2014年11月11日火曜日

終活~なぜ葬儀をするの?~

 おはようございます。
昨今は、葬儀がなく火葬し、納骨する「直葬」という葬儀?が東京都では3割を超えていると聞きます。その背景には、核家族化の結果、人間関係が希薄していることや、信仰心や宗教心そして死生観の欠落、さらに多額な葬儀費用や戒名代への不信感などがあると思うのです。

葬儀の形態は、時代と共に変化していくでしょう。しかし、ご両親やご兄弟を亡くしたご遺族は、ご供養せずにおられないのが心情でしょう。しかし葬儀などしなくていいと言う方も増えているのは現実です。

問題は、死んだらどうなるのかを考えることから始めるべきではないでしょうか。あるいは人間の生は何によって成り立っているのか、死は、肉体と精神(思惟・思考)の停止であることは明白です。しかし、人間は肉体と精神と霊魂によって、生を維持していることは聖書にも書いています。


肉体と精神は、塵と土に戻るでしょう。では霊魂はどうなるのでしょうか。私は兄を亡くした時、臨終のそのときに、肉体から霊魂が抜けていくのを感じました。またある牧師さんの話しで、クリスチャンであるおばあちゃんが亡くなるとき、病室の天井から、「イエス様、只今あなたの身元に行きます」という声をご家族全員が聞き、ご家族もクリスチャンになったそうです。

仏教でも同様のお話を聴きました。また小学生の時、そろばん教室の帰りに、月隈公園の森のうえを火の玉が行くのを見に母に告げていたら、翌日、乞食のおじさんが亡くなったことを聞きました。これって何でしょうか。

霊魂なんて信じない人は、人間は死んだら何もなくなってしまうから、お葬儀などする必要がないと思うでしょう。また霊魂があるんだと思う人は、死後の自分の行先を決めているでしょう。クリスチャンであればイエス様のみもと天国へ、浄土真宗の方であれば阿弥陀様の極楽浄土へと。

そして見送るひとにとっては、御冥福を祈り、亡くなった方を弔うのです。そして自分の死生観を考えるのです。それが葬儀です。密葬、家族葬でもいいのです。お経は安らかにあの世に旅立つようにあげるのです。

「おくりびと」という映画を見ましたか。原作は青木新門さんの「納棺夫日記」です。青木さんが今日の問題をこのように言っています。

「仕事柄、火葬場の人や葬儀屋や僧侶たちと会っているうちに、彼らに致命的な問題があることに気づいた。死というものと常に向かい合っていながら、死から目をそらして仕事をしているのである」~「納棺夫日記」(文春文庫)

少なくとも顕暦を過ぎたら、自分の「死生観」を持つべきだし、問い直す時ではないでしょうか。「終活」とは、このことから始まると思うのです。それでは皆様おひとりおひとりが、生と死に向かいことをお祈りします。南~無 合掌 徳温禅月。





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