日夜、活躍するビジネスマンへ
おはようございます。別府総合研究所の別府武志です。
「こころ」について書いていますが、知り合いの営業マンが弊社に立ち寄り、話をしてくれました。彼はある大手の訪問販売会社の営業マンだったのですが、そのときの話です。A支店長が在任時はその営業所は全国で販売成績が一位になったそうです。A支店長は、部下を家族のように接し、適切な営業指導なみならず、売れなくて苦しいときに、声をかけて励まし、抱えている問題の解決をしてくれたそうです。その後、人事異動でB支店長にかわってから、一人辞め、二人辞めしていって、その営業所は閉鎖になったそうです。
A支店長とB支店長の違いは何だったのでしょうか。それは、いわゆる人使いのうまさではなく、A支店長は、こころから家族のように接したという本物の人だったのです。B支店長のように自分の都合のいいように、あるいは、実績のために人を使おうとすると、部下は見透かしています。自然にわかるものなのです。だからこそ、会社の大小にかかわらず、経営者や部門管理者は、自己を磨くことをしなければなりせん。心(こころ)を高めなければ、経営(営業)を伸ばすことはできません。
盛和塾の稲盛和夫塾長が「利他行」の実践をいいますが、それはいわゆるボランティアのみを言っているのではありません。まずはあなたの家庭のなかで、会社のなかで、つまり日常的に利他行をこころがけ、実践することです。この利他行のこころが、慈悲のこころではないでしょうか。
慈悲のこころとは慈しみのこころであり、思いやりのこころです。自分を愛するように他人を愛するこころです。自分を愛するが他人を愛することができないことほどむなしいものはありません。誰しも自己を大事にします。しかし、自己は一人で生きることはできないです。一人で生活することもできないし、一人で仕事をすることもできません。ご縁によって他人と結びつき、家庭をもち、会社を作っているのです。このご縁に感謝するこころが、今あなたに必要ではありませんか。
戦国時代の武将、上杉謙信は、「上杉家の家法(訓)」を以下のように書いています。
「心に何もなければ、心はいつも広くゆったりとしている。
心に我意をはることが、愛嬌を失うことはない、
心に欲心がなければ、義理をおこない、
心に私心がなければ人を疑わない。
心に驕りがない時は人を敬い、
心に間違いがなければ人を恐れない。
心に邪な考えがなければよい人物を育てられる。
心に貪りがなければ人にへつらうこともない。
心に怒りがなければ言葉は穏やかで、
心にこらえる気持ちがある時は何事も叶う。
心に曇りがなければ心は静かであり、
心に勇気があれば後悔することはない。
心が卑しくなければ人に望むことを好まず、
心に孝行の気持ちがあれば忠節の心もまた厚い。
心に自分を誇る気持ちがなければ、人の善をよく知ることができる。
心に迷いがなければ人を咎めない」
「男の禅」童門冬二著青春出版社より
上杉謙信こそ、仏教の禅者であり、実践でした。直江兼続など多くの部下を育て、上杉家は滅亡することがありませんでした。童門冬二著「男の禅」をぜひ読んでください。女性も必読の書です。
心を覆うものが、清浄を汚辱に塗り替えてしまう。覆うものは、我が心の中にある。悲しいかな病める我が心よ、先人の歩んだ道を見よ。あとをついていけば、何とかなる気がする。
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