おはようございます。
日田市パトリアで、「淡窓先生に学ぶー学校の取り組みー」がギャラリーに展示されています。3月2日まで開催だそうですが、日田市内の各小中学校の先生と生徒がこんなに取り組んでいるのかとびっくりしました。
展示されている一部ですが、咸宜小学校、若宮小学校などの取り組みです。
このように地元の賢人である淡窓先生を、小学校や中学校のときから学び、咸宜園でおしえたことを現代によみがえらせることこそ、世界教育遺産登録活動の一環だと思いました。ぜひ見に行ってください。
その後、アリこと秋子さんはどうなったのかとのとの問い合わせがありましたので、調べましたところ、女官風早氏の侍女となったのですが、二年後、風早氏は亡くなり、後を追うようにして秋子も二十二歳の若さで亡くなりました。淡窓先生は、妹が自分の身代りで死んだと、深く悲しみ、長根の長詩「孝弟烈女詩」を詠んだそうです。
淡窓先生は、妹の死と、自らの闘病生活にうちひしがれていましたが、「楞厳経」(りょうげんきょう)という仏典を読み、仏教が高大を窮め、精微を尽くしていることを知り、尊崇の思いを持ったそうです。「広瀬淡窓の世界」狭間 久著大分合同新聞社より出版。
咸宜園の門下生には、大村益次郎や高野長英などの蘭学者から、儒学者そして平野五岳や釈樵禅、小栗栖香頂など多数の僧侶もいたことは、いかに淡窓先生が儒学のみならず学問にひろく精通していたかが察せられます。
豆田町のホテル風早から秋子想へ
「天領ひたおひなまつり」をぜひ見に来て、豆田の町を散策すると、心が和みますよ。
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