2015年10月10日土曜日

虚心坦懐~64歳の誕生日を迎えて想う~


 おかげさまで、満64歳を迎え、数えの65歳になったわけです。昨年来、九曜流年法の大凶である羅候星であったのですが、昨年の胆のうがん摘出手術、そして今年2月16日に母(享年95歳)を亡くし、やはり羅候星という年回りはあるなを思っています。

今年は、土曜星で中吉ですが、生まれ月になるまでは、羅候星の影響があると思って気をつけておりました。4年前に還暦を迎え、やっと人生の折り返し地点に来たかと思っていました。

数えの60歳で、兄と友人を亡くしたことが、生と死とはと考えるきっかけとなり人生を考え直そうと思いました。中高生の頃から人間の幸福とは、ひとはどうすれば幸せな生活をおくれるのか、をいつも思っていました。

学生時代は、唯物思想にかぶれ、社会人になってニューソートと言われる実用主義哲学を実践し、さらにキリスト教を学ぶことがでました。50歳を過ぎて、稲盛哲学に触れ、仏教を学ぶようになりました。このことは私の著書、「生きる」や「生き方そして働き方」に書いていますので、HP(別府総合研究所)より読んでいただければ幸いです。

数えの65歳になるこの日に、60歳(火曜星)、一般的に厄年と言われる61歳(計都星)の時期に、東京国際仏教塾に通塾することができたことが、私の厄払いになったと思っています。

基本的な仏教の概念を学び、誰しもが訪れる生老病死に、まずは、兄や友人の死を通して思い知らされて仏教を学び始めたのですが、生を受けて老いが来るそして現代ではおそらく65歳を過ぎないと老いを感じないかもしれません。

しかし、病死は、生をうけたときからいつ来るかは人の考えに及ばないものなのです。一般的に病気にかかって死ぬこともあり、あるいは、自動車事故や天変地異の災害にあって、死に至ることもあるのです。

少なくとも、病と死には、原因と結果が厳然として存在しているのです。癌にかかって、食生活を振り返ると、インスタント食を食べたりしていたし、若いときは暴飲暴食をしていたので、その原因がまずは食にあったわけです。

そのことが体を冷やし、少しづつ癌を作り出すことになっていたのでしょう。あるいは、ストレスなども原因と言われています。癌あるいは、脳こうそく、心筋梗塞などが発症すれば死に至る確率は大きくなります。

人の幸福あるいは不幸には、原因と結果があるのです。いつも嫉妬や恨みごとを思い、愚痴や消極的なことを言っていると精神をむしばんできます。不幸の種は自分が自分のこころに蒔いていると言えるでしょう。

しかし、良きことも訪れました。平成25年に二男の正吾が、今年の7月に長男の夏樹が、結婚し、所帯を持ったことは、喜ばしいかぎりで、やはり結婚して、初めて一人目になったと思うものです。

しかし、今年の2月に、私を愛して育ててくれた母が老衰のため、95歳の生涯を閉じました。気丈夫で、頑張り屋の母でした。誰しも愛別離苦が訪れるのですが、喪失感があります。

さて、これからの五年間にしたいこと、やはり 仏道を歩み、仏教をお伝えすることを通して皆様のお役に立ちたいと思っています。なぜなら仏教は、今の自分、今おかれておる現状がわかるし、その解決方法が示されているからです。仏教は生きる智慧なのです。

ましてや、死に至ることがあっても、私たちがどこからきてどこに帰るのかを教えてくれます。それを知らずに生きていると、世のわずらわしさにさいなまれ、自らを見失うのです。

つまり信仰ある生き方をお伝えしたいと思っています。御仏を知れば傲慢に生きることはありません。御仏へのご報恩とご縁のあるかたへの感謝を忘れることがないからです。

信仰ある生き方とは、人のために働くこと、戒め(法律)を守ること、いかなる苦難にも耐えること、たゆまず努力すること、座禅瞑想しいつも心を平静にすること、御仏の智慧を学び、その経(教え)を読誦することです。

まずは、一日、一日、ひと月、ひと月、一年、一年を大切に生きていくことが最上の生き方でしょう。それぞれの人が他人様のお役に立っているわけですから、自分なりに仕事に、あるいはボランティアに精進することだと思います。


まずは、これからの五年間をすこしでも皆様のお役に立つように精進し、尽力したいと思います。それでは皆様のご健康を祈りつつ 南~無 合掌礼拝 徳温禅月。




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