ぞれぞれの人には、何年の何月何日に、誰それの両親からそれぞれの業を持って生まれたという「宿命」は変えることができない。その宿命にはその人の「本性」というものをもっている。これも変えることができない。
ましてや自分の本性である性質や能力をわかっている人は、残念ながら小数であるといえるでしょう。その本性には、良きことである「吉」と悪しきことである「凶」があります。
もし、自分の本性なるものを知っていれば、良きこと(吉)を伸ばし、悪しきこと(凶)を失くす努力をすることができるものです。その本性を教えてくれるものが弘法大師空海によって唐(中国)より御請来された「文殊師利菩薩及諸仙所説吉凶時日善悪宿曜経」なのです。
中国の明の時代に、袁了凡によって書かれた「陰隲録」があります。袁了凡が幼い時、ある仙人が家を訪ね、お母さんに「私は易学を修めたものだが、その理法を伝えたに来た」と言い。「この子を医者にしようと思っているが、この子は、何年の何月に科挙試験に合格し、立派な官吏になる、最後に地方長官になる。しかし53歳でその命は尽き果てる」と予言しました。
そして、袁了凡は、易学の仙人が言ったように、何年の何月に科挙試験に合格し、立派な官吏になりました。地方長官になった袁了凡は、予言どおりにことは運んでいる、あと数年しか生きられないと思い、名高い禅の老子である雲谷禅師を訪ね、座禅をしていました。
座禅が終わり、雲谷禅師が「一点の曇りもない、素晴らしい禅を組まれる、どこで修行したのじゃ」と問うと、袁了凡は、「私は修行していません」といきさつを話し、「易者が言った通りの人生を歩み、53歳で亡くなることになっております。もう思い悩むことはありません」と言いました。
禅師は、「悟りの境地を得たものと思っていたが、この馬鹿者が、運命は、天与のものもあるが、人為によって変えられないものではない、もしあなたが善きことを思い、善きことをし、あなたの寿命も延びていくであろう」と因果の法を教えたのです。袁了凡はこの教えを実践し、善きことを行い、53歳過ぎても長生きし、天寿を全うしたのです。
この袁了凡の「陰隲録」を実践された方が、江戸時代の「咸宜園」を開いた大教育者である広瀬淡窓先生なのです。淡窓先生は、善行を実践し、「万善簿」に記録し、病弱な体を克服し、善因善果を実証した人です。
人は宿命を知り、運命を変えていく善行をおこなう。他人のためになる生き方、あるいは社会貢献という利他行という善を積んでいけば必ず、運命はひらけます。「積善の家には、余慶あり」と言葉の通りです。
仏教ではその方法を「六波羅蜜」として教えています。次回はこのことをお話ししましょう。それでは皆様方のご健勝を祈りつつ 南~無 合掌礼拝 徳温禅月。
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