2015年2月23日月曜日

母を想う~95歳の天寿を全うしご浄土へ~

 おはようございます。
平成27216140分死去、大正81025日生まれ95歳の天寿を全うしました。


戦時中に、父冨太を結婚し、軍需工場建設のため、陸軍の命令を受け、下士官として日田市に赴任しました。戦争が終わり、戦後の混乱のなか、まったく無一文から父と百姓もしながら青果店を営み、大酒のみの父、年端のいかない、兄冨博、姉富恵、私、妹の須美子それに亡くなった芙美子、和美の子ども6人を抱え、仕事を子育てに身も心も費やしました。

特に昭和28人の筑後川大水害の時は大変だったと話していました。戦後の復興をなんとか乗り切り、それぞれが高校に行かせてくれた母です。信仰心の篤い母でした。

どんな時でも不平や不満、愚痴を言わず、いつも前向きで頑張り、私達子供には積極的な言葉を投げかけて励ましてくれました。私は母に似て顎が出ているんですが、あんたは福耳で、しゃくっているので、富をすくいあげると笑いながら言ってました。妙な気分でしたが、変な元気もいただきました。


私は、母とリヤカーを引いて野菜や果物を売りに出かけましたが、最初はいやでした、近所の子は幼稚園に行っているのに自分はいけないとかひがんでいました、小学校に入る前に、関節炎を患い、右足の切断になりかねないくらい悪化していましたが、福岡県添田の名医を紹介され、おんぶして連れて行ってもらい、急遽、地元の酒井先生に手術を受けて事なきをえました。おんぶされた母のぬくもりをいまでも思い出されます。小学校6年のときもキャンプで、食中に罹り、リンゴジュースを作ってくれて看病してくれました。今ふりかえるとなんの親孝行もできなかったと反省しています。

90歳くらいまでは、元気でしたが、3年前の北部九州大水害以来、急に体の不調が出て来たみたいです。特にその後、トイレで転んで、足を折ってから動けなくなり、寝たきりの生活でしたが、同居している姉が、介護してくれ、最期の一週間は大阪の妹が寄り添って看護してくれたので、おだやかに、静かに息を引き取りました。


95歳まで長生きできたことは、何があってもくよくよしない精神力と力強い生命力があったことだと思います。母を見習い、自分の人生の糧にして、人生を全うしたいと思います。法名は、長善寺のご住職が「釈尼不染」という、時代に、人に、染まらず、自分の生き方を貫いた生涯を表した「不染」という名をいただきました。感謝です。


死を受容し、死を覚悟し、旅立つ日がすべての人に訪れます。どのような思いで死ぬかは、どのような生き方をしたかでもあると思います。天寿といわれるいのちを全うしたいと思います。南無阿弥陀仏 合掌礼拝 徳温禅月。




0 件のコメント:

コメントを投稿