2015年12月17日木曜日

NHK100分で名著「良寛詩歌集」を視て②~清貧に生きる~


 おはようございます。

 現代人は、清貧に生きることなどできるのだろうか。特に日本ほど安全で豊かで便利で、ほとんどのものが揃っていて、誰しもがなに不自由なく生きている。でも良寛詩歌集を見ていて思ったのですが、現代社会の中で、望まないのに清貧に生きている人たちもいます。


例えばホームレスの人、あるいは家はあるが、電気も水道代も払えずに、最後は孤独死で亡くなる方たちがいるのも現実です。この人たちの清貧と、良寛さんの清貧はどうちがうのでしょうか。


良寛さんは、長岡藩主から「長岡に寺を建てようと思っているので、来てくれないか」との誘いを受けるのですが、「たくほどは風がもてくる落ち葉かな」と詠んで藩主の申し出を辞退します。


地位や名誉、財産など捨てきって、必要最小限の雨露をしのぐ住居とお椀と箸で生きる。いやまてよ、良寛さんに紙と墨と毛筆がありました。詩を書き、歌を詠むことは、自分の考え方の表現であり、生き方の言語化があったのでしょう。そして楽しんでいます。


食べられず生きているだけなら、現代の貧困とさして変わりませんが、良寛さんには、詩歌あり、また戒も作り、僧として村人とともに飲み食いをし、村人の相談相手になっているし、捨てきった生活のなかで、喜んで楽しんで子供たちを遊んでいるのです。


まるで、自然界の木々や草花であり、あるいはその恵みによって生きている動物たちとも同化しているように思えるのです。乞食行のなかで、捨てきった先にあるものは、なにものをもとらわれない生き方でしょう。それに誰もが憧れるのです。




今日は何を食べるか、どこで寝るか、何を着るかを心配しない。与えられるものは御仏の慈悲で与えられる。泥棒が入ってきたら、盗まれるものがないので、自分が寝ているせんべい布団を差し出すくらいですから、執着がないのですね。泥棒にすら共感している。


とらわれない生き方、それが清貧でしょうが、その座標軸がしっかりしてないかぎり、良寛さんのような生き方はできない。ある意味では現代社会ほど、お金がかかる時代はないかもしれない。電気代、ガス代、水道代、保険代、これに車のガソリン代、車両保険など最小限の経費を出しても月にご夫婦で平均約25万はかかると試算されています。


それはともかくとして、問題は知足少欲で、贅沢をせず、楽しく生きるには、やはり生きる思想というものが必要であり、何のために生きるのかというそれぞれの座標軸を持たなければなりません。


良寛さん曰く、「一生、立身にはやる気がなく、自由に遊び歩いて心のままに任せてきました。頭陀袋の中には三升の米があり、囲炉裏には一束の薪があります。誰かが悟りについて質問したら言いましょう、面子だとか利益などという塵がどこにあるのですかと。夜の雨が降る草庵の中で、二本の足をのんびり伸ばしているだけです。」と。(NHKテレビテキストより)


自分の喜びや楽しみを詩にしていたからこそ、誰もが共感できたし、生き方の手本としたのです。鍋蓋に「心月輪」と書いたのは、「心は丸く月のように清らか」であるという清貧のこころを言っているのです。


「世の中にまじらぬとにはあらねどもひとり遊びぞわれにまされる」(世間の事には関与しないというわけではありませんが、孤高の精神世界に遊ぶことが自分には一番の喜びなのです)NHKテレビテキストより。それでは皆様のご健康をお祈りしつつ 南~無 合掌礼拝 徳温禅月。


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