2013年10月18日金曜日

伊豆大島の教訓ー誰が住民を守るー

 おはようございます。
台風26号は、関東を直撃し、伊豆大島に甚大な被害をもたらしました。亡くなられた方々のご冥福を心よりお祈りしたします。そして被災された皆様にお見舞いを申し上げます。10年に一度の強大台風と言われながらどうしてこんなにも多くの方々の命が奪われたのしょうか。

温暖化による異常気象、集中豪雨、竜巻、かって経験したことのない巨大台風の時代が来たことを警鐘してきましたが、今回の伊豆大島の行政のトップの方は、危機感のない対応としか思えません。以前より「不都合な真実」「2052」を読むように提言してきましたが、行政に携わる人たちは読んでいるのでしょうか。



雨量が100ミリ時代と言ってきましたが、150ミリ、200ミリの時代が来ているのです。住民の生命を預かる行政のトップ及び担当者は、このこと肝に銘じておかないと、住民を守ることはできないのです。

産経新聞の記事によりますと、
『「痛恨の極み。自治体の長の判断であり、おわびしなくてはならない」
 川島町長は17日の記者会見で、避難勧告などを出さなかったことについて謝罪の言葉を繰り返した。

 大島町によると、15日午後1時ごろ、防災無線で住民に注意を呼び掛けた。町長と副町長は出張中で不在。雨脚は強まり、気象庁は午後5時38分に大島町に大雨洪水警報を発令。午後6時5分には大島町に土砂災害警戒情報を発令した。

 さらに記録的短時間大雨情報が16日午前2時32分に出されて以降、大島町は気象庁や都から直接電話でも防災対応を求められたほか、警視庁大島署からも避難勧告を出すよう要請された。だが、動かなかった。

 川島町長は「災害情報を過小評価していた。判断を誤った」との認識を示した。気象庁の羽鳥光彦長官は17日の会見で、都や町に電話で「尋常ではない状況」を伝えた対応について、「より確実に危機感を伝える表現方法を検討する必要がある」と述べた。』(ネットより)

台風が来た日、町長と副町長は大島を不在でした。行政のトップとして危機感のなさを感じざるをえません。福島原発も台風対策ができていないことを露呈しました。想定外という言葉は通用しないのです。

今の異常気象はすべて想定内で起きていることで、以前より専門家や学者が指摘していることなのです。伊豆大島の教訓を、行政に携わる方々は真剣に考え、生かして欲しいと思います。来週には台風27号が来ています。

住民の皆様、ボランティアの皆様、体に気をつけて、復旧活動をされますことを祈念します。



2013年10月17日木曜日

やなせたかしさんを悼み、歌を想いだす

 おはようございます。
あのアンパンマンの生みの親であるやなせたかしさん(享年94歳)が亡くなられた。やなせさんのご冥福を心よりお祈りしたします。子供が幼稚園、小学生のとき、運動会の季節になると町のあちこちからこの歌が聞こえて来ました。

いつもなにげなく聴いていたのですが、あらためて聴くとこの詩の深さに感じ入るのです。

「アンパンマンの歌」

そうだ!うれしいんだ生きる喜び
たとえ胸の傷がいたんでも

何の為に生まれて 何をして生きるのか
答えられないなんて そんなのはいやだ!
今を生きることで 熱いこころ燃える
だから君は行くんだほほえんで。

そうだ!うれしいんだ生きる喜び
たとえ胸の傷がいたんでも。

ああアンパンマンやさしい君は
行け!皆の夢守るため

何が君の幸せ 何をして喜ぶ
わらないまま終わる そんなのはいやだ!

忘れないで夢を なくさないで涙
だから君は飛ぶんだどこまでも

そうだ!おそれないでみんなの為に
愛と勇気だけが友達さ

ああアンパンマン優しい君は
行け!皆の夢守るため

時は早く過ぎる 光る星は消える
だから君は行くんだほほえんで

そうだ!嬉しいんだ生きる喜び
たとえどんな敵が相手でも

ああアンパンマン優しい君は
行け!皆の夢守るため


この歌を聴いて育った子供たちが、イジメをしたり、人を傷つけたりはしないと思います。なぜならこころの奥深くに、この歌がしみ込んでいるからです。いつも口ずさむ歌がもうひとつあります。「手のひらに太陽を」です。

「手のひらに太陽を」

ぼくらはみんな 生きている
生きているから 歌うんだ
ぼくらはみんな 生きている
生きているから かなしいんだ
手のひらを太陽に すかしてみれば
まっかに流れる ぼくの血潮
(ちしお)
ミミズだって オケラだって
アメンボだって
みんな みんな生きているんだ
友だちなんだ

ぼくらはみんな 生きている
生きているから 笑うんだ
ぼくらはみんな 生きている
生きているから うれしいんだ
手のひらを太陽に すかしてみれば
まっかに流れる ぼくの血潮
トンボだって カエルだって
ミツバチだって
みんな みんな生きているんだ
友だちなんだ

ぼくらはみんな 生きている
生きているから おどるんだ
ぼくらはみんな 生きている
生きているから 愛するんだ
手のひらを太陽に すかしてみれば
まっかに流れる ぼくの血潮
スズメだって イナゴだって
カゲロウだって
みんな みんな生きているんだ
友だちなんだ


どんな小さな生き物でもいのちをもっている。ミミズもオケラもアメンボも生きている。いのちの大切さを理屈抜きでうたっています。やなせさんは晩年たくさんのご病気を抱えていたのですが、自らを十病人と称し、生きているから病気になると、いつも前向きに語っていたそうです。読者の皆さん、やなせさんの詩をじっくり読んでください。

このたび台風26号で亡くなられた方のご冥福をこころよりお祈りいたします。また伊豆大島など被災された方々がお元気になられますように祈念いたします。合掌 徳温禅月。


2013年10月16日水曜日

人生の四季

 おはようございます。
中野東禅先生の「禅僧が教える老いと死をたのしむ一句のちから」(イーストプレス)を読んでいましたら、ブログで「人生は春夏秋冬」を以前書いたのですが、同じことを書いた方を紹介していました。それは、無教会主義を提唱したクリスチャンの内村鑑三氏です。
 

『先生の有名な言葉が「人生の四季」というものです。

人生は春ありたり。勇気勃々、希望満々(中略)春は実に喜ばしき悲しき時期なりき。

人生は夏ありたり。議論諤々、主義堂々(中略)夏は実に辛き苦しき時期なりき。

人生の秋は来たれり。感涙滴々、思惟粛々(中略)寂寥に感謝伴い、孤独に祝福 溢れる
秋は実に静かなる楽しき時期なり。

人生の冬はきたるべし。然れども絶望の時期にあらざるべし。復た来ん春を望みつつ
過去の恩恵に感謝しつつ、父の家に還るなるべし。

…日本的に言えば、「あの世」は人間の物差しを越えた神聖な世界であり、そこの落ち着くことを祈るという精神の在り方です。
人間的汚れを越えた世界を見つめるところに精神の強さがあると思います。』(同書より)

千葉県成田勝胤寺にて、中野東禅先生と小生です。

私は、仏陀がキリストに影響を与え、キリストが大乗仏教に影響を与えて今日があると思っていますので、なんら矛盾するものではないと思っています。NHK大河ドラマ「八重の桜」の新島八重が、キリスト教徒になったのち、曹洞宗の禅寺に通うことが、当時批判されたようですが、八重も同じ人生観を持っていたと思います。

この黒字の内村鑑三氏の「人生の四季」の言葉、いいですね。ついつい何度も読み返します。終活を考えている人、真っ盛りな人は、「老いと死を楽しむ一句のちから」中野東禅著(イースト・プレス)をぜひ一日一句づつ読んで見ませんか。全部で100の言葉をわかりやすく書いています。こころがなごみますよ。

関東、東北の皆様にはくれぐれも台風の雨、風にお気をつけて、今日一日、皆様がご無事でありますように祈りつつ・・・合掌 徳温禅月。


2013年10月15日火曜日

民陶の里、小石原から小鹿田へ

 おはようございます。
運動会が各地ではじまると、駆け足で秋がやって来そうですね。でも残暑が残る連休でした。12日から14日にかけて、朝倉市東峰村では、秋の小石原焼民陶むら祭り、日田市小野では、小鹿田焼民陶祭が開催されていたので、足を運びました。

福岡からでしたら、杷木インターを降りて、バスセンターを通り過ぎて、すぐに左に入りると約15分で東峰村につきます。小石原への道沿いに各窯元さんがありますので、いくつか観てまわるのが楽しみですね。

小石原焼(こいしわらやき)は福岡県朝倉郡東峰村にて焼かれる陶器。主に生活雑器が焼かれる。1682年に、黒田光之伊万里から陶工を招いて窯場を開いたのが始まりで、筑豊地方で最初の焼き物産地となった。高取焼の開祖、八山の孫、八郎も当地に移り住んで開窯した。刷毛目、飛び鉋、櫛描きなどによって表現される独特の幾何学的な文様が特色で、素焼きを行わず、釉薬を流し掛ける。後にその技法は大分県日田市小鹿田焼に伝わっており、小鹿田焼とは姉妹関係にある。日本の陶芸界に大きく影響を与えたバーナード・リーチによって、「用の美の極致である」と大きく称賛された。小石原には窯元が56軒ある。(ウキペディアより)

今回は、小石原焼と小鹿焼の源流である高取焼宗家を観に行きました。静かな佇まいでまさに静山の名にふさわしいところです。


邸内にて、
この色合いに、すがたに、絶句します。
 
作品が展示されていますが、手に取って観ると、ひとつひとつに表情があるのです。
 
八山の額ですが、現在は13代目です。
 
次代を背負う息子さんにご挨拶し、小鹿田に向かいます。登ってきた道を東へ日田方面に向かいます。大鶴という町にでて、左にはいると鶴ヶ内があります。ここから山越えをします。民藝運動を主導した柳宗悦先生が小石原から歩いて通った道(約20キロ)を車を走らせました。里山の風景もいいですよ。
 
小鹿田焼は、江戸時代中期の1705年宝永2年)若しくは、1737年元文2年)に、幕府直轄領(天領)であった日田の代官により領内の生活雑器の需要を賄うために興されたもので、福岡県小石原から招かれた陶工の柳瀬三右衛門と、彼を招いた日田郡大鶴村の黒木十兵衛によって始められた。元は、享和年間に小石原焼の分流の窯として開かれていたものであるという[1]。このため、小鹿田焼の技法には小石原焼と共通するものがある。
朝鮮系登り窯で、飛び鉋、刷毛目、櫛描きなどの道具を用いて刻まれた幾何学的紋様を特徴とする。トビカンナ(飛鉋)は、時代の修式窯飛白文壺との類似が見られる。また、釉薬の使い方には打ち掛け、流し掛けなどといった技法が用いられ、原料によってセイジ(緑)、アメ(飴)、クロ(黒)が主である。
陶土を搗くための臼は「唐臼(からうす)」と呼ばれるもので、ししおどしのように受け皿に溜まった水が受け皿ごと落ちる反動によって陶土を挽いている。その音は「日本の音風景100選」の一つにも選ばれている。
民芸運動を提唱した柳宗悦1931年昭和6年)にこの地を訪れ、「日田の皿山」と題して評価する内容の一文を発表したこと、さらに、日本の陶芸界に大きく名を残したイギリスの陶芸家、バーナード・リーチも陶芸研究のため、1954年(昭和29年)、1964年(昭和39年)に滞在して作陶を行ったことにより、小鹿田焼は日本全国や海外にまで広く知られるようになった。(ウィペデアより)

小鹿田焼の民陶祭も盛況でした。



唐臼の音が聞こえて来そうでしょう。

多彩ですよね。

透き通る清流、戯れる子供たち、紅葉の秋がもうすぐ小鹿田の里にもやって来ます。

民陶祭のときに行くと、たくさん買い物ができますね。陶器をじっくり見たいなら、平日がいいですよね。今度、小鹿田から小石原まで歩いて、柳宗悦先生がどんな思いで風景をみたか、あじあたいと思いました。

読者諸氏もぜひ、民陶の里、小石原と小鹿田にお越しください。では皆さまのご健勝を祈りつつ・・・合掌 徳温禅月。












2013年10月14日月曜日

産業観光で地域を活性化しよう。

 おはようございます。
11日、大分県日田市でのメイドイン日田大博覧会・産業展講演会にてJR東海の相談役の須田寛さんがお話したことを参考にして、(産業)観光による地域活性化を提言したいと思います。


ウキペディアでは「産業観光(さんぎょうかんこう)とは、歴史的・文化的に価値ある工場機械などの産業文化財や産業製品を通じて、ものづくりの心にふれることを目的とした観光をいう。日本では東海旅客鉄道初代会長の須田寛が初めて提唱した。」と書いてあります。

講演される須田寛相談役です。

先日、明治日本の産業革命遺産を世界文化遺産として登録申請するとの政府の方針が発表されましたが、以前より須田さんが提唱している産業観光につながるものだと思いました。

「政府は14日、2015年夏の世界文化遺産登録を目指し、国連教育科学文化機関(ユネスコ)に「明治日本の産業革命遺産 九州・山口と関連地域」(福岡、長崎、鹿児島など8県)を推薦する方針を固めた。9月中にユネスコに推薦手続きが取られる。

「産業革命遺産」は端島(通称「軍艦島」、長崎市)や三池港(福岡県大牟田市)など、日本の工業化の歴史を刻む炭鉱、製鉄、造船などの関連資産28件で構成。稼働中の施設を含むため、文化財保護法だけでなく、港湾法や景観法などを駆使した保全管理計画が練られている。」(毎日新聞より)

私が(産業)観光と括弧にしたのは、そのような規模のおおきな産業は、うちの町にはないと皆さんが思われるとおもうので括弧にしたのですが、大小にかかわらずどんな産業でもその概念や発想は十分に活用できると思います。たとえば私が提言している天ヶ瀬ロングトレイル・オルレは、今までのウォーキングやトレッキングではなく、体験し学習できるものだからです。

たとえば、温泉ですが、露天風呂の掃除など体験するとただお湯を出しているのではなく、お湯をはっていることが理解できます。そして温泉の由来など学習できるのです。トレイルの中で、農業体験のできます。稲作の田植えや稲刈りそして葡萄やトマトの収穫作業を体験することもできます。つまり見るだけではなくものづくりの心にふれることであり、それは工業だけなく農業でも水産業でも可能のです。

日田市天ヶ瀬温泉薬師湯
 
天瀬町のトマトファームさんです。

もっといえば、神社仏閣などの史跡めぐりも、宿坊に泊まって座禅をしたり、写経をしたり、プチ出家を体験できるからブームになっているのです。見せる観光から体験する学習する観光に変化しているのです。私は真宗のお寺さんも宿坊など作って、お念仏行の体験や南無阿弥陀仏の説法などを取り入れると一挙両得だとおもいますがどうでしょうか。

また、日田には小鹿焼という柳宗悦先生が世に見出した、有名な民藝陶器の里がありますが、ここでも弟子修行体験できるような企画をしていけば、違った観光の切り口になると思います。日田下駄もげたつくりにいつでも体験できる場が、おもしろいですね。


須田さんは、産業観光の特性として、①地域と住民(くらし)に密着した観光であること、②着地型観光であること、③「見る」「学ぶ」「体験する」の三位一体の観光、④まちづくりにつながる観光であること、とお話しています。

そして産業観光展開の前提として、①企業、住民、行政の幅広い理解と協力が前提です。②受け入れ態勢を整備する必要があります。③ビジネスモデルを確立していきます。④まちづくりとの協働していきます。と提言しています。

さてみなさんのまちも、産業観光をとりいれて活性化してみませんか。工夫すれば地域は活性化します。努力すれば道は開かれます。読者諸氏の活躍をこころより祈りつつ・・・合掌 徳温禅月。




2013年10月11日金曜日

終活を楽しむⅡ

 おはようございます。
昨日の表題にセミナーへのご招待と書いたら、なぜかアクセスが少なく、壇蜜さんの記事紹介へのアクセスが多いのにはこれまたびっくりしました。檀蜜さんは32歳?、こんな若い美人が、生と死や終活を考がえている世相は、やはり将来や老後への漠ととした不安を抱えている若者が多いからではないでしょうか。この「終活読本ソナエ」(産経新聞社)に41歳で亡くなった流通ジャーナリストの金子哲雄さんのことも書いています。この雑誌は880円で安価で読みやすいですよ。

昨日の続きですが、ぜひ「見果てぬ夢リスト」を書いて見てください。まだまだすること、したいことが見えて来ますよ。一般社団法人終活カウンセラー協会が「人生の終焉を考え、今を自分らしくより良く生きる活動のことを終活という」と定義しているように、自分らしくより良く生きるためにも、「見果てぬ夢リスト」を書いて欲しいと思います。

これは書いたら、次に60歳還暦の人ならば、10年後の70歳古希までの10年人生計画表におとしていきます。JR九州ななつ星に乗りたいといっても、予約制で約一年後しか取れないし、ヨーロッパ旅行も今日明日中に行けないので、たとえば2015年に書き込んでおくのです。2020年東京オリンピックも観に行きましょうよ。


このような10年人生計画表に書き込んで、次に一年計画表に書き込みます。今年一年間の何月に、伊勢神宮に参拝に行くとか、奥さんと温泉旅行に行くとか、遺言書を書いておくとか、書き込んでおきます。この10年人生計画表と1年計画表はかならず目に見えるところに貼っておきます

そうすれば必ず、実行するし、見は手てぬ夢が実現するのです。古希になったら、神仏に感謝し、あなたのまわりの方々に感謝し、次の十年間の計画を書くのです。こうすれば充実した林棲期、実り多き人生の秋を過ごすことができます。

皆さんの町にも、終活カウンセラーの方がおられますので、相続や遺言、葬儀やお墓のこと、保険や介護のことなどご相談されると良いですよ。一番いいのはあなたも終活カウンセラーになって、地域の皆さんのお役に立つ終活支援活動をするのも、はつらつとしていいですよ。

それでは、良き週末をお過ごしください。読者諸氏のご健勝を祈りつつ・・・合掌 徳温禅月。



2013年10月10日木曜日

終活を楽しむⅠ

 おはようございます。
「終活」や「エンディングノート」という言葉を使うと、どうもみなさんのお顔が暗く見えるので、「終活を楽しむ」と名うったわけです。終活を楽しむためのセミナーをブログ上で読者の皆さんにご紹介します。これまで、若手を中心に、「夢実現セミナー」を開催してきましたが、そのノウハウを活かして、作ってみました。

このセミナーへの参加者は、基本的には還暦60歳以上ですが、いま50歳の方でも使えると思います。なぜ、還暦かというと本卦還りといい、人生折り返しのゼロからのスタートだからです。70歳の古希、77歳の喜寿、88歳の米寿までの長寿のお祝いをしたいものです。

今回、60歳の還暦から70歳の古希までの10年間に、したいこと、欲しいもの、してあげたいことなど心行くままに書きます。55歳の方は65歳までの10年間でいいし、65歳の方は75歳までの10年間でいいのです。

それではまず、私たちひとりひとり自分の歩んできた人生振り返りシートに書いてみましょう。
①出生~幼稚園児、②小学生時代、 ③中学生時代、③高校生時代、④大学生時代、そして⑤就職、⑥結婚、子供、家庭生活、⑦仕事に励んだ時代、の7区分で振りかえってみてください。

次は、これから10年間でしたいこと、行きたいところ、遊びたいこと、欲しいものなどを心行くままに書いてみます。これを「見果てぬ夢リスト」と言います。

7つの項目に分けて書きます。例えば
趣味・旅行について
・出雲大社、伊勢神宮など行ってみたい
・四国八十八ヶ所巡りをしたい。
・JR九州ななつ星に乗ってみたい
・家庭菜園をつくりたい
・全国温泉巡りをしたい
・社交ダンス教室に行きたい
・ピアノを習いたい
・料理教室に行きたい
・地元にトレイルコースをつくる
・ヨーロッパ旅行をしてみたい


教養・学習について
・書道や華道教室に通いたい
・源氏物語を完読したい
・大学に行きたい
・川端康成全集を読みたい
・英会話や韓国語会話などをマスターしたい。


こころ・精神について
・座禅会に参加したい
・仏典を読みたい
・聖書を読みたい
・毎朝、座禅し、お経を唱え、お祈りをする
・就寝前に今日一日の感謝のお祈りをする
・お墓参りを毎月する


健康について
・毎日3キロウォーキングをする
・体重を5キロ減らす
・禁煙する
・晩酌はビールひと缶、会合でも深酒はしない。
・10時までに就寝し、5時半起床
・食事は腹八分に我慢する


家庭生活について
・妻と食事をする
・トイレやお風呂の掃除を受け持つ
・食事をつくってみる
・息子夫婦と月に一回は外食する
・妻と温泉に行く
・ありがとうを自分のほうから言う
・相続について妻と話し合う
・遺言書を書く
・葬儀やお墓について相談しておく


お金について
・収支を計算する
・節約する
・年金+アルファのアルファをする(収入を得る)
・保険を見直す
・老後・介護費用を考える


仕事について(ここでの仕事は収入を得るための仕事で、ボランティアは趣味に入れました。)
・してみたい仕事をリストしてみる
・パートをしてみる
・バイトを引き受ける
・プライドを捨てる


このように書いてみると現実的なことから、夢物語まで見果てぬ夢が出てくるのです。これが生きる希望ではないでしょうか。皆さんもA4の用紙に書きだしてみてください。次回は10年計画表と年間計画表について書きます。皆さんのご健康を祈りつつ・・・・禅月。