2013年9月24日火曜日

禅(仏道)を歩むⅥ-息子と晩節を汚した人たちー

 おはようございます。
医療法人徳洲会病院への強制捜査が入った。昔、父である徳田虎雄氏の立志伝を読んで、偉い人もいると関心したことを思い出します。昨年の衆議院選挙で、息子である徳田毅議員に対する公職選挙法違反容疑での捜査であります。虎雄氏のALSを発症したのちも、徳洲会グループの経営に携わっていたようです。

もうひとり残念なニュースは、みのもんた氏、私たちが高校時代、ラジオの深夜ニュースで軽妙なおしゃべりで、受験勉強の気分転換をしてもらっていたわけですが、みのさんも、大変努力して今日の地位と財産を気づいたことと思います。一昨年奥さんを亡くし、悲嘆にくれた顔をしていました。

息子さんの窃盗未遂容疑のニュースのまえに、朝の番組でみのもんた氏がキャスターの腰を触ったとかで話題になっていました。事実関係は、新聞などを読んでいただくとしてこれだけ大成功をおさめた人たちが人生の晩節を汚すことになったことは残念なことです。

お釈迦様が、青年商人に説法したお経に、「六方礼教(シンガーラ経偈経)」があります。この青年のお父さんは、息子に毎朝、六っつの方角に礼拝するように遺言しました。ある日、その様子を見た釈尊が、その意味を解き明かすのです。

ここで大事なこと、親が財産のみならず、人間としてしなくてはいけないことを伝えていることです。釈尊は以下のように解き明かします。

「ブツダは次のように言われた。
清らかな弟子は四つの汚れた心と行いから離れている。
四つの理由による悪の心と行いをなさず、財産をなくす六つの蛇口に従わず。
このように十四の悪から離れて、六方向を守っている。
そのため、過去・現在・未来の三世にわたって勝利者となり、この世でも、あの世でも
楽しく、身が滅び命が尽きたのちは善き世界に生れるのである。

父母は東方である。師は南方である。
妻夫は西方である。友は北方である。
従業員部下は下方である。宗教者は上方である。
これらの方向に礼拝しなさい。そうすれば立派な良家の主である。」
ー「ブツダの肉声」に生き方を問うー中野東禅著小学館新書


宗教心を持って礼拝することの重要性を説いているのですが、詳しくは上記の本を必読してください。老若男女を問わず、この本は、ある意味では最強の成功哲学書だと思うからです。

徳田虎雄さんもみのもんたさんも親の責任を言うとしたら、こどもに何を教えてきたかではないでしょうか。またどのような親父のうしろすがたを見せてきたかではないでしょうか。いつまでも自分の仕事(会社)にしがみつき、70過ぎても後輩に席を譲らないの生き方はいかがなものでしょうか。

人生の節目を、インド哲学では学生期、家住期、林棲期、遊行期とわけていますが、二人とも後継し、林棲期での仕事をするべきでないでしょうか。

有名な人で誰が実践しているでしょうか。稲盛和夫氏などたくさんいます。稲盛氏は、京セラは部下に任せ、盛和塾を通して、中小企業の経営者の育成に勤めています。稲盛氏は、65歳の時に臨済宗で得度し、仏道を歩んでいます。稲盛氏は、会社経営を同族ですることをしませんでした。(最新刊で「燃える闘魂」で出版されています。)

こんな偉い方と比較するのは、申し訳ないので、考えてみました。いました。徳光和夫さんですね。徳光さんは四国88ヶ所を巡礼し、BSで日曜日に放送していますが、なかなかいい番組ですね。徳光氏も次男のことでマスコミにたたかれていますが、ふがいない息子に、四国に行けと発言していました。これでいいのです。これから先は息子さんが自立することです。

人生は自分のことで悩み苦しみ、今度は子供のことで悩み苦しむのです。でも子供を通して、たのしいこと、うれしいこともあじあうことができるんです。問題は生き方をしっかり土台に足をつけている人は、いかなる問題が起きようが対処できるのです。

私たちは、人を通して自分の在り方を学ぶことができるのです。「六方礼拝」までいかなくても、毎日、朝に礼拝、夕べに感謝する日々を送ろうではありませんか。只今「よろず相談室」を開催していますので、お気軽にお問い合わせ下さい。皆さんのご多幸をお祈りします。合掌 徳温禅月。



2013年9月23日月曜日

仲秋祭・放生会ー大原八幡宮ー

 おはようございます。
日田市内の東部に位置し、大分県内有数の神社ですが、9月21日より25日まで秋の大祭、仲秋祭放生会)が行われています。放生会は宇佐神宮以来、神仏習合の思想より、生類を相憐れみこれを供養し、生きものをみだりに殺さないようにと祈り、秋の五穀豊穣を神に感謝するものです。


西の鳥居から入ると庭園があります。

南の鳥居から、333段の石段を上ります。

上り詰めると、山門があります。

本殿です。

御参りをして、さらに東にのぼっていくと金毘羅様を祀っています。散策するのもいいですよ。

ウキペデイアって、凄いですよね。大原八幡宮を詳しく書いていましたので参考に添付します。

『日田の八幡神社の初見は天武天皇白鳳9年(680年)、靱負郷岩松峰(日田市天瀬町金場の北)に宇佐の鷹の居の社にいます神と名乗る神が現れ、社(鞍形尾の宮)を建てて祀ったことが初めである。慶雲元年(704年)、杉原の杉の下に神が降りて村の女に神懸かり、「岩松の峰の神」を名乗って「杉原が便宜よいのでここにきた」と告げたとして、社を建てて祀ったというのが大原八幡宮の前身である杉原宮である。
貞観13年(871年)若しくは仁寿2年(852年)に、当時日田郡司であった大蔵永弘によって、杉原宮から現在の元宮に遷座され、宇佐神宮より橋本公則を迎え社司としている。建久4年(1193年)、九州探題大友能直が、東の総社を柞原八幡宮、西の総社を大原八幡宮として鎌倉鶴岡八幡宮の参拝礼式に改めさせたといわれる。
元和10年(1624年)日田永山城主石川主殿守忠総により、元宮から現在の位置へ遷座された。その際、社殿形式に八幡造を用い、屋根意匠に権現造の要素である八棟造を用いて建立されている。遷座前の場所は元大原神社や元宮神社と呼ばれ、現在も江戸時代中期に再建された社殿が残る。
1935年(昭和10年)に就役した大日本帝国海軍の最上型重巡洋艦「三隈」の艦名は大分県日田盆地を流れる三隈川に因ため、「三隈」の艦内神社は当社から分祀されている[1]。
平成元年(1988年)11月22日に楼門・拝殿・幣殿・本殿が市の有形文化財に指定され保護されている[1]。境内最古の建築物である楼門は貞享4年(1687年)の築造、拝殿・幣殿・本殿は寛政6年(1794年)の築造といわれる。』

生きとし生けるものに、憐れみを与えたまえ、死せるものを供養したまえと祈り、実りを秋を迎え、すべての生けるものに、いのちをあたえたまめと感謝し、お祈りします。合掌 徳温禅月。



2013年9月20日金曜日

中秋の名月ー禅(仏道)を歩むⅤ-

 おはようございます。
昨晩、中秋の名月ということで、20時ごろから空を眺め、満月を詣でました。ちょうど息子の嫁が、月見団子を作って持ってきてくれたので、美味しくいただいた次第です。さてさてウキペディアではどのように書いているか見てみました。

『月見(つきみ)とは、月、主に満月を眺めて楽しむこと。観月(かんげつ)とも称する。
形から、鶏卵の黄身を満月に例えた料理も月見という。

この夜の月を「中秋の名月(ちゅうしゅうのめいげつ)」と呼ぶ。
「仲秋の名月」という表現もあるが、これだと「陰暦8月の月」を指し、十五夜の月に限定されなくなる。「仲秋」とは、秋を初秋(旧暦7月)、仲秋(同8月)、晩秋(同9月)の3つに区分した場合、旧暦8月全体を指す。対して「中秋」とは「秋の中日」=陰暦8月15日のみを指す。
加えて、中秋の夜に雲などで月が隠れて見えないことを「無月(むげつ)」、中秋の晩に雨が降ることを「雨月(うげつ)」と呼び、月が見えないながらもなんとなくほの明るい風情を賞するものとされる。また、俳諧では8月14日 - 15日、16日 - 17日の夜をそれぞれ「待宵(まつよい)」「十六夜(いざよい)」と称して、名月の前後の月を愛でる。』

FB友達の本荘和夫さんが撮ったものです。

松尾芭蕉はこの中秋の月を見て、「名月や 池をめぐりて 夜もすがら」と詠んでいます。空には中秋の月があり、池のなかにも中秋の月が映しだされている。それを見ていると静かな池のまわりをまわって一晩すごしたということです。我と中秋の月と池のなかの月がひとつになっている風景が目に浮かびますね。

道元禅師は、
「人のさとりをうる、水に月がやどるがごとし。月ぬれず、水やぶれず。ひろくおおきなるひかりにてあれど、尺寸の木にやどり、全月も弥天も、くさの露にもやどり、一滴にもやどる。さとりの人をやぶらざる事、月の水をうがたざるがごとし。人のさとりを罣偈せざること、滴露の天月を罣偈せざるがごとし、ふかきことはたかき分量なるべし。時節の長短は、大水小水を撿点し、天月の広狭を辧取すべし。」と説法しています。

「月はほんの一滴の水のなかにもその姿を映すことができます。このことを深く考えていくと、一滴の水が月を映すということは、その一滴の水が全宇宙を含んでいるというぐらいに大きな考え方になってきます。道元がここで言いたいのは、私というのは確かに全宇宙に比べれば、ほんの小さな存在にしかすぎない。だけど、私といううものが全宇宙とイコールであるいうぐらいに気持ちになった時に初めて仏の悟りというものがわかるのであって、いかにも仏の悟りというものは、遠くにあるように思っているものだから、いつまでも経っても到着できないということなのです。そこまで壮大な気持ちにならなくても、「お月様のほうから、私の心の中に映ってくださるんだ」と考えても、悟りというものが非常に近くに感じることができるのです。」ー「仏教の智慧心の智恵」ー花山勝友編著(PHP研究所)

月を観て、歌を詠み、俳句を詠み、仏の悟りを得ることができる日本人に生れてきてよかったとつくづく思いました。よい週末をお過ごしください。感謝!合掌 徳温禅月。


2013年9月19日木曜日

禅(仏道)を歩むⅣ-山是山水是水ー

 おはようございます。
台風18号は、大きな傷跡を各地に残しました。その一方で、リニア新幹線の、東京品川から名古屋まで40分あまりで行くニュースがありました。そんなに急いで何しに行くのという心境は私だけでしょうか。経済が優先し、人々の精神がとりのこされていくのではないでしょうか。

少なくとも、都会で住む人たちは、週に一度は自然の山々、河川、そして海などに触れないとおかしくなるのは、もともと人間は自然の動物だからです。満員電車での中年男性の痴漢行為、降りてただひたすら会社に向かう無表情な顔、この国の人々は病んでいるのではないでしょうか。


2020年東京五輪そしてリニア新幹線など、否定はしませんが、さらに東京一極集中を加速させるのか、都市をまかなう電力は地方の福島県などの原発に依存して行くのか、そのような危惧をするのは、考えすぎでしょうか。

最近、地方分権や地方の活性化という言葉のトーンが落ちて聞こえなくなっていますが、経済も一極集中から地方分散して、地方での産業の育成や雇用の創出を計っていかなければ、日本国全体の国力は伸びることはないと思いますが皆さんはどう思いますか。

ところで、今日の山是山川是川(やまこれやまかわこれかわ)という言葉は、夏目漱石も湯河原の旅館に残したそうですが、山は山、川は川として見ることの大切さを詠んだものです。


私の「よろず相談室」で、育児のことをよく相談されますが、よく聴くとお母さんは自分と比較して子供をみたり、兄弟で比較したりして見ていることが多いのです。自分の時はこうだったのに、どうして子どもはできないのだろうかとか、お兄ちゃんややれるのに、弟はやれないとか、いつの間にか比較してみて、その狭間で悩んでいるんです。

自然が、山は山であるように、川が川であるように、人間ならなおさら、お兄ちゃんはお兄ちゃんの個性があり、才能があるのです。弟は弟の性格があり、能力があるのです。ありのままを見つめて、いいものを伸ばしてあげることが教育であり、育児ではないでしょうかとお答えするのです。


現代社会は、いびつな競争社会で、相対的に比較され評価され、格付けされます。そのように洗脳されているのではないでしょうか。ですからこのようなストレス社会のなかで、精神を病むことなく生きていくには、週に一回、それができない人は隔週に一回は、田舎に行ってみませんか。あなたの心の原風景があり、それが癒してくれます。

素直に物事を見つめる心を養うために、5分でも10分でも座禅をして、体を調え、呼吸を調え、こころを調えるとリフレッシュできます。今日一日、笑顔で元気に生きていきましょう。感謝!合掌、徳温禅月。



2013年9月18日水曜日

禅(仏道)を歩むⅢ-以心伝心ー

 おはようございます。
朝晩冷え込み、秋の気配を感じる今日この頃です。だんだん山々は紅葉してくるのが楽しみです。自然の営みの中に、神仏がが顕現してくださるのです。有り難いことです。

今日は、以心伝心という言葉を考えてみましょう。「こころでもって、こころをつたえる」と書いているのですが、この言葉は日常的に使われていて、都合よく使われている言葉でもあるのです。友人と会ったときに、おなじような思いのとき、以心伝心やわと言いますがちょっと違うと思うのです。

ご主人が、「言葉にださなくても、思ってることは家内に伝わるんだと、以心伝心だわ」といって、そう思い込んでいる人も多いものです。そして会話という愛情表現をしなくなくなると、だんだん冷めてくるのです。


こころの状態は、顔の表情やしぐさにあらわれてきますので、こころの状態をすがすがしく、清らかにしていないと、そのこころが相手につたわるのです。

2020年の東京五輪が決まったのですが、リオでのプレゼンテーションで、「おもてなし」という言葉を言った方がいますが、「おもてなし」は禅から茶道に受け継がれ、いまでは旅館などの観光業で使われています。まさに「おもてなし」のこころは、「以心伝心」で伝えることではないでしょうか。

禅には「不立文字」という言葉があります。文字であらわさず、体(こころ)で修行する、覚えるということですが、以心伝心も同じような意味で、言葉ではなく、こころから伝えることの大切さを言っているのです。

実は、中村天風先生が主宰した天風会があって、夏の修練会に参加すると、いくつかの実修があって、言葉を発せずに、思いで、指し示すものをあてることや、こころで重いと思うと誰も持ち上げられなくなる訓練をするのですが、これはこころの力を教えてくれているのです。

私たちが、相手のことをこころから大切に思っていると、そのことは自然に伝わるのです。たとえば年老いた父母を、いとおしく思うものは、その愛情は伝わります。逆に、嫌いだと思っている、軽率に思っているとその思いまた伝わるのです。

ですから大事なことは、わたしたちのこころをいつも見守り、こころが正常にはたらくようにしなければなりません。そのためにも、朝夕の座禅は、歯を磨くがごとく、食事をするがごとく、大事なことなのです。

ビジネスマンで、今、多忙ですと当たり前のように言う人がいますが、この忙しいという言葉こそ気をつけないと、「忙=心を亡くす」と書いています。心を亡くして仕事をしているとろくな仕事はできず、トラブルを引き起こします。忙しいと感じたときは、イス禅でも、立禅でもできますので、取り入れれば必ずリフレッシュできますよ。

「清らかなこころで、こころからこころにつたえることができますように、おちからをください。」とお祈りします。合掌 徳温禅月。






2013年9月17日火曜日

禅(仏道)を歩むⅡ-信心と信仰ー

 おはようございます。
台風18号は、近畿・北陸・東海・関東・東北など全国各地に被害をもたらしました。亡くなられ方のご冥福をお祈りします。合掌。また被災された皆様にお見舞い申し上げます。昨年、北部九州大水害で経験しましたが、泥のかきだし、洗浄、後片付け、消毒など、被災された方は、これに没頭しなくてはなりませんが、くれぐれも健康に留意され、一刻も早く立ちなおりますようにお祈りいたします。

ところで、檀信徒は毎日、座禅をし、朝課として読経します。座禅は何のためにするのでしょうか。まず、夜寝る前に座禅をし、こころを調え、就寝します。朝、起きて神仏に感謝し、半跏趺座にすわり、体の姿勢をととのえます。そして大きく一呼吸し、座禅に入ります。

座禅に入ると、当然のごとく雑念が湧いてきます。そのときに、朝の鳥の鳴き声などに耳を集中します。次におりんをならし、おりんの音に集中すると、雑念が無くなります。つまりこころを調えているのです。

ものごとに動じないこころ、こだわらないこころ、本来のこころを信じることが信心です。ですから信心を強くするためにも座禅をするのです。


朝課の読経をするのですが、曹洞宗では、妙法蓮華経観世音菩薩普門品偈、大悲心陀羅尼、消災妙吉祥陀羅尼、そして般若心経を唱えます。観世音菩薩が、わたし達の願いを聴かれ、私たちにふりかかるすべての災難を取り除いてくださるのです。

陀羅尼は、サンスクリット語で、神仏のおおいなる慈悲の救いを讃え、祈りを捧げるのです。これが信仰です。信心と信仰が一体となる時、すべての悩み、すべての苦難は取り除かれるのです。行為そのものは、自力と他力が働いてくれるのです。

地球は、人間の身勝手でおかされ、温暖化が進み、日本においても、いままでに経験したことのない大洪水、竜巻、台風が起きているのです。このことはWWFなどが警告してきましたが、いまだ温暖化防止のための二酸化炭素排出規制が、国際的にできていません。

現代文明のなかで、便利さ、豊かさのみ追い求め、自然を破壊したツケが今、廻ってきています。被災された方に罪はありませんし、誰の身にも起きるのです。その時に、私たちは心を正常に保つことが大事です。そして、神仏に災難を取り去ってくれるように祈る時、神仏は必ずや救い出してくれるでしょう。現代人はこの素朴な、祈りという行為を取り戻すべきではないでしょうか。合掌 徳温禅月


2013年9月16日月曜日

禅(仏道)を歩むⅠ-日々是好日ー

 おはようございます。
9月16日敬老の日です。93歳になるお袋が自宅で療養しているので、お見舞いかたがたお袋の様子を見に行きましたが、時間の経過とともに、老いてゆく姿をみると、人生の無常を感じざるを得ません。

人生は「生老病死」の四苦八苦だと言われても、若いときは感じないものですが、生きていく上には、仕事上のトラブルを抱えたい、なかなか思うように実績が上らなかったり、職場の人間関係に悩んだり、家庭もそれぞれが勝手に動くようになり、妻や子供との関係が希薄になり、ふと何のために生きているのか思うことがある方も少なからずおられると思います。

日本民藝館の庭園にて

そして、40、50と歳をとっていくと、高血圧症だと言われ、生活習慣病を併発するのでと薬を処方されるのです。確実に体が老いていっているのがわかり始めるのです。ましてやお袋のように、耳を聞こえない、起きて歩くこともしんどくなる。

「元気かい」と声をかけると、「まだ生きているよ」を返事をしてくる。この人生の荒波を越えてきて、次に死という到着点を意識して老後を過ごしている方も多いのではないでしょうか。それでも生きていく、生かされている。敬老の意味が、年老いた母をみているとわかりかけてきた。

しかし、このような「生老病死」の人生のなかでも。「日々是好日」と禅師は教えてくれました。雨の日もまたよし、仕事に行きづまった時もまたよし、人にいやみも言われてもまたよしと、何事にもとらわれず、ある意味では飄々と生きて行ける心構えをもてるのが禅なのかもしれません。

特に禅において、座禅をすると、こころが落ち着いてくるのです。姿勢を調え、呼吸を調え、こころを調えると言いますが、釈迦牟尼仏の悟りは、座禅によって達成されたのです。そのことを折角教えているのに、座禅をしないのは、現代人は勿体ないことです。

日本民藝館の庭園にて

ではイエスキリストはどうしたのでしょうか。聖書には、キリストは一人山に行き、神に祈っていたと書いています。近年聖書学者は、イエスキリストはエッセネ派というクムラン洞窟で瞑想する集団に所属し、当時のユダヤ教徒とは違う集団生活を送っていたと言っています。つまりキリストもまた座禅をし、こころを鎮め、瞑想し、神に祈っていたのでしょう。現在、カトリックでも座禅が取り入れられています。

人生には、いつも楽しい、愉快の時ばかりではなく、悲しい、苦しい、逆境の日々も押し寄せてくるのです。そんなとき、「日々是好日」の禅語を思い出していただければ、悪いときも、こだわらない心が呼び戻されて来ます。

まずは今日一日を精一杯に生きることです。晴れの日もよし、雨の日もよし、風の日もよし、ものごとを動じないこころを育てるのも禅(仏道)かなと思います。合掌!徳温禅月。