2013年12月20日金曜日

五木寛之さんの「新老人の思想」を読んで

 おはようございます。
新聞の広告欄に、五木寛之さんの「新老人の思想」の広報が載っていましたので、一瞬、「下山の思想」の続きかなと思いつつ、忘れていましたが、終活相談をしている中で、五木さんの「新老人の思想」って、いわゆる終活がらみのことも書いてあるかもしれないとふと浮かんできて、書店に電話し、早速購入しました。(幻冬舎新書です。)

僕は、高校時代から五木さんのファンでしたから、ほとんどの本は買って読んでいるのですが、最近はお元気になられているのか、続きざまに本を出すので、すこし閉口していましたが、この本は読んでいて切り口がおもしろいですね。さすが、五木さんで「終活」ということばは一切だしませんでした。

午前中で仕事を切り上げ、本屋に予約を入れていたので、この本を取りに行き、「かんぽの湯」に行って、露天風呂につかり、「温泉禅」をし、あがっては本を読み、これを三回繰り返し、約一時間半で一気に読んでしまいました。新書本は一気に読みたくなるような内容がいいですね。そうでない本は駄作です。


いわゆる団塊世代以上の人は、必読書で、若者は新老人という圧倒的大多数とどう取り込みか、あるいはどう利用するかが問われているし、いわゆるビジネスマンにとっても必読書ですね。本の内容を聞きたいかと思いますが、買って読んでいただきたい。お金がもったいない人は、本屋での立ち読みもいいと思いますよ。本屋はエアコンが入っているので暖かいですよね。

新しい若年階級と勤労階級と老人階級の階級闘争の始まりと、60年安保経験者の五木さんはアジっていますが、私は、団塊世代の新老人たちが、政治的、経済的、文化的に、何を提起して、生み出し、後輩であるいわゆる壮年や若年層に何を残して行くかが問われている時代だと思います。つまり。東国原さんのキャッチフレーズである「どげんかせないかん」のであります。

「新老人 五つのタイプ」の章で、分析しているのが面白いですね。
タイプA 肩書き型ですが、いますよね。積極的で、意欲があるのでいいですよね。
タイプB モノ志向型、いるよね。カメラにこだわったり、車に凝ったり、時計に夢中になる人。
タイプC 若年志向型 いわゆるファッションがユニクロかな。美熟女などもそうかも。
タイプD 先端技術志向型 スマホも新しい機種が出れば欲しくてたまらない老人ですが、もはや    老人ではなく、時代を引っ張っていく人達。
タイプE 放浪志向型 四国八十八ヶ所を何度も行く人たち。別居婚をいとわない人達ですね。

果たして、あなたはどれにあてはまりますか。僕は、実は全部の要素を持っているなと思いました。つまり人生をあと20年余りを、お金があろうがなかろうが自分なりに仕事もして楽しみたいのであります。それが人のお役に立ててれば、この上ないわけです。五木さんの分析は男性的ですので、瀬戸内寂聴さんに女性の分析をしてほしいなと思いました。

団塊世代の人は、この本、わずか780円ですので買って読んで欲しいと思います。なんどか読み返したくなりました。新老人は、選挙権を持っている人口が圧倒的に多いわけですから、この国の行く末の責任を持たないといけないわけです。

それでは新老人の皆様、今日もお元気でご活躍され、よい週末をお過ごし下さい。ちなみに僕は、年末、年始は、温泉禅三昧、読書三昧をする予定です。皆様のご健康を祈りつつ・・・南~無 合掌 徳温禅月。



2013年12月19日木曜日

島倉千代子さんの「からたちの小径」を聴いて

 おはようございます。
注文していた島倉千代子さんの「からたちの小径」のCDがやっと届きました。早速開いて聴いて見ると、その歌声は澄み切っていて、冬の陽ざしのなかに吸いこまれていくような気がしました。葬儀の時に流れた島倉さんのメッセージを思い出しました。

「私の部屋の中にスタジオができて、それで私はできる限りの声で歌いました。自分の人生最後に、もう一度みられないこの風景を見させていただきながら歌を入れられるって、こんな幸せはありませんでした。人生の最後に素晴らしい、素晴らしい時間をありがとうございました。」


歌詞は、喜多條忠さんと南こうせつさん、作曲は南こうせつさんですが、大分県が誇る南こうせつさんが、この「からたちの小径」を作られたのは、ご自宅がある国東半島は、杵築みかんの産地で、からたちは蜜柑の花ですから、たしかに小径があり、イメージしたかもしれませんね。

著作権の問題があるので歌詞は書けませんが、このフレーズに涙が出てきます。

「・・・・
帰らない日々を くやみはしないけど 
人生は流れゆく 旅景色 
たった一度の ときめきの香りが 
夢見るように 淋しそうについてくる
・・・・」

素晴らしい詩ですね。皆さん、島倉さんご供養の香典代わりにCDを買って聞いてくださいね(1260円です。)おそらく「からたち日記」の最終章かも知れません。それと、島倉さんのレクイエムー鎮魂歌ですね。

お葬儀で、評論家の田勢康弘さんが、石川さゆりさんに続いて弔辞を述べたのですが、

「島倉千代子さん、あなたの前に立っているのは60年近く前、浅草マルベル堂であなたのプロマイド写真を貯めた小遣いで買い集めていた少年です。大好きだった「かるかやの丘」や「海鳴りが聞こえる町」を何度も聞きながら泣いていた少年です。昭和35年大晦日、NНK紅白歌合戦で、島倉さんは初めて大トリを取り「他国の雨」を歌われました。会場の東京宝塚劇場の隅にいた私は感激し、自分の人生でこれ以上の幸せはもう来ないだろうと思ったものでした。あなたにとって歌は命そのものでした。私たちファンにとってはあなたの歌声、あなたの存在そのものが生きがいでした。錦糸町にあった江東劇場の楽屋で初めてお目にかかったとき、私は詰襟の高校1年生でした。あれから半世紀以上がすぎ、私は「島倉千代子という人生」を書き、いまここにいます。島倉さんの人生の3分の2を見守ってきた人間として、申し上げます。さまざまな苦難にあいながら、よくここまで頑張りました。私を「ヤス」と呼んでいた島倉さんの「ヤス、うれしい」と、はにかむ顔が見えます。声が聞こえます。やがて私たちファンもそちらへまいります。みんなそろったら今までのように赤と青のペンライトを大きく振って「人生いろいろ」を歌いましょう。それまでお別れです。島倉千代子さん、さようなら、そしてありがとうございました。 」(「週刊ニュース新書」より)

島倉千代子さん、最後の最期まで、やさしいこころをいやす歌声、ありがとうございました。


ところで北原白秋さんが「からたちの花」を作詞したのですが、知っていますか。

「からたちの花が咲いたよ。
白い白い花が咲いたよ。

からたちのとげはいたいよ。
靑い靑い針のとげだよ。

からたちは畑の垣根よ。
いつもいつもとほる道だよ。

からたちも秋はみのるよ。
まろいまろい金のたまだよ。

からたちのそばで泣いたよ。
みんなみんなやさしかつたよ。

からたちの花が咲いたよ。
白い白い花が咲いたよ。」

それでは、島倉千代子さんのご冥福を心より祈りつつ・・・南~無 合掌 徳温禅月。



2013年12月18日水曜日

終活~孫に何をプレゼントするの?~

 おはようございます。
終活には、遺産相続という重要な課題があるのですが、その前に、生きている間に、あなたはお孫さんとどのようにかかわるのでしょうか。Xmasやお正月を前にふと思いました。これからXmasプレゼントやお正月のお年玉を、可愛いお孫さんにあげるのですが、慣習になっていないでしょうか。

長い、少なくとも60歳以上生きてくると、人生とは何か、また人生で失敗しない処世訓などが身についている世代だと思うのです。お孫さんの成長に伴い、確かに、両親が教育しているのですが、おじいちゃんやおばあちゃんのちょっとしたアドバイスが、子供たちにとって希望や勇気を持つことも多いのです。

ちょっと昔、島田洋七の「がばいばあちゃん」が流行りましたが、そのようなおばあちゃんたちは、周りに結構たくさんいるものです。だから終活のひとつに、孫の教育に関わるという項目を入れてほしいと思います。

次に、Xmasやお正月に贈るプレゼントやお年玉もいいですが、そろそろ遺産相続を兼ねて、お孫さんへの財産の贈与を考えてみてはどうでしょうか。終活読本「ソナエ」(産経新聞出版)秋号によりますと、「孫に贈与」がトレンドらしいです。

家計が火の車の現役のパパ・ママ世代に比べ、生活にゆとりのあるジジ・ババ世代が、節税を意識しながら孫の教育を援助している。「孫への贈与なんて金持ちが考えること」と思うなかれ。金融機関の窓口は、「元気なうちに隔世相続を」と相談に訪れるシルバー世代がひっきりなしなのだ。

その方法その一
教育資金贈与があります。1500万まで可能です。但し教育目的のみの使用ですので、お孫さんの年齢と進学計画を考えてからしましょう。但し2015年末までです。

その二
暦年贈与です。年間110万まで非課税ですので、お孫さんの教育費として、毎年?プレゼントしてはどうでしょうか。これがXmasやお正月の贈り物にいいかも。

その三
住宅取得資金として最大1200万まで非課税です。但し2014年末までです。

その四
相続時採算課税として、贈与分を相続時で精算します。これはきちんと伝えておかないと忘れるかもしれませんね。

贈り物はお金ばかりではないのです。ぜひ、子供さんやお孫さんたちと旅行などに行って、思い出を贈ってください。これが一番、あなたにとっても、ご家族にとっても、すてきなプレゼントかもしれませんね。方法はたくさんありますが、子々孫々にわたって、生かされ生きているのです。

贈与や相続について、お近くの終活カウンセラーや税理士さんにお尋ねしてください。また本もたくさん出ていますので、読んで見ることから始めてはどうでしょうか。それでは、皆様のご健康をお祈りしつつ・・・南~無 合掌 徳温禅月。




2013年12月17日火曜日

Xmas~キリスト誕生物語Ⅱ~羊飼いたち

 おはようございます。
昨日は、新約聖書のマタイの福音書からイエスキリスト誕生の物語を書きましたが、今日はルカの福音書から物語を書いてみたいと思います。そのまえに確かにキリストや仏陀の誕生をお祝いすることは大切なことですが、親子、兄弟、お友達など身近な人のお誕生日をお祝いすることはある意味ではそれと同様の意味があると思います。

なぜなら、その命は、人類歴史の中で、たった一人しかないからです。fb(フェイスブック)の良さは、お誕生日をfbfがお互いにメッセージできるところですね。いのちの誕生をお祝いすることのできる人たちは幸いですよね。

私はお会いしたら、できるだけ生年月日を聴くことにしていますが、その人のために祈るとき、たとえば別府武志さんと言っても、世界にひとりとは言えませんが、何年の何月、何日生まれの別府武志さんはただ一人で、その日にしか生まれていないからです。だから誕生日を大切にしたいと思います。

レンブラント「礼拝する羊飼い」

キリスト誕生物語~羊飼いたち

12月のイスラエルは、雪が舞い寒さが骨身にしみる季節なのですが、山間(あい)はもっと冷え込んでいました。その山間に、昼間放牧した羊たちを集め、寝かして、暖をとっていた三人の羊飼いたちが居ました。

そのとき、夜空の星々が一斉に輝きだしたのです。
シモン:「あれはなんだ・・・。」

羊たちも、うろたえ鳴き声をあげ、互いに寄り添っていた。そして大きな光とともに、天使が降りてきて、言った。

「恐れることはありません。今、私はこの民全体のためのすばらしい喜びを知らせに来たのです。今日、ダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。このかたこそ主キリストです。あなたがたは、布にくるまって飼い葉おけに寝ておられるみどりごを見つけます。これがあなたがたのためのしるしです。」

すると辺り一面が光に照らされて、天から多くの天使たちが降りてきて、聴いたことのない荘厳な音楽と、神を賛美する歌が天地に響きわたったのです。

「いと高き所に、栄光が、神にあるように。
地の上に、平和が、
御心にかなう人々にあるように。」

三人は、腰を抜かしながら、見たか、聴いたかと顔をあわせ、シモンが沈黙を破った。

「ようし、すぐにベツレヘムに行こう。天使が話したことを見に行こう」

三人は上着をかけながら、走り出した。大きく光る星の下に行くと、馬小屋があった。おそるおそるのぞいてみると、天使が言ったみどりごが、母に抱かれているではないか。シモンが天使が話したことをヨセフとマリヤに伝えた。

三人は、みどりごにひれ伏し、拝んだ。そして、ハレルヤと、神をあがめ、賛美しながら、飛び上がりながら、山へと戻った。

マリヤは、御使いが来て自分に言ったことを思い出した。

「聖霊があなたの上に臨み、いと高き方の力があなたをおおいます。
それゆえ、生れるものは、聖なる者、神の子と呼ばれます。」

そのお言葉通りになったことを、噛みしめながら、すべて心に納めて、思いをめぐらし、イエスを抱きしめた。

~終わり~「新約聖書ールカの福音書2」、「小説「聖書」新約篇」より

メリーXmasというとき、イエス様お誕生日おめでとうと言っているのです。私は釈迦やイエスが何のために生れて来たのかを長い間、学びました。ルカの福音書に出てくるシメオンのような歳になりましたので、皆さんに、釈迦とイエスの出生を様子をお伝えし、また一人ひとりの人間の命は、宇宙の唯一のいのちであることをお伝えし、だからこそ大事に生きてほしいし、真の宗教を学ぶことは、生きてゆく力が与えられることなのです。

キリスト教徒も仏教徒も全て、人類が平和でありますようにとお祈りします。南~無・・・合掌 徳温禅月。




2013年12月16日月曜日

Xmas~キリスト誕生物語~東方の三博士

 おはようございます。
もうすぐクリスマスで、お正月がやってきますね。さて、こんな話を聞きました。アメリカに留学した女子学生が、Xmasパーティに呼ばれ、お友達から今日は何の日か知っていると聞かれたので、サンタクロースの日でしょうと答えたら、みんながひいてしまって、恥ずかしい想いをし、お母さんになぜ教えてくれなかったのかと電話したそうです。

ひょっとしたらお母さんも知らなかったとしたら、日本人は、世界に出て行くことはできないと思いますが、読者の皆さんはどう思います。それで聖書に書いてある記事を物語にしてその情景と意味を考えてほしいと思います。

キリスト誕生物語~東方の三博士~

ここはバビロニアからカシミールにつながる、山間の小さな村に、空の星を調べる天文台がありました。澄み切った夜空には、星が今にも落ちてきそうな、いかなる宝石もおよびがつかない輝きがありました。そこには、三人の博士が居て、もっとも年長者がアッペリウス、次がアメリウスそして若いサラキンが交代で夜空を見ていました。

もっとも暗くなる明け方、サラキンは、いままでみたことがない星を発見したのです。毎日みているのに、いつあの星は、どこから来たのだろう。早速、仮眠していたアメリウスを起こしました。

サラキン:「アメリウス、起きて起きて、不思議な星があるんだ」

アメリウス:「どれどれ、どの星だ」
       「あれは、なんだあの輝きは・・・。」
       「サラキン、アッペリウス長老を起こしてきておくれ」

サラキン:「長老、寒いのに申し訳けございません。起きてください。
       大変な星を発見したのです。」

アッペリウスはゆっくり起き上がり、ローブをはおり、外に出て夜空を見上げました。

アッペリウス:「ああ・・・。あれこそ祖師たちが伝えてきた輝きだ、偉大な星だ。」

アメリウス:「長老様、教えてください。」

アッペリウス:「あの星は、西方にあるが、世界を救う方の星だ。
         そうだ救い主だ。500年前仏陀が生れたときもあのような星が東方にでたそうだ。」

       「イスラエルのベツレヘムの辺りじゃの~。よし、ラクダと贈り物の準備をしなさい。」
  
       「わたしが黄金、アメリウスよ新鮮な乳香を用意しなさい。サラキンは赤ん坊が病気に                                            
        ならないように没薬じゃ。急いで準備しなさい」

       「昼間に準備をし、明日の夜、あのもっとも輝く星を目指して、カブール、テヘラン、バク   
        ダットを通ってイスラエルまで行くんじゃ」

ラクダでの道のりは長くそして、冬の寒さは、肌に突き刺さるほどであったが、三人は高揚していた。昼間は、砂漠のなかのオアシスで体を休めた。時折、シルクロードの商人たちもこの道を通っていた。色ぐらい商人が声をかけてきた。

商人:「お偉い方、どこまで行きなさるのじゃ。」

サラキン:「イスラエルまで行きます。世界を救う方がお生まれになるのだ。」

商人:「それはそれは素晴らしい。よいニュースを聴きました。これはおにぎりですが食べてくださ  
    れ。どうぞこの旅がご無事でありますように・・・・。」

旅は、数日間に及んだ、イスラエルに入ると、三博士はヘロデ王に謁見した。

ヘロデ:「何しにきたのじゃ」

アッペリウス:「救い主がお生まれになります。」

ヘロデ:「本当か赤ん坊を見つけたら、すぐに知らせるのじゃ」

アッペリウス:「はい、わかりました。」

三人は宮殿をでて、星をたどって進んだ。その輝きは、村で見た以上に輝きが増していた。アッペリウスは、ヘロデ王の顔に、邪悪な相と不吉さを感じていた。

サラキン:「長老、星がとまりました。馬小屋があります」

アメリウス:「そこだ。入ってみよう。」

ヨセフ(イエスの父):「どちらさまですか」

アメリウス:「わたし達は東方から来ました。赤ん坊を見せてくだされ。」

マリアの胸に静かに眠っておられた。

アッペリウス:「おお、救い主じゃ。」


三人は、ひれ伏して拝み、黄金、乳香、没薬の贈り物として捧げた。マリヤは、にっこりと笑顔で感謝を伝えた。それから夢で、ヘロデのところへ戻るなという戒めを受けたので、別の道から自分の国へ帰って行った。

彼等が帰って行ったとき、見よ、主の使いが夢でヨセフに現れて言った。「立って、幼子とその母を連れて、エジプトへ逃げさい。そして、私が知らせるまでそこにいなさい。ヘロデが幼子を捜して殺そうとしています」

そこで、ヨセフは立って、夜のうちに幼子とその母を連れてエジプトに立ちのき、ヘロデが死ぬまでそこにいました。(「新約聖書ーマタイ2」)

ー明日へ続くー

世界の歴史のなかで、人類にもっとも影響を与えたのは、仏陀とキリストです。この二人は、努力したからそのような人物になったのでしょうか。それは違います。なるべくして生れて来たのです。そしてすべての人が、生れるべきして生れてきているのです。あなたも人類のために生れて来たのです。

あなたもその使命を果たさなければなりません。この物語はそのために書こうと思いました。ほぼ聖書に忠実に書いていますので、読んでいただいて、人生の目的と目標を持って生き抜いてください。皆様の人生が、神仏によって用いられますように・・・南~無 合掌 徳温禅月。




2013年12月13日金曜日

終活~島倉千代子さんの終活~

 おはようございます。
昨日、ご紹介した終活読本「ソナエ」(産経新聞出版)の中に「らしさのある葬儀」というテーマで島倉千代子さんの葬儀と終活についての記事がありました。

『遺影は生前、自分が選んだお気に入りの一枚だった。遺影で来ている紫色の着物は棺に納められた。自身が旅装束にと希望していた。「最期まできれいに」と死化粧の指示までしていたという。「香典はいただかないで」と葬儀の出し方にも注文をつけていた。』


8年前に「島倉家これが私の遺言」という本を出版した頃から、彼女の終活は始まっていたと思います。東京品川の東海寺に、ピアノをイメージしたデザイン墓を、生前に建てていて、生れなかった忍ちゃんのお名前も・・・。「淋しいとき、悲しいとき、嬉しいときもモニュメントに会いに来てくださいね。きっと元気になりますよ」と語っていたそうです。

これだけ、完璧に「終活」をしていた芸能人はいないと思います。いかに彼女が誠実に生き、死ぬまで他人にはご迷惑をかけたくないという心くばりがあったのです。そして来年の歌手生活60周年を記念して、南こうせつさんに依頼していた歌を最後に歌ったのです。「からたちの小径」ですが、特別に12月18日に発売が決まり、早速、予約注文しました。早くこないかなと楽しみにしています。


「なつかしいうたを 誰かがうたっている
遠い日の思い出が よみがえる
駅から続く からたちの小径を
手をつなぎ 寄り添って 歩いたわ

・・・・・

帰らない日々を くやみはしないけど
人生は流れゆく 旅景色
たった一度の ときめきの香りが
夢見るように 淋しそうについてくる

・・・・・                    」(作詞 喜多條忠 南こうせつ)


戒名は「寶婕院千代歌愛大師」~「美しきの日本の宝、千代(永久)に歌を愛するかわいい人」という意味だそうです。島倉千代子さんのご冥福をお祈りし、追悼の意を表します。合掌 徳温禅月。






2013年12月12日木曜日

終活~「ソナエ」冬号を読んで~

 おはようございます。
楽しみにしていた終活読本「ソナエ」2014冬号(産経新聞出版)が届いた。季刊誌にしては880円で手頃であることと、トレンディな記事もあるので面白いので、購読しているわけです。

今回の表紙は、堀北真希さんで、映画に見る葬送が特集で、彼女が映画「麦子さんと」の主役を演じています。12月21日からロードショーで公開されますが、監督は吉田恵輔氏です。ストーリーは、別居していた母(余貴美子)が突然帰ってきて、兄と三人の生活が始まるわけです。

子を捨てた母との生活のなかでの親子の葛藤そしてその母親が亡くなって、もっとやさしくしておけばよかったと後悔、自分を責める麦子の姿、葬儀、納骨など母の死を通して、親子とはなにかなど突きつけるものがあるのではないでしょうか。この映画、観に行きたいと思いました。


堀北真希さんは毎年お墓参りをしているとのことで、彼女の純朴なこころに、なるほどとうなづけるのではないでしょうか。吉田監督も撮影に入るまえに、お母さん(享年65歳)が亡くなり、「悲しみ」より「後悔」が先だったそうです。

死後のひとつひとつの儀式といいますか、看取り、葬儀、火葬、取骨、そして法要、納骨という亡くなった方を送るなかで、生と死を考えるのではないでしょうか。特に近親者の死を通して、自分自身の人生を考えることができる機会でもあるのです。だからこそ、火葬で終わるような直葬は生命観の喪失だと思います。

この映画「麦子さんと」はぜひ観たいし、もういちど観たいのは、伊丹十三監督の「お葬式」と滝田洋二郎監督の「おくりびと」、まだ観ていないもので、砂田麻美監督の「エンディングノート」がある。この「ソナエ冬号」にはたくさんの「死」「葬儀」を扱った作品を紹介しているので、ご一読してはどうでしょうか。

お互いに後悔しない死に方をしたいものです。それは同時に後悔しない生き方でもあるのです。それでは皆様のご健勝をお祈りしつつ・・・南~無 合掌 徳温禅月。




2013年12月11日水曜日

ネルソン・マンデラ氏を追悼する

 おはようございます。
ネルソン・マンデラ氏が12月5日に95歳でその生涯を閉じ、世界の首脳が集まり、追悼式がおこなわれました。時代を切り開いた巨星がまた一人去って逝きました。ご冥福を心よりお祈りし、追悼の意を表します。

「ウィキペデア」より
「ネルソン・ホリシャシャ・マンデラコサ語: Nelson Rolihlahla Mandela1918年7月18日 - 2013年12月5日)は、南アフリカ共和国政治家弁護士である。
大統領(第8代)、下院議員(1期)、アフリカ民族会議議長(第11代)を歴任。
賞歴としてネルー賞、ユネスコ平和賞、アフリカ賞サハロフ賞ノーベル平和賞国際検察官協会名誉章受章など。称号には名誉法学博士(早稲田大学)など。南アフリカ共和国での愛称はマディバタタ(父)[2]


若くして反アパルトヘイト運動に身を投じ、1964年に国家反逆罪で終身刑の判決を受ける。27年間に及ぶ獄中生活の後、1990年に釈放される。翌1991年アフリカ民族会議(ANC)の議長に就任。デクラークと共にアパルトヘイト撤廃に尽力し、1993年にノーベル平和賞を受賞。1994年、南アフリカ初の全人種参加選挙を経て同国大統領に就任。民族和解・協調政策を進め、経済政策として復興開発計画(RDP)を実施した。1999年に行われた総選挙を機に政治家を引退した。」

マンデラ氏追悼式に数万人、皇太子さまも出席 -読売新聞よりー
【ヨハネスブルク=黒岩竹志】5日死去した南アフリカのネルソン・マンデラ元大統領の追悼式が10日、ヨハネスブルク郊外のサッカー競技場で行われ、各国要人を含む約5万人が、アパルトヘイト(人種隔離政策)撤廃へと導き、人種融和を進めたマンデラ氏の功績をたたえた。
 米国からオバマ大統領、ブッシュ前大統領、クリントン元大統領、カーター元大統領の歴代4人が出席したほか、英国のキャメロン首相、フランスのオランド大統領ら100人を超える要人が集まり、アフリカ史上最大規模の式典となった。日本からは皇太子さまが、福田康夫元首相らと出席された。式典では、オバマ大統領が「20世紀最後の偉大な解放者だ。我々はマンデラ氏から何を学ぶべきかを問いかけなければならない」と語った。
 旧黒人居住区ソウェトに近い競技場では、2010年のサッカー・ワールドカップ(W杯)の閉幕式が行われた。これが、マンデラ氏が公の場に姿を見せた最後となった。
2013年12月10日23時15分  読売新聞)

混迷の世界を切り開く若者よ出でよ!山本覚馬の言葉を思い出しました。「弱気を助け、強気を挫き、貧を救い、富を抑えるものは誰ぞ」(「八重の桜」より)。





 

2013年12月10日火曜日

マンウォッチングのすすめ

 おはようございます。
TVニュースを見ているとおもしろいですね。どこかの国の都議会での都知事の答弁の表情と耳から汗が流れるところを見ると可哀想というか、この程度の人かと思うのは私だけでしょうか。皆さんの中には、バードウォッチングが好きな方が多いと思いますが、自然の中での鳥などの生き物を見ていると心が和みます。

でも視たくない映像を見なくてはいけないのが人間界ではないでしょうか。魑魅魍魎の世界です。これを積極的に見て楽しむマンウォッチングを提言したいと思います。

人物を見るときは、鳥瞰的に見なければなりません。つまり自分が鳥になったつもりで、うえから見る目線ですね。なぜなら同じ位置なら、同情してしまうし、下から見ると、卑下しかねないから、やはり上から見る方法で、俯瞰的とも言います。

ある医療法人から多額のお金を借りた?ことへの答弁を聴いていると、しろどもろどで滑稽ですね。よって立つべき思想がないから、このようなことになるわけですね。最近思うのは、自分というものの器がわかっていない人が多いのです。

前知事の取り立てがあったから、才能が活かせたことがわからないまま、後継者になると、つまりトップに立つと失態をしでかすわけです。しかし権力欲が強く、権力にしがみつくわけです。北の国でも同様のことが起きていて、親父のおかげでトップになったのですが、親父がいないと、部下を活かせない小心ものなのがトップになると、本当に困ってしまうことがおきるわけです。まあ国内も海外もたいへんですね。

どこかの国の、みんな?の党が分裂したようですが、どちらも身の程しらずで、政権を任せるような人物ではないと思いますが、どうでしょうか。たとえば、前の政権のトップ達もその器量ではないと思いませんか。

人間の器を言った人が陽明学の大家であった安岡正篤先生ですが、占い師の細木和子さんと婚約したことがあったそうですが、晩節を汚すとはこのことで、やはり人間界の絵空事に見えてくるわけです。その細木和子さんの、島倉千代子さんとの関係も聴くとおどろおどろしいですね。おお怖い、怖い!

でも似たようなことが、家庭で、会社で起きているわけで、これがストレスになるわけです。しかしそれを鳥瞰的に見てほしいと思うわけです。若い人によく言いますが、君達はレコード盤の針みたいに一生懸命仕事をしているが、仕事もレコード盤と一緒で、それからはなれてみないと、いいかわるいかわからないと。レコード盤?表現が古いかも知れませんね。

故ケネディ大統領のような人物が今いるかな?つまり命を賭けきる人物です。戦争が始まったら真っ先に逃げだすのは国会議員のセンセイかも知れません。まずは己を知ることです。己を知らなければ、仕事もうまくできないし、人間関係もうまくいきません。己を見つめるために座禅をしてみませんか。自分がどのくらいのものかが見えて来ます。それを知って仕事をすべきです。それでは皆様のご活躍を祈りつつ・・・合掌 凡俗禅月。




2013年12月9日月曜日

「社葬」について

 おはようございます。
昨日、BS-TBSで映画「社葬」を観ましたが、おもしろく人間模様が描かれ、ある意味では滑稽な映画ですが、作品としては素晴らしいと思います。1989年の作品ですから今から24年前ですね。日本経済が高度成長しバブル絶頂時ですね。俳優さんたちも若い頃だし、もうあの世に行った方もおられます。

「日本を代表する大手新聞社の社長が急死したことから起こる次期社長を巡る壮絶な社内抗争の模様を描いたドラマ。監督は「首都消失」の舛田利雄。日本有数の大手新聞社のひとつ“太陽新聞”。会社は現在、会長派と社長派に割れ、激しいつばぜり合いをしていた。両派が多数派工作に奔走するさ中、社長が腹上死してしまう。これによって“次期社長”を巡る抗争は一気に激烈さを増し、社内は混迷の度を深める……。」(オールシネマより)

主役の緒方拳さんと料亭の女将の十朱 幸代さんとの濡れ場シーンは、緒方さんはともかくとして、こんなに綺麗な方はいないなと思うほど十朱 幸代さんは妖艶ですね。この作品から「社葬」が何たるものかを理解することには無理があると思います。社葬の流れはわかります。
映画「社葬」より葬儀委員をねぎらう。

本来、会社の社長や会長さんが亡くなると、社葬にするかどうか決めなくてはなりませんが、経費で落とせますし、規模が大きくなれば社葬にされるのがよいでしょう。いわゆる社葬は、告別式あるいは本葬になりますから、その前に近親者による密葬をしておく必要があります。

会社内から葬儀委員長(経験者)を決めて、葬儀を執り行う葬儀委員会を編成します。社葬の場合は、葬儀社まかせにしてしまうと、席順、献花の位置や弔電の順番などでつまらぬ失態をすることがありますので、社内や取引先に精通した人が葬儀委員長になるほうがよいです。あるいは葬儀プロデューサーなどのプロに委託するのもいいと思います。

この映画のように急にお亡くなりになるようなときは、まさに会社の後継者でもめる場合がありますので、会社のトップである社長は、一般の方以上に、「終活」をしっかりしておく必要があります。遺産相続は当然ですが、後継者育成をしながら、できるだけ早い時期に後継者を指名し、社内の融和をはかっておく必要があります。

この後継者問題を、ひとりよがりの人事で行うと優秀な人材が退職する危険性をはらんでいるわけです。中小企業でも社長が60歳頃にはしておきたい重要な課題です。ここで一句「いつまでも あると思うな、わがいのち」

会社の資産や負債は、後継者が引き継ぎますが、釈然としない個人資産がある場合、遺産相続をめぐって親族でもめます。どうぞトップたるもの、くれぐれも個人の遺産相続問題を会社に持ち込んだり、社内への悪影響を及ぼさないようにしていただきたいと思います。自分の死後も会社が発展することを願っているはずです。しっかりトップとしての「終活」をして、万全の態勢を作っておきたいものです。

この機会に、自分があの世に行ったら、葬儀はどうするのかなどの「終活」をそろそろしてはどうでしょうか。映画「社葬」をぜひ見れば、参考になる点が多々あると思います。それでは、皆様が今週も元気でご活躍されることをお祈りします。南~無・・・合掌 徳温禅月。




2013年12月6日金曜日

じたばたするな!

 おはようございます。
一週間の経つのが早いですね。もう週末を迎えようとしていています。世の中、毎日毎日いろんなことがあります。ましてや情報化社会ですから、テレビなどのマスメディアからインターネットなどの個人情報に至るまで、あらゆる情報が流れ、見ることができる世の中です。

しかし、情報に踊らされることなく、この世を達観して観て行きたいものです。見ると言う字が観察の観に意味があるのです。南アフリカのアパルトヘイトを撤廃したマンデラさんも95歳であの世に行きましたが、大往生ですよね。ご冥福をお祈りします。

昨日見た落日
  
空海さんが「来たること我が力にあらず、帰らむこと我が志にあらず」(性霊集)で言っていますが,
人間生まれるときも死ぬるときも自分の意思で決められないのです。老いて死に至るのは、生あるもののさだめです。
 
なにも気にすることはないのです。先日、TVでアメリカの脳外科医の臨死体験を特集していましたが、それが真実であろうがなかろうが、今生きていることとは関係がありません。だから仏陀は何も言わなかったのです。
 
私は、死ねば肉体の一部である脳も死滅するわけですから思惟することはできないと思います。つまり霊魂は思惟するものではなく、もっと純粋なもの、光のようなものではないでしょうか。ですからあの世を別の世界があるなどというではなく、霊魂は神や仏のみもとで行くのです。
 
だからじたばたしてどうする。今を精一杯、正しくかつ楽しく生きるべきだと思います。良寛さんは、「災難に逢う時節には災難に逢うがよく候。死ぬ時節には死ぬがよく候。是はこれ災難をのがるる妙法にて候。かしこ」と言いました。
 
良寛さんのように、「あるがままを受け入れ、生や死を越えてひとり揚々と生きる境地」に見習いたいと思うものです。まあ、じたばたせずにゆっくり風景を眺めながら生活しましょう。それでは皆様にとって、良き週末でありますようにお祈りします。南~無、合掌 徳温禅月。
 
 
 
 
 


2013年12月5日木曜日

終活~お墓をつくろう~

 おはようございます。
最近、ある仏壇屋さんがお墓のCMをよくながしているので、パンフレットを取り寄せました。実家は納骨堂におさめているので、分家の私としては、お墓もしくは別に納骨堂を手配しなくてはいけないわけです。

それにしても島倉千代子さんのピアノの形をしたお墓はいいですね。墓石も黒光りして、上質の物ですね。友人から、「昔、父が永代使用権を買っていた墓地を譲っていい」とのお話をいただきましたが、12㎡もあり、どんなお墓を建てるのと思うと気がひけているわけです。

さて、終活の大事なお仕事(死後土)のひとつが、「終(つい)の住処(すみか)」をどうするのかということですが、最近は生前に自分のお墓を建てる方が増えているそうです。この墓のことを「寿陵」と言い、長寿を願うめでたい墓とされています。

お墓は勝手に作れませんので、許認可を受けた墓地が、いわゆる公益法人が作った民営墓地、市町村の公営墓地、そしてお寺の境内にある寺院墓地ですが、本当に永代供養してくれるのはやはり寺院墓地だと思うのですが、やはり数が少ないようです。

次に墓所の種類ですが、一般墓所や芝生墓所、花壇墓所、緑地付き墓所、生垣墓所、壁墓所などがあります。そして墓石の種類が、和型墓石洋型墓石があり、最近は洋形墓石が増えているそうです。先日天ヶ瀬トレイルのお立ち寄り先にとお願いに、「九州池田記念墓地公園」に行きましたが、芝生墓所で、洋型の墓石が立ち並び、素晴らしい施設でした。


さて、イメージが浮かんできて、6人ほど入れるファミリータイプでリーズナブルなお値段のものがいいなと思った次第です。

また室内墓苑と言われる納骨堂もロッカー式の物から納骨壇式、そして搬送式のものがありますが、お値段も50万~120万円まであり、決してリーズナブルとは言えないのは、納骨堂の建設費がかかるからかも知れませんね。都市圏ではビルの中につくるところも出てきているそうです。

そのほかに、散骨、樹木葬、海洋葬などがありますが、やはり日本人は先祖供養というお役目がありますし、お墓を通して亡き故人とお会いできるものと思いますのでお墓は必要ですね。また費用があまりかからないもので永代供養墓・合祀墓があります。

60歳を過ぎたら、「終の住処」を準備しておいたほうが安心できると思う今日この頃です。それでは皆様のご長寿をお祈りしつつ・・・合掌 徳温禅月。



2013年12月4日水曜日

仏道を歩くⅦ~僧侶(聖職者)の不祥事に思うこと~

 おはようございます。
 29日、広島で53歳の住職が、貿易会社の社長と偽り、不倫相手の女子大生に、暴行を繰り返し逮捕されたことが報道されました。僧侶や牧師の性的犯罪、不祥事があとを絶たず、多くの方が憂い、失望していることを鑑み、なぜこのようなことが起きるのか皆さんと考えてみたいと思います。

現代のお寺や教会などは、世襲が多く、親が住職だったので仕方なく?後を継いだケースがほとんどではないでしょうか。仏教では、出家と在家という言い方をしますが、ほんとうに出家した僧侶は少なく、形式的に出家と言っているだけで、むしろ在家のなかに、出家に等しい人が多くおられます。

世襲制のため、人生と何か、宗教とは何か、仏教とは何か、キリスト教とは何かを考えたり、悩んだり、苦しんだりすることなく、僧侶や牧師が多いためこのような事件が後を絶たないのかもしれません。つまりなんら宗教性も信仰もない僧侶が多いと言ったら語弊があるでしょうか。

しかし私は、素晴らしい僧侶や牧師さんにもお会いし、親しく接し、ご教授いただいております。そういう方もたくさんおられるのに、一部の聖職者の不祥事によって、宗教界とりわけ仏教界が批判の矢面に立たされることは残念なことです。

ブッダもキリストも、悪魔から同様の誘惑(攻撃)を受けました。このことは仏典にも聖書にも書いています。今の僧侶や牧師にも、悪魔の誘惑があるのです。悪魔とは言わなくても、人間の根源にある欲望(煩悩)とりわけ性的な欲望に負ける人が多いのです。

現代の僧侶はほとんどが妻帯してるのですから、健全な夫婦生活をおくればこのような破廉恥な不祥事はおきないのです。つまり不健全な心構えを持っているし、不信仰なのです。一般の方は僧侶が不信仰ですかと驚く方もおられると思います。

つまり僧侶とは職業ではなく、悟った人である自覚が欠如しているし、悟っていないわけです。キリスト教では明確に聖霊や悪霊の存在を語っていますが、仏教では、仏陀が霊魂について語らなかったから、霊魂は存在しないなどという仏教学者がいますが、それならなぜ阿弥陀信仰や真言や陀羅尼などのお経があり、亡き人を供養するのでしょうか。

あなたの目には見えないお方がおられ、いつもあなたを見ていて、あなたを導き、あなたを守ってくれているのです。つまりそれが菩薩であり、聖霊ではないですか。あなたのそばにいるのです。あなたが菩薩や聖霊を悲しませることをしてはいけません。

見られていると信じますか?信という字には、信頼する、信用する、信心するなど多くの言葉がありますが、もっとも大事な言葉は、信仰です。それは崇める方であり、敬うべき方であり、私たち凡俗な人間とはレベルの違う方を信じることです。あなたは信仰がありますか。

それでは、皆様のご健康とご健勝を祈りつつ・・・合掌 徳温禅月。



2013年12月3日火曜日

「清貧の思想」を読むⅡ~良寛と長明~

 おはようございます。
「清貧の思想」の第4節から第7節までは、鴨長明と良寛とを対比しながら、彼等の暮らしぶりを書いています。ウィペディアで紹介すると、当然時代は違うのですが、この二人の出家のありかたに差異があるのです。

「鴨 長明(かも の ちょうめい、久寿2年(1155年) - 建保4年閏6月10日1216年7月26日))は、平安時代末期から鎌倉時代にかけての日本の歌人随筆家である。俗名はかものながあきら禰宜・鴨長継の次男。位階従五位下
鴨長明 (菊池容斎画、明治時代


良寛(りょうかん、宝暦8年10月2日1758年11月2日〕 - 天保2年1月6日1831年2月18日〕)は江戸時代後期の曹洞宗僧侶歌人漢詩人書家。俗名、山本栄蔵または文孝。号は大愚
長岡市隆泉寺の良寛像


鴨長明はあの有名な方丈記の作者ですが、
「行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。」と高校時代に暗記している人が多いと思いますが、この出だしの文章こそ、仏教の無常観を表しているのです。

中野孝次先生によりますと、年齢がきたので、長明は仕方なく出家したが、良寛は、自らの意思で乞食生活を選んだと書いてありますが、現代人には良寛的な生き方をできる人はほとんどいない。近年では俳人で、曹洞宗の僧侶でもあった種田山頭火だけではないでしょうか。

「とにかく鴨長明は、方丈という最小限の空間に住みながら、そこで音楽をたのしみ、利得にあくせく奔走しないでいられる生活を誇りとしたのだった、またその心境をよしとする人がいたからこそ、彼の『方丈記』は今日まで読みつがれてきたのであろう。こういうふうにしてから人から人へと目に見えない糸で伝えられて来たもの、それをもし文化の伝統というなら、その伝統をわたしは尊いものに思うのだ。」(「清貧の思想」より)

日田市の天領まつりのおり、乞食行をしている若者をみましたが、ほんものかどうかは別にして一日中立っているところをみるとほんものかもしれませんね。わたしは若いときは俗世に身においたほうが、そのほうが僧侶人生のなかで、民衆の声が聴ける人になると思います。

良寛の生活は、昼は托鉢行をしてまわり、草庵(越後五合庵)に住んで、「嚢中三升の米と炉辺一束の薪」だけである。エアコンがついた部屋で何不自由なく生活している現代人には、豪雪地帯の新潟で、このような生活など到底できるはずがないのです。

「わたしはいつか冬は、越後の国上山の五合庵跡をたずね、そこに再建されている庵を見て、老杉の下に一間きりの寒々とした粗末な住居に自分ならとうてい耐えられまいと思った。あまりにも簡素で、あまりにも貧しすぎるのである。そしてこういうところに粗衣粗食で暮らした人はよほど精神の強靭な人だったのだろうと想像するとともに、現代文明に甘やかされたわれわれの脆弱さを省みずにいられなかった。」(「清貧の思想」より)

「師、常に手まりをもて遊び給ふとききて奉るとて、『これぞこの仏の道に遊びつつつくやゆきせぬみ法なるらむ』貞心尼 それに対する良寛をの返しが、
「つきてみよひふみよいむなやここのとを十とをさめてまたはじまるを」 なのである。

理屈を言わずにともかくあなたも毬をついてみなさるがいい、ひふみよいむなやここのとを十、とついて収め、また新たにひふみよと始める、その無限の繰返しこそ人生そのものであり、仏の道というものがあるならその中にしかにことがわかるでありましょう、という。」(「清貧の思想」より)

現代人が良寛を尊敬してやまないし、そうなりたいと思うのは、すべてのしがらみを捨てきっているからだと思います。今、終活という言葉が使われるようになりましたが、その時期が来たら、まさに隠居して静かに過ごしたいとほとんど人が思っていると思います。

こころ静かに生きるために、権力や富や煩悩をできるうる限り捨てきることだと思うのですが、なかなか捨てきられない煩悩と執着こそ、自らが越えなければならない峠かもしれませんね。とにかく中野孝次先生の「清貧の思想」(草思社)は読めば読むほど味がでてくる本です。

私が「清貧」から「清福」と言っているのは、現代人には、貧しさの度合いが違うのですから、せめて清々しく幸福な人生を歩んで欲しいと思うからです。皆様のご多幸をお祈りしつつ・・・合掌 徳温禅月。




2013年12月2日月曜日

堤清二氏を追悼する。

 おはようございます。
団塊世代より歳が上の人で、堤清二を知らない人はいないでしょう。11月25日、86歳でその生涯の幕を下ろした。初七日の今日、ご冥福をお祈りし、追悼の意を表明します。私も中小企業でしたが、流通業に身を置いていましたので、西友およびパルコなどセゾングループを牽引する堤氏を尊敬していましたし、詩人辻井喬との二束のわらじをはきこなせる才覚に畏敬の念も持っていました。


ウキペデイアを読んでいただくと堤氏の人となりが見えてくると思います。

「堤 清二(つつみ せいじ、1927年3月30日 - 2013年11月25日)は、日本実業家小説家詩人学位博士(経済学)中央大学1996年)。筆名辻井 喬(つじい たかし)、横瀬 郁夫(よこせ いくお)。日本芸術院会員財団法人セゾン文化財団理事長社団法人日本文藝家協会副理事長、社団法人日本ペンクラブ理事、『歴程』同人、憲法再生フォーラム共同代表、日本中国文化交流協会会長
西武流通グループ代表、セゾングループ代表などを歴任した。弟は元西武鉄道会長の堤義明
本稿では編集の都合上、「実業家:堤清二」と「小説家・詩人:辻井喬」の両者としての経歴を包括している。」 (続きはネットで)


彼は学生時代、日本共産党に所属し、学生運動をしてきたのですが、唯物史観の負の部分も知っていたひとりかも知れません。多くの実業家や作家とも交流があり、作家三島由紀夫氏もその一人です。

何はともあれ、昭和を生き抜いた人物がまた一人去って逝きました。2011年に「古寺巡礼」(ハルキ文庫)を出版し、堤氏は遊行期をしっかり歩いたひとでした。

「それにしても、仏像を眺めるというのは、どういうことなのだろう。(中略)あえて言えばしっかりと仏に繋がれていることによって、小さいけれども確固とした存在になっている感じを否定できない」

そして2012年に「死について」(思潮社)を書き、彼は逝ってしまった。こころよりご冥福をお祈りします。



2013年11月29日金曜日

終活~老後の生活Ⅱ・こんなにかかるの生活費~

 おはようございます。
先般、老後の生活について書きましたら、大変多くの方からアクセスがあり、すこしびっくりしました。これは何よりも皆さんが老後の生活に不安を感じているからだと思うのです。私も3年前に退職し、どのくらい生活費がかかっているのか出してみて、現代社会は生きているだけでこんなに金がかかるのかと嘆息しました。

皆さんに、お薦めしているのは、まず家計簿をつけてみることです。奥さんまかせにしているのはある意味だは無責任で、生活費のことをとやかく言うのは嫌だと思っている人が大部分の方だと思うのですが、熟年離婚になる前に奥さんと一緒にいたいなら家計簿をつけてみませんか。どれだけ奥さんに負担させていたかがわかります。

ほとんどの方は、住居費つまり住宅ローンは終わっているようですが、60歳をすぎても残額がある方は退職しないで下さい。嘱託になるとボーナスがなくなりますので、切り替えると月々住宅ローンが10万円を超えることもあります。

次に多いのは、水道光熱費です。夫婦二人でも、上下水道費が無駄を省いても1万円以上になります。水を流しながら、顔を洗ったり、食器を洗ったりしていますが、「禅」では、一杯のお湯で食器は洗い、顔もコップ一杯で洗います。


私は禅道場に行きましたので、そのように心がけでいますが、家内を見ているとそのような経験がないので、流しっぱなしなのです。現代人のほとんどがそうでしょう。水と言う資源を大切に使って欲しいと思います。これ以上言うと熟年離婚になるかも知れません。なんとか1万円以下にしましょう。

光熱費ですが、電気代に約1万5千円、ガス代に約1万以上はかかっていますね。電気もガスもこれからどんどん値上がりします。これを減らすには、無駄な電気やエアコンは付けない、こまめに消すことなど節電に心がけることです。今、60歳位なら太陽光発電・オール電化に切り替えると、光熱費が約5000円程度になり、売電分が入金されます。初期投資がかかりますが、ローン支払で、今の光熱費より安くなれば切り替えるべきです。

私の理想は、水道光熱費は自給自足で生活したいですが、本当に田舎暮らしを決意しばければできません。しかしこれからの人は、家を建てるときに、スマートハウスにし、井戸を掘っておけば可能だと思います。

食費も必ず要りますね。夫婦お二人で食が細くなったとはいえ、約5万円はかかると思いますが、これも工夫して切り詰めるしかないのです。たまには温泉でも行きたいですよね。

そして車代(車検や整備費)と燃料費に平均約8千円は必要でしょう。思い切って燃費のいいものに変えておきたいものです。これに任意保険代が約5千円必要です。保険代といえば、国民健康税に月約2万円、医療保険や火災保険に約3万くらいは支払っていると思います。

60歳は過ぎたら、生命保険の死亡保険など最小限でいいので、医療保険などに切り替えて、支払額を減らしましょう。ここまで話すと月平均26万くらいは生活費がかかっていることにご理解されると思います。ゆとりのある方はどうぞ使っていただいて構いませんが、庶民は、26万円を、工夫して23万、21万と切り詰めることは必要な老後の生活の智恵だと思います。

とにかく家計簿をつけてみることから始めて、年金収入と生活費の支出の収支バランスを取ることです。先日足りない分のパートで稼ぐことを提案しました。どんな仕事でも喜んでする覚悟が必要です。でも仕事をすることは健康にもいいのです。

それでは皆様の生活が豊かになりますように心よりお祈りしつつ・・・合掌 徳温禅月。




2013年11月28日木曜日

「進撃の巨人」とひびき渓谷

 おはようございます。
昨日、久しぶりに日田市大山町の「ひびきの郷」に行きまました。大山町は大分県の、いや日本の一村一品運動の発祥地です。深秋のひびき渓谷の紅葉を見ながら、梅の香温泉なごりの湯で温泉禅を楽しみました。


ロビーに諌山創君の「進撃の巨人」の原画展を開催しているのですが、彼を育んだこの大山のひびき渓谷そして裏山には、かの修験道者行基が開いたと言う烏宿神社がある烏宿山があり、数百年の自然林が蘇生しています。このような大自然のなかでのびのび育ったのでしょう。




「進撃の巨人」についてご存じで無い方がおられると思いますが、今や最高発行部数となっているのです。ウキペディアにも詳細にご紹介していますので読んでみてください。

「『進撃の巨人』(しんげきのきょじんAttack on Titan)は、諫山創による日本漫画作品。小説テレビアニメなどのメディアミックス展開が行われている。『別冊少年マガジン』(講談社2009年10月号(創刊号)から連載中であり、『週刊少年マガジン』(講談社)にも出張読み切りとして特別編が2度掲載されている。
11巻刊行時点での単行本の発行部数は、2013年現在累計2500万部を突破している。」



中高年の皆さまもお孫さんと同じくらいの年代の諌山創君が書いた「進撃の巨人」を一度読んでみるのもいい刺激なると思いますよ。いや~漫画はと思う方は、大山町のひびきの郷においでになって、温泉にはいって、原画展を観てください。

ひびきの郷の全景

ひびきの郷~お宿あさもや~
 
ひびきの郷のなごり湯の露天風呂は私の好きな露天風呂のひとつで、ちょうど座禅ができる岩があるのでそのうえで温泉禅を楽しむわけです。裏山の烏宿山の自然林に足を運ぶと心身ともにリフレッシュできます。
 
日田市観光協会より
 
そして今年も12月14日19時より烏宿神社(からとまりじんじゃ)にて、奇祭?「裸参り」が執り行われます。
日田市観光協会より

「進撃の巨人」の裸は、ここから発想したかは知りませんが、一度見ておくお祭りです。お越しになって、ひびきの郷でゆっくりして一年の疲れを取ってください。それでは皆様のご健康をお祈りしながら・・・合掌 徳温禅月。



2013年11月27日水曜日

「清貧の思想」を読むⅠ~恥ずべき慳貪なる奴等~

 おはようございます。
先般、中野孝次先生の「清貧の思想」「清福の思想」へと書きましたので、中野先生に申し訳ないと思いながら、皆さんの意見を聞いていると、現代人はとても貧困に耐えきれないし、現実的には非正規雇用などで若者たちも貧困にあえいでいる実情をみると、経済的に「貧しい」というのも悲劇を招くことがあるのです。

しかし中野先生が提起した「清貧の思想」はそのような意味の貧困ではなく、心の貧困と言いますか、日本人の中に蔓延している精神的な貧困を20年前に提起し、本来日本人が持っていた「清貧」という確かに生活は貧しいが、そのなかですがすがしく生きる人たちをクローズアップしているのです。現代人に問いかけている問題をいまだからこそ無視しては、心豊かな生涯をおくれないと思い、「清貧の思想」を皆様と読み返し、人生の指針を提言したく思いました。


「清貧の思想」の一節から三節は、本阿弥家に貫く考え方を書いていますが、本阿弥光悦は、欲望を支配しうるほどの精神の優位性を持っていて、それはその母、妙秀によって教えられ育てられたからだと思います。

本阿弥妙秀は、「何よりの慳貪(けんどん)にして富裕なることを嫌ったという」と書いていますが、慳貪とは「欲深くしていつくしみの心がないこと、むごいこと、貪欲なこととあり、つまり自分さえよければ他人のことはどうでもいいという者のことだ。」

今問題になっているあの医療法人一族とそれからお金を借りた?というどこかの国の都知事など、現代も変わらず、このような慳貪なるものが跋扈しているのです。ああ情けない。以前、有名な経営コンサルタントの先生が、この「清貧の思想」など通用しないと言ったことを覚えていますが、それは、人間としてどう生きるかを提起していることを無視した発言だと思っていました。

妙秀は「本阿弥行状記」で、
「一、身の貧なる事には苦しからず、富貴なる人はけんどんにて有徳に成りつるやらんと心もとなし。
二、金銀など持ち参る嫁を尋ねるはふがいなし、禍の基なり。
三、金銀を宝と好むべからず。
四、夫婦の仲互いに大切ならば、いかほど貧しくともたんぬべし。」

と書いているそうですが、現代人に当てはめると、これとは真逆に生きている人がいかに多いことでしょう。宝石やブランド品やと買い漁り、精神は空っぽな人が多いのも現実ではないでしょうか。しかし日本人の多くの方は、決して富裕ではないが、豊かな精神性を持っているのです。

最期に中野先生は、「・・・現代だってこういう「目に見えない存在」を畏れ、みずから省みて恥じる行為はしないという己のうちなる律を持った人がいくらもいることを、わたしは知っている。日本人の全部が全部、取引の成功とか、金儲けとか、金額と数字以外に尺度を持たぬ人間であるわけがないのである。後者ばかりが日本人の典型のように見られているとしたら、あまりにも心外だ。だからわたしはあえて光悦や妙秀を例に、そういう人間のいることを強調して来たのである。」

読者の皆さん、再度、「清貧の思想」(草思社)を読んでみませんか。読みごたえがありますよ。「清貧」を理解した人は「清福」な人生を送ることができるのです。それでは皆様のご健康を祈りつつ・・・合掌 徳温禅月。



2013年11月26日火曜日

終活~老後の生活~

 おはようございます。
昨日の「TVタックル」ー老後ビンボーから抜け出せーを見ていまして、平均貯蓄額が約800万円と言ったいましたが、とても食べていけません。日本は貧富の格差が出てきたなと思うのは私だけでしょうか。貧富の格差がでてくれば、富裕層を含め応分の負担をしなければなりません。今の状態で消費税をあげて大丈夫かなと危惧するものです。

終活で一番しなくてはいけないことは、老後(定年退職後)の生活費の確保です。ご夫婦お二人で月約26万円いります。年金で確保できるならいいですが、国民年金だけではとても生活できません。では貯蓄しているかといえば、約800万円であれば、約100万円を取り崩じていけば、8年で貯蓄はなくなるのです。ですので若い方も、約3000万円くらいは貯蓄しておく必要があります。

しかし、もう定年退職して、貯蓄がなく、年金だけでは毎月約5万円足りない人はどうするかをTVタックルで話していたのですが、大変参考になりましたので、ネットより添付します。

TVタックル」より
「老後ビンボーから抜け出せ!プロが教える3つの秘策・1~老後も働く~
総務省統計局の家計調査によると、夫65歳・妻60歳以上の夫婦では、毎月5万円の赤字になるという。老後貧乏から抜け出すための秘策として、老後も働く・地方都市へ移住する・投資するの3つを紹介する。65歳以上の高齢者のうち5人に1人が働いている。職種は清掃、タクシー、警備員が多いが、近年はマクドナルドでも高齢者アルバイトが増えている。

老後ビンボーから抜け出せ!プロが教える3つの秘策・2~地方へも移住~
60歳以上の持ち家率は87%。都会の持ち家を売って地方都市のマンションを低価格で購入し移住するプランが注目されている。特に北海道札幌市と沖縄県那覇市が人気。地方は物価が安く、生活費が抑えられる。那覇市のマンションは、県外からの入居者が43%を越える所もある。北海道【施設】「札幌駅」と地下通路でつながるマンションを紹介。持ち家がない高齢者の住み替えとして、シェアハウスが増えている。札幌市のシェアハウス「暮らし処ありっつも」を紹介。

 
老後ビンボーから抜け出せ!プロが教える3つの秘策・3~投資~
個人投資家の約54%が60歳以上。高齢者対象の投資セミナーも盛況。【商品】書籍「20才からの株式投資」(明日香出版社)を紹介。初心者は、身近な商品の株を買って株主優待と配当金を狙うのがおすすめ。株式投資をしている63歳女性は、マクドナルドや吉野家の株を持っている。不動産投資の例として、築40年の公団住宅への投資を紹介。

秘策3の投資ですが、約54%が60歳以上というのはあたりまえでこれは富裕層、若者の誰がお金を持っていますか。バブル崩壊後大損したではないですか。庶民は投資などできないのを小額投資非課税だと言って、証券会社はやんやと電話をかけて来ますが、勧めません。

まずは、働くことをお薦めします。働くことは楽しいことです。働くことは人のためになります。働くことは健康の源です。パートでいいのです。年金で足らない分を稼ぎましょう。でも病気をしたらとご心配されるでしょう。だから貯金をしておかなければならないのです。少し2万円づつ貯金すると20年間で240万円になります。60歳からでもできます。最期の入院・治療費を稼いでおきましょう。

次が私が特に提案している故郷へ帰ることです。沖縄や札幌がいいからと言って全くしらない土地へ行くことはストレスになります。あなたが高校まで居た地方には同級生がいます。日本の7万くらいの市町村であれば十分文化的な生活ができます。家賃も食費も安いです。

退職したら都会の家を売り払って故郷に帰り、好きな仕事をすれば十分食っていけますし、地方も経験豊かな人材の活用ができるのです。これは日本の活性化の秘策です。東京だけが日本ではないし、いつまで一極集中するつもりでしょうか。オリンピックは老後の楽しみで旅行方々見に行けばいいではないですか。TVで見た方が顔がよく見えます。

それでは、みなさんの老後の生活が豊かで楽しいものでありますようにお祈りします。合掌 徳温禅月。




 

2013年11月25日月曜日

「清貧の思想」から「清福の思想」へ

 おはようございます。
私の大好きな書物のひとつに、中野孝次先生の「清貧の思想」(草思社)があります。1992年の9月に出版されたのですが、それはいわゆるバブルと言われる日本経済がはじけた年です。それはアメリカ型経済の大量生産・大量消費時代の終焉であったのです。

経済が成長していくことを必ずしも否定するものではありませんが、その経済の成長に伴う大気汚染や地球温暖化などの自然破壊そして物質中心の物の考え方からくるこころの喪失が、多くの精神的病と、犯罪を引き起こしていることは事実なのです。

中野孝次先生は、日本人が本来持っていた精神の風土である清貧というものにをクローズアップしながら、現代人が取り戻すべき精神のあり方を提唱したのです。今から日本人そして人類が生き残っていくためには、知足少欲の考え方を持たなければ、数%の富裕層と大多数の貧困層が生まれ、社会矛盾をきたすからです。

ましてやミニバブルと踊らされ、株や投信に誘惑され、不労所得を得ようなどと思うですが、いつも儲けるのは機関投資家で、庶民ではないのです。多くの方が欲望を抱いて詐欺事件に巻き込まれ、わずかな退職金もなくしてしまう方も多いのです。

中野先生のお父さんは大工さんでした。先生は、「人間はまっとうに働いて生きるべき者で、盗みや詐欺や収賄や投機や、そんな手段で成功するのは間違っていると信じてきました。働くことを厭わなかった。かれらは仕事と自分の業に誇りを持ち、金儲けするよりもよい仕事をすることを望んでいました。」(「清貧の思想」より)

私は日本人が持つべき精神構造は、「清貧の思想」だと思っています。3年前ブータンの国王ご夫妻が日本を訪れた時に、幸福度が世界でもっとも高い国と紹介され、皆さんが注目しました。それは勝手の日本人が持っていた精神構造を持っていたからです。

そのことの生き方を、約2500年前に提唱したのがブッダです。「八正道」という言われていますが、ブッタは偏ることない中道の考え方と生き方を言ったのです。しかし今日の宗教界は、株式投資などに手をだし、宗教者としてすべきでないことをしています。

私は、ブッタが諭したこと、中野孝次先生の「清貧の思想」を、吟味し、継承し、飛躍させ、「清福の思想」を提言したいと思います。それは人は清く、汚れなく、正しく生き、働き、幸福な人生を送ると言うことです。

経済的な貧困は、決して良いものではないですが、同事にお金儲けをすることが成功とか幸福とは違うのです。最小限必要な貯蓄と、無駄な消費をしない生活、日常の生活のなかに喜びと幸福をみいだす生き方です。

バランスのとれた生活で、たとえば家計でいえば標準的な貯蓄をしている、働くことに生きがいを感じらる仕事をしているし収入が得られている、絵や書をかくなどの趣味を持っている、毎日、公園をなどをウォーキングし健康である、地域社会の行事に参加している、家族といつも会話しときどき食事に行く、そして神仏に手を合わせ感謝できる信仰を持っている、このよう調和のとれた生活が最も幸福な生活なのです。

たとえば遠路はるばる紅葉を見にいかなくても裏山の紅葉に「美」と「やすらぎ」を見ることができる清浄なる心を持つことです。同時に60歳まで東京で、都会で働いたら、故郷に帰って来ませんか。砂漠のような東京で高い生活費で過ごすのではなく、田舎でも趣味を生かして働ける場はあるし、自然のなかで、路傍の花にこころうたれ、雨読晴耕の日々を送った方がよいと思いませんか。

読者の皆さんに問いかけます。あなたの生き方、生活は、幸福ですか?皆様のご多幸を祈りつつ・・・合掌 徳温禅月。




2013年11月22日金曜日

終活~もし生れ変わったら、今のパートナーを選びますか?~

 おはようございます。
今日は11月22日で、「いい夫婦の日」です。2013年度第8回いい夫婦川柳コンテストの大賞は、「贅沢ができない妻に花を買う」(西田金吾)でした。そのほかの優秀賞のなかに、「婚活のウソも時効になりました」(飯島隆誌)や「言いました君が言うならそうだろう」(かず坊)があり、暖かい家庭の雰囲気が出ていますね。

でも2013年度のサラリーマン川柳の第一位はマッチ売りの老女さんの「いい夫婦今じゃどうでもいい夫婦」でした。もし生れ変わったら、今のパートナーを選びますかという質問に、平均で、男性は40.3%、女性は26.8%でした。60代になると女性は16%になります。これが本音かもしれませんね。


ご主人は、今まで自分がして来たことを考えると、仕方ないなと思う方がたくさんおられると思いますが、実は怖いのは、あなたが亡くなったら、葬儀はせずに、直葬で、火葬して、「さようなら」する人が首都圏では、30%越えているのです。夫婦間に自信がない方は、エンディングノートを書いて、息子さんに喪主をお願いしておくことです。

また、終活のご相談のなかに、「死んだらお墓は一緒に入りたくないですが、よいでしょうか」とのご質問が、最近多々あります。このようなことを法的な制度ではないですが、いわゆる「死後離婚」と言います。さて男性諸君どうしますか。

現代のように、核家族化していますから、お墓は別にすることも可能ですね。よく聴くと、亡くなったご主人のお墓には入らないが、いま一緒に住んでいるペットと一緒に入りたいというのです。墓苑が許可するならそれもありますよね。

このようにならないため、ご主人方は、常日頃より奥さんと会話をし、ときには奥さんをいたわり、奥さん孝行をしてください。なにより大事なことは、感謝の心ではないでしょうか。感謝して、それを表現すること、感謝を言葉と態度であらわすこと、今日、11月22日にプレゼントしてはどうでしょうか。これも大事な「終活」なのです。

そして最後の日を迎えたら、「ありがとう、愛しているよ」と一言、お互いに声をかけて下さい。かならずその魂(霊)は、天国(ご浄土)に行きます。皆様のご家庭が円満で、ご家族が健康でありますように心よりお祈りします。合掌 徳温禅月。





2013年11月21日木曜日

仏道を歩くⅥ~己に克つとは~

 おはようございます。
毎日の日課である松原泰道先生の「きょうの杖言葉 一日一言 百歳の人生の師から あなたへ」(海竜社)を読んでいまして、今日の一言の「我人に勝つ道を知らず 我を克つ道を知れり」に心がひかれました。剣道指南役で、沢庵和尚から禅を学んだ柳生宗矩の言葉です。

私たち現代人は、小学校の時から、いや幼稚園からかもしれませんね、いつも人と比較され、優劣をつけられ、そうして、中学、高校、大学を出て、社会人になると、社会はまさに競争社会です。そのなかで、人の勝つこと、他社に勝つことばかりを考えて仕事をしているのです。

そうして自分が勝っているときは躁ですが、他人に負けると鬱状態におちいり、挙句の果てに重度の鬱病になり、再起不能になる人もおられます。それはいつも他人と比較し、他人と競争する社会に生きているからです。

しかし、そのような社会の中でも、他人に勝ちたいという我にとらわれることなく、自分のエゴを超越できる人もおられます。それは利己ではなく、「利他」に生きることです。そして実はあえて敵といえば、自分自身で、他人に勝ちたい、他人より高く評価されたい、と思う心です。

そのような利己的な心、煩悩まみれの心、怠け心、自分勝手な心に打克つ方法は、ひとつしかないのです。己を見つめる、己を知ることで、それは「座禅」によって、見出すことができるのです。道元禅師がなぜ「只管打座」を言い、中村天風先生が「安定打座」を言ったのかを覚れば、自ずと座禅は生活の一部と化し、食事をするがごとくになるのです。

わたしは、親鸞さんの「南無阿弥陀仏」と言う念仏行も、日蓮さんの「南無妙法蓮華経」のお題目行もしかりだと思っています。それらはすべて、生きとし生けるもの、衆生が仏性を持ち、利他のこころに目覚めることができるからです。

松原泰道先生は、同書で、「自分の内部に居を占めるエゴに克つ道を学びえた人にして真の達人です。剣道に限らず、どの道でも最終の目的は「克己」です。己に克つのは術ではなく強い意志の力によるものです。自制心の弱い現代人の学ぶべき点です。」と締めくくっていました。

もうすこしお話しますと、キリスト教では「心の中の王座を、神にあけ渡せ」と言います。つまり、我を取り除き、神にいてもらうと言うことですが、自分の意思で、そのようにすることは、自力とか他力とか、言葉の遊びではなく、実体として意識することなのです。

少なくとも現代の宗教関係者は、自らが選んだ宗祖の、つまり釈尊の、キリストの、親鸞の、日蓮の、道元の歩んだ道を歩み、その苦悩を共有して、初めてその実務につくべきで、ただ資格試験に通った宗教関係者を私は信用しないことにしています。

己に克つとは、活かされていることに感謝し、少しでも、小さくても人のために、社会のためにお役に立つように生きることではないでしょうか。読者の皆様のご健勝をこころより祈りつつ・・・合掌 徳温禅月。



2013年11月20日水曜日

終活~島倉千代子さんの遺言~

 おはようございます。
島倉千代子さんが亡くなり、早や初七日も過ぎ、二七日を迎えようとしています。時が経つにつれ、歌い手としての素晴らしさと、彼女の歩んだ人生の苦悩を感じざるを得ません。しかし、みごとなまでに、「終活」をされていたので、感心しました。

お墓も用意され、ご葬儀のことも託していたそうです。島倉千代子さんの「終活」は、66歳に書いた「島倉家 これが私の遺言」(文芸社)から始まったのではないでしょうか。この本こそ今でいえば「エンディングノート」で、遺言という言葉がありますが、自分の人生を振り返り、歌と一緒にこの本を残しておきたかったのでしょう。


島倉千代子さんのいばらの道は、彼女にしかわからないのですが、この本から伝わって来るのはそのいばらの道をもがきながら、人間としての生、歌い手として貫いた人生に拍手を贈りたいと思うのは私だけではないでしょう。

大事なことは、いつも人にこころづかいをし、人に迷惑をかけないように終活を成し遂げたという人生の生き方と死に方を示した良き先輩でもあるのです。老若男女を問わず知っている曲が「人生いろいろ」のなかにそれぞれの人生が投影されているのではにでしょうか。しかしこの曲が明るいので、この曲を歌って人生に希望を見出した人は数えきれないと思います。

「人生いろいろ」(昭和63年第30回日本レコード大賞優秀歌唱賞受賞曲)

中山大三郎作詞 浜口庫之助作曲 竜崎孝路編曲

「死んでしまおうなんて 悩んだりしたわ
バラもコスモスたちも 枯れておしまいと
髪をみじかくしたり つよく小指をかんだり
自分ばかりを責めて 泣いてすごしたわ
ねぇおかしいでしょ若いころ
ねぇ滑稽でしょ若いころ
笑いばなしに涙がいっぱい
涙の中に若さがいっぱい
人生いろいろ 男もいろいろ
女だっていろいろ 咲き乱れるの

恋は突然くるわ 別れもそうね
そしてこころを乱し 神に祈るのよ
どんな大事な恋も 軽いあそびでも
一度なくしてわかる 胸のときめきよ
いまかがやくのよ私たち
いまとびたつのよ私たち
笑いばなしに希望がいっぱい
希望の中に若さがいっぱい

人生いろいろ 男もいろいろ
女だっていろいろ 咲き乱れるの
・・・・・・・・」

この歌詞の「髪をみじかくしたり、つよく小指をかんだり」は島倉さんが中山先生に変えてもらったそうです。女心がよくでていますね。島倉千代子さんのファンのみならず、「島倉家 これが私の遺言」(文芸社)を読みながら、彼女の歌を聴くとまた違った味がするかもしれません。忘年会の季節になりましたので、彼女の歌をたくさんカラオケで歌ってください。

「おわりに~私の遺言~
人間の命って、なんて儚いものでしょう。何年続くかわからない命の時計。生きたくて生き続けられない人もいれば、もっと生きられるのに、自ら命を絶ってしまう人もいます。そう考えると、六十六年間生きてこられた自分の命は、奇跡に近いものだと思います。私は、この奇跡ともいえる命を大切にするという意味から、私の命を次世代につなげていかなえければならないと思いました。
・・・・・・」(「島倉家 わたしの遺言」より)

島倉千代子さん、ありがとうございました。安らかにごゆっくりお休みください。ご冥福をお祈りします。 合掌 徳温禅月。





2013年11月19日火曜日

ケネディに見るリーダーとは

 おはようございます。
50年前のあの日のことを忘れはしません。日米衛星中継の最初の画像が、ジョン・F・ケネディ大統領がダラスで暗殺された画像です。25年前にダラスの現地に出向き、ご冥福をお祈りしました。その娘さんであるキャロラインさんが駐日アメリカ大使として着任しようなどとは夢にも思いませんでした。

彼女にとっても素晴らしい一歩を踏み出したと思います。また日米にとって、過去の戦争の傷跡からもう一歩踏み出すべきに時に来ているのです。日本人がケネディ元大統領が好きな理由の一つは、彼の決断力と実行力にあるのではないでしょうか。

ケネディ元大統領の業績は、キューバ危機の回避のみならず、公民権問題の解決、世界で初めて消費者保護に立った製造物責任の法案など輝かしい実績があるのです。その根源は、彼の類いまれなスピリットとリーダーシップにあるのです。

HUFF
POST WORLDより


3年前に私が、「リーダーのあり方」(別府総合研究所HP)に書いた、「ケネディに見るリーダーとは」を皆さんに掲載します。


「二、ケネディに見るリーダーとは

 私が、小学6年生のとき、世界初の衛星放送が初めておこなわれたが、残念なことに、ケネディ大統領が暗殺された一報で、大変ショックであったことを思い出します。私は少年時代、ケネディを勇気あるアメリカの大統領として尊敬していたからです。

ケネディこそ、「心・技・体」のバランスが取れていた人物であります。なにごとにもひるまない勇気を持っていますし、現状に満足せず常にチャレンジ精神をもち、強固な意志と寛容な心を持った人です。また政治・経済の知識を有し、政策通であり、外交手腕を発揮する能力にも秀でていました。また大学時代、海兵隊時代に鍛えられ、強靭な肉体と健康でありました。

 1960年、ジョンFケネディは、43歳で第35代アメリカ大統領に就任するのですが、第二次世界大戦後の世界は、ソ連が台頭し混沌としていました。ソ連のフルシチョフは、カストロとゲバラが政権を樹立したキューバに核ミサイルを置こうとしました。この時とったケネディの勇気ある行動によって、世界の秩序が保たれ、その後、世界平和が維持されたのです。

 ケネディは生涯、演説の中でどんなことを言ったのでしょう。瀧澤 大・瀧澤 中氏共著の「ケネディはリーダーシップどう語ったか」(中経出版)を読んでいただきたいのですが、少し引用したいと思います。

 ケネディは、「指導者の適格条件はただ一つ、統率する能力、力強く人々を引っぱっていく能力を持っていることである。」と言っていますし、実行しています。リーダーは人々を、自分の部下を、チームメートをまとめていく、統率する能力に秀でていなければなりません。よく例えで、組織は一匹の羊にひきいられた集団でなく、一頭のライオンにひきいられた集団でなければならないと言いますが、まさにリーダーとはライオンであり、逞しく強くなければなりません。だからこそ人々を力強くひっぱっていく能力を有しているのです。リーダーこそすべての責任を自ら負うことができる者なのです。

 ケネディが大統領就任演説で語った有名な言葉が、「国家が諸君のために何をしてくれるのか、と問うなかれ。諸君が、諸君の祖国のために何を成し得るかを問いたまえ。」です。我々一人一人が、日本国国民として、何ができるかを考えて生きていかなくてはなりません。真に利他行の実践ではないでしょうか。実はこの言葉のみが、よく取り上げられますが、ケネディは大統領として、リーダーとして、次の言葉を続けています。「諸君がアメリカ国民であろうと、世界市民であろうと、我らが諸君に求めることと同じ、高い水準の力と犠牲を我らに求めたまえ。責務を果たした、という安らかな良心を我らの唯一の報酬としよう。」と言っているのですが、ケネディは国民の自助努力と協力を求めると同時に、政府や政治家は、国民のために「高い水準の力と犠牲」を払う責任があると言っているのです。国民に高い税負担をもとめるなら、高い政策能力と遂行能力が求められるし、国家公務員の賃金の減額や、国会議員の定数削減などの国家財政の合理化を実施しなければなりません。ケネディのこの言葉を日本の政治家に差し上げたいと思います。」
 
キャロライン駐日大使が、大いなるご活躍をされることを心より祈念しております。合掌 徳温禅月。
 
 
 
 
 

2013年11月18日月曜日

いいちこ紅葉祭と石坂石畳ウォーキング

 おはようございます。
昨日、地元三花公民館主催の第16回石坂石畳道ウォーキングに参加しました。小雨の降る中でしたが、約250名ほどの方と一緒に、江戸時代日田と中津・宇佐を結んだ日田住還道の石坂石畳と自然を満喫しました。

日田インターを降りて、中津耶馬渓方面へ3キロほど登ると旧花月小学校が見えますので、いつでも近くに車はおけます。

旧花月小学校に集合です。
 

石坂石畳道とは
「江戸時代、九州天領の支配にあたる西国筋郡代があった日田、 この日田盆地から中津・宇佐方面への豊前街道は重要な道路で人の往来も繁かった。 しかし、日田を離れるところで、急な坂を通っての山越え。通行人を苦しめた。 この状況に、日田市隈町の商人が私財を投じて改修を行ったという道路。 日田市市ノ瀬から伏木峠まで全長1.3キロメートルを16回も屈折して上る石畳。」

石坂石畳道の入り口から1260mを登って行きます。


坂本冬美さんの「また君に恋してる」のいいちこ日田全麹のCMで、的場浩二さんが走って登ったいた石畳です。


伏木公園に登りつきました。そこでご褒美に地元自慢のだご汁です。地元のみなさん、ありがとうございました。
 
 
皆様より、お先に降りて、バイパスに出て日田市街地方面へ1キロほど下って、左に曲がると「いいちこ日田蒸留所」があります。
 
「11月の、大地の恵みが収穫の時を迎え、風のにおいや肌に伝わる空気、木の葉の色づきに秋をの深まりを感じる頃、いいちこ日田蒸留所では紅葉祭を開催します。四季の移り変りを表情豊かに教えてくれる原酒の杜。紅葉祭の頃は、この季節ならではの美しさでみる人の心を魅了します。赤や黄色の秋色に色付いた木々の小道を歩き、紅葉池の水面に映る色彩のゆらぎを眺め、癒しのひとときをすごしませんか。」という紅葉祭のパンフレットのフレーズ、うまい表現ですね、またその通りなのです。
 
工場見学はいつでもできます。
 
 
エントランス左の庭園です。
 
小路に古代日田の住居の復元です。
いい色ですね。
 
 
工場内に池があり、湖面に映る秋色もいいですね。
 
 
いいちこ日田蒸留所は、四季折々の表情を持っていますので、ぜひ足を運んでください。いいちこの従業員さんは感じがいいですよ。お・も・て・な・し、おもてなし。感謝です。
 
 
 
 



2013年11月15日金曜日

終活~島倉千代子さんの最後のステージ~

 おはようございます。
島倉千代子さんの葬儀告別式が青山葬儀所でしめやかに行われました。昨日、「ひるおび」で中継を見ながら、ご冥福をお祈りしました。3日前に収録された「からたちの小径」が流れると、涙が溢れてきました。素晴らしい人生でした。また最後のステージであるお葬儀は、すてきで島倉千代子さんらしくさわやかさがありました。島倉千代子さん、たくさんの歌、ありがとうございました。
 

島倉千代子さん葬儀…最後の歌声流れる 終幕の段取りは自らの手で

デイリースポーツ2013年11月15日(金)06:58
島倉千代子さん葬儀…最後の歌声流れる 終幕の段取りは自らの手で
(デイリースポーツ)
肝臓がんのため、8日に死去した歌手・島倉千代子さん(享年75)の葬儀・告別式が14日、東京・青山葬儀所でしめかやに営まれ、芸能関係者とファンを合わせ約3000人が、最後の別れを惜しんだ。島倉さんが亡くなる3日前に録音した遺作「からたちの小径(こみち)」と、「人生の最後に素晴らしい時間をありがとうございました」と話す肉声が流され、多くの人の涙を誘った。戒名は「寶しょう(女へんに捷のつくり)院 千代歌愛大姉(ほうしょういん せんだいかわいだいし)」。
 会場に流れた島倉さんの肉声に、参列者はどよめき、すぐにすすり泣きへと変わった。

 「私の部屋の中にスタジオができて、それで私はできる限りの声で歌いました。自分の人生の最後に、もう二度と見られないこの風景を、見せていただきながら歌を入れられるって、こんな幸せはありませんでした」
 亡くなる3日前、自宅に機材を持ち込み、新曲「からたちの小径」のレコーディングを行った。肉声は、終了後に録音した島倉さんのお別れのメッセージだった。

 続いて流された新曲は、メッセージでのどこか弱々しかった声とは打って変わって、しっかりとした歌声だった。自分の人生を振り返るような詞に、最後の力を振り絞った魂の歌声が響くと、参列者の悲しみは倍増した。

 3年前に肝臓がんが発覚。実は1年前から本人は死期を悟っていた。「誰にも迷惑をかけたくない」と、菩提(ぼだい)寺には「何かあったら、ここに安置させて」と伝え、人生の終幕の段取りは自分で済ませていた。
 この日、遺影と同じ、大好きな紫色の着物を着て旅立った。白と紫の花で彩られた祭壇にはニッコリほほ笑む遺影と愛用の白いマイクなどが置かれた。

 大勢の後輩歌手や芸能関係者1000人に加え、長年支えてきたファン2000人が参列。最後は自分の山あり谷ありの人生を歌った「人生いろいろ」が流れる中、コロムビアの後輩歌手に担がれた島倉さんのひつぎは、最後の“花道”へ、そして天国へと旅立っていった。 』
 
 
島倉千代子さんは8年前に、「島倉家ーこれが私の遺言」(文芸社)という本を書いています。島倉さんの人生はいろいろあったけれど、愛情にあふれ、誠意にみちた人生でした。誰にも迷惑をかけず生き、この本はエンディングノートでもあるし、お墓もご準備され、ピアノの形に「こころ」と銘され、お別れのメッセージと「からたちの小路」という歌で終活を終えられたように思いました。
 
ありがとうございました。ごゆっくりお休みください。ご冥福を心よりお祈りします。合掌 徳温禅月
 
 
 
 

2013年11月14日木曜日

終活~お母さん、お葬儀はどうするの?~

 おはようございます。
終活カウンセラーの立場から、昨日中堅の葬儀社のお葬儀フェアに行って来ました。たぶん、ほとんどの方が、ご主人が先に逝かれるわけですから、お父さんが亡くなって、いくら核家族とは言え、子供たちが二人ほどと一緒にご臨終に立ち会い、しばらくして「お母さん、お葬儀はどうするの?」って聞くと思うのです。

東京・首都圏では約30%以上が直葬と言って、ご供養をせずに(僧侶が来てお経をあげず、葬儀をしない)火葬する方が増えています。おひとり様と言って、身寄りもいないかたは仕方がないとしても、ご家族があっても、直葬を選ぶのには、大正大学の藤井正雄教授によると、戦後、核家族になり喪主が奥様がなるところにも問題があるとお話していました。

奥様はお金のかかる葬儀など主人のためにしなくてよい、あげくの果ては、納骨もせずに、火葬場で供養してくださいと言う方も多いとか、世の殿方は、ここまで憎まれたいたら、ご浄土するはずもないですよね。これは由々しき問題なのです。

私は一つには、葬儀費用の高額化にも原因があると思います。3年前の葬儀費用は全国平均で237万、現在約200万前後とのデータが出ています。今後の趨勢として、直葬や家族葬は増えてくることは確実なのです。

葬儀屋さんは危機感を持っているのですが、香典葬があるではないかと言う専門家もいます。つまり葬儀は、香典でまかなうという考えです。しかし、家族葬や密葬が増える背景には、日本人の宗教離れ、寺院離れも起因していることは事実なのです。

寺院の本来の役目である死者を供養することや地域のコミュニティや僧侶がカウンセラーの役目をはたしていた和尚さんとのよい関係がなくなり、遠く離れた関係になり、死んだときにだけ高額な戒名代を取られるという問題があるのです。今後、寺院が改善すべき課題でしょう。

私の提案は、それらの問題を改善するには、死んだらどうなるのか仏教学者の言いなりにならずに、霊魂があるから供養するのであり、そのような信仰心は必ず必要であることを一人一人が問いなのすことです。

二番目に、葬儀は出来るだけ、お寺でする、公民館でする、あるいは自宅でするという良き時代に戻るべきではないでしょうか。当然、駐車場などの問題もありますから葬祭場でしてもかまわないのですが、ただ時間に追われてするのではなく、お別れの時間を十分にもち、ご家族やご友人とお慰めをすることは、残された方にとっても大事なことなのです。

ぜひとも、自分の葬儀はこうして欲しいとエンディングノートに書き留めておいたり、ご家族にお話しておくと、逝く人も、送る人も安心できるのです。この機会に皆様も自らの宗教心、信仰心を考えていただいて、終活をしてはどうでしょうか。全国の一般社団法人終活カウンセラー協会の終活カウンセラーにご相談してみるのもよいともいます。

東日本大震災や台風30号などで犠牲になられた方々のご冥福を心よりお祈りします。
                                                合掌 徳温禅月



2013年11月13日水曜日

地球温暖化防止と脱原発のために私たちができること

 おはようございます。
地球温暖化防止のための温室効果ガスの削減を早急に行わなけばならないと同時に、世界は脱原発へと大きく舵をきらないと人類は生き残れないと思いますが、皆さんどう思います。異常気象を引き起こす地球温暖化そして廃棄物処理や事故終息できない原子力発電を止めなければならないという二つの課題を克服する義務と責任が日本人(人類)に課せられています。11日よりCOP19が開催されましたが、日本は大きく後退しているのが現実です。

昨日のニュースでフィリッピンの代表が涙ながらに訴えていました。

「COP19:フィリピン交渉官 涙ながらに大演説17分超

毎日新聞2013年11月11日(月)23:31

 【ワルシャワ阿部周一】「温暖化を疑う人は今起きている現実を見てほしい。狂った状況を止めよう」。ポーランドで開催中の国連気候変動枠組み条約第19回締約国会議(COP19)で11日、フィリピンなどに甚大な被害をもたらした台風30号について、フィリピン政府代表団の交渉官が、涙ながらに17分を超える大演説をした。交渉官は「兄はこの3日間、何十人もの遺体を埋めた」と現地の悲惨な状況を、時折ハンカチで目頭を押さえながら力説、会場からは1分近い拍手が続いた。
 一方、同国代表団の一人で、温暖化の被害軽減策の交渉を担当するアリス・イリガさんは毎日新聞の取材に、「自然災害に強靱(きょうじん)な社会を造るには、途上国の資金では足りない。(先進国は)交渉を終わらせ、すぐ行動を取るべきだ」と訴えた。COP19では、途上国が先進国に対策資金の拠出を求めており、今回の台風被害が今後の交渉にも影響を与える可能性がある。

温室効果ガス:日本の削減目標、EUが懸念

毎日新聞2013年11月12日(火)18:49

 【ワルシャワ阿部周一】2020年までに温室効果ガスを05年比3.8%削減する日本政府の新たな方針について、欧州連合(EU)が「従来よりレベルが下がれば、国際交渉全体に悪影響を与えかねない」と非公式に懸念を伝えていたことが12日、分かった。ポーランドで開催中の国連気候変動枠組み条約第19回締約国会議(COP19)で、政府交渉筋が明らかにした。

 日本は民主・鳩山政権が09年に国際公約として掲げた目標「1990年比25%減」を撤回し、COP19で新目標を表明する方針。ところが、90年比換算で約3%増となるため、環境NGOから「削減ではなく増加目標だ」と批判が出ている。
 COP19では、先進国にのみ温室効果ガス削減を義務付けた京都議定書に代わり、新興・途上国も含む全ての国が参加する新枠組みに15年末までに合意することを目指し議論が進んでいる。交渉筋によると、EUは「このタイミングで日本が新目標を出せば、交渉に悪影響を与える」と指摘。中国やインドなど排出増加が著しい新興国に、自国の目標設定を緩める口実を与えると懸念したとみられる。

 日本は、東京電力福島第1原発事故の影響で稼働原発が現在ゼロという事情に理解を求める一方、途上国の温暖化対策支援として15年までに総額160億ドル(約1兆6000億円)を拠出する方針を表明し、温暖化対策に消極的でないことを訴える考えだ。
 
脱原発を進めるためには、自宅の屋根に太陽光発電をつけ(補助金支給)、家庭の電力使用は自給自足すること、企業用は、ビル及び工場の屋根に太陽光をつけるなど義務付ける、自然再生エネルギーを活用し、技術革新による温室効果ガスを最小にする新火力発電に切り替えることです。
 
自然再生ネルギーの普及率(依存率)が最も高い県は大分県です。温泉だけでなないのです。東京に行く御用があって、屋根をみると、太陽光パネルをつけている家が少ないなと感じるのは私だけでしょうか。東京の人は電力が福島県などのおかげだと自覚してしるのでしょうか。そろそろ日本も地方分散を本気でやるべき時に来ているのではないですか。政治家の諸君!
 
「不都合な真実」からのゴア元副大統領の10の提案に、環境gooスタッフより11個目の提案がなされました。
 
「親から子へ 家具や洋服などの物を引き継ぐと同時に物の大切さを教えて行こう」
 
私にできる10の事
いますぐできることから始めよう!



 

2013年11月12日火曜日

巨大台風はなぜ起きる?

 おはようございます。
フィリピンを襲った台風30号は、レイテ島を中心に約1万人といわれる犠牲者と甚大な被害をもたらしました。今地球上で起きていることは、ローマクラブやゴア元副大統領などが「不都合な真実」などで訴えてきました。

産経新聞より
「壊滅の島「この世の終わり」 死者不明1万人超か
2013.11.11 08:04 (1/3ページ)天気・気象

台風30号の直撃を受け、沿岸部が壊滅状態となったフィリピン・レイテ島の中心都市タクロバン。命からがら助かった住民も、雨の中でただ呆然(ぼうぜん)と立ち尽くすばかりだ=10日(ロイター)
台風30号の直撃を受け、沿岸部が壊滅状態となったフィリピン・レイテ島の中心都市タクロバン。命からがら助かった住民も、雨の中でただ呆然(ぼうぜん)と立ち尽くすばかりだ=10日(ロイター)

 フィリピン中部を8日に襲った猛烈な台風30号による死者・不明者は、当初の推計を大幅に上回り、レイテ島だけで1万人を超す恐れがあることが明らかになった。現地の警察幹部がロイター通信などに語ったもので、レイテ島で台風が通過した地域の70~80%の建物が破壊されたという。島の中心都市タクロバンでは、沿岸部が台風によって発生した高潮に襲われ、がれきが散乱。建物は破壊され、車両が横転するなどし、衝撃のすさまじさを物語っている。」

台風30号のような巨大で強大な台風が今後、さらに発生する要素が地球上で起きているのです。台風30号は瞬間風速が90m、高潮による気象津波などが発生するのです。他岸の話ではなく、今後、このような巨大台風が日本にも上陸する可能性が大なのです。

以前沖永良部島に行ったとき、その日の風が強かったのですが、友人が経験した風速70mで、地面に這いつくばっていたそうです。立つことは当然、座ることすらできないのです。専門家の言っているように、このような台風が東京を襲うことが十分考えられるのです。

それは地球温暖化にあるのです。マスメディアにでて否定する学者やジャーナリストがいますが、かって、日本の原子力発電所は絶対安全だと豪語し、福島原発が起きると雲散霧消した輩と対して変わらないのです。

地球温暖化の警告は1980年代から行なわれたきたにもかかわらず、地球温暖化防止のCO2排出規制の京都議定書も守られることもなく今日が来ているのです。

ウキペディアが大変詳しく書いていますので、ぜひネットで読んで下さい。一部抜粋しますと、

「地球温暖化は、気温や水温を変化させ、海面上昇降水量(あるいは降雪量)の変化やそのパターン変化を引き起こすと考えられている[13]洪水旱魃酷暑ハリケーンなどの激しい異常気象を増加・増強させる可能性や、生物種の大規模な絶滅を引き起こす可能性も指摘されている[13]。大局的には地球温暖化は地球全体の気候生態系に大きく影響すると予測されている[13]。ただし、個々の特定の現象を温暖化と直接結びつけるのは現在のところ非常に難しい。 こうした自然環境の変化は人間の社会にも大きな影響を及ぼすと考えられている。真水資源の枯渇、農業漁業などへの影響、生物相の変化による影響などが懸念されている[13]。2–3°Cを超える平均気温の上昇が起きると、全ての地域で利益が減少またはコストが増大する可能性がかなり高いと予測されている[14]。温暖化を放置した場合、今世紀末に5–6°Cの温暖化が発生し、「世界がGDPの約20%に相当する損失を被るリスクがある」とされる(スターン報告)。既に温暖化の影響と見られる変化が、世界各地で観測され始めている[15]。」

ヨルゲン・ランダース教授のグループが「2052」で指摘し、提言していることを各国の指導者が勇気を持って実行していくことと、私たち人類の文明のありかたをひとりひとり考える時期に来ているのではないでしょうか。

経済的な豊かさ、富の集積そして生活の利便性をひたすらにもとめ、自然を犠牲にしている生きかたが本当に幸せなのか問われているし、都会への一極集中によってもたらされるデメリットも政治家や官僚も考えるべきではないでしょうか。

かって、30年前に中野孝次さんが「清貧の思想」を出版し、多くの共感を得ましたが、いつのまにか忘れ、またミニバブルを期待する国民とそれを利用する企業が多々あるのは事実です。ゆるやかな質的な成長を模索するべきだし、贅沢な生活は慎むべきではないでしょうか。

モルジブ諸島などでは、温暖化で海水面が上昇し、島が沈没し、島民が移住しなければならない状況になっているのです。アメリカや日本、中国の犠牲になっている事実を直視すべきではないでしょうか。

ひとりひとりができることは、電力や車を極力使わないこと、生活消費量を減らす努力をしましょう。そして世界の指導者たちは大変な責任があることを肝に銘じて、温暖化防止策を実行していただきたく思います。

台風30号で亡くなったフィリッピンやベトナムの皆様のご冥福をお祈りします。また被災された方々へお見舞い申し上げます。合掌 徳温禅月。



2013年11月11日月曜日

終活~島倉千代子さんを偲ぶ~

 おはようございます。
島倉千代子さんが逝ってしまいましたが、お墓もご準備され、きちんと終活をされていました。60周年記念の曲は「からたちの小径」で、南こうせつさんが作曲とのとのことで、楽しみにしていましたが、残念でしかたありません。

ウキペディアにより
「デビュー60周年を迎える予定だったことから、復帰への意欲は衰えずに持ち、同年10月中旬に一時退院した後、死去3日前の11月5日に自宅で記念曲「からたちの小径」を録音[17]。遺作となったが、「来年発売の記念CDボックスに入れたい」と関係者は語っている[18]。当初、レコーディングは後日の予定だったが、「その日まで待てない」と11月5日に急遽吹き込みが行われ、同曲の作曲を担当し立ち会った南こうせつは「1回位しか歌えないかと思ったが、3回歌った」「奇跡の歌声」と語っている。翌日6日には入院先の島倉本人から南へ電話がかかり、死期を悟るかのようなお礼の言葉を伝えた。「私の部屋の中にスタジオができて、そこで私はできる限りの声で歌いました。自分の人生の最後に、二度と見られない風景を見させていただきながら歌を入れられるって、こんな幸せはありませんでした。人生の最後に素晴らしい時間をありがとうございました」と涙声で南こうせつに感謝を述べた。」

スポニチより
「島倉さん お墓準備していた…ピアノかたどり、戒名も
生前に都内の墓地に建てていた島倉千代子さんの墓
生前に都内の墓地に建てていた島倉千代子さんの墓。正面には大きく「こころ」と刻まれている                            
Photo By スポニチ
 肝臓がんで8日に死去した歌手の島倉千代子さん(享年75)が生前、墓を用意していたことが9日、分かった。

 島倉さんは、相談相手だった住職がいる東京都内の寺院に墓を用意していた。

 関係者によると、完成したのは6月ごろ。3・8メートル四方の広さで、インドで採れた黒御影石を使った。彫刻家の流政之氏が手掛け、ピアノをかたどった流線形のデザインになっている。

 墓石の正面には大きく「こころ」と書かれ、その横に戒名が彫られた。戒名は「寳?院千代歌愛大姉(ほうしょういんせんだいかわいだいし)」。シングルだけでも300作、のべ1600曲以上を録音、愛唱した島倉さんらしい「歌」「愛」の文字が入った。

 背面には「島倉千代子」の俗名とともに、「島倉忍」の名が並ぶ。

 島倉さんは、プロ野球阪神の藤本勝巳との間に、1963年の結婚前に3人の子供を宿した。だが、悩み抜いた末に出産しなかった。その3人に共通して名付けたのが「しのぶ」。生前、「しのぶは心の支え」と語るなど、心の中にはいつも3人がいた。関係者は「島倉さんは産まなかったことを悔やんでいた。せめて墓の中で一緒に眠りたいという思いが強かったと思う」と話す。

 もともと、この墓は来年で歌手生活60周年を迎えるのを前に、ファンとの触れ合いの場として建設。6月には自身のブログで「モニュメント」として紹介。「ファンの皆さまを勇気づけられる何かを形にしたいと思ったんです。淋(さび)しい時、悲しい時、嬉(うれ)しい時も、モニュメントに会いに来て下さいネ!きっと元気になりますヨ!」とつづっていた。

 他人の借金を背負って苦労しただけに、生前から周囲には「香典は受け取らないで」と伝えていた。墓を建てておいたのも、「死後に誰にも迷惑を掛けたくない」という島倉さんらしい気配りからのようだ。




島倉さんの代表的な歌に「東京だよおっかさん」があります。今60歳以上の方なら皆さん知っている曲です。

「東京だよおっ母さん
(詩・野村俊夫/曲・船村徹)
 
 久しぶりに 手を引いて
 親子で歩ける うれしさに
 小さい頃が 浮かんできますよ
 おっ母さん
 ここが ここが二重橋
 記念の写真を撮りましょうね
 
 やさしかった兄さんが
 田舎の話を聞きたいと
 桜の下で さぞかし待つだろ
 おっ母さん
 あれが あれが九段坂
 逢ったら泣くでしょ 兄さんも
 
 さあさ着いた 着きました
 達者で永生き するように
 お参りしましょよ 観音様です
 おっ母さん
 ここが ここが浅草よ
 お祭りみたいに 賑やかね 

日本人のこころの歌ではないでしょうか。若い方も彼女の歌をひき継いで欲しいものです。島倉千代子さんを偲びつつ、ご冥福を心よりお祈りします。南~無、、、合掌 徳温禅月。