2012年11月30日金曜日

成功哲学ーブッダの教えⅤ

 おはようございます。
日田市天ヶ瀬町には、慈恩の滝観音の滝という仏教に由来した名前がついた滝があります。高塚愛宕地蔵尊、藪不動尊、顕徳坊尊など日田市の方がいかに信仰が深いのかが感じられます。「観音経を語る」(大法輪閣出版)で観音信仰を説いたのが、大阪万博の「太陽の塔」を制作した岡本太郎さんのお母さんである岡本かの子さんです。観音経については、後日書きますが、先生の短歌をご紹介します。

「としどしに
わが悲しみは
深くして
いよいよ華やぐ
いのちなりけり」ー岡本かな子ー

日田市天ヶ瀬町合田にある観音の滝(国道210号線沿い)


中村 元訳「仏陀のことば」ースッタニパーター岩波文庫より

「聖者は誠実であれ。傲慢ではなく、いつわりなく、悪口を言わず、怒ることなく、よこしまな貪(むさぼ)りとものおしみとを超えよ。

安らぎを心がける人は、眠りとものぐさとふさぎこむ心とにうち勝て。怠惰を宿らせてはならぬ。高慢な態度をとるな。

うそをつくようにひきこまれるな。美しい姿に愛着を起こすな。また慢心を知りつくしてなくすようにせよ。粗暴になることなく、ふるまえ。

古いものを喜んでならない。また新しいものに魅惑されてはならない。滅びゆくものを悲しんではならない。牽引(けんいん)する者(妄執)にとらわれてはならない。

わたしは、(牽引する者のことを)貪欲、ものすごい激流と呼び、吸い込む欲求と呼び、はからい、捕捉と呼び、越えがたい汚泥であるという。

バラモンである聖者は、真実から離れることなく、陸地を(安らぎ)に)立っている。かれは一切を捨て去って、「安らかになったひと」と呼ばれる。」  スッタニパータ941~946


聖者という言葉をリーダーあるいは事業家、政治家に置き換えると、その人の人格が自然に見えてくるものがあります。傲慢で欲望にみちた顔をしている人に気をつけなければならない。また美しい姿をしている人に、魂を奪われるなと申し上げたい。政治家や事業家は、自分の欲望のために仕事をしてはいけない。世のため、人のために、どうすればよいかを具体的に提起し、実行していくのが仕事なのです。国民の公僕であることを忘れてはならない。

2012年11月29日木曜日

成功哲学ーブッダの教えⅣ-

 おはようございます。
昨日、日田市天瀬町の顕徳坊尊に参ってきました。江戸時代後期に出羽の国米沢領沢村(現在の山形県米沢市)の顕徳坊というお坊さんがこの地にたどりつき、湯山村に永眠したのであるが、信仰と修行に生きた無冠の僧です。180年前より、村民たちが日々の苦しみ、悲しみなどの諸々の願望をお願いし、ご加護ご利益をいただく霊験あらたなるところとなったのです。すぐ近くに、高塚愛宕地蔵尊があります。

天瀬町湯山長美野にある顕徳坊尊、日田市市内一望できます。
 
 
それでは、スッタニパータより
ブッダに「多くの神々と人間とは、幸福を望み、幸せを思っています。最上の幸福を説いてください。」とたずねると、

「諸々の愚者に親しまないで、諸々の賢者に親しみ、尊敬すべき人々を尊敬すること、-これがこよなき幸せである。

適当な場所に住み、あらかじめ功徳を積んでいて、みずからは正しい誓願をおこしていること、-これがこよなき幸せである。

深い学識あり、技術を身につけ、身をつつしむことをよく学び、ことばがみごとであること、-これがこよなき幸せである。

父母につかえること、妻子を愛し護ること、仕事に秩序あり混乱せぬこと、-これがこよなき幸せである。

施与と、理法にかなった行いと、親族を愛し護ることと、非難を受けない行為、-これがこよなき幸せである。

悪をやめ、悪を離れ、飲酒をつつしみ、徳行をゆるがせにしないこと、-これがこよなき幸せである。

尊敬と謙遜と満足と感謝と適当な時に教えを聞くこと、-これがこよなき幸せである。

耐え忍ぶこと、ことばのやさしいこと、諸々の〈道の人〉に会うこと、適当な時に理法についての教えを聞くこと、-これがこよなき幸せである。

修養と、清らかな行いと、聖なる真理を見ること、安らぎを体得すること、-これがこよなき幸せである。

世俗のことがらに触れても、その人の心が動揺せず、憂いなく、汚れを離れ、安穏であること、-これがこよなき幸せである。

これらのことを行うならば、いかなることに関しても敗れることがない。あらゆることについて幸福に達する。ーこれがこよなき幸せである。」

「スッタニパ-タ」258~269 中村 元訳「ブッタのことば」岩波文庫

ブッタは人生において幸福になるためにどうあればよいかをすべて答えています。このなかに安らぎを体得することと述べていますが、安らぎとは、ニルバーナ(静寂)を言います。静寂をえるためには、座禅をすることが最も良い方法です。顕徳坊尊の帰りに、天ケ瀬温泉の天龍荘にお寄りしましたが、ここの湯は、日本百名湯に選ばれています。大庭社長さんに、温泉禅を教授しました。温泉につかり、座禅をするのです。5分前後で充分です。これを繰り返しますと、体の血行はよくなり、こころがゆったり落ち着いてきます。最高の寂静の世界を味わえます。ぜひお試ししてみてください。

2012年11月28日水曜日

成功哲学ーブッダの教えⅢ-

 おはようございます。
「成功」という言葉を言うと、最近の傾向として身を引く人がいますが、成功とは、「ここざしを成し遂げること」と定義すれば、成功という言葉を自分のものにすべきだと思います。そうしないと自虐的な自閉症に陥ってしまうからです。まずは言葉から逃げないことです。そして宇宙・自然界の法則は、成功したいと思う人に成功が訪れます。

成功するには、三つのことが必要です。まず自分自身が努力することです。努力に勝る天才はいません。努力することに喜びを感じることです。次にほかの人の力を素直に借りることです。そしていつも感謝することです。そして宇宙の神仏に祈りを捧げることです。天はそのような人をほっておくことはありません。

パラリンオリンピックの水泳100m背泳ぎで、優勝しゴールドメダリストになった秋山里奈さんは、絶望のどん底から立ち上がり、三度目の挑戦で、栄冠を勝ち取りました。まさに勝利者であり、成功者であるのですが、オリンピックでの優勝が目標だったので引退し、社会人として働くことを目標として次のチャレンジの表明をしていました。彼女が水泳で頑張ったことで、どれだけ多くの方が勇気づけられたことでしょう。このような行為こそ、自利利他行だと思います。

人生の成功とは、まさに階段を上るがごとく一段一段踏みしめて、自分の目標あるいはこころざしに向かって努力し、進むことではないでしょうか。日田市の慈眼山永興寺(国指定重要文化財の十一面観音立像などが安置されています。)と大原八幡宮の階段をご紹介します。

慈眼山永興寺の階段

大原八幡宮の階段(初詣に大勢の市民が訪れます。)


中村 元先生訳の「ブッダのことば」(岩波文庫)より

「あらゆるものにうち勝ち、あらゆるものを知り、いとも聡明で、あらゆる事物に汚されることなく、あらゆるものを捨て、妄執が滅びて解脱した人、ー諸々の賢者は、彼を(聖者)であると知る。

智慧の力あり、戒めと誓いをよく守り、心がよく統一し、瞑想(禅定)を楽しみ、落ち着いて気をつけていて、執着から脱して、荒れたところがなく、煩悩の汚れがない人、-諸々の賢者は、かれを(聖者)であると知る。

独り歩み、怠ることのない聖者、非難と賞賛とに心を動かさず、音声に驚かない獅子のように、網にとらえられない風のように、水に汚されない蓮のように、他人に導かれることなく、他人を導く人、-諸々の賢者は、かれを(聖者)であると知る。

他人がことばを極めてほめたりそしったりしても、水浴場における柱のように泰然としてそびえ立ち、欲情を離れ、諸々の感官をよく静めている人、-諸々の賢者は、かれを(聖者)であると知る。」         
                                           スッタニパータ211~214

じっくり読むと、ブッダの姿が見えてきます。成功者は、聖者を目指しているし、人生の究極の目標は仏陀(悟った人)ではないでしょうか。階段を一段一段上るがごとく、一歩一歩菩薩道を踏みしめていくことではないでしょうか。人生や経営で迷っている人はHPよりお問い合わせできます。


















2012年11月27日火曜日

成功哲学ーブッダの教えⅡ-

 おはようございます。
先日、日田市北友田にある岳林寺の紅葉を見にいきましたが、境内にパワーを感じませんでした。岳林寺は、後醍醐天皇が1342年に九州で唯一の勅願寺として建立したもので、山門の屋根瓦に菊の紋章(天皇家)が入っています。寺もお店も人が来ないとさびれる。例えば、座禅会をし、みんなで作務(庭掃除など)をすれば、すぐに活力が生れると思うのですが。

岳林寺山門と境内


それでは、昨日の引き続き、ブッタの教えを、もっとも古い経典を言われるスッタニパータから見ていきましょう。

「究極の理想に通じた人が、この平安の境地に達してなすべきことは、次のとおりである。能力あり、直く、正しく、ことばやさしく、柔和で、思い上ることのない者であらねばならぬ。

足ることをしり、わずかの食物で暮し、雑務少く、生活もまた簡素であり、諸々の感官が静まり、聡明で、高ぶることなく、諸々のひとの家で貪ることがない。

何びとも他人を欺いてはならない。たといどこにあっても他人を軽んじてはならない。悩まそうとして怒りの想いを抱いて互いに他人に苦痛を与えることを望んではならない。

あたかも、母が己が独り子を命を賭けても護るように、そのように一切の生きとし生けるものどもに対しても、無量の慈しみの意(こころ)を起こすべし。

また全世界に対して無量の慈しみの意(こころ)を起こすべし・・・」

               「ブッタのことば」岩波文庫 -スタニパータ143~150ー

成功者とは、当然知識やスキルの能力があり、素直で、正しいことを考え、実行し、いつも言葉遣いがやさしく、柔和であり、成功しても思い上ることはありませんね。そして贅沢をしない、遊興にのぼせない。生活は質素で、聡明で、高ぶらないのです。そして他人を欺いたり、軽んじたり、悩ましたりしませんし、そのように努力しています。

数人の倒産した中小企業の経営者を見てきましたが、共通しているのは、女をつくる、飲みに行く、いわゆる「飲む、打つ、買う」の三拍子がそろっている方が多い。飲むとは、スナックやクラブに入り浸る、打つとは博打に手を出す、取り立て屋から腕の骨を折られた人もいた。そして買うとは、女に手を出す、のぼせているので女からむしりとられていることに気づかない。

中村 元先生の調査によりますと2500年前のインドでも、このようなことがあったらしく、人間はある意味進歩していない。しかし仏陀のいうように自戒し、無量の慈しみのこころを持って生活すれば、失敗することなく、幸福な人生を送れると思います。

2012年11月26日月曜日

成功哲学ーブッダの教えⅠー

 おはようございます。
20代後半よりアメリカの実用主義哲学であるナポレオンヒルマーフィの書物を読んできましたが、その根源は聖典にあると思っています。いわゆる「成功哲学」と言われるものですが、成功とは一体何なのでしょうか。経済的にも精神的にも豊かで、健康で、家庭は幸福に満ち溢れ、何不自由なことがない状態とも言えますし、自分の目標やこころざしを成し遂げることとも言えます。

誰しもが失敗することではなく、成功することを願っていますし、なんどもなんども失敗しても、最後は成功することもあります。敗北者ではなく、勝利者になりたいとみんなが思っています。競争社会のなかでの相対的勝利者ではなく、真の勝利者であり、成功者である「哲学」ブッタは語っていることを皆さんにご紹介したいと思います。

仏陀である釈迦牟尼の言葉を編纂したのは、東京大学教授の中村 元先生です。先生のご尽力がなければ、世界は仏陀の言葉を読むことは難しかったと思います。中村先生に感謝しながら、先生がNHKラジオの「こころをよむ仏典」でお話されたものが、CD(NHKサービスセンター)と書籍(岩波書店)になっています。初心者に読みやすいのは、東京国際仏教塾の講師でもあります中野東禅先生「『仏陀の肉声』に生き方を問う」(小学館新書)が今年の十月に出版されていますのでお薦めします。それではブッタの声に耳を傾けて下さい。声を出して読んでください。

仏典をよむ1仏陀の生涯(岩波書店)・ブッタのことば(岩波文庫)より

「わたしはあなたに聖者の境地を教えてあげよう。これは行い難く、成就し難いものである。さあ、それをあなたに説いてあげよう。しっかりとして、堅固であれ。

村にあっては、罵られても、敬礼されても、平然とした態度で臨め。罵られても、こころに怒らないように注意し、敬礼されても冷静に、高ぶらずにふるまえ。

たとい園林のうちにあっても、火炎の燃え立つように種々のものが現れ出てくる。婦女は聖者を誘惑する。婦女をして彼を誘惑させるな。

淫欲のことがらを離れ、さまざまの愛欲をすてて、弱いものでも、強いものでも、もろもろの生きものに対して、敵対することもなく、愛着することもない。

『かれらとわたしと同様であり、わたしもかれらと同様である』と思って、わが身と引きくらべて、生きものを殺してはならぬ。他人をして殺させてならぬ。

凡夫は欲望と貪(むさぼ)りとに執着しているが、眼(まなこ)ある人はそれを捨てて道を歩め。この世の地獄を超えよ。

腹を減らして、食物を節し、少欲であって、貪ることなかれ。かれは貪り食う欲望に厭きて、無欲であり、安らぎに帰している。」ースッタニパータ701~707ー

解説は控えさせてもらいます。なぜなら二千五百年前に語ったブッタの言葉が身に染みてくるまでじっくり読んでほしいからです。

このブッタの教えを経営理念として取り入れ、成功しているのが稲盛和夫氏が創業した京セラグループです。経営や実業の世界で成功するには、稲盛和夫氏が語っている成功哲学を身につけて、同時に実業家は勘定ができることです。このことは、ブッタは「シンガーラ(青年商人)への教え」で語っています。どんな倫理道徳の研究会で学ぼうが、宗教団体に入ろうが、真の哲学と勘定を身につけなければ、業績は伸びないことをことをお伝えするともに、勘定ができても哲学(理念)なき個人も会社も滅んでいくのが世の常です。

昨日は、「日田掃除に学ぶ会」で、小野公民館のトイレ掃除に参加しました。下記の写真のようにへりくだって、掃除をする習慣を身に着ければ必ず人間として成功します。

日田市小野公民館での掃除に学ぶ会の活動


参加された皆さんと共に、掃除ができる場所と機会を提供された方に感謝を申しあげます。

2012年11月22日木曜日

般若心経についてⅡ

 おはようございます。
昨日は、西日本新聞に、日田市夜明関町の行徳家住宅の紅葉の記事が載っていたので、久しぶり行ってきました。行徳家は代々、医業を家業としていました。1842年に立てられた住宅が国指定重要文化財に指定され、保存されているのであります。室内に、長三州の書と言われる、経世堂と書いた掛け軸がありますが、これが医院名だったそうです。写真で紅葉を楽しんでください。

行徳家住宅の前景

行徳家住宅庭園


さて、昨日に引き続き、11月18日の中野東禅先生の般若心経講義を思い出しながら、書き綴りたいと思います。この世の目に見えるすべてのもの(この行徳家の紅葉)や私たちの考えている事もすべて「空」だという事です。つまり現象はすべて変わりゆくものでありますので、こだわらないことであります。

生きているという事は、一人一人、さまざまな苦労を味わいます。その苦しみを救ってくれるお経が「般若心経」です。生老病死という四苦という苦しみがあります。きていくこと自体に苦しみがあり、しわができ、加齢臭が匂ってくるようにいてきますし、病院には気の年寄ばかりで、やがて誰もがさけられないが訪れます。

さらに愛別離苦怨憎会苦求不得苦五蘊盛苦とう苦しみ(合わせて四苦八苦と言います)があります。愛する人と別れないといけないことがありますし、会社では嫌な人と一緒に仕事をしなければならないし、欲しいものは手に入らない、思うようにならいし、最後の五蘊は、先生がしっかり教えてくれましたが、人間は、という肉体や物質を見て、という能力で感じます。そしてで記憶し、記憶されたものと照合します。次にで判断し、で、自分の意見や行動を意識します。人間の脳はこれをたった2,3秒で行うそうです。

逆に意識がいつも、たとえば女性のこと、男性のことを意識していると、五蘊から逆回りで、色は、いつも女性や男性を見ているのです。色ごとにのぼせるとはこのことかもしれません。だから悪いことを考えている人はいつも悪いものばかり見て、良いことを思っている人はいつも良いものを見ますね。

現実世界も意識も変化して行くものということがわかったなら、私たちの自我や、物事にこだわる必要はないのです。こだわらないでいられる智慧が「空の智恵」なのです。つまり四苦八苦という苦しみは過ぎ去るものだからこだわらないとらわれないという事ではないでしょうか。

「般若心経」を読誦したり、写経したりするのは、このお経のなかに力があり、災難や煩悩・恐怖という悪魔に立ち向かうとき、「空の智慧」があるのです。あの夏目雅子さんが演じた玄奘三蔵(三蔵法師)は17年間もインドをまわるとき、いつも般若心経をくちづさみ、いかなる災難からも守られていたのです。あなたも毎日、般若心経を読誦してみませんか。人生や経営で難題を抱えている方は、私のホームページにアクセスしてお問い合わせよりメールして下さい。


 
























2012年11月21日水曜日

般若心経についてⅠ

 おはようございます。
中野東禅先生の講義のテキストは、四季社の「仏典スクール1の初めての『般若心経』」でした。このテキストの参考資料1の般若心経と玄奘三蔵のなかに、わかりやすく書いていますので、抜粋したいと思います。

「お釈迦様の教えの根幹は「縁起」という真理なのです。

あらゆるものは条件の調和によって有るということです。宇宙も、太陽系も、地球も、人間の命も、心の動きも、人間関係も、何もかも「縁起」です。

条件の調和である以上は条件は変わります。それを「無常」といいます。同じ状態でありえないという事です。さらに「無我」といいます。条件の調和であり、変化する物である以上は、変わらない実態的な「自我」があるわけではないということです。

それをお釈迦様は「空」といいました。有るようでないもの、無いようであるもの、とらえ所のないもの、とらわれ様のないものという意味です。したがって現象している今・ここ・私をより良く生き、そこで心の開放を修行しつづける事が最も真実な生き方ということになるわけです。」

お釈迦様の膨大なお説教のなかから「空」の教えを再編集したのが「般若経典群」で、「大般若経」に包括されていますが、もっとも基本をなすお釈迦様の直説部分が「般若心経」なのです。

ですので「縁起」がわかり、「空」がわかると怖いものは何もありません。「死」も受容できると言えましょう。

講義中の東禅先生



摩訶 般若 波羅蜜多 心経

大いなる 叡智によって 安らぎの岸にいたる修行の 心要の 仏のおしえ

「心経 しんぎょう」の発声を先生に指導を受けましたが、節があると、厳かな気持ちになりいいですね。

観自在菩薩とはじまるのですが、あらゆる方向に顔を向けた神だそうです。菩薩は仏の一歩手前の悟りであり、青年釈迦であり、前世(ジャータカ)の釈迦であり、あなた自身であり、仏舎利国の菩薩であり、修生(人間)であるとの説明がありましたが、観音菩薩や地蔵菩薩をよく見ますが、人間は菩薩道を励まなければ、巷を見渡せばわかるとおり、餓鬼畜生になりさがる動物だと思います。

この日はここまでの講義で、座禅にはいりました。まず左右にゆっくり、大きく体を動かして(伸ばす)、中心の位置を決め、息を下腹に大きく吸い込むため、背筋が伸びて、凛とした座禅ができるとご指導をいただきました。終了後、後片付けの作務をし、先生がタクシーを呼んでいるので稲毛駅まで送ってくれるということで、同乗させていただき、お話していましたら、むかしラジオのこども相談室をしていた無着成恭さんが曹洞宗の僧であり、今は大分県に赴任しているお聞きし、びっくりしました。国東町におられるようですので、行ってみたいと思います。

中野東禅先生のお話はわかりやすく、おもしろく、人間味があふれ、まさに仏縁をいただいたことに感謝していたします。














2012年11月20日火曜日

仏教塾曹洞宗コースの修行と講義

 おはようございます。
いよいよ17日から東京国際仏教塾の専門課程曹洞宗コースが始まりました。講師は、中野東禅先生(曹洞宗総合研究センター教科研修部門講師)です。たくさんの著書がありますが、仏教や座禅への入門書として、初心者には「心が大きくなる座禅のすすめ」「人生の問題がすっと解決する名僧の一言」を読むことをお薦めします。

17日は午前中に曹洞宗コースの説明があり、朝課・読経の指導から始まりました。専門課程の論文は、宗義と宗史が課題ですが、卒業時に、「般若心経」の読経試験があります。朝課では、「曹洞宗日課勤行聖典」を使いますが、お坊さんたちが使っているもので重たいです。持ち方もありますのでまずは作法を学ぶことが大事だなと思いました。

千葉県稲毛の光明寺内での講義風景



午後から「般若心経」の講義が2回ありました。「般若心経」がお釈迦様が説いた永遠の過去から永遠の未来の真理である縁起と空を凝縮したお経ですので、インド仏教史から日本仏教史の講義が初めにありました。

人類の歴史が始まり、インダス文明のなかで、お釈迦様が紀元前500年前に生まれ、宇宙の真理を説き証し、人々に生きる道を教えたのです。紀元前300年のアレキサンダー大王のインドへの進出がありましたから当時のインドは、すでにギリシャ文化との交流があり、相互に影響していたようです。

先生の仏教史の講義を聴いていて、キリスト教は、イエス様が3年余りの布教でしたので新約聖書に収まりますが、お釈迦様は45年余りも説教してきましたから、膨大な経典になるとのことが納得できました。戦後アジャンタなどの仏教の石窟寺院が発見され、またイスラエルでもクムラン洞窟でキリスト教の死海文書が発見されたことは驚異です。2000年の歴史が過ぎてもこのような発見がまだまだ出てきそうで、真実がますます明らかになるのと思うと、ワクワクしてきます。

鳩摩羅什や玄奘がいのちがけで、お釈迦様の涅槃後、インドで編纂された仏典を、天山山脈を越えて持ち帰り、漢訳し、日本にもたらしたからこそ今日の日本仏教があることを思うと、この壮大なアジアと歴史が頭の中をかけめぐってきます。玄奘こそ三蔵法師、「般若心経」をいつも口ずさみながら、旅をつづけ、それで災難から守られたいたようですが、先生も話していましたが、「西遊記」のドラマの中の、三蔵法師役の夏目雅子さんを思い出します。

日本に仏教が伝来して、奈良仏教といわれるのですが、心の縁起をといた唯識思想が入ってきていたのです、実はこれがユングが説いた潜在意識を言っているのですが、当のユングも東洋では紀元前後にすでに心を論理的に説いていたことにびっくりしたそうです。そして東大寺に見られる宇宙の縁起である華厳経があり、また平安時代にはいり、共に唐に渡り、学び、比叡山に天台宗を開いた最澄さんと高野山に真言宗を開いた空海さんの二大巨頭へと続くのです。

それから、鎌倉時代に、現代に続く、法然さんの浄土教、親鸞さんの浄土真宗、日蓮さんの日蓮宗、そして栄西さんの臨済宗と道元さんの曹洞宗がを確立するのです。先生から現在の新宗教のお話がありましたが、多額の献金を要求したり、洗脳するカルト的な集団もあるので、気をつけるようにとのことでした。お悩みの方は、お近くの寺院か、私が主宰している別府総合研究所へお尋ね下さい。明日は、「般若心経」の講義について書きます。




2012年11月19日月曜日

東京国際仏教塾について

 おはようございます。
16日より、東京国際仏教塾の修行のため、東京・千葉に行ってきました。この仏教塾についてご説明しておきたいと思いますが、私たちはちょうど25期生です。25年前に浄土真宗光明寺の大洞龍明先生が60歳得度運動を提唱し、創設したものであります。すでに全国から1500余名の人が集い、学び、卒業しています。60歳という人生の節目を機にして、仏教に基づいた心豊かな人生を歩んでいく機縁を持っていくことを勧める運動です。塾生は団塊の世代が多いのですが、30代~50代の方もいます。

開講式にて大熊学監


4年ほど前、日田市淡窓図書館にて、大洞先生の「生と死を超える道」という本を読んで、賛同し、還暦が来たら、ぜひ入塾したいと思い、今年の4月に入塾ができました。東京大学仏教青年会館にての開講式で駒沢大学名誉教授の奈良康明先生の記念講演を聞き、仏教を学ぶ決意を新たにしました。

まず6月に仏教入門課程のスクーリングがあり、仏教概論を立正大学教授の高橋堯英先生、特別講義が中野東禅先生、日本仏教史を東京大学大学院教授の箕輪顕量先生、大乗仏教論を渡辺章悟先生、宗教概論を立正大学名誉教授の藤井正雄先生、そして特別講義は大洞龍明塾長がされました。これだけの先生方の講義を聴くことは仏教系の大学でもできないと思いました。

それから7月から9月まで、日蓮宗妙厳寺にて法華経を学ぶ修行、鹿野山禅青少年研修所にて、臨済宗による禅をまなび、千葉県東福寺での天台宗一泊結集にて修行し、光明寺にて浄土念仏修行に参加しました。このようにまずは、仏教各派の基本的な教えや修行を総合的に学ぶことができるところは東京国際仏教塾しかないようです。興味のある方は、東京国際仏教塾のHPを見てください。

浄土念仏修行の光明寺稲毛御廟


入門課程に修行と、課題論文提出で、単位をとり、各宗の宗旨専門課程に進むことができるのですが、塾生は、宗旨を選ばなければなりません。それぞれの人生経験や考え方で宗旨を選びますが、私は、真言宗の空海さん、曹洞宗の道元さん、浄土真宗の親鸞さんなどの本を読んでいましたが、仏教の基本は、お釈迦様の悟りの原点である座禅であり、中野東禅先生に学ぶたいと思い曹洞宗コースを選んだ次第です。

その曹洞宗の本山が、福井県にある永平寺と横浜にある総持寺ですので、この機会にと思い、東京の塾生と総持寺にお参りに行きました。明治40年に横浜市鶴見に移転したのですが、曹洞宗は1万2千寺あり、各宗のなかでもっとも寺院数が多いと聞き、びっくりしました。なぜなら九州では浄土真宗のお寺が多いし、曹洞宗の寺はあまり見かけないからです。武家に重用されたようですから、関東・東海などは多いようです。

横浜市鶴見にある総持寺


明日は、曹洞宗コースの修行と講義について書きます。こうご期待。


2012年11月15日木曜日

耶馬渓

 おはようございます。
天気が晴れたり曇ったり、小雨が降ったりするなか、耶馬渓の紅葉を見に行きました。この日、由布岳、九重山では初雪、鶴見岳も霧氷が見られる寒い日でした。
日田から山国町に入り、柿坂により左に入ると、渓石園があります。耶馬渓ダムの下の美しい公園です。

渓石園

さらに3キロほど上ると、山国川支流の山移川沿いの景勝地である深耶馬渓に着きます。今年は、少し早めに、紅葉になっているようでした。一目八景と言われる八つの奇岩が一望できます。

深耶馬渓・一目八景
 
 ここから5キロほど下って本耶馬溪に向かいます。
菊池寛の「恩讐の彼方に」のモデルになった禅海和尚が30年かけて競秀峰をのみと槌だけで掘った隧道である青の洞門に着きます。人々がこの峰の通っていくときに、落ちて命を失う人が後をたたず、生涯をかけて青の洞門と言われる隧道を掘るのです。まさに利他行の極みだと思いました。
 
本耶馬溪・青の洞門

 
そして2キロほど上っていくと、羅漢寺があります。645年にインドの僧である法道仙人が、この地で修行したところで、全国羅漢寺の総本山になっています。現在は曹洞宗のお寺で、禅海和尚の遺品を展示した禅海堂があります。
 
今年最後の耶馬渓の紅葉を楽しみ、昔の人はすごいなとあらためて感じる1日でした。私たちは、それぞれの利他行をつむために生かされていることに感謝しなければなりません。明日からの3日間は、横浜の総持寺にお参りに行き、千葉で、東京国際仏教塾の曹洞宗(中野東禅先生のご指導)の修行をしてきます。山国町のユーモラスな「かかしワールド」の風景を添付します。
 
かかしワールド



 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 


2012年11月14日水曜日

青年会議所の若き息吹と活力

 おはようございます。
昨日は、日田JC(青年会議所)シニアクラブの秋季例会に出席しました。末武理事長より本年度の日田青年会議所の活動報告がありましたが、7月に2度にわたる大水害で当初計画していた事業は中止あるいは延期し、被災地域へのボランティア活動に尽力した様子がよくわかりました。被災者のひとりとして、このような青年の活動に勇気づけられたなと思った一年でした。

日田青年会議所は、昭和28年の筑後川流域の大水害で被災した日田市に対して、北九州JCがスポンサーになり設立されたものです。来年、日田JCが60周年をむかえるのですが、同じように今年、大水害にあったのは因縁かもしれません。つまりJC活動の原点にかえれ!ということかもしれません。

青年会議所は年齢制限があり、入会が40歳までですので、卒業して、シニアクラブの例会にて、若い現役会員と交流できるのは、彼らの若き息吹と活力を感じることができる唯一の時でもあるのです。同時に、石原慎太郎氏が80歳になって再度国政に復帰し、太陽の党をつくり第三極を結集する意欲に見習って、若きJCメンバーと共に、地域づくりをしていかねればと思いました。

青年会議所の綱領が基本理念ですが、JC宣言文が時代をあらわしているのでご紹介します。私が現役の時のJC宣言文は、

『変革の能動者たらんとする青年として、
個人の、真に豊かな生活の実現を通して、
自立した、快適な活力ある地域を創造し、
自由と公正を保障する国家を基盤として、
世界の平和と繁栄に貢献し、
地球上のすべての人と、共に生きることを誓う。』

この変革の能動者たらんとする青年という出だしの文がいいですね。いつの時代でも青年は変革の能動者でなければならないし、それは年齢いかんに問わず、いくつになっても、青年のような変革の能動者の思想をもつべきだと思います。

ちなみに、現在のJC宣言文は

『日本の青年会議所は
混沌という未知の可能性を切り開き
個人の自立性と社会の公共性が
生き生きと協和する確かな時代を築くために
率先して行動することを宣言する。』

となっています。まさに混沌という言葉で表現される時代ですね。しかしそれは切り開くことができるのです。ひとりひとりの人生や生活そして仕事においても同様であり、地域も国も若き青年の息吹と活力で変革することができるのです。


2012年11月13日火曜日

廣瀬淡窓Ⅱー敬天の思想ー

 おはようございます。
淡窓先生は、門下生一人ひとりの意思や個性を尊重する教育理念のもとに、中国の古典である「詩経」「書経」「易経」「礼教」「春秋」「楽経」などや漢詩を教授して、情操教育もして行ったのです。そして、遠思楼にて自らの思索と瞑想をしたと伝えられています。

咸宜園内「遠思楼」

 それでは淡窓先生の思想とはなんだったのでしょうか。儒学、老荘思想に通じ、中道であり、「敬天の思想」を持っていたのです。この敬天思想は、明の時代の袁了凡が「陰隲録」で書きあらわしたものです。この「陰隲録」を読み自らの敬天思想を確立していったのです。実は、淡窓先生の敬天思想が、西郷隆盛の「敬天愛人」につながり、京セラ名誉会長の稲盛和夫氏の哲学に脈々とつながっているのです。

淡窓先生の門下生に、三絶僧(詩・書・画に秀でている)といわれた平野五岳がおり、西郷隆盛と交流があり、西郷の肖像画も描いているのです。そして稲盛和夫氏は西郷の「敬天愛人」を京セラの企業理念に取り入れているのです。

この流れの根幹になる袁了凡の「陰隲録」について、稲盛和夫氏は自らの著書である「稲盛和夫の哲学」のなかで以下のように書いていますのでご紹介します。

「袁了凡はもともとは名前を袁学海といい、代々医術を家業とする家に生まれました。父を早く亡くしたため、母の手で育てられ、彼の母は息子に医者を継がせようと医学を学ばせていたところ、ある日頬髭の立派な老人が訪ねてきて、こう言いました。

『私は雲南で理法(易)をきわめた者です。袁学海という少年に理法を教えるようにという天命が下ったのでやってきました。お母さんはこの子を医者にしようとお考えかもしれませんが、彼は科挙の試験に通り、立派な役人になります。県で受ける一次試験には何番で通ります。二次試験、三次試験にも何番で受かります。そして科挙の本試験に臨む前に役人になり、若くして地方長官に任じられます。結婚はしますが、子供さんはできません。そして五十三歳で亡くなる運命です』

学海少年は実際に医者の学問をやめ、役人の道へ進みます。すると、恐ろしいぐらいに老人がいったとおりになっていく。何番で試験に受かるというのもそのとおりなら、地方長官になるのもそのとおりでした。すべてが老人が予言したとおりでした。その後南京の国立大学に進学することになった袁了凡は、雲谷禅師という素晴らしい老師がいる禅寺を訪ね、相対して三日間、座禅を組みました。

『お若いのに一点の曇りも邪念もない素晴らしい座禅を組まれる。これほど素晴らしい座禅を組む若い人をみたこともない。一体どこで修行をなされたのかな』

雲谷禅師が感心して言いました。これに対して、袁了凡は子供のころに出会った老人のことを話しました。

『私の今日までの人生はその老人の言葉と一分の狂いもありませんでした。すべて老人がいったとおりです。子供もできませんし、おそらく五十三歳で死ぬでしょう。だから思い悩むことは何もないのです』

その話を聞いた雲谷禅師は一喝しました。『悟りを開いた素晴らしい男かと思ったら、そんな大馬鹿者だったとは』そして、老人があなたの運命をいったというが、運命は変えられないものではないと言って、善きことをすればよい結果が生まれ、悪いことをすればわるい結果が生まれるという『因果応報の法則』を説きました。

そういわれた袁了凡は、『自分は間違っていた。老師にいわれたように、今後は善きことをしていこう』と誓い、善きことすればプラス一点、悪いことをすればマイナス一点というように、点数をつけ、日々善きことを重ねるよう努めました。その後子供も生まれ、七十三歳まで生きながらえました。」

実は、廣瀬淡窓先生は、体が虚弱で、そう長生きしないのでは思われましたが、この袁了凡の「陰隲録」を読んで、「万善簿」をつけ、天を敬い、天地自然の法則である因果応報の法則のとおり、日々反省し、私欲を克服し、善行を積み重ね、一万善を十二年七か月で達成し、七十五歳まで長生きし、活躍したのです。まさに「敬天の道」を歩む求道者であったのです。

この敬天の思想が、敬天愛人として、稲盛和夫氏によって現代に蘇り、企業経営に活かされていることを感謝するばかりです。咸宜園及び淡窓先生については、友人の深町浩一郎氏が西日本新聞社より西日本人物誌「広瀬淡窓」を出しているので読んでいただきたく思います。
















 

2012年11月12日月曜日

広瀬淡窓Ⅰ

 おはようございます。
天領まつりで、豆田町を中心に散策しました。久ぶりに咸宜園によりました。環境整備が進んでいましたが、天領まつりとのコラボをすれば、もっと観光客が見学にくるのでは思いました。

この咸宜園を開塾した広瀬淡窓の漢詩のなかに、「休道の詩」がありますが、石碑を見るとなつかしく高校・大学時代の想い出がよみがえってきます。

石碑と咸宜園教育研究センター
 


休道他郷多苦辛   道(い)うことを休(や)めよ 他郷(たきょう)苦辛(くしん)多しと
同袍有友自相親   同袍(どうほう)友有り 自ら相親しむ
柴扉暁出霜如雪   柴扉(さいひ)暁に出づれば 霜(しも)雪の如し
君汲川流我拾薪   君は川流(せんりゅう)を汲(く)め 我は薪(たきぎ)を拾わん

学生時代で、私訳しますと、「それぞれの大学に行ったのですが、故郷から離れたところでは、学園紛争などいろいろ苦労することがあった。しかし田舎に帰ってくると、高校時代の友人たちと再開し、それぞれの思いを語ったものです。朝方まで話をし、日の出を見に出ると、玄関の庭には霜がふり、まるで雪がふったようでした。友達に、朝食の支度をたのみ、私は布団をあげ掃除をした。」と解釈したのですが、青春時代、友達との再会は、唯一の楽しみであり、励みになったものです。

学び舎の秋風庵


広瀬淡窓の教育方針のなかに、「三奪法」がありますが、江戸時代、士農工商の身分制度の厳しい時代に、学歴、年齢、身分を問わず、武士、町民、僧侶、農民など門をたたく者は門下生としたのです。また「月旦表」という成績表で、19級までわかれていて、努力すれ昇級できる仕組みを作ったのです。いまでいえば学年にとらわれす、勉強できる公文式や学研式のようなものです。


千年あかり くんちょう酒造横




2012年11月9日金曜日

千年あかり

 おはようございます。
楽しみに待っていた千年あかり(9日~11日)が今日から始まります。日田天領まつり(10・11日)の一環で、国指定伝統的重要建築物保存地区の豆田町と花月川を中心に、3万本の竹灯篭にあかりが灯されます。日田天領まつりは、豆田地区の人たちが33年前に、町おこしから始まったものです。

現在の大分県日田市は江戸時代幕府直轄の天領地であり、日田金と言い、両替・掛屋が九州の大名の財政を支援していたところでもあります。また稀代の教育者広瀬淡窓さんが咸宜園をつくり、遠くは陸奥(宮城県)からなど延べ3000余人の塾生が学び舎に集ったのです。

千年あかりは豆田町の広い範囲で開催されていますので、散歩がてら、見て回るとそれぞれに工夫された灯篭を見ることができます。もともと里山の保全と町おこしの目的で開催されていますが、特に今年は7月の花月川が2度にわたり氾濫し、大水害を蒙りましたので、被災地支援の意味合いも強いかと思います。

あかりは、古代より人を癒す力があり、世界中で、灯されます。また亡くなった方を供養する意味もありますので東大寺の万灯会など有名です。大分県では、竹田市の竹楽臼杵市のうすき竹宵などの竹灯篭のイベントがあります。

この機会に千年あかりに行って、手を合わせ、東日本大震災、北部九州大水害で亡くなられた方のご冥福をお祈りしましょう。また被災された方が、元気を取り戻し、復興されますようにお祈りします。

2012年11月8日木曜日

気風

 おはようございます。
アメリカでは、昨日オバマ大統領が再選し、FOWARD(前進)を国民に約束しました。どこかの国の首相と違って、演説も格好いいですね。敗れたロムニー氏の敗戦の弁も爽やかでよかったですね。あんなに中傷合戦したのに、結果がでれば、ご和算にする姿勢がどうもアメリカの方が日本の政治家より大人だなと思います。国内では大臣が自分勝手な不認可発言をし、世間を騒がせ、一転し認可したようですが、やはりこの国の気風は地に落ちているように感じるのは私だけでしょうか。

それは、精神教育と言いますか、宗教教育と言いますか、こころの教育が欠落しているからではないでしょうか。日本の商社マンがアメリカに行くと、日曜日にゴルフバックを持って、アメリカ人が日曜礼拝に行っているのを横目にみて通り過ぎていくそうです。アメリカ人は日本人はさっぱりわからない人間と思っているそうです。

今、海外留学がさかんになり、アメリカ、ヨーロッパ、東南アジアにいくと、あなたの宗教は何ですかと質問されるそうです。日本の学生はただにっこり笑っているだけで、答えないそうです。(答えられない)小学校では倫理教育をし、中学高校で仏教やキリスト教やイスラム教など世界の宗教を教えてはどうでしょうか。世界の学校はしているのです。これを言うと文科省の官僚は宗教教育は家庭でするものと責任放棄するが、言いたいの宗教の基礎教育の必要性です。

たとえば現在自分たちが享受している資本主義経済がどのようにして発展してきたかもわからず、欲しいものを買い、食べたいものを食べて肥満になっているのは畜生とかわらないのではないでしょうか。日本の大学でも経済学部系に入るとマックスウェーバーの「プロテスタントティズムと資本主義」という本が課題になります。現在の資本主義が、キリスト教のプロテスタントの倫理感から発達したからです。マルクスが出て、唯物史観に基づいた「資本論」が世界を席巻するなか、マックスウェーバーは、精神からでる気風が、経済を発達させ、原動力なると歴史的検証をしたのです。いまならノーベル賞をもらっていると思います。

日本の資本主義の萌芽は、江戸時代になって、三河出身の旗本であった鈴木正三という人が、出家し曹洞宗の僧侶になり、「萬民徳用」という本を書きあらわし、働くことが修行であり、南無阿弥陀仏ととなえ働くことで救われることを説いたことです。日本における資本主義の倫理観つまり気風をあらわしたものです。ですから名古屋県の人たちはよく働く人が多いとおもいませか。トヨタも名古屋です。経済の発展や労働観には宗教が大きく寄与しているのです。そのような精神を日本の経営者で持っているのが、稲盛和夫氏や孫正義(ソフトバンク)、柳井 正(ユニクロ)ではないでしょうか。

ところが、戦後、戦前の教育の反動で、倫理教育もしない、宗教は個人のものだと言って何も教えないのでオーム真理教などわけのわからない邪教に一流大学の学生が、その魂を奪われて、あげくのはて殺人事件を起こす。国民は宗教嫌いが加速し、精神の崩壊がすすんでいるのではないでしょうか。

アメリカが抱えている問題、日本が抱えている問題、中国が抱えている問題は実は一つで、それぞれの国が国民を豊かにし、幸せにできるかということなのです。世界の課題は、ひとつなのです。しかし国家利害が先行し、他国の犠牲の上に、豊かさがあるならまさに悲劇だと思います。また豊かさや幸せとはどういうものか一人一人が考えるときにきていると思います。

大分県のエコキャンペーンで、4人家族で月に2千円以内しか電気を使わないご家庭が優勝していましたが、いつまでも電気も使い放題、水も使い放題、飯は食べ放題の生活から、そのようなものが幸福であるという価値観から脱却しない大変なことになります。

21世紀は、食糧難の時代になります。よその国からカネをだせば買えると思っていたら、ひもじい思いをします。(いつまでもあると思うな親とカネ)自分たちの食べるものは自分たちで作る国や地域にしないと明日はないのです。今の日本の政治家に任せていたら、食べ物もない国になります。そうおもいませんか。

私たち一人一人が、生活を変える、地域を変える、国を変える気風を持とうではありませんか。




2012年11月7日水曜日

冬が来る前に

おはようございます。
昨日、藤本義一さんのことを書いたが、私も3年前に、66歳の兄を亡くし、57歳の大切な友人を亡くした。私が60歳を過ぎたら、これからが本当の人生だから待っていてよと、山や川に遊びに行こう、もっと語り合おうよと約束してしていたが、先に逝ってしまった。

お別れのときに、耳に蘇り、聞こえてきた(幻覚)のが、35年前に聞いた紙ふうせんの「冬が来る前に」だ。

「冬が来る前に」 作詞 後藤悦治郎            大分県玖珠町岳切渓谷

坂の細い道を 夏の雨にうたれ        
言葉さがし続けて 別れた二人
小麦色に焼けた 肌も色もあせて
黄昏わたし一人 海をみるの
冬が来る前に もう一度あの人と
めぐり逢いたい

秋の風が吹いて 街はコスモス色
あなたからの便り 風に聞くの
落葉つもる道は 夏の想い出道
今日もわたし一人 バスを待つの

この歌詞は、別れた人とまためぐり逢いたいという失恋歌だと思いますが、紙ふうせんのボーカルの平山泰代さんのすきとおった、哀愁のこもった歌声を聴いていると、どうも冬が死を意味しているように思えてならないのです。

人は死を通してからしかをかんがみることはないと思う。父や母の死、兄弟の死、親しい友人の死、可愛がっていた犬の死、など思い出がよみがえり、ソファにもたれかけて涙に明け暮れる日々を過ごしたことがない人はいないと思う。

死は、必ず誰しもやってくるのです。だからこそ現実の人生は一度限りであり、その人生に精一杯自分を表現するべきだと思う。与えられたいのちを大切に生き切ってこそ、静寂をあじあうことができるのだと思います。

そして、死をみつめていると自分の周りの人たちがいかにたいせつな人たちであるかがわかって、その大切なひたのためにも、生きなければならないのです。静かに座り、大自然に耳を傾けよう、そして魂の奥深く(宇宙)から聞こえてくる声を聴こう。
「生れ生れ生れ生れて生の始めに暗く、死に死に死に死んで死の終わりに冥し」ー空海ー









2012年11月6日火曜日

藤本義一さん

おはようございます。
11PMでの藤本義一さんの軽妙な辛口の話し方に魅了された人は多いと思います。特に団塊世代は、高校や大学時代ですので、深夜、両親が寝静まって、テレビをつけ、こっそり見ていた方が多いかと思います。その当時はまだテレビは一家に一台の時代でしたから。

藤本義一さんは、11PMの司会者のときに、原発の危険性を取り上げ、テレビ局の反対を押し切って放映したくらい、反骨精神と反中央集権の作家であり、戦時中そして戦後の焼け野原のなかでひもじい思いをして生き延びてきたのに、テレビでは微塵だにださない方だったという印象が深いのです。私たちは、戦後を知っている直木賞作家である藤本義一さんや五木寛之さん瀬戸内寂聴さんなどの本を読んで、彼らが肌で感じ、訴えていることに耳をかさなければ日本の将来は危ういのではないでしょうか。

藤本さんの著作で4年前に出された「歎異抄に学ぶ人生の智慧」(PHP)があります。藤本さんはマルチタレントのようなところがあるので、えまさか、親鸞の歎異抄についてかくのかと少しびっくりしました。しかし、藤本さんは60歳を過ぎてから、「方丈記」「徒然草」そして「歎異抄」を3年間に一冊づつ繰り返し読んでいったそうです。「三年読めば、古典が自然に現代に融合してきて、自分の中で浸み込んで来る気配がある」と書いています。

誰もが人生のどこかで名著に巡り合い、まさに座右の書にするのですが、特に古典は、風雪に耐えて多くの方に読まれ続けているもので、まさに生と死が書かれています。私が必ず、自分のそばに置き、いつも読んでいるものは、「聖書」と「仏教聖典」ですが、それは宗教書のみならず、文学的にも最高峰のものだからです。聖書の詩篇などは、どれだけで癒されることでしょう。

藤本さんは、この「歎異抄に学ぶ人生の智慧」のなかで、お父さんやお母さんの生き方そして死を通して、歎異抄をわかりやすく語っています。皆さん一人一人が、藤本さんの遺言と思って読んでみませんか。そんな折、伊集院静氏が作詞した前川清さんの最新の歌を耳にしたのでご紹介します。

「哀しみの終わりに」 作詞 伊集院静 

今年また夏が来て あなたみたいに光る
大好きな紫陽花(あじさい)が あなたの窓叩く
いなくなってしまうと わかっていたなら
ドアは開けなかった
二度と帰らないのが わかっていたのなら
離しはしなかったのに
本当ですか 哀しみにもやがて終わりがくるって
本当ですか 哀しみが終わって いつか笑える日が来る

空に星たちが来て あの夏の日が揺れる
あなたに似ているアネモエが微笑みかけてくる
いなくなってしまうと わかっていたなら
駅へ行かせなかった
二度と逢えないことが わかっていたなら
抱きしめ続けていたのに

という歌詞ですが、前川さんの歌をすぐ聞いてみてください。この歌詞が心にしみてきますよ。伊集院さんも夏目雅子さんを亡くしました。そして桑名正博さんや藤本義一さんなど今多くの方がこの世を去っていますが、藤本さんたちと東日本大震災や北部九州大水害で亡くなられた方たちのご冥福をこころよりお祈りします。




2012年11月5日月曜日

素朴な祈り

 おはようございます。
昨日は、高塚愛宕地蔵尊(大分県日田市天瀬町)にお参りに行きました。11月4日日曜日ということもあり、10時頃でしたが、上の駐車場はほぼ満杯で、参拝客が多く、さすが年間約150万人来ていると言われているなと思いました。

今から約1200年前に、あの東大寺の大仏を立てたと言われる行基が、ここにきて祈ったら、銀杏の木に神霊が宿り、地蔵菩薩をほり、祀ったものだそうです。行基がこの地にきていることが驚かされます。

そして年間約150人の人たちが高塚地蔵尊をお参りに来るのはなぜでしょうか。ご利益があるからでしょうが、私も定年まで仕事に明け暮れていましたので、信仰心は持っていましたが昨年来何十年ぶりかに数回きています。

お地蔵様と呼ばれ、日本国中、どこでも目にすることができます。先日、テレビ番組で、石巻の村にある6体の地蔵様が、栄村の方に90度動いたそうです。栄村の人達が無事であるようにお地蔵様が祈ってくれているそうです。信じますか。

お地蔵様は、大地の蔵と言い、私たちの苦しみを、自分が身代わりになって引き受けてくれているのです。右手に錫杖、左手に宝珠を持っています。右手の錫杖で、私たちの煩悩の夢を覚まさせてくれます。左手の宝珠で、あらゆる人の願い事を叶えてくれます。

参拝する人の中には、病気で悩んでいる人、家族が難病にかかっている人、あるいは借金を抱え生活できない人、事業が不振に陥っている人、今の平穏無事な生活に感謝している人などさまざまは人がおられましょう。

人々が感謝の気持ちを持って、この高塚地蔵尊に訪れ、理屈抜きで、素朴なお祈りができることは素晴らしいことではないでしょうか。(高塚愛宕地蔵尊はHPで見れます。)

2012年11月2日金曜日

稲盛哲学とアメーバ経営Ⅳ

 おはようございます。
稲盛和夫氏の哲学・思想から具対的な京セラフィロソフィが作らているのですが、氏の著作の「こころを高める、経営を伸ばす」と「成功への情熱」(PHP)を熟読して下さい。文庫本もでていますので、ビジネスマンならいつも手元において、読むのです。必要な項目からも読むこともできます。稲盛氏の言葉を自分のものにするのです。そうすれば自ずと行動に出てきます。これを同化と言います。おなじ考え方を持つのです。誰でもこころざしを持って、学べば稲盛氏のようになれるのです。

4輪駆動車の前輪である稲盛哲学についてお話してきましたが、後輪のアメーバ経営も、フィロソフィが含まれています。つまり連動しているわけです。これは稲盛氏の「実学」と「アメーバ経営」(日本経済新聞社)が出ていますので、総務部や経理部の人は、必読書です。また京セラの関連会社のKCCSでは、アメーバ経営ゼミナールなどのセミナーが開催されていますし、コンサルティングもしていますので、会社の未来投資として受けることもおすすめします。個人もこのような学びの自己投資を惜しまないひとはグングン成長しているし、アメーバ経営に取り組み、KCCS指導を受けている会社は伸びています。なぜなら従来の手法と違うからです。

「アメーバ経営」より、稲盛氏は、三つの目的があると書いています。
第一の目的 市場に直結した部門別採算制度の確立
第二の目的 経営者意識を持つ人材の育成
第三の目的 全員参加経営の実現

第一の目的は、常に現在の数字で計ることですが、中小零細企業でも部門別とは少なくても総務などの間接部門と、直接部門を分けて時間当たりの採算を出すことです。部門は最少単位までできます。部門長ができるような損益計算書を作ります。間接部門は本部費を徴収して同様に運営していきます。

アメーバ単位の責任者が、そのアメーバ(部門など)の社長です。ですから第二の目的の経営者意識をもった人材ができてくるのです。売り上げのことしかわからない部門長では、会社内の役割を果たせず、収益を出すことはできないのです。最小単位のアメーバが確実に収益を上げていくシステムですから、総体はどうなるかはっきりしています。その責任者はモティベーションが最も高まるのです。

そして第三の目的である、一つ一つのアメーバが経営に関与しているわけですから、全員が経営に参加できるし、その実感をあじあい、ひとりひとりが、備品などの使い方なども工夫して経費を削減していくのです。

経営とは「売り上げを最大限に、経費を最小限にしていく」努力や工夫を日々、経営者が先頭に立って、全社員で取り組むことなのです。経営者および幹部は、会社全体の損益計算書、貸借対照表、キャッシュフロー表を毎月、見て問題点がないが検証することが大事です。これらのものは委託している会計事務所で自動的にできます。とくにキャッシュフロー表を見ていないと、勘定あって銭足らずになって、倒産の憂き目の会うことがあります。

何のために働くのか、何のために経営するのか、あなたが答えをだして、心を高めて、経営をのばそうではありせんか。「こころざし」こそすべてです。


2012年11月1日木曜日

稲盛哲学とアメーバ経営Ⅲ

 おはようございます。
昨日の因果応報について、数名の方より質問がありました。「東日本大震災などで罪のない方が亡くなっているのはどのような因果関係でしょうか」というものでした。

まず、因果応報とは人間界の真理を言ったものですが、宇宙において地球は生きている存在だということだと思います。地球は、地球として人間と同じように正常に保つために、背筋を伸ばすことをしていると思います。その背筋を伸ばす時におきるのが地震だと思います。

私も今年7月の北部九州大水害で被災し、みるみるうちに1メートル近くに達し、床上浸水となり、救助隊に92歳のお袋を救助してもらいました。どうしてこのような目に合うのかと考えても、何も悪いことをしていないのにと想います。このような天災は、いつでもどこでも起き、大自然に対して人間の力など及ばないとことを警告していると思います。それは個別の問題ではなく、宇宙や自然界と人類との因果応報かもしれません。

このことについて、稲盛和夫氏と瀬戸内寂聴さんとの対談集「利他」人は人のために生きる(小学館)にて書かれていますので、ご一読ください。人間界でも、あんないい人が癌で亡くなったが、世間で悪いことをしている人が長生きしているとか耳にしますが、そのことにも触れています。

人間界においての因果応報は仏教では、三時業という言葉で表現されていますが、たとえば一所懸命働いて、すぐその成果が出る場合がありますが、10年20年いや30年経ってやっと芽がでて、おおきな成果がおさめることがあります。また親父さんが社長のときには、業績が伸びなかったが、息子さんの代で大きく飛躍したという例もあります。結果には時間というものがあるのです。よきも悪しきも、同様のことがそれぞれの人生に起きるのです。だからというのです。善因善果、悪因悪果は、よきも悪しきも孫子の代まで影響を及ぼすことは、現実が物語っています。

しかし、稲盛和夫氏は、個人も会社もそのような過去業から脱却し、人生を、会社を、豊かな成長とするために到達した哲学を「稲盛和夫の哲学」で述べているのです。その哲学・思想は、お釈迦様が説いた六波羅蜜です。このことを一貫して述べています。六波羅蜜の思想が、京セラフィロソフィに反映され、具体的な仕事の仕方にまで、言及しているのです。

六波羅蜜とは、「布施」「持戒」「忍辱」「精進」「禅定」「智恵」の六つの行を言います。これが企業経営と何の関係があるのかいう人がいますが、少なくともこのことを知らずして人の上に立つべきでないと思います。稲盛氏が多くの書籍の中で、わかりやすく書いていますのでぜひ読んで下さい。

「布施」ということばは聞いたことがあると思います。お坊さんに法事の時などにおつつみすることのみが布施でありません。無財の七施と言って、身施(自分の体で人のために汗を流す)、心施(他人に対する思いやりをもって接する)、眼施(なごやかになるようなやさしいまなざしを捧げる)、和顔施(微笑みのある柔和な笑顔で接する)、言施(温かい言葉をかける)、牀座施(席を喜んで譲る)、房舎施(困っている人に一夜の宿を提供する)があるのですが、このような行為が会社の中でみんなが心がけるなら素晴らしい社内環境だと思いませんか。京セラという会社ができているかどうかを疑う前に、稲盛和夫氏が日本航空を再建するとき、無報酬の会長として尽力されたことは、メディアでも報道された周知の事実です。

「持戒」とは、人間は欲望のおもむくままに行動する傾向がありますので、悪に陥らないように、自由気ままな心をおさえることを言います。社会には法律があり、会社にも就業規則があります。人間社会がうまくいくように法律やルールをつくっているのです。上場会社も含めて、コンプライアンス(法令遵法)に欠けたために多くの会社が倒産を余儀なくされました。

「忍辱」とは、この世は生生流転、諸行無常です。時代は変化し、艱難辛苦がふりかかってきます。どんな時でも、じっと耐え忍んで次のチャンスの準備をする心構えが必要です。

「精進」とは、生きとし生けるものすべて精一杯生きているのです。怠けているのものはありせん。稲盛氏は、一所懸命働くこと、一生懸命働くことが精進すると言っています。社長が社員が一所懸命仕事に努力し工夫している会社のみが、市場や消費者つまり顧客から支持され、繁栄するのです。

「禅定」とは、座禅し、こころを静め、宇宙と一体になることです。経営者やリーダーの意思決定次第で会社の業績に反映します。ビジネスマンに必要な判断力や決断力を正常に養うために座禅・瞑想を朝晩お勧めします。

そして「智慧」です。先人に学び、宇宙の真理、人生の悟りの境地に至るのです。この智慧に到達した経営者こそ稲盛和夫氏であり、また多くの方がおられます。六波羅蜜という仏教の奥義を書きましたがキリスト教でも同様のことを言っているのです。運命は変えられるのです。もし今、逆境に立たされていたら、六波羅蜜を実践してみませんか。まずは生きているうちに智慧にいたる「行」をしようではありませんか。このことは仕事でも家庭でも活かされる考え方なのです。そして来世にいくときに、やり遂げたと思いながら行きたいし、神や仏にお会いしたときに善きことをしてきましたねと褒めてもらいたいと思いませんか。

財団法人仏教伝道協会より、わかりやすい「仏教聖典」がわずか500円にて、でていますので個人でも会社でもご購入して毎日読んで下さい。