2013年1月4日金曜日

美しい日本

 新年 あけまして おめでとうございます。

新しき年を迎えるにあたって、日本に住んでいる私たちは、すべてののものに感謝しなければなりません。この2週間、自然に触れ、座禅し、瞑想するにつれ、日本ほど自然に満たされ、高尚な文化を有している国はないのでないかと思いました。

1968年ノーベル文学賞を受賞した川端康成氏は、ストックホルムでの受賞式で、「美しい日本の私」というテーマで講演されました。

春は花 夏ほとぎす 秋は月 
冬雪さえて 冷(すず)しかりけり 

道元禅師の「本来の面目」と題するこの歌と、

雪を出でて 我にともなふ 冬の月
風や身にしむ 雪や冷たき

明恵上人のこの歌とを、私は揮毫をもためられた折に書くことがあります。

省略

「我にともなふ冬月」の歌も、長い詞書きに明らかなように、明恵が山の禅堂に入って、宗教、哲学の思索をする心と、月が微妙に相応じ相交わるのを歌ってゐるのですが、私がこれを借りて揮毫しますのは、まことに心やさしい、思ひやりの歌とも受け取れるからであります。雲に入ったり雲を出たりして、禅堂に行き帰りする我の足もとを明るくしてくれ、狼の吠え声もこはいと感じせないでくれる「冬の月」よ、風が身にしみないか、雪が冷たくないか。私はこれを自然、そして人間にたいする、あたたかく、深い、こまやかな思ひやりの歌として、しみじみとやさしい日本人の心の歌として、人に書いてあげていますゐます。

省略

この道元の歌も四季の美の歌で、古来の日本人が春、夏、秋、冬に、第一に愛でる自然の景物の代表を、ただ無造作にならべただけの、月並み、常套、平凡、この上ないと思へば思へ、歌になってゐないと言へば言へます。しかし別の古人の似た歌の一つ、僧良寛の辞世、

形見とて 何か残さん 春は花
山ほととぎす 秋はもみち葉

これも道元の歌と同じやうに、ありきたりの事柄とありふれた言葉を、ためらいもなく と言ふよりも、ことさらにもとめて、連ねて重ねるうちに、日本の神髄を伝へたのであります。まして良寛の歌は辞世です。』 講談社現代新書(和文英訳)

この本は、日本語と英語で読めますので、ぜひお買い求めて読んでください。川端康成氏は、日本人を代表して、日本の美しさを世界に伝えたのです。あれから四十五年が経とうとしています。

日本人は、四季折々の自然を愛し、自然の中で生き、自然に畏敬の念をもち、自然の中に神を見出し生きてきたのです。

すべてのものは変化し、進化していきます。人間界において、政治も経済も文化も、そして宗教すら進化しているのです。この無常の中で生きているからこそ、宇宙の真理、地球という大自然の恩恵をかたときも忘れてなりません。

わたしは、正月の初詣では、近くの亀山公園にある日隈神社に行って来ました。町内会の方によって掃き清められたいました。おそらく地元の方しか来ないと思いますが、このような神社こそ、神様と向き合えるものです。(人がすくないので)

人間は自ら生み出したものに責任を取らなければなりません。BSフジのアースウォーカーという番組で、知床半島で狼を育てているとのことでしたが、アメリカイエローストーン公園(四国の半分の面積)では、西部開拓とともに、狼は危険な動物だということで、すべて射殺し、絶滅させてしまったのです。

それによって、エルクという鹿が増え、草木を食べつくし、ビーバーすら巣をつくれないようになり、生態系が崩壊したのですが、カナダから14頭の狼をつれてきて、イエローストーン公園に放つことにより、、鹿が半分になり、生態系が戻ったとのことです。今、知床では同様のことが起きているので、狼が必要なのです。

ネイティブアメリカン(インディアン)が人間ほど愚かな動物はいないとインタビューで答えていましたが、世界の歴史を見れば、わかるとおり、人間が人間に対しても同じようの殺戮を繰り返したのです。

人類の進化がそのようなものであるはずがなく、地球上ではすべての人間が、動物が、共生していかねければなりません。そのためには、足るを知る心をもたなければなりません。寒いから、暑いからと言って、スマホで、便利に外出先からエアコンをつけるような季節感のない生活が私たちに本当の幸せをもたらすのか疑問に思うのはわたしだけでしょうか。

自然を征服することによって文明を切り開いた西洋に対しても、自然のともに生きることによって文化を創造し、生活を営んできた東洋の国、日本が果たすべき使命が大いなるものがあるのです。日本の自然と文化のなかでも、原発問題を考えなければ、真の豊かさと幸福はもたらされないのです。















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