2014年3月13日木曜日

突然死・急死と終活

 おはようございます。
隣保班のおばあちゃんが、98歳でその生涯を閉じました。いつも元気に、歩いてお買い物に行っていましたが、7、8年前から養護老人ホームに入られていました。10年前にご遺影も用意されていたとのことです。終活をしていたのだなと思いました。

しかし、3年前の3月11日の東日本大震災で亡くなれた方は、突然いのちを奪われたのです。死というものによっては、残された方にとっては、悲しみのどん底に突き落とされるのです。それが自然災害であろうが、いわゆる脳梗塞や心筋梗塞などの病気による急死であろうが、本人も納得いかないし、ご遺族は呆然自失になると思います。

レスリングの金メダリスト吉田沙保理さんの父である英勝さんが、高速道を運転中、くも膜下出血をおこし、亡くなられました。61歳でした。他の方に迷惑にならないように、また事故がおきないようにと路肩に停車し、死亡していました。気丈な方だったと思います。ご冥福をお祈りします。

このニュースを聞いたのち、お葬儀のお手伝いをしながら、人間の死にも、いろいろあるなと思いつつ、ウキペディアで調べてみました。

死の種類
人間が死に至る原因を「死因」と言う。その種類は[要出典]、外傷・疾患・老衰、事故死・自殺・他殺等様々である。

突然死(とつぜんし、sudden death)とは、症状が出現してから24時間以内に死亡に至ることである。虚血性心疾患、心室性不整脈、大動脈瘤破裂、脳血管障害、てんかん重積発作、喘息重積など死因が特定できるものと、解剖などによっても疾患の特定できない原因不明の突然死がある。

急死(きゅうし)とは、直前まで健康そうに見えた人間が、突然死亡することを指す。事故や災害、容態の急変などが原因になることもある。
突然死とは、似ているがニュアンスが異なる。
(不慮の事故死)
交通事故不慮の窒息その他の不慮の事故不慮の溺死及び溺水転倒・転落煙、火・火炎への曝露有害物質による中毒
ウキペディアより

突然死と急死が違うことは知りませんでしたが、いつ訪れるかわからないのが「死」、すべての人が必ず死ぬという現実、そうであればあるほど、「終活」という「人生の終焉を考え、自分を見つめ、今をよりよく自分らしく生きる活動」をしていくべきだと思います。

人生の節目、節目につまり、20歳、40歳、60歳、80歳と20年ごとに人生を振り返り、自分に関わることどもを振り返り、書き残しておくことをお薦めします。そうすることで次の20年が見えてくるのです。ですからエンディングノートはライフプランノートでもあるのです。

退職したら、その後の人生をどう生きて行くのか、相続はどうするのか、葬儀やお墓はどうするのかを考え、備えをしておくことが、家族に迷惑をかけず、悠々とあの世へと旅立てるのです。

誰しも、いつまでも生きたいし、できれば自然死を望むのですが、いつ訪れるかわからない突然死や急死にあうかもしれません。だからこそ、いつかする、いつかすると先のばしせず、人生の計画と「終活」をしておくべきだとつくづく思うのです。

ここで一句「いつまでも あると思うのな わがいのち」。それでは、皆様のご健康を祈りつつ 南~無 合掌 徳温禅月。





2014年3月12日水曜日

夢~こころの奥深くにあるもの~

 おはようございます。
「夢は実現する」という言葉のひびきは、私たちをここちよい気持ちにさせてくれます。わたしもほとんどの夢と言うか、希望というか、したいこと、欲しいものは実現してきたと思っています。その夢には当然、個人差があって、夢が大きいとか小さいとか言っても、その個人が納得した夢です。

しかし、欲しいもの、したいことと言っても、いわゆる個人的な欲望からでたものは、そのことによって、社会的に制裁を受けることになったり、他人を傷つけることになるのです。ましてや犯罪にもなります。つまり、それが犯罪行為であっても、その夢(欲望)は実現するのです。

イエスキリストは、聖書の中で、「欲望を持って女性を見る者は、すでに姦淫を犯している」と言ったのは、こころのなかで、そのような思いを持った人は必ず、そのような行為をする、つまりは思いは実現することを言っているわけです。

ですから、心が静寂でなければ、人は欲望に左右されることになるのです。フロイトが潜在意識を発見し、ユングによって心理学が発展してきましたが、インドでは4世紀にこの潜在意識なるものをすでに発見し、論理的に深く解明しています。

いわゆる、末那識、阿羅耶識、をいうのですか、人間の顕在意識の下に、末那識があります。フロイトが言ったのは、末那識ですが、これは潜在意識といいますが、この意識が潜在的欲望であり、煩悩であるわけです。それは強烈に、継続的に思い続ければ必ず実現します。

それでは、なんら他の動物と変わらないのです。京セラの創業者稲盛和夫氏は、経営の原点12ヶ条の第一条で、「事業の目的、意義を明確にするー公明正大で大義名分ある高い目的を立てるー」と常々、盛和塾で塾生の皆さんに繰り返しお話しています。

それは事業の目的が、個人的な欲望からでたものは、いつかは破綻するからです。事業という言葉を人生と置き換えると、「人生の目的、意義を明確にする」となり、人間の「生と死」の生がどうあらねばならないかおのずとわかるはずです。

しかし、世の多くの人の欲望という夢は、正しいことであろうが、間違ったことであろうが、成功であろうが、失敗であろうが、思ったことが実現して行っているのです。もしその夢が人々のためになる、社会に役に立つ夢だとしたら、これほど素晴らしいものはありません。オリンピック選手が素晴らしいのは、人々に感動を与えてくれているからです。

それが、末那識レベルの潜在意識ではなく、阿羅耶識という深層意識からでたものだとしたら、それは真・善・美の世界であり、純粋無垢のものであり、光そのものなのです。阿頼耶識に到達するには、座禅し、瞑想することしかありません。

仏陀が到達した地点は、禅那であり、座禅そのものなのです。そのことを道元は、「只管打座」と言っているわけです。つまり心身脱落の境地、体もこころも超越した境地です。

私のセミナーは、必ず座禅をし、夢のリストを書いてもらっていますが、ほとんどの人が今まで欲望から発生した次元のものしか書けなかったのですが、座禅をすることによって次元の高い、人生の目的、意義が明確になった夢そして目標を書くことができています。

このことをよく知りたい人はご連絡ください。それでは皆様のご健勝を祈りつつ、南無 合掌 徳温禅月。





2014年3月11日火曜日

東日本大震災~あれから三年、祈る~

 おはようございます。
2011年3月11日午後2時46分に大地震が発生し、すぐに巨大津波が押し寄せてきました。ほとんどの日本人がテレビに釘付けになり、報道での映像に、おののき、被災された皆さんの安否を、心配していたと思います。

今日は、東日本大震災から三年、その時の情景が報道されていますが、胸が痛むのです。多くの方々が亡くなられ、今なお、多くの方々が避難生活を送っています。人数で語ることができないのです。

NHKニュースより

昨年、「『遺体』~明日への十日間」という映画を見ましたが、どんなに寒かったでしょうか。どんなに苦しかったでしょうか。どんなに寂しかったでしょうか。どんなに辛かったでしょうか。どんなに痛かったでしょうか。

今朝、5時半からお祈りを捧げましたが、考えても言葉にならない祈り、今日は一日、静かに過ごし、今夜8時より、それぞれが灯をともし、同時にお祈りをするようにしています。

また、おじいちゃんやおばあちゃん、お父さんやお母さん、ご兄弟、お子さん、そしてお友達を亡くされた方々の心の痛みを私たちは本当に理解し、その想いを共有できるでしょうか。

今、すぐにできることが「祈り」なら、静かに祈り、言葉ではなく、心の奥深くで、亡くなられた方々のご冥福を願い、被災された方々のご回復を願い、ただ祈るのです。

亡くなれた方々の御霊に、ご冥福をお祈りし、ご供養を申し上げます。ご家族の皆さんのこころが癒されますように、お元気になられますようにお祈りします。南~無 合掌 徳温禅月。





2014年3月10日月曜日

四国巡礼~十三仏御本尊Ⅺ~阿閦如来

 おはようございます。
BSーTBSの「徳さんのお遍路」は本当に面白いし、ためになります。日曜日に用事があってもこれを観てからにしています。再放送をしてほしいですね。さて、昨日は86番札所の志度寺でした。ご住職のお言葉のなかに、道元さんの「すべてが修行であり、仏道である」とお話していましたが、十河ご住職はお医者さんでもあるのです。私たちも日常生活も仕事もすべて修行であることを忘れてはなりません。


ご住職は、お医者さんだけあり、「科学に垣根がないように、宗教も垣根がないようであらねば」とお話していましたが、その通りですよね。キリスト教も仏教もイスラム教のお互いに認め、垣根を取り払うことが大事です。

そして「森羅万象、細部に神が宿る」と言っていましたが、天地宇宙、山川草木から私たち人間の細胞の隅々まで、神がおられると思うと、病を気にしてはいけませんね。


讃岐市志度は、桐下駄の産地で、徳さんは桐下駄を気にいっていました。


十三仏御本尊の11番目は、阿閦如来様です。七回忌のときに「おん あきしゅびや うん」と真言を唱え、お祈りします。阿閦とは、物事に動じないよか、腹を立てない、怒らないという意味ですので、阿閦如来が怒りなどの誘惑から私たちを守ってくれます。

阿閦如来(『図像抄』)「ウキィペディア」より

煩悩はある意味では内なる誘惑かもしれませんね。阿閦如来は「不動降魔印」という印をむずび、東方に座しています。それでは皆様が、誘惑や煩悩に惑わされて、心を乱さないように、「おん あきしゅびや うん、おん あきしゅびや うん、 おんあきしゅびや うん」と三回唱え、お祈りします。南~無 合掌 徳温禅月。





2014年3月7日金曜日

飲酒運転撲滅への願い~山本美也子さんの講演を聴いて~

 おはようございます。
昨日、大分県日田市パトリアで山本美也子さんの講演「思いやりで社会を変える~飲酒運転撲滅への願い」がありました。三年前、事件?が報道されましたので、よく知っていましたが、お母さんのお話は初めて聴きました。


三年前の事件?2011年2月9日、当時16歳であった寛大君とそうた君が、歩道を歩いて帰宅中に、うしろから来た飲酒運転の車にはねられ、亡くなりました。このことをお話しするお母さんの声は、三年目とはいえ、震えていました。

警察から連絡があり、寛大くんのご遺体をみたとき、なぜ、なぜ、どうしたの、どうしたの、とただただ状況のわからない状態でした。警察の方もくわしい説明がないまま、具体的に聞いたのは、たくさんのマスコミの方が家に来てから、マスコミの方から飲酒運転の車にはねられたことを知ったそうです。

寛大くんから教えれたことは「明日があたりまえにくることはないということ」だとお話していました。葬儀には、友達やご父兄のみなさんや1500人が参列されたそうです。その後、喪失感から呆然とした日々を過ごすなか、「記憶がなくなればいい」と思ったそうです。

飲酒運転による死亡事故は、無差別殺人であり、加害者は一人でも、被害者は、何百人の方が、悲しみのどん底につき落とされ、いつまでも心身を患う方もおられる、こんな事故が二度と起きてはならないと思い、講演をすることを決意し、現在325回になるそうです。

NPO法人はぁとスペースを通して、飲酒運転撲滅運動と車いすジュニア教室などの障害者支援活動、そして読み聞かせのボンランティア活動をされています。ご主人も車いすマラソンのアスリートとして活躍しています。

山本美也子さんを支えているものは、まさに他人への思いやりではないでしょうか。講演やメディアに出ると批判する方もおられるそうです。しかし、愛する息子を亡くした悲しみに他の方があってはならないと今の活動をされているのです。

昨日の書きましたが、ちょっとくらいの酒なら大丈夫と言って、車を運転する人が後を絶たないのは、自分に勝手な言い訳をしている人たちで、それは大きな過ちだと気づいていないのです。私の友人が二人、飲酒運転の重大事故加害者になり、二人ともこの世を去っています。

一人は20代の時から大酒飲みで、車の中にウィスキーのポケットビンをおいておくほどでした。飲酒運転の重大事故を起こしたののち、反省して仕事に頑張っていましたが、50歳で癌でなくなりました。彼は彼なりに心の傷を背負い、癌におかされたと思っています。

もうひとりは、大学卒業後、飲酒運転で人をはね、ひき逃げし、交通刑務所に入りました。その後転職をくりかえし、アル中になり、鬱病も患うようになりました。一時はよくなりましたが、自殺したとの知らせを聞き、唖然としました。

加害者になった友人たちも、結局人生を惜しんでなくなったのです。たった一杯でも飲んだら乗るな!。悪魔がささやいて、一杯くらいだは大丈夫と、そして乗ったら、悪魔の思惑通り、加害者も被害者の人生も終わりにしてしまうのです。

山本美也子さんの講演を聴いて、ステッカーを買いました。大酒飲みのおでこにはろうと思います。なぜなら、6時間くらいの睡眠ではアルコールが抜けてなく、二日酔い運転という飲酒運転になるのです。


聖書に「あなたの心を見守れ、いのちの泉はここから湧く」とい言葉がありますが、すぐに誘惑にまけて、自分の心をコントロールできないと、いのちを失ってしまうのです。そして人間は心の弱い者だと思えば、神仏に祈りなさい、そうすれば神仏はあなたをいたらぬことにならいように導いてくれます。つまり祈る心構えのある人は、自分を制御できるのです。

それでは皆様が飲酒運転をしないように、またそのような事故や事件に巻き込まれないようにお祈りします。南~無 合掌 徳温禅月。





2014年3月6日木曜日

こころの闇と凶悪犯罪

 おはようございます。
毎日、毎日新聞やTVで残虐な殺人事件のニュースが報道されています。多くの方がその報道のたびに心を痛めていることと思います。ここ数ヶ月でも王将の社長さんの射殺事件、高校生による中学3年生女子の殺害事件、そして一昨日の千葉県柏市の通り魔殺人事件、大きく報道されてなくても、日本国中で犯罪が発生しています。

昔に比べれば、犯罪が減ったとか言う方がおられますが、本当にそうでしょうか。むしろ、犯罪そのものが凶悪化し、歯止めのきかない状況になっているのではないでしょうか。たとえば私たちが子どもの時にストーカーによる陰湿な殺人事件はあったでしょうか。たしかに痴情のもつれからの事件はあったでしょうが、その性質と件数には大きな違いがあると誰もが思っています。

同じ町に住んでいる人が、同じマンションに住んでいる人が、犠牲者になり、どれだけ多くのご家族やご友人の方がその悲しみのどん底につき落とされているでしょうか。昔、「針を盗むものは牛をも盗む」という格言を聴かされたことがあります。

ちっとの違法駐車ぐらいいいじゃないかとか、ビール一杯くらいは飲酒運転にならないではないかとか、そのちょっとちょっとが、いつもまにか、飲酒運転で、これからの人生を楽しみにしている子供たちを死にいたらしめている交通事故(事件)が発生しています。

最初は、何万円か会社のお金をくすめた経理担当者が、何億円のお金をごまかして逃げる。預けていた年金がもらえなくなり、老後の生活に支障をきたされ、泣いている方々も多くいるのです。また、高齢者をねらった振り込み詐欺やその他の特殊詐欺はなくなるどころか被害総額は昨年が約487億円にまでなっているのです。

本当に日本は、住みやすく豊かな国でしょうか。経済的豊かさをおうばかりに、経済的弱者や高齢者や子供たちそして正規社員になれない若者たちが犠牲になっているのは現実ではないでしょうか。

それはこころの貧困からきていると思いませんか。人をはねのけて、イスに座る、駐車場で他人の車に接触しても平気で逃げ去る、道路で肩があったと言って、通行人を殴る、かって私たち日本人にこのような野蛮な人たちがいたでしょうか。こういうとそれはごく少数のひとだという方がいますが、今、あなたの町で、いつあなたに降りかかるかもしれないことがおきているのです。

いつのまにか、私たちは大切なものを置き去りにしてきてるのでないでしょうか。近所の方々との明るい挨拶、町々でのドブ掃除、近所の方のお顔をみないと見に行って声をかける、お年寄りや幼児を連れた方に席を譲ってやるなど、小さいことかもしれませんが、心温まるあたりまえのことが出来なくなっているのではないでしょうか。

こころの隙間に、これくらいはと小悪魔が入り込んできて、だんだんこころのなかに闇が巣くってくるのです。ではどうすればいいのでしょうか。一つには教育があるのでしょう。学校や家庭でも道徳教育も必要です。

同時に、私たちひとりひとりが、「生と死」のことに向き合い、考えることが大切だと思います。誰ひとりとして、いきとしいけるものを殺す権利はないのです。誰ひとりとして人のものを盗む権利はないのです。

道徳教育で自分を制御する能力は身につきますが、もうひとつ、自分の制御する力が、宇宙の大いなる方、神仏によって与えられている。そして生かされていると自覚したとき、人間は初めて、こころの隙間にはいりこもうとする悪魔を追い払うことができるのではないでしょうか。


仏陀もキリストも、悪魔の誘惑にさらされたことが、仏典や聖書に書かれています。わたしたちのような凡夫が、悪魔の攻撃に自力に抵抗することができるとは私は思いません。ぜひ、それぞれ本物の神仏の教えに立ち戻ることをお勧めしたいと思います。なぜなら宗教の仮面をつけた悪魔も跋扈しているからです。

それでは、皆様とともに、小さなことにも誠実で、自分のこころを見守り、他人に優しく接し、あらゆる被害に遭わないようにお祈りします。南~無 合掌 徳温禅月。







2014年3月3日月曜日

四国巡礼~十三仏御本尊Ⅹ~阿弥陀如来

 おはようございます。昨日のBS-TBSの「徳さんのお遍路」は、いよいよ85番札所八栗寺でした。新見竜玄住職のお話は、吉田松陰先生の「至誠通天」と言って、誠意をもって、努力し、生きていれば必ず天に通じるとご説明していました。八栗とは八つの奇跡をさしています。

また、「人みな仏」と言って、人はみな仏さまであることを弘法大師は「雲晴れて のちの光と思うなよ もとより空に有明の月」と詠んだことをお話されました。徳さんも聞き入っていましたが、ご住職に趣味はと質問し、「妻」と言ったら、「妻が趣味 言える住職 これ奇跡」と詠みました。


ところで、四国八十八ヶ所で唱える十三仏御本尊真言の十番目は阿弥陀如来です。阿弥陀とは、サンスクリット語で、アミターユス、アミターバから来ていて、無量寿、無量光とい言って、永遠なるいのちと無限なる智慧という意味です。





三回忌の時に唱えますが、ご真言は「おんあみりた ていせい からうん」です。「永遠なる光の阿弥陀様、どうぞ私たちを守り、悟りへとお導きください」と言う意味です。浄土宗や浄土真宗では、阿弥陀如来が御本尊ですから、「南無阿弥陀仏」と唱えます。

一般的には、「なんまんだぁ」と唱えていますね。それでいいのです。それでは、東日本大震災はじめ多くの災害によって亡くなれた方々のご冥福をお祈りし、南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。合掌 徳温禅月。