2013年12月20日金曜日

五木寛之さんの「新老人の思想」を読んで

 おはようございます。
新聞の広告欄に、五木寛之さんの「新老人の思想」の広報が載っていましたので、一瞬、「下山の思想」の続きかなと思いつつ、忘れていましたが、終活相談をしている中で、五木さんの「新老人の思想」って、いわゆる終活がらみのことも書いてあるかもしれないとふと浮かんできて、書店に電話し、早速購入しました。(幻冬舎新書です。)

僕は、高校時代から五木さんのファンでしたから、ほとんどの本は買って読んでいるのですが、最近はお元気になられているのか、続きざまに本を出すので、すこし閉口していましたが、この本は読んでいて切り口がおもしろいですね。さすが、五木さんで「終活」ということばは一切だしませんでした。

午前中で仕事を切り上げ、本屋に予約を入れていたので、この本を取りに行き、「かんぽの湯」に行って、露天風呂につかり、「温泉禅」をし、あがっては本を読み、これを三回繰り返し、約一時間半で一気に読んでしまいました。新書本は一気に読みたくなるような内容がいいですね。そうでない本は駄作です。


いわゆる団塊世代以上の人は、必読書で、若者は新老人という圧倒的大多数とどう取り込みか、あるいはどう利用するかが問われているし、いわゆるビジネスマンにとっても必読書ですね。本の内容を聞きたいかと思いますが、買って読んでいただきたい。お金がもったいない人は、本屋での立ち読みもいいと思いますよ。本屋はエアコンが入っているので暖かいですよね。

新しい若年階級と勤労階級と老人階級の階級闘争の始まりと、60年安保経験者の五木さんはアジっていますが、私は、団塊世代の新老人たちが、政治的、経済的、文化的に、何を提起して、生み出し、後輩であるいわゆる壮年や若年層に何を残して行くかが問われている時代だと思います。つまり。東国原さんのキャッチフレーズである「どげんかせないかん」のであります。

「新老人 五つのタイプ」の章で、分析しているのが面白いですね。
タイプA 肩書き型ですが、いますよね。積極的で、意欲があるのでいいですよね。
タイプB モノ志向型、いるよね。カメラにこだわったり、車に凝ったり、時計に夢中になる人。
タイプC 若年志向型 いわゆるファッションがユニクロかな。美熟女などもそうかも。
タイプD 先端技術志向型 スマホも新しい機種が出れば欲しくてたまらない老人ですが、もはや    老人ではなく、時代を引っ張っていく人達。
タイプE 放浪志向型 四国八十八ヶ所を何度も行く人たち。別居婚をいとわない人達ですね。

果たして、あなたはどれにあてはまりますか。僕は、実は全部の要素を持っているなと思いました。つまり人生をあと20年余りを、お金があろうがなかろうが自分なりに仕事もして楽しみたいのであります。それが人のお役に立ててれば、この上ないわけです。五木さんの分析は男性的ですので、瀬戸内寂聴さんに女性の分析をしてほしいなと思いました。

団塊世代の人は、この本、わずか780円ですので買って読んで欲しいと思います。なんどか読み返したくなりました。新老人は、選挙権を持っている人口が圧倒的に多いわけですから、この国の行く末の責任を持たないといけないわけです。

それでは新老人の皆様、今日もお元気でご活躍され、よい週末をお過ごし下さい。ちなみに僕は、年末、年始は、温泉禅三昧、読書三昧をする予定です。皆様のご健康を祈りつつ・・・南~無 合掌 徳温禅月。



2013年12月19日木曜日

島倉千代子さんの「からたちの小径」を聴いて

 おはようございます。
注文していた島倉千代子さんの「からたちの小径」のCDがやっと届きました。早速開いて聴いて見ると、その歌声は澄み切っていて、冬の陽ざしのなかに吸いこまれていくような気がしました。葬儀の時に流れた島倉さんのメッセージを思い出しました。

「私の部屋の中にスタジオができて、それで私はできる限りの声で歌いました。自分の人生最後に、もう一度みられないこの風景を見させていただきながら歌を入れられるって、こんな幸せはありませんでした。人生の最後に素晴らしい、素晴らしい時間をありがとうございました。」


歌詞は、喜多條忠さんと南こうせつさん、作曲は南こうせつさんですが、大分県が誇る南こうせつさんが、この「からたちの小径」を作られたのは、ご自宅がある国東半島は、杵築みかんの産地で、からたちは蜜柑の花ですから、たしかに小径があり、イメージしたかもしれませんね。

著作権の問題があるので歌詞は書けませんが、このフレーズに涙が出てきます。

「・・・・
帰らない日々を くやみはしないけど 
人生は流れゆく 旅景色 
たった一度の ときめきの香りが 
夢見るように 淋しそうについてくる
・・・・」

素晴らしい詩ですね。皆さん、島倉さんご供養の香典代わりにCDを買って聞いてくださいね(1260円です。)おそらく「からたち日記」の最終章かも知れません。それと、島倉さんのレクイエムー鎮魂歌ですね。

お葬儀で、評論家の田勢康弘さんが、石川さゆりさんに続いて弔辞を述べたのですが、

「島倉千代子さん、あなたの前に立っているのは60年近く前、浅草マルベル堂であなたのプロマイド写真を貯めた小遣いで買い集めていた少年です。大好きだった「かるかやの丘」や「海鳴りが聞こえる町」を何度も聞きながら泣いていた少年です。昭和35年大晦日、NНK紅白歌合戦で、島倉さんは初めて大トリを取り「他国の雨」を歌われました。会場の東京宝塚劇場の隅にいた私は感激し、自分の人生でこれ以上の幸せはもう来ないだろうと思ったものでした。あなたにとって歌は命そのものでした。私たちファンにとってはあなたの歌声、あなたの存在そのものが生きがいでした。錦糸町にあった江東劇場の楽屋で初めてお目にかかったとき、私は詰襟の高校1年生でした。あれから半世紀以上がすぎ、私は「島倉千代子という人生」を書き、いまここにいます。島倉さんの人生の3分の2を見守ってきた人間として、申し上げます。さまざまな苦難にあいながら、よくここまで頑張りました。私を「ヤス」と呼んでいた島倉さんの「ヤス、うれしい」と、はにかむ顔が見えます。声が聞こえます。やがて私たちファンもそちらへまいります。みんなそろったら今までのように赤と青のペンライトを大きく振って「人生いろいろ」を歌いましょう。それまでお別れです。島倉千代子さん、さようなら、そしてありがとうございました。 」(「週刊ニュース新書」より)

島倉千代子さん、最後の最期まで、やさしいこころをいやす歌声、ありがとうございました。


ところで北原白秋さんが「からたちの花」を作詞したのですが、知っていますか。

「からたちの花が咲いたよ。
白い白い花が咲いたよ。

からたちのとげはいたいよ。
靑い靑い針のとげだよ。

からたちは畑の垣根よ。
いつもいつもとほる道だよ。

からたちも秋はみのるよ。
まろいまろい金のたまだよ。

からたちのそばで泣いたよ。
みんなみんなやさしかつたよ。

からたちの花が咲いたよ。
白い白い花が咲いたよ。」

それでは、島倉千代子さんのご冥福を心より祈りつつ・・・南~無 合掌 徳温禅月。



2013年12月18日水曜日

終活~孫に何をプレゼントするの?~

 おはようございます。
終活には、遺産相続という重要な課題があるのですが、その前に、生きている間に、あなたはお孫さんとどのようにかかわるのでしょうか。Xmasやお正月を前にふと思いました。これからXmasプレゼントやお正月のお年玉を、可愛いお孫さんにあげるのですが、慣習になっていないでしょうか。

長い、少なくとも60歳以上生きてくると、人生とは何か、また人生で失敗しない処世訓などが身についている世代だと思うのです。お孫さんの成長に伴い、確かに、両親が教育しているのですが、おじいちゃんやおばあちゃんのちょっとしたアドバイスが、子供たちにとって希望や勇気を持つことも多いのです。

ちょっと昔、島田洋七の「がばいばあちゃん」が流行りましたが、そのようなおばあちゃんたちは、周りに結構たくさんいるものです。だから終活のひとつに、孫の教育に関わるという項目を入れてほしいと思います。

次に、Xmasやお正月に贈るプレゼントやお年玉もいいですが、そろそろ遺産相続を兼ねて、お孫さんへの財産の贈与を考えてみてはどうでしょうか。終活読本「ソナエ」(産経新聞出版)秋号によりますと、「孫に贈与」がトレンドらしいです。

家計が火の車の現役のパパ・ママ世代に比べ、生活にゆとりのあるジジ・ババ世代が、節税を意識しながら孫の教育を援助している。「孫への贈与なんて金持ちが考えること」と思うなかれ。金融機関の窓口は、「元気なうちに隔世相続を」と相談に訪れるシルバー世代がひっきりなしなのだ。

その方法その一
教育資金贈与があります。1500万まで可能です。但し教育目的のみの使用ですので、お孫さんの年齢と進学計画を考えてからしましょう。但し2015年末までです。

その二
暦年贈与です。年間110万まで非課税ですので、お孫さんの教育費として、毎年?プレゼントしてはどうでしょうか。これがXmasやお正月の贈り物にいいかも。

その三
住宅取得資金として最大1200万まで非課税です。但し2014年末までです。

その四
相続時採算課税として、贈与分を相続時で精算します。これはきちんと伝えておかないと忘れるかもしれませんね。

贈り物はお金ばかりではないのです。ぜひ、子供さんやお孫さんたちと旅行などに行って、思い出を贈ってください。これが一番、あなたにとっても、ご家族にとっても、すてきなプレゼントかもしれませんね。方法はたくさんありますが、子々孫々にわたって、生かされ生きているのです。

贈与や相続について、お近くの終活カウンセラーや税理士さんにお尋ねしてください。また本もたくさん出ていますので、読んで見ることから始めてはどうでしょうか。それでは、皆様のご健康をお祈りしつつ・・・南~無 合掌 徳温禅月。




2013年12月17日火曜日

Xmas~キリスト誕生物語Ⅱ~羊飼いたち

 おはようございます。
昨日は、新約聖書のマタイの福音書からイエスキリスト誕生の物語を書きましたが、今日はルカの福音書から物語を書いてみたいと思います。そのまえに確かにキリストや仏陀の誕生をお祝いすることは大切なことですが、親子、兄弟、お友達など身近な人のお誕生日をお祝いすることはある意味ではそれと同様の意味があると思います。

なぜなら、その命は、人類歴史の中で、たった一人しかないからです。fb(フェイスブック)の良さは、お誕生日をfbfがお互いにメッセージできるところですね。いのちの誕生をお祝いすることのできる人たちは幸いですよね。

私はお会いしたら、できるだけ生年月日を聴くことにしていますが、その人のために祈るとき、たとえば別府武志さんと言っても、世界にひとりとは言えませんが、何年の何月、何日生まれの別府武志さんはただ一人で、その日にしか生まれていないからです。だから誕生日を大切にしたいと思います。

レンブラント「礼拝する羊飼い」

キリスト誕生物語~羊飼いたち

12月のイスラエルは、雪が舞い寒さが骨身にしみる季節なのですが、山間(あい)はもっと冷え込んでいました。その山間に、昼間放牧した羊たちを集め、寝かして、暖をとっていた三人の羊飼いたちが居ました。

そのとき、夜空の星々が一斉に輝きだしたのです。
シモン:「あれはなんだ・・・。」

羊たちも、うろたえ鳴き声をあげ、互いに寄り添っていた。そして大きな光とともに、天使が降りてきて、言った。

「恐れることはありません。今、私はこの民全体のためのすばらしい喜びを知らせに来たのです。今日、ダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。このかたこそ主キリストです。あなたがたは、布にくるまって飼い葉おけに寝ておられるみどりごを見つけます。これがあなたがたのためのしるしです。」

すると辺り一面が光に照らされて、天から多くの天使たちが降りてきて、聴いたことのない荘厳な音楽と、神を賛美する歌が天地に響きわたったのです。

「いと高き所に、栄光が、神にあるように。
地の上に、平和が、
御心にかなう人々にあるように。」

三人は、腰を抜かしながら、見たか、聴いたかと顔をあわせ、シモンが沈黙を破った。

「ようし、すぐにベツレヘムに行こう。天使が話したことを見に行こう」

三人は上着をかけながら、走り出した。大きく光る星の下に行くと、馬小屋があった。おそるおそるのぞいてみると、天使が言ったみどりごが、母に抱かれているではないか。シモンが天使が話したことをヨセフとマリヤに伝えた。

三人は、みどりごにひれ伏し、拝んだ。そして、ハレルヤと、神をあがめ、賛美しながら、飛び上がりながら、山へと戻った。

マリヤは、御使いが来て自分に言ったことを思い出した。

「聖霊があなたの上に臨み、いと高き方の力があなたをおおいます。
それゆえ、生れるものは、聖なる者、神の子と呼ばれます。」

そのお言葉通りになったことを、噛みしめながら、すべて心に納めて、思いをめぐらし、イエスを抱きしめた。

~終わり~「新約聖書ールカの福音書2」、「小説「聖書」新約篇」より

メリーXmasというとき、イエス様お誕生日おめでとうと言っているのです。私は釈迦やイエスが何のために生れて来たのかを長い間、学びました。ルカの福音書に出てくるシメオンのような歳になりましたので、皆さんに、釈迦とイエスの出生を様子をお伝えし、また一人ひとりの人間の命は、宇宙の唯一のいのちであることをお伝えし、だからこそ大事に生きてほしいし、真の宗教を学ぶことは、生きてゆく力が与えられることなのです。

キリスト教徒も仏教徒も全て、人類が平和でありますようにとお祈りします。南~無・・・合掌 徳温禅月。




2013年12月16日月曜日

Xmas~キリスト誕生物語~東方の三博士

 おはようございます。
もうすぐクリスマスで、お正月がやってきますね。さて、こんな話を聞きました。アメリカに留学した女子学生が、Xmasパーティに呼ばれ、お友達から今日は何の日か知っていると聞かれたので、サンタクロースの日でしょうと答えたら、みんながひいてしまって、恥ずかしい想いをし、お母さんになぜ教えてくれなかったのかと電話したそうです。

ひょっとしたらお母さんも知らなかったとしたら、日本人は、世界に出て行くことはできないと思いますが、読者の皆さんはどう思います。それで聖書に書いてある記事を物語にしてその情景と意味を考えてほしいと思います。

キリスト誕生物語~東方の三博士~

ここはバビロニアからカシミールにつながる、山間の小さな村に、空の星を調べる天文台がありました。澄み切った夜空には、星が今にも落ちてきそうな、いかなる宝石もおよびがつかない輝きがありました。そこには、三人の博士が居て、もっとも年長者がアッペリウス、次がアメリウスそして若いサラキンが交代で夜空を見ていました。

もっとも暗くなる明け方、サラキンは、いままでみたことがない星を発見したのです。毎日みているのに、いつあの星は、どこから来たのだろう。早速、仮眠していたアメリウスを起こしました。

サラキン:「アメリウス、起きて起きて、不思議な星があるんだ」

アメリウス:「どれどれ、どの星だ」
       「あれは、なんだあの輝きは・・・。」
       「サラキン、アッペリウス長老を起こしてきておくれ」

サラキン:「長老、寒いのに申し訳けございません。起きてください。
       大変な星を発見したのです。」

アッペリウスはゆっくり起き上がり、ローブをはおり、外に出て夜空を見上げました。

アッペリウス:「ああ・・・。あれこそ祖師たちが伝えてきた輝きだ、偉大な星だ。」

アメリウス:「長老様、教えてください。」

アッペリウス:「あの星は、西方にあるが、世界を救う方の星だ。
         そうだ救い主だ。500年前仏陀が生れたときもあのような星が東方にでたそうだ。」

       「イスラエルのベツレヘムの辺りじゃの~。よし、ラクダと贈り物の準備をしなさい。」
  
       「わたしが黄金、アメリウスよ新鮮な乳香を用意しなさい。サラキンは赤ん坊が病気に                                            
        ならないように没薬じゃ。急いで準備しなさい」

       「昼間に準備をし、明日の夜、あのもっとも輝く星を目指して、カブール、テヘラン、バク   
        ダットを通ってイスラエルまで行くんじゃ」

ラクダでの道のりは長くそして、冬の寒さは、肌に突き刺さるほどであったが、三人は高揚していた。昼間は、砂漠のなかのオアシスで体を休めた。時折、シルクロードの商人たちもこの道を通っていた。色ぐらい商人が声をかけてきた。

商人:「お偉い方、どこまで行きなさるのじゃ。」

サラキン:「イスラエルまで行きます。世界を救う方がお生まれになるのだ。」

商人:「それはそれは素晴らしい。よいニュースを聴きました。これはおにぎりですが食べてくださ  
    れ。どうぞこの旅がご無事でありますように・・・・。」

旅は、数日間に及んだ、イスラエルに入ると、三博士はヘロデ王に謁見した。

ヘロデ:「何しにきたのじゃ」

アッペリウス:「救い主がお生まれになります。」

ヘロデ:「本当か赤ん坊を見つけたら、すぐに知らせるのじゃ」

アッペリウス:「はい、わかりました。」

三人は宮殿をでて、星をたどって進んだ。その輝きは、村で見た以上に輝きが増していた。アッペリウスは、ヘロデ王の顔に、邪悪な相と不吉さを感じていた。

サラキン:「長老、星がとまりました。馬小屋があります」

アメリウス:「そこだ。入ってみよう。」

ヨセフ(イエスの父):「どちらさまですか」

アメリウス:「わたし達は東方から来ました。赤ん坊を見せてくだされ。」

マリアの胸に静かに眠っておられた。

アッペリウス:「おお、救い主じゃ。」


三人は、ひれ伏して拝み、黄金、乳香、没薬の贈り物として捧げた。マリヤは、にっこりと笑顔で感謝を伝えた。それから夢で、ヘロデのところへ戻るなという戒めを受けたので、別の道から自分の国へ帰って行った。

彼等が帰って行ったとき、見よ、主の使いが夢でヨセフに現れて言った。「立って、幼子とその母を連れて、エジプトへ逃げさい。そして、私が知らせるまでそこにいなさい。ヘロデが幼子を捜して殺そうとしています」

そこで、ヨセフは立って、夜のうちに幼子とその母を連れてエジプトに立ちのき、ヘロデが死ぬまでそこにいました。(「新約聖書ーマタイ2」)

ー明日へ続くー

世界の歴史のなかで、人類にもっとも影響を与えたのは、仏陀とキリストです。この二人は、努力したからそのような人物になったのでしょうか。それは違います。なるべくして生れて来たのです。そしてすべての人が、生れるべきして生れてきているのです。あなたも人類のために生れて来たのです。

あなたもその使命を果たさなければなりません。この物語はそのために書こうと思いました。ほぼ聖書に忠実に書いていますので、読んでいただいて、人生の目的と目標を持って生き抜いてください。皆様の人生が、神仏によって用いられますように・・・南~無 合掌 徳温禅月。




2013年12月13日金曜日

終活~島倉千代子さんの終活~

 おはようございます。
昨日、ご紹介した終活読本「ソナエ」(産経新聞出版)の中に「らしさのある葬儀」というテーマで島倉千代子さんの葬儀と終活についての記事がありました。

『遺影は生前、自分が選んだお気に入りの一枚だった。遺影で来ている紫色の着物は棺に納められた。自身が旅装束にと希望していた。「最期まできれいに」と死化粧の指示までしていたという。「香典はいただかないで」と葬儀の出し方にも注文をつけていた。』


8年前に「島倉家これが私の遺言」という本を出版した頃から、彼女の終活は始まっていたと思います。東京品川の東海寺に、ピアノをイメージしたデザイン墓を、生前に建てていて、生れなかった忍ちゃんのお名前も・・・。「淋しいとき、悲しいとき、嬉しいときもモニュメントに会いに来てくださいね。きっと元気になりますよ」と語っていたそうです。

これだけ、完璧に「終活」をしていた芸能人はいないと思います。いかに彼女が誠実に生き、死ぬまで他人にはご迷惑をかけたくないという心くばりがあったのです。そして来年の歌手生活60周年を記念して、南こうせつさんに依頼していた歌を最後に歌ったのです。「からたちの小径」ですが、特別に12月18日に発売が決まり、早速、予約注文しました。早くこないかなと楽しみにしています。


「なつかしいうたを 誰かがうたっている
遠い日の思い出が よみがえる
駅から続く からたちの小径を
手をつなぎ 寄り添って 歩いたわ

・・・・・

帰らない日々を くやみはしないけど
人生は流れゆく 旅景色
たった一度の ときめきの香りが
夢見るように 淋しそうについてくる

・・・・・                    」(作詞 喜多條忠 南こうせつ)


戒名は「寶婕院千代歌愛大師」~「美しきの日本の宝、千代(永久)に歌を愛するかわいい人」という意味だそうです。島倉千代子さんのご冥福をお祈りし、追悼の意を表します。合掌 徳温禅月。






2013年12月12日木曜日

終活~「ソナエ」冬号を読んで~

 おはようございます。
楽しみにしていた終活読本「ソナエ」2014冬号(産経新聞出版)が届いた。季刊誌にしては880円で手頃であることと、トレンディな記事もあるので面白いので、購読しているわけです。

今回の表紙は、堀北真希さんで、映画に見る葬送が特集で、彼女が映画「麦子さんと」の主役を演じています。12月21日からロードショーで公開されますが、監督は吉田恵輔氏です。ストーリーは、別居していた母(余貴美子)が突然帰ってきて、兄と三人の生活が始まるわけです。

子を捨てた母との生活のなかでの親子の葛藤そしてその母親が亡くなって、もっとやさしくしておけばよかったと後悔、自分を責める麦子の姿、葬儀、納骨など母の死を通して、親子とはなにかなど突きつけるものがあるのではないでしょうか。この映画、観に行きたいと思いました。


堀北真希さんは毎年お墓参りをしているとのことで、彼女の純朴なこころに、なるほどとうなづけるのではないでしょうか。吉田監督も撮影に入るまえに、お母さん(享年65歳)が亡くなり、「悲しみ」より「後悔」が先だったそうです。

死後のひとつひとつの儀式といいますか、看取り、葬儀、火葬、取骨、そして法要、納骨という亡くなった方を送るなかで、生と死を考えるのではないでしょうか。特に近親者の死を通して、自分自身の人生を考えることができる機会でもあるのです。だからこそ、火葬で終わるような直葬は生命観の喪失だと思います。

この映画「麦子さんと」はぜひ観たいし、もういちど観たいのは、伊丹十三監督の「お葬式」と滝田洋二郎監督の「おくりびと」、まだ観ていないもので、砂田麻美監督の「エンディングノート」がある。この「ソナエ冬号」にはたくさんの「死」「葬儀」を扱った作品を紹介しているので、ご一読してはどうでしょうか。

お互いに後悔しない死に方をしたいものです。それは同時に後悔しない生き方でもあるのです。それでは皆様のご健勝をお祈りしつつ・・・南~無 合掌 徳温禅月。




2013年12月11日水曜日

ネルソン・マンデラ氏を追悼する

 おはようございます。
ネルソン・マンデラ氏が12月5日に95歳でその生涯を閉じ、世界の首脳が集まり、追悼式がおこなわれました。時代を切り開いた巨星がまた一人去って逝きました。ご冥福を心よりお祈りし、追悼の意を表します。

「ウィキペデア」より
「ネルソン・ホリシャシャ・マンデラコサ語: Nelson Rolihlahla Mandela1918年7月18日 - 2013年12月5日)は、南アフリカ共和国政治家弁護士である。
大統領(第8代)、下院議員(1期)、アフリカ民族会議議長(第11代)を歴任。
賞歴としてネルー賞、ユネスコ平和賞、アフリカ賞サハロフ賞ノーベル平和賞国際検察官協会名誉章受章など。称号には名誉法学博士(早稲田大学)など。南アフリカ共和国での愛称はマディバタタ(父)[2]


若くして反アパルトヘイト運動に身を投じ、1964年に国家反逆罪で終身刑の判決を受ける。27年間に及ぶ獄中生活の後、1990年に釈放される。翌1991年アフリカ民族会議(ANC)の議長に就任。デクラークと共にアパルトヘイト撤廃に尽力し、1993年にノーベル平和賞を受賞。1994年、南アフリカ初の全人種参加選挙を経て同国大統領に就任。民族和解・協調政策を進め、経済政策として復興開発計画(RDP)を実施した。1999年に行われた総選挙を機に政治家を引退した。」

マンデラ氏追悼式に数万人、皇太子さまも出席 -読売新聞よりー
【ヨハネスブルク=黒岩竹志】5日死去した南アフリカのネルソン・マンデラ元大統領の追悼式が10日、ヨハネスブルク郊外のサッカー競技場で行われ、各国要人を含む約5万人が、アパルトヘイト(人種隔離政策)撤廃へと導き、人種融和を進めたマンデラ氏の功績をたたえた。
 米国からオバマ大統領、ブッシュ前大統領、クリントン元大統領、カーター元大統領の歴代4人が出席したほか、英国のキャメロン首相、フランスのオランド大統領ら100人を超える要人が集まり、アフリカ史上最大規模の式典となった。日本からは皇太子さまが、福田康夫元首相らと出席された。式典では、オバマ大統領が「20世紀最後の偉大な解放者だ。我々はマンデラ氏から何を学ぶべきかを問いかけなければならない」と語った。
 旧黒人居住区ソウェトに近い競技場では、2010年のサッカー・ワールドカップ(W杯)の閉幕式が行われた。これが、マンデラ氏が公の場に姿を見せた最後となった。
2013年12月10日23時15分  読売新聞)

混迷の世界を切り開く若者よ出でよ!山本覚馬の言葉を思い出しました。「弱気を助け、強気を挫き、貧を救い、富を抑えるものは誰ぞ」(「八重の桜」より)。





 

2013年12月10日火曜日

マンウォッチングのすすめ

 おはようございます。
TVニュースを見ているとおもしろいですね。どこかの国の都議会での都知事の答弁の表情と耳から汗が流れるところを見ると可哀想というか、この程度の人かと思うのは私だけでしょうか。皆さんの中には、バードウォッチングが好きな方が多いと思いますが、自然の中での鳥などの生き物を見ていると心が和みます。

でも視たくない映像を見なくてはいけないのが人間界ではないでしょうか。魑魅魍魎の世界です。これを積極的に見て楽しむマンウォッチングを提言したいと思います。

人物を見るときは、鳥瞰的に見なければなりません。つまり自分が鳥になったつもりで、うえから見る目線ですね。なぜなら同じ位置なら、同情してしまうし、下から見ると、卑下しかねないから、やはり上から見る方法で、俯瞰的とも言います。

ある医療法人から多額のお金を借りた?ことへの答弁を聴いていると、しろどもろどで滑稽ですね。よって立つべき思想がないから、このようなことになるわけですね。最近思うのは、自分というものの器がわかっていない人が多いのです。

前知事の取り立てがあったから、才能が活かせたことがわからないまま、後継者になると、つまりトップに立つと失態をしでかすわけです。しかし権力欲が強く、権力にしがみつくわけです。北の国でも同様のことが起きていて、親父のおかげでトップになったのですが、親父がいないと、部下を活かせない小心ものなのがトップになると、本当に困ってしまうことがおきるわけです。まあ国内も海外もたいへんですね。

どこかの国の、みんな?の党が分裂したようですが、どちらも身の程しらずで、政権を任せるような人物ではないと思いますが、どうでしょうか。たとえば、前の政権のトップ達もその器量ではないと思いませんか。

人間の器を言った人が陽明学の大家であった安岡正篤先生ですが、占い師の細木和子さんと婚約したことがあったそうですが、晩節を汚すとはこのことで、やはり人間界の絵空事に見えてくるわけです。その細木和子さんの、島倉千代子さんとの関係も聴くとおどろおどろしいですね。おお怖い、怖い!

でも似たようなことが、家庭で、会社で起きているわけで、これがストレスになるわけです。しかしそれを鳥瞰的に見てほしいと思うわけです。若い人によく言いますが、君達はレコード盤の針みたいに一生懸命仕事をしているが、仕事もレコード盤と一緒で、それからはなれてみないと、いいかわるいかわからないと。レコード盤?表現が古いかも知れませんね。

故ケネディ大統領のような人物が今いるかな?つまり命を賭けきる人物です。戦争が始まったら真っ先に逃げだすのは国会議員のセンセイかも知れません。まずは己を知ることです。己を知らなければ、仕事もうまくできないし、人間関係もうまくいきません。己を見つめるために座禅をしてみませんか。自分がどのくらいのものかが見えて来ます。それを知って仕事をすべきです。それでは皆様のご活躍を祈りつつ・・・合掌 凡俗禅月。




2013年12月9日月曜日

「社葬」について

 おはようございます。
昨日、BS-TBSで映画「社葬」を観ましたが、おもしろく人間模様が描かれ、ある意味では滑稽な映画ですが、作品としては素晴らしいと思います。1989年の作品ですから今から24年前ですね。日本経済が高度成長しバブル絶頂時ですね。俳優さんたちも若い頃だし、もうあの世に行った方もおられます。

「日本を代表する大手新聞社の社長が急死したことから起こる次期社長を巡る壮絶な社内抗争の模様を描いたドラマ。監督は「首都消失」の舛田利雄。日本有数の大手新聞社のひとつ“太陽新聞”。会社は現在、会長派と社長派に割れ、激しいつばぜり合いをしていた。両派が多数派工作に奔走するさ中、社長が腹上死してしまう。これによって“次期社長”を巡る抗争は一気に激烈さを増し、社内は混迷の度を深める……。」(オールシネマより)

主役の緒方拳さんと料亭の女将の十朱 幸代さんとの濡れ場シーンは、緒方さんはともかくとして、こんなに綺麗な方はいないなと思うほど十朱 幸代さんは妖艶ですね。この作品から「社葬」が何たるものかを理解することには無理があると思います。社葬の流れはわかります。
映画「社葬」より葬儀委員をねぎらう。

本来、会社の社長や会長さんが亡くなると、社葬にするかどうか決めなくてはなりませんが、経費で落とせますし、規模が大きくなれば社葬にされるのがよいでしょう。いわゆる社葬は、告別式あるいは本葬になりますから、その前に近親者による密葬をしておく必要があります。

会社内から葬儀委員長(経験者)を決めて、葬儀を執り行う葬儀委員会を編成します。社葬の場合は、葬儀社まかせにしてしまうと、席順、献花の位置や弔電の順番などでつまらぬ失態をすることがありますので、社内や取引先に精通した人が葬儀委員長になるほうがよいです。あるいは葬儀プロデューサーなどのプロに委託するのもいいと思います。

この映画のように急にお亡くなりになるようなときは、まさに会社の後継者でもめる場合がありますので、会社のトップである社長は、一般の方以上に、「終活」をしっかりしておく必要があります。遺産相続は当然ですが、後継者育成をしながら、できるだけ早い時期に後継者を指名し、社内の融和をはかっておく必要があります。

この後継者問題を、ひとりよがりの人事で行うと優秀な人材が退職する危険性をはらんでいるわけです。中小企業でも社長が60歳頃にはしておきたい重要な課題です。ここで一句「いつまでも あると思うな、わがいのち」

会社の資産や負債は、後継者が引き継ぎますが、釈然としない個人資産がある場合、遺産相続をめぐって親族でもめます。どうぞトップたるもの、くれぐれも個人の遺産相続問題を会社に持ち込んだり、社内への悪影響を及ぼさないようにしていただきたいと思います。自分の死後も会社が発展することを願っているはずです。しっかりトップとしての「終活」をして、万全の態勢を作っておきたいものです。

この機会に、自分があの世に行ったら、葬儀はどうするのかなどの「終活」をそろそろしてはどうでしょうか。映画「社葬」をぜひ見れば、参考になる点が多々あると思います。それでは、皆様が今週も元気でご活躍されることをお祈りします。南~無・・・合掌 徳温禅月。




2013年12月6日金曜日

じたばたするな!

 おはようございます。
一週間の経つのが早いですね。もう週末を迎えようとしていています。世の中、毎日毎日いろんなことがあります。ましてや情報化社会ですから、テレビなどのマスメディアからインターネットなどの個人情報に至るまで、あらゆる情報が流れ、見ることができる世の中です。

しかし、情報に踊らされることなく、この世を達観して観て行きたいものです。見ると言う字が観察の観に意味があるのです。南アフリカのアパルトヘイトを撤廃したマンデラさんも95歳であの世に行きましたが、大往生ですよね。ご冥福をお祈りします。

昨日見た落日
  
空海さんが「来たること我が力にあらず、帰らむこと我が志にあらず」(性霊集)で言っていますが,
人間生まれるときも死ぬるときも自分の意思で決められないのです。老いて死に至るのは、生あるもののさだめです。
 
なにも気にすることはないのです。先日、TVでアメリカの脳外科医の臨死体験を特集していましたが、それが真実であろうがなかろうが、今生きていることとは関係がありません。だから仏陀は何も言わなかったのです。
 
私は、死ねば肉体の一部である脳も死滅するわけですから思惟することはできないと思います。つまり霊魂は思惟するものではなく、もっと純粋なもの、光のようなものではないでしょうか。ですからあの世を別の世界があるなどというではなく、霊魂は神や仏のみもとで行くのです。
 
だからじたばたしてどうする。今を精一杯、正しくかつ楽しく生きるべきだと思います。良寛さんは、「災難に逢う時節には災難に逢うがよく候。死ぬ時節には死ぬがよく候。是はこれ災難をのがるる妙法にて候。かしこ」と言いました。
 
良寛さんのように、「あるがままを受け入れ、生や死を越えてひとり揚々と生きる境地」に見習いたいと思うものです。まあ、じたばたせずにゆっくり風景を眺めながら生活しましょう。それでは皆様にとって、良き週末でありますようにお祈りします。南~無、合掌 徳温禅月。
 
 
 
 
 


2013年12月5日木曜日

終活~お墓をつくろう~

 おはようございます。
最近、ある仏壇屋さんがお墓のCMをよくながしているので、パンフレットを取り寄せました。実家は納骨堂におさめているので、分家の私としては、お墓もしくは別に納骨堂を手配しなくてはいけないわけです。

それにしても島倉千代子さんのピアノの形をしたお墓はいいですね。墓石も黒光りして、上質の物ですね。友人から、「昔、父が永代使用権を買っていた墓地を譲っていい」とのお話をいただきましたが、12㎡もあり、どんなお墓を建てるのと思うと気がひけているわけです。

さて、終活の大事なお仕事(死後土)のひとつが、「終(つい)の住処(すみか)」をどうするのかということですが、最近は生前に自分のお墓を建てる方が増えているそうです。この墓のことを「寿陵」と言い、長寿を願うめでたい墓とされています。

お墓は勝手に作れませんので、許認可を受けた墓地が、いわゆる公益法人が作った民営墓地、市町村の公営墓地、そしてお寺の境内にある寺院墓地ですが、本当に永代供養してくれるのはやはり寺院墓地だと思うのですが、やはり数が少ないようです。

次に墓所の種類ですが、一般墓所や芝生墓所、花壇墓所、緑地付き墓所、生垣墓所、壁墓所などがあります。そして墓石の種類が、和型墓石洋型墓石があり、最近は洋形墓石が増えているそうです。先日天ヶ瀬トレイルのお立ち寄り先にとお願いに、「九州池田記念墓地公園」に行きましたが、芝生墓所で、洋型の墓石が立ち並び、素晴らしい施設でした。


さて、イメージが浮かんできて、6人ほど入れるファミリータイプでリーズナブルなお値段のものがいいなと思った次第です。

また室内墓苑と言われる納骨堂もロッカー式の物から納骨壇式、そして搬送式のものがありますが、お値段も50万~120万円まであり、決してリーズナブルとは言えないのは、納骨堂の建設費がかかるからかも知れませんね。都市圏ではビルの中につくるところも出てきているそうです。

そのほかに、散骨、樹木葬、海洋葬などがありますが、やはり日本人は先祖供養というお役目がありますし、お墓を通して亡き故人とお会いできるものと思いますのでお墓は必要ですね。また費用があまりかからないもので永代供養墓・合祀墓があります。

60歳を過ぎたら、「終の住処」を準備しておいたほうが安心できると思う今日この頃です。それでは皆様のご長寿をお祈りしつつ・・・合掌 徳温禅月。



2013年12月4日水曜日

仏道を歩くⅦ~僧侶(聖職者)の不祥事に思うこと~

 おはようございます。
 29日、広島で53歳の住職が、貿易会社の社長と偽り、不倫相手の女子大生に、暴行を繰り返し逮捕されたことが報道されました。僧侶や牧師の性的犯罪、不祥事があとを絶たず、多くの方が憂い、失望していることを鑑み、なぜこのようなことが起きるのか皆さんと考えてみたいと思います。

現代のお寺や教会などは、世襲が多く、親が住職だったので仕方なく?後を継いだケースがほとんどではないでしょうか。仏教では、出家と在家という言い方をしますが、ほんとうに出家した僧侶は少なく、形式的に出家と言っているだけで、むしろ在家のなかに、出家に等しい人が多くおられます。

世襲制のため、人生と何か、宗教とは何か、仏教とは何か、キリスト教とは何かを考えたり、悩んだり、苦しんだりすることなく、僧侶や牧師が多いためこのような事件が後を絶たないのかもしれません。つまりなんら宗教性も信仰もない僧侶が多いと言ったら語弊があるでしょうか。

しかし私は、素晴らしい僧侶や牧師さんにもお会いし、親しく接し、ご教授いただいております。そういう方もたくさんおられるのに、一部の聖職者の不祥事によって、宗教界とりわけ仏教界が批判の矢面に立たされることは残念なことです。

ブッダもキリストも、悪魔から同様の誘惑(攻撃)を受けました。このことは仏典にも聖書にも書いています。今の僧侶や牧師にも、悪魔の誘惑があるのです。悪魔とは言わなくても、人間の根源にある欲望(煩悩)とりわけ性的な欲望に負ける人が多いのです。

現代の僧侶はほとんどが妻帯してるのですから、健全な夫婦生活をおくればこのような破廉恥な不祥事はおきないのです。つまり不健全な心構えを持っているし、不信仰なのです。一般の方は僧侶が不信仰ですかと驚く方もおられると思います。

つまり僧侶とは職業ではなく、悟った人である自覚が欠如しているし、悟っていないわけです。キリスト教では明確に聖霊や悪霊の存在を語っていますが、仏教では、仏陀が霊魂について語らなかったから、霊魂は存在しないなどという仏教学者がいますが、それならなぜ阿弥陀信仰や真言や陀羅尼などのお経があり、亡き人を供養するのでしょうか。

あなたの目には見えないお方がおられ、いつもあなたを見ていて、あなたを導き、あなたを守ってくれているのです。つまりそれが菩薩であり、聖霊ではないですか。あなたのそばにいるのです。あなたが菩薩や聖霊を悲しませることをしてはいけません。

見られていると信じますか?信という字には、信頼する、信用する、信心するなど多くの言葉がありますが、もっとも大事な言葉は、信仰です。それは崇める方であり、敬うべき方であり、私たち凡俗な人間とはレベルの違う方を信じることです。あなたは信仰がありますか。

それでは、皆様のご健康とご健勝を祈りつつ・・・合掌 徳温禅月。



2013年12月3日火曜日

「清貧の思想」を読むⅡ~良寛と長明~

 おはようございます。
「清貧の思想」の第4節から第7節までは、鴨長明と良寛とを対比しながら、彼等の暮らしぶりを書いています。ウィペディアで紹介すると、当然時代は違うのですが、この二人の出家のありかたに差異があるのです。

「鴨 長明(かも の ちょうめい、久寿2年(1155年) - 建保4年閏6月10日1216年7月26日))は、平安時代末期から鎌倉時代にかけての日本の歌人随筆家である。俗名はかものながあきら禰宜・鴨長継の次男。位階従五位下
鴨長明 (菊池容斎画、明治時代


良寛(りょうかん、宝暦8年10月2日1758年11月2日〕 - 天保2年1月6日1831年2月18日〕)は江戸時代後期の曹洞宗僧侶歌人漢詩人書家。俗名、山本栄蔵または文孝。号は大愚
長岡市隆泉寺の良寛像


鴨長明はあの有名な方丈記の作者ですが、
「行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。」と高校時代に暗記している人が多いと思いますが、この出だしの文章こそ、仏教の無常観を表しているのです。

中野孝次先生によりますと、年齢がきたので、長明は仕方なく出家したが、良寛は、自らの意思で乞食生活を選んだと書いてありますが、現代人には良寛的な生き方をできる人はほとんどいない。近年では俳人で、曹洞宗の僧侶でもあった種田山頭火だけではないでしょうか。

「とにかく鴨長明は、方丈という最小限の空間に住みながら、そこで音楽をたのしみ、利得にあくせく奔走しないでいられる生活を誇りとしたのだった、またその心境をよしとする人がいたからこそ、彼の『方丈記』は今日まで読みつがれてきたのであろう。こういうふうにしてから人から人へと目に見えない糸で伝えられて来たもの、それをもし文化の伝統というなら、その伝統をわたしは尊いものに思うのだ。」(「清貧の思想」より)

日田市の天領まつりのおり、乞食行をしている若者をみましたが、ほんものかどうかは別にして一日中立っているところをみるとほんものかもしれませんね。わたしは若いときは俗世に身においたほうが、そのほうが僧侶人生のなかで、民衆の声が聴ける人になると思います。

良寛の生活は、昼は托鉢行をしてまわり、草庵(越後五合庵)に住んで、「嚢中三升の米と炉辺一束の薪」だけである。エアコンがついた部屋で何不自由なく生活している現代人には、豪雪地帯の新潟で、このような生活など到底できるはずがないのです。

「わたしはいつか冬は、越後の国上山の五合庵跡をたずね、そこに再建されている庵を見て、老杉の下に一間きりの寒々とした粗末な住居に自分ならとうてい耐えられまいと思った。あまりにも簡素で、あまりにも貧しすぎるのである。そしてこういうところに粗衣粗食で暮らした人はよほど精神の強靭な人だったのだろうと想像するとともに、現代文明に甘やかされたわれわれの脆弱さを省みずにいられなかった。」(「清貧の思想」より)

「師、常に手まりをもて遊び給ふとききて奉るとて、『これぞこの仏の道に遊びつつつくやゆきせぬみ法なるらむ』貞心尼 それに対する良寛をの返しが、
「つきてみよひふみよいむなやここのとを十とをさめてまたはじまるを」 なのである。

理屈を言わずにともかくあなたも毬をついてみなさるがいい、ひふみよいむなやここのとを十、とついて収め、また新たにひふみよと始める、その無限の繰返しこそ人生そのものであり、仏の道というものがあるならその中にしかにことがわかるでありましょう、という。」(「清貧の思想」より)

現代人が良寛を尊敬してやまないし、そうなりたいと思うのは、すべてのしがらみを捨てきっているからだと思います。今、終活という言葉が使われるようになりましたが、その時期が来たら、まさに隠居して静かに過ごしたいとほとんど人が思っていると思います。

こころ静かに生きるために、権力や富や煩悩をできるうる限り捨てきることだと思うのですが、なかなか捨てきられない煩悩と執着こそ、自らが越えなければならない峠かもしれませんね。とにかく中野孝次先生の「清貧の思想」(草思社)は読めば読むほど味がでてくる本です。

私が「清貧」から「清福」と言っているのは、現代人には、貧しさの度合いが違うのですから、せめて清々しく幸福な人生を歩んで欲しいと思うからです。皆様のご多幸をお祈りしつつ・・・合掌 徳温禅月。




2013年12月2日月曜日

堤清二氏を追悼する。

 おはようございます。
団塊世代より歳が上の人で、堤清二を知らない人はいないでしょう。11月25日、86歳でその生涯の幕を下ろした。初七日の今日、ご冥福をお祈りし、追悼の意を表明します。私も中小企業でしたが、流通業に身を置いていましたので、西友およびパルコなどセゾングループを牽引する堤氏を尊敬していましたし、詩人辻井喬との二束のわらじをはきこなせる才覚に畏敬の念も持っていました。


ウキペデイアを読んでいただくと堤氏の人となりが見えてくると思います。

「堤 清二(つつみ せいじ、1927年3月30日 - 2013年11月25日)は、日本実業家小説家詩人学位博士(経済学)中央大学1996年)。筆名辻井 喬(つじい たかし)、横瀬 郁夫(よこせ いくお)。日本芸術院会員財団法人セゾン文化財団理事長社団法人日本文藝家協会副理事長、社団法人日本ペンクラブ理事、『歴程』同人、憲法再生フォーラム共同代表、日本中国文化交流協会会長
西武流通グループ代表、セゾングループ代表などを歴任した。弟は元西武鉄道会長の堤義明
本稿では編集の都合上、「実業家:堤清二」と「小説家・詩人:辻井喬」の両者としての経歴を包括している。」 (続きはネットで)


彼は学生時代、日本共産党に所属し、学生運動をしてきたのですが、唯物史観の負の部分も知っていたひとりかも知れません。多くの実業家や作家とも交流があり、作家三島由紀夫氏もその一人です。

何はともあれ、昭和を生き抜いた人物がまた一人去って逝きました。2011年に「古寺巡礼」(ハルキ文庫)を出版し、堤氏は遊行期をしっかり歩いたひとでした。

「それにしても、仏像を眺めるというのは、どういうことなのだろう。(中略)あえて言えばしっかりと仏に繋がれていることによって、小さいけれども確固とした存在になっている感じを否定できない」

そして2012年に「死について」(思潮社)を書き、彼は逝ってしまった。こころよりご冥福をお祈りします。