2015年2月27日金曜日

「男の厨房」2月~そば打ち体験~

 おはようございます。
「男の厨房」2月は豊後高田市にある「そば道場」にて、そば打ち体験でした。豊後高田市は西日本ーのそばの生産拠点でもあり、市をあげての「そば打ち体験・道場」を実施しています。日田市を9時に出発し、11時に到着しました。

豊後高田市役所提供
「豊後高田市では、そば文化の普及とそば打ち人口の増加を目指す取り組みの一環として、豊後高田そば生産組合に委託し、「豊後高田そば道場」を開設しています。グループで楽しく、個人で本格的に、「そば打ち」を始めてみませんか?」

「豊後高田そばうち道場」では、指導員が懇切丁寧に教えてくれます。そばこね鉢にそば粉をふるいにかけ、二八にそばをこねて行きます。くたびれます。二人一組でしましたので、交代しながらの真似事ですね。


まだまだこねていきま~す。

次に、そばのし板のうえをきれいにし、そばを麺棒で伸ばしていきます。均等に大きく、円く、最期は四角形になるように伸ばします。


麺を折りたたんで、こま板を添えて、指をみてくださ^~い。そば切包丁で切っていきます。指を見てくださ~い。指がポイントですね。

はい、できあがりまして、今日は持って帰って自宅にて、食べましたが、こしがあり、おいしゅうございました。感謝です。豊後高田そば打ち道場では、そば打ち実技試験を行い、初段から4段まで段位認定あります。「そばうち体験」はいつでもできますので、昭和の町を見に行って、挑戦してみてはいかかでしょうか。




2015年2月23日月曜日

母を想う~95歳の天寿を全うしご浄土へ~

 おはようございます。
平成27216140分死去、大正81025日生まれ95歳の天寿を全うしました。


戦時中に、父冨太を結婚し、軍需工場建設のため、陸軍の命令を受け、下士官として日田市に赴任しました。戦争が終わり、戦後の混乱のなか、まったく無一文から父と百姓もしながら青果店を営み、大酒のみの父、年端のいかない、兄冨博、姉富恵、私、妹の須美子それに亡くなった芙美子、和美の子ども6人を抱え、仕事を子育てに身も心も費やしました。

特に昭和28人の筑後川大水害の時は大変だったと話していました。戦後の復興をなんとか乗り切り、それぞれが高校に行かせてくれた母です。信仰心の篤い母でした。

どんな時でも不平や不満、愚痴を言わず、いつも前向きで頑張り、私達子供には積極的な言葉を投げかけて励ましてくれました。私は母に似て顎が出ているんですが、あんたは福耳で、しゃくっているので、富をすくいあげると笑いながら言ってました。妙な気分でしたが、変な元気もいただきました。


私は、母とリヤカーを引いて野菜や果物を売りに出かけましたが、最初はいやでした、近所の子は幼稚園に行っているのに自分はいけないとかひがんでいました、小学校に入る前に、関節炎を患い、右足の切断になりかねないくらい悪化していましたが、福岡県添田の名医を紹介され、おんぶして連れて行ってもらい、急遽、地元の酒井先生に手術を受けて事なきをえました。おんぶされた母のぬくもりをいまでも思い出されます。小学校6年のときもキャンプで、食中に罹り、リンゴジュースを作ってくれて看病してくれました。今ふりかえるとなんの親孝行もできなかったと反省しています。

90歳くらいまでは、元気でしたが、3年前の北部九州大水害以来、急に体の不調が出て来たみたいです。特にその後、トイレで転んで、足を折ってから動けなくなり、寝たきりの生活でしたが、同居している姉が、介護してくれ、最期の一週間は大阪の妹が寄り添って看護してくれたので、おだやかに、静かに息を引き取りました。


95歳まで長生きできたことは、何があってもくよくよしない精神力と力強い生命力があったことだと思います。母を見習い、自分の人生の糧にして、人生を全うしたいと思います。法名は、長善寺のご住職が「釈尼不染」という、時代に、人に、染まらず、自分の生き方を貫いた生涯を表した「不染」という名をいただきました。感謝です。


死を受容し、死を覚悟し、旅立つ日がすべての人に訪れます。どのような思いで死ぬかは、どのような生き方をしたかでもあると思います。天寿といわれるいのちを全うしたいと思います。南無阿弥陀仏 合掌礼拝 徳温禅月。




2015年2月9日月曜日

おんせん県おおいた湯めぐり10~源泉掛け流しの湯サンビレッジ~

 おはようございます。
天ヶ瀬インターをおりたら、まずは年間150万人が参拝するという行基さんが霊験あらたなる銀杏の木から彫った地蔵尊を祀ったという高塚愛宕地蔵尊にお参りして、家内安全、無病息災、そして世界平和を祈ります。ご真言は「おんかかかび さんまえ そわか」です。

さて天ヶ瀬温泉方面へと車を走らせると、左手に米沢から来た浄玄さんを祀っている顕徳坊尊があります。上杉鷹山と共に、藩政改革をし、出家して遊行の旅に出て、この地で生涯を閉じた方です。村人から愛されました。顕徳坊浄玄さんを偲びつつお祈りします。

そして、5分ほど下ると天ヶ瀬温泉街が見えてきます。旅館街をゆっくり楽しみながら玖珠川沿いを行くと、左手に「山伏の滝」がありますので、そこで滝をみて、道なりに上っていくと210号線と交差しているうえに「みるき~すぱサンビレッジ」があります。


玄関です。

温泉が出迎えてくれます。

大浴場と露天風呂が、男女それぞれあり、豊かな湧量を誇るホテルです。さて今日は、露天風呂をご紹介しましょう。岩風呂男性内湯です。
「和みの湯」です。混浴ですが、22時からは女性専用です。「和みの湯」にはうたせ湯、洞窟風呂、天然むし風呂があります。



天然温泉源泉掛け流しの湯をうたっている通り、すばらしい露天風呂ですね~。再度内湯に戻って温泉禅です。泉質は含硫黄・ナトリウム塩化物泉98℃ですので、体が温まります。効能は、まさに万能ですね。日帰り湯ではもったいないので宿泊して、楽しみたいところですね。

写真はほんの一部で、女性風呂は別にありますので、多くの風呂を味会えます。通常日帰り湯は800円ですが、観光協会で温泉パスポートを買うと、三軒分で1000円です。平日は15時~19時、土日祭日は12時から18時です。極上の源泉掛け流しの湯でした。満足しました。

それでは皆様のご健康を祈りつつ、南~無 合掌礼拝 徳温禅月。





2015年2月6日金曜日

おんせん県おおいた湯めぐり9~極上の露天風呂!琴平温泉~

 おはようございます。
昨日、雪がふるということで、雪見の露天風呂にはいりに、日田市の琴平温泉に行って来ました。日田インターから花月バイパスを南に3キロ道なりに行くと、サッポロビール九州工場が見えてきます。手前の信号を左にまがり、琴平温泉の看板に沿って、高瀬川沿いの細い道に入ると、左手に「旅籠かやうさぎ」があります。


さらに川沿いを登っていくと、琴平温泉「ゆめ山水」です。上に家族風呂が16部屋あり、下に男湯の「あうんの湯」と「のらりの湯」があり、奥に女湯の「まる湯」があります。

家族風呂入り口
露天風呂入り口

なぜ極上かというと、温泉はこころの癒しもあり、湯と風呂のつくり、風景の三拍子がそろうと申し分ないと思っています。その三拍子がそろっているのが、琴平温泉ですね。



男湯の「あうんの湯」です。
更衣室には、ストーブがありますので、暖かいです。おもてなしですよね。

合掌し、いざ湯船へ、あせらずかけ湯をしっかりかけて入りましょう。あうんの湯は三段の露天風呂です。一段目からの風景もいいですね。


下って二段目です。

三段目は河川敷のなかにあります。

「あうんの湯」で、体をほぐし、「温泉禅」です。「あうん」とは呼吸を言います。「あ」は吐く息、「うん」は吸う息です。吐いて、深く下腹で吸い込みます。止めて、肛門を閉めます。そしてゆっくり長く吐き出します。吐ききったら止めて肛門を閉めます。鼻でしますので自然に腹式呼吸になります。十回繰りかえします。


瀬音に集中します。次に滝音に集中します。そして湯音に集中します。他の音が聞こえないように集中します。有意注意で、鳥の声や木々のせせらぎにも注意します。「地の声」を聴くのです。これができるようにならないと、「天の声」は聴けません。


次はとなりの「のらりの湯」に行きます。ストーブがあります。


風情がありますね。泉質は、塩化物ー炭酸水素塩泉です。



「のらり湯」でも温泉禅を楽しみました。極上の露天風呂、琴平温泉「ゆめ山水」はいいですね~。オーナーが自らユンボに乗って作った温泉です。センスがありますよね。感謝!それでは皆様のご健康を祈りつつ 南無 合掌 徳温禅月。






2015年2月4日水曜日

おんせん県おおいた湯めぐり8~益次郎温泉~

 おはようございます。
益次郎温泉あるいは益次郎の湯というところが豊後三大温泉のひとつ天ヶ瀬温泉にあります。益次郎って誰と言う人は、靖国神社に参拝したことのない人かも知れませんね。靖国神社の境内にひときわ大きな銅像がありますが、あの方が大村益次郎初代陸軍大将であります。
(写真は学研デジタル歴史館より)

なぜあの偉大な大村益次郎の名前を取った益次郎の湯が大分県日田市天ヶ瀬温泉にあるのかと言いますと、1843年19歳の時に廣瀬淡窓先生が創設した咸宜園に入塾し、9年間咸宜園で学んでいます。このときに、同じく門下生の天瀬馬原村出身の長三洲と意気投合し、天ヶ瀬温泉に入りに来たと思われます。

実はこの湯こそ、上杉鷹山の家来で出家した浄玄がこの地に来た時に入った湯でもあるのです。顕徳坊尊として湯山の高見に祀られています。

大村益次郎は、高杉晋作の奇兵隊を指導育成し、その時の副隊長が長三洲なのです。NHK大河ドラマ「花燃ゆ」に、この二人、出るかな。明治に入り、大村益次郎は、兵制を成し、長三洲は咸宜園の基本から学制を成したのです。



さて歴史ロマンはさておき、天ヶ瀬温泉に来たら、益次郎の湯に入らざるものは出世しないと思う。なぜなら、他の共同露天風呂は北向きだが、南に向いたいつも太陽を浴びているからです。JR天ヶ瀬駅をおり、旅館街をとおり、天ヶ瀬橋を渡ると、橋のたもとに、手湯と足湯があり、こうこうとお湯が沸き出ています。ここで、手と足を温めます。

旅館天龍荘の前を通っておりると玖珠川の川原(駐車場)に益次郎の湯があります。100円を志納し、服を脱ぎ、綺麗にたたんで、合掌し、まずはかけ湯です。昨日は3時半ごろ行きましたが一番風呂で、湯守の森山さんがまだ準備中でしたが、入らせていただきました。

いい湯ですね。単純硫黄泉で、ほのかに硫黄の香がします。この温泉は古くから湯山区という町内が管理して運営してくれています。大村益次郎がこの湯をこよなく愛したことから、益次郎温泉あるいは益次郎の湯と名づけられ村人から大切にされてきました。


長三洲と来たときは、日本の行く末を話しながら入り、1人で来たときは、静かに沈思黙考して、湯につかり瞑想していたのではと思います。私も、温泉禅を実行し、陽迎印で、大地から温泉の氣を、そして陽迎印で宇宙からの氣をいただきました。天地宇宙大自然の恵みに感謝です。

それでは皆様のご健康を祈りつつ、次回をお楽しみに・・・南~無 合掌礼拝 徳温禅月。






2015年2月3日火曜日

おんせん県おおいた湯めぐり7~手湯・足湯・天ヶ瀬駅前温泉~

 おはようございます。
今日、ご紹介するのは、天ヶ瀬温泉ですが、JR天ヶ瀬駅を降りると、駅舎の前に、手湯と足湯があります。まずは、手湯に5分ほど、足湯に5分ほどつけると体が温かくなります。効能があるんですよね。
手湯です。むこうに足湯があります。

意外と、手湯や足湯の効果を知らない人が多いと思いますが、「体を温めると病気は必ず治る」の著者である石原結實先生は、手浴、足浴で以下のように書いています。

手浴は、「おもにヒジや肩に滞った血や気の流れをよくし、肩こり、ヒジの痛みに奏功する・・・2、3回やると体が温まり、心身共に気分がよくなる。」

足浴は、「第二の心臓である足の裏を温めて刺激するので下半身の血流がよくなり、その結果は、全身の血行がよくなって体がポカポカと温まり、発汗してくる。特に腰痛やヒザの痛みに奏功するだけでなく、腎臓の血流がよくなることで排尿がグッと促進されるので、むくみや水太りの解消になる。」 なるほど温めることですね。

さて、手湯と足湯を楽しんで、駅前に「あまがえる」という雑貨・喫茶店に行くと、小物がたくさんあるし、斉藤さんというママさんがいて、天瀬町や温泉情報を教えてくれます。ときどきご主人もいます。ここでおいしいホットコーヒーをいただき、おしゃべりして、すぐ裏手にある駅前温泉に行きます。
天ヶ瀬温泉には、共同露天風呂が5ヶ所ありますが、駅前温泉は、近くに公営駐車場もあり、行きやすし、ちょっと違う味がするんですね。泉質は白濁の単純温泉です。それでは100円を納め、合掌し、入浴。山を見ながら、玖珠川の瀬音を聴きながら、温泉禅をすると俗世のしがらみを忘れ果てます。

効能は、肩こり、疲労回復、関節痛などにいいですね。混浴ですので、ときどき、若い勇気のある女性やカップルも来ます。また地元のおじさんたちの世間話に耳を傾けると、なるほどと思う、人生観を聴けるものです。なんという人情と自然の恵みでしょう。



天ヶ瀬温泉、お湯よし、風景よし、人情よし、まさに極楽かも。それでは皆様のご健康を祈りつつ、南~無 合掌礼拝 徳温禅月。