兄は、5年前の3月に久留米医大に検査入院すると電話がありました。そんなに悪くないだろうと見舞いにいきましたら、とんでもない、末期で余命半年とのことでした。本人の希望で自宅療養・介護をしていただいておりました。苦痛と幻覚で、奥さんが耐えられなくなり、済生会に緊急入院しました。
見舞いに行くと、「武志ちゃん、家に連れて帰ってくれ」とせがむのです。兄は、病院ではなく家で最期を迎えたかったと思います。しかし、奥さんが了承しないとできないことですね。それぞれのご家族に、いわゆる自宅で最期を迎えることの問題があるのです。最期は魂で抜け出るように息を引き取りました。
そして母のことですが、3年前の北部九州大水害で、吹上町の実家も1m以上も床上浸水し、母はほうほうのていで、二階へ避難し、消防署の方に救助されましたが、そのころから、だんだん弱ってきて、1年前、トイレで転んで、足を骨折しました。
それからほとんど立つことができず、寝たきりになってしまいました。恐らく自分の体が弱っていくのを感じていたと思いますが、決して弱音を吐かず、辛抱しているように見えました。ただ週に2,3回ほど顔を見にいくだけしかできない自分でした。
昨年の暮れに、感染症に罹り、急遽、中央病院に再入院しました。それからは、ほとんど口もきけないほどでした。体はだんだんと衰弱し、いつお迎えがきてもおかしくない状況でした。
姉が仕事をしながら、看病していましたが、2月10日頃いよいよということで、大阪で看護士をしている妹を呼び寄せました。彼女は、母の体をさすり、頬をよせ、抱き寄せ、そのような行為が、無意識の母に届いているようで、柔和な顔になっていました。涙がこぼれていました。
先生は、もう自然に亡くなっていくので、痛みもないとのことでしたが、やはり発作がおきると顔をゆがめることもありました。今、もっとも死と直面している人たちは、看護士さんたちだと思いました。お坊さんでもお葬儀屋さんでないですね。
母への看取りを通して思ったことは、よくぴんぴんころりんと言いますが、そんな終わりを迎えることが幸せか今は疑問に思っています。いわゆる突然死ですが、何の覚悟も納得も準備もせずに亡くなる。逝く人も、残された家族も悲しみに打ちひしがれます。だから、突然死は私はしたくありません。
人は生老病死、生きて、老いて、病気に罹り、死ぬのです。がんなどにかかり死を迎えますが、最期は自然に永遠の眠りにつくのです。私の恩師である中野東禅先生は、死ぬときのこころの想いが、天国、ご浄土に行くかどうかを決めるとお話していました。その話を聴いたときはよくわかりませんでした。でも母は信仰心が熱く、いつも阿弥陀様に拝んでいました。
たぶん無意識に「南無阿弥陀、南無阿弥陀」と唱え、御来迎の準備をしていたと思うのです。長善寺のご胤偈さんから「釋尼不染」という意味でしょうか。そんな母の生き方でしたね。最期は頬がほんのりとして安らかなお顔でした。
~続く~
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