2013年9月23日月曜日

仲秋祭・放生会ー大原八幡宮ー

 おはようございます。
日田市内の東部に位置し、大分県内有数の神社ですが、9月21日より25日まで秋の大祭、仲秋祭放生会)が行われています。放生会は宇佐神宮以来、神仏習合の思想より、生類を相憐れみこれを供養し、生きものをみだりに殺さないようにと祈り、秋の五穀豊穣を神に感謝するものです。


西の鳥居から入ると庭園があります。

南の鳥居から、333段の石段を上ります。

上り詰めると、山門があります。

本殿です。

御参りをして、さらに東にのぼっていくと金毘羅様を祀っています。散策するのもいいですよ。

ウキペデイアって、凄いですよね。大原八幡宮を詳しく書いていましたので参考に添付します。

『日田の八幡神社の初見は天武天皇白鳳9年(680年)、靱負郷岩松峰(日田市天瀬町金場の北)に宇佐の鷹の居の社にいます神と名乗る神が現れ、社(鞍形尾の宮)を建てて祀ったことが初めである。慶雲元年(704年)、杉原のの下に神が降りて村の女に神懸かり、「岩松の峰の神」を名乗って「杉原が便宜よいのでここにきた」と告げたとして、社を建てて祀ったというのが大原八幡宮の前身である杉原宮である。
貞観13年(871年)若しくは仁寿2年(852年)に、当時日田郡司であった大蔵永弘によって、杉原宮から現在の元宮に遷座され、宇佐神宮より橋本公則を迎え社司としている。建久4年(1193年)、九州探題大友能直が、東の総社を柞原八幡宮、西の総社を大原八幡宮として鎌倉鶴岡八幡宮の参拝礼式に改めさせたといわれる。
元和10年(1624年)日田永山城石川主殿守忠総により、元宮から現在の位置へ遷座された。その際、社殿形式に八幡造を用い、屋根意匠に権現造の要素である八棟造を用いて建立されている。遷座前の場所は元大原神社や元宮神社と呼ばれ、現在も江戸時代中期に再建された社殿が残る。
1935年(昭和10年)に就役した大日本帝国海軍最上型重巡洋艦三隈」の艦名は大分県日田盆地を流れる三隈川に因ため、「三隈」の艦内神社は当社から分祀されている[1]
平成元年(1988年)11月22日に楼門・拝殿・幣殿・本殿が市の有形文化財に指定され保護されている[1]。境内最古の建築物である楼門は貞享4年(1687年)の築造、拝殿・幣殿・本殿は寛政6年(1794年)の築造といわれる。』

生きとし生けるものに、憐れみを与えたまえ、死せるものを供養したまえと祈り、実りを秋を迎え、すべての生けるものに、いのちをあたえたまめと感謝し、お祈りします。合掌 徳温禅月。



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