構えていたお方は、誰でしょうか。おそらく、この地は旧字地で「日向(ひむか)」と言われています。ここでお祈り捧げ、民を率いていた人物、それは日の巫女、「ひみこ」ではないでしょうか。そんな歴史ロマンを思いながら、下山しました。全国の歴史子女、仏教女子の皆さん、この吹上神社・吹上観音に来てみませんか。

それでは皆様のご健勝をご祈念し、南~無 合掌 徳温禅月。