2013年9月30日月曜日

終活ー知らないと大変!相続Ⅰ-

 おはようございます。
メディアが「終活」について、番組などで取り上げていますので、終活にたいする関心が深まっているよです。一般社団法人終活カウンセラー協会が、「人生の終焉を考えることを通じて、自分を見つめ、今をよりよく自分らしく生きる活動のことを終活」と定義しています。

そのためには、すくなくとも介護、保険、年金、相続、遺言、葬式、お墓などについて基本的な知識が必要です。なんとなく知っているか、問題が起きたときに市町村などの窓口に聞きに行くとかしているようですが、問題が起きてからでは、高齢者にとっては精神的に負担になるのです。

できれば、50歳を過ぎたら、「エンディングノート」書いてみる。エンディングなんて縁起でもないという方が多いと思うので、ライフプランニングノートとか楽しい人生ノートなんて名前にした方がよいかも知れません。

いままで、生きてきた自分史と、これから来ていく目標設定・計画書と思っていただければわかりやすいと思います。まず少しづつ書いてみると、自分を見つめられるし、これからどう生きて行くか希望も湧いてきます。

人間の死はいつやってくるかわかりません。あんな健康にやっていた人が、癌が発見され、あっというまに6ヶ月後に亡くなくった事もあります。私の兄(享年66歳)も、友人(享年57歳)もそうでした。かと思えば、お袋はだいぶ足腰も弱くなり、耳も遠くなりましたが、93歳で健在です。日本人男性の平均寿命は79.64歳、しかし健康寿命は70.42歳です。約10年は介護を受けるという意味ですよ。

人の命は、神のみぞ知るで、わからないのです。遺伝子でわかるなどと科学者がうそぶいていますが、不信仰な科学者が、自分の遺伝子を見て、あと一年で確実に死ぬとわかったら、どういう生き方をするのでしょうか。

保険や年金や預貯金は、青年・中年時代に稼いでおかないと60歳すぎてからでは遅すぎますね。結局これらは貯蓄であるし、保障だからです。以前も「終活のススメ」で提言しましたが、この機会にひとつひとつ取り上げ、読者の皆さんと考えてみたいと思います。

「終活」は中高年の方のテーマだと思っている若者は、知らないとあとのまつりになるのが遺産相続です。つまりもらう方の人も知っていないと、仲のよい兄弟が骨肉の争いをし、その後口もきかなくケースもあるからです。

家庭裁判所での遺産分割事件の数は、ここ25年間で約2倍以上の件数になり、相続ではなく「争族」と揶揄されています。相続紛争は、遺産総額1000万以下が31%、1000万~5000万以下が43%と、いわゆる貧乏人ほどもめているのです。

遺産とはなにでしょうか。預貯金、株などの証券、家などの不動産、そして死亡保険金などです。
どうですか、普通の人でこれらをたすと、3000万~5000万になりませんか。

この前TVの終活番組で実際例がありましたが、おじいちゃん(実父)を長男の方が同居し、奥さんが介護し、おじいちゃんは、口ではこの家は、長男に財産を継がせるからと長男と娘(いい年を取ったおばちゃん)二人にことあるごとに言っていました。

おじいちゃん(父)が亡くなり、49日の法要のときに、二人の妹が、遺留分の申し立てをしてきたのです。ところが、子供たちは仲がよかったので、おじいちゃんは、預貯金もあまりなかったので、遺言書を書いていなかったのです。さてどうなったでしょうか。

この長男は、預貯金がなかったので、家(おじいさん名義)を売却して、妹たちに遺留分を現金で支払うことになったのです。これは現実の話ですよ。遺産相続については、家族構成でかわりますので、知っておく必要があります。

一番問題なのは、お父さんが、遺言書を書いていなかったことです。明日は、遺言書と相続事例を書きます。知っておけば、兄弟喧嘩もせずにすむし、先逝く人も安心してご浄土に行けますが、あの世に逝っても、心配ごとがあったら成仏しませんよね。皆様のご多幸を祈りつつ。合掌 徳温禅月。



2013年9月27日金曜日

天ヶ瀬トレイルコースを歩く

 おはようございます。
天ヶ瀬ロングトレイルを提言してから多くのアクセスがあり、日田観光協会天ヶ瀬支部が全面的にコースづくりをするということで、今回、直山先生のご指導のもと、ほぼコースの7割ができたところです。11月のJR九州の天ヶ瀬ウォーキング大会で発表される予定です。特に自然道(つちみち)をたくさん取りいれています。

8時半に市営天ケ瀬駐車場に集合です。駐車場から見た玖珠川と湯山にかかる橋です。天瀬町おはよう。いざ出発。


先ず最初に桜滝を鑑賞します。いつみても絶景ですね。まるで龍がまっているように氣が充満しています。パワースポットですね。大自然のエネルギーをいただきます。



天ケ瀬駅前を通って、天ヶ瀬温泉の天龍荘の裏山から顕徳坊の峯へと登って行きます。

湯仏様が祀っていますが、なぜか横を向いています。湯仏様は、北山田に祀られていたのですが、嫉妬深い邪悪なものが玖珠川に投げ込んでしまいました。湯山に流れ着いたとき、村人が拾い上げるとそこから温泉がわき出たそうです。その後村人が千数百年に渡り、大事に供養し祀っているそうです。


目の前を子鹿が通って行きました。うり坊(イノシシの子供)もみかけます。この石畳の道、歴史を感じさせてくれて、風情があります。


田代という村に出てきます。里山の香りがします。

ちょっと休憩して、自然道を歩き、いざ顕徳坊尊へ


顕徳坊尊を祀っています。般若心経を唱え、顕徳坊尊を供養し、今日のトレイルの無事を祈願しました。日田市市内の三隈川の蒼い色があざやかに見えます。(トイレ休憩)


展望台を通って、自然道を歩いて、トマトファームに行きます。ひとやすみして、冷た~いお茶をいただきました。感謝です。トマトジャムなどいろいろ売っていますよ。(トイレ休憩もできます。)この辺りは、雉(きじ)が多くいます。

 
 

鏡山の方面に向かい、風力発電の風車を眺めます。このあたりを、「風の谷のナウシカ」を名づけたいと思いました。宮崎駿監督にしかられるかな。

そして、自然の中を歩くと、カウベルランドが見えて来ます。コースとしてはカウベルランドにお願いして施設内を通って行きたいと思っています。


次に代太郎村に入り、お地蔵さんにお礼をします。以前、ニホンギツネに会ったところです。
 

終点の高塚愛宕地蔵尊が見えて来ました。最後の階段を登って行きます。今日のトレイルの無事を感謝し、天ヶ瀬トレイルが皆さんに愛されますようにとお祈りをささげました。昼食はここで取れます。山菜うどんを食べましたが、これがうまいんですよ。


高塚地蔵尊は、あの有名な行基が、銀杏の木にご神体を見つけ、村人の病気治癒と、子宝に恵まれるようにと地蔵尊を彫り、安置したところです。
数千体のお地蔵様が祀られています。
 
このコースは、約12キロくらいですが、ゆっくり、楽しみながら4時間半ほどかけて歩いて行きます。11月が待ちどおしいでしょう。全体では5コースくらいつくる予定です。自然に帰ろう、心身をリフレッシュしましよう。

高塚からの帰りはバスやタクシーがでていますし、天ヶ瀬温泉旅館にお泊りの方は、お迎えに来てくれます。天ヶ瀬駅に帰ってきて、駅前の「あまがえる」にておいしいコーヒーを飲みながら、反省会をしました。

ところで温泉に入ったかって、当然です。今日は益次郎の湯を貸し切って、ひとり、湯につかり、静かに温泉禅をし、瞑想し、神仏と大自然そして皆さんに感謝を捧げました。合掌、徳温禅月。




2013年9月26日木曜日

なぜ座禅をするのか?ー禅(仏道)を歩むⅧー

 おはようございます。
毎日、毎日、ニュースが日替わりし、親が子を殺したとか、車が暴走して小学生の列に突っ込んだとか、あるいは奥さんが自宅に男を連れ込んだとか、ものすごいマイナス情報があふれています。このような現代社会のニュースで汚れない人はいるでしょうか。私たちは外から汚されているのです。

そして私たちの内面は、消極的思考におかされ、できないのはあるいは現状が悪いのは、社会や他人が悪いからだと言い、求めてばかりいて、他人のことをかえりみないエゴイスティックな自己があるばかりではないでしょうか。私たちは内面的にも自ずと汚されているのです。

複雑な人間関係で悩んでうつ病になったり、してはいけない不倫行為を、本能のおもむくまま、罪悪感もなく、してしまう。人の物を盗んだり、子供を虐待したり、あげくのはてに人の命を奪ってしまう。欲望と煩悩でなんと汚れ切っているのでしょうか。

山深い寺で、すべての情報を絶って、修行できる人はほんの一握りで、それでは自分だけが救われる小乗仏教となんら変わらないのです。お釈迦様が、人々を、一切衆生を救えと言うことから大乗仏教が今日あるのです。

心を鎮め、汚れを毎日、取り除くにどのような手段があるというのでしょうか。それが座禅であると教えてくれた人が、お釈迦様であり、達磨大和尚であり、道元禅師など祖師たちなのです。祖師たちに感謝し、毎日座禅を実践すれば、純粋な自己に立ち戻り、仏と出会い、仏性が目覚めるのです。

ストレスからくる悩み、苦しみから解放され、自由な自己に立ち返り、全人格的な自己になる時、生活のあらゆる領域で、正しい判断と決断と行動ができるのです。仕事をするとき、食事をするとき、家庭にいるとき、トイレに行くときでも仏がともにいて、こころの落ち着いた生活をすることができるのです。

人生に勝利する、成功するとは、そのような自己になることを言うのです。ですから座禅を日々することが修行であり、座禅そのものが人生となるのではないでしょうか。今日はトレイルコースづくりで大分県日田市天瀬町の顕徳坊尊、高塚地蔵尊に登り、神仏に礼拝し、皆様のご多幸をお祈りします。感謝!合掌 徳温禅月。








2013年9月25日水曜日

禅(仏道)を歩むⅦ-釈尊から達磨へー

 おはようございます。
先日、FB友達が達磨像のの掛け軸をアップしていて、ふと、中野東禅先生から第87代の釈迦牟尼仏の仏弟子として、受戒得度していただいたのですが、達磨さんは何代目かなと思い、歴代祖師図を見てみたら、第28祖菩提達磨大和尚でした。


日本の仏教各宗派のなかで、曹洞宗だけが、唯一、御本尊が釈迦牟尼仏なのです。しらなかったでしょう。ではお釈迦様と禅がどのように結びつくのでしょうか。それは御釈迦様が6年間の苦行の末、乳粥で体を供養し、菩提樹の下の岩のうえに草をしき、七日間座禅したのです。そして悟りを得たのです。禅の原点は、お釈迦様が悟りを得ることができた座禅にあるのです。仏陀となったのです。

悟りとは、縁起(すべてのものは条件の調和によって成り立っている)、無常(条件は変化する、いのちも心も変化する、拘らない)、無我(無常であるから自我という永続的な実体はない。あるのは今ここで活きて働いている現象・事実だけ)、解脱(外界の刺激や内面の自我・煩悩からくる苦しみから自由になっている)、涅槃(完全な静寂、座禅を組み、この涅槃に安住して、そこから働き出す智慧)、であります。そして45年間、教化し、入滅(涅槃)したのです。お釈迦様の悟りは涅槃寂静なのです。それは座禅によってなされるのです。(「曹洞宗の常識」より)

その教えは、代々師子相承され、人々を救う大乗仏教となり、第28祖菩提達磨大和尚によって禅が大成されるのです。少林寺で9年間壁に向かい座禅したのです。自分の自我や煩悩には実体がないことにさとり得た達磨によって禅が確立したのです。

       国宝 臼杵の石仏

現代社会こそ、マスメディアによって、情報が垂れ流され、なおかつSNSというFBなどによって個人情報がひとり歩きする時代だからこそ、揺るがさない自己の確立と思想を持っていないと木の葉のように、流されていくのです。

私も、テレビも観るし、インターネット、FBもやっているからわかるのです。ただし、デスクのみしかやりません。スマホを使うと自分が翻弄されるからスマホは使いません。文明の利器は上手につかわないと、気づかないうちに依存症になるのです。

「世のことすべて美(うるわ)しとは見ず
諸根(こころ)はよくととのえられ
口にするもの 定量(ほど)をこえず
心 信に はげみはつよし
誘惑者(まよわし)も かかる人を
その魔手に とらうすべなし
まこと つよ風に
微動(さゆる)がぬ岩山のごと」-ブッダ真理の言葉・法句経8ー

ぜひ読者のみなさんに、座禅を勧める由縁がここにあるのです。禅定(涅槃寂静)をあじあってみませんか。ご興味ある方は、中野東禅先生の「曹洞宗の常識」(朱鷺書房)をご一読ください。合掌
徳温禅月。

参考図書
「仏教」 現代仏教を考える会 土屋書店
「曹洞宗の常識」 中野東禅著 朱鷺書房
「法句経」 友松圓諦訳 講談社学術文庫


2013年9月24日火曜日

禅(仏道)を歩むⅥ-息子と晩節を汚した人たちー

 おはようございます。
医療法人徳洲会病院への強制捜査が入った。昔、父である徳田虎雄氏の立志伝を読んで、偉い人もいると関心したことを思い出します。昨年の衆議院選挙で、息子である徳田毅議員に対する公職選挙法違反容疑での捜査であります。虎雄氏のALSを発症したのちも、徳洲会グループの経営に携わっていたようです。

もうひとり残念なニュースは、みのもんた氏、私たちが高校時代、ラジオの深夜ニュースで軽妙なおしゃべりで、受験勉強の気分転換をしてもらっていたわけですが、みのさんも、大変努力して今日の地位と財産を気づいたことと思います。一昨年奥さんを亡くし、悲嘆にくれた顔をしていました。

息子さんの窃盗未遂容疑のニュースのまえに、朝の番組でみのもんた氏がキャスターの腰を触ったとかで話題になっていました。事実関係は、新聞などを読んでいただくとしてこれだけ大成功をおさめた人たちが人生の晩節を汚すことになったことは残念なことです。

お釈迦様が、青年商人に説法したお経に、「六方礼教(シンガーラ経偈経)」があります。この青年のお父さんは、息子に毎朝、六っつの方角に礼拝するように遺言しました。ある日、その様子を見た釈尊が、その意味を解き明かすのです。

ここで大事なこと、親が財産のみならず、人間としてしなくてはいけないことを伝えていることです。釈尊は以下のように解き明かします。

「ブツダは次のように言われた。
清らかな弟子は四つの汚れた心と行いから離れている。
四つの理由による悪の心と行いをなさず、財産をなくす六つの蛇口に従わず。
このように十四の悪から離れて、六方向を守っている。
そのため、過去・現在・未来の三世にわたって勝利者となり、この世でも、あの世でも
楽しく、身が滅び命が尽きたのちは善き世界に生れるのである。

父母は東方である。師は南方である。
妻夫は西方である。友は北方である。
従業員部下は下方である。宗教者は上方である。
これらの方向に礼拝しなさい。そうすれば立派な良家の主である。」
ー「ブツダの肉声」に生き方を問うー中野東禅著小学館新書


宗教心を持って礼拝することの重要性を説いているのですが、詳しくは上記の本を必読してください。老若男女を問わず、この本は、ある意味では最強の成功哲学書だと思うからです。

徳田虎雄さんもみのもんたさんも親の責任を言うとしたら、こどもに何を教えてきたかではないでしょうか。またどのような親父のうしろすがたを見せてきたかではないでしょうか。いつまでも自分の仕事(会社)にしがみつき、70過ぎても後輩に席を譲らないの生き方はいかがなものでしょうか。

人生の節目を、インド哲学では学生期、家住期、林棲期、遊行期とわけていますが、二人とも後継し、林棲期での仕事をするべきでないでしょうか。

有名な人で誰が実践しているでしょうか。稲盛和夫氏などたくさんいます。稲盛氏は、京セラは部下に任せ、盛和塾を通して、中小企業の経営者の育成に勤めています。稲盛氏は、65歳の時に臨済宗で得度し、仏道を歩んでいます。稲盛氏は、会社経営を同族ですることをしませんでした。(最新刊で「燃える闘魂」で出版されています。)

こんな偉い方と比較するのは、申し訳ないので、考えてみました。いました。徳光和夫さんですね。徳光さんは四国88ヶ所を巡礼し、BSで日曜日に放送していますが、なかなかいい番組ですね。徳光氏も次男のことでマスコミにたたかれていますが、ふがいない息子に、四国に行けと発言していました。これでいいのです。これから先は息子さんが自立することです。

人生は自分のことで悩み苦しみ、今度は子供のことで悩み苦しむのです。でも子供を通して、たのしいこと、うれしいこともあじあうことができるんです。問題は生き方をしっかり土台に足をつけている人は、いかなる問題が起きようが対処できるのです。

私たちは、人を通して自分の在り方を学ぶことができるのです。「六方礼拝」までいかなくても、毎日、朝に礼拝、夕べに感謝する日々を送ろうではありませんか。只今「よろず相談室」を開催していますので、お気軽にお問い合わせ下さい。皆さんのご多幸をお祈りします。合掌 徳温禅月。



2013年9月23日月曜日

仲秋祭・放生会ー大原八幡宮ー

 おはようございます。
日田市内の東部に位置し、大分県内有数の神社ですが、9月21日より25日まで秋の大祭、仲秋祭放生会)が行われています。放生会は宇佐神宮以来、神仏習合の思想より、生類を相憐れみこれを供養し、生きものをみだりに殺さないようにと祈り、秋の五穀豊穣を神に感謝するものです。


西の鳥居から入ると庭園があります。

南の鳥居から、333段の石段を上ります。

上り詰めると、山門があります。

本殿です。

御参りをして、さらに東にのぼっていくと金毘羅様を祀っています。散策するのもいいですよ。

ウキペデイアって、凄いですよね。大原八幡宮を詳しく書いていましたので参考に添付します。

『日田の八幡神社の初見は天武天皇白鳳9年(680年)、靱負郷岩松峰(日田市天瀬町金場の北)に宇佐の鷹の居の社にいます神と名乗る神が現れ、社(鞍形尾の宮)を建てて祀ったことが初めである。慶雲元年(704年)、杉原のの下に神が降りて村の女に神懸かり、「岩松の峰の神」を名乗って「杉原が便宜よいのでここにきた」と告げたとして、社を建てて祀ったというのが大原八幡宮の前身である杉原宮である。
貞観13年(871年)若しくは仁寿2年(852年)に、当時日田郡司であった大蔵永弘によって、杉原宮から現在の元宮に遷座され、宇佐神宮より橋本公則を迎え社司としている。建久4年(1193年)、九州探題大友能直が、東の総社を柞原八幡宮、西の総社を大原八幡宮として鎌倉鶴岡八幡宮の参拝礼式に改めさせたといわれる。
元和10年(1624年)日田永山城石川主殿守忠総により、元宮から現在の位置へ遷座された。その際、社殿形式に八幡造を用い、屋根意匠に権現造の要素である八棟造を用いて建立されている。遷座前の場所は元大原神社や元宮神社と呼ばれ、現在も江戸時代中期に再建された社殿が残る。
1935年(昭和10年)に就役した大日本帝国海軍最上型重巡洋艦三隈」の艦名は大分県日田盆地を流れる三隈川に因ため、「三隈」の艦内神社は当社から分祀されている[1]
平成元年(1988年)11月22日に楼門・拝殿・幣殿・本殿が市の有形文化財に指定され保護されている[1]。境内最古の建築物である楼門は貞享4年(1687年)の築造、拝殿・幣殿・本殿は寛政6年(1794年)の築造といわれる。』

生きとし生けるものに、憐れみを与えたまえ、死せるものを供養したまえと祈り、実りを秋を迎え、すべての生けるものに、いのちをあたえたまめと感謝し、お祈りします。合掌 徳温禅月。



2013年9月20日金曜日

中秋の名月ー禅(仏道)を歩むⅤ-

 おはようございます。
昨晩、中秋の名月ということで、20時ごろから空を眺め、満月を詣でました。ちょうど息子の嫁が、月見団子を作って持ってきてくれたので、美味しくいただいた次第です。さてさてウキペディアではどのように書いているか見てみました。

『月見(つきみ)とは、、主に満月を眺めて楽しむこと。観月(かんげつ)とも称する。
形から、鶏卵の黄身を満月に例えた料理も月見という。

この夜の月を「中秋の名月(ちゅうしゅうのめいげつ)」と呼ぶ。
「仲秋の名月」という表現もあるが、これだと「陰暦8月の月」を指し、十五夜の月に限定されなくなる。「仲秋」とは、秋を初秋(旧暦7月)、仲秋(同8月)、晩秋(同9月)の3つに区分した場合、旧暦8月全体を指す。対して「中秋」とは「秋の中日」=陰暦8月15日のみを指す。
加えて、中秋の夜に雲などで月が隠れて見えないことを「無月(むげつ)」、中秋の晩に雨が降ることを「雨月(うげつ)」と呼び、月が見えないながらもなんとなくほの明るい風情を賞するものとされる。また、俳諧では8月14日 - 15日、16日 - 17日の夜をそれぞれ「待宵(まつよい)」「十六夜(いざよい)」と称して、名月の前後の月を愛でる。』

FB友達の本荘和夫さんが撮ったものです。

松尾芭蕉はこの中秋の月を見て、「名月や 池をめぐりて 夜もすがら」と詠んでいます。空には中秋の月があり、池のなかにも中秋の月が映しだされている。それを見ていると静かな池のまわりをまわって一晩すごしたということです。我と中秋の月と池のなかの月がひとつになっている風景が目に浮かびますね。

道元禅師は、
「人のさとりをうる、水に月がやどるがごとし。月ぬれず、水やぶれず。ひろくおおきなるひかりにてあれど、尺寸の木にやどり、全月も弥天も、くさの露にもやどり、一滴にもやどる。さとりの人をやぶらざる事、月の水をうがたざるがごとし。人のさとりを罣偈せざること、滴露の天月を罣偈せざるがごとし、ふかきことはたかき分量なるべし。時節の長短は、大水小水を撿点し、天月の広狭を辧取すべし。」と説法しています。

「月はほんの一滴の水のなかにもその姿を映すことができます。このことを深く考えていくと、一滴の水が月を映すということは、その一滴の水が全宇宙を含んでいるというぐらいに大きな考え方になってきます。道元がここで言いたいのは、私というのは確かに全宇宙に比べれば、ほんの小さな存在にしかすぎない。だけど、私といううものが全宇宙とイコールであるいうぐらいに気持ちになった時に初めて仏の悟りというものがわかるのであって、いかにも仏の悟りというものは、遠くにあるように思っているものだから、いつまでも経っても到着できないということなのです。そこまで壮大な気持ちにならなくても、「お月様のほうから、私の心の中に映ってくださるんだ」と考えても、悟りというものが非常に近くに感じることができるのです。」ー「仏教の智慧心の智恵」ー花山勝友編著(PHP研究所)

月を観て、歌を詠み、俳句を詠み、仏の悟りを得ることができる日本人に生れてきてよかったとつくづく思いました。よい週末をお過ごしください。感謝!合掌 徳温禅月。


2013年9月19日木曜日

禅(仏道)を歩むⅣ-山是山水是水ー

 おはようございます。
台風18号は、大きな傷跡を各地に残しました。その一方で、リニア新幹線の、東京品川から名古屋まで40分あまりで行くニュースがありました。そんなに急いで何しに行くのという心境は私だけでしょうか。経済が優先し、人々の精神がとりのこされていくのではないでしょうか。

少なくとも、都会で住む人たちは、週に一度は自然の山々、河川、そして海などに触れないとおかしくなるのは、もともと人間は自然の動物だからです。満員電車での中年男性の痴漢行為、降りてただひたすら会社に向かう無表情な顔、この国の人々は病んでいるのではないでしょうか。


2020年東京五輪そしてリニア新幹線など、否定はしませんが、さらに東京一極集中を加速させるのか、都市をまかなう電力は地方の福島県などの原発に依存して行くのか、そのような危惧をするのは、考えすぎでしょうか。

最近、地方分権や地方の活性化という言葉のトーンが落ちて聞こえなくなっていますが、経済も一極集中から地方分散して、地方での産業の育成や雇用の創出を計っていかなければ、日本国全体の国力は伸びることはないと思いますが皆さんはどう思いますか。

ところで、今日の山是山川是川(やまこれやまかわこれかわ)という言葉は、夏目漱石も湯河原の旅館に残したそうですが、山は山、川は川として見ることの大切さを詠んだものです。


私の「よろず相談室」で、育児のことをよく相談されますが、よく聴くとお母さんは自分と比較して子供をみたり、兄弟で比較したりして見ていることが多いのです。自分の時はこうだったのに、どうして子どもはできないのだろうかとか、お兄ちゃんややれるのに、弟はやれないとか、いつの間にか比較してみて、その狭間で悩んでいるんです。

自然が、山は山であるように、川が川であるように、人間ならなおさら、お兄ちゃんはお兄ちゃんの個性があり、才能があるのです。弟は弟の性格があり、能力があるのです。ありのままを見つめて、いいものを伸ばしてあげることが教育であり、育児ではないでしょうかとお答えするのです。


現代社会は、いびつな競争社会で、相対的に比較され評価され、格付けされます。そのように洗脳されているのではないでしょうか。ですからこのようなストレス社会のなかで、精神を病むことなく生きていくには、週に一回、それができない人は隔週に一回は、田舎に行ってみませんか。あなたの心の原風景があり、それが癒してくれます。

素直に物事を見つめる心を養うために、5分でも10分でも座禅をして、体を調え、呼吸を調え、こころを調えるとリフレッシュできます。今日一日、笑顔で元気に生きていきましょう。感謝!合掌、徳温禅月。



2013年9月18日水曜日

禅(仏道)を歩むⅢ-以心伝心ー

 おはようございます。
朝晩冷え込み、秋の気配を感じる今日この頃です。だんだん山々は紅葉してくるのが楽しみです。自然の営みの中に、神仏がが顕現してくださるのです。有り難いことです。

今日は、以心伝心という言葉を考えてみましょう。「こころでもって、こころをつたえる」と書いているのですが、この言葉は日常的に使われていて、都合よく使われている言葉でもあるのです。友人と会ったときに、おなじような思いのとき、以心伝心やわと言いますがちょっと違うと思うのです。

ご主人が、「言葉にださなくても、思ってることは家内に伝わるんだと、以心伝心だわ」といって、そう思い込んでいる人も多いものです。そして会話という愛情表現をしなくなくなると、だんだん冷めてくるのです。


こころの状態は、顔の表情やしぐさにあらわれてきますので、こころの状態をすがすがしく、清らかにしていないと、そのこころが相手につたわるのです。

2020年の東京五輪が決まったのですが、リオでのプレゼンテーションで、「おもてなし」という言葉を言った方がいますが、「おもてなし」は禅から茶道に受け継がれ、いまでは旅館などの観光業で使われています。まさに「おもてなし」のこころは、「以心伝心」で伝えることではないでしょうか。

禅には「不立文字」という言葉があります。文字であらわさず、体(こころ)で修行する、覚えるということですが、以心伝心も同じような意味で、言葉ではなく、こころから伝えることの大切さを言っているのです。

実は、中村天風先生が主宰した天風会があって、夏の修練会に参加すると、いくつかの実修があって、言葉を発せずに、思いで、指し示すものをあてることや、こころで重いと思うと誰も持ち上げられなくなる訓練をするのですが、これはこころの力を教えてくれているのです。

私たちが、相手のことをこころから大切に思っていると、そのことは自然に伝わるのです。たとえば年老いた父母を、いとおしく思うものは、その愛情は伝わります。逆に、嫌いだと思っている、軽率に思っているとその思いまた伝わるのです。

ですから大事なことは、わたしたちのこころをいつも見守り、こころが正常にはたらくようにしなければなりません。そのためにも、朝夕の座禅は、歯を磨くがごとく、食事をするがごとく、大事なことなのです。

ビジネスマンで、今、多忙ですと当たり前のように言う人がいますが、この忙しいという言葉こそ気をつけないと、「忙=心を亡くす」と書いています。心を亡くして仕事をしているとろくな仕事はできず、トラブルを引き起こします。忙しいと感じたときは、イス禅でも、立禅でもできますので、取り入れれば必ずリフレッシュできますよ。

「清らかなこころで、こころからこころにつたえることができますように、おちからをください。」とお祈りします。合掌 徳温禅月。






2013年9月17日火曜日

禅(仏道)を歩むⅡ-信心と信仰ー

 おはようございます。
台風18号は、近畿・北陸・東海・関東・東北など全国各地に被害をもたらしました。亡くなられ方のご冥福をお祈りします。合掌。また被災された皆様にお見舞い申し上げます。昨年、北部九州大水害で経験しましたが、泥のかきだし、洗浄、後片付け、消毒など、被災された方は、これに没頭しなくてはなりませんが、くれぐれも健康に留意され、一刻も早く立ちなおりますようにお祈りいたします。

ところで、檀信徒は毎日、座禅をし、朝課として読経します。座禅は何のためにするのでしょうか。まず、夜寝る前に座禅をし、こころを調え、就寝します。朝、起きて神仏に感謝し、半跏趺座にすわり、体の姿勢をととのえます。そして大きく一呼吸し、座禅に入ります。

座禅に入ると、当然のごとく雑念が湧いてきます。そのときに、朝の鳥の鳴き声などに耳を集中します。次におりんをならし、おりんの音に集中すると、雑念が無くなります。つまりこころを調えているのです。

ものごとに動じないこころ、こだわらないこころ、本来のこころを信じることが信心です。ですから信心を強くするためにも座禅をするのです。


朝課の読経をするのですが、曹洞宗では、妙法蓮華経観世音菩薩普門品偈、大悲心陀羅尼、消災妙吉祥陀羅尼、そして般若心経を唱えます。観世音菩薩が、わたし達の願いを聴かれ、私たちにふりかかるすべての災難を取り除いてくださるのです。

陀羅尼は、サンスクリット語で、神仏のおおいなる慈悲の救いを讃え、祈りを捧げるのです。これが信仰です。信心と信仰が一体となる時、すべての悩み、すべての苦難は取り除かれるのです。行為そのものは、自力と他力が働いてくれるのです。

地球は、人間の身勝手でおかされ、温暖化が進み、日本においても、いままでに経験したことのない大洪水、竜巻、台風が起きているのです。このことはWWFなどが警告してきましたが、いまだ温暖化防止のための二酸化炭素排出規制が、国際的にできていません。

現代文明のなかで、便利さ、豊かさのみ追い求め、自然を破壊したツケが今、廻ってきています。被災された方に罪はありませんし、誰の身にも起きるのです。その時に、私たちは心を正常に保つことが大事です。そして、神仏に災難を取り去ってくれるように祈る時、神仏は必ずや救い出してくれるでしょう。現代人はこの素朴な、祈りという行為を取り戻すべきではないでしょうか。合掌 徳温禅月


2013年9月16日月曜日

禅(仏道)を歩むⅠ-日々是好日ー

 おはようございます。
9月16日敬老の日です。93歳になるお袋が自宅で療養しているので、お見舞いかたがたお袋の様子を見に行きましたが、時間の経過とともに、老いてゆく姿をみると、人生の無常を感じざるを得ません。

人生は「生老病死」の四苦八苦だと言われても、若いときは感じないものですが、生きていく上には、仕事上のトラブルを抱えたい、なかなか思うように実績が上らなかったり、職場の人間関係に悩んだり、家庭もそれぞれが勝手に動くようになり、妻や子供との関係が希薄になり、ふと何のために生きているのか思うことがある方も少なからずおられると思います。

日本民藝館の庭園にて

そして、40、50と歳をとっていくと、高血圧症だと言われ、生活習慣病を併発するのでと薬を処方されるのです。確実に体が老いていっているのがわかり始めるのです。ましてやお袋のように、耳を聞こえない、起きて歩くこともしんどくなる。

「元気かい」と声をかけると、「まだ生きているよ」を返事をしてくる。この人生の荒波を越えてきて、次に死という到着点を意識して老後を過ごしている方も多いのではないでしょうか。それでも生きていく、生かされている。敬老の意味が、年老いた母をみているとわかりかけてきた。

しかし、このような「生老病死」の人生のなかでも。「日々是好日」と禅師は教えてくれました。雨の日もまたよし、仕事に行きづまった時もまたよし、人にいやみも言われてもまたよしと、何事にもとらわれず、ある意味では飄々と生きて行ける心構えをもてるのが禅なのかもしれません。

特に禅において、座禅をすると、こころが落ち着いてくるのです。姿勢を調え、呼吸を調え、こころを調えると言いますが、釈迦牟尼仏の悟りは、座禅によって達成されたのです。そのことを折角教えているのに、座禅をしないのは、現代人は勿体ないことです。

日本民藝館の庭園にて

ではイエスキリストはどうしたのでしょうか。聖書には、キリストは一人山に行き、神に祈っていたと書いています。近年聖書学者は、イエスキリストはエッセネ派というクムラン洞窟で瞑想する集団に所属し、当時のユダヤ教徒とは違う集団生活を送っていたと言っています。つまりキリストもまた座禅をし、こころを鎮め、瞑想し、神に祈っていたのでしょう。現在、カトリックでも座禅が取り入れられています。

人生には、いつも楽しい、愉快の時ばかりではなく、悲しい、苦しい、逆境の日々も押し寄せてくるのです。そんなとき、「日々是好日」の禅語を思い出していただければ、悪いときも、こだわらない心が呼び戻されて来ます。

まずは今日一日を精一杯に生きることです。晴れの日もよし、雨の日もよし、風の日もよし、ものごとを動じないこころを育てるのも禅(仏道)かなと思います。合掌!徳温禅月。



2013年9月13日金曜日

在家得度(受戒)式

 おはようございます。
10日、日本民藝館を後にして、16時からの日本仏教伝道協会にての、在家得度式(受戒)にのぞみました。昨年2月からの東京国際仏教塾のオリエンテーションそして入塾から、仏教入門課程と宗旨専門課程の全課程を修了し、宗旨は曹洞宗を選びましたので、中野東禅先生に師事し、在家得度(受戒)に至ることができました。

8月に亡くなられた同期生を含め、第25期生で曹洞宗コースを選ばれた方のうち、12名の方が得度できました。得度式は大変厳かに行われました。得度とは仏弟子になるということですので、仏道を歩み、生きるなかで、戒を守り、修行し、衆生のためになるおこないをしなければなりません。


釈迦牟尼仏より祖祖単伝された禅の法灯八十六代慧日山龍宝寺住持比丘 越岳東禅師より、「徳温禅月信士」の戒名を授与してしていただきました。



「戒名授与の証書」の中に、『仏弟子となり「仏とその智慧(法)と師」の三宝を信じる受戒によって人生と来生を空のこころで飾られたことをここに確かめます。』と書いてあります。授与された戒名「徳温禅月」の意味は、「教育を通して温かい心を伝え、そのさわやかさは生まれた秋の月のように澄んでいる徳を表します。」と東禅師よりご説明書をいただきました。この戒名に恥じる事のない人生を歩む決意をした次第です。

授与されました「戒名授与の証」、「輪袈裟」、「お数珠」などです。

無事、得度式が終了し、中野先生を囲んで、記念撮影です。ありがとうございました。


 
これを機会に、さらに修行に励み、社会教育を通して、仏法を伝え、悩み苦しむ人々に手をさしのべて行きたいと思いました。「徳温禅月のよろず相談室」にて受けたまわりますのでご遠慮なくご連絡ください。読者諸氏のご健康とご多幸をお祈りします。合掌。

また、終了後ホテルにて、中学校時代の同級生と四十八年ぶりに再会し、近況を語り会いました。立派な人生を歩んでおりました。これもまた仏縁です。また翌日には、青年会議所そして前職時代に、大変お世話になった千葉の社長さんの会社にご挨拶にいくことができ、たいへん感謝な旅でした。合掌。



2013年9月12日木曜日

日本民藝館へ行く

 おはようございます。
10日に日本民藝館に見学に行って来ました。それは5月に日田市で、「民藝と小鹿田」-受け継がれる炎シンポジュームーがあり、柳宗悦氏が創建した日本民藝館とはどのような所かいってみたくなったからです。

実は43年前の、70年安保のときに、すぐ近くの東京大学駒場に全共闘が集まったことを思い出しました。東京国際仏教塾の同期生と駒場駅で待ち合わせをし、近くの喫茶店で会食しました。

彼は、スリランカの旅から帰ってきたばかりで、犬や像など動物もすべて穏やかで、本当の幸せは、文明社会ではなく、スリランカにあるのかもしれないと旅のお話を聞かせていただきました。感謝です。

駒場駅から坂道をすこし登っていくと、古民家風の日本民藝館が見えて来ます。



西館は柳宗悦氏が栃木から明治初期の長屋門(登録有形文化財)と母屋からなっています。



館内は撮影できませんので、庭内の写真を撮りました。


本館は、「民藝」という新しい美の概念の普及と「美の生活化」を目指す民藝運動の本拠として、思想家の柳宗悦により企画され、設計は細部まで柳が手がけました。所蔵品は、陶磁・染織・木漆工・絵画・金工・石工・編組など、柳の審美眼で選ばれた古今東西の諸工芸品約17000点があります。(当館パンフレットより)

柳宗悦氏の仏教思想が庭内から感じ取れました。庭内の仏像です。


この日は特別展として「柳宗理の見てきたもの」が開催されていまして、日田の小鹿田焼の皿、壺なども展示されており、地元でもみることのできない逸品でありました。「緑刷毛目皿」「白地緑掛蓋壺」「刷毛目蓋壺」などです。一度日本民藝館に足を運んでみて下さい。

日本民藝館をあとにして、今回の大事な行事の、「得度受戒式」のため、田町にあります仏教伝道協会へと移動しました。明日、記載します。