2015年3月26日木曜日

お葬儀にみるそれぞれの人生

 おはようございます。
昨年、済生会病院に入院した際、同室になり、お友達になった樋口さんが亡くなり、葬儀がありました。享年62歳でした。樋口さんは、8年6ヶ月に及ぶガンとの闘病生活を送っておられました。たくさんの方がご参列されていました。

今年の1月に、友人のお父さんの葬儀は、カトリック式でした。2月に母の葬儀は、仏式でした。樋口さんは石井神社の元締めさんですから、神社神道式で執り行われました。どの葬儀もたくさんの方のご参列がありました。

なぜ直葬などの葬儀不要論が出ている今日、友人や知人はお葬儀にかけつけるのでしょうか。それは、亡くなれた方のご冥福をお祈りすると同時に、その方の人生の最後を見届けようとする意識が働いているからではないでしょうか。


ご参列して思うに、まさにそれぞれの人生を全うしてきたと思います。友人の父親は、カトリック信者(クリスチャン)として、清廉潔白の生活を送り、ボランティア活動も熱心されていました。母は生涯、父と青果店を営む、近所の皆さんから愛され、愚痴などいわず、前向きに生きて来ました。

樋口さんは、石井神社の総元締めを千数百年続く樋口を引き受け、何事も全力投球で生きてきたとお聞きしました。病院で知り合ったときも、明るく、一緒にコーヒーを飲みに行ったものです。20日間ほどご一緒しただけでしたが、終活のお話しもし、退院後も何度かお電話した仲でした。

人は、必ず死をいうものが訪れます。悔いのない人生を誰しも送りたいと思っています。全く悔いがなかったと言い切れるかどうかわかりませんが、少なくとも自分で、したいこと、するべきことはしてきたと、最期の時に、そう思い静かに息を引き取るのが最高の死に方かもしれません。

終活のお話を、講演でしたり、個人的に終活のことをお話することで、生きて今を大切に、しておきたいことをしていく生き方のヒントになればと思い、終活カウンセラーとして、終活支援活動をさせていただいていることは感謝なことです。

生きるということは、死を覚悟することだと思います。死を意識し、生きて行かなけばなりません。本当は年齢に関係ないのですが、若いうちは自分が死ぬなどまったくいうほど意識しません。しかし、突然の事故や災害で亡くなることもあるのです。

死を意識したとき、本当の生き方ができるのではないでしょうか。それでは皆様が悔いのない人生を送られますようにお祈りします。 南~無 合掌礼拝 徳温禅月。






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