2013年8月30日金曜日

池上彰の「そうだったのか!現代史」を読むⅠ

 おはようございます。
先日、FB友達から「東トルキスタンからの手紙」をみて、涙がでました。中国政府による、東トルキスタン人への弾圧と虐待、それはチベットでも起きているし、ブータンへも侵攻しています。そんなおり、バン・キウン国連事務総長の偏った歴史認識発言がありました。私は歴史は認識ではなく事実だと思います。

今、人気の池上彰さんが、「そうだったのか!現代史」をだして、約十年になります。何かあると引っ張り出して読むのですが、池上さんは、NHKの「週刊こどもニュース」で人気をはくした人です。だから、中立でわかりやく語りますね。

「そうだったのか!現代史」のはじめに、池上彰さんは、

『・・・現代史の常識を持たない人が増えて問題になっているのは、学生に限ったことではありません。一般社会でも同じことです。持っている常識の差が、社会人になってからの世代間の断絶を生んでいます。
 日々のニュースや私たちが生きている現代のさまざまな出来事を理解するためには、その少し前の歴史を知る必要があるのです。歴史をさかのぼれば。現代世界のさまざまな動きの背景が鮮明に見えて来ます。
 しかし、多くの世界史の本は、ローマ帝国やビザンチン文化については詳しくあったも、第二次世界大戦後の現代史についての描写はごくわずかです。
 ちょうどいいテキストがないなら書いてしまおう。そんな発想から生まれたのがこの本です。・・・』

と書いています。

冒頭であげた、中国政府による少数民族への弾圧や他国への侵攻はどうして起きるのかは、やはり中華人民共和国の歴史、とりわけ文化大革命はなんだったのかということまでさかのぼらないと見えて来ないと思います。主役は毛沢東さんですね。中国共産党の中で、毛沢東思想は生きているのです。

また中近東では、シリアへのアメリカ軍による空爆がまじかとニュースで流れていますが、なぜ空爆するのか、それを紐解くカギはやはり歴史にあると思います。少しさかもぼれば、ユダヤ人のイスラエル国家建設にあります。イラク戦争もしかりですね。

読者のみなさんと、今世界で起きていることを池上彰さんの「そうだったのか!現代史」(集英社)を読みながら考えてみたいと思います。来週は、「第9章文化大革命という壮大な権力闘争」を書きますので、興味のある方は、ぜひお買い求めて一緒に読んで行きましょう。

参考図書
「そうだったのか!現代史」 池上彰著 集英社
「そうだったのか!現代史2」
「そうだったのか!日本現代史」



2013年8月29日木曜日

畑正憲さんの講演「深い動物のなぞ」を聴いて

 おはようございます。
昨日、大分県立日田高校がスーパーサイエンスハイスクール事業の一環で平成25年度第2回SSH講演会として、高校の大先輩である畑正憲さんに来ていただいて、「深い動物のなぞ」というテーマでお話してもらいました。

ところで、スーパーサイエンスハイスクール事業って知っていますか。ウィキペディアによりますと、

「スーパーサイエンスハイスクールとは文部科学省が科学技術や理科数学教育を重点的に行う高校を指定する制度のことである。SSHと略記される。2002年(平成14年)度に構造改革特別要求として約7億円の予算が配分され、開始された。
2007年(平成19年)度予算では約14億4443万円、2010年(平成22年)度予算では約20億6500万円、2011年(平成23年)度予算では約24億400万円が配分されており、増額傾向にある。」

日田高校は、2011年度に指定高校になったようです。私は理科・数学教育に力を入れていくことに賛成です。問題はどのように運営されているかでありますが、畑正憲さんを呼んでいただけただけでうれしい。

畑正憲さんは、ムツゴローの愛称で親しまれていますが、1935年生まれですので、現在78歳。お元気ですね。私たちが高校時代、先生の「われら動物みな兄弟」「ムツゴローの動物王国」をよく読んだものです。

当時の噂では、数学は大学の数学を独学して、高校の先生も舌を巻いていたということですが、昨日のお話でも、英文学に興味があり、わざわざ福岡の本屋に行き、ヘミングウェイの「老人と海」など英書を買い、原文で読んでいたとのことです。このあたりで学者と違う文章力がついたのかも知れませんね。

高校の数学の先生が、特別に6人の生徒を選抜し、数学を教えたとのことですが、そのなかには、朝日放送の社長や日本生命の社長になった仲間がいたとのことですが、その通りです。人間は良き友や良きライバルがいるとなぜか切磋琢磨して伸びるものです。環境って大事なんですよね。

昨日の先生のお話のなかで、イネはオオカミが進化したものではないとのことで、びっくりしました。また鳥はなぜ、小鳥に均等にえさをあげられるかなどまさに興味津々の話でした。極めつけは、アナコンダが人間をのみ込んだ話や、実際、先生も野生のアナコンダにしめれて苦しかったことなど、まあ奇想天外ですよね。

また、クマの冬眠にこだわっていたそうで、学者の論文では冬眠ではなく、巣穴で氷水を飲んでいたとか、体重が減るとか書いたあったが、疑問が解けず体重計を設置して実験したら、完全冬眠で体重は減らないそうです。話は尽きないので、今日も時間オーバーーでした。感謝感激です。先生は第6期生、現在の高校生は第66期生だそうで、次の動物研究家や科学者がでてくることを期待します。

先生は、いつも「人間ってなんだろう」「人類っはなんだろう」と考えていたそうです。わたしは、宗教や哲学で同様のことを考えてきましたが、そういえば、キリストは17年、仏陀は6年、空海さんは6年、どこにいたかわからない時期がありましたが、後世の人はそれを修行と言っていますが、考えてみると、大自然のなかで、動物と過ごし、虫に話しかけ、草木や花々のなかで寝転がり、あるいはクマのように冬眠してみたこともあったかもしれません。そして「人間ってなんだろう」って考えたのではと講演を聴いてふと思いました。それが宗教や哲学の始まりですよね。

畑正憲先生、いつまでもお元気でご活躍されますようにお祈りします。ありがとうございました。

2013年8月28日水曜日

「空海の風景」を読むⅩー最終章ー

 おはようございます。
司馬遼太郎さんの「空海の風景」は、中公文庫で上下になっていますが、司馬さんが仏教用語をできるだけ使わずに書いたと述懐しているとおり、読みやすいと思いますが、やはり空海関連の本を読んでないとわかりづらい点があるかもしれません。

「空海の風景」下で、終わりの方に、最澄さんとの確執?が描かれていますが、二人がいたからこそ、今日の日本仏教の基礎が確立したのであり、ひとりだけなら、禅も念仏も出て来なかったかもしれません。

いつの時代でも、どこの場所でも、良き友、よきライバルがいて人間は成長できるのではないでしょうか。そのような運命をもっているのです。道元さんと親鸞さんがそのような関係だったかもしれません。
四国88ヶ所巡りより
 
「空海はすでに、人間とか人類というものに共通する原理を知った。空海が会得した原理には、王も民もなく、さらにはかれは長安で人類というものは多くの民族にわかれているということを目で見て知ったが、仏教はもしくは大日如来の密教はそれをも超越したものであり、空海自身の実感でいえば、・・・・中略
 日本の歴史上の人物としての空海の印象は特異さは、このあるかもしれない。言いかえれば、空海だけが日本の歴史のなかで民族社会的な存在ではなく、人類的な存在だったということがいえるのではないか。」(空海の風景下20より)

空海さんが「金剛遍照」といわれる由縁がここにあると思うのですが、宗教とは、仏教とは、それぞれの人生のなかにあり、生活のなかにあり、釈尊を祈り、祖師を尊ぶとき、人間は謙虚になり、苦しみや悲しみを乗り越えることができるのかもしれません。それは皆さんがじかに肌で体験することで、あたまで考えることではないと思っています。そのとき、「南無」の意味がわかるのではないでしょうか。ぜひともこの「空海の風景」を読んでいただきたく思います。

室戸岬の発端にある最御崎寺です。

感想文とした相当、脱線して書きましたが、最後に朝廷に持参した「御請来目録」の中に書いてる経典の中に、「文殊師利菩薩及諸仙所説吉凶時日善悪宿曜経」があります。釈迦の弟子の文殊師利が書いたと言われるものですが、明治時代まで門外不出でした。

戦後、「宿曜経」を「宿曜占星術」として、井関天海師が確立し、小峰有美子氏がわかりやすく世にだしたのですが、これで各人を見てみると、性質・性格がぴったりであったのでびっくりしました。人間はいわゆる遺伝子以外に、その人を運命づけるものを与えられて、生をうけているのかもしれません。知らずに生きるのも人生ですが、知っていれば人生の問題に対処できると思っています。

以前、オバマ大統領や習近平国家主席、パククネ大統領や安倍首相を宿曜経でみてブログに書きましたが、国際問題になると困るので、今回は書くのは止めました。空海さんは「女宿」という宿星で原典にこう書いてあります。

「この宿に生れし人、力量あり、病少なし。布施を好み、法律を守り、道業に勤めて宗祖を崇(うやま)う。家業盛んなれど、陰性なり。色難を慎むべし。陰謀詭詐に利あり」

どう思います。「空海の風景」を読んだ人は、当たっていると思うでしょうね。あとで本を紹介しておきますのでご興味のある方は読んでください。

「空海の風景」は3年後にまた読んでみたいと思いました。その間、空海さんの書物に挑戦しておきたいと思う次第です。合掌。

参考図書
「空海の風景」上下 司馬遼太郎著 中公文庫
「空海入門」 加藤精一著 角川文庫
「宿曜占星術」 小峰有美子著 講談社文庫

 

2013年8月27日火曜日

「空海の風景」を読むⅨ-不可思議ー

 おはようございます。
世の中に軽薄な人間が増えていることは、昨今のニュースを見ていると誰もが思っていますが、このようなご時世のときはあぶないのです。つまり利己主義的な欲望にのみ目が行き、他人の迷惑を顧みない人間は、社会や政治に関心を持たないからです。政治は衆愚政治と化す危険性があるからです。

さて空海さんは、第七祖恵果阿闍梨から灌頂を受けるのですが、その儀礼の中に投華得仏という作法があります。空海さんが目をつぶって真言を唱えながら、敷曼荼羅の上に樒の小枝をなげると、二回とも大日如来の上に落ちるのです。それは空海さんの守護仏は大日如来(宇宙の中心)だということです。

その時、恵果阿闍梨は、「法によって花をなげうつに、偶然として中台毘廬遮那如来に身上に着く阿闍梨讃じていわく 不可思議、不可思議なりと」と言ったとのことです。これは「請来目録」の中に書いてあります。

日本に帰国して、二〇年の留学生の約束を二年で帰ってきたので、九州福岡の観世音寺にて足止めをくらうのですが、空海さんは膨大な密教経典や法具などを受け、持ち帰りこれを朝廷に差し出す目録が「御請来目録」です。

司馬遼太郎さんは、「空海の風景」で、帰国のいきさつや法具などの費用について描写していますが、このへんも面白いですね。私は渡航費用を両親、一族が集めたもので、そのなかに叔父の阿刀大足もいたと推察しています。阿刀大足が政変に巻き込まれたとき、空海さんは生涯阿刀家を救うのです。

この「御請来目録」の最後に以下のように書いています。原文は難しいので訳文でご紹介します。

「およそ釈尊の教えは途方なくひろく、かぎりなくはてしないものです。一言でつくせば、ただ自利・利他の二つの利益があります。永遠の生命と、そこに生きるよろこびを願いもとめるのが自利です。そして人間苦と執着の迷いから救うのが利他です。むなしく自利を願っても、得ることはできません。いたずらに利他をはかっても、また容易ではありません。必ず福徳と智恵を兼ねて修行し、瞑想と智慧とを並べて修行してこそ、はじめて他の人の苦を救い、自らのさとりをうることができるのです。 

ー中略ー

詩に、次のようにまとめたいと思います。

真理の教えに行くも帰るもない
人に随って真理の教えは去りまた来たる
(それはあたかも)宝が得にくいのに似ている
宝を得たときにさとりの心が開ける
半偈の真理の教えを聞くために身をすら投げて施す
どうしてこの珍しい財宝を論じないでいられよう
ひたすらつとめて経論を書写してきた
この土に請来した経緯も何と悠遠なことであったか
願わくは大いなるこの福徳をもって
国土が安泰で、万民が豊かで幸せになるように
一たびこの密教を開き、一たび見る人は
おしなべてことごとく煩悩から解脱するであろう

  大同元年十月二十二日      入唐学法沙門空海 」

                            真保龍敞訳注「空海コレクション2」ちくま文庫

訳文がいいですね。ぜひ原文もよんでみてください。朝廷に上申したこの「御請来目録」に空海の想いがこめられていますね。ところであなたの守護仏が何であるか興味ある人は見てあげますのでご連絡ください。明日はそのこと(守護仏をかいた「御請来目録」のなかの経典)を書きましょう。
 

参考図書
「空海の風景」 司馬遼太郎著 中公文庫
「空海コレクション2」 宮坂宥勝監修 つくま文庫
「空海の本」 学研




2013年8月26日月曜日

「空海の風景」を読むⅧ-運命と奇跡ー

 おはようございます。
先週は、全国的に天候が不安定で、豪雨による災害、逆に高温と干ばつによる農作物にも被害が及んでいます。地震、津波、竜巻、雷、豪雨のどれひとつにも人間が対処できないことを現代人は思い知れというばかりに自然界は猛威をふるっていると感じるのは私だけでしょうか。

そして、人間が作った原子力発電事故による多大な被害と被災者の痛み、まったく終息の見通しすらたたない福島原発事故、ましてやそれを輸出するという日本政府と財界の対応、官僚システムで作られた東京電力の対応、何ひとつ解決できないのが現実として重くのしかかっています。

聖書では、神は人に地球(生物)を管理することを託したと書いてますが、西欧文明の欠点はそこにあると思っています。人間が自然を征服することなどできないし、山や森、川、海、動物や植物の守ることはできないどころか、人間のエゴのために、どれだけ多くのいのちを奪っていることか。

人間は、最終兵器と言われる原爆をつくり、その実験に広島と長崎におとし、多くのいのちを奪ったそして、今日、中近東では自分達のエゴのための内戦をおこし、自国民に化学兵器を使い、殺戮している。

平和利用という原子力発電に対して、事故回避もできないし、対処もできない。廃棄物処理の解決もなしに運転稼働をしようとしている電力会社の厚顔無恥な態度に憤りを国民は感じている。もし現代に空海さんが生きていたら、どうするでしょうか。

さて空海さんが渡航を許されたことも奇跡に近いし、唐への航海で漂流し、唐に着いたのも奇跡です。その後、目的地長安へ向かうまでのいわゆる地方の知事との折衝もまた奇跡に近いのです。そのあたりの事情と様子を、司馬遼太郎さが「空海の風景」に描いているので読んでいただきたいと思います。


すべて、人知の及ばない出来事が起きているのですが、もっとも奇跡に近い、数奇な運命は、密教
第七祖の恵果阿闍梨にあうことで、このとき、この長安でしか会えないのです。この場面は歴史上、偶然に起きたものではなく、神仏のご加護のもとに時を刻んでいたのです。

恵果阿闍梨は、「われ先に汝が来たることを知りてあい待つこと久し。今日あい見ることはなはだよし、はなはなよし」と言っているのです。約2000人の弟子が居ながら、空海を待っていたのです。そして密教のすべてを空海に伝授するのです。

空海さんもまた、恵果阿闍梨に会う前に、日本いにいたときから中国語を勉強し、長安に着いて般若三蔵から梵語(サンスクリット語)を集中して学ぶのです。空海さんをかきたてたものは、「三教指帰」を書いたときに、人間が作った儒教や道教ではひとを救うことができないと言う確信があったからこそ、ひとを救う道は、仏教(密教)しかないという確信を持っていたのです。

神仏などいないとうそぶく輩がいますが、そういう連中ほど携帯電話に夢中になり、ソマートフォン依存症にかかっています。電波という目に見えないものは信じるが、眼に見えない神仏は信じない。会ったこともない人とメールするが、見えないと言って神仏への祈りはしないのです。

釈迦は菩提樹の下で座禅瞑想して仏陀になりました。イエスはクムラン洞窟で瞑想し、キリストになりました。空海は太龍岳や室戸岬で修行し悟りを得ました。では瞑想とはなにでしょうか。それは神仏を会話するための手段であり、人間の煩悩を断ち切り、無念無想の境地に入ったとき、神仏と同じ境地になるのです。

そして神仏との語らいは、神仏をあがめ、祈ることです。仏教ではそのためにお経を供えるのです。キリスト教では、聖書の御言葉を唱えるのです。大自然も自ら作ったものもコントロールできない人間が祈ることをしなくなったとき、どうなるかその前章がいま現実世界に起きていることではないでしょうか。お墓参りはするが祈らないのは、まさに無知厚顔で荒唐無稽なのです。

神仏はひとりひとりに今世で生きる目的を与えてくれています。静かに座禅し、祈ればおのずと答えは聴こえてきます。












2013年8月23日金曜日

地域活性化の戦略と戦術

 おはようございます。
先日、日田市天ヶ瀬町観光協会に呼ばれ、「天瀬ロングトレイル」のプレゼンテーションをさせていただきました。天瀬ロングトレイルも地域活性化の戦略と手段を使ったものなのですが、地域の活性化も、企業の成長・発展も、また個人の夢の実現も手法として一緒なのです。

先ず、夢を書きだす人たちがいますが、そうではなく、SWOT分析をしていただきたいと思っています。これをしないと単なる夢物語、白昼夢に終わるからです。自分たちの地域の強みと弱み、機会と脅威を書きだすのです。

強いところは何か、弱いものはなにか、チャンスになるものはあるか、損失になるもの、おびやかすものは何かを書きだすのです。ブレーンストーミングもそうですが、人間の脳はコンピュータと一緒で、インプットしていなければ、アウトプットできません。つまりどれだけ学習しているか、情報を得ているか、知識を持っているかで差がつくのです。

SWOT分析をしたら、だいじなことは弱いところを補強しようとする人がいますが、そうではなく強いところをさらに強くするのです。たとえば地域の特産物は何ですか、売れているものは何ですか、人がよく来るところはどこですか、つまりマーケットリサーチすることです。考えてみるとたくさん出てきます。これをブラッシュアップする、もっとよいものに磨きをかけるのです。

すべき目標(戦略)が見えて来ました。たとえば天瀬ロングトレイルは天ケ瀬町を活性化させる、観光客を集客する、旅館の売り上げをあげる、特産物の生産をあげる手段(戦術)なのです。


目標(戦略)を達成するために、経営資源(ヒト、モノ、カネ、データ)を投入するのです。あなたの町(会社)にはどんな人がいますか。あなたのまちの自然や史跡、特産物は何ですか。事業するためにいくらいりますか、ファイナンス(資金調達)はどうしますか。蓄積されたデータを駆使して下さい。また外部情報をキャッチしてください。

見えて来ましたか、目標を設定し、計画を時系列に書き込んでください。最終期限を明確にし、最終成果をありありと描いてください。できましたか。

リーダーはここまでしたら、質問します。あなたは、この目標の実現のために、時間をかけますか、惜しみなく労力を費やしますか、お金を使いますか。最後にそれは本当に人(地域)のためになりますか。これがあなたの強力なモティベーションになるのです。

そしてこの目標を実現するために、あなたはエンスージアズム(魂のこもった熱意)を持続的に発揮してください。持続させるものは、明確なゴールセッティングとモティベーションの四輪駆動車なのです。

稲盛和夫氏流にいえば、アメーバ経営とフィロソフィ(経営哲学)の前輪と後輪なのです。これがわかれば目標を実現します。つまり成功するのです。

黒字の単語がわからない人は、インターネットで調べて勉強して下さい。勉強しない人に夢を語る資格はありません。





2013年8月21日水曜日

映画「遺体 明日への十日間」を観て

 おはようございます。
大分県日田市にある小さな映画館リベルテにて「遺体 明日への十日間」が上映されると聞き、以前から観たかったので早速行って来ました。


ウィキペデイアよりご紹介しますと、

遺体 明日への十日間』(いたい あすへのとおかかん)は、2013年2月23日に公開された日本映画である。
ジャーナリスト石井光太が、2011年3月11日に発生した東日本大震災から十日間、岩手県釜石市遺体安置所で、石井本人が見てきた報道では伝えきれていない現状を、ありのままを綴ったルポルタージュ『遺体 震災、津波の果てに』を実写映像化した作品。作品の収益金は被災地に寄付される予定である[1]

あらすじ
「2011年3月11日。東日本を中心に巨大地震が発生し、東北部に最大40メートルの津波が襲う。
岩手県釜石市も海岸沿いの町が津波に飲まれ、多くの犠牲者が出る。市の民生委員である相葉は身元不明の遺体安置所の痛ましい光景を目の当たりにして、ボランティアとして安置所の運営を切り盛りし始める。
日々送られてくる多くの遺体。終わらない作業に苛立ちと絶望を感じ始める市の職員や自衛隊消防隊員や医者たち。悲しみに沈み、あるいは感情的になる遺族たち。そんな中、相葉は、まるで生きているかのように、一人ひとりの遺体の手を取り、頭を撫で声をかけ、心をこめて職務に没頭する。
やがて相葉の行動は、悲惨な現状に茫然自失となっていた周りの人々に勇気と思いやりを思い出させていく。」


映像に映し出された津波に巻き込まれ亡くなられた方のご遺体が次々と安置所になった学校の体育館に運び込まれて来る光景は、すさまじく、まるで戦場なのです。本当に現場にいた者にしか、苦しみや悲しみ、そしてさまざまな葛藤は、わからないと思いますが、この映画は、絶望と喪失感、そして亡くなられた方の尊厳と日本人の良心を伝えようとしています。

同じ日本国内であっても、現実と非現実には乖離があるのですが、ボランティアやこのような映画を通して、向き合い、悲嘆と苦悩をいかに共有できるかが問われていると思います。ご遺体は死体でないと相葉(西田敏行)が叫んだとき、まさに日本人の死生観、つまり霊が肉体とともに居て、旅立つ霊に言葉をかけることが亡くなられた方と、残された方にとっても慰めでもあるのです。肉体はご遺体なのです。

同時にこのような自然災害などがいつ、どこに起きてもおこしくないくらい、地球は痛んでいるのかも知れません。北部九州大水害でこれまで経験したことがないことが起きたのですから・・・。私たち誰しもが、現実に直面することありえるのです。目をそらずに生きて行かなければなりません。

正直、このブログを書くことも躊躇したのですが、ぜひこの映画を観ていただいて、死を通して、今ある生をどう大切にするか、考え、行動して欲しいと思います。



悲惨な死を遂げた方、残されたご遺族、二度と帰った来ない生と希望、それを背負って生きているご家族の方が東日本各地におられます。復興はまだまだ進んでいません。同胞の苦しみを共有して、私たちひとりひとりが援助できることを考えてアクションを起こしましょう。まずはこの映画を観ることです。

東日本大震災で亡くなられた方のご冥福と被災された方が一刻も早く元気に生活できますようお祈りします。合掌。



 

2013年8月20日火曜日

金美麗さんの講演「日本人としての誇り」を聴いて

 おはようございます。
18日、(社)日田青年会議所創立60周年記念講演会がありました。昭和28年の筑後川大水害で甚大な被害を蒙った日田市を、北九州青年会議所がスポンサーになり、復興支援を含めて、日田青年会議所が全国で51番目に創立されました。

青年会議所(JC)は、少し右寄りの団体に見られがちですが、決してそうではなく、青年の地域ボランティア組織の活動が主であります。日本JCのHPを見ますと、以下のように書いてある通りです。

「1949年、明るい豊かな社会の実現を理想とし、責任感と情熱をもった青年有志による東京青年商工会議所(商工会議所法制定にともない青年会議所と改名)設立から、日本の青年会議所(JC)運動は始まりました。
共に向上し合い、社会に貢献しようという理念のもとに各地に次々と青年会議所が誕生。
1951年には全国的運営の総合調整機関として日本青年会議所(日本JC)が設けられました。
現在、日本全国に青年会議所があり、「修練」「奉仕」「友情」の三つの信条のもと、よりよい社会づくりをめざし、ボランティアや行政改革等の社会的課題に積極的に取り組んでいます。
さらには、国際青年会議所(JCI)のメンバーとして各国の青年会議所と連携し、世界を舞台として、さまざまな活動を展開しています。」

地方の日田は県庁所在地に次ぐ、早い時期に創立できたわけですが、今回、金美麗さんに来ていただいての講演会を楽しみにしていました。ただ、大分県は護憲派も多く、いかに中立的立場とはいえ、金美麗さんの講演「日本人としての誇り」と二部のセミナー「領土領海セミナー」・「自主憲法セミナー」がセットに構成されていましたので、たぶん右寄りにみられるだろうと思っていましたが、講演会は金美麗さんのネームバリューもあり、たくさん市民の皆さんの参加があり、盛況でした。


ある意味では、このようなタイトルを勇気をもって、提起したことは、青年会議所でしかできないことだと思います。それぞれがこの時代にあって、歴史を学習し、世界平和に取り組まなければならないからです。

金美麗さんのはぎれのよい語りは、聴く人をすっきりさせてくれます。同日、18日放送の「たかじんのそこまで言って委員会」をインターネットで観てほしいのですが、私と同じ考え方で構成していたので、びっくりしました。それは、東京裁判を見直し、大阪裁判と名うっての桜井よしこさんの司会での番組でした。

金美麗さんが言いたかったのは、戦後日本人は、大罪を犯したように教育され、日本および日本人としての誇りをなくしている。しかし歴史を直視すると、日本人はウソをつかないし、どこの国でも歴史の中で、光と影を持っている。光から影ををさし引くと、光のほうが多い国は希で、他の西欧に比べても日本は卑下するものは何もないと言っていました。

私たちは、戦後教育で先の大戦を日本が一方的に戦争を起こし、韓国人や中国人を虐殺してきたと教育されてきました。今、先の大戦のいきさつ、従軍慰安婦や南京大虐殺の有無を再調査し、第三国の歴史家と検証する必要があると以前から思っていました。

父は軍人として、満州に配属されていましたので、戦争中のことなど時々聞いていましたし、家の前が酒屋で半島から帰ってきた人達も多く、毎晩かくちをして大声で話していましたが、虐殺や慰安婦のことを聞いたことはありませんでした。

つまり、歴史認識が問題になっているわけですから、第三者調査委員会をつくり調査し、真実を明らかにしてもらってはどうでしょうか。いつまでも盗人や殺人者扱いにされ、自らを卑下する必要なないのです。勇気をもってウソつきはどちらかハッキリすべきです。それをしないとウソが本当になる怖い話なのです。

誰しも戦争は否定し、平和を希求しています。しかし、歴史を観ると、各民族、各国の権力者が、国益と言う名の下に、戦争を起こしているのは事実なのです。今の人間の精神性では、まだ戦争を忌避し、平和を維持することはできてないのが現実です。聖書はそのことを語っています。

それは、人間の底知れぬ欲望、利己主義から来ているからです。確かに欲望は、文明の発達には必要ですが、それで幸せかといわれれば疑問です。貧富の格差は増大し、嫉妬と憎悪が渦まいていることも事実です。

NHKスペシャルで、新富裕層を取り上げていましたが、税金が高いからと自国から出て行き、株や為替で金儲けし、豊かな生活を送ることが勝者というなら、それは常に貧困と飢餓にうちひしがられたひとびとの犠牲の上に成り立っていることを自覚しなければ真の豊かさではないのです。今風にいえば、ウィンウィンの関係でなければなりません。

日本という四季折々の自然豊かな国土、日本の歴史の始まり、神道と仏教の融合から生まれた精神風土、勤勉な国民性、父母兄弟を大事にする人間性など日本人は胸を張って生きるべきだし、戦争に至った歴史は反省し、二度とこのようなことがないような国にしなければなりません。


いじめが問題になっていますが、今ほど陰湿ではないですが、50年前もいじめはありました。普通の子が普通の子にするのですよ。その経験があります。そのとき私は腕力を強くし、頭を良くしようとしました。すると私へのいじめはなくなりました。

確かに人間はいいものもたくさん持っていますが、悪に走る性質も持っていることは事実なのです。それは人間の道徳心だけではコントロールすることはできないのです。だからこそ、神仏がともにいて守ってくれると私は思っています。国家になると歯止めが聞かなくなります。

先の大戦でしてはいけないことは、特攻隊なるものをつくり、前途有望な若者たちのいのちを奪ったことです。それとアメリカは降伏まちかな日本に対して、広島と長崎に原爆を落とし、東京大空襲によって、非戦闘員である国民を殺戮したことです。

アメリカ人も、中国人も、韓国人も、ひとりひとりの方は本当にいい方がたくさんおられますが、それぞれの国家政府は違うことを肝に銘じておかなければなりません。中国が、チベットを占領し、今、ブータンの一部を軍事的に制圧をしていますし、南シナ海の島も同様なことが起きています。

例えば、尖閣諸島が占領され、次に沖縄、あるいは同盟国である台湾(私はそう思っています。)に人民解放軍が押し寄せてきたとき、見て見ぬふりをして、平和主義者づらして傍観していますか、それとも、正義を貫き戦いますか。東日本大震災のとき、台湾の方々は約200億円の義援金を送ってくれました。これは他の国々の総額より多いのです。

実は世界史は、正義を貫き、戦う姿勢がある限り、戦争は起きないのです。国家的なイジメが戦争です。今後局地戦やテロ攻撃が以前にもまして増えてくるでしょう。そう思いませんか。みずからは自らが守る。友達もまた共に守る姿勢が平和には必要なのです。核ミサイルを100%撃ち落とす能力をもてば、核兵器の必要はなくなります。

日本人として、凛と生きるには、まず早朝座禅をし、世界平和を祈ることから始めませんか。

2013年8月19日月曜日

「終戦のエンペラー」を観て

 おはようございます。
8月15日の終戦記念日に以前から観に行きたかった「終戦のエンペラー」を見ました。昭和天皇の戦争責任の有無をテーマにしたのでしょうが、一面として、戦勝国と敗戦国の立場が微妙に表現されていたと思います。

ウキペディアによるあらすじは
「1945年8月30日、GHQ最高司令官ダグラス・マッカーサー(ジョーンズ)が日本に上陸し、アメリカによる本格的な日本統治が始まる。マッカーサーは戦争犯罪人の一斉検挙とその戦争犯罪を裁くため、活動を開始するが、皇室、特に天皇(片岡)に対する戦争犯罪の有無の立証と、天皇が逮捕・処刑された際の、日本国民への影響を考慮していた。
マッカーサーの命を受け、知日家のフェラーズ准将(フォックス)は調査を開始するが、彼自身も開戦前、大学時代に知り合った、かつての恋人あや(初音)の安否を気に掛けていた。10日間という短い制約時間の中でフェラーズは、東条(火野)、近衛(中村)、木戸(伊武)、関屋(夏八木)ら容疑者、関係者から聴取を行い、開戦に至る隠された真実と終戦における天皇の役割を暴いていくが、天皇が戦争に関与していない証拠を得ることができない。
天皇への戦犯容疑を晴らしたいフェラーズだが、具体的証拠の無いまま最終調査報告書をマッカーサーに提出する。やがて、調査書を読んだマッカーサーは、天皇の人物像を見定めようと、フェラーズに天皇との面会を設定するよう命じる。」


人類の歴史の中でどれだけの戦争が行われ、いや今も世界各地で起こり、尊いいのちがうしなわれています。幕末の内戦のとき、「勝てば官軍、負ければ賊軍」と言う言葉あったそうですが、戦争とはそういうものだと思います。「八重の桜」で白虎隊の自死を観て多くの方が涙したと思います。

昭和天皇はマッカーサーに会ったとき、すべての責任は自分にあり、国民にはない旨を述べるのですが、死を覚悟していたと思われます。同時に日本の復興への祈りも欠かさなかったのです。アメリカ政府は、この映画でもわかる通り、天皇を戦争犯罪者として処刑し、天皇制を破棄する思惑があったのです。

世界は少しづつ、自由と平等の価値観を有するようになってきていますが、歴史のひとこま一コマを見ると、西欧世界(白人)の優位性が植民地をつくり、有色人種を搾取し、迫害してきた事実は歴然としてあるのです。

先の大戦、日本でいう大東亜戦争、アメリカでいう太平洋戦争は、アメリカの国益にとって許し難い日本の台頭であり、戦略的に計算された戦争であったことは事実であり、日本は明治以来軍部の権力による軍国主義的傾向はゆがめない事実なのです。もっとひどいのはソ連です。

戦争を美化してはいけません。戦争は人間を狂わせ、人々を地獄におとしめるのです。広島、長崎への原爆投下によって、先の大戦が終結したので、止むをえなかったと発言した牧師さんがいましたが、人間は特に、キリスト教国アメリカでも、国家権力はしてはいけないことをするのです。

東京大空襲もしかり、あるいは、ベトナム戦争でのナパーム弾爆撃のすさまじさは、戦争を知らない日本のおじさんたちもTVで観たと思います。戦争とは殺戮なのです。今日においても局地戦、テロ攻撃でよって、罪のない民間人、日本の同胞もいのちを奪われている現実を直視すれば、人間は、戦争を起こすものと認識すれば理想的な平和主義ばかりでは真の平和は訪れないのです。

日本という世界でもっとも安全で豊かな国境のない国にいると、身の危険も感じないし、今豊かに生きていることは、世界の多くの人の犠牲の上に生きていることなど考えもしないのです。税金が高いからといい、他国に移住し、金儲けに奔走する富裕層がいるが、疑問に思うのは私だけでしょうか。

アメリカの戦後処理の問題は、日本をアメリカの国益に沿う属国にすることであったと思います。アメリカの目的は日本という国、および日本人が二度と西欧世界に立ち向かわなくすることであったのです。そのために多くの宣教師を送り込み、キリスト教の普及にも努めました。

しかし、日本は世界第二位の経済大国になり、キリスト教国にもなりませんでした。それは西欧諸国にとって脅威でした。しかし、西欧諸国にとって国益に適うものは、サミットにもよんでくれるのです。しかし、サミットの首脳が写真を撮る時、日本の首相に違和感がありませんか。黄色人種は一人だけなのです。

話は飛びますが、これからの国際社会で、英語をしゃべれない人が国会議員や大臣、まちがっても首相などなっては世界では通用しないのです。(国会議員立候補者は資格試験をしてはどうでしょうか。)ボーダーレス社会、グローバルな世界の中で、英語はしゃべれない、キリスト教もイスラム教の基礎知識も知らない、ましてやあなたの宗教はと、問われても答えられないようではお話しならないです。

しかし現実は多くの日本人が世界各地で活躍しています。日本国内のみならず同胞のいのちを守る決意はできていますか。自衛隊員だった人は予備役兵として、退職してもいざといううときに徴兵されることをご存知ですか。もう若者に銃を持たせてはなりません。60歳以上の退職者は、自衛隊の訓練を受けるようにしてはどうでしょうか。

この「終戦のエンペラー」は、ぜひ観ておくべき映画であることは間違いありません。そして日本人が戦後しておくべきだった日本人による先の大戦の総括をすべきではないでしょうか。いかなることがあっても特攻隊など作ってはいけません。何よりも戦争で亡くなられた方の御霊を静かにご供養すべきではないでしょうか。平和に感謝し、世界平和を希求し、祈るべきです。

明日は、昨日、金美麗さんの講演「日本人として誇り」を聴き、自主憲法セミナーに参加しましたので感想を書きます。








2013年8月13日火曜日

「空海の風景」を読むⅦ-成功の秘訣ー

 おはようございます。
昨日、空海と最澄は嵐に生き残る運命(さだめ)と書きましたが、荒れ狂う暴風雨のなか、遣唐使船内で、どうしていたのでしょうか。最澄さんは、共の者をそばにおいて、うろたえることなく澄ました顔をして、妙法蓮華経観世音普門品を唱えていたのでしょうか。

空海さんの様子を司馬遼太郎さんは、「空海の風景」で、

「船中の僧という僧は二六時中経をよみ、仏天に祈っているというのが遣唐使航海の常であったために、空海もそのひとりとして経をあげていたであろうか。それとも空海だけはその看経のむれにはまじらず、片すみで黙然と、岩にでも成ったようにうずくまっていたであろうか。かれはすでに奇跡の体験者であった。かって土佐の室戸岬の岩窟のなかで明星が近づき、口の中に入るという奇妙な体験をしたことが、空海をして存在としての自分の認識を変えしめた。かれは宇宙の意思がじかに、そして、垂直に突きささっているということを、さりげない日常のなかにも感ずることができたであろう。ましてこの危難のなかで感じなかったはずはない。かれは、船体が叫喚するがごとくに軋み、ときに真二つに割れそうになる瞬間も、平然とその一念のなかにいたかと思われる。」と描写しています。

「空海の感覚世界からすれば、船倉の中で悲鳴をあげるひとびとも、生きたそらなく萎え沈んでいる官人たちも、空海がいるがために結局は無事に着くという、この宇宙そのもののように平明な大事実が知らないということで、度しがたく無知なひとであると思われた。まして感応するはずもない経を声高に、物狂いして読んでいる僧たちのおろかしさはどうであろう。」

「ふりかえっておもえば、空海は、思想性をたかだかと保ちつつ、しかもときに宇宙の胎内に入りうるという宗教的人格を以ていたという点で、この国のながい歴史のなかで唯一の人物であったと言えるかもしれない。」  ー「空海の風景」(中公文庫)ーより

司馬遼太郎さんの洞察力は、読書力と仏教という宗教を自らの思想性と対峙させながら思考していくことから生れてくるものだと、私は感じるのですが、読者諸氏はどうですか。

第一艘は三七日間も漂流するのですが、空海は、必ず中国につくという確信は持っていたが、それは、真言を通して、天仏(神仏)と語っていたと思うのです。あの室戸岬での虚空蔵求悶持法を体得し、宇宙と一体になり、大自然はその一部であり、暴風雨は自らの配下になさしめている人物が誕生するのです。

空海が悟りをひらいた御厨人窟(室戸岬)


その真言とは、「なうぼう、あきやしや、きゃらばや、おん、ありきやまりぼり、そわか」です。真言や陀羅尼はサンスクリット語いわゆる古代語ですが、神仏の言葉と言われています。この真言に力があるのですが、これは体験したものにしかわからないのです。ほとんどの現代人が失っている言語と祈りなのです。

キリスト教プロテスタントのペンテコスタント(聖霊派)は、異言(神の言葉)で祈ります。このグループは神癒を行い、アメリカのグループは自然災害をも防止してきました。韓国のペンテコストも同様のことを行います。実は空海さんは、長安でキリスト教にも接触したらしいのです。

この遣唐使船での修行こそ、空海を遍照金剛たらしめる絶好の機会だったのでないでしょうか。「空海の風景」を読んでいると、空海とこれを書いた司馬さんの恐ろしさを感じるのです。

四国八八ヶ所第二四番札所最御崎寺(室戸岬にたつ寺です。)

ところで、辛坊治郎さんがヨットでの太平洋横断を試み、失敗しましたが、彼がなぜ太平洋横断をするのか、あれだけ論理的な人ですが、聞いていてもよくわからないのです。あの企画は二四時間TVの企画だったとの話が出ています。

「夢は実現する」と安易に言う人たちがいますが、私利私欲から出た夢は実現しません。最終的に人のためになる、世のためになる夢しか実現しないのです。それは「成功の秘訣」として、聖書や仏典に記されているのです。神仏と一体となること、神仏に祈りを捧げることが最強の「成功の秘訣」なのです。

※14日より18日まで、お盆休暇のため、ブログはお休みします。




2013年8月12日月曜日

「空海の風景」を読むⅥ-不思議なさだめー

 おはようございます。
私のブログの読者に、暑中お見舞いと感謝を申し上げます。なぜか最近、毎日たくさんのアクセスがあり、お盆休暇でもと思ったのですが、心を入れ替えて書いています。アクセスが一番多かったのが、天ヶ瀬ロングトレイルシリーズですが、瞬間台風は湯布院山荘無量塔でした。そして、地道に安定してアクセスがあるのが仏教関係のシリーズです。

さて司馬遼太郎さんの「空海の風景」を読んでいて、読み返す場面がありますが、まさに風景描写が目に浮かんで来ますね。空海は、密教の真髄を得ようと、唐への渡航の決意をし、機会をうかがっていた様ですね。考えれば一介の私度僧が留学生に選ばれると言うことはないと思われるので叔父さんの儒学者阿刀大足の尽力と、佐伯一族の留学資金援助があったと思われます。

四国88ヶ所第十四番札所常楽寺、自然が生み出した流水岩の境内です。東京からの若いお遍路さん(OL)にお会いしましたが、信仰心のある若者がいる限り、日本はまだまだ大丈夫です。

「空海の風景」を読んでいただいて、じっくりその風景描写を楽しんでいただきたいのですが、私が不思議に思っているのが、実はこの時の遣唐使船団は4艘で、第二艘には、比叡山延暦寺を創建した最澄さんが乗っていたのです。

空海さんは第一艘、最澄さんは第二艘、そいて第三艘、第四艘と、那の津を出港するのです。司馬さんは書いていませんが、ふたりとの大分県の宇佐神宮に参り、旅の無事を祈願していますので、実はここで二人は顔をあわしているかもしれませんね。

当時の遣唐使船が無事に中国にたどり着く確率は50%くらいだったそうですので、まさにいのちがけです。那の津を出て、いまでいう台風にあうのでしょうが、船団はばらばら、第三艘と第四艘は行方不明、第二艘はなんとか目的地に着き、第一艘は漂流しますが、中国に着きます。

もし、最澄さんと空海さんがここで海の藻屑と化していたら、日本の仏教はどうなったでしょうか。もっといえば日本国はどうなったでしょうか。ふとそう思うと私はこの不思議さを感じながら「空海の風景」を読んでいました。

歴史を振り返ると、その人に匹敵するほかの人が出てきたでしょうと言う人がいますが、わたしは違うと思います。歴史の中で、その時代にふさわしい人を宇宙は産んでくれていると思います。もし最澄さんと空海さんが、第三艘と第四艘に乗っていたら、その船が中国にたどりついたと思います。

最澄さんと空海さんが渡航の無事を祈願した宇佐神宮です。

私たちは最澄さんや空海さんにはなれませんが、神仏は一人ひとりにいのちと生きる目的を与えてくださっているのです。生きることに迷ったら、静かに座禅を組み、瞑想し、祈ってみませんか。必ず聞こえてきます。

仏教では縁起といいますが、その時代に必要な人を神仏は送り、因果応報に沿って、歴史は展開しているのです。偶然何かが起こるのではなく、必然的に起きているのです。天変地異も異常気象もそうなのです。そして神仏はそれを変えることができることを昔の人は知っていたから、祈ったのです。

歴史は、神仏に祈ることをわすれた民族が生き残れないことを物語っています。いわゆる罪のない人達のいのちが失われるのは、代受苦と言って、本来私たちが受ける苦しみを、他の人が受けてくださっているのです。温暖化の問題は、私たち全員の責任でしょう。原子力発電事故の問題は、私たち全員の責任でしょう。

あなたは太陽発電を自宅につけましたか、エコ給湯にしましたか、エココンをこまめに調節していますか。私たちが享受しているツケは必ずいつかどこかで出てくるし、世界のどこかであなたが残す食べ物も食べられずに死んでいく子供たちが年間250万人もいるのですよ。40℃越えたら、たまらないなんて言ったら申し訳ないとおもうこの頃です。小生はエアコンを使いません。

まずは、世界の平和のために祈りましょう。ご先祖様を供養し祈りましょう。ほかの人が健康であるように祈りましょう。そして私たちから災難を取り去ってくださるように祈りましょう。祈りを生活のなかに取り戻しましょう。何教とか、何宗とか関係ありません。祈りはすべてのひとに与えられています。感謝です。

2013年8月9日金曜日

「空海の風景」を読むⅤ-密教への道ー

 おはようございます。
司馬遼太郎さんの小説は、時代背景が浮かびあって、主人公の本質がえぐり出されていくところがありますね。その時代の寵児たちを描いているので、時代考証もしっかりしていると感心します。この「空海の風景」は、巨人が巨人を描いた感があります。

さて、読み進めていくと、空海は、自らの進路を決断するために、儒教、道教、仏教の違いと、仏教の優位性を「三教指帰」に著したのですが、20歳前後から仏典を読み漁り、24歳で大乗仏教が何たるかを十分に理解したと「三教指帰」でわかります。凄いですね。

しかし、空海は満足しなかった。なぜなら仏典(経典)で理解することが、仏教ではなく、生身のからだと魂で感じ取るものと思っていたからです。そして31歳になるまでの6年間、また山岳修行に明け暮れていたことでしょう。この時期は行方不明らしいです。


大乗仏教の顕教ではあきたらず、当時、部分的に入ってきていた雑密と言われる密教をいわゆる山伏など修験者から学んでいたのでしょう。ある時、密教の経典は、「大日経」で奈良の久米寺にあると告げられます。「空海の風景」はこのように語っています。

勤操らしい人物がもらしたというのは、要するに『大日経』と、その所在についてである。すでにインドにあっては雑密世界を超越して『大日経』とあたらしい密教的世界把握が成立しているということを空海は知らなかった。しかもその経典は日本に来ているという。空海のこの発見は、日本の思想が、もしくは東洋の思想史にとって、ふりかえっていえば驚天動地の事態であるといえるかもしれない。なざならば純粋密教というのは、空海がそれを確立したもの以外はその後ほどなくインドでも中国でも消え、チベットではすぐさま変質し、いまではどこにいってもいないからである。空海の思想のみが遺った。
『大日経』七巻三十六章は、すでにインド僧の手で唐の長安にももたらされ、その漢訳が完成してわずか五年後の七三〇年に日本につたわっていることをおもうと、この当時の東アジアにおける交通の活発さに目をみはらざるをえない。何者がこの未見の経典をもたらし来ったかについてはいまとなればよくわからない。・・・・・

密教という言葉の響きは、なにかしら超能力的な力を教えているように聞こえるが、ただそうではなく宇宙の原理を説いたものであります。

『大日経』正式には「大毘廬遮那経」と言われ、「宇宙の根本仏である大日如来が、自ら悟りの智慧を菩薩たちに語っているもので、悟りとは、あるがままの自らの心を知ることであり、そのためには、悟りを求めて努力すこと菩薩行はもちろん、すべての者を救済しようとする慈悲の心が不可欠であり、他者のためにつくさなければならないと説く。」「図解雑学空海」より

しかし空海もまた、この大日経を理解し、会得することはできなかった。だからこそ唐(中国)に渡り、直接、その師より教授してもらうよりなかったのであります。ここに強い願望と、使命があったのです。
四国88ヶ所巡礼のお遍路さん

司馬遼太郎さんは、若き空海が、肉体からくる情欲とのたたかい、いかに性欲をコントロールするかなど、なまなましく描写しています。親鸞もまた同様の苦渋を味あい、克服していったのです。大日如来には手が届かない(なれない)が、やはり空海や親鸞をめざすべきでないでしょうか。

以前、クリスチャンの人で、イエスキリストが目標ですと言った方がいましたが、宗派はともかくとして、生身の肉体を持って、真理に到達した先人・哲人・宗祖を目標として精進すべきだと思います。
まだ読んでない人は「空海の風景」を一緒に読んで行き、私のブログへコメントして下さい。それでは、来週またお会いしましょう。

参考図書
「空海の風景」  司馬遼太郎著  中公文庫
「図解雑学空海」 頼富本宏監修  ナツメ社
「空海入門」    加藤精一著   角川文庫
「密教経典」    宮坂宥勝訳注  講談社学術文庫

2013年8月8日木曜日

天ヶ瀬ロングトレイルを歩くⅡー顕徳坊尊ー

 おはようございます。
昨日は、大分県日田市天ヶ瀬町の方々と、天ヶ瀬ロングトレイルの部分コース=オルレとして、顕徳坊尊への道を歩きました。7時に市営駐車場に集合し、天ヶ瀬駅前を通り、新湯山橋を渡り、田代方面登って行きます。湯山橋から見ると、天ケ瀬温泉旅館街に朝日がさしています。

市営駐車場から見た新湯山橋

久大線天ヶ瀬駅のお地蔵さんと駅長さんです。
 
今回は調査をかねていますので、湯山から田代に抜ける旧道にはいりました。昨年の水害から現在通行止めになっていますが、早急に補修すれば問題はありません。森林浴をしながら登って行きますと田代地区に入ります。素朴な田園風景で癒されます。

田代地区を歩く日隈さんと森山さんです。
 
路傍の花

できるだけ、車道などは通らすに行ける道がわかりました。舗装していない道も探してみようと思います。

顕徳坊尊に着き記念撮影です。日隈さん、森山さん、小関さんです。
顕徳坊尊の参道です。
 
顕徳坊尊のお社

ところで、顕徳坊尊は、江戸時代後期、山形の修行僧があった無冠の僧が、この湯山にたどり着き、山形を慕い、病気で亡くなったそうです。恐らく村人たちは、病気の顕徳坊を昼夜、看病したことと思います。昔から、天ヶ瀬町の人たちは、信仰が厚かったので、神社や寺院も多く残っています。

恐らく、いつもみほとけを仰ぎ、信仰し、仏法を信じて、教えを守り、僧(ひじり)をあがめていたからこそ、山形の僧が来た時も、お坊さんを大事にする慣習があり、手厚くもてなしたと思われるのです。山形がみえる湯山に塚を立て、供養したのです。

すると、村人に災難がなくなり、病気が癒されたとのことですが、唯物主義に侵された現代人は伝説みたいにしか思っていないようですが、人は死んで無になるのでなく、その霊魂は生きて、現世の人を救ってくれるのです。

顕徳坊尊の社におまいりをし、般若心経を読経したとき、この地は霊験あらたなるところだなと感じました。社の裏に顕徳坊尊の塚があります。合掌。


そのうらの細道をいくと、展望台があります。360度のパノラマで、南東に九重連山、南に釈迦岳、西に日田市内から筑後平野まで見え、北に一尺三寸山(みおうやま)、月出山(かんとうざん)が見えます。天ヶ瀬駅から約5キロのところです。

顕徳坊尊への1217段の階段です。
天ヶ瀬旅館街が見えて来ました。

くだりは、1217段の階段を森の空気を吸いながら下って行きます。ここも早急に草刈と補修すれば、問題はありません。いい階段ですよ。天ヶ瀬温泉街が見えて来ました。天ヶ瀬発電所の裏でに出ます。この発電の建物がレトロでいいですね。



往復約10キロのコースです。いかかですか、歩いてみたいでしょう。補修工事をしますので、少々お待ちください。



2013年8月6日火曜日

湯布院山荘無量塔ー友を偲ぶー

 おはようございます。
おととい、湯布院塚原でのウォーキングを終え、無量塔(むらた)の奥様(社長)にお会いするお約束をしていたので、久しぶりに山荘無量塔に立ち寄りました。


奥様とのお話のなかで、さまざまな思い出がよみがえって来ました。創業者の藤林晃司氏は、日田市で「あかもん」という喫茶店を開いたのですが、当時の喫茶店の中では、店内内装を重厚にし、彼の好きなクラシックしかかけない徹底ぶりで、彼がコーヒーをいれるとき様は、芸術的でした。

それから数年たち、これからどこが伸びるだろうかと相談を受けたので、私は湯布院だと思うと助言したら、彼は数か月のうちに湯布院への移転を決めました。

藤林語録そのいち
「ひと(女性)で左右する商売は、ひとでふりまされる。ひとではなく、ひとに左右されないもの(施設)をつくれば、成功する」

無量塔の最初の店は、金鱗湖の近くの普通の家という雰囲気でしたが、それから喫茶ルームと地鶏の炭火焼き料理の併設の古民家風の店が爆発的に評判になり繁盛しました。


なぜ、藤林氏は、「無量塔」(むらた)という店名にしたのか、いつも聞きそびれていたが、あるいは話したかもしれないが、無量とは、仏教の無量寿(むりょうじゅ)、無量光(むりょうこう)である阿弥陀仏信仰から来た言葉であります。

日田市城町に慈眼山永興寺(じげんざんようこうじ)という寺があり、ここは浄土宗の古刹で、国指定重要文化財である十一面観音立像が保存されています。ここと親戚筋でしたので、子供の頃から仏教に慣れ親しんでいたのだと思います。彼から何度か耶馬渓の羅漢寺を見にいこうやと誘われたことがありました。

彼の芸術的感性は、このような寺院などの伝統的な建物や庭を見ることで養われてきたのかもしれません。そして、現在の山荘無量塔をつくるのですが、1980年代はまだこの湯布院川上地区は閑散としていて、空想の森美術館ができたころでした。


藤林語録そのに
「にんげんはうえへ向かう。建物も高い建物をつくるし、このような自然環境も山を目指すし、ひとびとはうえにやって来る」

彼の挑戦は、古民家をいかした、旅荘をつくることが、彼の芸術的感性の集大成であったかもしれません。森のなかにあるひとつ、ひとつの建物、内装、調度品は芸術なのです。しかし彼には芸術家ありながら、商売人の完成も持ち合わせていました。

藤林語録そのさん
「湯布院でコストリーダーにならなければいいものを提供できない。湯布院の値段は無量塔が決める」と話していました。


無量塔の成功の秘訣は、ディズニーランド方式で、お客様があきないように、アルテジオ(クラッシクの美術館)をつくったり、ロールケーキの店Be speakをつくったり、藁麦の店をつくったりと、山荘無量塔のなかの数々の施設そのものが藤林ワールドなのです。いつも話題性を提供してきた。別府湾SAのレストランもそうだと思います。

商売成功の秘訣は、お客様がリピートするようにアトラクションを開発することだ。事業は関連したものを行うということだと、ご自宅で奥様とお話し、友を偲び、湯布院をあとにしました。(施設内の詳細は、山荘無量塔のHPをご覧になってください。)明日は天ヶ瀬町顕徳坊尊登頂のためお休みです。




2013年8月5日月曜日

湯布院塚原高原を歩く

 おはようございます。
昨日は、大分県ウォーキング協会主催のおおいた遺産ウォーキング由布市大会「日本で最も美しい村塚原高原ウォーク」10Kコースに参加しましたので、レポートします。

8時には現地に着き、眺める由布岳は、塚原側からは由布市内から反対側(北側)になるので、いささか威容がないようにあります。豪雨で山が崩れています。山の天気は、早朝は晴天ですが、これが雨に変わるのです。

9時には塚原小学校に約300人ほどウォーカーが集まり、開会式と体操をします。ウォーキング協会のストレッチ体操がいいですね。


出発です。ワンちゃんを5匹もつれてきている人がいましたが、どのようにして歩くのでしょうかね。

硫黄山伽藍岳塚原温泉を目指します。すこし雨が降って来そうです。でもウォーカーは準備万端。傘とカッパを持参しています。

塚原温泉の到着し、休憩。お茶ときゅうりをいただきました。


下りは、塚原高原がよく見えます。昔、鬼が神様から言われ99の塚をつくったとのことです。

霧島神社にて、全員の無事を感謝。ここは水がきれいです。飲めます。

塚原塚原小学校に到着後、ウォーキング後の体操をし、体をほぐし、解散です。約2時間半の工程でした。

ウォーキングとトレッキングの違いをウキペディアで調べてみました。

「運動の一種と考えてウォーキングをする場合が多く、普通の散歩とは意識の点で異なる。歩く距離、歩数、時間などを計り、運動量や消費カロリーを定量的に知り管理することにより、健康の維持や増進に役立てている。ウォーキングに適した服装や靴を準備して、適切な姿勢で歩く。20世紀後半以降、健康に対する関心が高まる中、生活習慣病などの予防や対策のための手軽な運動としてウォーキングは推奨されている。」

トレッキング(英語:trekking)は、歩きのこと。登頂を目指すことを主な目的としている登山に対し、トレッキングは特に山頂にはこだわらず、山の中を歩くことを目的としている言葉。ただし、結果的に行動の過程で、山頂を通過することもある。 ニュージーランドでは、トランピング(tramping)と呼ばれている。

ロングトレイルやオルレについて日本ロングトレイル協会の趣意文によりますと

「健康と自然志向のライフスタイルへの関心が高まるなかで、
「自然、環境、旅、健康、学び」などのニーズは、「歩く」から、さらに「歩く旅」へと進化しています。
また、2011年は、国連の定める「国際森林年」でもあり、
「森を歩く」を鍵にした「歩く旅」についても関心が寄せられているところです。
全国各地にこの「歩く旅」の受け皿ともなるロングトレイルの整備や計画が進んでいます。
 これらのロングトレイルは、自然環境の適正利用による観光活性化が目標の一つであり、
地域社会に大きく貢献しようとしています。
しかしながら、欧米に見られる「歩く旅」を想定したロングトレイルについては、
国民的な理解やトレイルを整備、発展させるためのシステムや人材がまだまだ未成熟であります。」

久ぶりにウォーキング大会に参加して、気分が爽快です。感謝でした。これはこれでいいのですが、やはり歩くのみではなく、ゆっくり、自然を眺め、史跡を観て、楽しみながら歩く日本流ロングトレイル・オルレの方が性にあうかなと感じました。皆さんも全国のウォーキング協会を調べ大会に参加し、健康増進を計ってください。

2013年8月2日金曜日

「空海の風景」を読むⅣ-三教指帰ー

 おはようございます。
真魚が大学を中退して、仏道にはげむことになったことで、叔父のいわゆる大学教授の阿刀大足は、父である佐伯直田公から真魚を預かっているわけですから、大変頭を痛めた様子が、「空海の風景」のなかで、司馬遼太郎さんが書いていますが、この辺の描写がうまいですね。

親戚筋の政府のお役人である佐伯今毛人も当然、僧になどなることに絶対反対、地方豪族である両親は、兄二人をなくし、真魚は跡継ぎだし、うろたえたことでしょう。真魚自身もいわゆる行方不明状態ではなく、奈良の寺院で仏法を学び、吉野や熊野、そして四国など一応、行く先は言って修行にいったであろうことが推察されます。

四国お遍路中の筆者、第32番札所禅師峰寺前にて、3月でしたが四国は寒いですよ。

なぜなら、「三教指帰」を読んでいて、いかに両親に考につくさなけらばと思いが出ているからです。また、叔父への不忠も許されないと思ってはいるわけです。おそらく直接言えないので、「三教指帰」を書いて、これを渡したのではないでしょうか。

脱線しますが、佐伯家の三兄弟が存命していたらどのような展開になっていたでしょうか。おそらく真魚は無難に僧への道を進むことができたかもしれませんね。昨日、ボクシングの亀田三兄弟の三男和毅がチャンピオン戦に勝ち、三人とも世界チャンピオンになりましたが、なにやかや言っても、凄いですよね。亀田家の父と子の絆の強さに、驚嘆するのは私だけでしょうか。

ところで、「三教指帰」に何がかいてあるのか、「空海の風景」を読めば、おおまかにわかると思います。三つの教え、つまり儒教、道教、仏教の教えを戯曲で構成し、叔父さんや両親に弁明したのであるが、20歳前後でよく勉強しているし、文章が淡麗ですよね。詳しく読みたい方には、加藤純隆・加藤精一訳の空海「三教指帰」(角川文庫)をお薦めします。現代訳と原文がついている読みやすい本です。

「三教指帰」の最後に、「十韻の詩」を書いています。原文を載せますのでじっくり味あってみてください。

「居諸冥夜を破り、三教痴心をかかぐ。
性欲に多種あれば、医王薬鍼を異にす。
綱・j常は孔によって述ぶ。受け習うて槐輪林に入る。
変転はたんこうの授け、依り伝えて道観に臨む。
金仙一乗の法は、義益最も幽深なり。
自他兼ねて利済す、誰れか獣と禽とを忘れん。
春の花は枝の下に落ち、秋の露は葉の前に沈む。
逝水、住まること能わず、廻風、幾たびか音を吐く。
六塵は能く溺るるの海、四徳は帰する所の岑なり。
己に三界の縛なることを知んね。何ぞえいしんを捨てざらん。」

こうして、「三教指帰」を書いて決意をし、仏道修行に励むのですが、31歳まで大和から四国の山野を駆け巡ったことでしょう。「大日経」との出会いと密教を学ぶために唐へと渡航する風景もいいですよ。来週続きを書きます。

参考図書
「空海の風景」 司馬遼太郎著 中公文庫
「三教指帰」 加藤純隆・加藤精一訳 角川文庫



2013年8月1日木曜日

「空海の風景」を読むⅢ-司馬遼太郎の洞察力ー

 おはようございます。
司馬遼太郎さんが、空海という巨人を題材にして、なぜ、このノンフィクションを書いたか疑問に持ちながら、読んでいますが、人間空海を抉り出す洞察力に感嘆する箇所がいくつも出てきます。大学をやめ、というより儒教でなく、仏教を選んだ空海の進路には多難な壁が立ちふさがっているからです。

おそらく、華厳経や法華経、維摩経など飛鳥から奈良時代に伝わってきた仏典を読み漁っていたのではないかと思います。司馬さんが言うように20歳前後の青年にのしかかる性欲という煩悩の火から逃れられない自分を忌避しながら、仏道を求めて行ったに違いありません。この辺の観察力というか洞察力に感心しながら、楽しみながらこの本を読むのもいいものです。

但し、題材が宗教の本質に迫ろうとしているので重いかもしれませんが、仏教や真言密教の入門書として読んでもいいかなと思います。
島根県太瀧嶽にいたであろう狼たち、空海はここで修行したのです。

さて、青年空海はまだ佐伯真魚という名でしょうが、仏道への一歩を踏み出してしばらくしたのち、一沙門に会い、『「学生よ。お前がそこまで仏法のことに熱心ならいい工夫を教えてやろう」と、一沙門は、この儒生に万巻の経典をたちまち暗誦できるという秘術を教えたのである。』

これが「虚空蔵求聞持法」という秘法なのですが、中野東禅先生の「仏さま白書」(四季社)によりますと、虚空蔵菩薩は梵名を「アーカーシャ・ガルバ」といい、虚空のように広大で、尽きることのない智恵と福徳を生み出し、衆生を包むという意味です。つまりすべての人に分け隔てなく智恵を施す仏です。それはどんな罪深い人も見捨てないという徳をもちます。そこから智恵を授かる信仰がさかんになりました。とくに「求聞持法」という修法で、虚空蔵菩薩の名を五十日ないし百日の間に百万回唱えると、記憶力が増進すると言う信仰で、そうした智恵を「自然智」といい、文殊菩薩の智慧と違う智恵です。

「空海の風景」のなかでも詳しく書いているが、司馬遼太郎さんは「虚空蔵求聞持法」についてもよく調べているなと感心します。空海は、奈良大和の山々で修行したでありましょうが、自らの最初の著作「三教指帰」「阿国大滝嶽にのぼりよち 土州室戸崎に勤念す」と書いてあります。

阿国大滝嶽は、徳島県阿南市加茂町の険しい山です。現在山頂に二一番札所太龍寺があります。空海が座禅している姿です。

土州室戸崎とは、高知県室戸市室戸岬で、御厨人(みくろど)窟で修行したのです。

ここで、「虚空蔵求聞持法」を修法するのです。朝晩、虚空蔵菩薩の真言である「のうぼう あきゃしゃ きゃらばや おん ありきゃ まりぼり そわか」と100万回唱えるのです。意味は違いますが、たとえば日蓮宗の「南無妙法蓮華経」という題目を唱えることや浄土宗や真宗の「南無阿弥陀仏」という念仏を唱えることも似ていますが、百日間100万回唱えるとなると並大抵ではできません。

この結果、真魚は、明け方、「明星来影す」と書いているように、明けの明星が口の中に飛び込んでくる神秘的体験をするのです。空と海が一体になる空海が誕生するのです。このとき、理屈ではなく、仏法こそ、宇宙の真理であることの確信をつかんだのです。

御厨人(みくろど)窟の中から見ると太平洋が見えます。

「吹く風を止められないように、自分の出家をだれが止められようか」と語り、自分自身と両親に対して日本最初の戯曲と言われた「三教指帰」を書くのです。明日はそのことを「空海の風景」を読みながら書きましょう。乞うご期待。

参考図書
「空海の風景」 司馬遼太郎著 中公文庫
「仏さま白書」 中野東禅著 四季社
「図解空海」 頼富本宏監修 ナツメ社
「虚空蔵求聞持法」 田中成明 世界聖典刊行協会