おはようございます。
全日本女子柔道の園田監督が辞意を表明しましたが、大阪市立桜宮高校などスポーツ界における指導という名の暴行事件が横行しています。スポーツ界が形骸化し、指導者が権力と権威を振りかざし運営していく時代は終わるべきだと思います。
多くの選手や保護者など関係者が傷つき、死にまで至らしめている現実を日本国民ひとりひとりが、教育とは、スポーツとは何かを真剣に考えて、次世代に向けてのスポーツ環境を作っていかないと、オリンピック招致運動などする資格のない国になってしまいます。
そのようなことを考えながらウォーキングしていましたら、山紫水明の流れに癒されました。ここでも立禅ができます。
大分県日田市の三隈川
ところで、スポーツライターの玉木正之さんが「スポーツとは何か」(講談社現代新書)に以下のように書いていますのでご紹介します。(ネットより抜粋)
「スポーツの基本は,遊びである。遊びとは<非実用的でそれ自身のために追求される肉体的,精神的な活動>のことである。また,<目的のない活動であり,それ自体のためにあり,仕事の反対語>でもある。遊びとは<あくまでも自由の領域にあるもの>といえる。
遊びは,<自然発生的な遊び>と<組織化された遊び>に分けることができ,後者は<ゲーム>となる。
ゲームは<競争しないゲーム>と<競争するゲーム>に分かれ,後者は<競技(コンテスト)>となる。
競技(コンテスト)は,<主に頭を使う競技>と<主に身体を使う競技>に分かれ,後者を<スポーツ>と呼ぶ。以上は,アメリカのスポーツ社会学者アレン・グットマンによる遊びの分類である。また彼は,<まったく知的な技術を欠いたスポーツをイメージすることは困難である>として,スポーツを<遊びの要素の濃い身体的な競技>と,定義している。
スポーツの定義は,国語辞典ならば,<遊戯・競争・肉体的鍛錬の要素をふくむ身体運動の総称>といった説明でいいのだろう。」
私も小中学校では柔道をしていました。同級生でモスクワでの世界選手権で銀メダルを取った蔵本君がいました。この年のモスクワ五輪は日本はボイコットしたため彼のオリンピック出場はなりませんでしたが、中学のときから強い選手でした。なつかしく思い出されます。
小学校の時は、日田市の咸宜園の横にあった武道場で、年配の先生から親切な指導を受けていましたので、たたかれることもなかったですし、中学校のクラブ活動の柔道部でも暴力的指導の記憶は全くありません。このようなのびのびした環境で、世界に出て行った選手がいることも事実なのです。
今回の事件は、金メダル至上主義が蔓延し、いつの間にか目的がすり替わって行っていると思います。責任は個々の監督だけではなく、スポーツや教育あるいはモティベーションに対する勉強不足であり、これを放置してきた文部科学省にあると言っても過言ではありません。
柔道の確立者嘉納治五郎先生は、「柔道は「精力善用」「自他共栄」を基本理念とし、「柔能く剛を制し、剛能く柔を断つ」を真髄として、単なる勝利至上主義ではなく、精神鍛錬を目的としている。
「精力善用」とは、柔術の「柔よく剛を制す」の柔の理から「心身の力を最も有効に使用する」原理へと発展させた理論を打ち立て、社会生活すべてに於ても、欠くことのできない重要な原理である。
そしてこの原理を実生活に生かすことによって、人間と社会の進歩と発展に貢献すること、すなわち「自他共栄」をその修行目的としなければならないと説いています。」(ネット抜粋)
すでに答えはあったのです。スポーツ監督のみならず、会社の管理者なども、熱血先生や猛烈ビジネスマンと言われる人の特性として、あまりにも熱心のあまり、必要以上に言ってしまったりします。私も若い時は、その経験がありますし、あとで言い過ぎたと反省することが多々ありました。
これを防ぐのが座禅なのです。こころを静める最上の方法は座禅です。嘉納治五郎先生の理念を頭に入れたら、つぎに指導中でも座禅することです。座禅はいつでもどこでもできるのです。皆さんも「心が大きくなる座禅のすすめ」中野東禅著知的生き方文庫(三笠書房)をぜひ読んで座禅してみませんか。いじめや体罰で困っている人は遠慮なくご連絡ください。
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