2013年1月16日水曜日

「教育」とはー長三洲先生に学ぶー

 おはようございます。
大分県日田市で、「長三洲遺墨展」が1月11日~20日まで開催されていますが、昨日は先哲歴史講座で「長三洲と明治学制」というテーマで、郷土史家の中島三夫氏の講義がありました。地元の中学生も参加し、会場は満席でした。市の教育委員会がこのような機会を中学生に与えるのは、まさに学校教育の良き一環だと思います。

長三洲先生の10歳のときの詩ですが、すごいですね。

「寂寞(せきばく)たる南岫(なんしゅう)を上(のぼ)れば 
雲(くも)を穿(うが)って一径(いっけい)斜(なな)めなり
雨(あめ)寒(さむ)くして人見えず 
五月(ごがつ)石楠(しゃくなげ)の花」

私達の頃は、受験、受験で郷土の先哲を学ぶ機会はありませんでした。修学旅行もない時代でした。長三洲先生は、廣瀬淡窓先生の咸宜園に門をたたきますが、貧しかったため入門できず、15歳になって入門し、いわゆる丁稚奉公をしながら勉強し、「宜園の三才子」と言われて、「神童」と評されました。咸宜園を去り、再度22歳で廣瀬旭窓先生の大阪咸宜園に入塾し、毎朝2時より、学問と修練に励み、塾生たちとの交流も深めてきました。

その後、長州藩に迎えられ、高杉晋作が騎兵隊を結成するとこれに応じ、各地での戦火を交え、九死に一生をえながらも九州の勤皇家と組み、薩摩藩の西郷隆盛などと薩長連合に働きました。幕末の時代を駆け抜けた彼を思うと、私の学生時代を思い出します。

まさに1965年頃から1970年が幕末に匹敵する時代であったと思います。全共闘運動(1968~1969)という学生運動が盛り上り、当時の若者たちが、弊害化した教育制度に対して学問とは何か、あるいは自由とは、民主主義とは、そして唯物論や宗教を真剣に考え、問いかけた時代であったと思います。この昭和の幕末をのりこえ、若者たちは高度成長という昭和の原動力になったのです。

今、維新などと坂本竜馬の「船中八策」を持ち出して、「維新八策」などとマスコミ受けするような言動で、政治に参画するのはなく、これからの日本と世界を見据えた若き政治家が登場してくるのを応援したいと思っています。

日本維新の会はまだまだ勉強不足と人材がいないので、憂慮しているだけで非難しているのではありません。今後、日本の政治の一角を担ってほしいと期待しています。

ところで、長三洲先生は、維新政府の要職を務め、「廃藩置県」を実現に導いた「新封建論」を草稿し、近代教育の出発となった「学制」の基となる「学制五篇」を起草しました。また明治天皇の書の教師を務め、習字の教科書の手本に採用されました。

長三洲先生の教育への考え方は、廣瀬淡窓先生の咸宜園の教育方針から来ていいます。

①塾生をその身分・年齢・学歴で差別しない平等主義
②門生各人の個性と才能を活かすことを基本とする個性尊重主義
③学力を厳格に成績によって評価する実力主義
④学問の実用重視・塾の共同生活での職務分担を通じて学ばせる実学主義
⑤詩作を奨励し人情の陶冶を図った情操教育
                          「廣瀬淡窓」深町浩一郎著(西日本新聞社)より

今の教育現場においてもこの5つのことを理解し、実践するなら、大阪の体罰事件などおこらないし、子供がいのちを失うこともないし、各地のイジメの問題も出てこないと思います。廣瀬淡窓先生や長三洲先生が実践した教育を取り戻せば、日本および世界を背負う若者が出てきます。取り戻そう教育!これって安倍総理のフレーズかな。咸宜園の世界教育遺産運動を盛り上げ、この機会にみんなで「教育」を問い直そうではありませんか。

20日まで長三洲遺墨展がパトリアであっていますのでぜひ見られるといいですよ。すばらしい「書」です。尚、1月27日13時半~、日田市中央公民館にて「世界教育遺産フォーラム」があります。


















1 件のコメント:

  1. 拝見致しました。時代を必死に変えようと心血を注いだ人たち
    少なからず現代にもそんな若い人達がいる事を期待したいですね
    有難うございます。

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