2014年1月31日金曜日

「街道をゆく」8巻~豊後・日田街道~まとめ

 おはようございます。
司馬遼太郎さんの本は、面白いですね。「竜馬がゆく」から「空海の風景」に至るまで、まあよく勉強していますよね。(失礼なことを言いました。)片岡鶴太郎さんは、「甦れ!豊の軌道ー時空の旅」を終えて大分へ戻り、大分空港から帰京したのでしょう。

司馬さんは、『「とよ(豊)」とくちずさむだけでも、野山が華やぎそうである。』と書いていますが、大分県はまさに豊の国です。天領日田から小石原に足を運びのですが、「朝鮮陶工の塚」の章には、高取焼の高取静山さんにお会いしたことをうれしく書いています。

高取焼宗家


小石原焼も小鹿田焼も、高取焼からでたもので、高取焼が本家本元なのです。豊臣秀吉の時代に、黒田長政が朝鮮半島から陶工を連れてきてここに小石原や飯塚に窯を開かせたのです。ところで、NHKが大河ドラマ「軍師官兵衛」があっていますが、黒田如水を美化するのではなく史実に忠実に描いて欲しいと思っています。



『「街道をゆく」8巻~豊後・日田街道~と34巻~中津・宇佐のみち~』を読んで欲しいですね。ところで、黒田如水がキリシタンであったことは事実ですが、そのころのキリシタン大名は、キリスト教を理解して信仰していたのでなく、国撮りに利用しただけか利用されただけだと思うのですがいいすぎでしょうか。



近いうちに「中津・宇佐のみち」をご紹介したいと思います。終末は、温泉でも行ってゆっくり骨休めしてください。皆様のご健康を祈りつつ・・・南無 合掌 徳温禅月。





2014年1月30日木曜日

「街道をゆく」8巻~豊後・日田~天ヶ瀬・日田を行く

 おはようございます。
「甦れ!豊の軌道~時空の旅」の片岡鶴太郎さんは、久大線の車中から天ヶ瀬温泉の風景を見て、突如、途中下車し、山荘天水という旅館の露天風呂にはいるのですが、別府・湯布院・天瀬は豊後三大温泉なのです。

日田観光協会より天ケ瀬町山荘天水

鶴太郎さんは、ここで温泉を楽しむわけですが、この旅館の川下に「桜滝」言うパワースポットの勇壮な滝があります。一月の滝は、寒がしまっていますね。

残念ながら、司馬さんたち一行は、天ケ瀬は停車せずに日田に直行です。やはり咸宜園を取り上げていただいているのがうれしい限りです。

「豊後日田は、江戸期では三万二千石、堂々たる天領の地であった。土地ではヒダといわず、ヒタと澄む。・・・・
 日田は高原をなして、いわば僻地というにちかいが、江戸時代は漢学がさかんで、広瀬淡窓の咸宜園などは全国からこの遠国のそのまた不便な高原の町に子弟があつまり、門人三千余人といわれた。江戸期における慶応、早稲田といった私学の雄は江戸よりもむしろこういう土地にあったということが、江戸体制を考える上で興味がある。」ー「街道をゆく」8巻ー

咸宜園の魅力については、友人の深町浩一郎氏が西日本新聞社より「広瀬淡窓」を出版しているので一読していただきたいと思います。
咸宜園ー秋風庵

咸宜園ー桂林荘跡地

司馬さんたちは三隈川で遊船を楽しんだようで、鵜飼の話を面白く書いています。

鶴太郎さんは、豆田町の「伯亭若の屋」という旅館で、郷土料理をいただいていましたが、ここも同級生の西下寛蔵氏が主ですが、息子さんがおもてなしをしていました。まったく顔が似ていず、イケメンなので遺伝は奥さんの方かもしれませんね。

天領ひた~豆田町界隈

鶴太郎さんは、拍亭の近くの民芸品の車屋さんとか旭饅頭さんで、人情味ある出会いを楽しんでいました。天領日田も2月15日から「お雛祭り」が始まります。春のそぞろ歩きには最適です。OAB放送の番組も面白かったし、司馬さんの「街道をゆく」8巻~豊後日田街道~を読むと意外な一面が見えてくるものです。できれば柳宗悦さんのお名前があがっているので「小鹿田焼の里」に行って欲しかった。司馬さんはなぜか小石原から北九州へと帰ったようです。

小石原のことも書いているので、小鹿田の里も、あすご紹介し、書いてみましょう。それでは読者の皆様が、今日も充実した一日でありますようにお祈りしつつ・・・南~無 合掌 徳温禅月。






2014年1月29日水曜日

「街道をゆく」8巻~豊後・日田街道~玖珠

 おはようございます。
片岡鶴太郎さんの旅は、由布院から玖珠にはいります。司馬さんは、豊後のツノムレ城について考察されていますが、久留島氏の築城で、現在の三島公園ですね。こには童話の里として、5月5日の子どもの日にはたくさんの子どもたちとのイベントがあります。

鶴太郎さんは、童話の里ー久留島記念館で、館長のキムさんとの対談するのですが、その会話がホットでよかったですね。「日本のアンデルセン」とたたえられ、生涯を「子どもに夢を」と、童話を語り続けた久留島武彦翁、ならびに森藩の関係資料を展示しています。

久留島記念館ー写真は玖珠町より

お話は前後するのですが、玖珠町では、玖珠町と商工会の皆さんが中心になり、玖珠町の活性化のために、JR玖珠機関庫の保存と活用を検討し、由布院~日田間にSL蒸気機関車を走らせる構想が浮上しています。



「甦れ!豊の軌道」で小型の蒸気機関車に乗った方々です。鶴太郎さんも楽しく乗っていました。











今、話題のJR九州「ななつ星」の停車駅になっている、玖珠町の豊後森駅は、昨年9月に水戸岡鋭治先生のデザインでリニュアルされています。また今後の玖珠町のデザインも委託したそうです。これから大分県でもっとも注目されるのは玖珠町かも知れませんね。自然の宝庫である九重長者原に通じていますし、安心院へ抜けて、宇佐神宮にも近いからです。自然豊かで、歴史のある大分の中心になるかもしれませんね。

大分合同新聞の記事を読んで頂くと今後の構想が見えてきますよ。

「将来構想をデザイナーに委託 玖珠町

[2013年12月19日 09:43]
玖珠町のグランドデザインを手掛ける水戸岡鋭治さん。自治体の将来構想を練るのは初めて=18日、JR豊後森駅
玖珠町は18日、JR九州の車両や駅舎のデザイナーとして知られる水戸岡鋭治さん(66)=東京・ドーンデザイン研究所=に町づくりのグランドデザイン(将来構想)を委託する契約を結んだ。2年間にわたってアイデア、アドバイスをもらい、統一性を持った町づくりを進める。町内の観光や、JR豊後森駅周辺の商店街などを活性化する狙いがある。

 水戸岡さんが自治体の将来構想を練るのは初めて。町内であった委託調印式で「新たなチャレンジだが、これまでの経験をこの事業に注ぎ込む。町民と本気で語り合いながら、全国に誇れる町をつくる」と抱負を語った。
 水戸岡さんはことし、自身が車両デザインを担当した豪華寝台列車「ななつ星in九州」の運行開始に合わせた豊後森駅舎の改修デザインに携わった。
 町と町議会は5月、駅周辺の活性化策を探ろうと水戸岡さんの講演会を開催。「町の文化を掘り下げれば“オンリーワン”の観光地になれる」と提言し、共感を呼んだ。町はJR博多駅(福岡市)の総合デザインなどの実績があることも踏まえて委託を決めた。契約は2015年11月までで、委託金は1千万円。
 豊後森駅近くには鉄道遺産「豊後森機関庫」がある。保存を求める地元の声を受け、町は06年に機関庫跡地を購入。12年8月に国の登録有形文化財となり、機関庫を中心とした町づくりの機運が高まっている。
 一方、町内では05年に角牟礼(つのむれ)城跡が国史跡、12年に旧久留島氏庭園が国名勝に指定されたが、集客力のある観光地に育っていない。
 水戸岡さんは調印式で、機関庫跡地に鉄道をテーマにした公園を造る構想を披露。「まずは機関庫や駅周辺商店街に人を集め、そこから町内各地へと人の流れをつくっていきたい」と計画の方向性を示した。

楽しみですね。明日は、天瀬・日田について書きます。それでは読者の皆さんのご活躍を祈りつつ 南~無 合掌 徳温禅月。

2014年1月28日火曜日

司馬遼太郎さんの「街道をゆく」8巻~豊後・日田街道~由布院

 おはようございます。
OAB放送の「甦れ!豊の軌道ー時空の旅」の片岡鶴太郎さんは、JR九州久大線の旅で、これは情緒があるのですが、なぜか司馬遼太郎さんはタクシーでの移動のようですね。タクシー運転手のお話も面白いのですが・・・。

さて、司馬さんの「街道をゆく」をガイドブックにしているので、鶴太郎さんも由布院亀の井別荘で、中谷健太郎さんが須田画伯のことも絵を紹介しながらお話していました。ここではでてきませんが由布院のまちづくりの示唆したひとが、日本で初めて林業学をなした東大の本多静六先生です。

冬の由布院(観光協会HPより)

金鱗湖のそばにふしぎな宿(司馬さんの表現)「亀の井別荘」があるのですが、司馬さんの中谷健太郎さんへの初対面の印象が面白い、どう見ても中谷さんは普通のおじさんに見えるのですが、頭のなかはどうも違うらしい。「玉の湯」の溝口薫平さんたちと、今日の由布院を作りあげた人ですからね。山荘無量塔の藤林晃司さんが生きていたら、司馬さんの話もしたかったのに・・・。

金鱗湖ですが、亀の井別荘が隣接しています。天井桟敷でコーヒーを頂くのもいいですよ。

司馬さんたちは、九重の長者原まで足をのばして散策しています。戻って由布院を散歩するのですが、この本に出てきた「梵音響流」という言葉にこころが魅かれました。

「梵音響流というが、音の輪がこの丘からころげおりて盆地の里さとをゆるゆるとまわるという音の景色が、中谷氏の由布院によくあっているように思える。」(「街道をゆく」より)という表現がいいですね。

鶴太郎さんも中谷さんと楽しそうにお話していたのが印象的な番組でした。さて次は玖珠に向かいます。ぜひ皆さんも「街道をゆく」8巻と「甦れ!豊の軌道ー時空の旅」のHPをご覧になってください。もう一冊お薦めする本は「由布院の小さな奇跡」(木谷文弘著 新潮新書)、由布院のことがよくわかりますよ。明日をお楽しみに!皆様の今日のご無事を祈りつつ 合掌 徳温禅月。





2014年1月27日月曜日

司馬遼太郎さんの「街道を行く」8巻~豊後・日田街道~Ⅰ

 おはようございます。
25日日にOAB大分朝日放送開局20周年特別番組で、「甦れ!豊の軌道~時空の旅」というタイトルで、片岡鶴太郎さんの旅が放映されました。OABのご紹介には、

列車で旅をしながら故郷おおいたの現在・過去・未来を再発見する「時空の旅」へ出発です。

全国でも人気の高い観光スポット、大分県の「温泉」。
なかでもJR久大本線の沿線には、大分の有名温泉のほぼ9割が存在し、「SPA LINE」と名付けられています。
実はこのSPA LINEには、温泉だけではない、様々な大分の魅力が時空を超えて秘められています。

過去には、38年前、国民的作家・司馬遼太郎さんがエッセイ「街道をゆく」に記した、由布院の自然との共存がありました。
"旅のガイドブック"「街道をゆく」を片手に地元の人々とふれあいながら、未来へのヒントとなる豊かな知恵を育んだ、大分の知られざるエピソードに迫ります。

旅人:片岡鶴太郎  と書いていました。

司馬遼太郎さんが、「街道をゆく」に、大分県、特に湯布院・玖珠・日田という久大線沿線の街を旅し、書いていたとは知らず、番組を見て、早速、「街道をゆく」8巻を読み、鶴太郎さんの旅と共に、ご紹介しておこうと思ったわけです。

司馬さんの旅の同行者は、須田画伯ですが、ウィペディアによりますと、
「須田 剋太(すだ こくた、1906年5月1日 - 1990年7月14日 )は洋画家埼玉県生。当初具象画の世界で官展の特選を重ねたが、1949年以降抽象画へと進む。力強い奔放なタッチが特徴。司馬遼太郎の紀行文集『街道をゆく』の挿絵を担当、また取材旅行にも同行した。道元の世界を愛した。ですが、曹洞宗で得度した私としては、「道元禅の世界を愛した」というところが気になりますね~。

「街道をゆく」8巻豊後・日田街道の須田画伯の挿絵ー咸宜園ー

さて、司馬さんたちは、大分空港へ降り立ち、国東半島から杵築、日出を通って、別府に通るのですが、このあたりの風景描写も軽妙で心地よいですね。

別府観光を築いた「油屋ノ熊八」と書いているのですが、司馬さんは、ほとんど、どのよう人物かは、わからなかったようです。鶴太郎さんの番組では、わかりやすくご紹介していました。

得意のウィペデイアを見てみると、
「油屋 熊八(あぶらや くまはち、1863年8月29日文久3年7月16日) - 1935年昭和10年)3月24日)は、歓楽的な温泉都市大分県別府市の観光開発に尽力し、田園的な温泉保養地由布院の礎を築いた実業家

この旅に、片岡鶴太郎さんが選ばれているのは、彼が絵心があり、人情味があるからではないだろうかと思いました。次回は由布院へと旅は行きます。この番組、再放送かDVDがあれば観て欲しいですね~。それは今日一日、無事でありますようにお祈りしつつ、明日乞うご期待。合掌 徳温禅月。






2014年1月24日金曜日

四国巡礼と十三仏御本尊~不動明王~

 おはようございます。
四国八十八ヶ所を巡礼するとき勤行集を持って、必ず、本堂、大師堂で、十三仏御本尊真言と般若心経を唱えるのですが、意外に十三仏御本尊とその真言の意味について一般の人は知らないのではないかと思いつつ、ちょっと書いてみました。


十三仏とは、「十方三世」の仏様を代表する十三人の仏様方で、十方は、北、北東、東、東南、南、南西、西、西北と上下です。三世は、過去、現在、未来です。曼荼羅にはそのように配置していますね。


最初にでてくる方が不動明王(お不動様)です。2、3年前心身のバランスを崩した時期があって、室内で片目(半眼)の仏像のまさに像を見たのです。オカルトっぽいので書くのはためらっていましたが、時間が経過したから書きますが、その像は片目(半眼)でしたので、よくない幻想かと思い、危惧していましたが、あるとき本に不動明王の絵が載ってあり、この方だと思いました。守ってくれていたのですね。

中野東禅先生の「仏さま白書」(四季社)によりますと、「原名は『アチャラナータ』といいます。意味は心底清らかな悟りは不動で、力強く煩悩を打ち砕くという意味です。大日如来の化身です。」

ご真言は「のうまく さんまんだぁ ばあさらだぁ せんだん まぁかろしゃぁだあ そわたや うんたらたぁ かんまん」(サンスクリット語)です。


私たちが愚かな欲望を抱いたり、敵愾心をもたれたり、心身が不調のとき、家族が仕事などで悩みを抱えていたりしたときに、この真言を唱え祈りますと、たちまち煩悩や悪霊は消えます。山々を歩くことが多いのですが、よからぬケハイを感じた時、唱えながら行くと、守られたことが何度もあります。

「エクソシスト」という映画がありましたが、現実にある話でキリスト教でもあのような祈祷と悪魔・悪霊との闘いをするのです。信仰心のない人たちがよからぬことをしたり、殺傷事件を起こすのは、悪霊の働きもあるのです。

オーム真理教などは、その最たるものだと思っています。邪教も打ち砕いてくださるのが不動明王お不動様)なのです。もし何か不吉なものを感じていたら、お近くのお寺さん(真言宗系、天台宗系、曹洞宗系)にご相談してください。

お不動様に毎日、この真言を唱え、お祈りすれば必ず解決します。それでは皆様が健康でありますようにお祈りします。南~無 合掌 徳温禅月。

参考図書 「仏さま白書」(ほとけ百科)  中野東禅著 四季社
       「あなたを守る開運十三仏」 大栗道栄著 日本文芸社



2014年1月22日水曜日

小野田寛郎さんから人間の使命を考える

 おはようございます。
小野田寛郎さんのご冥福を心よりお祈りし、追悼の意を表します。1月17日のニュースを聞いて、しばらく、小野田さんの人生を省み、ひとりひとりの人間の使命とは何かを考えていました。下記はスポニチの記事ですが、


『小野田寛郎さん死去…終戦知らず比ルバング島で30年過ごす   

74年フィリピン・ルバング島で発見され、敬礼する元日本兵の小野田寛郎さん(共同)
74年フィリピン・ルバング島で発見され、敬礼する元日本兵の小野田寛郎さん(共同)
Photo By スポニチ

 太平洋戦争の終戦を知らずにフィリピン・ルバング島で30年間過ごした元陸軍少尉の小野田寛郎(おのだ・ひろお)さんが死去したことが16日、分かった。91歳。和歌山県出身。

 死因などは不明だが、小野田さんが設立した「小野田自然塾」(東京都中央区)関係者はスポニチ本紙の取材に「亡くなったという連絡を受けている」と明かした。近く、近親者のみで密葬を営むとみられる。

 小野田さんは1942年に和歌山歩兵第61連隊に入隊。44年にルバング島に派遣され、情報員の任務を与えられた。

 しかし、終戦を知らずジャングルに潜伏。51年に帰国した元日本兵の証言からその存在が判明したが、作戦解除命令がないことを理由に部下とともに山中にとどまっていた。74年3月、捜しにきた元上官らの任務解除命令を受け、山を下りて救出され帰国した。

 帰国後の翌75年、ブラジルに移住。原野を開拓して牧場をつくった。

 84年、ルバング島での経験を生かし、たくましい青少年育成のために「小野田自然塾」を開設。キャンプ生活を通して自然の大切さや、目的を持ってたくましく生きることなど人間の本質を教えていた。

 近年は都内で暮らし、国内各地で精力的に講演を実施。ルバング島での体験を振り返り、「生き続けようという目標を持っていたことで、日本に帰ることができた」などと話していた。

 ◆小野田 寛郎(おのだ・ひろお)1922年(大11)3月19日、男5人、女2人の7人きょうだいの四男として和歌山県亀川村(現海南市)で生まれる。日本帰還後に移住したブラジルでは牧場で1800頭の肉牛を飼育していた。著書に「戦った 生きた ルバン島30年」(74年)。05年、藍綬褒章を受章。


小野田さんは、どのような命令を受けていたのでしょうか。ウィペデイアによりますと、
「1994年12月、フィリピン防衛戦を担当する第14方面軍情報部付となり、残置諜者および遊撃指揮の任務を与えられフィリピンに派遣。当地では14HA隷下の第8師団参謀部付(配属)となっており、その8D長横山静雄陸軍中将から「玉砕は一切まかりならぬ。3年でも、5年でも頑張れ。必ず迎えに行く。それまで兵隊が1人でも残っている間は、ヤシの実を齧ってでもその兵隊を使って頑張ってくれ。いいか、重ねて言うが、玉砕は絶対に許さん。わかったな」の訓示を受けている[1]。派遣にあたり、高級司令部が持っている情報は全て教えられ、日本が占領された後も連合国軍と戦い続けるとの計画であった。なお派遣前、母親からは「敵の捕虜となる恐れがあるときには、この短刀で立派な最後を遂げてください」と言われ短刀を渡された(この短刀は帰国後に実家に帰った際に母親に返している。)[2]。」


軍の命令を遂行したことに、その当時ほとんどの日本人が小野田さんの強靭な意志にびっくりしたのです。小野田さんが人間としての使命感をお持ちなったのは、金属バット事件があり、日本の子供たちの将来を憂い、小野田自然塾を創設したことではないでしょうか。

小野田自然塾

都会育ちの子供達にとって、自然の中には『不思議』や『発見』がたくさんあります。思いっきり身体を使い、いい汗を流し、知らなかった世界をのぞいてみませんか?
小野田自然塾の周辺には、子供達の遊び心を十分に満足させる環境が存分にあります。


経緯


小野田自然塾のドーム
財団初代理事長小野田寛郎は、健全なる人間形成と、文化社会と自然との共存のためにも、未来をになう子供達のための自然教育の必然性を痛感し、昭和59年7月より野外教育活動『自然塾』を開始。全国各地においてキャンプを開催。以来、毎年約1000名の子供達の指導にあたる。
この体験を通して、専用設備を備えた本拠地の設置と組織化が急務であると感じ、平成元年6月、財団法人設立に至る。(小野田自然塾のHPより)

ニュースで、ソチオリンピックを真近にして、自爆テロの画像が流れていましたが、残念でなりません。日本軍の命令はどうだったのでしょうか。国家による命令は私の言う使命感ではないのです。使命感とは、ひとりひとりの心の奥底から湧き出てくるものではないでしょうか。

人間として、正義感を持って、立派に生きて行ける力を身に着け、自然を大切にし、他人に優しく接し、他人のためにできることをしていく人生こそ素晴らしいと思うのです。いわゆる自利利他の精神ですね。自利とは自分を磨くこと、利他とは人のため、社会のために尽くすことです。

人間に託された使命は、この地球を守ること、つまりこの地球上の自然環境を守ることです。そしてこの自然環境のなかで、いのちを育んでいる生物たちを守ることでしょう。世界を平和にすることです。小野田さんが到達した使命感を大切にし、私達ひとりひとりが今できることは果たしていかなくてはなりません。


読者の皆さん、あなたが使命を見出し、その使命が達成されますように心よりお祈りします。南~無 合掌 徳温禅月



2014年1月20日月曜日

映画「じんじん」を観て

 おはようごさいます。
全国各地で、映画「じんじん」の上映会が開催されていますが、ぜひ足を運んで欲しい作品です。大分県日田市でも実行委員会の皆様がご尽力くださり、18日に3回に渡り、開演されましたが、ほぼ満席でした。私も楽しみにしていましたので、あさ一番に観に行きました。



じんじんの画像1
企画・主演の大地康雄さんのメッセージをこのブログに記念に残しておきたいと思います。

前略
日田市の皆様、初めまして。大地康雄です。
仕事に追われ、返事が遅れて申し訳ありません。
この度は「じんじん」の上映会を立ち上げていただきありがとうございます。
ご存知の通り、この国は経済優先でずっとやってきた結果、
心の荒廃が広がり、挙句の果てに親が大切なわが子を殺す時代です。
悲惨なニュースを知るたびに、自分なりに何かお役に立てることなないかと
悩んでいました時に、運よく、5年程前に、北海道の剣淵との出会いを頂きました。
それまでは、絵本には全く興味がなかった私ですが、絵本を通して、大人も、子どもも生き生きと
暮らしている姿に驚き、その結果、やさしい町づくりに成功している事に、感動しました。
「読み聞かせ」を体験している剣淵町の子どもたちの純粋で、豊かな表情。相手をのことを
思いやる、日常の優しい行動に、この国の明るい未来を感じました。
この映画は、そんな子どもたちの輝く瞳に導かれてできた映画です。
送っていただいた資料を拝見しましたら、絵本を活用した町づくりは日田市も、剣淵町に劣らぬ
活動をなさっている事がわかり、大変嬉しくなりました。
今回の「じんじん」が今後皆様の日々の暮らし、そして元気な町づくりへの追い風となり、
少しでもお役に立てれば幸せです。
上映会の成功、心よりお祈り致しております。
2013年12月18日
大地康雄

ストリーは書くより、一文は一見にしかずですね。映画を観てください。泣けてきますよ。ところで北海道の剣淵町ってどんな町って思うと思いますので、HPより早坂 純夫町長のご挨拶を引用しますと、

絵本の館

 「 北海道中央部の都市「旭川市」から、国道40号線を北に向かって50㎞程のところに、道の駅「絵本の里けんぶち」があります。ここが剣淵町の玄関口です。
 剣淵町は、明治32年に屯田兵によって拓かれた、豊かな自然と素晴らしい沃野が広がる純農村の町です。
 昭和63年、まちの若者たちが「けんぶち絵本の里を創ろう会」を結成、絵本を題材にまちづくりを始めました。その取り組みのユニークさが、マスコミで取り上げられ、「絵本の里けんぶち」としてその名が全国に広がっていきました。
 平成16年に、新しくオープンした「絵本の館」が、絵本の里づくり活動の拠点施設です。ここには、世界中の絵本、約45,000冊を収蔵し、全国への貸し出しも行っています。また「絵本の館」では、絵本原画展、読み聞かせ、絵本づくり、親子教室など様々な活動のほか、メインイベントとして「絵本の里大賞」を行っています。これは、前年度に全国で出版された絵本を対象にして、絵本作家や出版社から応募のあった絵本を「絵本の館」に展示し、来館した人たちの投票により大賞候補の絵本を選びます。大賞に選ばれた作家には、副賞として剣淵町産の安心安全な農産物を3年間にわたりお贈りします。
 絵本の里づくりは、このような活動を通して、町にある知的障がい者施設との関わりや、安心安全な農産物を生産する農家との結びつきを大切にしています。
 絵本と福祉と農業が一体となった文化を創造し、町では住民の皆さんが、絵本の持つ「温もりと優しさ」に触れ、「思いやりのある豊かな心」を育んでいます。
 その他、剣淵町には、温泉ホテル「レークサイド桜岡」や道北一の素晴らしいパークゴルフ場があります。ぜひ、皆様のお越しをお待ちしています。」


映画を観ていたら、泣けてきて、ハンカチがぐっしょり、コミカルな場面があるのがいいですよね。でも伝えているのは、親子の絆ってなあ~に、町づくりってどうあるべき、男はどう生きるべき~、本当の愛は・・・とか、自分自身に問いかけて答えを出さないといけないと思いました。

このような映画を作ってくれた大地康雄さん、絵本で町づくりをしている剣淵町の皆さん、そして全国各地で上映会を企画して頑張ってくれている方々に感謝を申し上げ、皆様のご活躍を心よりお祈りします。 合掌 徳温禅月。



2014年1月17日金曜日

五木寛之さんの「新老人の思想」とご隠居のススメⅢ

 おはようございます。
毎日放送の方から、エンディングノートを書いて亡くなった方をご存じありませんかとお電話ありました。一緒に終活支援活動をしている終活カウンセラーにお聞きしたら、その方のお父様が2年前に亡くなられ、大学ノートにびっしり、奥様や子供さんたちへ、家の事や仕事のこと、財産のことなど書いてあるのを見せてもらいましたが、その当時はエンディングノートなどはまだ世間にでていませんでしたが、現実とこころの準備をしている方は凄いなと思いました。

五木寛之さんが、「新老人の思想」の最後の章で、「理想の逝き方を目指して」と書いていますが、老いは自然に死を意識するものです。そしてあとがきで「『起て 老いたる者よ』と、昔のメロディにのせて口ずさむ今日このごろである」と締めくっていますから、まだまだお元気でお仕事をされると安心しています。五木さんも結局、ご隠居さんではないかと思った次第です。

また金スマ瀬戸内寂聴さんが特集で出演していましたが、いつまでもお肌もお綺麗で、お元気ですよね。仏教作家といいますか。波乱万丈の人生を送り、仏教が救ってくれたと思うのですが、いわゆる鴨長明や吉田兼好さんと似て、このかたもいわゆるご隠居さんではないかと思うのです。

誤解して欲しくないのは、現代のご隠居さんはしがらみから解き放たれていますが、積極的に社会とも関わり、私たち若輩者に辛口の助言をしてくださるのです。私もそのようなご隠居さんを目指しているわけです。

大田空真さんの「『ご隠居』という生き方」(飛鳥新書)の冒頭に「隠居の心得十箇条」を書いていますので、ご紹介したいと思います。

「隠居の心得十箇条」

一、隠居はいい加減を知る人である

二、隠居は時間使いのプロフェッショナルである

三、隠居は人欲を忘れてはならない

四、隠居は知識と知恵の違いを知る

五、隠居は要請されれば知恵を貸す

六、隠居は散り際をわきまえる

七、隠居は隠居名で活躍する

八、隠居は金儲けの社会から離脱した人である

九、隠居は豊かさを醸しだす

十、番外隠居は「そこそこ隠居」を楽しむ

どうです。おもしろいでしょ。皆さんこの本読んで見ませんか。私も終活カウンセラーをしていますが、いわゆる「終活」も気軽に楽しくするべきだと思っています。ご隠居さんっていい響きですよね。年寄りが出しゃばるのは、老害と言って、あまり良くないのであります。五木さんの言うような階級闘争ももうしたくないのです。とにかくそれぞれの残された人生を若いもんに迷惑をかけずに楽しもうではありませんか。

今日は阪神大震災が起こった日です。阪神大震災、東日本大震災でお亡くなりになった方々のご冥福をお祈りし、追悼させていただきます。南~無 合掌 徳温禅月。



2014年1月16日木曜日

五木寛之さんの「新老人の思想」とご隠居のススメⅡ

 おはようございます。
都知事選の立候補者を見ていると、五木寛之さんの「新老人の思想」に書いてある五木さんの時代を観る目の観察力に敬意を表したいですね。五木さんも求めてきたものは、「林住期」や「遊行の門」に書いてある世界であり、それはやはりご隠居さんだと思うのです。


私と同じような考え方を持っている方がおられました。太田空真さんです。彼は隠居研究会を立ち上げ、15年前に「ご隠居という生き方」(飛鳥新社)を出版し、今話題になっている終活的なこともすでに書いています。


「ご隠居のススメ」を書きだしたのは、どうも細川さんの都知事選出馬表明に違和感を覚えたことが始まりで、つまり細川さんは、20年前に自ら首相の座を放り投げて、15年前に引退し、ご隠居になっていたはずなのに突然のごとく75歳で都知事選出馬を表明したのであります。まあ個人の問題だからでようがでまいがわしら庶民には関係ないのですが、理解に苦しみところです。


でもこれが江戸時代なら、八ちぁん、熊さん、長屋横丁のご隠居さんを交えて、井戸端会議でもちきりでしょうね。
八ちぁん「熊さん、熊本のお殿様が出るらしいぜ」
熊さん 「外様が大丈夫かね~。幕府は、枡さんを押しているから、枡さんが堅いだろう」
ご隠居 「八、熊、またここで油売ってね~で、仕事せ~よ。」
八ちぁん「ご隠居はどう思います~。」
ご隠居 「外様とはいえ、江戸っ子に人気の先の将軍様が応援しているからな~。」
熊さん 「わしら庶民は、長州の殿様と一緒に、所得を増やして欲しいけどな。枡枡(ますます)」
八ちぁん「熊、そら~、字がちがわしね~か~。」
ご隠居 「どっちに転んでも、わしらの生活にそう影響はね~。まあ、ちょうどいい。見世物じゃ、他の役者も出そろったし、高みの見物としょうか。」
八ちぁん「おもしろくなりそう。えへへ」
熊さん 「八、わしは仕事に行くぜ~。」


こんな感じかな、考えてみると、現代のご隠居は、瀬戸内寂聴さんと五木寛之さんかもしれませんね。好きなことを言い、いいものを食って、おしゃれして、恰好いいですよね。最近、ユニクロに行くと、若者より中高年がうじゃうじゃ買い物に来ている。


ユニクロファッションは、値段が手頃で買いやすく、色合わせを楽しめるので、庶民には、いいですよね。昔は、ジュンやVANにのぼせ、給料が上がるとラルフローレンなど買っていましたが、さすがいまは買えないですよね。


おしゃれに気を配るのも、ご隠居たるもの、下着は毎日帰る、温泉に行くとなぜかボクサーパンツのおじさんが目につきます。ジャージーなどは普段着にはしない、ウォーキングの時だけですよね。家では作務衣を着ているし、お金をかけずに、おしゃれを楽しむのもご隠居の趣味かな。


男性も女性も、ご隠居は色気があるとおもいませんか。ギラギラした性欲ではなく、さわやかな色気といいますか。一緒に居てもきもちのいい色気ですね。さあ~団塊世代の諸君!ご隠居生活もいいものだと思いませんか。五木さんの「新老人の思想」で、それぞれの生き方が見えてくればいいのはないでしょうか。一読してくださいね。


それでは皆様のご健康をお祈りして・・・・。南~無 合掌 徳温禅月。























2014年1月15日水曜日

七福神へのインタビュー

 おはようございます。
FBで七福神のアプリと言うのがあって、私が二人の方から寿老人に選んでもらって、感激しているのですが、七福神とは何かと聞かれると意外に言葉をにごすのではないでしょうか。自己紹介と今年の抱負をインタビューしてみました。それではおひとりづつお願いします。


「ウキペディア」より

恵比寿様
「わしは福は徳から生まれるという意味じゃ。毎年、十日恵比須で、祝ってくれて、ありがとう。みんなが商売繁盛することを願っているんじゃ。心配しているのは、アベノミクスもいいが、消費財もあげるし、資産家はいいが、一般大衆は困るじゃがの~。ところでわしが網を持たんで、釣り竿ももっているかわかるかな。欲望にまかせて資源をとってはいかんのじゃ。大事につかわんとな。」

大黒天様
「そうじゃのう、福の神じゃがな~。まあ大蔵大臣かな。むかしから大黒柱と言われたり、坊さんの嫁は大黒というやろ、お寺の食事ごとや経済を支えてきたのじゃ。アベノミクスもいいが、里山資本主義もほうが好きじゃが、のう恵比寿さん。」

毘沙門天様
「つぎは、わしか。わしは武力で富を守る神だが、多聞天ともいうのじゃ、すべてのことを漏らさず聞く能力を持っているんじゃ。日本の国は守らなならんのじゃ。積極的平和主義、いいんじゃないか。わしも武力を使う気は、さらさらないが、悪魔はいるから協力して国民を守らないかん。さあ、トレーニングにいこうと。」

弁財天様
「わたしは豊かさと才能の神様ですわ。昨年のレコード大賞はエグザイルでしょう。いい男たちね。私は音楽だけではなく、スポーツにも努力した人には、ご褒美をあげるようにしているの。ソチオリンピックが楽しみね。私を祀るとすべて豊かになるわ。お稲荷さんも私の分身よ。」

布袋和尚様
「わしは、洒脱な福の神じゃ。わしににていたのはフーテンの寅さんやな。この大袋のなかには、生活道具がすべてはいっているんじゃ。わしに逢ったものには、吉凶を占ってやっておる。実はわしは弥勒菩薩の化身じゃ。」

福録寿様
「わしは、みなさんの病気を治してやったり、災害にあわないように守ってやる神じゃ。わしは水で皆をまず清めてやるんじゃ。温泉もわしがだしてやっとる。体にいいじゃろ。特に大分県のおんせんは、いい湯じゃが。」

寿老人様
「わしは延寿の神様じゃ。日本もだいぶ、寿命を延ばしてやったがのう。最近は年寄りが都知事選に立候補しているようじゃが、年寄りは出しゃばらんで、若いもんを支えて育ててほしいのだが。まあ、いのちを伸ばしてやった分は、世のため、人のために頑張るんじゃ。」

七福神の皆様、ありがとうございました。本年も日本を見守り、ご支援してくださいませ。合掌、徳温禅月。


参考図書 「仏さま白書」 中野東禅著 四季社

2014年1月14日火曜日

五木寛之さんの「新老人の思想」とご隠居のススメⅠ

おはようございます。
五木寛之さんの「新老人の思想」の感想を書いたら評判が良すぎて、でも書き残しているなとおもいつつ、東京都知事選の立候補者が名乗りを上げるにつれ、五木さんのご指摘通りなのですが、この国は老人が支配する国になるのかと思うと、寒気がして来ました。


中松さんは85歳と細川さんは75歳、宇都宮さん67歳、田母神さんと枡添さんは65歳、魑魅魍魎の世界に見えて仕方ありません。ケネディは43歳で第35代アメリカ大統領になりましたが凄いですよね。若いいもんはおらんのかいと言いたい。


せめて50代の方。僕は政治家は65歳定年制にした方がいいと思う。頭も肉体も、本当に第一線で働けるのか疑問に思います。なぜか五木さんの本で年寄りが元気づいてきたみたいですね。いわゆる人生の諸先輩のあり方としてはどうかなと思う次第です。


私がオススメしたいのは、地位も財産も後継者に譲って、隠居して時々は若いもんの相談に乗ってあげて、アドバイスしてあげる存在つまりご隠居さんですね。政治家のみならず経営者もそうですよね。社長を譲っても会長になって、院政をしくような企業が伸びるわけがないと思うのです。


ウィペデイアには
「隠(いんきょ)は、戸主家督を他の者に譲って、隠退すること。または家督に限らず、それまであった立場などを他人に譲って、自らは悠々自適の生活を送ることなどを指す。もしくは、第一線から退くことなど。隠退(いんたい)とも。」と書いています。


特に、横丁の長屋のご隠居さんをいいですね。江戸時代の町のご隠居さんですね。還暦を過ぎれば、10年後か20年後か、かならずあの世へ逝くわけだから、自由きままに生きたいものです。どうしても肩書きも欲しい人には、60代若年寄り、70代老中、80代大老、90代長老はどうでしょうか。名刺にも書いていいですよ。私は最近、ご隠居と書きたくなりました。


「徒然草 」の吉田兼好の生き方はまさにそれではないでしょうか。
「つれづれなるまゝに、日ぐらし硯に向かひて、心にうつりゆくよしなしごとをそこはかとなく書き付くれば、あやしうこそ物狂ほしけれ。」


「清貧の思想」の中野孝次先生の現代訳は「為すこともなく退屈なまま、日がな一日硯(すずり)に向かって、心に映っては消え、消えては映る埒(らち)のないことどもを、浮ぶがまま、順序もまとまりもなく書きつけていると、自分が正気かどうかさえ疑われるような、狂おしい心持ちになってくる。」


現代風に言えば、パソコンに向かって、心の思うままに、キーボードを打ってブログを書いていると、しがらみから解き放たれた自分に気づく、そんな自分が好きで好きでたまらくなるという心情でしょうか。


自由きままに生きる。主従関係(雇用関係)から解き放たれた世界、金儲けから一線を引いた世界、しがらみのある人間関係を離れた世界、好き勝手なことができる世界、男とか女の関係を越えた世界、若者(年下)に優しく接せられる日常、困った人に手を差し伸べてあげる心の余裕などが満ち溢れているのが、ご隠居さんではないでしょうか。





2014年1月10日金曜日

日本人の宗教観Ⅴ~まとめ~

 おはようございます。
昨日から、写真の貼り付けができず、ブログの作成ができませんでした。お正月から書いてきた「日本人の宗教観」をまとめたいと思います。結論から言えば、私たち日本人は、無宗教な国民ではなく、大変宗教心の熱い民族であると言うことです。


「日本の宗教」(日本文芸社)を書いた田中治郎先生は、そのプロローグで、「宗教とは、人間の力を越えたものに対する畏怖であり、恭敬であり、依存であり、信仰であると定義するならば、日本人も十分宗教的な民族だといえる。教会を見ても、神社を見ても、お寺をみても恭敬の念を起こして手を合わせるのが日本人の宗教のあり方なのだ。もともと、日本人は山に神を感じ取り、川に神を実感し、海に神を見てきた。自然のあらゆるものに神の存在を認め、八百万の神を敬ってきた多神教の民なのである。」と書いています。


これが純粋な神道であり、仏教伝来とともに、神仏混淆し、私達日本人の精神性を育んできたのです。それは今も続いていますが、残念な歴史的事実は、明治政府によって、「神仏分離令」が発動され日本国中で廃仏毀釈が吹き荒れ、仏像は破壊され、神社とお寺が分離されました。どこかの国と似ていると思いませんか。


私達日本人の純粋な神道から国家神道を唱導し、軍国主義へと突き進み、日清・日露戦争、2.26や5.15事変を経て、太平洋戦争へと突き進んだのです。このことは忘れてなりません。だからこそ戦前の思想や教育に復古するのではなく、純粋な日本人の霊性に帰るべきだと思います。


そし第二次大戦後、唯物主義が蔓延し、国民のなかから宗教心や道徳心をそぎ落として行ったのです。しかし今よみがえろうとしているのは、日本人がはぐんできた、DNAに刻印された神仏混淆の宗教ではないでしょうか。それを日本教と言っているわけです。


確かに民族宗教ですが、他の宗教とも共存共栄できるものですし、他を排することなく、受容できる包容力のある宗教を日本人は持っているのです。神仏は、このような日本人を世界平和のために用いて下さると信じています。


ぜひとも私たちの歴史や文化そして宗教を改めて学ぶべき時にきているのではないでしょうか。20本年が皆様にとって充実した実り多き年でありますようにご祈念したします。合掌 徳温禅月。


参考図書 「日本の宗教」 監修 山折哲雄 田中治郎著 日本文芸社









2014年1月8日水曜日

日本人の宗教観Ⅳ~祈り~

 おはようございます。
昨日は、初詣について書きましたが、初詣も「祈り」であるわけです。ほとんどが自分の願い事であり、健康であるとか、商売繁盛であることとか、高校や大学に合格することとか、参拝し、お祈りをするのですが、それはそれでいいのです。


キリスト教徒のなかに、ペンテコステ派といういわゆる聖霊派と言われ、聖書にかいてあること(奇跡など)をすべて信じている人たちの祈り方は、強烈で、手を組んだり、両手をあげたり、大声をあげ、祈りの課題ごとにそれぞれが祈りをします。むしろ祈りを聴き遂げてほしいと祈祷していると言った方がよいかもしれません。


イスラム教徒は、世界のいかなるところにいようとも、聖地メッカに向かって、床(あるいは石)を地面につけてお祈りします。チベットでは、ポラタ宮殿に巡礼するために、五体投地をしながら、お祈りを捧げ、一歩一歩進んでいきます。世界の平和のための祈りを捧げています。



アメリカでは、ほとんどの方が日曜日の午前中は教会に行き、礼拝をするのですが、日本人駐在員が、ゴルフバックを担いで、素知らぬ顔をして横を通り過ぎて行ったそうです。日本人って何を考えているのだろうかと思ったそうです。


いっそ日本人も私達先祖がしていたように、毎日はできないと思いますが、一週間に一回は、神社やお寺にお参りにいくようにしてはどうでしょうか。子供たちに無知な教師がへたな道徳教育をするより、その意味を考えるようになるからいいと思いませんか。


さて本題は、祈りは捧げるものですから、その対象がいるわけです。キリスト教であればキリスト、イスラム教であれば、アッラーの神、仏教であれば釈迦如来や阿弥陀如来、地蔵尊など、神道であれば天照大御神などに、祈りを捧げるのです。お経をあげるのは祈りを捧げているのです。


祈りは繰り返し繰り返し、口に出し唱えることで、祈る人の潜在意識に入って行きます。さらに祈りくりかえすことで、深層意識に入り込むのです。神仏とはこの深層意識でつながっています。神仏はその人の祈りの正しいことのみを聞き入れます。なぜなら神仏は、真善美であるからです。


偽りごとや人を憎むことやたくらみごとや悪い想いそして汚いことは受け入れません。そのような願いごとは悪魔のみが聞き入れてしまいます。だから恐いのです。オーム真理教などはまさに悪魔崇拝であり、個人でもサカキバラセイトを名乗った少年も偽りの神(悪魔)に祈り、過ちを犯しました。


ですから宗教は信仰の対象が間違うと、すべて異常をきたすのです。新興宗教のなかには、教祖様を拝むませることをさせる団体がありますが、それはすべて間違いです。世界史のなかで、認めれれている方しか拝んでなりません。先祖の霊を供養するために、お仏壇やお墓に向かって拝むことは正しい行いです。先祖はすべて33回忌をすぎると仏様に成仏します。


皆さんは、潜在意識に届くようなお祈りをしていますか、もっと言えば深層意識は、生きている人達ともつながっています。心理学では集合意識と言いますが、たとえばあなたが恋をし、その想いを祈っているとからずその想いは相手に伝わるのです。善きことを思わないといけません。


そして祈りを捧げたら、行動するのです。なぜなら最強の肉体を、人間に与えているからです。たとえば商売繁盛を祈るとすると、その祈りは具体的に祈って下さい。たとえば昨年より10%売り上げをあげるとかを徹底的に潜在意識に入るまで、祈って下さい。そうすると10%あげるためのアイデアが与えられ、毎日仕事をするのが楽しくなり、笑顔が増え、すべての方に感謝できるようになります。世の成功者は、その秘訣を体得しているのです。


初詣に行ったきりにするのではなく、あなたの願い事が叶えられるように、祈りを深めてはどうでしょうか。それでは皆様の夢が叶いますように、ご健康でありますように、世界が平和でありますように、心よりお祈りします。そして3日にお亡くなりになったやしきたかじんさんのご冥福をこころよりお祈りします。南~無 合掌 徳温禅月。







2014年1月7日火曜日

日本人の宗教観Ⅲ~初詣~

 おはようございます。
日本人の宗教観を書いていますが、お正月になると、なぜかむずむずして初詣に出かける人が多いではないでしょうか。日本人としての血がさわぐのでしょう。今年はお天気も良かったこともあり、全国の神社仏閣では昨年をおおきく上回る人出だったと言われています。

昨年の順位は、明治神宮、成田山新勝寺、川崎大師、浅草寺、伏見稲荷大社、鶴岡八幡宮、住吉大社、熱田神宮、大宮氷川神社、太宰府天満宮でしたが、今年もそう変わらないでしょう。ところで、初詣についてウキペディアには次のように書いています。

『初詣(はつもうで)とは、年が明けてから初めて神社寺院などに参拝する行事。一年の感謝を捧げたり、新年の無事と平安を祈願したりする。初参り(はつまいり)ともいう。

初詣の対象は神社・寺院のいずれでもかまわないとされている。これは明治時代初期に神仏分離が行われる前は、神道大乗仏教、ならびに祖霊信仰が一体化した神仏習合による信仰が一般化していたためである。つまり、初詣に限らず寺社への参詣に神道・仏教の区別は無いとされていたことの名残である。

一般的には、正月三が日に参拝するのを初詣といっているが、1月中に参拝も初詣とする考え方もある。また、回数に関する規定も無い。多数の神社仏閣に参詣すれば色々なご利益があるという説もあり、その場合神社・仏閣を特に問わない。例えば西日本の一部地域の様に「三社参り」などと言って正月三が日の内に複数(多くは三社程度)の神社に参拝するのが習慣となっている地域もある。宗教上の考え方の違いが大きい。

全国の有名占い師が推薦した神社は
【2014年、初詣に行くべき神社6選】
1位  伊勢神宮(三重県伊勢市)
2位  藤森神社(京都府京都市伏見区)
3位  浅草寺(東京都台東区)
4位  諏訪大社(長野県諏訪郡)
5位  弊立神社(熊本県上益城郡山都町)
6位  鹿島神宮(茨城県神栖市)
5位の弊立(へいたて)神社は、他の神社に比べると知らない人も多いかもしれませんね。場所は熊本県東部の山都(やまと)町というところなのですが、「やまと」の名前からしてあの卑弥呼が女王として君臨していたヤマタイ国ではないかと噂される場所にあるんです。しかも、天孫降臨の地として有名な宮崎県の高千穂にも近い。また神社そのものも神武天皇のお孫さんに由来しています。神話と古代の交差する神社…これは運気上昇に期待が湧きますよね。

5位の弊立神社について、知っている方は少ないと思いますが、伊勢神宮の元宮と言われているのです。注目すべきパワースポットである神社ですね。日本人が初詣に行くのは、去年という一年が終わり、新しい一年を迎えるにあたって宇宙のエネルギーをいただいて、再生する意味があると思うのです。ですから日本人は本能的に初詣として神社仏閣を参拝するのです。

それほどご利益も期待しているわけでもないような気がするのですが、皆さんはどうですか。つまり神仏に届く祈りは、このようなものではないのです。神道は静的な祈りですが、仏教では、真言宗や日蓮宗では太鼓を打ち鳴らしながら、般若心経やお題目を唱和連呼するのです。

どのような祈りが神仏にとどき、叶えられるかを明日書きましょう。それでは、東日本大震災をはじめ多くの自然災害によって亡くなられた方々のご冥福をお祈りします。また世界各地での戦争によって犠牲になった方々、子供たちのご冥福をお祈りします。私達人類から災難を取り除いて下さい。世界が平和でありますように。南~無 合掌 徳温禅月。



2014年1月6日月曜日

日本人の宗教観Ⅱ

 おはようございます。
先日は神道を中心に考察してみましたが、日本ほど高度に発達した国は類を見ないのではないでしょうか。その根底に日本教があると思っています。この日本人の宗教を支えるものが、神道であり仏教なのです。

神道もいわゆる村々にある神社にこそ原点がある古神道(いにしえから、神様と日本人の生き方)だと思います。さらに老荘思想も取り込みながら、特に最澄と空海によって仏教のすそ野が広がり、鎌倉時代にいわゆる日本仏教の宗教改革が起き、法然や親鸞、道元、日蓮などが旗上し、日本仏教ができたのです。

高塚愛宕地蔵尊(大分県日田市天瀬町)

最近、上座仏教の方が来られて釈尊の教えに忠実なのは、いわゆる自分たちであると言っていますが、日本人にそんな原理主義的なことを言っても、潮流にはなりえないと思います。日本の歴史の中で、もがき苦しみながら風雪に耐えてきた日本仏教こそ、日本人にふさわしい仏教であり、宗教であるからです。それを日本教となずけているわけです。

日本の四季おりおり自然のなかから、命が生まれ、神道が生まれてきたからこそ、最澄や空海が「山川草木悉有仏性」と言ったとき、仏教が民衆のなかに溶け込んでいったのです。それをアミニズムと、キリスト教徒が批判しようが日本人には関係ないのです。

聖書の中に自然や動物のことが出てこないのはむしろあなた達こそ本当に聖書がかいているように生きものを管理し、保護する権利や智恵をお持ちかどうかききたいと思うのであります。イスラム教徒やキリスト教徒が世界史のなかで、殺戮を繰り返すのはなぜかと問いたいと思います。

大分県日田市天瀬町の「桜滝」(1月5日撮影)

話しは脱線しましたが、聖徳太子をはじめ、日本人の謙虚な生き方の中に、仏教が自然に受け入れられてきたのは、仏教学者が言うような難しい「空」の理論ではなく、六波羅蜜の実践行にあると思っています。六波羅蜜とは、ウキペディアには次のように書いています。

『六波羅蜜(ろくはらみつ、ろっぱらみつ)とは、甚深法界の六つの彼岸行のこと。「六度(ろくど)彼岸」とも呼ばれる。
  1. 布施波羅蜜 - 檀那(だんな、Dāna ダーナ)は、分け与えること。dānaという単語は英語のdonation、givingに相当する。具体的には、財施(喜捨を行なう)・無畏施・法施(仏法について教える)などの布施である。檀と略す場合もある。
  2. 持戒波羅蜜 - 尸羅(しら、Śīla シーラ)は、戒律を守ること。尸は屍に通じる。在家の場合は五戒(もしくは八戒)を、出家の場合はに規定された禁戒を守ることを指す。
  3. 忍辱波羅蜜 - 羼提(せんだい、Kṣānti' クシャーンティ)は、耐え忍ぶこと[2]
  4. 精進波羅蜜 - 毘梨耶(びりや、Vīrya ヴィーリヤ)は、努力すること
  5. 禅定波羅蜜 - 禅那(ぜんな、Dhyāna ディヤーナ)は、特定の対象に心を集中して、散乱する心を安定させること
  6. 智慧波羅蜜 - 般若(はんにゃ、prajñā プラジュニャー)は、諸法に通達する智と断惑証理する慧。前五波羅蜜は、この般若波羅蜜を成就するための手段であるとともに、般若波羅蜜による調御によって成就される。』 
京セラ名誉会長であり、盛和塾塾長の稲盛和夫氏は、ことあるごとに何度も何度も、六波羅蜜を盛和塾五千余名の塾生にお話しされてきました。これこそ、世界最強の成功哲学であり、行動指針であると思いますが、どれほどの政治家や経営者や僧侶の方々(いわゆるリーダーたる者)がこの真理を理解し、実践しているでしょうか。

布施はできる限りのことで結構ですが、自然保護や被災者支援などのボランティア団体などに寄付をすることもできます。持戒は他人に嘘をつくなとか、盗むなとか、そして生きとし生けるものを殺すななどの基本的に守らなければならないことです。忍辱は人生には辛いこと、苦しいことや悲しいことがたくさんありますが、自暴自棄にならずに耐え忍ぶのです。精進は、何事にも創意工夫し努力するのです。禅定は、人の心はうつろやすいものですが、毎日静かに座って心を調えましょう。すうすれは、神仏の智慧が与えられるのです。

日本人はこのようにして、努力して、生活し、先祖を崇拝し、神仏を拝み、人生を全うしてきたのです。これが二千年も続いている国は日本しかないのです。私達は、日本人としての誇りを持ちつつ、他国の宗教や思想も認め、世界の平和と発展のために協力しようではありませんか。

私たちの宗教や思想が素晴らしいと思っても、これを世界に布教しようとか、他国の人に押し付けてはなりません。なぜなら日本教は日本人の民族宗教であるからです。今年のお正月に近くの神社仏閣に初詣してきましたが、現代の日本人には「祈り」が足りないと思いました。次回は祈りおよび祈り方について考察してみたいと思います。

それでは皆さん、ほとんどの方が仕事始めだと思いますので、皆様のお仕事が世のため、人のためになりますように、皆様の事業が大きく成長発展しますように、皆様が豊かになりますようにご祈念申し上げます。南~無 合掌 徳温禅月。




2014年1月3日金曜日

平成26年謹賀新年ー日本人の宗教観ー

  
  新年あけまして おめでとうございます。

初日の出に昇竜が現れています。大分県日田市吹上古墳前の吹上神社より

昨年末より、正確にいえば、Xmasにて「主の祈り」を捧げ、それから年末に地元の各地の神社仏閣にて参拝し、一年の無事を感謝し、お祈りしました。そして元旦、初日の出を見て、初詣をするのです。つまり私は典型的な日本人だと言えるのですが、自分でいうのもなんなのですが、かなり世界の宗教を勉強して来ました。

キリスト教徒でもイスラム教徒でも、自分達の宗教の押し付けではなく、お互い学び、理解し、認め合うことから出発し、全世界がこの危機的状況の中で、祈りを捧げなければ、世界平和も自然環境保護も人権擁護もできないのです。祈りを共にする時代が来たのです。

まず日本人は、キリスト教圏の人たちがどれだけ祈りに時間を割いているかを知らないし、その祈りの質と量も知らないと思います。イスラム教の人々のことはメディアで取り上げられるので、その熱心さは知っている方は多いと思います。

キリスト教の方は、クリスチャンと言って、日曜日に教会で礼拝しますが、そのほかにもさまざまな教会の催しがあり、祈りを捧げます。特に祈祷会というのがありますが、断食してお祈りすることもあります。基本は、神に感謝し、神の栄光を賛美するのです。また個人的な問題の解決のために祈りもします。アメリカに行くと、ゴスペルが流れ、絶叫的な祈りをします。すさまじいのです。

このような信仰を持ったアメリカと同盟国であり、友達であることを理解していないと本当の友情は保てないのです。先月、安倍首相が、靖国を参拝したことに異例のコメントをアメリカ政府がしましたが、それは日本の国家神道の復活を危惧するからです。宗教的な心情と政治的な行為で誤解をうまないように配慮しなければなりません。

ところで、日本人の宗教観をヘブライ大学におられた手島佑郎先生は自らのノートでこう書いています。

[ 日本人と神道 ] 手島佑郎 
『察するに、首相の靖国神社参拝に反対の立場をとるのは、国民全体からすれば反対派は全体の20%にも満たない。公明党も表向きは反対を唱えているが、内心ではそれほど反対ではないようだ。国民の3分の2は首相の靖国参拝容認である。
 というのは、日本人と神道とは切っても切り離せない関係である。なぜならば、日本人の宗教意識は神道によって育まれ、神道によって培われてきたからである。
 今でこそ日本は仏教国家であるかのような観を呈しているが、日本人の生活習慣の根底にひそむ神道的要素は依然として強固である。例えばお盆とお正月。これは、仏教伝来以前の日本人の生活にずっと根差してきた祖先祭の慣習である。仏教による加持祈祷、これも神道のお祓いの仏教版である。結論から言えば、仏教は神道と習合することによって日本人の間に定着することに成功したのである。
 それは、北欧人と北欧の神話伝説ぬきに北欧のキリスト教が成立せず、ローマ人とローマ宗教伝統を無視したローマ・カトリック教会が存在せず、西インド諸島住民とその宗教伝統を無視して同地域でのキリスト教布教があり得なかったのと同様である。
 いずれにせよ、神道的価値観というものが、日本人の精神生活や生活習慣のなかに深く根を張っている。だから、キリスト教であれ、仏教であれ、いや無神論の共産主義であれ、日本人の生活に根差した伝統的でかつ無意識に行なわれている神道的習慣を頭から無視したのでは、日本人に新しい価値観を持ち込めない。』

吹上神社と観音堂が並んで建っています。廃仏毀釈を乗り越えました。

韓国の方の宗教は、キリスト教徒と仏教教徒が50%づつで、道徳的な基盤に儒教があると言われています。韓国の方は、熱心な信者さんが多いのです。中国は、儒教を取り入れた共産党教と言ったほうがいいかな。キリスト教も仏教も徹底的に弾圧されていますからね。

世界の歴史を見ると信仰無き民族は滅びていますが、日本も宗教なき民とか、信仰無き民と言いますか、無宗教と答える人が増えて行っていることは確かですね。外国で聴かれたとき、わからない人は「日本教」と答えるといいと思います。つまり手島先生が言われるように、日本人の精神の中には、神仏混淆の神道と仏教の思想が流れているからです。

では神道とはなにでしょうか。ウキペディアには

『神道は古代日本に起源をたどることができるとされる宗教である。宗教名の多くは何教と呼称するが、宗教名は神教ではなく「神道」である。伝統的な民俗信仰自然信仰を基盤に、豪族層による中央や地方の政治体制と関連しながら徐々に成立した[1][2]
神道には明確な教義や教典がなく[3][4]、『古事記』、『日本書紀』、『古語拾遺』、『宣命』といった「神典」と称される古典を規範とする。森羅万象が宿ると考え、天津神・国津神祖霊をまつり、祭祀を重視する。浄明正直(浄く明るく正しく直く)を徳目とする[3]。他宗教と比べて現世主義的といった特徴がみられる。神道とは森羅万象を神々の体現として享受する「惟神の道(かんながらのみち、神と共にあるの意)」であるといわれる[5]
神道は、一時期は神仏習合などでその扱いが統合されていた。しかし明治時代、それ迄の武家社会からの転換で天皇を頂点とした社会を構築するにあたり、国民の精神的支柱としてその精神性や倫理性などが見直され、国家形態の一部として採用された。『五箇条の御誓文』や、よく知られている童歌〔わらべうた〕『通りゃんせ』など、日本社会の広範囲に渡って神道の精神性や倫理性が見受けられる。
神道と仏教の違いについては、神道神話に登場する神々のように、地縁血縁などで結ばれた共同体部族など)を守ることを目的に信仰されてきたのに対し、仏教はおもに個人の安心立命や救済、国家鎮護を求める目的で信仰されてきたという点で大きく相違する[1]
神道は日本国内で約1億600万人の支持者がいると『宗教年鑑』(文化庁)には記載があるが、これは神社側の自己申告に基づく数字である。約85,000の神社が登録されている。』

それは、大自然のなかに存在する神であり、その神を敬うことが人として生きて行く基本だとしているからこそ、神(かんながら)の道というわけです。自然界の森羅万象のなかで神がおり、神のいのちが宿っているのです。神道のあるべき姿です。

すべて再生の命を得て、新しい一年を迎えることができるのです。自然界の木々を見ていると、冬は枯れ、春は新しい息吹で新芽をだし、花は咲き、夏は蒼蒼とした緑の葉を広げ、秋はその葉は紅く染めあがり、舞い散るのです。そうしてまた再生するのです。

ですから、除夜の鐘で、煩悩を消し去り、洗い清め、新しい年の日の出の太陽の光をあびて人間もまた生れ変わるのです。これが20年をひと単位とすると、生れて24か月は20年です。それから22歳、42歳、62歳、82歳、102歳までが人間の寿命です。この節目は気をつけなればなりません。この世の生命はそのように成り立っていると思いませんか。

そして還暦(かんれき)、喜寿(きじゅ)、盤寿(ばんじゅ)、傘寿(さんじゅ)、米寿(べいじゅ)、卆寿(そつじゅ)、白寿(はくじゅ)として、還暦を過ぎると節目ごとにお祝いするのです。

日本人の深層意識のなかに流れる神道を元にした宗教観は、日本人の民族宗教であり、他国の方がとやかく言う問題ではないのです。世界宗教では唯一、仏教が融合しましたが、キリスト教やイスラム教と混淆することもないし、普及することもないと思われます。ましてや宗教の優劣をつけるべきではないのです。次回は日本仏教について考察してみたいと思います。

平成26年(2014年)が皆様にとって、良き年でありますように、そして皆様ひとりひとりが健康でありますようにお祈りします。合掌 徳温禅月。