2014年8月5日火曜日

病を治す

 おはようございます。
病気の名前も多種で、最近は何の病気かよくわからないものがありますが、いかなる病気も治癒するかどうかは、心の持ち方(活用の仕方)にあると言っても過言ではないでしょう。その心の問題と自らの病を克服し、多くの方々に、心身統一法を説いたのが、中村天風氏であります。

ウキペディアからご紹介すると
戦後は帝国陸軍で高等通訳官を務めていたが、1906年(明治39年)に奔馬性(結核の症例の中で、急速に症状が進むもの。現代では「急速進展例」と呼ばれる[7])の肺結核を発病。北里柴三郎の治療を受けたものの病状は思わしくなかった[6]。その後1909年(明治42年)に作家オリソン・スウェット・マーデン(en:Orison Swett Marden)の『如何にして希望を達し得るか』を読んで感銘を受け、病気のために弱くなった心を強くする方法を求めてアメリカへ渡る決意をする。しかし結核患者には渡航許可が下りなかったため、親交のあった孫文の親類に成りすまして密航する[8]
アメリカに渡った天風はマーデンを訪ねたがあまり相手にされず、願いは果たせなかった[8]。その後親戚筋にあたり、当時アメリカ公使館に勤めていた芳澤謙吉の勧めで哲学者のカーリントン博士に面会したのち、華僑の学生に代わって授業に出席したのをきっかけにコロンビア大学に入学し[9]、自らの病の原因を尋ねて自律神経系の研究を行ったとされる。ヨーロッパではイギリスでH・アデントン・ブリュース博士(en:Addington Bruce)に面会したのち[9]フランスでは大女優サラ・ベルナールの家に居候したり、ドイツハンス・ドリーシュと面会するなど数々の著名人を訪ねるが、いずれも納得の行く答えを得ることができなかった[10]
こうして天風は1911年5月25日に日本への帰路に就く[11]が、その途中経由地であったアレキサンドリアにてインドヨーガ聖人であるカリアッパ師と邂逅[12]。そのまま弟子入りしヒマラヤ第3の高峰カンチェンジュンガ山麓にあるゴーク村で2年半修行を行う[11]。この修行を通じて結核はすっかり治癒し、さらに悟りを得るに至った[13] 
ガン告知を受けると途端に、気が弱くなるのが普通の人です。そして心が弱音を吐いてくる、そうなるとますます事態は悪化するのです。天風氏は、当時、結核と言う不治の病に侵されたが、ヒマラヤでの修行で完全治癒したのです。
その方法とは、ひとつに、肉体も心も道具であり、いのちの源は霊=気であるという哲学を理解すること、二つ目に心の中から消極的な思いを完全に消し去ること、こころを純粋無垢なものにし、宇宙の源とつながるために安定打座という座禅をすること、三つ目に、心身を統一するためにクンバハカという密法を身につけることです。
一度、全国各地の天風会に通って、中村天風という偉大なる人が開発した心身統一法を会得しませんか。私は、いまこそ天風先生から教えてもらった哲学と健康法を実践するときが来たと思っています。当然、医学の進歩を享受しながら、天風哲学が一体とならなければなりますせん。
結核を治した92歳の天寿をまっとうした天風先生と同じように、ガンを克服し92歳まで、溌剌と生きたいと思います。先生の書籍及び天風会についてはネットですぐに検索できます。門をたたいてみてください。いのちの門は開かれます。それでは皆様の健康をお祈りしつつ。南~無 合掌 徳温禅月。




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