地球といういのちについて
週末を利用して、熊本の友人と会うために、大分県九重の飯田高原長者原に行った。登山口から見る三俣山の紅葉は、山の木々がつくりだしたこの世界のすべての色がちりばめられ、絶妙のコントラストとバランスで、世界のどの名画もかなうものではないと、時間を忘れ、呆然とたちすくみ、眺めることができました。
この日、私が通っている東京国際仏教塾の同期の塾生である熊本の山口氏とお会いし、キャンピングカーの中で、「仏教とは、信仰とは」と語りあいました。夜中に外に出て、空を見上げると、満天の星空で、天空にすきまもなく星たちがちりばめられていて、まさに地球上の私が、宇宙と一体となった瞬間でした。
九重の長者原にて、昼間は山々の紅葉の息吹を感じ、夜は静寂の中で、天空の星空を見ると、宇宙は生きていて、地球は生きている実感をあじあうことができました。仏教の中に、ご浄土(極楽あるいは天国)という見たこともない世界に行けることを語られていますが、実はこの世、今生きている地球上にこそ、ご浄土があり、天国があると言えます。地獄もまたこの世にあるのです。私たち地球上の生物すべてが、この現実のなかに、天国も地獄もあることを気づかずに生きているのです。
今朝、YOUTUBEで、NASAが地球が奏でる音を発表していましたので、聴きましたが、まさに生きている地球の声であり、おはようと言っているようにもあり、もの悲しくもあり、透き通って、宇宙に静かに響きわたるいのちの声でした。私たちは地球という生きてものに上に住まわせていただいていることを忘れてはなりません。地球は人間の所有物ではないのです。
5時半に起床し、座禅をすると内なる私は静寂に浸り、いのちに感謝するのです。少しづつ自然の音が聴こえてき、周りがだんだん明らむ頃、人々の歩く音、飯ごうを準備する音が聞こえてきます。
そして、三俣山の山頂にのぼった太陽は、まさに神々しく、見ることができないほど眩しく燦然とした輝きを放ってきました。まさにいのちの放射です。太陽の光りと熱こそが、地球と私たち生物にいのちを与えてくれるのです。宇宙と地球上のいのちへの感謝こそ、信仰ではないでしょうか。生きとし生けるものすべてに感謝を捧げます。 別府武志より
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