2015年10月19日月曜日

「終活」とは生と死に向き合うこと

先日、先輩(享年68歳)のお葬儀に参列しましたが、早すぎる死に戸惑いました。半年前に、膵臓に癌が見つかり、心配されていましたが、ステージⅡだと聞いていましたので、お見舞いもご遠慮しておりました。

今年に入って、身のまわりの60歳前後の方が、次々に亡くなり、毎月お葬儀に行くありさまです。ただ気づいたのは、そのほとんどの方が、癌による死であり、共通点は、手術そして抗がん剤治療でした。

検査で癌であることを告知され、ほとんどの方が茫然とするか、うろたえるかではないでしょうか。それは、癌が死に至る病であり、死をイメージするからです。

当然、癌というものがどのような病気であるかも漠然としか知らず、ましてやその治療法も知らない方がほとんどです。私も知りませんでした、病院まかせ、医者まかせでした。自分が終わりになるかも知れないのに、それでいいのでしょうか。

一般的に、癌の治療法には、手術、抗がん剤治療、放射線治療があり、いわゆる先端医療による治療もあります。ほかに、食事療法やいわゆる西洋医学と東洋医学を総合的に取り入れた統合医療というものがあります。


知らないと自分の生死を医者にゆだねた現代医療(西洋医学)に頼るしかないのです。東洋医学や統合医療を知っていれば、お医者さんの意見を聴き、自分で治療を選択することができるのです。

つまり、自分の死に自分が責任を持つ、あるいは納得するということかもしれません。東京女子医科大学の医学博士の川嶋 朗先生の「人が死ぬときに後悔する34のリスト」を読んで、「終活」とは、生と死に向き合うことだと思います。向き合わないとやはり、自分だけでなく、ご家族の方も後悔するからです。

たとえば癌にかかり、どの治療法を選ぶかも、そのまえに「終活」をしていれば、病気になるまえに、自分はどの治療方法を選ぶかを決めることができているのです。ですから医療も「終活」のひとつの項目と言えるでしょう。

そして、家族や親族そして友人や知人のお葬儀に参列すると、お見送りし、故人を偲ぶと同時に、自分自身の生と死に向き合う、あるいは死を意識するのです。「終活」を「人生の終焉を考え、今を自分らしくより良く生きる活動」と定義しているように、「終活」を、現在の仕事や生活、医療そして介護などから考えるべきと思っています。

つまり、「終活」は後期高齢者の言葉ではなく、現代社会だからこそ少なくとも50歳になったら、取り掛かるべき活動だと言えるでしょう。そうすると自分の宗教観にも自問自答せざる得なくなるのです。


「いつまでもあると思うなわがいのち」と言うように、いのちには限りがあります。50歳になったら、ひとまず人生の総括をしてはと思う次第です。それでは皆様の人生が実り豊かなものでありますようにお祈りします。南無 合掌礼拝 徳温禅月。






2015年10月13日火曜日

生まれるに時があり、死ぬるに時がある

おはようございます。
人生はときにかなって美しい。しかし、人が生まれ、死ぬるときはさだまっているんでしょうか?聖書の伝道者の書3章にはこのように書いています。

「天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある。
生まれるのに時があり、死ぬのに時がある。植えるのに時があり、植えた物を引き抜くのに時がある。
殺すのに時があり、いやすのに時がある。くずすのに時があり、建てるのに時がある。
泣くのに時があり、ほほえむのに時がある。嘆くのに時があり、踊るのに時がある。
石を投げ捨てるのに時があり、石を集めるのに時がある。抱擁するのに時があり、抱擁をやめるのに時がある。
捜すのに時があり、失うのに時がある。保つのに時があり、投げ捨てるのに時がある。
引き裂くのに時があり、縫い合わせるのに時がある。黙っているのに時があり、話をするのに時がある。
愛するのに時があり、憎むのに時がある。戦うのに時があり、和睦するのに時がある。」 ~聖書(新改訳)~

つまり、生まれる時も、死ぬ時も定まった時があると書いているのです。

インドから伝わった宿曜経では、生まれた時の宿星によって、その人の本性(性質や性格)、能力、運命がわかると言います。宿星は二十八宿(星)あります。どの星のもとに生まれるかも定まっているのでしょうか。いつか、生と死を科学が証明する日もくるでしょう。

「昴宿、畢宿、觜宿、参宿、井宿、鬼宿、柳宿、星宿、張宿、翼宿、軫宿、角宿、亢宿、底宿、 房宿、心宿、尾宿、箕宿、斗宿、牛宿、女宿、虚宿、危宿、室宿、壁宿、奎宿、婁宿、胃宿」の二十八宿(星)

それぞれの詳細はまたのちのち述べていきましょう。以前書きましたが、先頃結婚した福山雅治さんと吹石一恵さんは、ともに「友」の年で、宿曜経(下)に、ご縁、結婚の良い年とされています。すごい的中率ですね。


また、私は、ボランティアで終活カウンセラーをしていて、毎日新聞のお悔やみ欄をみていて、不思議に思ったことがありました。亡くなられる年齢が同じというか近いのです。

真言宗の明王寺さんでいただいた星まつり年齢早見表をみると、大凶の羅候星という星巡りで半分くらいの人が亡くなっています。昨今の芸能人の方でいえば、数えで、愛川欣也さん82歳、今井雅治さん55歳、川島なおみさん55歳などです。

次に、凶の火曜星と計都星で、この三つの星巡りで亡くなられる方が7割から8割近くいます。人は、勝手に死に至っていないのです。尚、星巡りは、羅候星、土曜星、水曜星、金曜星、日曜星、火曜星、計都星、月曜星、木曜星と九年かけて巡っていきます。これを秘法「九曜流年法」と言います。

ちなみに羅候星は、数え年で1歳、10歳、19歳、28歳、37歳、46歳、55歳、64歳、73歳、82歳、91歳、100歳です。この年齢のときは、たいへん注意をしておく必要があります。病気やけがが命取りになるのです。

生きとし生けるものはすべて、生まれたら、かならず死に至るのです。しかし、死に至るまでの人生を楽しいものにするか、苦しいものにするかは、実はあなた次第だと言えるでしょう。

なぜなら、宇宙の法則に逆らわずに生きていく、人間としての努力を惜しまない、そして神仏の加護と御力をいただけば、おのずと人生を豊かに幸せに過ごすことができるのです。

そう信じ生きていく人は信仰熱き人でしょう。宿命は変えられませんが、運命は大きく拓くことができるのです。そのためには、法界と言いますが、宇宙の法則、宇宙のリズム、宇宙のエネルギー(氣)を理解すること、そして己の本性を知っておくべきです。これも分際ともいい、本分ともいい、身の程ともいうのです。

さて今日はこの辺までにしておきましょう。それでは皆様の運命が花ひらきますようにと祈りつつ、南~無 合掌礼拝 徳温禅月。己の本性や、運気を知りたい方はメールにてお問い合わせ下さい。beppu1717@gmail.com







2015年10月10日土曜日

虚心坦懐~64歳の誕生日を迎えて想う~


 おかげさまで、満64歳を迎え、数えの65歳になったわけです。昨年来、九曜流年法の大凶である羅候星であったのですが、昨年の胆のうがん摘出手術、そして今年2月16日に母(享年95歳)を亡くし、やはり羅候星という年回りはあるなを思っています。

今年は、土曜星で中吉ですが、生まれ月になるまでは、羅候星の影響があると思って気をつけておりました。4年前に還暦を迎え、やっと人生の折り返し地点に来たかと思っていました。

数えの60歳で、兄と友人を亡くしたことが、生と死とはと考えるきっかけとなり人生を考え直そうと思いました。中高生の頃から人間の幸福とは、ひとはどうすれば幸せな生活をおくれるのか、をいつも思っていました。

学生時代は、唯物思想にかぶれ、社会人になってニューソートと言われる実用主義哲学を実践し、さらにキリスト教を学ぶことがでました。50歳を過ぎて、稲盛哲学に触れ、仏教を学ぶようになりました。このことは私の著書、「生きる」や「生き方そして働き方」に書いていますので、HP(別府総合研究所)より読んでいただければ幸いです。

数えの65歳になるこの日に、60歳(火曜星)、一般的に厄年と言われる61歳(計都星)の時期に、東京国際仏教塾に通塾することができたことが、私の厄払いになったと思っています。

基本的な仏教の概念を学び、誰しもが訪れる生老病死に、まずは、兄や友人の死を通して思い知らされて仏教を学び始めたのですが、生を受けて老いが来るそして現代ではおそらく65歳を過ぎないと老いを感じないかもしれません。

しかし、病死は、生をうけたときからいつ来るかは人の考えに及ばないものなのです。一般的に病気にかかって死ぬこともあり、あるいは、自動車事故や天変地異の災害にあって、死に至ることもあるのです。

少なくとも、病と死には、原因と結果が厳然として存在しているのです。癌にかかって、食生活を振り返ると、インスタント食を食べたりしていたし、若いときは暴飲暴食をしていたので、その原因がまずは食にあったわけです。

そのことが体を冷やし、少しづつ癌を作り出すことになっていたのでしょう。あるいは、ストレスなども原因と言われています。癌あるいは、脳こうそく、心筋梗塞などが発症すれば死に至る確率は大きくなります。

人の幸福あるいは不幸には、原因と結果があるのです。いつも嫉妬や恨みごとを思い、愚痴や消極的なことを言っていると精神をむしばんできます。不幸の種は自分が自分のこころに蒔いていると言えるでしょう。

しかし、良きことも訪れました。平成25年に二男の正吾が、今年の7月に長男の夏樹が、結婚し、所帯を持ったことは、喜ばしいかぎりで、やはり結婚して、初めて一人目になったと思うものです。

しかし、今年の2月に、私を愛して育ててくれた母が老衰のため、95歳の生涯を閉じました。気丈夫で、頑張り屋の母でした。誰しも愛別離苦が訪れるのですが、喪失感があります。

さて、これからの五年間にしたいこと、やはり 仏道を歩み、仏教をお伝えすることを通して皆様のお役に立ちたいと思っています。なぜなら仏教は、今の自分、今おかれておる現状がわかるし、その解決方法が示されているからです。仏教は生きる智慧なのです。

ましてや、死に至ることがあっても、私たちがどこからきてどこに帰るのかを教えてくれます。それを知らずに生きていると、世のわずらわしさにさいなまれ、自らを見失うのです。

つまり信仰ある生き方をお伝えしたいと思っています。御仏を知れば傲慢に生きることはありません。御仏へのご報恩とご縁のあるかたへの感謝を忘れることがないからです。

信仰ある生き方とは、人のために働くこと、戒め(法律)を守ること、いかなる苦難にも耐えること、たゆまず努力すること、座禅瞑想しいつも心を平静にすること、御仏の智慧を学び、その経(教え)を読誦することです。

まずは、一日、一日、ひと月、ひと月、一年、一年を大切に生きていくことが最上の生き方でしょう。それぞれの人が他人様のお役に立っているわけですから、自分なりに仕事に、あるいはボランティアに精進することだと思います。


まずは、これからの五年間をすこしでも皆様のお役に立つように精進し、尽力したいと思います。それでは皆様のご健康を祈りつつ 南~無 合掌礼拝 徳温禅月。