2014年1月28日火曜日

司馬遼太郎さんの「街道をゆく」8巻~豊後・日田街道~由布院

 おはようございます。
OAB放送の「甦れ!豊の軌道ー時空の旅」の片岡鶴太郎さんは、JR九州久大線の旅で、これは情緒があるのですが、なぜか司馬遼太郎さんはタクシーでの移動のようですね。タクシー運転手のお話も面白いのですが・・・。

さて、司馬さんの「街道をゆく」をガイドブックにしているので、鶴太郎さんも由布院亀の井別荘で、中谷健太郎さんが須田画伯のことも絵を紹介しながらお話していました。ここではでてきませんが由布院のまちづくりの示唆したひとが、日本で初めて林業学をなした東大の本多静六先生です。

冬の由布院(観光協会HPより)

金鱗湖のそばにふしぎな宿(司馬さんの表現)「亀の井別荘」があるのですが、司馬さんの中谷健太郎さんへの初対面の印象が面白い、どう見ても中谷さんは普通のおじさんに見えるのですが、頭のなかはどうも違うらしい。「玉の湯」の溝口薫平さんたちと、今日の由布院を作りあげた人ですからね。山荘無量塔の藤林晃司さんが生きていたら、司馬さんの話もしたかったのに・・・。

金鱗湖ですが、亀の井別荘が隣接しています。天井桟敷でコーヒーを頂くのもいいですよ。

司馬さんたちは、九重の長者原まで足をのばして散策しています。戻って由布院を散歩するのですが、この本に出てきた「梵音響流」という言葉にこころが魅かれました。

「梵音響流というが、音の輪がこの丘からころげおりて盆地の里さとをゆるゆるとまわるという音の景色が、中谷氏の由布院によくあっているように思える。」(「街道をゆく」より)という表現がいいですね。

鶴太郎さんも中谷さんと楽しそうにお話していたのが印象的な番組でした。さて次は玖珠に向かいます。ぜひ皆さんも「街道をゆく」8巻と「甦れ!豊の軌道ー時空の旅」のHPをご覧になってください。もう一冊お薦めする本は「由布院の小さな奇跡」(木谷文弘著 新潮新書)、由布院のことがよくわかりますよ。明日をお楽しみに!皆様の今日のご無事を祈りつつ 合掌 徳温禅月。





2014年1月27日月曜日

司馬遼太郎さんの「街道を行く」8巻~豊後・日田街道~Ⅰ

 おはようございます。
25日日にOAB大分朝日放送開局20周年特別番組で、「甦れ!豊の軌道~時空の旅」というタイトルで、片岡鶴太郎さんの旅が放映されました。OABのご紹介には、

「列車で旅をしながら故郷おおいたの現在・過去・未来を再発見する「時空の旅」へ出発です。

全国でも人気の高い観光スポット、大分県の「温泉」。
なかでもJR久大本線の沿線には、大分の有名温泉のほぼ9割が存在し、「SPA LINE」と名付けられています。
実はこのSPA LINEには、温泉だけではない、様々な大分の魅力が時空を超えて秘められています。

過去には、38年前、国民的作家・司馬遼太郎さんがエッセイ「街道をゆく」に記した、由布院の自然との共存がありました。
"旅のガイドブック"「街道をゆく」を片手に地元の人々とふれあいながら、未来へのヒントとなる豊かな知恵を育んだ、大分の知られざるエピソードに迫ります。

旅人:片岡鶴太郎 」 と書いていました。

司馬遼太郎さんが、「街道をゆく」に、大分県、特に湯布院・玖珠・日田という久大線沿線の街を旅し、書いていたとは知らず、番組を見て、早速、「街道をゆく」8巻を読み、鶴太郎さんの旅と共に、ご紹介しておこうと思ったわけです。

司馬さんの旅の同行者は、須田画伯ですが、ウィペディアによりますと、
「須田 剋太(すだ こくた、1906年5月1日 - 1990年7月14日 )は洋画家。埼玉県生。当初具象画の世界で官展の特選を重ねたが、1949年以降抽象画へと進む。力強い奔放なタッチが特徴。司馬遼太郎の紀行文集『街道をゆく』の挿絵を担当、また取材旅行にも同行した。道元禅の世界を愛した。」ですが、曹洞宗で得度した私としては、「道元禅の世界を愛した」というところが気になりますね~。

「街道をゆく」8巻豊後・日田街道の須田画伯の挿絵ー咸宜園ー

さて、司馬さんたちは、大分空港へ降り立ち、国東半島から杵築、日出を通って、別府に通るのですが、このあたりの風景描写も軽妙で心地よいですね。

別府観光を築いた「油屋ノ熊八」と書いているのですが、司馬さんは、ほとんど、どのよう人物かは、わからなかったようです。鶴太郎さんの番組では、わかりやすくご紹介していました。

得意のウィペデイアを見てみると、
「油屋 熊八(あぶらや くまはち、1863年8月29日(文久3年7月16日) - 1935年(昭和10年)3月24日)は、歓楽的な温泉都市大分県別府市の観光開発に尽力し、田園的な温泉保養地由布院の礎を築いた実業家。」

この旅に、片岡鶴太郎さんが選ばれているのは、彼が絵心があり、人情味があるからではないだろうかと思いました。次回は由布院へと旅は行きます。この番組、再放送かDVDがあれば観て欲しいですね~。それは今日一日、無事でありますようにお祈りしつつ、明日乞うご期待。合掌 徳温禅月。






2014年1月24日金曜日

四国巡礼と十三仏御本尊~不動明王~

 おはようございます。
四国八十八ヶ所を巡礼するとき勤行集を持って、必ず、本堂、大師堂で、十三仏御本尊真言と般若心経を唱えるのですが、意外に十三仏御本尊とその真言の意味について一般の人は知らないのではないかと思いつつ、ちょっと書いてみました。


十三仏とは、「十方三世」の仏様を代表する十三人の仏様方で、十方は、北、北東、東、東南、南、南西、西、西北と上下です。三世は、過去、現在、未来です。曼荼羅にはそのように配置していますね。


最初にでてくる方が不動明王(お不動様)です。2、3年前心身のバランスを崩した時期があって、室内で片目(半眼)の仏像のまさに像を見たのです。オカルトっぽいので書くのはためらっていましたが、時間が経過したから書きますが、その像は片目(半眼)でしたので、よくない幻想かと思い、危惧していましたが、あるとき本に不動明王の絵が載ってあり、この方だと思いました。守ってくれていたのですね。

中野東禅先生の「仏さま白書」(四季社)によりますと、「原名は『アチャラナータ』といいます。意味は心底清らかな悟りは不動で、力強く煩悩を打ち砕くという意味です。大日如来の化身です。」

ご真言は「のうまく さんまんだぁ ばあさらだぁ せんだん まぁかろしゃぁだあ そわたや うんたらたぁ かんまん」(サンスクリット語)です。


私たちが愚かな欲望を抱いたり、敵愾心をもたれたり、心身が不調のとき、家族が仕事などで悩みを抱えていたりしたときに、この真言を唱え祈りますと、たちまち煩悩や悪霊は消えます。山々を歩くことが多いのですが、よからぬケハイを感じた時、唱えながら行くと、守られたことが何度もあります。

「エクソシスト」という映画がありましたが、現実にある話でキリスト教でもあのような祈祷と悪魔・悪霊との闘いをするのです。信仰心のない人たちがよからぬことをしたり、殺傷事件を起こすのは、悪霊の働きもあるのです。

オーム真理教などは、その最たるものだと思っています。邪教も打ち砕いてくださるのが不動明王お不動様)なのです。もし何か不吉なものを感じていたら、お近くのお寺さん(真言宗系、天台宗系、曹洞宗系)にご相談してください。

お不動様に毎日、この真言を唱え、お祈りすれば必ず解決します。それでは皆様が健康でありますようにお祈りします。南~無 合掌 徳温禅月。

参考図書 「仏さま白書」(ほとけ百科)  中野東禅著 四季社
       「あなたを守る開運十三仏」 大栗道栄著 日本文芸社



2014年1月22日水曜日

小野田寛郎さんから人間の使命を考える

 おはようございます。
小野田寛郎さんのご冥福を心よりお祈りし、追悼の意を表します。1月17日のニュースを聞いて、しばらく、小野田さんの人生を省み、ひとりひとりの人間の使命とは何かを考えていました。下記はスポニチの記事ですが、


『小野田寛郎さん死去…終戦知らず比ルバング島で30年過ごす   

74年フィリピン・ルバング島で発見され、敬礼する元日本兵の小野田寛郎さん(共同)
74年フィリピン・ルバング島で発見され、敬礼する元日本兵の小野田寛郎さん(共同)
Photo By スポニチ

 太平洋戦争の終戦を知らずにフィリピン・ルバング島で30年間過ごした元陸軍少尉の小野田寛郎(おのだ・ひろお)さんが死去したことが16日、分かった。91歳。和歌山県出身。

 死因などは不明だが、小野田さんが設立した「小野田自然塾」(東京都中央区)関係者はスポニチ本紙の取材に「亡くなったという連絡を受けている」と明かした。近く、近親者のみで密葬を営むとみられる。

 小野田さんは1942年に和歌山歩兵第61連隊に入隊。44年にルバング島に派遣され、情報員の任務を与えられた。

 しかし、終戦を知らずジャングルに潜伏。51年に帰国した元日本兵の証言からその存在が判明したが、作戦解除命令がないことを理由に部下とともに山中にとどまっていた。74年3月、捜しにきた元上官らの任務解除命令を受け、山を下りて救出され帰国した。

 帰国後の翌75年、ブラジルに移住。原野を開拓して牧場をつくった。

 84年、ルバング島での経験を生かし、たくましい青少年育成のために「小野田自然塾」を開設。キャンプ生活を通して自然の大切さや、目的を持ってたくましく生きることなど人間の本質を教えていた。

 近年は都内で暮らし、国内各地で精力的に講演を実施。ルバング島での体験を振り返り、「生き続けようという目標を持っていたことで、日本に帰ることができた」などと話していた。

 ◆小野田 寛郎(おのだ・ひろお)1922年(大11)3月19日、男5人、女2人の7人きょうだいの四男として和歌山県亀川村(現海南市)で生まれる。日本帰還後に移住したブラジルでは牧場で1800頭の肉牛を飼育していた。著書に「戦った 生きた ルバン島30年」(74年)。05年、藍綬褒章を受章。 』


小野田さんは、どのような命令を受けていたのでしょうか。ウィペデイアによりますと、
「1994年12月、フィリピン防衛戦を担当する第14方面軍情報部付となり、残置諜者および遊撃指揮の任務を与えられフィリピンに派遣。当地では14HA隷下の第8師団参謀部付(配属)となっており、その8D長横山静雄陸軍中将から「玉砕は一切まかりならぬ。3年でも、5年でも頑張れ。必ず迎えに行く。それまで兵隊が1人でも残っている間は、ヤシの実を齧ってでもその兵隊を使って頑張ってくれ。いいか、重ねて言うが、玉砕は絶対に許さん。わかったな」の訓示を受けている[1]。派遣にあたり、高級司令部が持っている情報は全て教えられ、日本が占領された後も連合国軍と戦い続けるとの計画であった。なお派遣前、母親からは「敵の捕虜となる恐れがあるときには、この短刀で立派な最後を遂げてください」と言われ短刀を渡された(この短刀は帰国後に実家に帰った際に母親に返している。)[2]。」


軍の命令を遂行したことに、その当時ほとんどの日本人が小野田さんの強靭な意志にびっくりしたのです。小野田さんが人間としての使命感をお持ちなったのは、金属バット事件があり、日本の子供たちの将来を憂い、小野田自然塾を創設したことではないでしょうか。

小野田自然塾

都会育ちの子供達にとって、自然の中には『不思議』や『発見』がたくさんあります。思いっきり身体を使い、いい汗を流し、知らなかった世界をのぞいてみませんか?
小野田自然塾の周辺には、子供達の遊び心を十分に満足させる環境が存分にあります。


経緯


小野田自然塾のドーム
財団初代理事長小野田寛郎は、健全なる人間形成と、文化社会と自然との共存のためにも、未来をになう子供達のための自然教育の必然性を痛感し、昭和59年7月より野外教育活動『自然塾』を開始。全国各地においてキャンプを開催。以来、毎年約1000名の子供達の指導にあたる。
この体験を通して、専用設備を備えた本拠地の設置と組織化が急務であると感じ、平成元年6月、財団法人設立に至る。(小野田自然塾のHPより)

ニュースで、ソチオリンピックを真近にして、自爆テロの画像が流れていましたが、残念でなりません。日本軍の命令はどうだったのでしょうか。国家による命令は私の言う使命感ではないのです。使命感とは、ひとりひとりの心の奥底から湧き出てくるものではないでしょうか。

人間として、正義感を持って、立派に生きて行ける力を身に着け、自然を大切にし、他人に優しく接し、他人のためにできることをしていく人生こそ素晴らしいと思うのです。いわゆる自利利他の精神ですね。自利とは自分を磨くこと、利他とは人のため、社会のために尽くすことです。

人間に託された使命は、この地球を守ること、つまりこの地球上の自然環境を守ることです。そしてこの自然環境のなかで、いのちを育んでいる生物たちを守ることでしょう。世界を平和にすることです。小野田さんが到達した使命感を大切にし、私達ひとりひとりが今できることは果たしていかなくてはなりません。


読者の皆さん、あなたが使命を見出し、その使命が達成されますように心よりお祈りします。南~無 合掌 徳温禅月



2014年1月20日月曜日

映画「じんじん」を観て

 おはようごさいます。
全国各地で、映画「じんじん」の上映会が開催されていますが、ぜひ足を運んで欲しい作品です。大分県日田市でも実行委員会の皆様がご尽力くださり、18日に3回に渡り、開演されましたが、ほぼ満席でした。私も楽しみにしていましたので、あさ一番に観に行きました。



じんじんの画像1
企画・主演の大地康雄さんのメッセージをこのブログに記念に残しておきたいと思います。

前略
日田市の皆様、初めまして。大地康雄です。
仕事に追われ、返事が遅れて申し訳ありません。
この度は「じんじん」の上映会を立ち上げていただきありがとうございます。
ご存知の通り、この国は経済優先でずっとやってきた結果、
心の荒廃が広がり、挙句の果てに親が大切なわが子を殺す時代です。
悲惨なニュースを知るたびに、自分なりに何かお役に立てることなないかと
悩んでいました時に、運よく、5年程前に、北海道の剣淵との出会いを頂きました。
それまでは、絵本には全く興味がなかった私ですが、絵本を通して、大人も、子どもも生き生きと
暮らしている姿に驚き、その結果、やさしい町づくりに成功している事に、感動しました。
「読み聞かせ」を体験している剣淵町の子どもたちの純粋で、豊かな表情。相手をのことを
思いやる、日常の優しい行動に、この国の明るい未来を感じました。
この映画は、そんな子どもたちの輝く瞳に導かれてできた映画です。
送っていただいた資料を拝見しましたら、絵本を活用した町づくりは日田市も、剣淵町に劣らぬ
活動をなさっている事がわかり、大変嬉しくなりました。
今回の「じんじん」が今後皆様の日々の暮らし、そして元気な町づくりへの追い風となり、
少しでもお役に立てれば幸せです。
上映会の成功、心よりお祈り致しております。
2013年12月18日
大地康雄

ストリーは書くより、一文は一見にしかずですね。映画を観てください。泣けてきますよ。ところで北海道の剣淵町ってどんな町って思うと思いますので、HPより早坂 純夫町長のご挨拶を引用しますと、

絵本の館

 「 北海道中央部の都市「旭川市」から、国道40号線を北に向かって50㎞程のところに、道の駅「絵本の里けんぶち」があります。ここが剣淵町の玄関口です。
 剣淵町は、明治32年に屯田兵によって拓かれた、豊かな自然と素晴らしい沃野が広がる純農村の町です。
 昭和63年、まちの若者たちが「けんぶち絵本の里を創ろう会」を結成、絵本を題材にまちづくりを始めました。その取り組みのユニークさが、マスコミで取り上げられ、「絵本の里けんぶち」としてその名が全国に広がっていきました。
 平成16年に、新しくオープンした「絵本の館」が、絵本の里づくり活動の拠点施設です。ここには、世界中の絵本、約45,000冊を収蔵し、全国への貸し出しも行っています。また「絵本の館」では、絵本原画展、読み聞かせ、絵本づくり、親子教室など様々な活動のほか、メインイベントとして「絵本の里大賞」を行っています。これは、前年度に全国で出版された絵本を対象にして、絵本作家や出版社から応募のあった絵本を「絵本の館」に展示し、来館した人たちの投票により大賞候補の絵本を選びます。大賞に選ばれた作家には、副賞として剣淵町産の安心安全な農産物を3年間にわたりお贈りします。
 絵本の里づくりは、このような活動を通して、町にある知的障がい者施設との関わりや、安心安全な農産物を生産する農家との結びつきを大切にしています。
 絵本と福祉と農業が一体となった文化を創造し、町では住民の皆さんが、絵本の持つ「温もりと優しさ」に触れ、「思いやりのある豊かな心」を育んでいます。
 その他、剣淵町には、温泉ホテル「レークサイド桜岡」や道北一の素晴らしいパークゴルフ場があります。ぜひ、皆様のお越しをお待ちしています。」


映画を観ていたら、泣けてきて、ハンカチがぐっしょり、コミカルな場面があるのがいいですよね。でも伝えているのは、親子の絆ってなあ~に、町づくりってどうあるべき、男はどう生きるべき~、本当の愛は・・・とか、自分自身に問いかけて答えを出さないといけないと思いました。

このような映画を作ってくれた大地康雄さん、絵本で町づくりをしている剣淵町の皆さん、そして全国各地で上映会を企画して頑張ってくれている方々に感謝を申し上げ、皆様のご活躍を心よりお祈りします。 合掌 徳温禅月。



2014年1月17日金曜日

五木寛之さんの「新老人の思想」とご隠居のススメⅢ

 おはようございます。
毎日放送の方から、エンディングノートを書いて亡くなった方をご存じありませんかとお電話ありました。一緒に終活支援活動をしている終活カウンセラーにお聞きしたら、その方のお父様が2年前に亡くなられ、大学ノートにびっしり、奥様や子供さんたちへ、家の事や仕事のこと、財産のことなど書いてあるのを見せてもらいましたが、その当時はエンディングノートなどはまだ世間にでていませんでしたが、現実とこころの準備をしている方は凄いなと思いました。

五木寛之さんが、「新老人の思想」の最後の章で、「理想の逝き方を目指して」と書いていますが、老いは自然に死を意識するものです。そしてあとがきで「『起て 老いたる者よ』と、昔のメロディにのせて口ずさむ今日このごろである」と締めくっていますから、まだまだお元気でお仕事をされると安心しています。五木さんも結局、ご隠居さんではないかと思った次第です。

また金スマに瀬戸内寂聴さんが特集で出演していましたが、いつまでもお肌もお綺麗で、お元気ですよね。仏教作家といいますか。波乱万丈の人生を送り、仏教が救ってくれたと思うのですが、いわゆる鴨長明や吉田兼好さんと似て、このかたもいわゆるご隠居さんではないかと思うのです。

誤解して欲しくないのは、現代のご隠居さんはしがらみから解き放たれていますが、積極的に社会とも関わり、私たち若輩者に辛口の助言をしてくださるのです。私もそのようなご隠居さんを目指しているわけです。

大田空真さんの「『ご隠居』という生き方」(飛鳥新書)の冒頭に「隠居の心得十箇条」を書いていますので、ご紹介したいと思います。

「隠居の心得十箇条」

一、隠居はいい加減を知る人である

二、隠居は時間使いのプロフェッショナルである

三、隠居は人欲を忘れてはならない

四、隠居は知識と知恵の違いを知る

五、隠居は要請されれば知恵を貸す

六、隠居は散り際をわきまえる

七、隠居は隠居名で活躍する

八、隠居は金儲けの社会から離脱した人である

九、隠居は豊かさを醸しだす

十、番外隠居は「そこそこ隠居」を楽しむ

どうです。おもしろいでしょ。皆さんこの本読んで見ませんか。私も終活カウンセラーをしていますが、いわゆる「終活」も気軽に楽しくするべきだと思っています。ご隠居さんっていい響きですよね。年寄りが出しゃばるのは、老害と言って、あまり良くないのであります。五木さんの言うような階級闘争ももうしたくないのです。とにかくそれぞれの残された人生を若いもんに迷惑をかけずに楽しもうではありませんか。

今日は阪神大震災が起こった日です。阪神大震災、東日本大震災でお亡くなりになった方々のご冥福をお祈りし、追悼させていただきます。南~無 合掌 徳温禅月。



2014年1月16日木曜日

五木寛之さんの「新老人の思想」とご隠居のススメⅡ

 おはようございます。
都知事選の立候補者を見ていると、五木寛之さんの「新老人の思想」に書いてある五木さんの時代を観る目の観察力に敬意を表したいですね。五木さんも求めてきたものは、「林住期」や「遊行の門」に書いてある世界であり、それはやはりご隠居さんだと思うのです。


私と同じような考え方を持っている方がおられました。太田空真さんです。彼は隠居研究会を立ち上げ、15年前に「ご隠居という生き方」(飛鳥新社)を出版し、今話題になっている終活的なこともすでに書いています。


「ご隠居のススメ」を書きだしたのは、どうも細川さんの都知事選出馬表明に違和感を覚えたことが始まりで、つまり細川さんは、20年前に自ら首相の座を放り投げて、15年前に引退し、ご隠居になっていたはずなのに突然のごとく75歳で都知事選出馬を表明したのであります。まあ個人の問題だからでようがでまいがわしら庶民には関係ないのですが、理解に苦しみところです。


でもこれが江戸時代なら、八ちぁん、熊さん、長屋横丁のご隠居さんを交えて、井戸端会議でもちきりでしょうね。
八ちぁん「熊さん、熊本のお殿様が出るらしいぜ」
熊さん 「外様が大丈夫かね~。幕府は、枡さんを押しているから、枡さんが堅いだろう」
ご隠居 「八、熊、またここで油売ってね~で、仕事せ~よ。」
八ちぁん「ご隠居はどう思います~。」
ご隠居 「外様とはいえ、江戸っ子に人気の先の将軍様が応援しているからな~。」
熊さん 「わしら庶民は、長州の殿様と一緒に、所得を増やして欲しいけどな。枡枡(ますます)」
八ちぁん「熊、そら~、字がちがわしね~か~。」
ご隠居 「どっちに転んでも、わしらの生活にそう影響はね~。まあ、ちょうどいい。見世物じゃ、他の役者も出そろったし、高みの見物としょうか。」
八ちぁん「おもしろくなりそう。えへへ」
熊さん 「八、わしは仕事に行くぜ~。」


こんな感じかな、考えてみると、現代のご隠居は、瀬戸内寂聴さんと五木寛之さんかもしれませんね。好きなことを言い、いいものを食って、おしゃれして、恰好いいですよね。最近、ユニクロに行くと、若者より中高年がうじゃうじゃ買い物に来ている。


ユニクロファッションは、値段が手頃で買いやすく、色合わせを楽しめるので、庶民には、いいですよね。昔は、ジュンやVANにのぼせ、給料が上がるとラルフローレンなど買っていましたが、さすがいまは買えないですよね。


おしゃれに気を配るのも、ご隠居たるもの、下着は毎日帰る、温泉に行くとなぜかボクサーパンツのおじさんが目につきます。ジャージーなどは普段着にはしない、ウォーキングの時だけですよね。家では作務衣を着ているし、お金をかけずに、おしゃれを楽しむのもご隠居の趣味かな。


男性も女性も、ご隠居は色気があるとおもいませんか。ギラギラした性欲ではなく、さわやかな色気といいますか。一緒に居てもきもちのいい色気ですね。さあ~団塊世代の諸君!ご隠居生活もいいものだと思いませんか。五木さんの「新老人の思想」で、それぞれの生き方が見えてくればいいのはないでしょうか。一読してくださいね。


それでは皆様のご健康をお祈りして・・・・。南~無 合掌 徳温禅月。