2014年8月29日金曜日

そして退院

 おはようございます。
27日に退院できました。がん友が娑婆に出られていいね~と言ってくれましたが、刑務所ではないんだから、表現がいまいち、だいいち、がん友?娑婆?素人さんが聞いたら、今回、15㎝ほどタテにまっすぐに開腹しましたので、大好きな露天風呂に行って、温泉友、おん友?から何を言われるやらと思いつつ、しかし無事退院はうれしいものです。

胆のうがんに伴う、リンパ節の切除手術は大成功で、今回は集中治療室でも快適でした。なぜかなと思ったら、窓側だったから、閉塞感がなかったかもしれませんね。緩和治療で、背中から痛み止めを打っていますので、まったく痛くありませんでした。3,4日は、これがきれると激痛でしたが、1週間後、背中からの痛み止めももとっても大丈夫でした。


来週の火曜日に、病理検査がでるということで、転移していないことを祈るばかりです。病室から見える龍体山を眺めていると、なぜか気持ちが落ち着くのです。ここは龍体山88ヶ所が祀られていて、平安時代からあったものと思われます。昭和初期まで参拝者でにぎわったとのことです。約15mの岩に大日如来の梵字が掘られています。これも見えるので、毎朝、合掌礼拝!


徒然なるままに考えるとやはり、団塊世代のがん患者率が高いのは、食生活にあったのではないでしょうか。タバコは吸い放題、高度成長の時代に少年時代を送り、食品添加物の入ったものを旺盛に食ってきた世代です。後悔先に立たず、がんになったものはしょうがない、まずは食事療法で治していこうと決意し、「がんを消す食事レシピ」などの本を注文しました。

これからがん情報も書きますので、皆様と共有してご一緒にがん撲滅運動をしましょう。これも終活の一環です。それでは皆様のご健康をお祈りしつつ。南~無 合掌礼拝 徳温禅月。







2014年8月16日土曜日

再入院

 おはようございます。
7月2日に胆嚢摘出を無事終えましたが、細胞病理検査の結果、ガンであることがわかり、明日より入院し、胆嚢の近くのリンパ節を切除する手術をします。担当の先生も、詳しく説明してくださり、またネットや本を読む限り、リンパ節への転移は、まだわかりませんが、最善の処置としてもっとも必要な施術だと思いました。

多くの方が、中高年になり、三大疾病病という病気を抱えます。いつの日か来ることと思っていても、実際そうなると、不安がよぎるのは、仕方がないことですが、医学の進歩していますので、最善の処置を受けることができます。

問題は、いのちに限りがあることを知り、病気と向き合わなければいけない、病気と付き合って、体をいたわりながら、人生の集大成をしなければなりません。それも「終活」です。わたしはたぶん大丈夫だろうと思っていますが、この闘い?は始まったばかりで、次は胃と大腸の内視鏡検査をする予定です。

先週、撮ってもらいました。元気でしょ。

友人に、医者に見せれば悪いところは必ず見つかるので、検査はしない。ガンになったらなった時のことという人が「います。僕は、早期発見、早期治療で、3年のいのちが7年になるなら、やはり、がん検査など受けるべきだと思っています。

まだまだ自分のためにも、世の中のためにも、すべきことがたくさんあり、特に、高齢者が安心して人生の集大成をして、あの世にいけるようにと、終活支援活動をしていくことが使命だと思っています。

「終活」のなかで、病気との闘い?治癒活動、そして介護を受けるときに、どのような介護を受けるのか、家族との関わりを含め、重要な項目だと思います。ほんとうに老老介護の時代、介護保険のことなど、真剣に考え、対処していないと大変な時代であります。

病気や介護は、意外とその時にならないと気がつかないのですが、情報に耳を傾けて準備しておかなければなりません。私も実体験を通して、皆さんにお役にたつ情報をお伝えして行きたいと思います。

それでは明日より、再入院しますので、ブログは10日間ほどお休みします。次回をお楽しみにしてください。皆様のご健康をお祈りします。南無 合掌礼拝 徳温禅月。











2014年8月11日月曜日

「がん」の原因

 おはようございます。
がんが生活習慣病と知って、因果応報、因果律からいえば、それは毎日食べる食べ物にあると思いつつ、本を読んで見ると、「がん」というのは、長い年月のなかで、発生し増殖するようなので、今から三十年前の生活を振りかえるとぞっとしますね。

30代前半、たばこは吸い放題、酒はあびるほど飲み、食事は満腹になるくらい食べる、特に油ものが多い、この時からがんの因子は発生し、育ってきたのでしょう。37歳のとき、父を喉頭がんで亡くしました。父は大変苦しんで亡くなったので、その姿を見て、たばこを吸うなと教えてくれたと思い、37歳の時にタバコを止めました。

そして、月日はすぎ、59歳の時、兄を腎臓がんで亡くしました。66歳でした。その年に、私は大腸ポリープが見つかり摘出、検査結果は初期のがんでした。うちはがんの家系で遺伝だと思っていました。しかしよく考えると、それそれ違う臓器にがんが発生しているわけですから、原因はやはり食生活にあったと思います。

父は、お酒好きで喫煙家、兄は甘いもの好きで40代で糖尿病でした。ふたりとも、原因は食生活にあると思います。「食事でがんは防げる」(渡辺昌著光文社)を読んでいたのですが、今度の胆のうがんと大腸がんの因果関係がわかりました。

「日本人の大腸がんが増え続けているのも、食生活の欧米化による悪影響といえます。肉類を食べ、動物性脂肪を大量にとると、それを分解するために胆嚢から胆汁がたくさん分泌されます。胆汁から含まれる胆汁酸が分解された物質には、発がん性が認めれているものがあります。しかも、食物繊維が不足すると便通が悪くなるので、胆汁酸の分解物質が大腸に長時間とどまり、大腸がんを起こしやすくするのです。」「食事でがんは防げる」(渡辺昌著光文社)

現代は、TVCMなどで食欲をたきつけられます。なにごとのほどほどにしなければ、後悔先にたたずです。人間やはり、いかに自制と節制ができるかどうかでしょう。昔の僧侶が長生きしたのは、精進料理しか食べなかったからです。つまり、温野菜料理ですね。

気がついた時が吉日と思って、実行すれば、永らえることができると思う次第です。若いときは、病気になるとは思わない、ました死などまったく意識しないものですが、じつは若い時からの生活、とくに喫煙や食生活(インスタントやスナック菓子)がその後の人生に大きく影響することを知って欲しいと思います。

その意味では、行政のがん予防の学習会をもっと頻繁にしてほしいものです。同時に他人に頼らず、予防医学の知識を高め、長期にわたる健康戦略を保持しないと大変なことになりますよ。それでは皆様のご健康をお祈りしつつ、南~無 合掌 徳温禅月。







2014年8月7日木曜日

引きつけの法則

 おはようございます。
人生で誰と会うか、誰と結婚するか、どんな仕事をするか、どんな本に出会うか、などすべてその人が求めているものと出会うのです。運命が幸とか不幸とか、偶然起こったかのように言うのは、森羅万象、自然界、人間界の原理をしらない人であります。

人は求めているものを引きつける力を持っています。あなたの奥さん、ご主人は、あなたが望んだから結婚したのです。継続できるかどうかはお互いに思いやりがあるかどうかではないでしょうか。

罪を犯すものは、悪をはらんで、罪を呼び寄せているのです。なぜ仏陀は、八正道を説いたのでしょうか。それは正しい思いを抱かなければ正しい行動はできないです。

あなたのころが正義感に満ち溢れ、前向きで積極的なら、積極的な方々との出会いがあり、積極的なものを引き寄せるのです。

もし消極的、否定的な思いがあるのなら、不幸をおびき寄せるのです。中村天風先生は、人間が「力の結晶」であると言いましたが、この真理に到達したとき、病に蝕まれても、何も恐れるものはないし、その病を取り去ることができるのです。

今、どんな人と付き合っていますか、どんな本を読んでいますか、そのようなものに影響されるのが人間です。中村天風先生は、観念更改法も説きました。もっとも実践している人をあげるとしたら、京セラ名誉会長の稲盛和夫氏でしょう。

今日は二冊の本を紹介しておきます。どうしても本は読みづらいと言う方は、「マンンガ中村天風全4巻」(講談社)を読んでください。飽き足らなくなったら、「幸福なる人生」ー中村天風「心身統一法」講演録ー(PHP研究所)を読んでください。書物に自己投資できない人は、夢を語る資格すらないのです。



皆様の人生が雄々しいものでありますようにお祈りします。南無 合掌礼拝 徳温禅月。








2014年8月6日水曜日

戦争を知らない大人たち

 おはようございます。
昨日から、パトリア日田にて、「平和のための戦争写真展OF沖縄」が開催されているので、行って来ました。沖縄は太平洋戦争の昭和20年に、本土防衛の最期の拠点としたが、約5ヶ月に渡る沖縄戦で、一般住民を含め20数万人の方々が犠牲になりました。

沖縄で息子さんを亡くしたご遺族の方々が集めた写真とご遺品を展示しています。私は写真を見ながら、「戦争を知らない子供たち」という歌を思い出しました。


戦争を知らない子供たち

作詞:北山修
作曲:杉田二郎

戦争が終わって 僕らは生まれた
戦争を知らずに 僕らは育った
おとなになって 歩きはじめる
平和の歌を くちずさみながら
僕らの名前を 覚えてほしい
戦争を知らない 子供たちさ

この歌を歌った僕らは還暦を過ぎ、太平洋戦争終結の昭和20年に生まれた人たちは、70歳の古希を迎えています。くしくも、今日8月6日は、広島に原爆を落とされた記念日です。戦争を体験した人たちは、あと約20年でほぼ居なくなります。


「戦争を知らない子供たち」ではなく、「戦争を知らない大人たち」が大半を占める時代です。だからこそこのような沖縄戦の写真を見て、戦争とは何か、平和とは何かを、それぞれ真剣に考えなければなりません。だからこそ、集団的自衛権を賛成する人も、反対する人も、国民の生命、財産を守るためにどうすればよいか、広範な議論をする場を設け、戦争を回避する道を模索しなければなりません。

日田市教育委員会が3枚の写真が残虐性があると理由で、後援を断ったとのことですが、戦争が残虐なものであることを伝えずして平和があるのでしょうか。平和教育を言いながら、生命を軽んずる犯罪が蔓延している今日、教育委員会などの行政職の感性の鈍さは、防げる犯罪も防げない。平和教育とは、戦争の悲惨さ、残虐性を明らかにすべきことではないでしょうか。

只今、サイレンが鳴りました。黙祷し、広島で亡くなった方々のご冥福をお祈りしました。私たち人類が戦争を起こさないように祈るばかりです。しかし、世界各地で戦争が起きています。どうぞ、世界が平和でありますようにとお祈りします。南無 合掌礼拝 徳温禅月。







2014年8月5日火曜日

病を治す

 おはようございます。
病気の名前も多種で、最近は何の病気かよくわからないものがありますが、いかなる病気も治癒するかどうかは、心の持ち方(活用の仕方)にあると言っても過言ではないでしょう。その心の問題と自らの病を克服し、多くの方々に、心身統一法を説いたのが、中村天風氏であります。

ウキペディアからご紹介すると
戦後は帝国陸軍で高等通訳官を務めていたが、1906年(明治39年)に奔馬性(結核の症例の中で、急速に症状が進むもの。現代では「急速進展例」と呼ばれる[7])の肺結核を発病。北里柴三郎の治療を受けたものの病状は思わしくなかった[6]。その後1909年(明治42年)に作家オリソン・スウェット・マーデン(en:Orison Swett Marden)の『如何にして希望を達し得るか』を読んで感銘を受け、病気のために弱くなった心を強くする方法を求めてアメリカへ渡る決意をする。しかし結核患者には渡航許可が下りなかったため、親交のあった孫文の親類に成りすまして密航する[8]
アメリカに渡った天風はマーデンを訪ねたがあまり相手にされず、願いは果たせなかった[8]。その後親戚筋にあたり、当時アメリカ公使館に勤めていた芳澤謙吉の勧めで哲学者のカーリントン博士に面会したのち、華僑の学生に代わって授業に出席したのをきっかけにコロンビア大学に入学し[9]、自らの病の原因を尋ねて自律神経系の研究を行ったとされる。ヨーロッパではイギリスでH・アデントン・ブリュース博士(en:Addington Bruce)に面会したのち[9]フランスでは大女優サラ・ベルナールの家に居候したり、ドイツハンス・ドリーシュと面会するなど数々の著名人を訪ねるが、いずれも納得の行く答えを得ることができなかった[10]
こうして天風は1911年5月25日に日本への帰路に就く[11]が、その途中経由地であったアレキサンドリアにてインドヨーガ聖人であるカリアッパ師と邂逅[12]。そのまま弟子入りしヒマラヤ第3の高峰カンチェンジュンガ山麓にあるゴーク村で2年半修行を行う[11]。この修行を通じて結核はすっかり治癒し、さらに悟りを得るに至った[13] 
ガン告知を受けると途端に、気が弱くなるのが普通の人です。そして心が弱音を吐いてくる、そうなるとますます事態は悪化するのです。天風氏は、当時、結核と言う不治の病に侵されたが、ヒマラヤでの修行で完全治癒したのです。
その方法とは、ひとつに、肉体も心も道具であり、いのちの源は霊=気であるという哲学を理解すること、二つ目に心の中から消極的な思いを完全に消し去ること、こころを純粋無垢なものにし、宇宙の源とつながるために安定打座という座禅をすること、三つ目に、心身を統一するためにクンバハカという密法を身につけることです。
一度、全国各地の天風会に通って、中村天風という偉大なる人が開発した心身統一法を会得しませんか。私は、いまこそ天風先生から教えてもらった哲学と健康法を実践するときが来たと思っています。当然、医学の進歩を享受しながら、天風哲学が一体とならなければなりますせん。
結核を治した92歳の天寿をまっとうした天風先生と同じように、ガンを克服し92歳まで、溌剌と生きたいと思います。先生の書籍及び天風会についてはネットですぐに検索できます。門をたたいてみてください。いのちの門は開かれます。それでは皆様の健康をお祈りしつつ。南~無 合掌 徳温禅月。




2014年8月4日月曜日

「ガン告知」を受けて

 おはようございます。
胆嚢摘出手術から約1ヶ月経過しますが、1週間前に医大からの細胞病理検査の結果が届いたということで、病院で説明がありました。大丈夫だろうということでしたが、リンパ節にガンが発症し、ステージ3とのことでした。先生がわかりやく説明してくれましたが、「胆のうがん」と言われたときはがっかりしました。

私を含めて、一般の方はガンと言われると死を意識してしまいます。今回、再手術してまわりのリンパ節を摘出するのが最善の処置のようです。日本人の半分はガンにかかると言われています。当然治癒した方もおられるわけですから、ガン=死というのは、いつのまにか、刷り込まれているわけです。

さて、どうしよう。4年前に大腸ポリープを摘出し、それも初期ガンだとわかりましたので、ガンになりやすい体質かなと思っていましたが、今回は思った以上にショックでした。ネットで調べたり、本を読んでみると、「運」がいいことがわかりました。

なぜなら、「胆のうや膵臓がんは、早期発見が難しく、ある程度進行すると手術のできなくなる「難治性がん」の代表」(「がんで死なない生き方」-中川恵一著光文社新書)だということで早期に発見摘出できて「運」がいいと思いました。

この本によると、日本人の三大習生活習慣病は、「がん、心疾患、脳血管疾患」と書いていましたが、てっきり三大生活習慣病は、高血圧、高脂血症、糖尿病だと思っていましたので、「ガン」が生活習慣病だとは思ってもいませんでした。

親父も兄もガンで亡くしたので、遺伝だと思っていましたが、ガンは遺伝ではなく、生活習慣に起因するそうです。因果応報ですから、ガンになる要因は、食生活にあるかもしれないなと思いました。つまり、電子レンジを使ったものや、お惣菜などを買ってきていることも多いかもしれませんね。

このガンの告知をブログに書くことをためらったのですが、日本人の半分がガンにかかるわけですから、共有して、ガン=死ではなく、ガンを治す、ガンという病気を克服する努力をしたいなとおもったのです。ガンと闘うとか闘病生活とか表現するのを躊躇するのは、闘争とか闘うという言葉はもういらないとおもっているからです。

学生時代は学生運動と言う闘争に明け暮れ、挫折し、ビジネス社会で企業戦士として闘った来た団塊世代にとっては、闘うということにへきへきしている、嫌悪しているかもしれませんね。だからガンと闘うのではなく、ガンを克服する、ガンを治すことが努力しながら、やがてくる人生の終焉を考えて、最期の集大成へと終活活動をしなければと思う次第です。

ガンは、医学が発展していますから治癒する方法が確立されると思いますが、ひとりひとりの心の持ち方が、たいせつだと思うのです。心の持ち方とはなにかを偉人は教えてくださっているので、次回書きましょう。

それではガンを抱えている全国の皆さんがガンを克服するようにお祈りします。南無 合掌 徳温禅月。