2015年12月29日火曜日

NHK100分で名著「良寛詩歌集」を視て④~「老い」と「死」に向き合う~


おはようございます
良寛さんにも、お金持ちにも、地位の高い人にも、すべての人に、「老い」と「死」が訪れるのです。「老いが身のあわれを誰に語らまし杖を忘れて帰る夕暮れ」(老いていく空しさを誰に語ればいいのでしょう。杖を忘れて庵に帰る夕暮れにそう思いました。)~テキストより~


もっと言えば、人は、生老病死(生きる、老いる、病気になる、そして死ぬ苦しみ)そして愛別離苦(愛する人と別れなければならない苦しみ)、怨憎会苦(恨み、憎んでいる人に会わなければならない苦しみ)、求不得苦(求めるものが得られない苦しみ)、五蘊盛苦(自分に執着する苦しみ)という四苦八苦から逃れられないのです。



手をおりて昔の友を数ふればなきは多くぞなりにけるかな」(指折り数えてみると、古い友達は亡くなった人のほうが多くなりましたなあ)~テキスト~今年95歳で亡くなった私のおふくろが、90歳を過ぎた頃から友達はみんな逝ってしまったと言っていましたが、寂しさがあったのでしょう。


「老いていくことの寂しさが表現されていますが、後半には、老境にさしかかったからこそ感じられる喜びが見事に描写されています。漆黒の闇の中に立つ枯れ木の向こうに満天の星がきらめき、琴を奏でるかのような川のせせらぎが遠くから聞こえてくる・・・・。良寛にとっては見慣れた風景だったはずなのに、歳をとったことでそれがいっそう愛おしく美しいものに見えてきたのです。」


「病を「あるがままのもの」として受け入れ、逃げようのない現実から眼をそらさなかった」良寛の死生観は、「老いや病、死、災害から人間は逃げようがありません。だったら逃げようのない現実から眼をそらさずに、そこに肝を据えて、今を精一杯大切に生きていくしかない」ということです。このことが悟りでもあると思います。


いよいよ良寛さんも74歳の生涯を閉じるのですが、辞世の歌は、


形見とて何か残さん春は花山ほととぎす秋は紅葉ば

 形見とて何を残すらむ春は花夏ほととぎす秋はもみじ葉


(今生の別れに臨んで、親しいあなたに形見を残したいが、何を残したらよいのでしょうか。残すとすれば、春は花、夏は山のほととぎすであり、秋はもみじ葉の、美しい自然そのものこそ、私の命として残したいものです)

良寛一代の傑作ともいわれる名歌ですが、この歌からも人間は自然の一部であり、そこに命が還っていく・・・・という良寛の死生観が見てとれます。」~テキストより~


良寛さんが死ぬ直前まで表現を続けた理由として、詩や歌をつくることが好きだったのですが、「禅・仏教では、心の中を言語化することが修行のひとつと考えられていたからです。」




今回の中野東禅先生の解説は、難解な良寛の本質をわかりやすく解き明かしていただきまして、門下生として有難く思っております。私たちにはエゴや欲望があるため、悟りに至ることが難しいのですが、座禅をする、自我への批判眼を持って、言語化(ブログも一つの方法)すれば、寂静の世界と人間の本質に立ち戻ることができることを良寛さんは身をもって教えてくれているのです。


100de名著「良寛詩歌集」最終回の再放送が30日の6時と12時にNHKEテレであります。ぜひご覧になってください。尚テキストもよくまとまっていますので座右の書にしておくといいと思いました。それでは今年最後のブログになりますが、皆様方のご多幸をお祈りしつつ佳きお正月お迎えください。 南~無 合掌礼拝 徳温禅月。





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