おはようございます。
世界の成功哲学といわれるもののほとんどを読んできましたが、それぞれに一長一短があります。人は皆、経済的に豊かになりたい、健康でありたい、長生きしたい、幸福でありたいと願っています。
しかし、豊かさの度合いも、幸福のあり方もわかっていないのが現実ではないでしょうか。もっとも大事なことは分際を知ることではないでしょうか。分際とはなにか、ある意味では、宿命と言ってもいいと思いますが、いつ、どこで、誰と誰を両親にして生まれたか、など変えることはできません。つまり、いつ、どこで、誰から生まれたかは宿命です。
その宿命によって、わたしたちの性格・性質や能力さえも影響されているとしたら、それを知ったうえで、夢を持ち、努力すれば、運命は開かれ、成功に満ちた人生を送ることができると思います。それが分際を知っているからこそ、他人との比較ではなく、自分の夢を、なすべきことを実現できるのです。
私が、仏教を学び、宿曜経および宿曜占星法を勉強してきていなっかたら、大分県日田市のもっとも星空が美しく見える月出山岳(かんとうだけ)に、安政4年に建てられた門外不出の宿曜経の碑(宝塔)があり、その意味を解明できることはなかったでしょう。それは宿命ですね。
安政2年におきた安政江戸地震は安政の大地震と言われて、関東一帯に甚大な被害をもたらしました。世情は悪化し、安政5年、大老井伊直助によって、吉田松陰などが斬首された安政の大獄が吹き荒れ、安政7年、桜田門外で井伊直助は、尊皇攘夷派の武士によって殺害されるのです。
このような時代背景の中で、安政4年に幕府直轄地である天領日田で、宿曜経による祈願がなされ、その宝塔が建立されたことは、おそらく代官の命令によって、あるいは許可でなされたことは大きな意義があります。
なぜなら宿曜経では、凶年を読み取りことができ、それを回避する術も持ち合わせていたからです。しかし門外不出と言われた宿曜経がなぜこの地にもたらされたのでしょうか。それは、1801年(享和元)頃から、比叡山天台宗の阿闍梨であった肥後の豪潮律師を当時の代官が招聘していたからです。
豪潮なきあとも、その弟子が天領地日田におとづれ、国家安泰、領民の無病息災などを祈願、祈祷していたと思われます。
またこの宿曜経の宝塔が、月出山岳(かんとうだけ)に建立されたかを推察すると、景行天皇によって命名されたと言われるこの山こそ、月が出る山あり、二十八宿を視ることができ、拝むことができた場所なのです。だからここを二十八宿遥拝所としたのです。
この二十八宿(星)こそ、皆様それぞれの性質、性格、能力、分際を解き明かしているのです。
これこそ、最強の成功哲学であり、成功聖書であり仏典なのです。「己を知り、敵を知れば百戦危うからずや」と言われている通りです。あなたが何者で、あなたはどんな人と相性がよいのか、悪いのか、そしてあなたの人生で輝く時期は何年かを知っていれば、おのずとあなたは成功への階段を上ることができるのです。
宿曜経および密教宿曜占星鑑定をしてほしい方は、下記のメールアドレスまでご連絡ください。 beppu1717@gmail.com 皆様な人生が充実したものでありますようにお祈りします。南無 合唱礼拝 得温前月。