2015年11月12日木曜日

羅漢寺~耶馬渓にそびえる古刹~

 おはようございます。
昨日、大分県中津市耶馬渓にある古刹「羅漢寺」にお参りに行きました。まずは、菊池寛さんが書いた「恩讐の彼方に」の舞台である本耶馬溪を見たいものです。40年もかかって「青の同門」を掘って、民衆を救った禅海和尚を偲ぶとともに、この岩肌を通って行ってのかと思うとぞっとしますね。


ところで、小説では禅海和尚が人殺しで、この地に流れてきて、「青の洞門」を掘ったように書いていました。調べたかぎりでは、浅草の曹洞宗のお寺の出自のようですね。お父さんも禅僧でした。

次に道の駅耶馬溪に立ち寄って散策するとほっとします。



今回は、秋の羅漢寺にお参りに行くのが目的でしたので、5分ほど道を走らせると、紅葉の山々を見ながら、羅漢寺の駐車場に着きます。羅漢寺本堂まではリフトでもいけますが、当然歩いて登ります。
 
左手に禅海堂がありますので、禅海を偲び、合掌礼拝します。

いにしえの多くの人々の通った階段を踏みしめながら、一段一段登っていきます。

すると山門が見えます。合掌礼拝です。阿吽の仁王様に合掌礼拝。



これより先は写真撮影できません。それは禅寺ですので、カメラに心を奪われることなく、心を静めに、羅漢と御仏に全霊で向き合うためです。羅漢寺は645年にインドから渡来した法道仙人が創建した言われ、山号は「ぎしゃくざん」というお釈迦様が修行されたインドの地名からとっています。当然、本尊は釈迦如来です。3千七百体以上の石仏と、無漏崫にある五百羅漢、御仏に対面すると、神妙な面持ちになりますね。

対岸の岩山に「古羅漢」と呼ばれる場所があるので、次回はそちらも登ってみます。11月22日中津文化センターに青山俊薫禅師が来られ、「仏教と禅文化」についてお話されるそうですので、ぜひご参加ください。南~無 合掌礼拝 徳温禅月。



2015年11月10日火曜日

宿曜経と中国古典に学ぶ中国

世界を席巻する中国マネーによる投資、南沙諸島の軍事的緊張、中韓の接近と中台の和解は何を意味し、世界はどうなるのでしょうか。中国の根底にある思想は共産主義思想でなく、中華思想なのです。

中華思想に基づく覇権主義が、世界における文明のせめぎあいを生み出し、各地に軍事的緊張をもたらすのでしょうか。25年ほど前、学識ある友人に中国が急成長し、経済的にも日本を追い越し大国になると言ったところ、友人はそんなことはないと言ってましたが、ほとんどの日本人がのうてんきに構えていたのです。

ところで中国4千年の歴史の中には、論語や老荘で有名な中国古典というものがありますが、その中に孫子、呉子、六韜・三略、諸葛亮集、三十六計をはじめとする兵法があります。これらは兵法にとどまらず人間学を言っていますが、現代においてこの兵法を駆使したのが故毛沢東主席と言われています。そして今日も研究され、活用されていると言えるでしょう。


諸葛亮孔明は、宿曜経の類経を熟知していたと言われていますので、古代から中国には、観法という方法で人物を鑑定する方法もありますし、ましてや密教の宿曜経は特権階級のみが読んでいると言われています。

有名な孫子の「己を知り、敵を知れば百戦危しからずや」という言葉ありますが、最も難しいのは、己を知ることですが、なぜ難しいかと言いますと、ほとんどの人間が自分を過大評価するからです。このことを宿曜経と中国古典から学ぶことができます。

人間の本性を的確に著わしたものが宿曜経といえましょう。これを知らずして、政治交渉もあるいはビジネスもできないのです。どうして敵(他人)をも知ることができるのでしょうか。


故毛沢東国家出席は、18931226日生まれで、獅子宮に一足、女宮に三足属する「翼宿」です。獅子宮に属すれば、「法として精神足り富貴降順なるに合す、軍旅を掌握するの任を合す。」と書いています。組織と軍の権力を持つ人です。

そして女宮とは、「法として心腹を得難く、男女多く、銭財を足り、高識なるべし。ゆえに宮房を掌るの任を合す」~羽田守快著「密教占星術大全」~と書いています。宮廷のすべてを掌握し、見識の高い人と言えましょう。その通りの人ですね。

さらに翼宿とは、「別名を北徳宿といい、つまり天子の座を象徴しています。徳望と実力で権威の座につくのです。自尊心の高い星です。自分の理想、信念に生きる人で、そのためには大変なワンマンで、頑固者です。日頃は温厚な君子、紳士で、動作と言葉づかいもおだやかです。自分の信念や考えも、胸のうちに深くおさめ、あまり口にしようとはしないでしょう。」~小峰由美子著「宿曜占星術」~言いあてていて、恐ろしいほどです。

現在の中国のトップは習近平国家主席ですが、宿曜経二十八宿のなかの「虚宿」です。では虚宿生まれの人はどのような人かを宿曜経でひも解いてみると、虚宿の人は、二足が磨宮、二足が瓶宮に属しています。磨宮とは、「闘争心を主る」宮で、「五逆で妻子を敬せず」とあるように、冷血なところがあります。瓶宮とは、「勝強乃事を主る」とあり、強力な運勢を持ち、闘えば必ず勝つと言われています。ここまでにしておきますが、中国を侮っていけませんよ。

ここに書いているのは、特定の個人のことを言っているのではなく、生まれた年月日の宿星を言っているのです。宿曜経をもとに、人物鑑定をしているとしたら、これほど核心についた鑑定はないでしょう。

宿曜経と兵法を駆使する中国とどう向き合い、難局を乗り切っていくかは、日本人もまた、宿曜経と中国古典を学び、戦略を立てなければなりません。己を知り、敵を知れば、世界の平和は維持できるのです。

これから随時、世界の指導者を、宿曜経で読みとって世界の行く末を見ていきましょう。そうすれば私たちは何をすればよいかが見えてくるでしょう。世界が平和であるようにと心より祈りつつ 南~無 合掌礼拝 徳温禅月。







2015年11月6日金曜日

癌と闘う!

 おはようございます。
「あなたの寿命判定法」という本を書いて、話題になった内科医の永野正史先生が書いた、「患者よ、がんと闘おう!」という本があります。出版されたのが、1997年ですから18年前ですね。

近藤誠先生の「患者よ、がんと闘うな」に反論する形から、永野先生のいわゆる西洋医学から東洋医学を取り入れることによって、癌を治癒し、克服し、生命を延ばしていくことを提唱しているものです。


あれから18年、医療では、依然として手術と抗がん剤治療と放射線治療のみで早く亡くなられる方が後を絶ちません。そんななか九州大学大学院の白畑實隆教授が、フコイダンの研究をされ、賛同された多くの医者によって、フコイダンを飲むことによって、癌が治癒された臨床が発表されています。

詳しくは、「あきらめないがん治療」(PHP)を読んでいただけたら思います。癌診断で、癌であることを告知されても医者(病院)にすべてを任せたようなことは、自己無責任といえるでしょう。


やはり、良く勉強しておく、ご紹介した本を読んでおく、読んでみることによって、癌治療の道が開けてくるのです。インターネットの普及によって、ある程度の情報も素早く、キャッチできます。

もしものときは、どこの病院やどの医者を選ぶのか、決めておくことも必要です。お近くの統合医療の病院をお勧めしますが、知っていれば、担当の先生とのご相談し、対処することができます。診断データもすべて出してくれます。

先日もNHKのクローズアップ現代で京都大学の本庶佑教授の新免疫療法をご紹介していましたが、この20年間で少しづつではありますが、癌治療も進歩してきていますが、まだまだ統合医療なども普及しているとは言えません。


それには、やはり大きな壁が立ちはだかっているからです。厚生省と日本医師会と医薬品会社の関係ではと思っています。詳しく書くつもりはないですが、国民の生命と安全を守るのが、政府と官僚の仕事であるなら、アメリカやEUなどと比べると癌治療対策があまりにも遅滞しているのも事実でしょう。


しかし、個人で医療機関と医療方法は選べるわけですから、癌治療をあきらめずに、命を大切にし、命ある限り、この世における使命感を果たしていきましょう。それでは皆様のご健康を祈りつつ。南~無 合掌礼拝 徳温禅月。





2015年11月2日月曜日

終活を楽しむ~陽がくれぬうちに~


第四回終活講演会にて、武内令典さんの講演「私のセカンドライフ」聴いて、大手電子会社で、数々の研究開発をされて、故郷である日田市に帰郷し、インターネット協議会を立ち上げたり、若者のフリーマーケットの日田いちの顧問としてアドバイスされたり、地域の活性化に奔走し、尚且つ、四国八十八ヶ所巡礼を奥様と四年がかりで続けておられます。積極的な生き方に感動しました。


今回の講演の中で、自分史を動画で作られて発表されましたが、子供さんやお孫さんも親父の歩んできた道をわかるうえで、取り入れたいと思った次第です。また奥様との生活のなかにほのぼのとしたものを感じたのは私だけでないでしょう。武内先生ありがとうございました。


ところで、松原泰道禅師の「きょうの杖言葉一日一言」(海竜社)の中に、「陽のくれぬうち」という文章があります。まさに終活とは陽のくれないうちにしておかなければならいことですが、「秋の陽はつるべ落とし」と言われるように、人生も秋をあっという間に冬を迎えるのです。

60歳を過ぎたら時間が経つのが早くなったな~と皆さん言われます。「日暮れて途みち遠し」(老年になっても、まだ目的が果たせないことのたとえ)の言葉があるように、自分がどこから来て、どこに帰るのか知らず、また人生も目的も果たせないとしたら、悔いの残る人生です。

しかし、終活を考え、人生を考え、生と死に向き合った人は、禅語にあるように「山色夕陽時(さんしょくせきようのとき)」(山肌が雄大に夕陽に照らされている)の人生を送ることができるのはないでしょうか。私もそんな人生でありたいと思います。だから終活は楽しんですればいいのです。

相田みつお先生が、「生きているうち はたらけるうち 日のくれぬうち」と言われた通り、「今を大事に生きていく」に生きていくことに気づき、日々実践することではないでしょうか。


それでは皆様が終活を考え、取組み、豊かな人生を歩まれることを祈念しまして、南無 合掌礼拝 徳温禅月。





2015年10月19日月曜日

「終活」とは生と死に向き合うこと

先日、先輩(享年68歳)のお葬儀に参列しましたが、早すぎる死に戸惑いました。半年前に、膵臓に癌が見つかり、心配されていましたが、ステージⅡだと聞いていましたので、お見舞いもご遠慮しておりました。

今年に入って、身のまわりの60歳前後の方が、次々に亡くなり、毎月お葬儀に行くありさまです。ただ気づいたのは、そのほとんどの方が、癌による死であり、共通点は、手術そして抗がん剤治療でした。

検査で癌であることを告知され、ほとんどの方が茫然とするか、うろたえるかではないでしょうか。それは、癌が死に至る病であり、死をイメージするからです。

当然、癌というものがどのような病気であるかも漠然としか知らず、ましてやその治療法も知らない方がほとんどです。私も知りませんでした、病院まかせ、医者まかせでした。自分が終わりになるかも知れないのに、それでいいのでしょうか。

一般的に、癌の治療法には、手術、抗がん剤治療、放射線治療があり、いわゆる先端医療による治療もあります。ほかに、食事療法やいわゆる西洋医学と東洋医学を総合的に取り入れた統合医療というものがあります。


知らないと自分の生死を医者にゆだねた現代医療(西洋医学)に頼るしかないのです。東洋医学や統合医療を知っていれば、お医者さんの意見を聴き、自分で治療を選択することができるのです。

つまり、自分の死に自分が責任を持つ、あるいは納得するということかもしれません。東京女子医科大学の医学博士の川嶋 朗先生の「人が死ぬときに後悔する34のリスト」を読んで、「終活」とは、生と死に向き合うことだと思います。向き合わないとやはり、自分だけでなく、ご家族の方も後悔するからです。

たとえば癌にかかり、どの治療法を選ぶかも、そのまえに「終活」をしていれば、病気になるまえに、自分はどの治療方法を選ぶかを決めることができているのです。ですから医療も「終活」のひとつの項目と言えるでしょう。

そして、家族や親族そして友人や知人のお葬儀に参列すると、お見送りし、故人を偲ぶと同時に、自分自身の生と死に向き合う、あるいは死を意識するのです。「終活」を「人生の終焉を考え、今を自分らしくより良く生きる活動」と定義しているように、「終活」を、現在の仕事や生活、医療そして介護などから考えるべきと思っています。

つまり、「終活」は後期高齢者の言葉ではなく、現代社会だからこそ少なくとも50歳になったら、取り掛かるべき活動だと言えるでしょう。そうすると自分の宗教観にも自問自答せざる得なくなるのです。


「いつまでもあると思うなわがいのち」と言うように、いのちには限りがあります。50歳になったら、ひとまず人生の総括をしてはと思う次第です。それでは皆様の人生が実り豊かなものでありますようにお祈りします。南無 合掌礼拝 徳温禅月。






2015年10月13日火曜日

生まれるに時があり、死ぬるに時がある

おはようございます。
人生はときにかなって美しい。しかし、人が生まれ、死ぬるときはさだまっているんでしょうか?聖書の伝道者の書3章にはこのように書いています。

「天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある。
生まれるのに時があり、死ぬのに時がある。植えるのに時があり、植えた物を引き抜くのに時がある。
殺すのに時があり、いやすのに時がある。くずすのに時があり、建てるのに時がある。
泣くのに時があり、ほほえむのに時がある。嘆くのに時があり、踊るのに時がある。
石を投げ捨てるのに時があり、石を集めるのに時がある。抱擁するのに時があり、抱擁をやめるのに時がある。
捜すのに時があり、失うのに時がある。保つのに時があり、投げ捨てるのに時がある。
引き裂くのに時があり、縫い合わせるのに時がある。黙っているのに時があり、話をするのに時がある。
愛するのに時があり、憎むのに時がある。戦うのに時があり、和睦するのに時がある。」 ~聖書(新改訳)~

つまり、生まれる時も、死ぬ時も定まった時があると書いているのです。

インドから伝わった宿曜経では、生まれた時の宿星によって、その人の本性(性質や性格)、能力、運命がわかると言います。宿星は二十八宿(星)あります。どの星のもとに生まれるかも定まっているのでしょうか。いつか、生と死を科学が証明する日もくるでしょう。

「昴宿、畢宿、觜宿、参宿、井宿、鬼宿、柳宿、星宿、張宿、翼宿、軫宿、角宿、亢宿、底宿、 房宿、心宿、尾宿、箕宿、斗宿、牛宿、女宿、虚宿、危宿、室宿、壁宿、奎宿、婁宿、胃宿」の二十八宿(星)

それぞれの詳細はまたのちのち述べていきましょう。以前書きましたが、先頃結婚した福山雅治さんと吹石一恵さんは、ともに「友」の年で、宿曜経(下)に、ご縁、結婚の良い年とされています。すごい的中率ですね。


また、私は、ボランティアで終活カウンセラーをしていて、毎日新聞のお悔やみ欄をみていて、不思議に思ったことがありました。亡くなられる年齢が同じというか近いのです。

真言宗の明王寺さんでいただいた星まつり年齢早見表をみると、大凶の羅候星という星巡りで半分くらいの人が亡くなっています。昨今の芸能人の方でいえば、数えで、愛川欣也さん82歳、今井雅治さん55歳、川島なおみさん55歳などです。

次に、凶の火曜星と計都星で、この三つの星巡りで亡くなられる方が7割から8割近くいます。人は、勝手に死に至っていないのです。尚、星巡りは、羅候星、土曜星、水曜星、金曜星、日曜星、火曜星、計都星、月曜星、木曜星と九年かけて巡っていきます。これを秘法「九曜流年法」と言います。

ちなみに羅候星は、数え年で1歳、10歳、19歳、28歳、37歳、46歳、55歳、64歳、73歳、82歳、91歳、100歳です。この年齢のときは、たいへん注意をしておく必要があります。病気やけがが命取りになるのです。

生きとし生けるものはすべて、生まれたら、かならず死に至るのです。しかし、死に至るまでの人生を楽しいものにするか、苦しいものにするかは、実はあなた次第だと言えるでしょう。

なぜなら、宇宙の法則に逆らわずに生きていく、人間としての努力を惜しまない、そして神仏の加護と御力をいただけば、おのずと人生を豊かに幸せに過ごすことができるのです。

そう信じ生きていく人は信仰熱き人でしょう。宿命は変えられませんが、運命は大きく拓くことができるのです。そのためには、法界と言いますが、宇宙の法則、宇宙のリズム、宇宙のエネルギー(氣)を理解すること、そして己の本性を知っておくべきです。これも分際ともいい、本分ともいい、身の程ともいうのです。

さて今日はこの辺までにしておきましょう。それでは皆様の運命が花ひらきますようにと祈りつつ、南~無 合掌礼拝 徳温禅月。己の本性や、運気を知りたい方はメールにてお問い合わせ下さい。beppu1717@gmail.com







2015年10月10日土曜日

虚心坦懐~64歳の誕生日を迎えて想う~


 おかげさまで、満64歳を迎え、数えの65歳になったわけです。昨年来、九曜流年法の大凶である羅候星であったのですが、昨年の胆のうがん摘出手術、そして今年2月16日に母(享年95歳)を亡くし、やはり羅候星という年回りはあるなを思っています。

今年は、土曜星で中吉ですが、生まれ月になるまでは、羅候星の影響があると思って気をつけておりました。4年前に還暦を迎え、やっと人生の折り返し地点に来たかと思っていました。

数えの60歳で、兄と友人を亡くしたことが、生と死とはと考えるきっかけとなり人生を考え直そうと思いました。中高生の頃から人間の幸福とは、ひとはどうすれば幸せな生活をおくれるのか、をいつも思っていました。

学生時代は、唯物思想にかぶれ、社会人になってニューソートと言われる実用主義哲学を実践し、さらにキリスト教を学ぶことがでました。50歳を過ぎて、稲盛哲学に触れ、仏教を学ぶようになりました。このことは私の著書、「生きる」や「生き方そして働き方」に書いていますので、HP(別府総合研究所)より読んでいただければ幸いです。

数えの65歳になるこの日に、60歳(火曜星)、一般的に厄年と言われる61歳(計都星)の時期に、東京国際仏教塾に通塾することができたことが、私の厄払いになったと思っています。

基本的な仏教の概念を学び、誰しもが訪れる生老病死に、まずは、兄や友人の死を通して思い知らされて仏教を学び始めたのですが、生を受けて老いが来るそして現代ではおそらく65歳を過ぎないと老いを感じないかもしれません。

しかし、病死は、生をうけたときからいつ来るかは人の考えに及ばないものなのです。一般的に病気にかかって死ぬこともあり、あるいは、自動車事故や天変地異の災害にあって、死に至ることもあるのです。

少なくとも、病と死には、原因と結果が厳然として存在しているのです。癌にかかって、食生活を振り返ると、インスタント食を食べたりしていたし、若いときは暴飲暴食をしていたので、その原因がまずは食にあったわけです。

そのことが体を冷やし、少しづつ癌を作り出すことになっていたのでしょう。あるいは、ストレスなども原因と言われています。癌あるいは、脳こうそく、心筋梗塞などが発症すれば死に至る確率は大きくなります。

人の幸福あるいは不幸には、原因と結果があるのです。いつも嫉妬や恨みごとを思い、愚痴や消極的なことを言っていると精神をむしばんできます。不幸の種は自分が自分のこころに蒔いていると言えるでしょう。

しかし、良きことも訪れました。平成25年に二男の正吾が、今年の7月に長男の夏樹が、結婚し、所帯を持ったことは、喜ばしいかぎりで、やはり結婚して、初めて一人目になったと思うものです。

しかし、今年の2月に、私を愛して育ててくれた母が老衰のため、95歳の生涯を閉じました。気丈夫で、頑張り屋の母でした。誰しも愛別離苦が訪れるのですが、喪失感があります。

さて、これからの五年間にしたいこと、やはり 仏道を歩み、仏教をお伝えすることを通して皆様のお役に立ちたいと思っています。なぜなら仏教は、今の自分、今おかれておる現状がわかるし、その解決方法が示されているからです。仏教は生きる智慧なのです。

ましてや、死に至ることがあっても、私たちがどこからきてどこに帰るのかを教えてくれます。それを知らずに生きていると、世のわずらわしさにさいなまれ、自らを見失うのです。

つまり信仰ある生き方をお伝えしたいと思っています。御仏を知れば傲慢に生きることはありません。御仏へのご報恩とご縁のあるかたへの感謝を忘れることがないからです。

信仰ある生き方とは、人のために働くこと、戒め(法律)を守ること、いかなる苦難にも耐えること、たゆまず努力すること、座禅瞑想しいつも心を平静にすること、御仏の智慧を学び、その経(教え)を読誦することです。

まずは、一日、一日、ひと月、ひと月、一年、一年を大切に生きていくことが最上の生き方でしょう。それぞれの人が他人様のお役に立っているわけですから、自分なりに仕事に、あるいはボランティアに精進することだと思います。


まずは、これからの五年間をすこしでも皆様のお役に立つように精進し、尽力したいと思います。それでは皆様のご健康を祈りつつ 南~無 合掌礼拝 徳温禅月。