2013年2月20日水曜日

おひなまつりⅢー教育とはー

 おはようございます。
子供たちに幸あれと託す親の想いはいつの時代もかわりません。ひなまつりは、その想いを受けついできたささやかな行事だと思います。全国各地でひなまつりが始まりましたが、京都亀岡市で起きたお腹のなかの赤ちゃんやお母さん、子供たちの11人を死傷させた無免許暴走事件の判決がでました。亡くなられた方々のご冥福をお祈りいたします。また事故で傷を負った子供たちが、これから立ち直りますようにお祈りします。

日田市隈町の専念寺境内にて

事件を犯した少年はどのような家庭環境や学校生活を送ってきたのでしょうか。私が事故と言わずに事件と言っているのには意味があるからです。また児童扶養手当を6年間に渡って、不正受給し、子供は殺害したと供述しているとの報道がありました。日本全国に行方がわからない子供たちが1191人もいるそうです。誰の責任でしょうか。すべて親の責任であり、この社会を作っている私たち大人の責任です。本当に日本は豊かになったのでしょうか。

日田市では、咸宜園を含む近世の世界教育遺産登録活動が始まっていますが、登録されるされないではなく、このような機会を通じて教育とは何か、学問とは何かを問うことが、本当の成果につながるのです。私塾咸宜園を主宰した廣瀬淡窓の教育は、まさに総合的な人間教育であったのです。

廣瀬淡窓像と桂林荘跡地

ひなまつりの会場を見ながら散策し、豆田町の路地をのぞくとこんな立たずまいが見れます。当時の塾生が歩いた小路をおもいださせます。(豆田町から桂林荘跡地へとつながる小路)
 そばや「草八」さんへ

淡窓先生は、日田のまちや山々を塾生をつれて、歩き、町民の息吹や自然の営みを肌で持って、感じさせ、詩作を通して情操教育をしていったのです。そして規律もおしえ、塾生は朝5時おきて掃除から始まり、夜は10時に就寝と言う規則正しい生活習慣を身につけていったのです。塾生はそれぞれ役割分担を持っていて、人のために役割を果たすという心構えを作りあげて行ったのです。

先般、五味文彦東京大学名誉教授がこられて、「世界遺産としての咸宜園」というテーマで講演されたなかで、時代の節目を、西暦67年、68年で見ていくと100年ごとに大きな変化あったことをお話しされました。667年の天智天皇称制によって律令国家が形成され、100年ごとに節目になっていて、1568年に織田信長入洛し、統一政権が樹立されます。1667年に江戸幕藩体制になり、1868年に明治維新があり、近代国家の成立となりました。先生は1968年についてあまり語りませんでした。

では、1968年はどのような年であったのでしょうか。世界はベトナム戦争で、反戦運動が起きていました。日本では全共闘運動が起きたのです。全共闘運動とは、受験勉強やマスプロ教育に問題提起し、「教育とは何か、学問とは何かを」を投げかけた学生たちの切実な想いであったのです。

私はこの文章を書きながら、涙しています。その後の経過で、警察官や学生を含め、100人以上の人が命を落としたからです。三島由紀夫さんも自らの出生を問いかけたその一人です。だからむやみに維新と言う言葉を使ってほしくないのです。暴力では何も解決しないのです。

全共闘が提起した問題の答えは、廣瀬淡窓の「咸宜園」にあったのです。淡窓先生の人間教育を取り戻すことで、少年犯罪者や無責任な親をなくす解決があるのです。今は次の2068年に向けて進歩するために、日本人全員が、生きるとは、働くとは、教育とは、環境とはと、問いかけて解決を見い出し、次世代にバトンタッチしなければなりません。

だから今日があるのです。問題から逃げていけない、人間に解決できない問題を神は与えないと思います。団塊世代の同志よ、問題解決に取り組もうではありませんか。2068年までに残された時間はあと55年です。(ほとんど生きていないと思いますが)今日という一日一日の中に解きほぐす思考と行動があるのです。死ぬまで取り組もう。



















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