2014年3月12日水曜日

夢~こころの奥深くにあるもの~

 おはようございます。
「夢は実現する」という言葉のひびきは、私たちをここちよい気持ちにさせてくれます。わたしもほとんどの夢と言うか、希望というか、したいこと、欲しいものは実現してきたと思っています。その夢には当然、個人差があって、夢が大きいとか小さいとか言っても、その個人が納得した夢です。

しかし、欲しいもの、したいことと言っても、いわゆる個人的な欲望からでたものは、そのことによって、社会的に制裁を受けることになったり、他人を傷つけることになるのです。ましてや犯罪にもなります。つまり、それが犯罪行為であっても、その夢(欲望)は実現するのです。

イエスキリストは、聖書の中で、「欲望を持って女性を見る者は、すでに姦淫を犯している」と言ったのは、こころのなかで、そのような思いを持った人は必ず、そのような行為をする、つまりは思いは実現することを言っているわけです。

ですから、心が静寂でなければ、人は欲望に左右されることになるのです。フロイトが潜在意識を発見し、ユングによって心理学が発展してきましたが、インドでは4世紀にこの潜在意識なるものをすでに発見し、論理的に深く解明しています。

いわゆる、末那識、阿羅耶識、をいうのですか、人間の顕在意識の下に、末那識があります。フロイトが言ったのは、末那識ですが、これは潜在意識といいますが、この意識が潜在的欲望であり、煩悩であるわけです。それは強烈に、継続的に思い続ければ必ず実現します。

それでは、なんら他の動物と変わらないのです。京セラの創業者稲盛和夫氏は、経営の原点12ヶ条の第一条で、「事業の目的、意義を明確にするー公明正大で大義名分ある高い目的を立てるー」と常々、盛和塾で塾生の皆さんに繰り返しお話しています。

それは事業の目的が、個人的な欲望からでたものは、いつかは破綻するからです。事業という言葉を人生と置き換えると、「人生の目的、意義を明確にする」となり、人間の「生と死」の生がどうあらねばならないかおのずとわかるはずです。

しかし、世の多くの人の欲望という夢は、正しいことであろうが、間違ったことであろうが、成功であろうが、失敗であろうが、思ったことが実現して行っているのです。もしその夢が人々のためになる、社会に役に立つ夢だとしたら、これほど素晴らしいものはありません。オリンピック選手が素晴らしいのは、人々に感動を与えてくれているからです。

それが、末那識レベルの潜在意識ではなく、阿羅耶識という深層意識からでたものだとしたら、それは真・善・美の世界であり、純粋無垢のものであり、光そのものなのです。阿頼耶識に到達するには、座禅し、瞑想することしかありません。

仏陀が到達した地点は、禅那であり、座禅そのものなのです。そのことを道元は、「只管打座」と言っているわけです。つまり心身脱落の境地、体もこころも超越した境地です。

私のセミナーは、必ず座禅をし、夢のリストを書いてもらっていますが、ほとんどの人が今まで欲望から発生した次元のものしか書けなかったのですが、座禅をすることによって次元の高い、人生の目的、意義が明確になった夢そして目標を書くことができています。

このことをよく知りたい人はご連絡ください。それでは皆様のご健勝を祈りつつ、南無 合掌 徳温禅月。





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