2014年4月30日水曜日

「図解 早わかり!道元と曹洞宗~第一章」を読んで

 おはようございます。
昨日、国の有形文化財に築100年になる井上家住宅滴翠園(大分県日田市鶴ケ内)を見にいきましたが、日本の木造建築は、持続可能なものであり、その技術は後世に引き継いでいかなければなりません。まさに温故知新のこころがあるように思いました。


さて、中野東禅先生監修の「図解 早わかり!道元と曹洞宗」を読んで、第一章から読後感想を書いて、皆さんと一緒に勉強できたらと思っています。

お釈迦様も道元さんも出家して仏道修行をすることを奨めたわけですが、現代社会でそれができるかというとはなはな難しいと思うのです。なぜ出家しなければならないのか、それはこの世のしがらみをもったまま、修行するには困難が伴うからです。

この世は洗汚な世界、生きていれば汚れてします。だからと言って、山川幽谷の地にはいることが可能でない人がほとんどいないのです。この世のしがらみのなかで生き、そのことも修行とし、そして寂静の世界を得るために仏道を志すものではないでしょうか。私はそれを「在家禅」と名づけたいと思っています。

この本に戻りますと、ほとんど方が曹洞宗のお寺が全国に約1万5千寺もあることを知らないのではないでしょうか。凄いですよね。曹洞宗と道元さんの教えは「仏様にあこがれ、ただひたすら座禅をする」ことなのです。

座禅とヨーガの違いを図解していますが、これもわかりやすいですね。日本にヨガを持って帰った人は中村天風先生ですが、天風会の修練会での座禅・瞑想について、詳細は言いませんが、「神人一如」と言いますから、神と一体になることかかもしれません。

「座禅は無念無想でひたすら座り、煩悩から解放されて「さとり」を体得する事」と書いています。天風会の座禅瞑想もこような要素も取り入れていますが、座禅するすることで、この世の煩わしさやしがらみ、また煩悩からくるのぼせから解放されることがまずは大事なことだと思います。

在家禅では、毎日の早朝座禅と就寝前座禅を最低限としています。まずは座禅をしてみませんか。これほど簡単で、いつでもどこでもできてお金もかかりません。

臨済宗の修行にも行きましたが、大変厳しいです。「公案」というものを出され、禅問答がありますが、曹洞宗は、「座禅をしている姿がそのものがさとりの姿であるとして、ただ黙々と座ります。」仏像を見るとほとんどがそのようなお姿をしています。

また私たちは毎日食事をいただいていますが、この食事の作法を書き記したのも道元さんです。食事をすることは生きとし生けるものの「命をいただく」ということです。食事も掃除も仕事も、「今やるべきことを全力で行う、これが後悔のない生き方」だと書いているのです。

この本は在家禅を提唱しているものではありませんが、座禅を実行していけば、お釈迦様の在家の弟子であった維摩のように、物心ともに豊かで、さとりを得ることもできるのです。それでは皆様のご健勝を祈りつつ・・・南~無 合掌 徳温禅月。





2014年4月28日月曜日

びっくり!「図解 早わかり!道元と曹洞宗」

 おはようございます。
巷では、GWはどこへ行くかなどのニュースがあふれていますね。そんなあなたに読みやすく、どこでもいつでも読めて、心が静まる本がでました。「図解 早わかり!道元と曹洞宗」ですが、知的生き方文庫からたったの590円、びっくりです。

監修は、わが師である中野東禅先生であります。先生は現在、曹洞宗総合研究センター教化研修部門講師でもあり、私はかねてより先生の書籍の読者であり、東京国際仏教塾の曹洞宗コースで先生よりご教授いただきました。

道元さん、気難しそうだなとか、道元さんの書いた「正法眼蔵」などちんぷんかんぷんでまったくわからないと思っている人。ましてや座禅などしたことがないし、禅ってなぁ~に、さらに曹洞宗ってそんな仏教の宗派があったのと思っているあなた。

あるいはまた、今、惰性で生きていると思っている人、上司のいうがままのイエスマンに成り下がって会社にしがみついている人、主人の給料だけでは食べていけずパートであくせく働いている人、目的もなく大学に入り、親の仕送りでスネをかじっている学生さんなどなど、この本をなにげなく読むと、人生のこたえをみいだせると思いますよ。


~はじめに~から

仏教の開祖であるお釈迦様が、座禅によって「さとり」を得たと知っていましたか。「禅とは、あるがままの自分を取り戻し、幸せに生きる方法」で、そのための具体的な修行が座禅なのです。

座禅は寺に行かないとできないものではないし、毎朝、起きて顔を洗って、歯を磨き、そして自分の部屋で静かに座る、それでできるのです。5分、10分、15分、20分と少しづつ時間を増やしていけば慣れてきます。最初は落ち着かないかもしれませんが、むしろ気持ちがよくなります。

道元さんは「只管打座」という「ただひたすら座ること」を奨めたのです。たとえばアップル創業者の故スティーブジョブスさんが熱心な禅の愛好者であったことはご存知ですか。ヨーロッパ、アメリカでは、日本以上に座禅を日常的にしている方が多いのです。

留学してあるいは海外勤務になって、座禅を知らないと、大恥をかきますよ。まずはこの本を読んで見る、そうすると角が取れ、円くなり、心が磨かれていくことに実感できると思います。

私は自己投資をしない人を信用しないことにしています。本を読むことは自己投資の始まりです。会社の研修だけに頼っている人間で大きくなった人を見たことがありません。それは「水」を求めていないからです。

それでは、あなたの人生がより一層輝きますようにお祈りします。南~無 合掌 徳温禅月。





2014年4月25日金曜日

顕徳坊浄玄はなぜ遊行の旅にでたのか?

 おはようございます。
初めてこのブログを読む方は、顕徳坊浄玄(1733~1812年)が誰だかわからないと思いますが、江戸時代、米沢藩から出家し、豊後(大分県)の天瀬で生涯を閉じた無冠の修行僧だといわれていますが、前回、ブログで述べたように、上杉鷹山の家来で、鷹山の藩政改革に尽力した武士だと思います。

本日の大分合同新聞の顕徳坊尊まつりについての記事がでていますが、小生の意見も載せてくれいます。


さて、顕徳坊浄玄は豊後天ケ瀬で亡くなったのは、古希を過ぎた79歳でした。どうして高齢なのにこのような旅にでて、この地で生涯を閉じたのでしょうか。それは遊行の思想がこのころからあったからです。

おそらく、米沢を出たのは70歳の古希の祝いをすませ、家督を息子に譲り、旅立ったのではないでしょうか。遊行については五木寛之さんが「遊行の門」(徳間書店)で次のように書いています。

「 『遊行期』とは、人生の最後のしめくくりである死への道行きであるとともに、幼い子供の心に還っていくなつかしい季節でもある。
 旅とは行きっぱなしのことではない。旅立った者は帰るのだ。
・・・・
 この世に生を受けた人間は、ちゃんと世を去ってこそ人生である。そのしめくくりが遊行期であり、人生においてもっとも重要な季節といえるだろう。
 遊びにでた者は、いつかは帰らなければならない。」

「 すべての人が、いずれ「林住期」を終えて「遊行」の季節に入る。「行」は「業」ではない。「修業」は技術であり、職業訓練ではあるが、「修行」は見えない大事なものを捜す旅である。「遊び」も「行」だ、と思いたい。
 人は遊行の門をくぐって出発し、ふたたび遊行の門をくぐって還る。
 人の一生とは、そういうものなのではあるまいか。」 ー遊行の門 五木寛之著 徳間書店


今、流行り?の「終活」はまさに遊行であるわけですが、もっと精神的な、奥深い魂の故郷を求めて、旅立つものだと思います。顕徳坊浄玄は、古希を過ぎ、残された時間は御仏から頂いたもの、自らの浄化の旅にでたのではないでしょうか。

その思想はお遍路と同じだと言えましょう。少年時代、どこの家も犬を番犬として飼っていました。犬は老齢になると離し飼いをしていましたので、自然にいなくなるのです。そしてどこにいったかもわかりませんし、その死骸をみることもありませんでした。

人間にも同様の自然な行為がインプットされているのかもしれません。顕徳坊浄玄は二度と米沢に戻ることのない旅に出たのです。人はみな、魂の故郷へ帰る準備をしなければなりません。還暦をすぎたら人生を、生と死を見つめてみませんか。

それでは皆様の遊行の旅立ちのご無事を祈りつつ 南無 合掌 徳温禅月。




2014年4月24日木曜日

いのちをお預かりしている仕事・事業

 おはようございます。
韓国珍島沖での旅客船の沈没事故で亡くなれた方々のご冥福をお祈りします。そして一人でも多くの方が救助されることをお祈りするばかりです。また、日本国内でも高速道におけるバス事故、マレーシア航空機事故など、これほど多くの人命がなんらかの人的な原因で失われています。

今、世界で起きている事故は、どうしておきるのでしょうか。人のいのちを預かる仕事や事業をされている方々の心構えといいますか、覚悟と言いますか、そういうものが薄らいでいるのではないでしょうか。それは人命にたいする軽視につながっていると思います。

さて、人の命を預かる仕事や事業を見てみると、バスや列車などの交通機関の運転手、航空機のパイロット、旅客船の航海士、旅館やホテル事業など直接かかわっているものだけでも数え上げることができます。

そして、その責任を全うして方々が大部分なのです。仕事に誇りを持って、その職務を全うしていただいております。しかし今回の旅客船沈没事故から伝わってくるニュースを聞いていると、あきらかに常識を逸した船舶会社の利益追求の犠牲になっているとしか思われません。

既定の三倍以上の積み荷をしていたとか、船長ではなく三等航海士に舵を任せていたとか、船員が救助活動をせずにお客様をほったらかして逃げたとか、経済性の追求の中で、失ってはいけないいのちへの崇高な思いが薄れてしまっているとしか思えません。

人のいのちを預かる仕事をしている人は、自分のいのち以上に、あらゆる危険から人々を守らなければならない責務があります。それは、宗教者がもっとも重くのしかかるものでしょう。事業家は、常にもしものことを想定し、事業内容から労務管理にいたるまで細心の注意をしなければなりません。

もし、このような事故が起きたら、すべての償いをしなければいけないことを肝に命じておかなければなりません。ある会社の会長さんが存命中に、新規事業に挑戦することはいいが、バス事業やホテルなどのいのちをお預かる事業はしないでくれと言ったことをいつも思い出します。

それは、やはり事業家として責任が負えないことを知っていたからではないでしょうか。まさに一人一人のいのちは地球より重いことをいつも思い、職務を遂行しなければなりません。このような事故が二度と起きないように、あらゆる危険を察知して、危険を及ぼす行為は断固してしないという自己誓約をすべての人がしなければなりません。

亡くなれた方々は、どれだけ苦しかったでしょうか、どれほど無念でしたでしょうか。どうぞ御仏が癒してくださいますようにとお祈りしたします。南~無 合掌 徳温禅月。






2014年4月22日火曜日

顕徳坊尊は上杉鷹山の家来かⅡ~顕徳坊尊まつり~

 おはようございます。
20日、大分県日田市天瀬町湯山長美野にある顕徳坊尊さんのご供養を執り行う、祀りがありました。地元の住民など40名近くの方が参加していました。顕徳坊尊とは、戒名を浄玄といい、出羽国米沢領田沢村より遊行の果て、文化九年(1812年)にこの地で亡くなりました。


私は、二百年余りに渡って、村人がなぜ顕徳坊尊浄玄さんを手厚く葬り、祀ってきたか疑問に思い調べてみました。


年代を調べてみると、上杉治憲鷹山さんと附合していたので、驚きました。つまり浄玄さんは、上杉鷹山の家来で、鷹山の藩政改革に尽力した下級武士と思われます。半士半農であったため、農業や林業にも精通していたと思われます。

江戸時代は、勝手に藩を出て、旅をすることはできず、藩主の許可を取って、通行手形を発行してもらうのですが、おそらく35年に及ぶ開墾事業を継承し、七十歳で隠居して全国遊行の旅に出たものと思われます。

浄玄さんは、なぜ天瀬の人に慕われ、尊敬され、祀られたのかを考えると、まずは、仏教修行者として加持祈祷が出来て、病を治す力を有していたかもしれません。次に、前文で述べたように、藩政改革にかかわって、農業や林業のすべを知っていたので、天瀬の住民に教えたのではないでしょうか。

代官の悪政に苦しみ農民に、隠れ田の必要と、米以外に、はぜの植林を教え、ろうそくを作り、それを高塚地蔵尊で売り、生活の糧にするように言ったとしたら、今も続く高塚地蔵尊の露天は江戸時代からあったものと思われます。


穴井六郎衛門さんたちの斬首から七十年後の天瀬はまたもや飢饉で苦しんでいたと思われます。そのときに一条の光明をもたらしのが浄玄こと顕徳坊尊さんなのです。明治になって、竹槍騒動をおこし蜂起しますが、天領時代からの圧政のなかで反骨精神が育ったのではないでしょうか。今は薄れているようですが・・・。

それでは顕徳坊尊浄玄さんのご供養をお祈りします。南~無 合掌 徳温禅月。






2014年4月21日月曜日

豊後森駅~水戸岡ワールド~

 おはようございます。
先日、玖珠・湯布院に御用で行った折、どうしても豊後森駅を見たいと思っていましたので、お立ち寄りしました。本当はJR久大線で、「ななつ星」気分で沿線の風景を見ながら行きたったのですが、次回はそのようにしたいと思います。



森の中の「お宿」と思いました。水戸岡悦治先生が、監修しリニュアルしたのですが、この濃い茶の色が、渋くて落ち着きますね。


駅の玄関です。



駅内には、ゆっくり汽車を待つ雰囲気で、映画のいちシーンを見ているようですね。



玖珠から生んだ「日本のアンデルセン」とたたえられ、生涯を「子どもに夢を」と、童話を語り続けた久留島武彦翁の資料と作品が展示います。

豊後森駅のロゴマークがいいですね~。

水戸岡悦治先生が玖珠町をデザインするそうです。水戸岡ワールドを存分に発揮して、世界に発信してもらいたいと思います。皆様もJR九州久大線豊後森駅にお立ち寄りください。




2014年4月18日金曜日

生老病死~さまりくる病~

 おはようございます。
自然界の森羅万象にさからえないように、人間もまた他の動物同様、老いて衰えていき、病を持つようになります。私も、50歳をすぎて、肩こりがひどくなり、57歳の時に大腸ポリープがみつかり、良性でしたが、59歳の時は、大腸ポリープは悪性でした。摘出したのですが、どうもできやすい体質のようです。

若い時は、病気になるとか思いすらせず、深酒を飲んだり、喫煙していましたが、だんだんと体の衰えを感じるようになってくるのです。たまに病院に行くとお年寄りばかりでないかと思っていましたが、いつのまにかそのお年寄りの一員になっているのです。

先日、病院にエコー検査にいきましたら、胆嚢に胆石がたまり、腫瘍ができているようだと言われました。別にどうもないので本当かいなと思いつつ、次の言葉が頭をよぎるのです。それは「癌」ですね。

ところで胆石ってどうしてできるのでしょうか。ウキペディアによりますと、

「女性、肥満、中高年・高TG血症に多いとされ、経口避妊薬内服・急激なダイエットにも多いことが報告されている。また、胆石を保持している人の大半は、症状の無い無症状胆石で、人間ドックで発見されることも多く、胆石症の症状を起こす人は1~3%と言われている。また胆石が明らかな胆嚢癌を生じやすいという証拠はないが、胆嚢癌では高率に胆石が認められる。」

なおかつ腫瘍ができているとのことでしたが、

「胆嚢良性腫瘍のうち、治療の対象となるのは、症状があるものや、がんなどの悪性腫瘍が否定できないものです。
 症状がない場合に治療をどうするかのポイントは、ポリープ(腫瘍)の大きさ、形状、そして増大の経時的変化です。直径が10mm以下のものはがんになる可能性が非常に低いのですが、10mmを超えるとがんになる頻度が高くなり、20mmを超えるとがんである可能性が大きくなります。
 したがって、施設によるちがいもありますが、基本的には10mm未満とそれ以上に分け、10mm未満であれば3~6か月ごとに超音波検査を行なって増大の変化を観察し、直径が10mm以上の場合は、精査した後、腹腔鏡下胆嚢摘出術(ふくくうきょうかたんのうてきしゅつじゅつ)または開腹下胆嚢摘出術(かいふくかたんのうてきしゅつじゅつ)(胆石症の「治療」の外科的治療(手術))を行なうべきでしょう。腺筋腫症の場合は、症状があることが多く、手術することが多いようです。」

ということで、腹腔鏡下胆嚢摘出術をした方がよいと言われ、このようにネットで調べてみるとなるほどと思えるので、便利になったものです。来週はCTスキャンをする予定ですが、このさい開き直って検査しようと思いました。

それでは、皆様のご健康を祈りつつ、南~無 合掌 徳温禅月。



2014年4月16日水曜日

顔相(人相)ってあるの?

 おはようございます。
学研から出ている「禅の本」を読んでいましたら、「禅の観相法」~超能力を使わなくても眼・鼻・声で相手を見抜ける~という章がありました。いわゆる禅の大成者である達磨大師がこの観相を伝えたのです。

たしかに、禅の高僧は、修行者を見抜いてきたし、禅を修行した戦国時代の武将は、会ったそのときに相手を見抜く力を持っていたと思われます。NHK大河ドラマ「軍師官兵衛」があっていますが、当時の織田信長や豊臣秀吉、徳川家康はその術を身につけていた節があります。


この本を読んでいただきたく思っていますが、この本のなかで「達磨の五法」を書いています。

「達磨の五法
一、交わりをえらぶこと眼にあり
二、貴きを問うこと神にあり。
三、富を問うこと鼻にあり。
四、寿を問うこと神にあり。
五、全きを求むこと声にあり。」

信頼できる人間か、裏切る人間か、情緒不安定の人間か、何かに取りつかれている人間かは大方眼をみればわかります。神(しん)とは神仏の神ではなく、精気です。つまり精気が宿り、みなぎっている人は清廉潔白の人だと言えます。

鼻をみると、たとえダゴ鼻と言われようが、がっちりしている人は財を成します。ハンサムだが鼻が細い人はみかけボブラと言えましょう。そして精気がない人は、、寿命が短い。精気にみなぎっている人は、善人、悪人を問わず長いきをする人です。

成功する人は、声が大きく、声が通る、声が腹から出てします。運がよいといいますが、発声法を変えれば運は変えられます。

さて、巷の世界を見ると、某前都知事は、眼がうつろでしたね。某党首は、眼がぎらついていて、精気にあふれていましたね。しかし声が悪い。某ユニットリーダーは眼が輝いていたし、ありますとはっきり明言した。真実を言っていると思いますが、あまりにも綺麗すぎて、取り巻きや上司にしたごころを持たれやすいので気をつけなくてはならない。今日の上司の記者会見に注目したいと思います。

人間の品格は顔に出ます、手や体は隠しても顔を隠すわけにはいきません。この世の人生を全うするためにお互いに精進し、品格を高め、いいお顔をしていますねと言われたいものです。それでは皆様の品格が尚一層、向上しますようにお祈りします。南~無 合掌 徳温禅月。

参考図書
「禅の本」 学研





2014年4月15日火曜日

顕徳坊尊は上杉鷹山の家来か?

 おはようございます。
昨日、天瀬トレイルで顕徳坊尊に登ったのですが、かねてより顕徳坊尊について調べて欲しいとも地元の方々からのご要望があったので、調べていくと驚くべきことがわかりました。

               顕徳坊尊の案内板

以下のように書いていわけですが、
顕徳坊尊は、江戸時代後期出羽国米沢領田沢村(現在の山形県米沢市)生まれです。当時米沢領は上杉氏の所領であり(徳川家康より会津120万より国替え)この地帯は豪雪地帯としてよく知られております。
顕徳坊尊は一生を信仰と修行で過ごされた無冠の僧であります。ある日突然、一人の旅の僧が湯山村に来ました。不幸にして病に倒れ、この地に亡くなりました。その時、村人達に持ち金全部を湯山村に差し上げます。どうか生まれ故郷が見える場所に葬ってくれるよう頼みやがて力なく亡くなりました。村の人々は其の志を憐みせめて故郷をみはらせる思いでもなればと村で一番高い長美野(現在地)に葬りました。その後その金で現在の湯山共有地の一部を買い求め葬った場所へ塚を築き、顕徳坊尊として祀りました。顕徳坊尊は文化年間今から180年前頃より、この地域に住む人々にとりましては、日々の苦しみ、悲しみなど諸々の願望をお願いし御加護御利益をいただく霊験あらたかなお方であります。顕徳坊尊のあらたかな霊験は人から人へと言い伝えられ、たくさんの信者がはるばる参詣に来るようになり、風光明媚な山頂は、終日にぎわいを見せていたと言われます。旧湯山村では毎年421日に現地でお祭りをして居ります。御堂裏の碑正面には奉納大乗妙典六十六部日本回国、又側面には、文化九年六月二十一日、奥州米沢領田沢村 浄玄 七十九歳と記されてお
ります。」
             顕徳坊尊さんは神々しくふくよかなお顔をされています。

1、年代の比較を比較してみると、
顕徳坊浄玄 1733年~1812年 79歳       36歳 70歳家督承継?
上杉治憲鷹山1751年~1822年 72歳 藩政改革1769年
広瀬淡窓  1782年~1856年 75歳 1805年開塾
穴井六郎衛門1733年没 義民
禅海和尚    1691年~1774年 83歳 青の同門

上杉鷹山が藩政改革に乗り出したとき、浄玄は36歳で、一番脂ぎった頃、鷹山は、家来に山野を開墾し農地にすることや、漆、コウゾウ、桑の木を100万本づつ、計300万本植林した。これが後の財政基盤になるのですが、いわゆる半士半農で、この危機を乗り切ったのであります。特に田沢地区などは開墾地区であり、浄玄などが力を注いだもの思われます。

2、浄玄の宗派は
米沢市の寺は、寺数が多いのは曹洞宗(禅宗)、浄土真宗、真言宗の順番ですが、碑文にある大乗妙典六十六部とは法華経を奉納する巡礼者ですので、法華経を扱うのは、天台宗、日蓮宗そして禅宗でありますから、現在田沢町にある曹洞宗田澤寺(でんたくじ)が出寺と思われます。

3、もともとの僧であれば、無冠ではないので、出家し、修行僧として全国を遊行してきたものと思われます。この場合は、藩主の許可がいり、鷹山は尽力した浄玄に報奨金を与え、通行手形を出したものと思われます。禅海和尚の父親が曹洞宗で六十六部でした。

4、上杉家とどのような関わりであったか。
景虎15521579輝虎嗣北條氏康子長綱嗣北條竹王丸三郎氏清?政景要山浄玄」という、浄玄という同じ戒名を名乗る上杉家血族が居たので、そのことからしても同じ戒名で出家したということは。上杉鷹山の家来であることに間違いはありません。よっとしたら、景勝に敗れた景虎の血を引くものかもしれません。
5、浄玄は、天瀬に何をもたらしたか
信仰の御利益と、上杉鷹山の藩政改革による開墾時代の営農・営林の方法を教えた。病を癒し、村人に希望を与えたものと思われます。

1から5の展開をしていけば、間違いなく顕徳坊浄玄は、上杉鷹山の家来であったと言えるのではないでしょうか。全国の歴史ファンの皆さんのご意見をお聞きしたいと思います。それでは、顕徳坊尊さんのご遺徳に感謝し、南無 合掌 徳温禅月。



2014年4月14日月曜日

天瀬トレイル~顕徳坊尊ショートコースを歩く~

 おはようございます。
昨日は、九州は終日雨でしたが、昨年より大分県日田市天瀬町の有志の皆さんが、約180年前の石畳道を修復し、通れるようになったので、第一回のトレイルウォークを計画してくださいましたので、雨天でも決行ということで、桜滝公園に集まりました。




桜滝を観て、トレイルコースの説明(この地図は天ケ瀬振興局の小関さんにいえばもらえます。)いざ出発。JR天ヶ瀬駅を通って、湯山の天龍荘を通って、橋のたもとの足湯で、まずは一休み。民家の間の小径を登って行くと釈迦三尊像があります。さらに登って行くと湯仏様が祀っています。



むかし、むかし、玖珠川の上流から湯仏様が流れてきました。湯仏様を拾いあげたところ、そこから温泉が沸き出てきたそうです。湯仏様は川の方ではなく、横を向いているのは、もう川には行きたくないからだそうです。


湯仏様に一礼して登って行くと石畳の小径が続きます。いにしえを感じつつ、一歩一歩踏みしめて登ります。


田代というところにでます。社で一休みしてまた登って行きます。





目印は、この看板と黄色いリボンです。




顕徳坊尊につきました。参加者で記念撮影です。


顕徳坊尊様にお参りします。




顕徳坊尊様は、江戸時代後期出羽国米沢領田沢村の生まれで、遊行の果てに、この地を訪れ、文化9年、79歳で亡くなりましたが、そのご遺徳をしのび、村人が祀ったのです。私が調べていくとどうも米沢藩の上杉鷹山の家来であったようです。

自然と歴史の天ヶ瀬トレイル、天ケ瀬温泉に戻って、温泉禅を楽しみました。皆さん、ショートコースは、往復3時間程度です。ぜひ足を運んでみてはどうですか。おんせん県大分日田市天瀬町より。





2014年4月11日金曜日

世間虚仮 唯仏是真

 おはようございます。
5年前、百一歳のご長寿で、ご浄土に逝かれた松原泰道先生の本を読むのが好きですが、毎日読んでいる本が、「『きょうの杖言葉 一日一言』~百歳の人生の師からあなたへ~」(海竜社)で、眼を覚まさせていただいております。

今日はそのなかに、「世間虚仮 唯仏是真」について書いていましたので、ご紹介しましょう。この言葉は、聖徳太子のお言葉で、世間のほんとうの意味は「あらゆる生物とくに人間があくことのなき欲望にとらわれている状態」だそうです。


虚仮とは「むなしい・かりで、かりにそのように見えるだけの一時的な現象のこと」だという言うことです。ですから、諸行無常のこの世で、欲望にとらわれ、刹那なものをもとめ、見ているだけの存在とうことでしょうか。

「世の人々は、虚仮の世の中と知らずに欲望に盲目になっているから、『唯仏是真』という永遠に変わらぬ仏の悟った真理を学ぶことが大事ですよ」と言っています。

ご紹介した松原泰道先生の本を、座右の書として、毎日読んで行くなら、あなたの人生は、いのちを持って輝いてくるでしょう。よき師を持ちなさい。そうすれば豊かな人生を歩むことができます。よき師とは、仏法を教えてくれる人です。

4月の第2週目の週末を迎えますが、心身を休め、春風に身をゆだね、静かに座すのもいいのではないでしょうか。それでは、皆様が心身ともに健康でありますようにお祈りします。南無 合掌 徳温禅月。





2014年4月10日木曜日

願いは叶う

 おはようございます。
お釈迦様が世の中を虚仮と言われたのは、煩悩(欲望)まみれであるからです。ニュースを見ていると、魑魅魍魎の世界で、餓鬼が跋扈している世界にみえませんか。そう見えるのが正常な感性を持っていると思うのです。

しかし、世の中の、人のためになる行為や願いは御仏が働いて、実現してくださいます。もしキリスト教的にいえば、聖霊が働いて、実現してくださると言うのです。クリスチャンはその信仰をもって、社会を変え、世界を変えてきたのです。


仏教徒が四弘誓願を必ず唱和するのですが、これが重要なのです。なぜなら願いは必ず叶うと言っているからです。

「衆生無辺誓願度、(しゅじょうむへんせいがんど)
 煩悩無尽誓願断、(ぼんのうむじんせいがんだん)
 法門無量誓願学、(ほうもんむりょうせいがんがく)
 仏道無上誓願成、ぶつどうむじょうせいがんじょう)」

現代文
「迷いの人々(衆生)は限りはないが、誓って救うことを願う。
煩悩は尽きることはないが、誓って断滅せさることを願う。
仏の教え(法門)は無量だけれど、誓って学ばんことを願う。
仏の道はこの上なく気高いものだが、誓って成就せんことを願う。」

(「わが家の宗教 曹洞宗」 中野東禅編集代表 四季社より)

どうです。願いがまさに高尚な次元の高いものですが、先日、「終活を楽しむ会」が講演会を企画し、蓋をあける会場に入りきれないほどの参加者がありました。それは私たちが毎日祈っていたからです。御仏が働いてくださったのです。当然そのための手は尽くしていたのですが、御仏が共に働かない限り、成功はしません。

たとえば、ある事業家が、これは世の中に役に立つ製品だから、作って売りだそうとします。しかし心の奥底でソロバンをはじいた人と、信念先にありきで、損をしてでも世に出したい人とでは、成功の度合いも違うのです。京セラを創業した稲盛和夫氏をみればおのずとご理解いただけると思います。稲盛氏は臨済宗の仏教徒で、日々、座禅をし、この四弘誓願やお経を唱えているのです。

仏教は真理を言っているのです。私欲による願いは叶いませんが、世のため、人のためになる願いは、必ずや実現するのです。さて読者の皆さんは、魑魅魍魎の世界から脱して、寂静の世界で、本当の願いを発しませんか。それでは皆様のご成功を祈りつつ 南~無 合掌 徳温禅月。




2014年4月9日水曜日

仏と出会う

 おはようございます。
昨日は、お釈迦様のお誕生日でしたので、静かな日をすごしました。今朝、陽が昇るころ、散歩していますと、桜の花が風もないのに、落ちてくるのです。見上げると、小さな鳥が桜の花をついばんでいるのです。そう鳥の子どもたちです。

春はいのちが芽生える季節ですね。山に行けば草木が新緑を見せてくれます。つくしんぼもみるみる生えてきます。河をのぞくと、小魚がどこからでてきたのでしょう。たくさん戯れています。いのちがあふれる春は、仏と出会うのです。


仏はどこにいるのでしょう。道元さんは正法眼蔵で、

「なんとしてかさらに山色を見、
渓声をきく。
一句なりとやせん、半句なりとやせん、
八万四千偈なりとやせん。
うらむべし、山水にかくれたる声色あること。
又よろこぶべし、山水にあらわるる時節因縁あること。
舌相もげけんなし、
身心あに存没あらんや。しかあれども、
あらはるるときをや、ちかしとならふ、
かくれたるときをやちかしとならはん。・・・・」

傍訳
「どうしてさらに山の緑に仏を見、谷水に無心の声を聞く。仏陀の生身の真実語でないと言えようか。限りない説法そのものではないと言えようか。悲しむべきです。仏陀の説法の声が山水の声色に隠されてよく聞こえない事を。しかしまた喜ぶべきです。仏陀の説法の声が山水の声色に現れてくるご縁のある事を。説法も休むことはないし、仏陀のお体は現れ通しで、出たり隠れたりはしません。ですからこそ見える時を近いというべきか、見えない時を近いというべきか。・・・・」

(「生き方学としての正法眼蔵」~天地自然に自己を見る~ 中野東禅著 四季社より)

いつもあなたのすぐそばに仏はいてくれるのです。そいて生きるちからを与え、良き事へ導いてくださるのです。すべて自力でしたと思っていると、増上慢なり、傲慢になり、感謝するこころをなくしてしまいます。仏が共にいてくださるからできるというこころには、いつも感謝にあふれています。それは自力も他力も超えた天地宇宙の神仏のおかげではないでしょうか。

それでは皆様のご健勝を祈りつつ 南~無 合掌 徳温禅月。




2014年4月8日火曜日

お釈迦様の誕生を祝う

 おはようございます。
今、現代人でお釈迦様の誕生日が4月8日だということを知っている人はどれくらいいるでしょうか。クリスチャンでもないのに、イエスキリストの誕生を祝うクリスマスは皆さん、なぜか知っていますが、日本は核家族化になって、仏教が基本でありながら、お釈迦様のお誕生日を教えていないのは由々しきことであります。

思い出せば、幼き頃、お寺さんでお釈迦様のお誕生を祝う花まつりがあり、甘茶をいただき、お菓子をいただいたことがあります。このような慣習は再興して、全国で行うことが青少年の健全な育成にお役に立つと思います。

私の師である中野東禅禅師より、仏誕会を祝うお葉書をいただきました。裏には奈良法華尼寺の光明皇后をモデルの十一面観音像の写真があり、おもわず合掌しました。


ウキィペディアによりますと
「灌仏会(かんぶつえ)は、釈迦の誕生を祝う仏教行事である。日本では原則として毎年4月8日に行われる。
釈迦(ゴータマ・シッダッタ)が旧暦の4月8日に生まれたという伝承に基づく。降誕会(ごうたんえ)、仏生会(ぶっしょうえ)、浴仏会(よくぶつえ)、龍華会(りゅうげえ)、花会式(はなえしき)、花祭(はなまつり)の別名もある。
灌仏会に行われる法要が「灌仏会法要」である。
日本では、様々な草花で飾った花御堂(はなみどう)を作って、その中に灌仏桶を置き、甘茶を満たす。誕生仏の像をその中央に安置し、柄杓で像に甘茶をかけて祝う。甘茶をかけるのは、釈迦の誕生時、産湯を使わせるために9つの竜が天から清浄の水を注いだとの伝説に由来する[1]。宗派に関係なくどの寺院でも行う[2]。甘茶は参拝者にもふるまわれ、甘茶で習字をすれば上達すると言われたり、害虫よけのまじないを作ったりもする。
俗に言う「花まつり」の名称は、明治時代グレゴリオ暦が導入され、灌仏会の日付の読み替えが行われた後の4月8日が、関東地方以西でが満開になる頃である事から、浄土真宗の僧・安藤嶺丸が提唱した。それ以来、宗派を問わず灌仏会の代名詞として用いられている。一方、明治以前の民間では灌仏会とは直接関係のない先祖の法要や花立て、あるいは山の神を祀るための祭礼や山開きなどが4月8日に行う場合があった(卯月八日)。祖先神でかつ農事の神でもあった山の神を祀る際には、花が一種の依代として用いられていたことから、花を用いて山の神(祖先神・農事神)や祖先を祀る民間習俗に仏教行事である灌仏会が習合した結果、「花まつり」となったとする解釈もある[3]」 です。よく読んで学んでおきましょう。感謝です。

お釈迦様は誕生したとき、「天上天下唯我独尊」と言ったそうですが、瀬戸内寂聴さんは、「天にも地にもかけがえのないわが命は唯一なり、尊いかな」と訳しています。また松原泰道先生は「宇宙のすべての存在は、それぞれ仏のいのちを具えているから、平等にみな尊い」と訳されています。
私たちひとりびとりが、みな尊いのです。尊いいのちを大切にして生きて行きましょう。お釈迦様、お誕生日 おめでとうございます。南無 釈迦牟尼仏 合掌 徳温禅月。


2014年4月7日月曜日

「終活講演会」を終えて~一番大事なこと~

 おはようございます。
5日に大分県日田市パトリアにて、「終活を楽しむ会」が主催しまして、「終活講演会」を開催しました。私が会の代表者でもあるのですが、当初、40人ほど来ていただければと思っていましたら、なんと約100人ほどの来場があり、会場が入りきれず、びっくりしました。日田弁で「たまげた」といいます。多く方が「終活」に関心を寄せているのです。


一部の「終活ってなぁ~に」を担当させていただいたのですが、原稿を作る中で、人生はまさに生老病死の世界であり、終活のことどもである老後の生活や相続、保険、介護、そして葬儀やお墓のことなど項目があるのですが、一番大事なことは、死と向き合いながら人生=生死を考えることではないかと思いました。

今から八百年前、鎌倉時代の道元さんは、そのことを的確に述べてみます。

「生を明らめ死を明らむるは
仏家一大事の因縁なり、
生死の中に仏あれば生死なし、
ただ生死すなわち涅槃と心得て、
生死として厭うべきもなく、
涅槃としてねごうべきもなし、
この時初めて離るる分あり、
唯一一大事因縁と究尽すべし。
・・・・」

この意味は、「生死とは、生老病死ー生まれ・老い・病み・死んでゆく全体であるから、この人生の根本問題をみきわめるのが、仏弟子たるものの一番大事なことである。しかし、生死という苦しみの人生も「仏のおん命である」とめざめれば、厭い捨てるべきものではなく、この人生をおいて別にに、さとりの世界を求めるべきでもない。」(「お経禅宗」 講談社より)ということです。

私たちは、若い時は生活のもろもろのことにかまけて、自分が死ぬなんてことなどほとんど考えていないわけですが、六十歳という還暦を迎えると、あと二十年かと人生に限りがあることを思い、そして、両親や兄弟や友の死を通して、死の重みを実感するようになるのです。

あなたは、目に見えるものだけで、死を迎えることができますか、目に見えないものの大きな存在に気づいたとき、生かされてきたことに、本当の感謝の気持ちがわきおこってくるはずです。私が東京国際仏教塾に通って、中野東禅先生からご教授していただいたからこそ、私の終活ができるし、皆様への支援活動ができるのだとつくづく思いました。

読者の皆様、ぜひとも自分の人生を見つめなおし、死を覚悟しつつ、残されたこの世の時間を大切に生きて欲しいと思う次第です。それでは皆様のこころに平安でありますようにお祈りします。合掌 南~無 徳温禅月。





2014年4月1日火曜日

「終活ってなぁ~に」~⑦お葬儀とお墓について~

 おはようございます。
なぜか、六十歳を過ぎるとお葬式に呼ばれることが多いのですが、正式には葬儀と告別式を合わせてお葬式と言うのです。東京では約30%以上の方が直葬を選ぶそうですが、独居老人でもお経をあげて送り出したいものです。しかし現実は家庭があっても直葬を選ぶところに日本人の精神の荒廃があるのかも知れません。

最近、葬儀屋さんにお聞きしたら、地方でも約85%の方が家族葬にしてくださいというそうです。家族葬とは御家族とごく近い近親者のみで葬儀を行います。ですから密葬とおなじ意味のようですが、密葬はその後、告別式という本葬を行います。


葬儀と告別式を一日で行うのが一般的です。費用を香典でまかなえばいいと、香典葬を呼ばれる方もおられます。葬儀費用は、要望をきちんと伝え、トラブラないように見積もりを出してもらいましょう。できれば生前に、ご家族に意志をお伝えし、葬儀さんにご相談しておくこととよいでしょう。

次の納骨ですが、四十九日にしますが、納骨堂やお墓がありますが、墓地には、民営、公営、寺院墓地などがありますが、できれば永代供養をしてくださる寺院墓地をおすすめします。また生前にお墓を作っておくのは「寿陵」といい、長寿を願うおめでたいお墓ですので、いいことです。

また都会の方は、墓所が少ないのが現状ですが、地方の方は、納骨堂にするかお墓にするかよく選びましょう。お寺さんや石材店などにご相談すると情報が得られます。

今回、第7回に渡り「終活ってなぁ~に」とお話してきましたが、それぞれのご事情がありましょうから、詳細なところは、一般社団法人終活カウンセラー協会から検索していただいたら全国の終活カウンセラーがおられますので相談に乗ってくれます。

それでは、皆様の人生が実り多いものでありますようにお祈りします。南~無 合掌 徳温禅月。