2015年4月9日木曜日

看取り、看取られの最終回~第三回終活講演会より~

 おはようございます。昨日の続き、最終回です。

宗教について言いますと、いやがる方もおられますが、作家の五木寛之さんが、発見シリーズで、「神の発見」、「仏の発見」を書いていますので、対談形式で読みやすいと思います。これ本を読むと神仏のことや死ぬまでしておきたい事やしておかなければならないことが気づかされます。


そのためには健康で元気なくてはいけないので。「気を発見」、「霊の発見」、「息の発見」を読むと参考になると思います。日田市立淡窓図書館にあります。


広瀬淡窓先生で思い出したのですが、妹のアリ、のちの秋子が、淡窓の病気の快復を、天台宗の高僧である豪潮が来た時に加持祈祷してもらうのですが、豪潮が言った言葉に「地水火風の借家一軒、借用申す実証なり。後日の為よって件くだんのごとし」がありますが、「命という借家を一軒、たしかに借り受けました。後々もめないように、ここに申し上げます」と訳せます。命と言うものは、仏さまからお借りした借家なのです。私たちは借りている命をしっかり生ききることが大事です。「人生の問題がすっと解決する名僧の一言」中野東禅著より。

終活というのは、自分だけのことではなく、祖父母やご両親、兄弟のこと、そのかかわりと、介護をしたり、最期はそれぞれの死を看取らなければなりません。終活という言葉は週刊朝日の記者が書いた言葉ですが、その活動や行為は昔からあったのです。


人は、誰しも老いじたくをし、「いとまごい」をしなければなりません。ご一緒に「いとまごい」、終活をしましょう。ご清聴、ありがとうございました。






2015年4月8日水曜日

看取り、看取られ③~第三回終活講演会より~

 おはようございます。昨日の続きです。

何千人の方の死を看取って来た緩和医療医の大津秀一先生が「死ぬときに後悔すること」や「人は死ぬときにどうなる」という本を書いていますが、最期は自然に意識がなくなるのです。誰でもいつかは死が訪れます。死を覚悟し、受け入れる準備をしておくことが大事と思います。


私は、肉体は朽ち、精神(思惟)は止まりますが、魂(霊)は、それぞれの信じる神仏のみもとに行くと信じています。むしろそう信じることが安らかな死を迎えることができるのでないでしょうか。

哲学者であり、ヨガの大家である中村天風先生は、「人間の死というもの」について、このように語っています。「たった一つの、宇宙の根本が産み出したものが、森羅万象である。したがって、一切の森羅万象と称するものは、宇宙根本のエネルギーの分派によって創られている。形が、つまり目の前にあるというのは、宇宙根本の力が、まだ籠っているからであり、その力が抜けてしまえば、形を現象界から消して、根源要素に還元しなければならない。」と死というものを言っております。


上智大学名誉教授の渡辺昇一先生が「人は老いて死に、肉体は亡びても、魂は存在するのか?」という本を書いていますが、霊魂は存在し、神も仏も存在すると仮定した方が、死を迎えにあたって安心することができるのではないでしょうか。という内容でした。

~続く~






2015年4月7日火曜日

看取り、看取られ②~第三回終活講演会より~

 おはようございます。第三回終活講演会の続きです。

兄は、5年前の3月に久留米医大に検査入院すると電話がありました。そんなに悪くないだろうと見舞いにいきましたら、とんでもない、末期で余命半年とのことでした。本人の希望で自宅療養・介護をしていただいておりました。苦痛と幻覚で、奥さんが耐えられなくなり、済生会に緊急入院しました。

見舞いに行くと、「武志ちゃん、家に連れて帰ってくれ」とせがむのです。兄は、病院ではなく家で最期を迎えたかったと思います。しかし、奥さんが了承しないとできないことですね。それぞれのご家族に、いわゆる自宅で最期を迎えることの問題があるのです。最期は魂で抜け出るように息を引き取りました。

そして母のことですが、3年前の北部九州大水害で、吹上町の実家も1m以上も床上浸水し、母はほうほうのていで、二階へ避難し、消防署の方に救助されましたが、そのころから、だんだん弱ってきて、1年前、トイレで転んで、足を骨折しました。

それからほとんど立つことができず、寝たきりになってしまいました。恐らく自分の体が弱っていくのを感じていたと思いますが、決して弱音を吐かず、辛抱しているように見えました。ただ週に23回ほど顔を見にいくだけしかできない自分でした。

昨年の暮れに、感染症に罹り、急遽、中央病院に再入院しました。それからは、ほとんど口もきけないほどでした。体はだんだんと衰弱し、いつお迎えがきてもおかしくない状況でした。

姉が仕事をしながら、看病していましたが、210日頃いよいよということで、大阪で看護士をしている妹を呼び寄せました。彼女は、母の体をさすり、頬をよせ、抱き寄せ、そのような行為が、無意識の母に届いているようで、柔和な顔になっていました。涙がこぼれていました。

先生は、もう自然に亡くなっていくので、痛みもないとのことでしたが、やはり発作がおきると顔をゆがめることもありました。今、もっとも死と直面している人たちは、看護士さんたちだと思いました。お坊さんでもお葬儀屋さんでないですね。

母への看取りを通して思ったことは、よくぴんぴんころりんと言いますが、そんな終わりを迎えることが幸せか今は疑問に思っています。いわゆる突然死ですが、何の覚悟も納得も準備もせずに亡くなる。逝く人も、残された家族も悲しみに打ちひしがれます。だから、突然死は私はしたくありません。


人は生老病死、生きて、老いて、病気に罹り、死ぬのです。がんなどにかかり死を迎えますが、最期は自然に永遠の眠りにつくのです。私の恩師である中野東禅先生は、死ぬときのこころの想いが、天国、ご浄土に行くかどうかを決めるとお話していました。その話を聴いたときはよくわかりませんでした。でも母は信仰心が熱く、いつも阿弥陀様に拝んでいました。


たぶん無意識に「南無阿弥陀、南無阿弥陀」と唱え、御来迎の準備をしていたと思うのです。長善寺のご胤偈さんから「釋尼不染」という意味でしょうか。そんな母の生き方でしたね。最期は頬がほんのりとして安らかなお顔でした。

~続く~







2015年4月6日月曜日

看取り、看取られ①~第三回終活講演会より~

 おはようございます。第三回終活講演会でお話したことをお伝えします。

第三回終活講演会~「看取り、看取れ~死んだとき人はどうなるの~」2015.4.4

皆さん、こんにちは! 本日は大変お忙しいなかで、多くの皆様がご参加くださり、まことにありがとうございます。

社団法人終活カウンセラー協会では終活という言葉を以下のように言っています。
「終活とは、人生の終焉を考えることを通して、自分を見つめ、今をよりよく自分らしく生きる活動のこと」を言います。

大事なことは誰しも訪れる「人生の終焉=死」に向き合い考えることです。同時に現在をどう生きるかですね。
「願わくは花のしたにて春死なんそのきさらぎの望月のころ」-西行ー

いわゆる老後の生活、若い方も今言われている老後破産にならないように計画しておかねければなりません。年金はいつからいくらもらえるかも調べておく必要があります。そして将来の介護の問題、もしもの時の相続のこと、葬儀や納骨のことなど基本的な知識を身につけ対処しておくことが終活活動ですね。

私たちは毎回、それぞれのテーマで講演会をさせていただいております。秋は、1031日に行います。

それではテーマである、看取り看取られについてお話しましょう。
私は27年前、父を久留米医大で看取り、5年前兄を済生会で看取り、先々月の16日母を中央病院で看取りました。父は喉頭がんで享年73歳、兄は腎臓がんで享年66歳、母は老衰です。母は95歳の大往生でした。

父は、喉頭がんでのどを切除しましたが、いわゆるたたき上げの軍人出身でしたので、毅然としていましたね。でも肺気腫になっていましたから、体に酸素を送ることができず、高圧ボンベで酸素吸入をしていました。痰があまると呼吸器を外し、バキュームするのですが、その苦しさを見ているとなんとも言えない思いでした。父の喉頭がんと死を通して、私は禁煙の決意をしました。父は静かに、おだやかに、逝ってしまいました。

~続く~





2015年4月3日金曜日

おんせん県おおいた湯めぐり20~癒しの露天風呂・薬師湯~

 おはようございます。
昨日4月2日、大分県日田市では29.8℃で全国一を記録しました。この時間小生はどこにいたかと言うと天ヶ瀬温泉共同露天風呂薬師湯に入っていました。まずは公共駐車場に止めて、「桜滝』を見に行きます。

パワースポット「桜滝」です。「氣」が滝壺を回り、みなぎっています。合掌礼拝。

天ヶ瀬駅を通りすぎて、左にまがり、橋を渡って右に玖珠川に沿って行くと、旅館天龍荘さんの下の河川敷に駐車場がありますので、邪魔にならないように橋の下あたりにおきます。天龍荘の前を通っていくと、手湯と足湯があります。

新天ヶ瀬橋を渡り、向こう岸にすぐ、お待ちかねの共同露天風呂薬師湯があります。
赤いテントが見えますが、そこが薬師湯です。


中に入って服を脱ぐ前に、100円をご志納します。納めない人がいるとお聞きましたが、罰当たりもので、そういう人には、お金も健康も訪れませんので、お気をつけてください。

服をたたみ、合掌礼拝。

この熱さ、42度くらいかな。いいね~。源泉は75℃あるそうです。ほのかに硫黄の匂いがしますが、単純硫黄泉ですね。リウマチや皮膚病、高血圧にいいですね。なんといっても見上げれば、春の青空、聞こえてくるのは玖珠川のせせらぎ、真向いの天ヶ瀬温泉旅館、最高ですね。


小生は、ますは体をほぐし、静かに瞑想し、心地よい春風を感じながら、大宇宙、大自然の恵み感謝しながら、お薬師様の真言「おんころころせんだりまとうぎそわか」が口からほとばしました。感謝です。

ところで、物事が成就するとか、事業で成功するとか、あるいは悟りを得、人間として完成するとか言いますが、弘法大師空海さんが言っていることは、もっとも的を得ていると思います。それは「三力偈」と言いまして、「以我功徳力、如来加持力、及以法界力」を持つことです。

つまり、自分で努力し工夫するという自力と、神仏に祈り、神仏の力をいただくという他力、そして天地宇宙、大自然のエネルギーと皆様の力をいただくという法界力という三つの力がそろえば、すべて成就し成功します。それでは皆様のご健勝を祈りつつ 南無 合掌礼拝 徳温禅月。







2015年4月2日木曜日

おんせん県おおいた湯めぐり19~隠れ湯・せんらく温泉~

 こんにちわ!
大分県日田市の市街地を386号線を大分方面へと行くと、街のはずれで、210号線と交差します。その手前に、新日本緑地さんがあり、そこを右に曲がり下りていくと、美人湯と言われるせんらく温泉があります。

隠れ湯と書いたのは、国道の下側にあるため、外から見えないからです。玖珠川のほとりにあり、お昼時は、隣のレストランらく膳でランチを食べて、温泉を楽しむのもいいものです。受付で入浴料を支払い、水曜日は200円です。

家族風呂の横に庭があり、鯉が泳いでいます。


露天風呂はこの奥で、手前に男風呂があります。焦る気をおさえ、服を脱ぎ、たたんでいざ露天へ、半露天になっていますので、雨の日も大丈夫です。

玖珠川のせせらぎが聞こえてきます。

かけ湯をしっかりして、合掌し、いざ岩風呂へ入浴です。

熱いお湯が好きな人は、こちらへ。体をほぐし、岩にもたれて温泉禅をします。調身・調息・調心です。俗世のことは忘れて、川のせせらぎ、小鳥のさえずりに耳をかたむけると、大自然のふところに抱かれているみたいですね。車の音はなぜか聞こえませんね。

ここは、ナトリウム・炭酸水素塩・塩化物泉ですので、疲労回復、関節炎などにいいそうです。とにかくいつまでもあたたかいです。隣のレストランらく膳です。

帰りに、毎日200円にしてくれると助かるんですが、旧日田市内にも100円か200円で入れる共同温泉場が必要ですね。障害者もお年寄りも、安心して入れる温泉施設をつくると市民から喜ばれると思いました。振興局に行って、地熱温度地図をみせてもらおうっと、それでは皆様のご健康を祈りつつ 南~無 合掌礼拝 徳温禅月。







2015年4月1日水曜日

おんせん県おおいた湯めぐり18~大迫力!筋湯温泉うたせ大浴場~

 こんにちわ!
筋湯温泉に行くには、国道210号線から玖珠を通って宝泉寺温泉から上っていくルートと九重インターからおりて、九重町役場を通って、湯坪温泉を通っていくのと、九酔渓から夢の大吊り橋を観て、長者原方面へと走っていくルートがあります。今回は、九重役場から湯坪温泉を通って登りました。いい風景ですね。湯坪温泉の民宿露天風呂がたくさんあるので次回のお楽しみにしておこう。






ここがかの有名な筋湯温泉共同浴場であるうたせ大浴場です。外に足湯があります。



入浴料は300円です。メダルを買って、回転式の入り口です。
右が男性風呂、左が女性風呂です。

100円ロッカーに服をたたんでいざ打たせ湯へ合掌。轟轟と3mから落下する、うたせ湯の音と湯けむりです。

まずは、かけ湯をして、湯につかります。そしてうたせ湯にて温泉禅です。最高ですね。半跏不座で座し、背筋を伸ばし、体を調えます。そして呼吸に集中して、うたせ湯の音が聞こえなくなったらこ心は空になります。これをゆっくり三回は繰り返します。単純温泉ですが、体と心の疲労回復には最適です。

筋湯温泉のうたせ湯は最高の温泉禅を楽しめます。皆さんも筋湯温泉までの山なみの風景を楽しみながら、車を走らせると気分は最高ですね。それでは皆様のご健康を祈りつつ 南~無 合掌礼拝 徳温禅月。