2013年1月23日水曜日

アルジェリアの犠牲ー「修証義」を学びつつー

 おはようございます。
私たちは、こうして朝をむかえ、生きていますが、多くの同胞がアルジェリアの犠牲になりました。テロリストとアルジェリア政府軍の犠牲になったのです。異国の地で亡くなられた方々のご冥福、魂に安らぎがもたらされますようにと心よりお祈りします。

30年ほど前、アメリカの政治経済学者のフランシス・フクヤマ氏の「歴史の終わり」が、ベストセラーになりました。民主国家が増え、戦争などが回避できる歴史の終焉を迎えるという内容だったと思いますが、希望はありましたが、違和感も持っていました。

その違和感は、人間がこの地球上で進化し、人類の発展のための存在しているのですが、それぞれの民族や国家の思惑や宗教上の対立を残したまま、歴史は年を重ねていっているからです。宗教上の対立といいましたが、実は人類の歴史のなかで、宗教も互いに交流し進化していっているのです。そのことを教えることで、対立ではなく、共存が生まれることを信じていますが、テロリストとは、破壊的カルト集団なのです。私はオサマビンラディンの話を聞いたとき、カルト宗教だと思いました。

世界の教育の現場で、宗教をタブーにしないで、学ぶ機会を与えないと、一つの宗教、価値観しか知らない若者がカルトに巻き込まれてしまうのです。日本国内でも破壊的カルト集団オーム真理教によって、多くの方が殺され、犠牲になり、今も苦しんでいますが、文部科学省及び教育の現場では全くその後の対応をしていないのです。教師が宗教を知らないのです。日本では信仰のない教師たち数千人が鬱病にかかっているのです。

「ひとりのいのちは、地球より重い」ということばが、歴史のなかで風化していくと、民族的な国家的なエゴがむき出しになってきます。ひとりひとりの人間は善良にみえても、集団で人殺しをするのです。仏陀釈迦やイエスキリストがなげかけた言葉を世界の人が共有できないと、この悲劇が続くのです。

日本人は世界に出ていかなくてならない現実が今日厳然としてあるのです。このようなアルジェリアの犠牲が起きないような対応が必要ですし、起きた時に自国の国民のいのちは、自国のものが救い出す手立てを整えておかなければならないのです。

日本は新たなパワーゲームの中に組み込まれて行っていますし、いわゆる楽観的な平和主義ではとても解決できない状況があります。アメリカで、罪のない人が亡くなる事件がなんどもなんども続いても、銃規制ができない現状は、世界の縮図ではないでしょうか。

20日は、どうすれば人間は救われるのかと考えつつ、東京国際仏教塾での中野東禅先生の「修証義」の講義を聞いていました。この「修証義」のもとは、「正法眼蔵」であり、道元禅師によって書かれたものです。道元の出家は、3歳で父親を亡くし、8歳で母親を亡くしたことが大きく影響しているといわれています。

「生を明らめ死を明らむるは」で始まる「修証義」は、なんどもなんども読み返さないと、なかなか腑におちてこないのです。最初に生と死の意義を明らかにすることが一番大事だと言っているのです。

この宇宙も、地球も、地球上の大自然、大地、草木、すべての生きとし生けるものは、仏の働きを生きているし、縁が生じ、その恵みに感謝するとき、生かされているのです。肉体的な死が訪れ、魂が仏のみもとに集うとき、殺戮をくりかえした魂は、その犠牲になった魂にどう言うのでしょうか。

死がすべての終わりでないと信じるべきだし、そうであれば人殺しをした魂は暗黒の世界にあると思います。あの世から戻った方はいませんが、信仰をもっている人と持っていない人の臨死体験をインタビューしたら、歴然とした違いがあったそうです。どういう違いか想像してみませんか。

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