2013年1月31日木曜日

成功哲学ーブツダの教えーこころを見守る

 おはようございます。
お釈迦様は、こころについて、何度も何度も述べています。こころは確かに脳で考えていることでありますが、悪いことを考えて、人は他人の物を盗んだり、殺人まで犯すということをします。現実におきていることを見ると、人間の否定的な側面をみてしまいますが、むしろそうでない人たちのほうが圧倒的におおいことは事実であります。健全な人のほうが多いと思うのですが。

私は、就寝前と早朝に、お香をあげ、座禅を組みます。それはこころを静めるためです。私のこころは現実の生活のなかで、外の刺激と考えていることに左右されるからです。座禅は全身の力を抜いて、丹田の呼吸に集中すると、さわやかの気分になるのです。線香を使いますが、空気を清浄にするためです。約20分ほどの時間、座禅します。お釈迦様はこの座禅の姿勢がもっともよいと言われています。

一筋にたちのぼるお香


中村 元先生の「真理のことば」(岩波書店)よりダンマパダ(法句経)35・36より

「心は、捉え難く、軽々とざわめき、欲するがままにおもむく。
その心をおさめることは善いことである。
心をおさめたならば、安楽をもたらす。

心は、極めて見難く、極めて微妙であり、欲するがままにおもむく。
英知ある人は心を守れかし。
心を守ったならば、安楽をもたらす。」

心はうつろいやすく、欲望のおもむくままに、気ままにゆれうごくのです。こころに振り回されてはなりません。こころの手綱をひくものが、本当のおのれの自身、真人なのです。ですから真人を強めるなければならないのですが、これが仏教では、仏性と言っているのです。キリスト教では霊性と言います。

仏性はおのずと備わっているものですが、金剛石(ダイヤモンド)も磨かなれば輝かないのと同じように、こころも磨かなけば、仏性もあらわれてこないのです。聖書に「あなたのこころを見守れ、いのちの泉はここから湧く」とあるように、中村元先生は、「引きずり回せれないように、心を守りなさい。ほんとうの意味の智慧のある人は心を守りなさい。それによって、ほんとうの意味の安楽が実現されるというのです。」と書いています。









2013年1月30日水曜日

成功哲学ーブツダの教えーつとめはげむこと

 おはようございます。
毎日、毎日いろんなニュースが飛び込んできます。資産家夫婦の遺体が発見され、容疑者が逮捕されたとか、日本女子柔道の監督が、暴行暴言で告発されていたとか、ひっきりなしでテレビに流れます。世の中で隠されていた悪しきものは必ず明るみに出ることを物語っています。

昨日に引き続き、中村 元先生の「真理のことば」(岩波書店)より、お釈迦様がお話したなかに、「つとめはげむこと」を書いていますので、じっくり読んでいただきたく思います。

「つとめはげむのは不死の境地である。
怠りなまけるのは死の境涯である。
つとめはげむ人々は死ぬことが無い。
怠りなまける人々は、死者のごとくである。
このことをはっきりと知って、
つとめはげみをよく知る人々は、
つとめはげみを喜び、聖者たちの境地を楽しむ。」ーダンマパダ(法句経)21・22ー

この世に生きている時間はかぎられています。そのかぎられているこの世で、自分がなすべき使命で生きている人こそ「不死の境地」なのです。

それにくらべ、なんとなく働き、給料をもらい、ごはんをたべ、排泄をし、呼吸すら意識せず、なすべきこともなく生きているひとは、「死の境涯」にあると言っているのです。老いても健康に留意し、自分のなすべきことをもち、理想の実現のためにいきている人々もたくさんいます。

だから、無目的、無目標で生きている人、いつも怠けている人は、生きているようであるが死んでいるがごとくであると言っているのです。

そうならないように自覚して、理想とする目的や目標の達成のために、つとめはげんでいる人は、その尊い使命が実現されるのです。そして、「聖者たちの境地」を楽しむことができるのです。

ブツダの教えを、「成功哲学」として皆さんにご紹介しているのは、あらゆる成功哲学の本を読んできましたが、成功という真理は、お釈迦様の言葉にあるからです。

生きること、生きていること自体が、終わりなき人生の修行なのです。このように謙虚な心で正しく生きていることが、実はさとりなのです。自然界でも動物界でも、この法則はかわらないのです。


ダンク2歳のときの写真ですが、凛々しいですね。



我が家にダンクという犬(ミニチュアピンシャー)が居ましたが、昨年6歳7か月で悪性リンパ腫でこの世をさりました。ダンクは数十メートル離れていても、誰かを見分ける耳を持っていましたし、見知らぬ人から、この家を守ってくれました。裏に住んでいる警備のお仕事をされている方から、よく働くねと褒められた犬です。ダンク(ドイツ語で感謝と言う意味です)は自分の使命を働き通したのです。感謝します。

2013年1月29日火曜日

成功哲学ーブツダの教えー

 おはようございます。
九州の湯布院では氷点下8度とか、寒さが続くこのごろです。山荘無量塔の社長さんより、お葉書をいただきましたが、冬は、山のなかの温泉宿でゆっくり体を温め、こころを休めるのもいいですね。最近は、トレッキングするお客様(中国や韓国の方も)が増えているとのことで、今年のトレンドのキーワードは「ロングトレイル」が一位だそうです。各地の自然や史跡を歩いて見て周る滞在型のトレッキングですね。

霜がふる春をまつ草木




お釈迦様の言葉を集めたもので、「ダンマパダ」(法句経)という人生の指針が書いている原始仏教聖典があります。

その「ダンマパダ」の一章、二章で、ー中村 元著「真理のことば」(岩波書店)よりー
「ものごとは心にもとづき、心を主とし、心によってつくり出される。もしも汚れた心で話したり行なったりするならば、苦しみはその人につき従う。-車をひく(牛の)足跡に車輪がついて行くように。(一)

ものごとは心にもとづき、心を主とし、心によって作り出される。もしも清らかな心で話したり行なったりするならば、福楽はそのひとにつき従う。-影がそのからだから離れないように。(二)」

と対句で書いています。ナポレオンヒル博士の「成功哲学」(産能大学出版)が有名ですが、「思考が現実化する」と書いていることなのです。すでに2500年の前にお釈迦様はそのことを言っているのです。

こころが、幸せも不幸も作っていますし、成功も失敗もこころが作っているのです。中村天風先生が言うように健康であるかどうかも心の状態が作っているのです。消極的な思いは病をまねきよせ、積極的な思いは、いのちがよみがえるのです。

成功哲学ということで、仏陀の教えを書いているのは、すでに真理は明かされていることをお伝えしたいからです。読書嫌いの方も、私のブログを読みつつければ真理をしることができます。聖書のなかに「ヨブ記」というヨブの家族が災難に遭い、ヨブ自身が腫瘍におかされることを書いている記事がありますが、ヨブの災難は不幸がおとづれるかも知れないと思ったところから始まっています。

ですから、座禅をして心を静め、「いつも喜んでいなさい、たえず祈りなさい、すべての事に感謝しなさい」(聖書)と言葉にだし、積極的な本を読み、前向きな目標と行動計画を立て、実行していくことが、福楽な生活を送ってゆく方法であり、成功に満ちた人生は、あなたが考えた価値ある目標によって決まるのです。

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2013年1月28日月曜日

体罰と教育ー「咸宜園」に学ぶー

 おはようございます。
日曜日の各局の報道番組で、大阪市立桜宮高校の体罰の問題が取り上げられていましたが、いかなる指導や教育のなかでも、体罰は許されないし、何の効果も生み出さないことを日本人全員が認識しないといけません。指導上、少々の体罰は許されるとかいう考えで教育する時代は終わったのです。ヨーロッパではすべての国で体罰をつかった指導や教育は禁止されています。

教育の大事なことは、自分で考える力をつけてあげることで、勉強もスポーツも日々、反省し、改善点を見つけ出し、それを乗り越える努力をすることを教えてあげることです。叱られるから勉強するとしたら、結果的に不幸な人間関係になり、学校も家庭も崩壊するのです。

たとえば、親が勝手な理屈で、しつけのために子供に体罰(虐待)を加え、死にまで至らしめる事件が後を絶たないのは、家庭のなかでも体罰が許容されている感覚があるからです。この次元から日本人も卒業しないと豊かな感性を持った人間は育たないのです。

昨日、大分県日田市で廣瀬淡窓先生が創設した「咸宜園」を、水戸市の「弘道館」足利市の「足利学校」と一緒に教育遺産として世界遺産登録へ向けての運動して、市民フォーラムが開催されました。



「歴史と森と水を活かした未来環境創造」というテーマのパネルディスカッションがありました。江戸時代から明治時代にかけて6000余名の若者たちが、咸宜園に学ぶために遠くは今の青森県からも入塾してきた理由は、簒奪法(身分、学力、年齢を除く)や月坦表(等級学習)による平等主義に基づいた教育があったからです。

それ以上に、廣瀬淡窓先生は、日田市郡内70ヶ所ものコースを作り、今でいう遠足でしょうが、塾生をつれて野山をトレッキングし、自然に触れさせ、自然の営みを学ばせ、そして漢詩を作らせたりして、感性を育てていったのです。いじめなど起きるはずがありません。

まさに教育の原点はここにあるのではないでしょうか。咸宜園は塾生募集など一切していませんし、すべて塾生の口コミで集まってきたのです。親御さんたちは、人から聞いて納得して学費を持たせ咸宜園の行かせたと思います。

現在の教育現場が制度疲労をおこしているのは厳然としていますので、これは広く衆知をあつめ改善することと同時に、国民ひとりひとりが体罰やいじめなど、いまこそ教育とは何かを深く考えるべき時だと思います。


2013年1月25日金曜日

アルジェリアからの帰国ー「修証義」を学びつつー

 おはようございます。
羽田空港に無事であった7人の方と亡くなられた9人の方を乗せた政府専用機が6時48分に、あさもやのなか、暁(あかつき)の太陽を背に到着しました。「おかえりなさい」とテレビを見ながら思わず合掌しました。

亡くなられた方のお母さんのお話のなかで、アルジェリアに行くことが決まった息子に「そんな遠くの国に行って大丈夫」と言ったら、息子さんが「親より先に逝くようなことはせんから心配せんでええ」と言っていたが、こんなことになって、家に帰ってきたら「私の子供に生まれてきてありがとう」と言いたいとお話していました。思わず涙が出てきました。心よりご冥福をお祈りします。

青松寺の境内にある生まれたばかりの釈迦像です。

生まれて、「天上天下唯我独尊」と言われたとのことですが、「天にも地にもかけがえないただ一つのいのちである」という意味です

道元禅師の「修証義」の最後の章は、「行持報恩」です。行持とは、仏の心を持つ修行の持続と言う意味です。中野東禅先生は、「あなただけの修証義」(小学館)で、次のように書いています。

「さとりを求める心(発菩提心)は
この人間の世界でこそ起こすべきものだといいます。
仏や教えに出会うことは難値難遇であるから、
この仏縁を喜ぼう、法を説く真実の人は外見で
選んではいけないといいます。
そして、その仏縁を感謝する方法は、毎日の生活で
仏の心を実現していくことだと言います。
そして、無益に百年生きたとしても、一日真実に
生きたら、その百年も真実になるといいます。
そして、現実の日常で自我を差し挟まない仏心(即心)
の時、そこで仏は確かめられているというのです。」

「病雀なお恩を忘れず三府の環能く報謝あり、窮亀なお恩を忘れず、余不の印能く報謝あり。畜類なお恩を報ず、人類意いかでか知らざらん」の文は、すずめもかめも恩をかえした。ましてや人間というものがどうして恩をしらないということがあっていいのでしょうかと問いかけているのです。

道元禅師は、道理とは自分の欲望のために使わないで、無心無我で働くことから仏心を行い保つことだと言っているのです。「光陰は矢よりもすみやかなり、身命は露より脆し」だから「諸仏の行持なり。」

「釈迦牟尼仏これ即心是仏なり、過去現在未来の諸仏、共に仏と成る時は必ず釈迦牟尼仏となるなり、是れ即心是仏なり、即心是仏というは、誰というぞと審細に参究すべし。正に仏恩を報ずるにてあらん。」

あなたのあるがままのこころが仏であり、注意深くきめ細やかに学び工夫することが仏恩に報いることだと言っています。感謝なことです。

一度、この「修証義」を声をだして読んでみませんか。「初めての修証義」(四季社)、「あなただけの修証義」(小学館)、「曹洞宗のお経」(学研)、「修証義に聞く」(潮文社)などをご紹介します。

























2013年1月24日木曜日

危機管理ー「修証義」を学びつつー


 おはようございます。
アルジェリアから次々と悲報が飛び込んできます。犠牲になられた息子さんのお母さんが、「息子が早く来て抱きしめてほしいと言っているようだ。早く行って抱きしめてあげたい」と涙ながらにお話していました。

悲しみにうちひしがれているお母さんを思うと、ブログを書けなくなります。しかし日本国民の一人として同胞の死を無駄にしてはならないと思います。

「永遠なる仏よ アルジェリアで亡くなられた方々の魂の痛みを あなたが慰めてください。あなたの懐で抱きしめてください。つらい魂の叫びを聞いてください。また亡くなられた方々のご家族を慰めてください。どうぞ生きる力をお与えください。」

青松寺での一輪の花を祈りとともに捧げます。



このグローバルな世界において、多くの日本人が他国の国民のためにも働いています。日本と日本人がグローバルゼーションの中で生きていくには、世界の人の宗教と文化を知ることと、常に危機意識を持って、危険な出来事に巻き込まれないように、準備しておかなければなりません。

私は、東京に出張に行くときは、必ず太陽光発電のラジオ付ランタンを持参して行きます。それはもし、地震などの災害にあった時、地方から出張に来た人は、どうして良いかわからない状況になると思うからです。緊急事態に対応するための道具で必要だからです。

日本政府及び個人が準備しておくべき危機管理を考えて見ました。一、政府がすべきことは、常時、外務省と防衛省と共同で情報収集活動専門官を配備し、治安状況の情報を把握し、的確に報告し、渡航禁止退避勧告をすること。自衛隊法の改正を早急にして、邦人のいのちと安全を守ることです。

二、進出企業がすべきこと、外地駐在員のなかに、渉外専門員を配置し、常にその国の政府関係者や日本国大使館員との連絡・報告を密にすること。危険の度合いを書き出し、危険を察知したら現地から撤退させることです。

三、世界に出ていくビジネスマンや技術者の皆さんは、特にイスラム圏への派遣のある可能性がある方は、東京にイスラム協会がありますので、イスラム教を学ぶと同時に、イスラム教の指導者にイスラムの友である証書を発行していただくことです。(外務省が教会にお願いに行っておくこと。)場合によっては、イスラム教に改宗しておくことも必要かもしれません。


そんなことを考えつつ、道元禅師の「修証義」を読みなおしました。第四章発願利生で、「其の形 いやしというとも この心をおこせば、すでに一切衆生の導師なり」と言っています。つまり痛みの心ある人はすべての人の先生ですという意味です。生きてゆく願いは苦しみや悲しみのなかにしか出てこないのです。その時に仏心が働くのです。

人々を助けるには、四つの智慧の実践があると書いています。布施と愛語と利行と同時と言っています。つまり人のためになる行いをし、できる施しを愛あることばをかけて、こころと行動を共にして行い、導くということです。

私たちは悲しいけれど、憎むのではなく、愛語を持って、他国の人々のために尽くし、助け合うことが最上の方法なのです。世界の人々が、お互いがお互いの宗教や文化を認めながら、生きてゆくことです。世界から銃がなくなることを誰もが望んでいるのです。武器を捨てよ!


2013年1月23日水曜日

アルジェリアの犠牲ー「修証義」を学びつつー

 おはようございます。
私たちは、こうして朝をむかえ、生きていますが、多くの同胞がアルジェリアの犠牲になりました。テロリストとアルジェリア政府軍の犠牲になったのです。異国の地で亡くなられた方々のご冥福、魂に安らぎがもたらされますようにと心よりお祈りします。

30年ほど前、アメリカの政治経済学者のフランシス・フクヤマ氏の「歴史の終わり」が、ベストセラーになりました。民主国家が増え、戦争などが回避できる歴史の終焉を迎えるという内容だったと思いますが、希望はありましたが、違和感も持っていました。

その違和感は、人間がこの地球上で進化し、人類の発展のための存在しているのですが、それぞれの民族や国家の思惑や宗教上の対立を残したまま、歴史は年を重ねていっているからです。宗教上の対立といいましたが、実は人類の歴史のなかで、宗教も互いに交流し進化していっているのです。そのことを教えることで、対立ではなく、共存が生まれることを信じていますが、テロリストとは、破壊的カルト集団なのです。私はオサマビンラディンの話を聞いたとき、カルト宗教だと思いました。

世界の教育の現場で、宗教をタブーにしないで、学ぶ機会を与えないと、一つの宗教、価値観しか知らない若者がカルトに巻き込まれてしまうのです。日本国内でも破壊的カルト集団オーム真理教によって、多くの方が殺され、犠牲になり、今も苦しんでいますが、文部科学省及び教育の現場では全くその後の対応をしていないのです。教師が宗教を知らないのです。日本では信仰のない教師たち数千人が鬱病にかかっているのです。

「ひとりのいのちは、地球より重い」ということばが、歴史のなかで風化していくと、民族的な国家的なエゴがむき出しになってきます。ひとりひとりの人間は善良にみえても、集団で人殺しをするのです。仏陀釈迦やイエスキリストがなげかけた言葉を世界の人が共有できないと、この悲劇が続くのです。

日本人は世界に出ていかなくてならない現実が今日厳然としてあるのです。このようなアルジェリアの犠牲が起きないような対応が必要ですし、起きた時に自国の国民のいのちは、自国のものが救い出す手立てを整えておかなければならないのです。

日本は新たなパワーゲームの中に組み込まれて行っていますし、いわゆる楽観的な平和主義ではとても解決できない状況があります。アメリカで、罪のない人が亡くなる事件がなんどもなんども続いても、銃規制ができない現状は、世界の縮図ではないでしょうか。

20日は、どうすれば人間は救われるのかと考えつつ、東京国際仏教塾での中野東禅先生の「修証義」の講義を聞いていました。この「修証義」のもとは、「正法眼蔵」であり、道元禅師によって書かれたものです。道元の出家は、3歳で父親を亡くし、8歳で母親を亡くしたことが大きく影響しているといわれています。

「生を明らめ死を明らむるは」で始まる「修証義」は、なんどもなんども読み返さないと、なかなか腑におちてこないのです。最初に生と死の意義を明らかにすることが一番大事だと言っているのです。

この宇宙も、地球も、地球上の大自然、大地、草木、すべての生きとし生けるものは、仏の働きを生きているし、縁が生じ、その恵みに感謝するとき、生かされているのです。肉体的な死が訪れ、魂が仏のみもとに集うとき、殺戮をくりかえした魂は、その犠牲になった魂にどう言うのでしょうか。

死がすべての終わりでないと信じるべきだし、そうであれば人殺しをした魂は暗黒の世界にあると思います。あの世から戻った方はいませんが、信仰をもっている人と持っていない人の臨死体験をインタビューしたら、歴然とした違いがあったそうです。どういう違いか想像してみませんか。

2013年1月22日火曜日

座禅修行ー萬年山青松寺にてー

 おはようございます。
1月の東京国際仏教塾曹洞宗コースの初日(19日)は、東京都港区愛宕山にある萬年山青松寺での中野東禅先生のご指導による座禅修行でした。青松寺は、文明8年(1476年)に創建された曹洞宗の由緒ある寺であり、禅道場です。

近くに、浄土宗の芝増上寺があり、浄土真宗の築地本願寺など徳川家康が徳川幕府を開いたときに、京都や大阪にある各宗の本山を、宗教団体を管理するために江戸に作らせたのでしょう。それぞれに立派な寺が創建されています。

萬年山青松寺の山門


山門で合掌し、階段をのぼり、中にはいると本堂が正面にあり、


左右に、禅道場があります。




本堂に向かって右に鐘楼があり、静かなたたずまいです。




写真がいいでしょ。残雪のなか、趣がありますよね。(地元新聞の中西さんが昨日来てくれて、故障?していた写真添付を直してくれました。感謝です。)

朝課(お経をあげます。)をし、道元禅師の「普勧座禅儀」を唱え、道場へ向かい、禅定にはいりました。曹洞宗の座禅は「只管打座」といい、ひたすらに座禅するのですが、腰の位置が悪いともちません。注意するところは、姿勢と呼吸です。静かに下腹(丹田)で呼吸するのです。

とした姿勢で、結跏趺坐か半跏趺座で座禅にはいります。大きく一呼吸して、丹田の呼吸に集中して、禅定に入ると、この世の妄想から心身を解き放ち、心が安らいできます。「こころの静寂」が得られるのです。

午前中は、中野東禅先生より姿勢のご指導と警策をいただき、感謝な禅修行でした。そして午後からも座禅にはいり、経行(集中して、半歩づつ進み、冥想します。)をし、三度目の座禅にはいりました。一年に何回かはこのような禅道場に来るのもいいですね。

座禅は、かといって禅道場だけでするのではなく、毎日、朝起きて、夜寝る前に5分か10分でもすると、体の健康と心を調えるためにとってもいいですよ。「こころが大きくなる座禅のすすめ」中野東禅著(知的生き方文庫)が読みやすく参考になります。

また禅修行そのものは、座禅のみならず、掃除することや、食事することも、すべてが禅修行なのです。毎日が修行なのです。特に「掃除に学び会」でのトイレ掃除はこころが洗われ、東司(とんすと読みますが便所のことです)が清浄な空気に包まれます。感謝なことです。















2013年1月21日月曜日

増上寺ー祈りの旅ー

 おはようございます。
東京国際仏教塾の曹洞宗コースでの修行のために、東京・千葉に行きましたのでレポートしたいと思います。18日、九州北部は昨日からの雪のため、高速バスは運休で、久しぶりのJR久大線で、博多駅まで出ました。

JRの車窓より、外を見ると、うっすらとした雪化粧に、朝の日差しがまばゆく、日田盆地から筑後平野の原風景が、幼き頃を思い出させくれました。静かに心のなかで、旅の無事を祈ると、二句、浮かんできました。

「朝もやの 雪の景色を とおりゆく」
「陽がのぼる まばゆい雪に 清められ」

東京について、芝にある浄土宗の増上寺に拝観に行きました。浜松町駅から歩いてくると、威風堂々した大門を見えます。

増上寺大門



増上寺の山門に一礼し、本堂に向かいました。若い人の参拝客も多く、宗教を意識せずに日本人の心の中に仏教が息づいているなと感じました。人間、自然に手を合わせることが幸せなのです。
本堂内にて阿弥陀仏と法然上人へのお祈りさせていいただきました。

増上寺山門



増上寺本堂と境内



この増上寺の隣に、徳川家康を祀った芝東照宮があります。息子の婚約の報告と結婚のお守りをいただき、幸せになるようにとお祈りしました。江戸時代は増上寺と一緒でしたが、明治にはいり、神仏分離で別々になったとのことでした。

芝東照宮


大門の手前より、右に入っていくと、芝大神宮があります。なかなか立派なお社でした。二礼二拍一礼でお祈りしました。

芝大神宮






2013年1月17日木曜日

大島 渚監督を追悼します

 おはようございます。
大島 渚監督が、80歳でその生涯を終えました。「愛のコリーダ」など衝撃的な作品を発表し、その生きざまを尊敬していました。17年前に脳梗塞に患い、奥様小山明子さんの献身的な介護に支えられ、一度は回復しましたが、長いつらい病闘生活を送っていたようです。大島渚監督のご冥福を心よりお祈りいたします。

奥様の明子さんは、「ご苦労様でした。もう病気の心配をしなくていいね」と言って、手を取り合ったとのことです。奥様が17年も介護をしてきたことは、全国でご両親や伴侶の介護を続けている多くの皆さんに勇気と慰めを与えてくれました。奥様に「ありがとうございます。お疲れ様でした」と申しあげたいと思います。

記者会見で「つらいときもあったが、家族や友人の支えがあったからやってこられた」とお話していましたが、高齢化社会のなかで、人は病に侵され、死が忍び寄ってきます。心を鍛え、ウォーキングや体操などをして、健康を維持することで病気にならないようにすることと、いつ病気や死が訪れてもうろたえないように、「心」をととのえておくことが大事だと思います。

熟年離婚などと騒がれている今日、人への思いやりやいたわりを失くした人が、最後に息をひきとるとき、「ありがとう」と言えないとしたら、ご浄土にいくことは難しいのでは思います。なぜなら死の直前にその人の思いが、天国か地獄かを決めるからです。団塊世代と言われた人たちも、いわゆる林棲期、遊行期を迎えていることを覚らなければなりません。

大島渚監督と小山明子さんの真珠婚式パーティで、昭和の「忠臣蔵」よろしく、浅野と吉良の「松の廊下」での刃傷事件に匹敵するような、作家の野坂昭如氏が、酒で酩酊し、監督を殴り、監督も殴り返すという破廉恥を大衆の面前で起こしました。その時の映像がテレビに出ましたが、奥様の小山明子さんは、中にはいり笑顔で野坂昭如氏を止めていました。やはり女性は偉いなと思います。江戸時代も奥さん同伴にしていたら、松の廊下事件はおきなかったと思います。「忠臣蔵」がなくなるから映画会社がこまるかもしれませんね。

民主主義国家のバロメーターは、大統領やその国の首相が奥さんを大事にしているかどうかで測れるのではないでしょうか。ところで、芥川賞に、75歳の黒田夏子さんの「abさんご」が選ばれました。これも高齢者に勇気を与えてくれました。人生の時間で、無駄な時間は一切ありません。どんな仕事でも死ぬまでできると思いました。それよりも黒田さんの齢を感じさせない若々しさにびっくりしました。

明日から日曜日までは、東京国際仏教塾での学びと修行に行ってきますので、ブログはお休みします。芝の青松寺での座禅修行などのご報告を来週は書きたいと思います。こうご期待ください。

2013年1月16日水曜日

「教育」とはー長三洲先生に学ぶー

 おはようございます。
大分県日田市で、「長三洲遺墨展」が1月11日~20日まで開催されていますが、昨日は先哲歴史講座で「長三洲と明治学制」というテーマで、郷土史家の中島三夫氏の講義がありました。地元の中学生も参加し、会場は満席でした。市の教育委員会がこのような機会を中学生に与えるのは、まさに学校教育の良き一環だと思います。

長三洲先生の10歳のときの詩ですが、すごいですね。

「寂寞(せきばく)たる南岫(なんしゅう)を上(のぼ)れば 
雲(くも)を穿(うが)って一径(いっけい)斜(なな)めなり
雨(あめ)寒(さむ)くして人見えず 
五月(ごがつ)石楠(しゃくなげ)の花」

私達の頃は、受験、受験で郷土の先哲を学ぶ機会はありませんでした。修学旅行もない時代でした。長三洲先生は、廣瀬淡窓先生の咸宜園に門をたたきますが、貧しかったため入門できず、15歳になって入門し、いわゆる丁稚奉公をしながら勉強し、「宜園の三才子」と言われて、「神童」と評されました。咸宜園を去り、再度22歳で廣瀬旭窓先生の大阪咸宜園に入塾し、毎朝2時より、学問と修練に励み、塾生たちとの交流も深めてきました。

その後、長州藩に迎えられ、高杉晋作が騎兵隊を結成するとこれに応じ、各地での戦火を交え、九死に一生をえながらも九州の勤皇家と組み、薩摩藩の西郷隆盛などと薩長連合に働きました。幕末の時代を駆け抜けた彼を思うと、私の学生時代を思い出します。

まさに1965年頃から1970年が幕末に匹敵する時代であったと思います。全共闘運動(1968~1969)という学生運動が盛り上り、当時の若者たちが、弊害化した教育制度に対して学問とは何か、あるいは自由とは、民主主義とは、そして唯物論や宗教を真剣に考え、問いかけた時代であったと思います。この昭和の幕末をのりこえ、若者たちは高度成長という昭和の原動力になったのです。

今、維新などと坂本竜馬の「船中八策」を持ち出して、「維新八策」などとマスコミ受けするような言動で、政治に参画するのはなく、これからの日本と世界を見据えた若き政治家が登場してくるのを応援したいと思っています。

日本維新の会はまだまだ勉強不足と人材がいないので、憂慮しているだけで非難しているのではありません。今後、日本の政治の一角を担ってほしいと期待しています。

ところで、長三洲先生は、維新政府の要職を務め、「廃藩置県」を実現に導いた「新封建論」を草稿し、近代教育の出発となった「学制」の基となる「学制五篇」を起草しました。また明治天皇の書の教師を務め、習字の教科書の手本に採用されました。

長三洲先生の教育への考え方は、廣瀬淡窓先生の咸宜園の教育方針から来ていいます。

①塾生をその身分・年齢・学歴で差別しない平等主義
②門生各人の個性と才能を活かすことを基本とする個性尊重主義
③学力を厳格に成績によって評価する実力主義
④学問の実用重視・塾の共同生活での職務分担を通じて学ばせる実学主義
⑤詩作を奨励し人情の陶冶を図った情操教育
                          「廣瀬淡窓」深町浩一郎著(西日本新聞社)より

今の教育現場においてもこの5つのことを理解し、実践するなら、大阪の体罰事件などおこらないし、子供がいのちを失うこともないし、各地のイジメの問題も出てこないと思います。廣瀬淡窓先生や長三洲先生が実践した教育を取り戻せば、日本および世界を背負う若者が出てきます。取り戻そう教育!これって安倍総理のフレーズかな。咸宜園の世界教育遺産運動を盛り上げ、この機会にみんなで「教育」を問い直そうではありませんか。

20日まで長三洲遺墨展がパトリアであっていますのでぜひ見られるといいですよ。すばらしい「書」です。尚、1月27日13時半~、日田市中央公民館にて「世界教育遺産フォーラム」があります。


















2013年1月15日火曜日

ご成人おめでとうーブツダの教えー

 おはようございます。
13日、14日に全国各地で、成人式がおこなわれました。インタビューなどで成人になった方の声を聞くと、夢があふれ、嬉しそうでいいですね。気になったデータは、関心があることの第一位はお金、二位は健康、三位は時間でした。長引くデフレ不況で、給与が上がらないことや、若年者の非正規雇用が多いことが、お金の不安をもたらしていると思われます。

そして、中高年ならいざ知らず、健康が二位とは、どういう意味でしょうか。たぶん、心身共に健康であることを願っているのでしょう。10代~20代の自殺者が、韓国では世界第二位になっています。キリスト教も仏教も盛んな国ですので、意外な気がしましたが、先進国病で、先が見えないこともあるのかもしれません。

三位は、時間とのことですが、情報化社会で、メールやSNS(ソーシャルネットワーク)が飛び交い個人の時間が奪われているのかもしれません。若年の自殺者が多いといううことは、このようなSNSの発達がかえって健全な精神を保ってないのかもしれません。

かねてより、我が国の成人年齢の引き下げを提言してきましたが、世界では、イギリス、イタリア、スイス、ドイツ、フランス、ロシア、アメリカ(州別)、オースラリアなどでは、18歳ですし、プエルトリコ14歳、キリギスタン16歳です。日本は、そうとう世界に遅れているのです。

今年の成人の日を機会に、成人年齢を引き下げる話は、メディアでも政府でも全くでてきませんでしたが、若者が政治に関心を持つことの重要性が今の時代こそ最もあるのです。成長戦略など景気浮揚策、原子力発電などのエネルギー問題、年金などの社会福祉政策など、もっとも影響がある若者の投票率が低下している原因の一つが20歳の成人制度です。

中学・高校の社会科で、国の仕組み、制度などをしっかり教え、その時に政治への関心を高め、選挙への投票権を認めないと、大学ではそのようなことを学ぶ機会はありませんし、高卒で就職した人たちは、仕事を覚えるのが先決で、余裕がないのです。高校3年生で、選挙権が与えられると政治への参加意識が植え込まれるのです。若者の投票率があがるのが困る政党ばかりなのでしょうか。真剣に議論していただきたいと思います。

東京にIVOTEという学生のグループがあり、若者の投票率を調査して、投票率が上がるように呼びかけたり、投票所を携帯で案内したりしています。このような若者が、ボランティアでいろんな努力をしています。安倍総理もITを使った選挙活動を認めることを検討していますが、良いことです。そして日本も40歳くらいの総理大臣がでてくるようになって初めて民主主義国家になるのではないでしょうか。


二千五百年前、ブッダは多くの若者に教え、育てました。インドも経済の急成長で、こころの教育がなおざりになり、若者の婦女暴行などが多発しています。いまこそ、仏陀の教えにかえるべきです。

中村 元先生の「真理のことば」ーダンマパダ(法句経)ーより

「ものごとは心にもとづき、心を主とし、心によってつくり出される。もしも汚れた心で話したり行ったりするならば、苦しみはその人につき従う。-車をひく(牛の)足跡に車輪がついて行くように。〔一〕

ものごとは心にもとづき、心を主とし、心によってつくり出される。もしも清らかな心で話したり行ったりするならば、福楽はその人につき従う。-影がそのからだから離れないように。〔二〕」

こころの状態がすべてを生み出します。病気も健康も、貧困も豊かさも、人間関係も、家庭生活も、仕事も、すべてあなたのこころが生み出しているのです。これが真理です。

聖書では、「あなたのこころを 見守れ いのちの泉は ここから湧く」とキリストが言っています。こころとからだ、こころと生活、こころと人間関係、すべてこころと一体なのです。

あなたのこころを落ち着かせ、こころを清め、宇宙からの豊かな恵みをいただくために、あなたは静かに座り、瞑想するのです。朝、顔を洗い、歯を磨くように毎日、少しの時間で結構ですから、習慣にしてください。そうすればあなたの人生は大きく変わります。

座禅や瞑想の仕方を知りたい方は、別府総合研究所のHPのお問い合わせを使ってお知らせください。直接わたしへのメールでもかまいせん。E-mail:beppu1717@mint.ocn.ne.jp

2013年1月11日金曜日

淫乱癖はなおるのかーブッダの教えー

 おはようございます。
皆さんからのご要望にお応えして、「よろず相談室」を開室して、ご相談を聞いておりますが、一番多いのは、夫婦間のこと、二番目は子供のことなどです。夫婦間のことで、夫の浮気、不倫ですね。ダブル不倫というものもあります。

二度も、三度も、離婚しては、結婚する、また離婚するいわゆるバツ3などが増えています。また、会社内ですぐに手を出し、肉体関係を持ち、社内の風紀を乱し、仲間の仕事のやる気を失くしている輩(やから)がいます。何度注意しても治らないのです。

一つには、巷にはあふれている雑誌が、女性の裸を載せ、インターネットではなんでも見れて、檀蜜などいうタレントが出てきたり、不倫熟女などがもてはやされている現状を見ると、さにあらんやと嘆くのは、団塊世代だけでしょうか。いや団塊世代もあぶない人がたくさんいます。金メダリストの指導者が自分の生徒に手をだし、合意のうえだと開きなおっています。某国営放送の有名なアナウンサーが、電車内で痴漢をし逮捕されましたが、常習犯ではないかとさえ言われていますし、過去にも有名な大学教授が、いつも手鏡を持って、駅構内をうろついていて、社会的に制裁を受けています。このような人や行為を許せば、助長するのです。これが人間界なのです。

女性の読者が多いので、このことを書くのをためらいましたが、なぜこのようなことが起きるのか考えてみました。私の友人が、親父がよく遊んでいたので、「DNAはあらそえんもんね」と開きなおっている奴がいましたが、それで済む問題ではないです。まず不倫は違法行為ですから、懲戒処分の対象になりますし、社内風紀を乱す男女交際もしかりです。

そして、会社内の人間関係は最悪になり、家庭内では不和が起こり、離婚どころか殺人事件までもが起きているのです。ただ、淫乱癖のある人は反省をしないし、他人への思いやりがないので、なおりません。

世界的ベストセラーである「成功哲学」(産能大学出版部)を書いたナポレオンヒルは「人間の心は刺激で反応し、それによって情熱や、創造的想像力や、強烈な願望などの衝動が生まれるのである。この心に衝動をもたらす刺激の代表的なものは、次の十項目である。

1、セックス
2、愛情
3、名声、権力、お金、に対するおもえるような願望
4、音楽
5、友情
6、調和の精神で結合された協力者
7、社会的な迫害
8、自己暗示
9、恐怖
10、麻薬とアルコール  」

一番目にくるのはセックスだと言っています。昨日はモティベーションについて書きましたが、まさに 原初的なものに、いわゆる性欲があるのです。この性欲は小欲ですが、もっとも強烈な業欲なのです。性欲はもっともひどくて、ただセックスをしたいだけなのです。このような性欲に取りつかれている人を社内に放置しておくと大変なことになります。恋愛は純真にすべきことです。この本には、この強烈な性的エネルギーを転換し、大成功を収めた人や方法が書いていますので読んで下さい。

次に愛欲ですが、作家の瀬戸内寂聴さんは、この愛欲から逃れるためにも出家したとのことです。「寂聴の生きる知恵」(海竜社)をぜひ読んでください。「愛欲に取りつかれてたら、ものの道理も恥もすべて忘れてしまいます。ただ自分の欲する相手を自分のものにしたい、独占したい、という気持ちでこころがはりさけそうになります。もし競争相手が現れようものなら、嫉妬し、ねたみ、憎しみ、相手を殺したいとさえ思いつめます。」そして実際に奥さんを殺したり、愛人を殺したり、挙句の果てに情夫との淫欲を満足させるために、自分の生んだ子供さえ殺す事件が起きているのです。

ブッタはその解決方法を二千五百年前に弟子に教えました。(ウダーナバルガ2章)

「愛欲よ。わたしは汝の本を知っている。
愛欲よ。汝は思いから生じる。
わたしは汝のことを思わないだろう。
そうすれば汝はもはや
私のこころに現れないであろう。」

根本は人間の思いが生むものだから、思わないようにすれば消滅すると言っています。つまり、人のため、お客様のためになる仕事に集中していれば、邪悪な思いはでてきません。さぼっている人ほど、女の裸を妄想し、問題を起こすのです。

ユダヤ経やキリスト教では、三千年以上も前から、十戒のなかに、「姦淫してはならない」「隣人の妻を欲しがってはならない」という戒めが書いてあり、仏教でも不邪淫戒という教えがあり、自分の恋人や妻以外の人と交わってならないという戒律があります。古代から性欲は人間の欲望の根源であるからこそ気をつけなければならないと教えてくれているのです。

淫乱癖を治すには、一所懸命働くこと、女性や男性の裸の載っている雑誌やインターネットを見ないこと、そして心を鎮めるために座禅を5分でもよいからすることです。そうすると「寂静」という境地がえられます。詳しく知りたい人は、別府総合研究所のHPよりメールにてお問い合わせ下さい。



















2013年1月10日木曜日

体罰はしてはいけない

 おはようごございます。
新年が明けて、悲しいニュースが飛び込んで来ました。大阪市立桜宮高校2年生のバスケット部キャプテンの男子生徒が、自殺されました。彼のご冥福を心よりお祈りします。私も学習塾をしていましたし、子供の教育に関与してきましたので、著作である「生き方そして働き方」に学生期における子供の教育についてどうあるべきか書きました。(別府総合研究所のHPで、無料で読めます。)

また、 バスケット部の顧問の先生および校長先生や管理職の方(大阪市長と教育委員会)は、今後、全国でこのような事件が起きないように、重い荷物を背負い、真剣にこの事件と向き合って、解決策を出してほしいと思っています。

まず、体罰などという言葉があること自体がおかしいのです。何も罪がない人に、体罰という罰を行える権利はだれにもありません。教育指導上、行ったとしら、それは三流の指導方法といえます。また、校長をはじめ、このような暴力行為が、常習的にあったことを認識していながら、まさに顧問の教師に、是正指導をできない人たちも三流の教育者ではないでしょうか。

なぜ三流かを説明しましょう。モティベーション分野の世界的権威であるSMI創立者ポールJ・マイヤー氏は、モティベーションをあげるのに、三つの方法を人類はとってきたと言っています。スポーツの分野ではモティベーションを当たり前のように使うようになりましたが、モティベーションとは、目標を達成しようとする、動機であり、やる気であるわけです。

人類が使った最初のモティベーションは、恐怖によるモティベーションです。支配者は、自分に背くものを殺し、民衆に恐怖を植え付けて、支配したのです。そこからは恨みしかでてきません。たとえばスポーツの監督が、竹刀を持って指導しているのは、時代錯誤です。今回の事件の顧問の先生はこの恐怖によるモティベーションを使っていたから、三流です。セクハラやパワハラも、恐怖によるモティベーションなのです。絶対に使ってはいけません。

次が、報酬によるモティベーションです。目標が達成したら、報奨金などを渡すことですが、これは半永久的に使えませんし、それが植え付けられると、報酬がないと不平不満が発生します。これを使っている指導方法は二流なのです。ですから、一番目と二番目は、健全なモティベーションの育成方法とはいえません。二番目はある程度、必要なときもあります。

一流の監督・指導者は、パーソナルモティベーションを使います。学生時代、マラソンで有名な現在の瀬古監督を育てた中村清先生にお世話になりましたが、名伯楽と言われた中村清先生や、シドニー五輪金メダリスト高橋尚子さんを育てた小出監督などが一流と言われる由縁は、選手に自分で夢や目標をもたせ、やる気を引き出し、練習が楽しくなる、自主的に練習できるようになるように指導したからです。見渡せば、スポーツ界には多くのそのような指導者がおられます。

スポーツでも勉強でも、あるいは社会人になって仕事に打ち込むのも、大きな自分の夢や目標があるから頑張れるのです。自分がこうなりたい、こうしたいという潜在的な動機付けこそ人々を目標の達成へと駆り立ててくれるのです。それをうまく引き出してあげるのが、指導者や管理者なのです。

この顧問の先生は、自分の指導方法にマヒし、自分をおさえられない感情の持ち主になってしまっていたのでしょう。それを指導・是正するのが、教育委員会や校長先生たちの役割であるのに、事なかれ主義で、ごまかそうとします。体罰というやってはいけない暴力行為で、ひとりのいのちがうしなわれたのです。この事件やいじめと、日本人すべてが向き合うべきです。

また、重大な過失は、罪のないひとに罰を科したことです。罪があるとしたら、亡くなった生徒さんではなく、先生たちではないでしょうか。私達のこころは毎日毎日、埃をかぶり、シミや垢にまみれていますのでいつも祈って浄めないと、罪を犯すのです。ここで見過ごしたら、罪になります。

そのような罪から逃れるために、私は朝のお勤めで、仏教の懺悔(さんげ)文を毎日読み、いのります。(中野東禅先生の口語文です。)多くの指導者や経営者が行っています。

懺悔(さんげ)
「われ、はからずもとがあるは、みな貧(とん)・じん・痴(ち)あるによる。身と心とに汚れあり、いまさんげして浄めをこう。」
四弘誓願(しぐせいがん)
「あいともに、救いの舟に乗りあわん。
身と心、すべてのなやみ消したまえ。
おしえを聞き、正しき道を踏みゆかん。
清き世を、ここにつくりて守りたまえ。」
南無釈迦牟尼仏

懺悔文は、むさぼり、いかり、無知から、人を傷つけたりしています。体も心もけがれています。どうぞおわびし、反省しますので、私の体、口、意識をきよめてくださいという意味です。そして四弘誓願で、一緒に救いの舟にのり、すべての悩みをけしていただき、正しい道を歩み、清い世をつくって、私たちを守ってくださいと祈るのです。

キリスト教のお祈りは
「天にましますわれらの父よ、願わくばみ名を崇めさせたまえ、御国をきたらせたまえ、御心の天になるごとく地にもならせたまえ、我らの日用の糧を今日もお与えください。我らに罪を犯すものを我らが許すが如く、我らの罪を許したまえ、我らを試みにあわせず悪より救い出したまえ。国と力と栄とは限りなく汝のものなればなり。アーメン」と言います。キリスト教も懺悔しますが、ざんげと読みます。

あなたのいのちと死を、私たち大人は決して無駄にしません。安らかに天国でお眠りください。心よりあなたのご冥福をお祈りします。

上に立つ者こそ、いつも謙虚に、反省し、祈れば、良き指導者、良き監督者になれるのです。
最後に私の好きな聖書のことばより
「いつも喜んでいなさい。
たえず祈りなさい。
すべてのことに感謝しなさい。」



2013年1月9日水曜日

商売繁盛のコツ

 おはようございます。
新年は、円安・株高で、スタートしましたが、これを継続的に上昇局面にし、経済を浮揚させるには、日銀による金融緩和のみならず、政府が成長戦略の施策を立て続けに打っていかないと、失速します。同時に企業経営者は、1年計画と3年計画を具体的な数値目標と施策目標をあげて、立案し、国に頼らずに実行していかなければ日本経済は、あるいは日本という国そのものが先ゆかなくなります。たとえば建設機械メーカーのコマツがありますが、デフレ不況の中でも、10年以上、右肩上がりで成長してきました。

コマツ再生の鍵は、リストラをその年度に集中的に徹底的に行ったこと、人間の癌の病気であればすべて取り除かなければ、癌が再発します。企業も同様です。次に自分の会社の事業分野や製品をマトリクスで考え、必要な事業は積極的にM&Aしなければなりません。

現在、日本経済は、企業単独の努力では先ゆかないくらい、瀕死の状態になってきつつあるとき(国民よ目を覚ませ)、安倍総理は、自分のいのちを賭けて(病気が再発しないように祈っています。)、今回のデフレ脱却、経済浮揚の手立てを打ってきています。大企業のみならず、 中小・零細企業も、元気を出して(気は持ちようです)、この危機的状況を突破しなければなりません。そのためには他力ではなく、まずは自力で今すべきことを徹底的にすることです。

商売繁盛の神様に、七福神(大黒天、恵比寿、毘沙門天、弁才天、福禄寿、寿老人、布袋)のなかの恵比寿様がありますが、十日戎(恵比寿)まつりと言って、毎月10日の前後3日間をお祭りします。「商売繁盛、笹もってこい」と掛け声をかけるのですが、「恵比寿様はたすき掛けで釣りをしていて、家業を怠らないことを象徴し、稼ぐに追いつく貧乏なしを現わしていると説明されるわけです。」仏さま白書(中野東禅著四季社)

商売繁盛のコツは、お客様(消費者)が喜ばれる商品やサービスを工夫して提供することに尽きるのです。間違っても、金儲けしようなどと思ってしていると、お客様から見透かされて、お客様に見放されます。儲かることが目的ではなく、お客様に喜ばれることをしていけば、自ずと商売は繁盛するのです。

つまり、自分のためにしていることは、小欲です。人間の煩悩(欲望)は生きているかぎりなくなりませんが、人のためになることをしようという思いは、大欲で、これを持つことで、いわゆるこころざしまで昇華できるのです。(お釈迦様もイエスキリストも同じことを言っています。)

商売をしている人、事業家、あるいは会社に勤めている人も、十日恵比寿まつりを機会に、商売繁盛とはなにか、お客様のためになる商売をしているか、お客様に喜ばれる商品を作っているか、仕入れているか、お客様に喜ばれるサービスを工夫しているかを考えてすれば必ず、自力で商売は繁盛します。そうすればお客様や取引先の他力おちからをお借りすることができるのです。

そしてもうひとつ、大事なことは、恵比寿様や阿弥陀様、お釈迦様など目に見えない神仏に感謝し祈りを捧げ、商売するなら、それは信仰に基づいていますの必ず繁盛し、成功します。最後に中野東禅先生が、「仏さま白書」(四季社)のなかで次のように解説しています。

「恵比寿様の釣りの姿は、『釣りして網せず』といい、暴利をむさぼらないことの象徴でそれが商売繁盛の神だといわれる元なのです。」 

商売繁盛。ああ、ありがたや、ありがたや、ありがとうございます、ありがとうございます。


















2013年1月8日火曜日

市長の新年講話

 あはようございます。
今日は朝6時から日田倫理法人会で、日田市の原田啓介市長のお話を聞ける機会をいただき感謝です。昨年の北部九州大水害に日田市もみまわれ、その対応とその後の復興の対策で、とてもご苦労されたのでしょう。疲れているように見えました。ぜひとも、座禅と積極体操を教えてあげたいと思いました。

日田市の大水害は、半世紀に一度という、大変な事態となりましたが、やはり異常気象で日本中、どこに起きてもおかしくないと思われます。河川の堤防の高さなども、みなすべきだし、安倍総理が言っている国土強靭化計画の実行は必要なのです。地球は氷河期を迎えていますが、CO2排出による温暖化で、異常気象が発生していると言われています。

合併に伴う特別交付金も終わるし、水害の復興費用を国から借りているために、それを返済しなければならず、行財政改革の急務を言っていました。問題は、市報などに、危機的状況をあまり出さないので、市民の意識が市長の意識までいっていない気がします。市報なども民間に委託してはどうでしょうか。

そんなわけで、市長さんは夢を語れない様子でしたが、林業を山業として、再生するとのことで、日田の特産であるわさびの栽培や、バイオバマス発電などのお話がでました。またそれらを推進していくために、カンファレンスセンターの設置などお話していました。これも機能しているのかな。

今日のお話を聞いて気づいたのですが、どこの自治体の長も、多くが民間出身者が多いと思いますが、いつも間にか、行政の官僚に取り囲まれて、当選当時の新鮮な発想力がしぼみ、旧態依然とした発想に落ち込んでしまうのはなぜでしょうか。自治体の長のまわりには、民間のブレーンを常備配置した方がよいと思います。

日田市は咸宜園の教育世界遺産への登録招致運動をしているが、一言もでなかったのはやはり疲れているからでしょう。天領まつりの時に、四回、咸宜園に行きましたが、咸宜園研究センターの市職員は、咸宜園での案内をてしていないくらいですから、これも早く民間委託してほしいと思います。サービスのできない研究員はいらない。教えることのできない先生は要らないのです。

このように書くと批判ばかりしていると思われますので、いくつか提言しますと、日田市においては、歴史文化と観光と農林業による活性化を計っていくことです。

これからののトレンディのキーワードの第一は、日本流ロングトレイルです。つまり歩きながらその土地の自然と文化と歴史に触れ、楽しむことです。たとえば三津江にまたがる林道をつかい椿ヶ鼻・釈迦岳をとおり天ケ瀬に出て日本100名湯の温泉に入っていただくコースとか、慈眼山から豆田散策そして岳林寺を回り、祇園会館を見て、日田温泉に入るコースや、自然あふれる小野、小鹿田焼きコースとか、一泊二日などの宿泊コースをいくつか作り、それを売り込むのです。これほどの自然と歴史を持っているところはそうはないのです。また大分県にまたがる広域なコースも作れます。

農林業においては、6次農業で、津江のわさびを使ったダイエット商品の開発をし、通販事業を立ち上げるのです。これには日田の野菜や味噌なども売れます。実は野菜販売は、友人がしていて、猫の手も借りたいほど忙しいとのことです。ヒントはたくさんあります。人が足りないというのなら、現代の咸宜園(日本語学校)をつくって、東南アジアから若者に来てもらって、昼は働き、夜、咸宜園(各高校を使う)で、日本語を学び、そしてお互いの歴史と文化を勉強する機会を作ってはどうでしょうか。一年から二年ぐらいの短期留学方式がよいと思います。

公務員は自分たちが国民、市民へのサービス業従事者であるとの自覚を持つことです。国も自治体も行財政改革は、日本航空で実施しているアメーバ経営を導入して、部署ごとの人時採算性をだしていく仕組みにしないと変わらないと思います。

当研究所では、これからも、市や商工会議所あるいは企業経営者に提言していって、地域の活性化のために尽力したいと思っています。只今、「よろず相談会」を実施中ですので、メールにてご連絡下さい。
E-mail beppu1717@mint.ocn.ne.jp







2013年1月7日月曜日

「八重の桜」を見て

 おはようございます。
楽しみしていたNHK大河ドラマ「八重の桜」が始まりました。幕末から昭和初期までの歴史のなかで生き抜いた八重という女性の生き方と、時代のすさまじさを見たいと思っていました。「竜馬伝」「坂の上の雲」などのこの時代のドラマはありましたが、男性を描いたものが多い中で、「篤姫」に続き、女性の側から、あるいはこの時代の女性を描くことは、大事なだと思います。安倍政権も党および閣僚に五人の女性を起用していますので、国民みんながみていますよ。笑顔のない傲慢な態度をとらないように自覚してほしいと思います。八重役の綾瀬はるかさんはぴったしで、癒されますね。

幕末の会津戦争、明治維新後の新島譲との結婚と同志社大学の設立、日清・日露戦争での従軍看護婦など、時代を全力で生き抜いた八重という一人の女性を通して、私たちひとりひとりが生き方を問われてくると思います。作者の山本むつみさんは、人間の「勇気」と「献身」をテーマに書いたと語っています。いつも、社員教育などで、NHK大河ドラマは勉強になるので見るように言ってきましたが、ぜひ、ご家族で一緒に見てみてはでしょうか。(NHKに高い受信料を払っているんですよ。)

さて、ドラマのなかで、「什の誓い」という子供達への教えがありましたが、会津武士の6歳までの子供は、「什」というグループごとに教育されます。10歳から藩校「日新館」で学びます。

「什の誓い」(口語訳)
一、年長者の言うことには背いてはなりません。
一、年長者にはお辞儀をしなければなりません。
一、ウソをついてはなりません。
一、卑怯な言動をしてはなりません。
一、弱いものいじめをしてはなりません。
一、外で、モノを食べてはなりません。
一、外で、女性と話してはなりません。
ならぬことはならぬものです。

このような教育をやめた現代の日本人は、年長者を敬わず、自分から挨拶もしない。昨今では、平気でウソをつく卑怯者が多い。政治家はマニフェストでウソを並び立て、謝りもせずにまた立候補する、ウソを言って政権をとることも詐欺罪ではないでしょうか。学校でも職場でもイジメが横行している、歩きながらハンバーガーを食べ、その紙袋を路上に捨てる。インドでは、バスのなかで、集団レイプして女性を殺している。仏教の発祥地インドよお前もか。

してはならぬものはならぬのです

八重もこの教育を受けたのですが、八重の進取の精神は、佐久間象山に学んだ兄、山本覚馬の影響を受けているかもしれませんね。八重は、儒教、仏教、キリスト教を身につけていったので、徳富蘇峰から矛盾していると非難されるのですが、これらの宗教は矛盾してなく、相互に影響を与え今日の思想、哲学に取り込まれています。日本でキリスト教が広がらないのは、浄土真宗があるからで、同じ教えであったことと、先祖供養がないからにすぎないのです。(この辺りは後程、展開したいと思っています。)

みなさん、平成二十五年は、「八重の桜」を観て、お互いにしっかり勉強しませんか。



2013年1月5日土曜日

新時代の思想

 おはようございます。
21世紀に入り、13年が経過しましたが、依然として、東アジアそして中近東では、きな臭いにおいがしています。それは新時代の思想をもたないからです。戦後のインテリは、共産主義革命の後、平等な国家体制ができるものと期待していましたが、その夢は破れ、中国では、共産党が資本家に成り代わり、民衆から搾取し続けていますし、北朝鮮では、金王朝という世界史上、まれな世襲制国家が存続しています。

新年のこの時に、歴史を振り返ると、中国という国で、今の政府が永遠に続くものでないことを歴史が物語っています。歴史は繰り返していますので、そう遠くない時期に、共産党国家は、崩壊して、民主主義的な国家へと変わるだろうと誰もが思っていると思います。

あるいは、中近東では、まさに永遠に憎しみ合い、殺し合いが続いているのです。それは、メディアでも取り上げられるようになりましたが、今のイスラエルの原点であるモーゼは、旧約聖書の出エジプトなど五書を書いたのですが、創世記の神と、ユダヤの神は同一ではないことがわかってきています。

宇宙を創造し、人類を生んだ全知全能の神が、特別な民族だけを選び、恩恵を与え、その他の民族を皆殺しにすることを許すことはありません。フロイト(精神分析学者)は、モーゼはユダヤ人ではなくエジプト人で、その神は、太陽神であったと書物に残しています。このように書くと読者の皆さんは迷うと思いますが、迷う必要はありません。人類の古代の歴史の真実は、まだまだわかっていないからです。歴史家や学者の研究をまたなくてはなりません。

それでは、新時代の思想を提言すれば、それは『共生と循環の思想』です。今までの時代は、利己主義の考え方や国家的なエゴがまかり通ったのですが、そろそろ人間は自分だけでは生きられないことがわかってきているのでしょう。

まず、宇宙を見てみましょう。宇宙の中の、太陽系を見てみますと、太陽を中心に、水星、金星、地球、火星、木星、土星があり、300年かかって、天王星、海王星があり、約20個の衛星と数百の小惑星があることがわかってきました。コロンブスの時代まで、地球は平面であり、海の向こうにいけば落ちるとか、バチカンは、地球を中心に、星が回っていると言い、異論を唱える者をはりつけにしたのです。

しかし、人類は進歩し、科学は発達する中で真実がわかってきたのです。私たちが住んでいる地球は、勝手に宇宙に浮かんでいるのではないのです。太陽を中心に回り、それぞれの惑星との距離によって、引力がたもたれ、宇宙の果ての落ちることなく、存在しているのです。つまり地球はそれぞれも惑星と共生しているから地球は、生物の住める惑星として生きているのです。それぞれの惑星から生かされているのです。これが「共生」です。宇宙や大自然にはこのような大きな力が働いているからこそ、私たちは地球に住めるのです。人間の力など、微々たるものです。

では地球上の国を見てみましょう。資源のない日本は、アメリカやロシア、中近東諸国やアフリカなどから資源を供給してもらい、それを加工し、製品を作り、輸出し、産業が成り立っています。
あるいは、今日では、中国や東南アジアの人件費の安い国で製品を作るために進出しています。では、逆からみれば、資源を持っている国は買ってくれなければ成り立たないし、雇用がなければ働く場がないのです。これが「共生と循環」です。お互いに助け合っているのです。

安倍総理が、日本の国の景気を浮揚するための施策を発表していますが、金融政策を見ると、日銀は紙幣を市場に出しますと、各銀行は、それを国の省庁や自治体、企業にお金を回していきます。そこで設備投資などが促進し、雇用が発生し、賃金が増えてきますので、消費が上向き、需要と供給のバランスのなかで物価が上昇してくる方策です。

このためには、銀行が溜め込まないで融資を促進する必要があると同時に、中小企業を援助し、起業を促すことです。20代の経営者がもっと増える教育と施策が必要になります。この政策がでたあとで、賃金のアップは認めないと言った経団連の会長さんがいますが、時代錯誤もはなはなしく、早く辞めていただきたい。20代の非正規社員を増やすような会社や国に未来があるのでしょうか。そのような国が豊かになることはないのです。いつまでも資本家と労働者の発想するな。

政治も経済もこの「共生と循環の思想」を理解しなければ、明日の日本も世界もないのです。では個人においてはどうでしょうか。

人はひとりで生きているのでしょうか。あなたが生れてくるまえに、約5000人の血が引き継がれ、あなたには、生んでくれたお母さんとお父さんがいるです。あなたと肌を寄せ合った兄弟がいるでしょう。あなたのことを心配してくれた友達がいるでしょう。あなたに声をかけてくれた近所のおばちゃんやおじちゃんがいます。だれひとりとして、ひとりで生きているのではないのです。あなたは、あなたのお父さんやあ母さん、兄弟姉妹、友だち、近所の方があなたにしてくれたことをあなたがその方々へしてあげるのです。

こんな生き方をしたら素晴らしいと思ませんか。そうです。みんながそう思い、そうするのです。それが「共生と循環」なのです。

今、悩んでいる人、苦しんでいる人、問題を抱えている人は、遠慮なく、まずはメールでお問い合わせてください。私、別府武志があなたのご相談にのります。
E-mail beppu1717@mint.ocn.ne.jp

2013年1月4日金曜日

美しい日本

 新年 あけまして おめでとうございます。

新しき年を迎えるにあたって、日本に住んでいる私たちは、すべてののものに感謝しなければなりません。この2週間、自然に触れ、座禅し、瞑想するにつれ、日本ほど自然に満たされ、高尚な文化を有している国はないのでないかと思いました。

1968年ノーベル文学賞を受賞した川端康成氏は、ストックホルムでの受賞式で、「美しい日本の私」というテーマで講演されました。

春は花 夏ほとぎす 秋は月 
冬雪さえて 冷(すず)しかりけり 

道元禅師の「本来の面目」と題するこの歌と、

雪を出でて 我にともなふ 冬の月
風や身にしむ 雪や冷たき

明恵上人のこの歌とを、私は揮毫をもためられた折に書くことがあります。

省略

「我にともなふ冬月」の歌も、長い詞書きに明らかなように、明恵が山の禅堂に入って、宗教、哲学の思索をする心と、月が微妙に相応じ相交わるのを歌ってゐるのですが、私がこれを借りて揮毫しますのは、まことに心やさしい、思ひやりの歌とも受け取れるからであります。雲に入ったり雲を出たりして、禅堂に行き帰りする我の足もとを明るくしてくれ、狼の吠え声もこはいと感じせないでくれる「冬の月」よ、風が身にしみないか、雪が冷たくないか。私はこれを自然、そして人間にたいする、あたたかく、深い、こまやかな思ひやりの歌として、しみじみとやさしい日本人の心の歌として、人に書いてあげていますゐます。

省略

この道元の歌も四季の美の歌で、古来の日本人が春、夏、秋、冬に、第一に愛でる自然の景物の代表を、ただ無造作にならべただけの、月並み、常套、平凡、この上ないと思へば思へ、歌になってゐないと言へば言へます。しかし別の古人の似た歌の一つ、僧良寛の辞世、

形見とて 何か残さん 春は花
山ほととぎす 秋はもみち葉

これも道元の歌と同じやうに、ありきたりの事柄とありふれた言葉を、ためらいもなく と言ふよりも、ことさらにもとめて、連ねて重ねるうちに、日本の神髄を伝へたのであります。まして良寛の歌は辞世です。』 講談社現代新書(和文英訳)

この本は、日本語と英語で読めますので、ぜひお買い求めて読んでください。川端康成氏は、日本人を代表して、日本の美しさを世界に伝えたのです。あれから四十五年が経とうとしています。

日本人は、四季折々の自然を愛し、自然の中で生き、自然に畏敬の念をもち、自然の中に神を見出し生きてきたのです。

すべてのものは変化し、進化していきます。人間界において、政治も経済も文化も、そして宗教すら進化しているのです。この無常の中で生きているからこそ、宇宙の真理、地球という大自然の恩恵をかたときも忘れてなりません。

わたしは、正月の初詣では、近くの亀山公園にある日隈神社に行って来ました。町内会の方によって掃き清められたいました。おそらく地元の方しか来ないと思いますが、このような神社こそ、神様と向き合えるものです。(人がすくないので)

人間は自ら生み出したものに責任を取らなければなりません。BSフジのアースウォーカーという番組で、知床半島で狼を育てているとのことでしたが、アメリカイエローストーン公園(四国の半分の面積)では、西部開拓とともに、狼は危険な動物だということで、すべて射殺し、絶滅させてしまったのです。

それによって、エルクという鹿が増え、草木を食べつくし、ビーバーすら巣をつくれないようになり、生態系が崩壊したのですが、カナダから14頭の狼をつれてきて、イエローストーン公園に放つことにより、、鹿が半分になり、生態系が戻ったとのことです。今、知床では同様のことが起きているので、狼が必要なのです。

ネイティブアメリカン(インディアン)が人間ほど愚かな動物はいないとインタビューで答えていましたが、世界の歴史を見れば、わかるとおり、人間が人間に対しても同じようの殺戮を繰り返したのです。

人類の進化がそのようなものであるはずがなく、地球上ではすべての人間が、動物が、共生していかねければなりません。そのためには、足るを知る心をもたなければなりません。寒いから、暑いからと言って、スマホで、便利に外出先からエアコンをつけるような季節感のない生活が私たちに本当の幸せをもたらすのか疑問に思うのはわたしだけでしょうか。

自然を征服することによって文明を切り開いた西洋に対しても、自然のともに生きることによって文化を創造し、生活を営んできた東洋の国、日本が果たすべき使命が大いなるものがあるのです。日本の自然と文化のなかでも、原発問題を考えなければ、真の豊かさと幸福はもたらされないのです。