月出山岳(かんとうだけ)は、大分県日田市と玖珠町の境にある標高708.7mの山ですが、日本難読山名サミットで、近くにある一尺三寸山(みおうやま)が第一位で、第三位でした。こんな不思議な読みづらい名前がなぜあるのでしょうか。
疑問に思いつつ、宿曜経・密教宿曜占星について研究していまして、郷土史に詳しい飯田崇さんから以下のような写真が送られてきました。
門外不出と言われた宿曜経の碑文が存在していると言うことは、密教宿曜占星の大変重要な痕跡があった考えられます。安政四と書いてありますので、安政の大獄へと続く、幕末の世情を憂い、国の安定を祈願したのでしょう。
月出山岳に、宿曜経の碑文があるのは、月出山は名前の通り、月が出る山ですから、この地域の遥拝する場所として最適だったと思われます。では宿曜経及び密教宿曜占星をもたらした方は誰だったのでしょうか。
密教には、高野山真言宗の東密と、比叡山天台宗の台密があります。享和三年ごろ代官の招きで、肥後の高僧であった豪超律師がたびたび訪れ、慈眼山永興寺にて、祈祷していました。広瀬淡窓の家族も帰依し、病床だった淡窓の平癒を願って妹であるアリ(のちの秋子)は祈祷してもらっていました。アリは、豪潮の紹介で、風早の局のもとへ京へと旅立つのです。深町浩一郎著「広瀬淡窓」(西日本新聞社)にいきさつが書いてあります。
この豪潮律師こそ、この地に宿曜経・宿曜占星をもたらした方であると思います。なぜなら11年余、比叡山で、天台密教に修行をし、長崎にて中国僧より中国の唐密教を受戒してもらっています。中国密教は、道教の色彩が強いものです。
書かれている日月は、太陽と月をあらわします。北斗とは北斗七星、南斗とは南斗六星で、日・月・星が明記されています。そして、陰と陽に並立しています。
次に書かれているのは、九曜流年法ですので、安政の大獄を予測していたのかもしれません。
図らずも、この日田の地に、門外不出と言われてた宿曜経・宿曜占星がもたらされていたことは驚異でもあるわけです。日田の地は、古代より祭祀する地であったのではないでしょうか。それでは、皆様のご健康をお祈りしつつ 南~無 合掌礼拝 徳温禅月。
0 件のコメント:
コメントを投稿