おはようございます。
がんになったことを友人に告げたら、それは信心が足りないからだと言われました。その友人が信心があるかといえばないのですが、私が宗教についてよく語るのでそのように言ったのでしょう。
昔の僧侶や牧師などが、病気をせずに長生きしたのは、なぜだろうかと考えて見ると、仏教にしろキリスト教にしろ、節制を重んじ、粗食であったことは事実です。仏教では精進料理と言って、肉類は一切食べませんし、酒も禁じられています。
つまり、信仰と現実の生活が一体となり、精神的な意味だけでなく、身体(からだ)によくないものは食べないことに徹したいたと言えます。では今の宗教関係者はどうでしょうか。一般の方とは変わらず、酒をたしなみ、美食によしとし、飽食の世界にいるのです。
現代において、店頭に並ぶ食品はほとんどが、化学肥料や農薬が使われているものです。そのような発がん性の高いものを毎日、摂取していれば、国民の半数ががんにかかるのも当然の帰結です。
ですから、坊主も牧師もがんや心筋梗塞、脳梗塞でいのちをおとしているのです。精神と身体は一体であり、信仰あるいは信心はからだを養生することも包摂しているのです。もし病気になって、祈りだけで癒すというなら、それは生ける身体の軽視だと言えます。
病気にならないような生活規範があると同時に、もしかかっても食事療法や医療を活用すると同時に精神つまりこころを強めることが必要なのです。つまりこころとからだは一体であり、同時に行わなければなりません。
キリスト教であろうが仏教であろうが、信仰の中に食養生を取り戻す必要を感じるのです。それは「正食」ということです。正食の食材は、無化学肥料・無農薬であり、玄米を中心とした主食と野菜の副食です。
日本人はこの「正食」を一刻も早く取り戻さないと、国が亡びることになりかねないところまで来ているのです。正食をする生活に立脚した信仰心が必要な時代なのではないでしょうか。子孫に禍根を残さないように、団塊世代は身をもって実践しなけらばなりません。
それでは皆様が心身共に健康でありますようにと祈りつつ 南~無 合掌礼拝 徳温禅月。
別府さんこんにちわ。
返信削除今日の記事は、とても興味深いと同時に、私も思うところがありコメントいたします^ ^
私は、とりたてて宗教に属しておりませんが。深い信心はあると思います。
というのも、苦難から乗り越えた際に奇跡的な経験をしたからです。
ですから、今の考えもその経験に基づいた考えであり。心体魂のバランスだと考えています。そして、苦難や病気は、神からのギフトだと考えています。