2015年11月24日火曜日

青山俊薫禅師に学ぶⅠ~本耶馬溪羅漢寺での法話~


 おはようございます

還暦を過ぎて、ある約束があり、数回本耶馬溪にある羅漢寺を参詣しました。ある約束とは、山荘無量塔(むらた)を創業した藤林晃司さんから「羅漢寺は違うよ、登ると圧倒される、凄いね、別府さん一緒に上ろうや」と誘われていたのですが、仕事に追われてそのままになっていたのですが、彼が57歳でその生涯を閉じたとき、その約束を思い出したのです。その時はお互いに20代でしたから彼はすでに仏教に目覚めていたからこそ、山荘を無量塔(むらた)と命名したのでしょう。


今回、不思議な出会いで、115日に深耶馬溪に行ったのですが、羅漢寺へは行けず、どうしても気がかりで、再度10日に本耶馬渓羅漢寺に上ったとき、本堂の横に、青山俊薫禅師の法話のご案内のポスターが貼ってあるではないですか。


青山俊董禅師については、東京国際仏教塾の曹洞宗専修コースで、中野東禅禅師よりお聞きし、本を買って読みました。瀬戸内寂聴先生も尊敬していますが、寂聴さんは作家に軸足を置いているなとかんじるのです。青山先生は、仏教そのもの特に禅に生涯をささげているお方ですからほとばしる言葉が少し違うのです。


早速、羅漢寺へ申込みましたところ、参加者が定員になっておりましたが、次期ご住職の太田英華禅師が快く、参上許可してくださいました。羅漢寺の山門までのいくつかの階段を踏みしめながら上ると山門につきます。仁王門で合掌し、さらに上っていきますと、千体地蔵が祀っています。その横に江戸時代、広瀬淡窓先生ともゆかりのある豪潮律師が建立した宝塔があります。合掌礼拝し、山門へと向かいます。古刹にふさわしい石段と山門ですが、写真撮影はできませんの、耶馬溪観光協会の写真をご覧いただけると雰囲気がわかると思います。私はなぜか来るたびに藤林晃司さんの言葉を思い出すのです。


山門で合掌し、さらに上っていくと五百羅漢堂があります。圧倒されますね。釈迦如来様に合掌~礼拝し、私の守本尊である文殊菩薩様に合掌~礼拝です。五百羅漢堂の上に本堂があります。30分前に着きましたが、皆さんご参集しておりました。



本堂に上がり、ご本尊に合掌~礼拝し、席に着き座禅をさせていただきました。青山俊董禅師のご紹介が雲水さんからありましたが、知らない方もおられると思いますので、少し書きますと、



5歳で信州の曹洞宗無量寺に入門し、15歳で得度、愛知専門尼僧堂にて修行。駒澤大学仏教学部・同大学院終了のち、愛知専門尼僧堂に勤務し、昭和51年より堂長。59年正法寺住職を兼務。後進の育成はもとより、参禅指導、講演、執筆などで幅広くご活躍、特に茶道や華道を通して、一般の方々へわかりやすい禅の普及に努めています。平成21年曹洞宗大教師、現在曹洞宗師家会長を務めています。」



南無釈迦牟尼仏、南無釈迦牟尼仏、南無釈迦牟尼仏と皆様と合掌礼拝し、青山俊董禅師が入場し、開演です。御年82歳とのことですが、凛として立席のまま、お話しを始められました。



法話の主題は「仏教・禅文化に親しむ」ですが、メモに書き留めておいたことしか皆様にご紹介できませんが、



「人生とは何か、それは人生とは幸せを求めての旅だと思います。ここにおられる羅漢とは、その意味は無学、絶学、極果(ごくか)の方々であり、無学、絶学とは学ぶことを学びつくしてもう学ぶことはない、極果とは、極めつくした世界です。



幸せを求める旅路といっても何を幸せとするかそれぞれの人生は決まるのです。世の中に人は値打ちのないものにあくせくし、お金を貯める、えらくなる、など求めているが、人は裸で生まれ、裸で去っていく、持って行けるものなどひとつしてない。お金や地位名誉にちっともうらやましくはない。持って行けるとしたら、どんな生き方をしたかだけです。」



人は何のために生まれ、何のために生きているのかと考えるとこの世の人生の中で、羅漢(極め尽くすこと)になること、仏道を歩み、菩薩への修行をさせていただくことだと思います。この心境になるのに60歳の齢を過ぎましたが、人それぞれ、若くして答えを見出す方もおられるし、死ぬ間際に答えを見出す方もおられましょう。あるいは道半ばにして生涯を閉じる方もおられましょう。問題は「何を求めているか」だと思いました。



次回またお話の続きを書きます。それでは皆様のご健勝をお祈りしつつ 南~無 合掌礼拝 徳温禅月。




     午後00:0000:25

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