2016年12月14日水曜日

卑弥呼はどこから来たのか?


 おはようございます。

 縄文時代より南からは、海洋民族が海を渡り、日本に来た。縄文時代後期に北方より、遊牧騎馬民族が朝鮮半島を経て北部九州に南下して来た。今日の日本人は、新モンゴロイドで、縄文人、南方系海洋族、北方系遊牧騎馬民族との混血と言えましょう。


大分県日田市に、日本難読山サミットで、一位になった一尺八寸山(みおやま)、三位になった月出山(かんと)があります。こんな読み方はできませんよね。初めに発音があって、漢字を当てたものと思われます。
 

ところが韓国南部に、魏志韓伝に書かれていますが、弁韓に「弥烏邪馬国(みおやまこく)」なる国があったと書かれています。弥烏邪馬(みおやま)は連山で、日田の一尺八寸山も連山です。また日田の西に位置する浮羽には、耳納連山があります。そして「弥烏邪馬国(みおやまこく)」にも月出山があるのです。


月出山は「かんと」と読み、神が登る山、「神登山」だと思われます。この月出山の頂上に「舟つなぎ石」という大きな岩があります。約700mの山の頂上に舟が必要でしょうか?古事記に書かれている天の磐船をつないだ岩だとしたら、この地は高天原になるではありませんか。


    大分県日田市小迫辻原遺跡より東部に見える月出山岳(かんとだけ)


この「弥烏邪馬国(みおやまこく)」の祖先が卑弥呼の祖先で、この名前より、「邪馬台国」と命名したと言えましょう。沖縄から朝鮮半島南部そして九州にかけて、紀元前約100年頃には、100余国の国があり、これを倭国(連合国家)と言われています。


ですから紀元前約150年くらいに、朝鮮半島にいた遊牧騎馬民族を祖先とする一団が伊都国、奴国を通り、新天地を求め、まずは悠久の流れの筑後川沿いの肥沃な土地を見つけ定住します。それが朝倉であり、吉野ヶ里なのです。


卑弥呼の先祖たちは、日が出ずる地を求め、さらに東へと筑後川を登っていきます。そこには、故郷と同じ、弥烏山があり、月出山から日が登るではありませんか。幽玄なる山紫水明の桃源郷「日向=日佐」(のちの日田)に辿り着いたのです。ここを邪馬台国と名付けたのです。


この一団こそ、卑弥呼と古代シャーニズムを身に着けた祖先たちであったのです。次回は「卑弥呼と古代シャーマニズム」についてお話しましょう。それでは皆様のご健勝とご健康を祈りつつ、南~無 合掌 徳温禅月。


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