2013年2月19日火曜日

おひなまつりⅡ-秋子の想いー

 おはようございます。
17日に天領ひたひなまつりで、豆田町を散策しました。今年で30年も迎えるらしく、欧風懐石をだしてくれるレストラン秋子想(ときこそう)のまえで、野点や琴演奏などの催し物があっていました。3月24日までは毎週日曜日に催しをするそうですので、立ち寄って、休憩されるのもいいですね。

秋子想と野点


秋子想の名の由来は、秋子さんから来ています。小生の同級生である深町浩一郎君が「広瀬淡窓」(西日本新聞社刊)のなかで書いていますが、秋子(ときこ)さんは、廣瀬淡窓さんの2歳下の妹さんにあたり、アリという名でありました。淡窓さんが麻疹にかかり苦しんでいたとき、兄の淡窓身代りになって、近くの永興寺に行き、肥後の高僧豪潮律師の加持祈祷を受けて淡窓の平癒回復を祈願したそうです。

その後アリは病弱な兄の健康を誓願するため、仏門にはいることを決意しますが、祖母が反対したそうです。豪潮律師のご縁により、上京し、風早局(かざはやのつぼね)のもとに行き、秋子という名を賜ったのです。それで、秋子想の武内オーナーは、裏に風早という旅館や紙音という結婚式場も作っています。武内君も同級生ですので、別府から聞いたと声をかければサービスしてくれるかも。

秋子さんの肖像画(上記の本に載っています)がありますが、それは綺麗で、まさに大和撫子で聡明な美人です。妹の想いを知った淡窓さんは、自分のふがいなさで、妹が身代りになり祈願してくれたことを感謝しつつ、懺悔したそうです。この懺悔がのちの万善簿につながり、淡窓さんは長生きされるのです。

おひなまつりは女子の健康を祈って雛壇を飾るものですが、どの家庭にもこのような物語がひめられていたのではないでしょうか。親子兄弟がいたわり、思いやるこころこそもっとも大切なものです。

豆田町界隈にて見つけました。


このべっぴんさんのお雛様は、いいですね。













ひなまつりの季節になると、春の訪れを感じつつ、いつも道元さんのこの歌を思い出します。

「春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり」

このあたりまえのことを歌ったのですが、川端康成さんがノーベル文学賞受賞式で全世界にご紹介したのです。日本の自然そして日本の文化、日本人のこころこそ素晴らしいものは世界にないのです。ぜひ日田市豆田町や隈町を散策してみませんか。これから大山町では梅まつりが始まります。観梅は、来週くらいがよいかもしれません。

大山町のひびきの里でみつけた白梅

露天風呂の温泉がいいですよ。

道元さんは、春、夏、秋、冬を自然に歌ったのですが、私たちは自分の足元の自然の美しさや、培った来た文化を見ないで、遠くにある手の届かないものを欲しがるのはよそうではありませんか。ところで、天領ひたひなまつりも、それぞれのところで入場料がかかるので、雛壇手形を作って、5件で千円でみれるのもいいかもしれません。



















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