おはようございます。
以前よりダライ・ラマ14世の素顔が見たいと思っていましたが、その意味では、近接近して、ダライ・ラマに密着した映画でした。
日本の若者たちの質問と、チベットの子供たちや若者たちのインタビューでの回答を見ていると、日本の若者たちの幼稚性が出ているなと思っていましたら、途中から東京大学赤門前のインタビューに変わってきたので、意図があるのかなと思いました。
根本的な違いは、現状に満足していない日本の若者たちと、「あるもので満足しています。」というチベットの若者たちの違いが、ある意味では日本人の精神性の低さを物語っているのではないでしょうか。
知足少欲という仏教の精神を身につけた若者と、欲望社会の中で生きている日本の若者とは比較の対象になりませんが、もっと欲しいという価値観に普遍性があるのか疑問に思うのです。
この映画「ダライ・ラマ14世」はもう一度視たいと思っています。なぜなら問いかけているものの奥が深いからです。
映画の前半で、原因と結果という因果の法則を説明し、ダライ・ラマへの後半の質問の中に、今のチベットは何に原因がありますかと質問したのは、そのような構成をしているのでしょうが、
ダライ・ラマは、今日のチベットの現状は、チベットの過去のカルマによると答えたのが印象的でした。
中国共産党によるチベットへの侵略と弾圧、そしてインドへの亡命と亡命政府、今も続くチベット人への迫害と虐待が、チベットの過去のカルマによるのだろうか。それはいったい何であり、何を言おうとしているのでしょうか。
仏教が慈悲の心を唱導し、平和な世界を作っていこうとしているのに、共産主義者によって暴力による迫害を受けるカルマとは、やはり宗教と国家とは違うと言っているのでしょうか。国家として国民を守るためには、防衛する力の必要性を言っているのでしょうか。
ダライ・ラマとして選ばれて、高度でかつ広範囲な教育を受けてきたチベット仏教の最高僧であり、チベット国の最高指導者でもあるテンジン・ギャムツォは、科学教育の必要性も言っています。精神教育のない科学教育に偏重した日本とのギャップが感じる場面が多々ありました。
私たちは、日本人が失くしているもの、日本仏教が失っているものを、ダライ・ラマやチベットの皆さんから、今こそ学ばなければならないと思いました。この映画を通して、ダライ・ラマ14世とチベットの国民に触れることができたことに感謝を申しあげます。
チベットへの帰還と独立が叶いますようにお祈りします。南~無 合掌礼拝 得温禅月。