2016年1月19日火曜日

月出山岳の二十八宿遥拝所宝塔と豪潮律師

 大分県日田市には、全国難読山サミットで第一位と第三位に選ばれた山があります。第一位は一尺八寸山(みおうやま)、第三位は月出山岳(かんとうだけ)であります。まさに古式ゆかしき名前が古代よりつけられているのです。




今日は、この月出山岳(かんとうだけ)の山頂にある二十八宿遥拝所と掘られていた宝塔について、かねてより「宿曜経」を研究してきて、このたび新聞社より取材をお受けしたのでまとめてみました。




正面には、二十八宿遥拝所と掘られていますが、日 南斗、 月 北斗を並列してところから、天台密教の影響を受けていると思われます。「二十八宿」について書いているお経が「宿曜経」と言われ、正式な経名は「文殊師利菩薩及諸仙所説吉凶時日善悪宿曜経」と言います。


宝塔の正面



弘法大師空海が唐(中国)の恵果大阿闍梨より密教のすべてを灌頂、授かるのです。そして御請来した経典のなかに、この「宿曜経」があり、西暦806年に帰国し、高野山真言密教を興しました。その後、比叡山天台宗では、最澄亡きあと円仁円珍がそれぞれ唐に渡り、宿曜経を持ちかえり天台密教を大成します。それほど大事な経典だったのでしょう。


さて、この正面に日、南斗は太陽と南斗六星のことで、月 北斗は月と北斗六星のことで、日月星信仰は、天台密教の星神・帰命壇灌頂と言われ、陰陽をも表し、中国の密教の影響を受けています。ではこの天台密教を日田にもたらした方は誰でしょうか。


日田地方には、奈良時代から役行者行基が訪れ、また英彦山の修験道者もまた頻繁に来ていたようです。しかし、これほどの宝塔の碑文と、門外不出と言われた「宿曜経」をもたらした方は、密教の高僧であろうと推察できます。


調べていきますと、日田地方は江戸時代天領地でしたので寛政12年(1800)年から代官羽倉公から比叡山天台宗の豪潮律師17491835)が招聘され、天領地日田の安泰と御霊の供養、飢餓救済を願って加持祈祷をしたと広瀬淡窓先生17821856)の日記にも書かれています。


ウキペディアによりますと

豪潮(ごうちょう、ごうしょう:寛延2年〈1749 - 天保6731835728〉)は、江戸時代の僧侶。長崎出島において、中国より直接、当時の中国密教と戒律等の伝授を受け、その生涯を通じて本尊とした準提仏母(准胝観音)の信仰を広めると共に、御霊の供養と飢饉救済を目的とした仏塔(宝篋印塔)の建立に勤め、大小あわせて約八万四千の仏塔を建立したと伝えられる[1]。また、自身が戒律を守ることに専一なだけでなく、天台宗において史上初の出来事として、中国密教に基づいた小乗戒・大乗戒・三昧耶戒を網羅した体系的な戒律をもたらし、江戸時代の『戒律復興運動』に貢献した。僧俗にも戒律灌頂を授け、各寺院において「懺法」(さんぽう、せんぽう)[2]を実施した。


16歳で比叡山延暦寺に入山。そこで、遍照金剛大阿闍梨、権大僧都法印伝・燈大法師の階位と広海の尊号を受けるほどの高僧となる。


豪潮律師の生涯において目を逸らすことが出来ないのが、戒律と仏塔(宝篋印塔)の建立である。その基盤となるのは生涯の修道となった密教に他ならない。天台宗は元来、開祖の最澄の発願になる大乗戒壇を旨としていて、当時は鑑真が伝えた侶の出家戒(具足戒)を伝えてはいなかったが、豪潮律師は父である貫道の悲願であった出家戒を身に具えた聖となり、密教に不可欠な三昧耶戒を得るために、自ら長崎に遊び、中国密教を学んで唐密準提観音を生涯の本尊とし、出家戒を身に具えることができたのである。それゆえ、豪潮律師の密教を理解するには、日本の天台宗が伝える台密(天台密教)と、中国密教が伝える唐密の両面を明らかにする必要がある。」


中国密教をも取り入れた豪潮律師によって、天領日田に「宿曜経」がもたらされたと推測できます。それも月出山岳の宝塔碑文は、宿曜経の精髄が掘られています。「二十八宿遥拝所」と書かれた「遥拝」とは、「遠く離れた所から神仏などをはるかに拝むために設けられた場所」を言います。人々は天空を見上げ、夜空に輝く月と星々に祈りをささげたのです。


拝むべき二十八宿とは、月が白道を通って、一日、一日、泊まる星を言い、その日に生まれたものは、その星からいのちが宿り、本性である性質・性格や能力を与えられるのです。いのちの誕生は天地宇宙の営みです。二十八の宿星もまた御仏であるのです。


宝塔の第二面



「二十八宿」とは昴宿、畢宿、觜宿、参宿、井宿、鬼宿、柳宿、星宿、張宿、翼宿、軫宿、角宿、亢宿、底宿、 房宿、心宿、尾宿、箕宿、斗宿、牛宿、女宿、虚宿、危宿、室宿、壁宿、奎宿、婁宿、胃宿」 と言う名前で実際に天空に存在するのです。奈良のキトラ古墳には、まさに精微な天文図が描かれ、恒星(大きく光輝く星)である宿星を表しています


写真はNHKの特集より「キトラ古墳天井図」



いわゆる星辰信仰は古代よりあったのです。密教によって完成されたと言えるでしょう。


宝塔の第三面



これは「七曜」「九執」総じて九曜と言って、羅候星、土曜星、水曜星、金曜星、日曜星、火曜星、計都星、月曜星、木曜星が九年ごとに繰り返します。九曜流年法と言って、羅候星は大凶と計都星と火曜星は凶、金曜星は小吉、土曜星と月曜星は中吉、水曜星と日曜星と木曜星は大吉で、吉凶の年を観ていきます。


宝塔の第四面

https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhWDHxR0J6eLx2npYCrUXiGZTIrX0Z05Usd7mMWc5zbK_K-mnKjvWSzg-jLJZR66bGwdXkPD7hfEuhyhU-MeepQx1lqunk_IlZg_lvMqfsrPD16dD3OpKKUSGPs4s4gurPoe0ogRW-PvxFQ/s320/11304127_705975189513074_2124105571_n.jpg


この宝塔を建立したのが安政四年(1857で、佐藤久兵衛さんと大谷嘉作さんが願い主と掘っています。二人は月出町の庄屋であったことが判明しています。


では安政四年とはどのような年だったでしょうか。安政二年(1855)安政の大地震、同五年(1858)安政の大獄、同六年(1859)吉田松陰らが処刑、同七年(1860)桜田門外の変で大老井伊直助暗殺。尚、広瀬淡窓先生は安政三年(1856)に亡くなりました。


このように天変地異は起こり、たぶんこの一帯も飢饉が続いたでしょう。そして幕末へと向かう動乱の時代でした。このような時代だったからこそ、日・月・星に祈り、宿曜経に書かれている天空の御仏に国家の安泰と飢餓の救済などを祈願したのでしょう。


庄屋である二人が願い主を明記しているのは、おそらく西国筋郡代(代官)の許可をもらって建立したものと思われます。また月出村の長老(庄屋)であるこの二人が宿曜経のことを知らずしてこのような宝塔の碑文を書くことは困難であるし、豪潮律師の弟子である高僧の指導でつくられたものと思われます。


その方が英彦山の修験道者であったとしても、当時英彦山は、江戸幕府より天台宗修験別格本山に公認されており、天台宗の影響を受けていました。江戸時代は絶頂期でしたし、豪潮律師が英彦山に宝篋印塔を建立しているのを見ると、豪潮律師の密教の教授もあったものと推察できます。



大分県日田市丸の内町 大超寺の宝篋印塔。英彦山、阿蘇、耶馬溪羅漢寺に同様のものがあります。


天領地日田の月出山にある二十八宿遥拝所の宝塔碑文は、全国的にまれであり、貴重なものだと思われます。何よりも、この近郊に高塚地蔵尊を始め、藪(岩井戸)不動尊、そして八竜社など史跡があることを見れば、いかに信仰心の篤い方々が多かったかがうかがえます。有形民俗文化財として保存し、地元の仏教文化、民俗文化を後世まで語り継いでいただきたいものです。

 




2016年1月8日金曜日

密教宿曜占星で見る澤穂希選手~輝くなでしこジャパンの永遠の星~


 おはようございます。

いにしえのときより、おひとりおひとり生まれてきたときに、夜空にきらめく星々のなかから唯一の星を出会ったと言われています。大きくはキトラ古墳(写真)や高松塚古墳の天井画にあるように27の恒星(もっとも大きく光輝く星)の一つがあなたの守り星です。

27の星の名前(かっこ内はインド名)は、角宿(チトラー)、亢宿(スパアチ)、氐宿(ビサーガ)、房宿(アヌラーダ)、心宿(ジェエシター)、尾宿(ムーラ)、箕宿(プールバ・シャータ)、斗宿(ウッタラ・シャータ)、女宿(シュラバナ)、虚宿(ダーニシュダ)、危宿(シャタビシュク)、室宿(プールバ・バードラパダーズ)、壁宿(ウッタラ・バードラパラーズ)、奎宿(レバティ)、婁宿(アシュビィニィ)、胃宿(バラニー)、昴宿(クリチカ)、畢宿(ローヒニー)、觜宿(ムリガシラス)、参宿(アールドラー)、井宿(プナルバス)、鬼宿(プシャ)、柳宿(アーシュレシャー)、星宿(マガー)、張宿(プールバ・ファルグニィ)、翼宿(ウッタラ・ファルグニィ)、軫宿(ハスター)と言います。それぞれの星々は月と出会うのです。あなたを守ってくれる星が何かご存知ですか。あなたの星のなまえをご存知ですか。


新年を迎えて、年末・年始で輝いている一人になでしこジャパンの星、澤穂希選手がいました。ふと、女子サッカーに偉業を成し遂げた澤さんの宿星は、たぶん「房宿」インド名は(アヌラーダ)ではないかと思いました。なんと可愛い名前ではありませんか。


房宿は、蠍宮に属し、頭脳明晰で、原典に「事を成すに疾速」とあるように、物事の判断は的確で、即断即決、その目的に向かって最後までやりぬく行動力があります。鑑定してみるとやはり「房宿」でした。


幼い頃から男子に混じって、サッカーを始め、社会人になっても食べることがやっとの生活のなかで、ワールドカップに出ることを夢に、練習に練習を積み重ね、2011年ワールドカップ優勝でまさに頂点に立ちました。フィールドでの動き、そして誰もまねができないゴールシュートは、世界の多くの人々に感動を与え、自信と勇気をいただきました。


まさに房宿生まれの方ですね。1978年(昭和53年)9月6日生まれですので、九曜流年法で運勢を見てみますと、2014年は羅候星でしたので、たぶん心身ともに疲れてケガや故障があったのではないでしょうか。昨年から運氣があがり、今年は水曜星の年で大吉です。さらに三・九の秘法で見ると、「親」の年で、結婚すると出ています。おめでとうございます。


これから三年間は、吉の年ですから、ゆっくりしながら次の飛躍にむけて頑張ってほしいですね、その後火曜星、計都星に入りますので、健康や生活面に気をつけなければなりません。日本の、いや世界の女子サッカーを牽引していく方であり、今後コーチや監督としても活躍すると思います。いわゆるリーダーシップや教育力があるんですよね。


しかし、宿曜経はすごいですね。ぴったしあたっていると思いますが、皆さんどう思いますか。あなたも人生を豊かで実り多いものにしたいですか?あなたが天地宇宙の法則を知っていれば、あなたの運命は大きく好転します。密教宿曜占星鑑定で、幸福な人生を送ることができます。


それでは皆様の人生が実り豊かなものでありますようにと祈りつつ 南~無 合掌礼拝 徳温禅月。


≪個人相談及び経営相談について≫

宿曜経を用いて皆様の運命、人間関係を占星鑑定し、個人相談にお答えします。結婚・離婚問題、嫁姑・親子関係、職場内の人間関係、子供さんの教育と進路などの個人相談は、一件につき鑑定料として3000円です。


また経営者の方は、経営者の運氣と今後の事業計画と成長の可能性、組織の人事配置などを密教宿曜占星鑑定に基づいてアドバイスします。経営相談は、一件につき、鑑定料は30000円です。

まずは、相談内容や詳細について、メールにてお気軽にお問い合わせください。

別府総合研究所・禅月庵 徳温禅月 HP:http://www.beppusoken.com

メールアドレス:beppu1717@gmail.com

 

 

2016年1月4日月曜日

年頭所感~「文明の衝突」から「文明の共存」へ~



 新年明けましておめでとうございます。


国と国が、民族と民族が、文明と文明が、宗教と宗教が対立する時代のなかでサミュエル・ハンチントン氏が指摘したように「文明の衝突」が生じていますが、それ以上に深刻な状況が、文明内のみならずそれぞれの国の中に内部摩擦が生じているのが21世紀かもしれない。それぞれの文明が内部崩壊していく時代かも知れません。


昨年末、フランスのパリで、凄惨なテロ事件が起きましたが、それはISイスラム国によるテロですが、実は20数年前からのフランスの移民政策に原因があったのです。EUは安い労働力の確保として移民政策をすすめてきたし、いわゆるイスラム系移民が差別され、劣悪な労働環境のもとにあったことは事実であり、今も尚、若者の半数が無職だと言われています。祈るだけではなく、このような原因となる制度やシステムを変える必要があるとダライ・ラマさんは言っているのです。


このような状況こそ、テロリズムをうむ温床でもあるのです。アメリカでもしかりだし、ロシアも同様です。中国では、チベットでは仏教徒が、ウイグルではイスラム教徒が弾圧されています。それぞれの状況には違いはありますが、日本もまた例外とはいえません。


国家の利益を追求すると、覇権主義が生じたり、少数民族を犠牲にしたりします。およそ戦争なるものは、時の権力者が、国家エゴつまり国益のために起こしているのです。すべて人間の煩悩から来ていることはゆがめないないでしょう。現在の状況は、聖書のなかに書かれている「ヨハネの黙示録」、あるいは仏教の「月蔵経」に書かれている「法滅盡品」の様相を呈しています。


そのような状況のなか、20世紀のような高度経済成長ではなく、緩やか成長にシフトしていく必要性あります。しかし、現実は経済至上主義、金銭思想がまかり通り、国家の繁栄、企業の成長、そしてそれぞれの国の国民は、もっともっとと豊かさと便利さを求めています。


まずは、ひとりひとりが価値観を変えることが必要です。たとえば電気や水を使い放題、食べものは食べ放題、時間があれば享楽とセックスに興味を持つような生活をよしとするか、そうではなく、個人や地域で電力をつくってみる、小量の水を大切に使う、自然と交わり、自己洞察の時間を持ち、春夏秋冬を楽しむ生活をする。「文明の衝突」から「文明の共存」へ、多文化・多様性の認容へと移行しなければなりません。


「文明の共存」とは少欲知足であり、自然と生命を大切にする思想性、もともとキリスト教もイスラム教もそれをよしとしてきたのです。日本では、仏教や神道はそのような考え方であるのですが、いつの間にか欧米的な競争主義、成果主義に毒され、拝金主義がはびこっているのが現状です。


あらゆる、宗教や思想が、いかなる理由があろうが「殺してならない」という戒律を厳格に守ることです。世界の宗教を勉強してきて、この一点だけは共通しているのです。そして、それぞれの民族、文化、宗教、思想を認め合い、共存をはかる「寛容」と「協調」が求められているのです。そのためには、各国で総合的な宗教教育が必要でしょう。


時代を予見し、国家の指導者の特質を見、人間関係を円滑にしていくために、「文殊師利菩薩及諸仙所説吉凶時日善悪宿曜経」をひも解いて、アドバイスしていきたいと思っています。


宿曜経は、インド占星術として中国を経由し、弘法大師空海によって日本にもたらされました。この宿曜占星のなかに、口伝として伝えられているものを、旧暦の曜日に換算してみますと、昨年は、「世情不安を生じ、対立や抗争が起きます。一年中、争いごとや国事に関する乱が絶えず、疫病も多くて家畜も死ぬでしょう。もし、日蝕、地震があれば、ますます世情が荒れて戦争が起こり、死者も多くでます。」(「秘伝密教宿曜占星術」より)と書いています。世界的に見てその通りでした。


では今年、2016年はどうでしょうか。「四季順調で万物が熟します。もし、日蝕や月食、また地震が起これば、王侯などの貴人、身分がある人に災難があります。」(同上)と書いています。このような大きな流れがありますが、いわゆる運命は因果法則と絡み合いながら現象を起こします。善きことを行えば善い結果が起きますが、悪しきことを考えれば悪しき結果が生じるのです。個人にとっても何が起きるかわからない時代だからこそ、宿曜経を指針として活用したいものです。


今年は二十八宿中、「奎」の年です。宿曜ホロスコープで、個人個人の今年の運勢を占うことができます。そのことを知って今年を良き年にしていただきたいものです。それでは皆様にとって、本年が最高に佳き年でありますことをお祈りしつつ 南無 合掌礼拝 徳温禅月。


≪個人相談及び経営相談について≫

宿曜経を用いて皆様の運命、人間関係を占星鑑定し、個人相談にお答えします。結婚・離婚問題、嫁姑・親子関係、職場内の人間関係、子供さんの教育と進路などの個人相談は、一件につき志納として三千円を納めていただいております。


また経営者の方は、経営者の運氣と今後の事業計画と成長の可能性、組織の人事配置などを密教宿曜占星鑑定に基づいてアドバイスします。経営相談は、一件につき、志納として三万円を納めていただいております。

まずは、相談内容や詳細について、メールにてお問い合わせください。


別府総合研究所・禅月庵 徳温禅月 HP:http://www.beppusoken.com

メールアドレス:beppu1717@gmail.com

 

 

 

2015年12月29日火曜日

NHK100分で名著「良寛詩歌集」を視て④~「老い」と「死」に向き合う~


おはようございます
良寛さんにも、お金持ちにも、地位の高い人にも、すべての人に、「老い」と「死」が訪れるのです。「老いが身のあわれを誰に語らまし杖を忘れて帰る夕暮れ」(老いていく空しさを誰に語ればいいのでしょう。杖を忘れて庵に帰る夕暮れにそう思いました。)~テキストより~


もっと言えば、人は、生老病死(生きる、老いる、病気になる、そして死ぬ苦しみ)そして愛別離苦(愛する人と別れなければならない苦しみ)、怨憎会苦(恨み、憎んでいる人に会わなければならない苦しみ)、求不得苦(求めるものが得られない苦しみ)、五蘊盛苦(自分に執着する苦しみ)という四苦八苦から逃れられないのです。



手をおりて昔の友を数ふればなきは多くぞなりにけるかな」(指折り数えてみると、古い友達は亡くなった人のほうが多くなりましたなあ)~テキスト~今年95歳で亡くなった私のおふくろが、90歳を過ぎた頃から友達はみんな逝ってしまったと言っていましたが、寂しさがあったのでしょう。


「老いていくことの寂しさが表現されていますが、後半には、老境にさしかかったからこそ感じられる喜びが見事に描写されています。漆黒の闇の中に立つ枯れ木の向こうに満天の星がきらめき、琴を奏でるかのような川のせせらぎが遠くから聞こえてくる・・・・。良寛にとっては見慣れた風景だったはずなのに、歳をとったことでそれがいっそう愛おしく美しいものに見えてきたのです。」


「病を「あるがままのもの」として受け入れ、逃げようのない現実から眼をそらさなかった」良寛の死生観は、「老いや病、死、災害から人間は逃げようがありません。だったら逃げようのない現実から眼をそらさずに、そこに肝を据えて、今を精一杯大切に生きていくしかない」ということです。このことが悟りでもあると思います。


いよいよ良寛さんも74歳の生涯を閉じるのですが、辞世の歌は、


形見とて何か残さん春は花山ほととぎす秋は紅葉ば

 形見とて何を残すらむ春は花夏ほととぎす秋はもみじ葉


(今生の別れに臨んで、親しいあなたに形見を残したいが、何を残したらよいのでしょうか。残すとすれば、春は花、夏は山のほととぎすであり、秋はもみじ葉の、美しい自然そのものこそ、私の命として残したいものです)

良寛一代の傑作ともいわれる名歌ですが、この歌からも人間は自然の一部であり、そこに命が還っていく・・・・という良寛の死生観が見てとれます。」~テキストより~


良寛さんが死ぬ直前まで表現を続けた理由として、詩や歌をつくることが好きだったのですが、「禅・仏教では、心の中を言語化することが修行のひとつと考えられていたからです。」




今回の中野東禅先生の解説は、難解な良寛の本質をわかりやすく解き明かしていただきまして、門下生として有難く思っております。私たちにはエゴや欲望があるため、悟りに至ることが難しいのですが、座禅をする、自我への批判眼を持って、言語化(ブログも一つの方法)すれば、寂静の世界と人間の本質に立ち戻ることができることを良寛さんは身をもって教えてくれているのです。


100de名著「良寛詩歌集」最終回の再放送が30日の6時と12時にNHKEテレであります。ぜひご覧になってください。尚テキストもよくまとまっていますので座右の書にしておくといいと思いました。それでは今年最後のブログになりますが、皆様方のご多幸をお祈りしつつ佳きお正月お迎えください。 南~無 合掌礼拝 徳温禅月。