2015年4月6日月曜日

看取り、看取られ①~第三回終活講演会より~

 おはようございます。第三回終活講演会でお話したことをお伝えします。

第三回終活講演会~「看取り、看取れ~死んだとき人はどうなるの~」2015.4.4

皆さん、こんにちは! 本日は大変お忙しいなかで、多くの皆様がご参加くださり、まことにありがとうございます。

社団法人終活カウンセラー協会では終活という言葉を以下のように言っています。
「終活とは、人生の終焉を考えることを通して、自分を見つめ、今をよりよく自分らしく生きる活動のこと」を言います。

大事なことは誰しも訪れる「人生の終焉=死」に向き合い考えることです。同時に現在をどう生きるかですね。
「願わくは花のしたにて春死なんそのきさらぎの望月のころ」-西行ー

いわゆる老後の生活、若い方も今言われている老後破産にならないように計画しておかねければなりません。年金はいつからいくらもらえるかも調べておく必要があります。そして将来の介護の問題、もしもの時の相続のこと、葬儀や納骨のことなど基本的な知識を身につけ対処しておくことが終活活動ですね。

私たちは毎回、それぞれのテーマで講演会をさせていただいております。秋は、1031日に行います。

それではテーマである、看取り看取られについてお話しましょう。
私は27年前、父を久留米医大で看取り、5年前兄を済生会で看取り、先々月の16日母を中央病院で看取りました。父は喉頭がんで享年73歳、兄は腎臓がんで享年66歳、母は老衰です。母は95歳の大往生でした。

父は、喉頭がんでのどを切除しましたが、いわゆるたたき上げの軍人出身でしたので、毅然としていましたね。でも肺気腫になっていましたから、体に酸素を送ることができず、高圧ボンベで酸素吸入をしていました。痰があまると呼吸器を外し、バキュームするのですが、その苦しさを見ているとなんとも言えない思いでした。父の喉頭がんと死を通して、私は禁煙の決意をしました。父は静かに、おだやかに、逝ってしまいました。

~続く~





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