2015年12月29日火曜日

NHK100分で名著「良寛詩歌集」を視て④~「老い」と「死」に向き合う~


おはようございます
良寛さんにも、お金持ちにも、地位の高い人にも、すべての人に、「老い」と「死」が訪れるのです。「老いが身のあわれを誰に語らまし杖を忘れて帰る夕暮れ」(老いていく空しさを誰に語ればいいのでしょう。杖を忘れて庵に帰る夕暮れにそう思いました。)~テキストより~


もっと言えば、人は、生老病死(生きる、老いる、病気になる、そして死ぬ苦しみ)そして愛別離苦(愛する人と別れなければならない苦しみ)、怨憎会苦(恨み、憎んでいる人に会わなければならない苦しみ)、求不得苦(求めるものが得られない苦しみ)、五蘊盛苦(自分に執着する苦しみ)という四苦八苦から逃れられないのです。



手をおりて昔の友を数ふればなきは多くぞなりにけるかな」(指折り数えてみると、古い友達は亡くなった人のほうが多くなりましたなあ)~テキスト~今年95歳で亡くなった私のおふくろが、90歳を過ぎた頃から友達はみんな逝ってしまったと言っていましたが、寂しさがあったのでしょう。


「老いていくことの寂しさが表現されていますが、後半には、老境にさしかかったからこそ感じられる喜びが見事に描写されています。漆黒の闇の中に立つ枯れ木の向こうに満天の星がきらめき、琴を奏でるかのような川のせせらぎが遠くから聞こえてくる・・・・。良寛にとっては見慣れた風景だったはずなのに、歳をとったことでそれがいっそう愛おしく美しいものに見えてきたのです。」


「病を「あるがままのもの」として受け入れ、逃げようのない現実から眼をそらさなかった」良寛の死生観は、「老いや病、死、災害から人間は逃げようがありません。だったら逃げようのない現実から眼をそらさずに、そこに肝を据えて、今を精一杯大切に生きていくしかない」ということです。このことが悟りでもあると思います。


いよいよ良寛さんも74歳の生涯を閉じるのですが、辞世の歌は、


形見とて何か残さん春は花山ほととぎす秋は紅葉ば

 形見とて何を残すらむ春は花夏ほととぎす秋はもみじ葉


(今生の別れに臨んで、親しいあなたに形見を残したいが、何を残したらよいのでしょうか。残すとすれば、春は花、夏は山のほととぎすであり、秋はもみじ葉の、美しい自然そのものこそ、私の命として残したいものです)

良寛一代の傑作ともいわれる名歌ですが、この歌からも人間は自然の一部であり、そこに命が還っていく・・・・という良寛の死生観が見てとれます。」~テキストより~


良寛さんが死ぬ直前まで表現を続けた理由として、詩や歌をつくることが好きだったのですが、「禅・仏教では、心の中を言語化することが修行のひとつと考えられていたからです。」




今回の中野東禅先生の解説は、難解な良寛の本質をわかりやすく解き明かしていただきまして、門下生として有難く思っております。私たちにはエゴや欲望があるため、悟りに至ることが難しいのですが、座禅をする、自我への批判眼を持って、言語化(ブログも一つの方法)すれば、寂静の世界と人間の本質に立ち戻ることができることを良寛さんは身をもって教えてくれているのです。


100de名著「良寛詩歌集」最終回の再放送が30日の6時と12時にNHKEテレであります。ぜひご覧になってください。尚テキストもよくまとまっていますので座右の書にしておくといいと思いました。それでは今年最後のブログになりますが、皆様方のご多幸をお祈りしつつ佳きお正月お迎えください。 南~無 合掌礼拝 徳温禅月。





2015年12月23日水曜日

NHK100分で名著「良寛詩歌集」を視て③~「人」や「自然」と心を通わす~


 おはようございます。

 私は良寛研究者でもないし、いわゆる文芸評論家でもないので、良寛さんについて語る資格はないのですが、得度したものとして語りたいと思います。良寛さんは出家僧となって、最も孤独に徹した人だったと思います。また「個」の人だったと思います。


だからこそ、日本の四季おりおりの自然を愛でる人であったのです。日本人は、自然の中の神仏を見出し、自然にとけいり、自然に同化し、自然と共に生きる術を肌で学び生活してきたものです。良寛さんこそ自然人だったのでしょう。


ノーベル文学賞を受賞した川端康成氏は、「美しい日本の私」と題して、日本の自然と日本人の心(精神性)を講演されました。良寛さんもそのことを熟知していた一人ですよね。今日のように拝金主義がはびこっても日本人の精神性の中に、清貧と惻隠が育まれていることは否定できないでしょう


このテキストの第三回の箇所で、「兄弟に対する申し訳のなさ」というところがあるのですが、良寛さんが出家したのち、家督を弟である由之が継ぎ、名主になるのです。この弟が今風にいえば、事業が失敗して、放蕩三昧におちいるようになり、橘屋(実家)は衰退していきます。その息子である馬之助も同様の事を行い、最後は、橘屋は没落するのです。


ほぼ同時代に生きた広瀬淡窓先生と良寛さんを比べることは、たいへん非礼なことだと思うのですが、良寛さんは、儒教や老荘も勉強され仏教を選び出家僧となり、詩人で歌人ですが、一方、淡窓先生は、儒教、老荘、仏教も勉強され、漢詩人であり、教育者でした。淡窓先生は幼少より病弱であったため、ご両親が学問に力を注ぎました。そして咸宜園を開塾し、「心」を育てる教育をしたのです


二人の共通点は、漢詩などを通して「心」を育てることができたし、自らの内面を言語化したということでしょうか。そのことが後世の人にも感動を与えるし人を育てることができているのではないでしょうか。


葉室麟さんは心の教育とは、「「心は即ち能く物を是非して、而も又自ら其の是非を知る」(心は物事の善悪がわかる。それだけではなく、自らの善悪もわかる。)~佐藤一斎~と書いています。


そして、淡窓先生の弟である久兵衛さんが広瀬家を継ぎ、事業を盛り立て、当時の商家として成功します。おそらく咸宜園への経済的援助もしていたでしょう。淡窓先生といわゆる実業家である久兵衛さんは、いつもお茶を飲みながら話し合っていたそうです。


葉室麟さんの小説「霖雨」を読んでいると、その光景が出てきます。広瀬家が今日も英々と栄えているのは、おそらく家訓もあるのでしょうが、やはり兄弟のご縁が深いというか、何事も話しあっていたからでしょう。


その点、良寛さんは、出家していますので、世事には疎いし、ほとんど関わらなかったし、事態が悪化するまで、内実を知らなかったかもしれませんね。悪い言い方をすれば世捨て人ですからね。


もともと弟の由之は、磊落豪放で派手好きなところがあり、いわゆる遊び人的性格であったかもしれませんね。人間には、先天的に持った本性や性質があり、それには吉的なもの(長所)と凶的なもの(短所)がありので、その本性を知っていれば、その後の努力で、短所を抑え、長所を伸ばすことができるのですが、いわゆる事業の失敗とともに自暴自棄になり、遊興三昧におちいったのでしょう。息子の馬之助も同様です。


その点でいえば、広瀬家の人々は、質実で、誠実で、堅実な道を歩んでいますね。子供が三、四人いると一人くらいはいわゆる馬鹿息子がいるのですが、広瀬家にはそのような方は見当たらないようです。


いるし、衰えさせる跡継ぎもいるのです。ですから今でいえば経営者は、誰を後継者にするかで、その会社(家)の盛衰は決まってくるのです。


少し、見当違いな感想になりましたが、やはり良寛さんは、子供と遊ぶことで、無心になっていたし、自然のなかで生きることで、無我や空の心であったし、当代きっての禅者であったことは間違いないのです。私たちは世俗に生きていても良寛さんの生き方を学ぶことで、生きる力を得ることもできるのです


今日はこれくらいにして、いよいよ本日23日午後10時からのNHKEテレ「良寛詩歌集」最終回~「老い」と「死」に向き合う~を視ましょう。それでは皆様のご健勝をお祈りしつつ 南~無 合掌礼拝 徳温禅月。


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2015年12月17日木曜日

NHK100分で名著「良寛詩歌集」を視て②~清貧に生きる~


 おはようございます。

 現代人は、清貧に生きることなどできるのだろうか。特に日本ほど安全で豊かで便利で、ほとんどのものが揃っていて、誰しもがなに不自由なく生きている。でも良寛詩歌集を見ていて思ったのですが、現代社会の中で、望まないのに清貧に生きている人たちもいます。


例えばホームレスの人、あるいは家はあるが、電気も水道代も払えずに、最後は孤独死で亡くなる方たちがいるのも現実です。この人たちの清貧と、良寛さんの清貧はどうちがうのでしょうか。


良寛さんは、長岡藩主から「長岡に寺を建てようと思っているので、来てくれないか」との誘いを受けるのですが、「たくほどは風がもてくる落ち葉かな」と詠んで藩主の申し出を辞退します。


地位や名誉、財産など捨てきって、必要最小限の雨露をしのぐ住居とお椀と箸で生きる。いやまてよ、良寛さんに紙と墨と毛筆がありました。詩を書き、歌を詠むことは、自分の考え方の表現であり、生き方の言語化があったのでしょう。そして楽しんでいます。


食べられず生きているだけなら、現代の貧困とさして変わりませんが、良寛さんには、詩歌あり、また戒も作り、僧として村人とともに飲み食いをし、村人の相談相手になっているし、捨てきった生活のなかで、喜んで楽しんで子供たちを遊んでいるのです。


まるで、自然界の木々や草花であり、あるいはその恵みによって生きている動物たちとも同化しているように思えるのです。乞食行のなかで、捨てきった先にあるものは、なにものをもとらわれない生き方でしょう。それに誰もが憧れるのです。




今日は何を食べるか、どこで寝るか、何を着るかを心配しない。与えられるものは御仏の慈悲で与えられる。泥棒が入ってきたら、盗まれるものがないので、自分が寝ているせんべい布団を差し出すくらいですから、執着がないのですね。泥棒にすら共感している。


とらわれない生き方、それが清貧でしょうが、その座標軸がしっかりしてないかぎり、良寛さんのような生き方はできない。ある意味では現代社会ほど、お金がかかる時代はないかもしれない。電気代、ガス代、水道代、保険代、これに車のガソリン代、車両保険など最小限の経費を出しても月にご夫婦で平均約25万はかかると試算されています。


それはともかくとして、問題は知足少欲で、贅沢をせず、楽しく生きるには、やはり生きる思想というものが必要であり、何のために生きるのかというそれぞれの座標軸を持たなければなりません。


良寛さん曰く、「一生、立身にはやる気がなく、自由に遊び歩いて心のままに任せてきました。頭陀袋の中には三升の米があり、囲炉裏には一束の薪があります。誰かが悟りについて質問したら言いましょう、面子だとか利益などという塵がどこにあるのですかと。夜の雨が降る草庵の中で、二本の足をのんびり伸ばしているだけです。」と。(NHKテレビテキストより)


自分の喜びや楽しみを詩にしていたからこそ、誰もが共感できたし、生き方の手本としたのです。鍋蓋に「心月輪」と書いたのは、「心は丸く月のように清らか」であるという清貧のこころを言っているのです。


「世の中にまじらぬとにはあらねどもひとり遊びぞわれにまされる」(世間の事には関与しないというわけではありませんが、孤高の精神世界に遊ぶことが自分には一番の喜びなのです)NHKテレビテキストより。それでは皆様のご健康をお祈りしつつ 南~無 合掌礼拝 徳温禅月。


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2015年12月16日水曜日

密教宿曜占星で見る輝く少女マララさんの運勢


おはようございます。

マララ・ユスフザイさんの活動がTVニュースであっていましたが、直感的にこの方は、「亢宿」の方だなと思いました。なぜ亢宿だと思ったかというと、以前、アウンサンスーチーさんを宿曜占星で見たとき、彼女も亢宿だったからです。



最近、人間には、大きく分けて二十七種類のタイプの方がおられると思っています。実際は、それぞれの親御さんの影響を受けて命をいただいて、生を受けていますから、個人を特定する場合は親御さんの宿曜も見る必要があります。


マララさんは、タリバンから銃撃され、瀕死の重傷を負いながら、神仏は彼女を奇跡的によみがえらせたと私は思っているのですが、その後回復し、2014年にノーベル平和賞を受賞されました。


女性に教育をと訴えています。就学支援事業として「201312月、ユネスコとパキスタンは、就学機会を奪われた女性の教育を支援するマララ基金の設立を発表した[39] 20157月にはシリア難民の少女を対象として、レバノン東部のベカー平原に学校を開設した。この学校の開校にあたってはマララ基金から資金が拠出されている[40]。」(ウキペディアより)


マララ・ユスフザイさんは、1997712日生まれで、二十七宿中の「亢宿」です。「亢宿」は、秤宮(四足)に属します。秤宮とは、いわゆるバランス感覚に優れ、誠実で正義を貫く性質を持っている宮です。


「亢宿」の方は、「自分に厳しく、正直で正義の人です。不正とか虚偽を嫌い、己の信念に忠実でまっすぐに生きようとします。」(「密教宿曜占星術」) つまりこの星はレジスタンスの星ですね。


人類は、おうおうにしてこのような方によって、変革し、進歩しているのです。

さて、マララさんの運勢を九曜流年法で見てみましょう。2012年数えで16歳の時に銃撃されていますが、この年は計都星でした。2013年は月曜星ですから良き年でしたね。今年は羅候星で、来年は土曜星ですからお誕生日までは気をつける年まわりですね。


三・九の秘法で見ると、同様に201216歳のときは悲運の年でしたが、2013年は新しく生まれる年でしたね。今年は友の年ですから、縁が深まる年です。個人の運気が強いですが、やはり来年までは要注意ですが、誕生日以後4年間は大活躍され、充実した人生を送ります。


宿曜は吉と凶を見るわけですから、凶の部分その反対の性格が出る場合もあります。ですから、自分の良いところ(吉)と悪いところ(凶)を理解し、良いところはどんどん伸ばし、悪いところは直していく努力が必要です。いわゆる魔がさすと凶がでてくるのです。その時は魔を払う必要もあります。


ですから、正式に仏教及び宿曜経を研究された方の密教宿曜占星でなければ十分なアドバイスはできないと思っています。単なる占いの類ではないことをご理解下さい。


それではマララさんの大いなるご活躍と、皆様のご健勝をお祈りしつつ、南無 合掌礼拝 徳温禅月。


個人相談及び経営相談について

密教宿曜占星を用いて皆様の運命、人間関係を鑑定し、個人相談にお答えします。結婚・離婚問題、嫁姑・親子関係、職場内の人間関係、子供さんの教育と進路などの個人相談は、一件につき志納として三千円を納めていただいております。


また経営者の方は、あなたの運勢と今後の事業実施の時期と可能性と、組織の人事構成など宿曜経に基づいてアドバイスします。経営相談は、一件につき、志納として三万円を納めていただいております。


まずは、相談内容や詳細について、メールにてお問い合わせください。

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2015年12月9日水曜日

NHK100分で名著「良寛詩歌集」を視て①~ありのままの自己をみつめて~



  こんにちは

今回はNHKEテレ100分で名著「良寛詩歌集」で、東京国際仏教塾で師事した中野東禅先生がレクチャーされるということで、待ちに待った番組です。先週から始まったのですが、今朝の6時と午後12時から再放送を視なおしました。


日本人のどこかに、良寛的生き方への共感と憧れを持っているのではないでしょうか。現代人の誰一人として、良寛さんと同じ生き方と精神的高みに到達することは、現代のお坊さんでもいないのではないでしょうか、それでも興味がつのるのです。


良寛さんの生まれは、現代風にいえば、いいとこの坊ちゃん、分限者どんのボンボンと言うところでしょうか?いわゆる出雲崎の名主(いわゆる庄屋)の長男ですから、なに不自由なく育ったのでしょう。


しかし栄蔵少年(のちの良寛)は、純真で、まじめで、馬鹿正直者でしたので、「橘屋の昼行灯(ひるあんどん)」と呼ばれていたそうです。しかし知的好奇心は旺盛で、論語や十三経を読んでいて、記憶力が抜群だったそうです


江戸時代に大分県日田市で「咸宜園」をつくられた広瀬淡窓先生は昼行灯ではありませんが、子供の頃から病弱で跡継ぎを弟九兵衛に譲って、約5000名が集う私塾にするのです。共通点があるなと思うのです。人間やはり壁にぶつかったり、苦労しないと学問を成就したり、悟りには到達しないのではないでしょうか。つまりほんものにはならないですね。


15歳で文孝と名乗り、18歳で名主見習いをするのですが、ドジというか、間抜けと言うか、いわゆる一般常識的な適応力に欠けていたのでしょう。大失敗をやらかします。本人も名主の仕事など自分にはできないと思ったのでしょう。


父親に願いでて出家します。つまり僧になるということですが、今のお坊さんとは違って、出家するとは世のしがらみを捨てきる、地位や名誉や財産などすべてです。今のお坊さんたちもそれをしたら少しはお坊さんに対する評価が変わるのではないでしょうか。


この時の良寛さんは、自分の生き方を求めていたのでしょう。いわゆる求道者ですね。「すべてを捨てきったあとに見えてくるものがある」と中野東禅先生はおっしゃっています。今の岡山県の光照寺の国仙和尚から得度を受け、授かった僧名が「大愚良寛」です。



その後の良寛さんは、「縁」に身をまかせた生き方をするのですが、集まってくる条件である「縁」をどう主体的に生きるかということです。そして良寛さんは「清貧こそが世間の苦悩や哀しみのもととなる欲望を超える道だ」と悟るのです。



「わが命はどこから来て、どこへ行くのでしょうか。・・・・考えても、その始まりもわかりません。だから、現在もわかっていないのです。縁によって転変する生も掴みようがありませんが、その中こそ我という真実があるのです、まして、是だの非だの争うのは空しい。いささかも分別を差しはさむ隙間はないのです。ただ、今の縁をよしとし、大切にして生きるだけです。」という心境になっていくのです。


このような心境になるには、乞食修行をしなければ見えてこないのです。名経営者である京セラの創業者稲盛和夫氏も臨済宗で得度され托鉢修行をされたのです。現代の僧も托鉢や乞食修行を必須科目にしてはどうでしょうか。


私は純然たる在家として、得度しましたから、経済も寺に依存せずにコンサルタントで食って行っています。いわゆる寺経済が生活の基盤になると難しい面があると思うのです。


とにもかくにも本日、午後10時より第二回~清貧に生きる~があります。ぜひ見てください。それでは皆様のご健勝を祈りつつ 南無 合掌礼拝 徳温禅月。


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2015年12月7日月曜日

葉室麟さんのお話しを聴いて

 おはようございます。
葉室麟さんと矢野寛治さんとの公開座談会おもしろかったね。矢野さんが中津出身ということもあり、広瀬淡窓先生と福沢諭吉先生と対比しながら、お話しを進めていましたが、興味津々で聞き入りました。二人の生き方は全く違いますよね。

世の中では福沢諭吉のほうが、慶応義塾も創立したし、その後の日本経済を支えてきた人材も輩出してきましたので、有名人ですが、やはり地元だからというのもあるかも知れませんが僕は広瀬淡窓先生の思想と教育のほうに共鳴するんですよね。

咸宜園教育を一言でいえば、全人教育であり、情操教育であり、こころを養う教育だと思います。昨今、これを無視して理系ばかりに力を入れている文部省がありますが、現実には、ノーベル物理学賞受賞者のほとんどが地方出身で、自然豊かなところで生まれ育ち、情操豊かな方々であるのです。つまり最も大事なのは、人間教育であり、いわゆる科学はあとからついてくるものです。人間の脳細胞はそうなっているんではないでしょうか。


葉室麟さんは、知識も豊富で参考になることをたくさんお話しされたのですが、僕が気になったのは、今度文芸春秋で「西郷隆盛」を書くそうですが、西郷さんがいわゆる官僚的な上から目線ではなく、人間味の溢れる方だったからこそ西郷さんを慕って若者が集まったのでしょう。

葉室さんの小説は、そのような人間の機微や人情を描くのがうまいなと思っているファンの一人ですが、西郷をどう描くか楽しみですね。

ふと思ったのですが、広瀬淡窓先生は、坊主が嫌いで仏教を避けていたところがあるのですが、妹アリのちの秋子の影響で、豪潮律師と会い、「楞厳経」を読み、「予、生来佛法の何物たるかを知らず、陰隲録を読み、及び豪潮律師に見えて、その説を聴くに至って、少しくその端緒を知る。楞厳経を読むに至って初めて佛教の高大を窮め精微を尽くすことを知れり、ここにおいて軽侮の心やみて尊崇の念起これり」と記している。「広瀬淡窓」~深町浩一郎著西日本新聞社。

そして、自分のために仏教に帰依し、京都でその生涯を閉じた秋子を慕い、秋子を咸宜園をつくる糧としたのだと推察するのですが、実は西郷隆盛も尊王攘夷の僧月照と知己となり、安政の大獄で容疑をかけられた月照を救うために薩摩藩にかくまおうとしたが、許しが得られず、二人で入水自殺するのです。西郷は助けられるのですが、まさに親友であった月照は亡くなります。西郷もまた月照を通して、仏教との出会いがあったのです。

二人の人間性の中に仏との出会いがあり、広瀬淡窓先生の敬天思想にも、西郷隆盛の敬天愛人にもつながるものがあると思えるのです。敬天の天とは、おそらく二人にとっては、神であり、御仏であり、全宇宙の源を指しているのではないでしょうか。霊的な存在であり、それに触れることによって、二人の霊性は高められたのでしょう。

今、世界の必要なのは霊性であり、霊性の欠如がテロリズムを産んでいるし、同時にダライラマさんが言うように、祈ってばかりしても何も解決しない、システムを変えないといけないとも思うわけです。

つまり情操教育と同時に、システムを変える、若者の非正規雇用などは廃止しないと、若者は生活していけない、結婚もできない、子供も産み育てられない状況をなっています。オーム真理教に見られるように、日本にもテロリズムを産む温床があることを国も指導者は考えるべきです。

葉室麟さんのお話の中で気づいたことを徒然なるままに書きました。それでは、皆様のご健勝をお祈りしつつ 南無 合掌礼拝 徳温禅月。

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2015年12月3日木曜日

宿曜占星で見る陰陽師を舞った羽生結弦選手の運勢



 おはようございます。

NHK杯で羽生結弦選手は、まるで安倍晴明が乗り移ったかのように、陰陽師を舞い、世界最高得点のショート106.33点、フリー21607点、合計で322.40点をマークした。世界が驚嘆したと言っていいでしょう。


そしてその演技は、神秘的で、陰陽師とはいったい何なのか、注目をされています。日本では映画やTVで、陰陽師「安倍晴明」をほとんどの方が見ているのでどんな職業で、どんな人かフィクションの中でわかっているでしょう。


平安時代、国の吉凶を視、悪霊を払う陰陽道があり、陰陽師によって行われましたが、天皇が空海さんを重用するにつれ、密教の宿曜道が高野山や比叡山の僧によって、人物の鑑定、年時日の吉凶、悪霊払いが行われるようになり、陰陽道と宿曜道が存在したわけです。


陰陽道は、安倍晴明の流れを組む、土御門家によって、江戸・明治へと引き継がれていきますが、宿曜道は一子相伝の口伝のため、宿曜師も少なく、高野山真言宗や比叡山天台宗の密教として、口外されることはありませんでした。


しかし、宿曜経の内容や宿曜道のホロスコープは、陰陽師によって用いられていたようです。源氏物語の中にも宿曜師が登場しますし、竹取物語は宿曜経の影響があります。


今日の話しは、安倍晴明がのり移ったような、羽生結弦選手とどのような星のもとに生まれてきたかを書きたいと思います。1994年(平成6年)127日ですので、二十七宿の中の、魚宮(一足)と瓶宮(三足)に属する室宿です。


瓶宮の原文の中に、「勝彊の事を主る」とあるように、よく鍛え、修行努力するという意味です。魚宮の原文に「富貴忠直なるべし」とあるように、富と気品を備え、忠実で実直だという意味です。その通りですね。


室宿の方は、みかけと心情は、まったく相反する人です。気弱そうに見えても精神面は強く、へこたりません。ですから、目標設定をしたら、何が何でも達成しようと超人的な努力をしますし、類にない集中力をもっています。ですから自信家でもありますのが、「正直律儀なる」と書いてある通り、誠実です。しかし人をはねのけて奪い取るところもあります。羽生選手はアスリートですからそのくらいの根性を持っていないとチャンピオンにはなれないでしょう。


彼の年運は、平成27年と平成28年は絶好調ですね。平成29年と30年は火曜星、計都星に入るため、病気や怪我に気をつけたほうがいいですね。グランプリファイナルも優勝でしょう。ファンの一人として応援していますよ。


それでは羽生結弦選手のさらなる優勝とご活躍、そして皆様のご健勝をお祈りしつつ 南無 合掌礼拝 徳温禅月。


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宿曜経を用いて皆様の運命、人間関係を占星鑑定し、個人相談にお答えします。結婚・離婚問題、嫁姑・親子関係、職場内の人間関係、子供さんの教育と進路などの個人相談は、一件につき志納として三千円を納めていただいております。


また経営者の方は、あなたの運勢と今後の事業実施の時期と可能性と、組織の人事構成など宿曜経に基づいてアドバイスします。経営相談は、一件につき、志納として三万円を納めていただいております。

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