2013年2月27日水曜日

咸宜園の日Ⅱ-記念講演よりー

 おはようございます。
咸宜園はどのような学習をしていたのでしょうか。福岡女学院大学の伊藤文一教授がまとめた本によりますと、それは「課業」「詩業」「消権」の三つであったそうです。「課業」とは素読・輪読・聴講・輪講・書会・復文・教学・会講の八つです。

素読は儒学の「四書五経」をしたのでしょう。淡窓先生は、さらに仏教や老荘にも精通していたと自負されていましたので、上級に上がるにつれ、幅広い学問分野に渡っていたのでしょう。輪読もいいですね。緊張感があります。

秋風庵で輪読していた光景が目に浮かびます。


さらに良いのは、「詩業」ですね。文章課題や詩課題、書会などをしたそうです。詩は漢詩ですが、感性が豊かになります。「消権」とは面接考査です。淡窓先生がひとりひとり面談し、進級していったのでしょう。

伊藤文一先生が、最後に「宇宙の主宰者「天」の理の究明を聖人に帰し、衆人は「敬天」で十分とする考えが淡窓思想の中核にあるが、淡窓自選の墓銘は「その学は大観を主とし、人と同異を争わず、旁ら仏老を喜ぶ」という。ここに淡窓の思想が流れているようにも思われる。廣瀬淡窓の教育を学ぶことは、教師のあるべき姿を知ると共に「人間としての在り方・生き方をどう教えるか」という命題が含まれているように思われる。」と書かれています。

福岡女学院大学の伊藤文一教授です。

今回、学術研究部門で受賞した、九州国際大学の亀田一邦教授の「二広と下関ー医史的側面からの照射ー」と題して講演がありましたが、二広とは、広瀬淡窓と広瀬旭荘のことです。咸宜園の門下生にいかに医者が多く、またいわゆる長州との人脈があったがうかがわれました。

高杉晋作と騎兵隊を作り、明治維新を成し遂げ、明治の学制を作った長三洲をはじめ、風雲急をつげる幕末の混乱の中で、多くの門下生が咸宜園で学んだしっかりした儒学思想や仏教思想を身につけて、明治を切り開いたことを思うと、今の政治家や経営者は思想を持っているのか疑問に思う次第です。

亀田一邦教授です。


国語教師であった大村はま先生のNHKアーカイブスの視聴がありましたが、大村先生の詩より、

「優か 劣か 自分はいわゆるできる子なのか できない子なのか

そんなことを 教師も子どもも しばし忘れている

思うすきまもなく 学びひたり 教えひたっている」

人間に優劣などつけられるはずはありせん。みんな一所懸命に学び、働いているのです。







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